奈良の茶粥

 何十年かぶりに茶粥を食べました。茶粥といえば奈良の名物となっていますが、子供の頃(昭和20年代)は大阪の東部(中河内郡)でも茶粥を食べていました。私が住んでいたのが信貴山の麓に近い所でしたので、奈良文化の影響を受けていたのかもしれません。信貴山をまたいですぐ隣が奈良ですが、その頃は奈良でできたスイカを天秤棒で担ぎ、歩いて信貴山を越えて売りに来ていました。今から思えば大変な重労働であったと思います。
 茶粥は“ほうじ茶”で炊いた粥で茶色く色付いており、ほうじ茶の香ばしさをほのかに感じることができる大変美味しいものです。お餅やおかきを焼いて醤油を付けたものをこの茶粥に入れると、一段と美味しかったことを覚えています。子供の頃の大好物でした。お餅入り茶粥の変形で、焼いて醤油を付けた餅にお茶をかけて食べるのが好きで、今でもたまに食べることがあります。子供の頃の味覚や好物は年をとっても変わらないものです。
 茶粥はそのままでも美味しいのですが、どうしても塩気の強い梅干しや塩昆布、漬物を多く食べてしまいがちです。また熱々の状態で食べるので、胃や十二指腸にはあまり優しくないかも知れませんね。

 今回は奈良ホテルに泊まる小旅行に出かけました。奈良ホテルは猿沢の池や世界遺産の興福寺、東大寺、春日大社にも近いロケーションにあり、奈良観光には大変便利です。明治42年に営業を開始し、その設計には東京駅を手掛けた辰野金吾氏が関わっていました。ここの朝食にその茶粥定食があり、懐かしい味を堪能することができました。
奈良の茶粥1
奈良ホテル玄関

 奈良ホテルは「西の迎賓館」と呼ばれ、関西において国賓や皇族の方々が宿泊される「迎賓館」に準ずる施設としての役割を担ってきました。昭和天皇はじめ、今上天皇や現皇族の方々が奈良に来られた時には今でも利用されています。
 旧館の客室は今どきの感覚からすればとても狭く、バストイレも窮屈です。しかしロビーや廊下、ダイニングに飾られた美術品の数々や赤絨毯を敷き詰めた廊下・階段の重厚な佇まいは、積み重ねてきた歴史と伝統を感じさせてくれ、部屋の狭さも忘れさせてくれます。
奈良の茶粥2
奈良ホテル内部

 茶粥の朝食を済ませてから、春日大社参道を散策しました。参道横の飛火野で、ちょうど鹿寄せが行われていました。係りの人がホルンを吹くと森の中から次々と鹿が集まってきます。鹿寄せは今から120年前の明治25年 鹿園竣工奉告祭にラッパを使って行われたのが始まりだそうです。集まってきた鹿にはドングリが与えられます。朝のさわやかな澄んだ空気の中、走り寄ってくる鹿たちののどかな風景に心癒されました。
奈良の茶粥3
鹿寄せ 寄って来る鹿を待つ
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ぞくぞくと集まってくる鹿たち


 ※ いつも当ブログをご覧いただいている皆さま、ありがとうございます。これよりしばらくお休みいたします。慌ただしい年の暮れ、風邪などひかれませぬようご自愛くださいませ。それでは良いお年を。

神戸税関

神戸税関3
中庭からのぞむ神戸税関(新館)

 神戸には奈良や京都のように古い神社仏閣などの歴史的建造物はほとんどありません。平清盛が一時神戸の福原に都を遷しましたが、源氏に敗れたのち都はすぐに京に戻りました。都はなくなりましたが清盛が残した大輪田泊はその後、大陸との貿易の拠点となり、神戸の歴史は港の発展と共にありました。

