2011年05月10日
いわき市へおもちゃを届けに
子供の日の前の日、5月4日に福島県いわき市に、皆さんからいただいたDSやソフト、文房具やおもちゃを届けてきました。
今回午前中は勿来ボランティアセンターで水路の溝の砂をかき出す作業をしてきました。
これがなんともいえない地味に肉体労働。
でも全国各地から来るボランティアの方々は文句ひとつ言わないで、ただただ黙々と作業をして、率先してきつい作業に手を上げて。
まだまだまだまだ作業は続いていくわけで、僕はそのただひとつの小さな点を経験しただけで、この先続く線を想像したら、途方もなくなったりして。
これを地元の方々はしっかり受け止めて、しっかり前を向いて明るく立ち向かってる姿を見ると、ただただ頭を下げて作業するしかありませんでした。
無力さを感じても自分を卑下しても、張り切っても、出来ることは限られていて、それを真摯に受け止めて、日常の中でやっていくしかないのだと感じました。
長い長い戦いなので。
今回は悩みに悩んで考えに考えた末に、向こうの方と話し合いながら、児童養護施設いわき育英舎さんに届けました。
これは数に限りもあったので、個人に渡すよりも施設に管理していただき、子供たちに渡してもらうほうがいいと思い決めました。
都合上写真に収めることはできませんでしたが、子供達はとてもとても喜んでくれました。

施設の先生とパシャリ。
協力してくださったたくさんの方々本当にありがとうございました!
有)スキップ、株)猿楽庁、BAR FABRICA、yululi、市議会議員福嶋あずささん、SPW小沢さん、物資を持ってきてくれたたくさんの方々本当にありがとうございました!
実際現地の方と連絡を取り合っていると、こっちでのボランティアをしたいテンションと現地のテンションの微妙な違いを感じます。
物資を届けたいけど、現地は思ってる以上に物は足りていて、これからは新生活を始めるのに必要となるものが欲しくなっていくのです。
わかりやすく言うと一人暮らしをする時に欲しいものです。
そうなるとなかなか個人での物資提供は難しくなってきます。
きちんと情報を取り合って、行動することをおすすめします!
物資を送ろうと思うけど、何を送っていいかわからない方、いま現地で必要なのは土嚢袋です。
瓦礫を入れたり、ヘドロを入れたり、砂を入れたり、堤防を作ったり、屋根のシートを止めたり、とにかく今は土嚢袋が足りないです。これはいわき市の場合です。
参考までに。
現地の方々は忘れられていくのが怖いと言っていました。
げんにボランティアセンターに全国から集まった車のナンバープレートを見るだけで、みんなが私達を応援してくれてるんだと力になると言っていました。
これからも出来る限り小さな力でも継続して行なっていきたいと、思っていますのでまた何かありましたら協力していただけたらうれしく思います。
今回午前中は勿来ボランティアセンターで水路の溝の砂をかき出す作業をしてきました。
これがなんともいえない地味に肉体労働。
でも全国各地から来るボランティアの方々は文句ひとつ言わないで、ただただ黙々と作業をして、率先してきつい作業に手を上げて。
まだまだまだまだ作業は続いていくわけで、僕はそのただひとつの小さな点を経験しただけで、この先続く線を想像したら、途方もなくなったりして。
これを地元の方々はしっかり受け止めて、しっかり前を向いて明るく立ち向かってる姿を見ると、ただただ頭を下げて作業するしかありませんでした。
無力さを感じても自分を卑下しても、張り切っても、出来ることは限られていて、それを真摯に受け止めて、日常の中でやっていくしかないのだと感じました。
長い長い戦いなので。
今回は悩みに悩んで考えに考えた末に、向こうの方と話し合いながら、児童養護施設いわき育英舎さんに届けました。
これは数に限りもあったので、個人に渡すよりも施設に管理していただき、子供たちに渡してもらうほうがいいと思い決めました。
都合上写真に収めることはできませんでしたが、子供達はとてもとても喜んでくれました。

施設の先生とパシャリ。
協力してくださったたくさんの方々本当にありがとうございました!
有)スキップ、株)猿楽庁、BAR FABRICA、yululi、市議会議員福嶋あずささん、SPW小沢さん、物資を持ってきてくれたたくさんの方々本当にありがとうございました!
実際現地の方と連絡を取り合っていると、こっちでのボランティアをしたいテンションと現地のテンションの微妙な違いを感じます。
物資を届けたいけど、現地は思ってる以上に物は足りていて、これからは新生活を始めるのに必要となるものが欲しくなっていくのです。
わかりやすく言うと一人暮らしをする時に欲しいものです。
そうなるとなかなか個人での物資提供は難しくなってきます。
きちんと情報を取り合って、行動することをおすすめします!
物資を送ろうと思うけど、何を送っていいかわからない方、いま現地で必要なのは土嚢袋です。
瓦礫を入れたり、ヘドロを入れたり、砂を入れたり、堤防を作ったり、屋根のシートを止めたり、とにかく今は土嚢袋が足りないです。これはいわき市の場合です。
参考までに。
現地の方々は忘れられていくのが怖いと言っていました。
げんにボランティアセンターに全国から集まった車のナンバープレートを見るだけで、みんなが私達を応援してくれてるんだと力になると言っていました。
これからも出来る限り小さな力でも継続して行なっていきたいと、思っていますのでまた何かありましたら協力していただけたらうれしく思います。
2011年04月22日
福島県南相馬市へ
先日4月9日に南相馬に物資を届けに行ってきました。
知っている方も多いと思いますが、原発から近く見えない恐怖と戦っている町です。
いわき市に一緒に行った、高校からの友人の横田と一緒に、つくば市民大学さんや江戸川区の野菜生産者さんの協力で、生野菜や水などを届けに。
普段なら常磐道ですんなり行ける南相馬も、原発の影響で高速は通行止めのため、常磐道から磐越道、一般道を通って普段の倍近くの時間がかかってしまった。
途中通行止めの看板や立て札、バリケード、脱ぎ捨てられた防護服。
TVで見ていた映像が現実サイズで目の前に広がる。
立ち入り禁止の看板に警察官「ここを通ると少し放射線が強いところがあるので気をつけてください」
進んでいくとニュースでも聞いたことのある葛尾村を通る。
持っていたガイガーカウンターが9.99マイクロシーベルトを指し、それ以上計測できなくなった。
それが人体にどのくらい影響があるかなんかわからないけど、初めての見えない恐怖。
心なしか上がる車のスピード、鳥肌、静まり返った村は見えない恐怖で取り残されていた。
南相馬市に入ると数値は落ち、東京と変わらない0.1マイクロシーベルト程。
南相馬市社会福祉協議会災害ボランティアセンターを訪ね、物資を配る場所を検討。
原第一小学校、石神第一小学校、デイサービスひまわりさんに新鮮な野菜や物資を届ける。
twitterを見てメッセージをくれた地元の方にも直接物資を届けた。
戦後自分達の手で一生懸命開拓してきた農地を地震だけでなく原発で奪われてしまったと、83歳のおばぁちゃんから涙ながらでお話を聞かせてもらう。
「農業しかやってこなかったんだ、これから何をしていいかわからない。あなた達みたいな若いひとは、私達の分まで生きてください」と。
息子さんにありがとうございます。と言われ「何も出来ませんですいません」と言うと、「ここに来てあの人があんなに笑顔になったのは初めてです。ありがとう」と。
振り返ると笑顔で僕に手を振ってくれたおばぁちゃん。
「もう少しがんばってみるね」と。

避難所の子供にダンボールいっぱいのお菓子を渡すと「どれもらっていいの?」と言うので「全部持って行っていいよ!」と言ったのに「どれにしようかなー」と悩んでいる。
取り合うこともなく、みんなで仲良く分け合って。少しの時間子供達と戯れてはしゃいで遊んで。
猪苗代湖ズの歌を口ずさんでいる子供がいたので、知ってるの?と聞くと「TVで少し流れてるんだー」
僕はこの歌を福島の人に聴いてもらいたい!と友人と話していて、CDを作ってきたのでそれを避難所の方に渡した。
すると「この歌すごい気になってて勇気でるんですよ!本当にもらっていいんですか!ここで流します!」明るく笑顔で話してくれました。(チャリティーソングなので、TOKYOFMさんのHPからDLすると、全額寄付になります、 http://www.youtube.com/watch?v=3CQJuAN2BEY)
帰り際若い人が「また来てください、南相馬は馬追いやサーフィン、色々な観光があります。元気に復興したら遊びに来てください!僕たちが元気にします」握り締めた手をさらに強く握り締めて。
最後に「福島に原発はいりません・・・東京の方どうかお願いします・・・」僕は何も言えず、頭に言葉すら浮かばなかった。
涙ぐみながら握った手に込められたメッセージ。
難しいことはわからない、でも原発の事をこれから考えていくなら、推進していく人は1回でもいまの福島を見て、現地の人の話を聞いてほしいと思う。
無力なのは百も承知だけど、何かを変えるなら今しかないと思うから。
東京では報道が減ってきていますが、福島はまだまだまだ戦っています。
継続して、暖かく、強く、支援していくことが大切だと思いますし、出来る範囲でまたしていこうかと思います。
最後に南相馬市社会福祉協議会災害ボランティアセンター並びにボランティアスタッフのみなさん、江戸川区の野菜生産者(茂呂農園、木村農園、小原農園、小島農園)さん、ナッパーズ、つくば市民大学、たくさんの協力ありがとうございました。
今回も出来たつながりで、今後も継続して何か出来ていけたらと、思っています。その時はまた協力よろしくお願いします。
もちろんこれから協力してくださる方もぜひ一緒に。
この文章で気分を悪くされた方がいたらごめんなさい。悪気はないんです。
東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
知っている方も多いと思いますが、原発から近く見えない恐怖と戦っている町です。
いわき市に一緒に行った、高校からの友人の横田と一緒に、つくば市民大学さんや江戸川区の野菜生産者さんの協力で、生野菜や水などを届けに。
普段なら常磐道ですんなり行ける南相馬も、原発の影響で高速は通行止めのため、常磐道から磐越道、一般道を通って普段の倍近くの時間がかかってしまった。
途中通行止めの看板や立て札、バリケード、脱ぎ捨てられた防護服。
TVで見ていた映像が現実サイズで目の前に広がる。
立ち入り禁止の看板に警察官「ここを通ると少し放射線が強いところがあるので気をつけてください」
進んでいくとニュースでも聞いたことのある葛尾村を通る。
持っていたガイガーカウンターが9.99マイクロシーベルトを指し、それ以上計測できなくなった。
それが人体にどのくらい影響があるかなんかわからないけど、初めての見えない恐怖。
心なしか上がる車のスピード、鳥肌、静まり返った村は見えない恐怖で取り残されていた。
南相馬市に入ると数値は落ち、東京と変わらない0.1マイクロシーベルト程。
南相馬市社会福祉協議会災害ボランティアセンターを訪ね、物資を配る場所を検討。
原第一小学校、石神第一小学校、デイサービスひまわりさんに新鮮な野菜や物資を届ける。
twitterを見てメッセージをくれた地元の方にも直接物資を届けた。
戦後自分達の手で一生懸命開拓してきた農地を地震だけでなく原発で奪われてしまったと、83歳のおばぁちゃんから涙ながらでお話を聞かせてもらう。
「農業しかやってこなかったんだ、これから何をしていいかわからない。あなた達みたいな若いひとは、私達の分まで生きてください」と。
息子さんにありがとうございます。と言われ「何も出来ませんですいません」と言うと、「ここに来てあの人があんなに笑顔になったのは初めてです。ありがとう」と。
振り返ると笑顔で僕に手を振ってくれたおばぁちゃん。
「もう少しがんばってみるね」と。

避難所の子供にダンボールいっぱいのお菓子を渡すと「どれもらっていいの?」と言うので「全部持って行っていいよ!」と言ったのに「どれにしようかなー」と悩んでいる。
取り合うこともなく、みんなで仲良く分け合って。少しの時間子供達と戯れてはしゃいで遊んで。
猪苗代湖ズの歌を口ずさんでいる子供がいたので、知ってるの?と聞くと「TVで少し流れてるんだー」
僕はこの歌を福島の人に聴いてもらいたい!と友人と話していて、CDを作ってきたのでそれを避難所の方に渡した。
すると「この歌すごい気になってて勇気でるんですよ!本当にもらっていいんですか!ここで流します!」明るく笑顔で話してくれました。(チャリティーソングなので、TOKYOFMさんのHPからDLすると、全額寄付になります、 http://www.youtube.com/watch?v=3CQJuAN2BEY)
帰り際若い人が「また来てください、南相馬は馬追いやサーフィン、色々な観光があります。元気に復興したら遊びに来てください!僕たちが元気にします」握り締めた手をさらに強く握り締めて。
最後に「福島に原発はいりません・・・東京の方どうかお願いします・・・」僕は何も言えず、頭に言葉すら浮かばなかった。
涙ぐみながら握った手に込められたメッセージ。
難しいことはわからない、でも原発の事をこれから考えていくなら、推進していく人は1回でもいまの福島を見て、現地の人の話を聞いてほしいと思う。
無力なのは百も承知だけど、何かを変えるなら今しかないと思うから。
東京では報道が減ってきていますが、福島はまだまだまだ戦っています。
継続して、暖かく、強く、支援していくことが大切だと思いますし、出来る範囲でまたしていこうかと思います。
最後に南相馬市社会福祉協議会災害ボランティアセンター並びにボランティアスタッフのみなさん、江戸川区の野菜生産者(茂呂農園、木村農園、小原農園、小島農園)さん、ナッパーズ、つくば市民大学、たくさんの協力ありがとうございました。
今回も出来たつながりで、今後も継続して何か出来ていけたらと、思っています。その時はまた協力よろしくお願いします。
もちろんこれから協力してくださる方もぜひ一緒に。
この文章で気分を悪くされた方がいたらごめんなさい。悪気はないんです。
東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
2011年03月30日
福島いわき市へ
「俺たちに何か出来ない事ないかな?」
高校時代からの友人の横田から電話があった。
僕自身福島で生まれて、祖父の家があり毎年のように帰ってる東北に何か出来ないか考えてる時でした。
個人で勝手に現地に行くのは迷惑がかかってしまうので、慎重に考えて考えて。
そこで、すでにボランティア活動をしている、茨城県つくばにある、つくば市民大学さんに電話をして、何か協力させていただけないか、聞いてみました。
すると、現地ではガソリン不足で倉庫から物資を運ぶのがなかなか難しいから、東京からガソリンを入れてきて運搬してくれるなら、大歓迎だといわれました。
そして人手も足りていないから、すぐにでも来てくれて大丈夫!と。
26日土曜日に代々木の友人のお店(yululi)で物資を集い、数多くの物資をいただき、直接現地の方に渡すことを約束しました。
次の日、東京を出発して、つくば市民大学さんで、つめるだけ物資を積み込み、水戸でがんばろう茨城!学生ボランティアチームの方や市役所の方と合流して、水戸から来た2tトラックに物資を積み込んで、いわきへ向かいました。
積み込んだダンボールには全国からのメッセージが書いてあり、積み込むだけで胸が熱くなった。
高速道路は波打ってボコボコで50キロ制限。
けれどその中を走る、タンクローリーやトラック、自衛隊を見るたびに「行け!行けー!」って気持ちがあがる。
いわきで市議会議員の福嶋さんと合流して、出来るだけ物資が行き渡っていない避難所を教えてもらい、手分けして避難所に向かった。
走る道路にはTVで見たのと同じような津波の脅威で流された町。
ただ圧倒的に違うのは、風に乗ってくる匂い。
埃のような、なんとも言えない嗅いだ事のない匂い、現地にこなかったらわからなかった匂い。
ただただ圧倒されて声も出なかった、カメラのシャッターも押せなかった。
物資は、いわき市立藤間中学校、いわき市立中央台東小学校、いわき市立中央台南小学校、福島県立小名浜高校の避難所に、2tトラックはいわき市立江名小、中学校の避難所に届けました。
「水はありますか?」とたずねると「ここは昨日やっと水がくるようになったから、他に足りてないところにまわしてあげて下さい」と。
おばぁちゃんに「お元気ですね」と言うと「何もないんだから、元気ぐらい出さないでどうするの!」と。
避難所の高校球児に「何か欲しい物はある?」と聞くと「野球がやりたい」と。
帰りに、おばぁちゃんに「これ食べていきなさい!」と茹でたサツマイモを差し出された「物資を届けにきたので、もらえません」と言うと、何度も「いいから食べなさい」と、そして「あんた人が家にきたら茶菓子くらい出すでしょ?あたしにもそれくらいさせなさいよ!そのくらいの気持ちまだ残ってるよ!」と言われ、噛みしめて噛みしめていただきました。
別れ際にその方は僕たちに大きな声で「けっぱれ!」って、東北弁で「がんばれ!」行った僕たちが勇気と元気をもらいました。

困難な状況の中、思っていた以上に現地の方は笑っていて、元気で、強くて、協力して、やさしくて。
出来ることは少ししかないし、今回の件で物流の難しさや、その日その日で欲しい物資(耳かき、爪切り、靴下が欲しい)が変わることや、情報伝達の難しさなどたくさんの困難があることも知りました。
避難所の市役所の方が「現地で必要とされているのが、「食べ物」から「物」そして「心」と変わってきています。これからは楽しみや娯楽など、心を満たしてくれるものがありがたくなると思います」と言っていました。
もちろんそれは私たちがまわった、避難所での事で、まだ食べ物もまわってこない避難所もたくさんあると思います。
賛否両論はあると思いますけど、現地の方が少しでも笑顔になったり勇気が持てるものであれば。
お笑いも音楽もアートもマジックも落語もスポーツも、これから必要になるんですきっと。
書ききれないことや伝えきれないことはたくさん。
最後に一緒に行動してくれたナッパーズ、つくば市民大学の方々、がんばろう茨城!ボランティアチームの皆さん、市役所の前川さん、市議会の福島さん、トラックの矢野さん、yululi、物資を届けてくれたたくさんの方々。
たくさんの協力ありがとうございまいた。
今回出来たつながりで、今後も継続して何か出来ていけたらと、思っています。その時はまた協力よろしくお願いします。
もちろんこれから協力してくださる方もぜひ。
なんだかえらそうな事ばかり書いてすいません。
この文章で気分を悪くされた方がいたらごめんなさい。悪気はないんです。
東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
高校時代からの友人の横田から電話があった。
僕自身福島で生まれて、祖父の家があり毎年のように帰ってる東北に何か出来ないか考えてる時でした。
個人で勝手に現地に行くのは迷惑がかかってしまうので、慎重に考えて考えて。
そこで、すでにボランティア活動をしている、茨城県つくばにある、つくば市民大学さんに電話をして、何か協力させていただけないか、聞いてみました。
すると、現地ではガソリン不足で倉庫から物資を運ぶのがなかなか難しいから、東京からガソリンを入れてきて運搬してくれるなら、大歓迎だといわれました。
そして人手も足りていないから、すぐにでも来てくれて大丈夫!と。
26日土曜日に代々木の友人のお店(yululi)で物資を集い、数多くの物資をいただき、直接現地の方に渡すことを約束しました。
次の日、東京を出発して、つくば市民大学さんで、つめるだけ物資を積み込み、水戸でがんばろう茨城!学生ボランティアチームの方や市役所の方と合流して、水戸から来た2tトラックに物資を積み込んで、いわきへ向かいました。
積み込んだダンボールには全国からのメッセージが書いてあり、積み込むだけで胸が熱くなった。
高速道路は波打ってボコボコで50キロ制限。
けれどその中を走る、タンクローリーやトラック、自衛隊を見るたびに「行け!行けー!」って気持ちがあがる。
いわきで市議会議員の福嶋さんと合流して、出来るだけ物資が行き渡っていない避難所を教えてもらい、手分けして避難所に向かった。
走る道路にはTVで見たのと同じような津波の脅威で流された町。
ただ圧倒的に違うのは、風に乗ってくる匂い。
埃のような、なんとも言えない嗅いだ事のない匂い、現地にこなかったらわからなかった匂い。
ただただ圧倒されて声も出なかった、カメラのシャッターも押せなかった。
物資は、いわき市立藤間中学校、いわき市立中央台東小学校、いわき市立中央台南小学校、福島県立小名浜高校の避難所に、2tトラックはいわき市立江名小、中学校の避難所に届けました。
「水はありますか?」とたずねると「ここは昨日やっと水がくるようになったから、他に足りてないところにまわしてあげて下さい」と。
おばぁちゃんに「お元気ですね」と言うと「何もないんだから、元気ぐらい出さないでどうするの!」と。
避難所の高校球児に「何か欲しい物はある?」と聞くと「野球がやりたい」と。
帰りに、おばぁちゃんに「これ食べていきなさい!」と茹でたサツマイモを差し出された「物資を届けにきたので、もらえません」と言うと、何度も「いいから食べなさい」と、そして「あんた人が家にきたら茶菓子くらい出すでしょ?あたしにもそれくらいさせなさいよ!そのくらいの気持ちまだ残ってるよ!」と言われ、噛みしめて噛みしめていただきました。
別れ際にその方は僕たちに大きな声で「けっぱれ!」って、東北弁で「がんばれ!」行った僕たちが勇気と元気をもらいました。

困難な状況の中、思っていた以上に現地の方は笑っていて、元気で、強くて、協力して、やさしくて。
出来ることは少ししかないし、今回の件で物流の難しさや、その日その日で欲しい物資(耳かき、爪切り、靴下が欲しい)が変わることや、情報伝達の難しさなどたくさんの困難があることも知りました。
避難所の市役所の方が「現地で必要とされているのが、「食べ物」から「物」そして「心」と変わってきています。これからは楽しみや娯楽など、心を満たしてくれるものがありがたくなると思います」と言っていました。
もちろんそれは私たちがまわった、避難所での事で、まだ食べ物もまわってこない避難所もたくさんあると思います。
賛否両論はあると思いますけど、現地の方が少しでも笑顔になったり勇気が持てるものであれば。
お笑いも音楽もアートもマジックも落語もスポーツも、これから必要になるんですきっと。
書ききれないことや伝えきれないことはたくさん。
最後に一緒に行動してくれたナッパーズ、つくば市民大学の方々、がんばろう茨城!ボランティアチームの皆さん、市役所の前川さん、市議会の福島さん、トラックの矢野さん、yululi、物資を届けてくれたたくさんの方々。
たくさんの協力ありがとうございまいた。
今回出来たつながりで、今後も継続して何か出来ていけたらと、思っています。その時はまた協力よろしくお願いします。
もちろんこれから協力してくださる方もぜひ。
なんだかえらそうな事ばかり書いてすいません。
この文章で気分を悪くされた方がいたらごめんなさい。悪気はないんです。
東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。