 平安京還都ののち、再び神戸が歴史の脚光を浴びるようになったのは江戸末期から明治にかけてでした。勝海舟が海軍士官養成機関として坂本竜馬も学んだという海軍操練所を神戸村に創立し、また列強の圧力により天皇勅許による兵庫開港を行うなど、江戸幕府から王政復古の明治にかけて大きな歴史の転換期に、神戸は歴史の表舞台に躍り出たのです。
 兵庫開港の勅許が出され、実際開港されたのは小さな寒村であった神戸村の港(のちの神戸港)でした。寒村ゆえ土地の確保が容易であったことと、神戸海軍操練所の施設が利用できたことが大きな理由とされています。開港された神戸港は海外貿易の拠点として大いに栄え、貿易商などの外国人が居留地に住み、神戸の発展に寄与しました。
 
 神戸港開港と同時に、幕府により輸出入品の監督や関税の徴収などを扱う運上所が設置されました。神戸税関の前身です。阪神・淡路大震災で被災し半壊してしまった庁舎は、時計台を含めた会館と内部ホールはほぼ完全な姿で復原され、旧別館の跡地に新館が建設されました。建物の外観は昭和初期に完成した二代目庁舎のものを引継ぎ、花崗岩とタイル張りの重厚な造りになっています。「帝国の大玄関番たる税関として恥ずかしからぬ近代的大庁舎」と言われた国内最大の税関庁舎は、今も神戸港のシンボルとしてその威容を誇っています。
神戸税関1
庁舎の外観
神戸税関2
内部のドーム

 神戸港は開港以来順調に発展し、1970年代にはコンテナ取扱量世界一の港になりましたが、アジア諸国の追い上げや大震災による港湾施設の壊滅的損壊などにより、最近では世界の貿易港のトップ30にも入らなくなりました。日本では東京・横浜が辛うじて22位と28位(2005年データ)に入っているくらいです。
 建設当時、世界最大の人口島であったポートアイランドには、スーパーコンピューター「京」の研究所や先端医療の研究基地などができ、空の玄関口として神戸空港も開港しました。メリケンパークや神戸ハーバーランド、また神戸港後背地には旧居留地の歴史的街並みや六甲山麓の異人館などの観光施設もたくさんあります。
 清盛により海の都として開かれ、大陸との貿易・国内物流の中心地として発展してきた神戸が、国際ハブ港としての地位を中国や韓国に奪われたままなのは残念でなりませんが、神戸は学術・芸術・文化の街として総合的な発展を目指し新たに羽ばたこうとしているように思います。

徳光院(とっこういん)

 いつも散歩に出かける「布引の滝」は、新神戸駅から徒歩15分ぐらいで行くことができ、都会の喧騒を忘れさせてくれる静かな場所です。神戸っ子にとっては普段着イメージの滝ですが、日本三大神滝の一つであることを最近知って少なからず驚きました。
 日本三大神滝とは、日光の華厳の滝・那智勝浦の那智の滝、そして布引の滝だそうです。華厳の滝、那智の滝はその大きさ、荘厳さでなんとなく神滝というイメージは理解できますが、布引の滝はあまりに身近すぎて荘厳さや神秘的な雰囲気を感じられないのは私一人では無いと思います。
徳光院1
布引雄滝

 布引の滝は「雄滝」「夫婦滝」「鼓滝」「雌滝」の総称で、歩道に沿って順に観ることができます。この道はハーブ園や再度山(ふたたびさん)、トゥエンティークロスを経て森林植物園また麻耶山などに行くことができ、休日ともなれば多くのハイカーで賑わいます。

 一方、布引の滝の東側斜面にはひっそりと佇む小さなお寺があり、そこは知る人ぞ知る隠れた紅葉の名所「徳光院」です。明治時代に神戸川崎財閥(現代の川崎重工業グループ、川崎製鉄グループ、川崎汽船グループなど多くの会社がその流れを汲む巨大財閥の一つでした)の創始者「川崎 正蔵」が建立したもので、境内は大きな古木で覆われ鬱蒼とした森になっています。
 伽藍の中には室町時代創建の多宝塔(重要文化財)や江戸時代初期に建立された鐘楼が移築されています。
 多宝塔はもともと垂水区名谷の龍華山明王寺にあったそうですが、寺が荒廃していたため川崎 正蔵氏が買い取り、その後徳光院に寄進されたものです。解体移築中に神戸大水害の被害を受けるなど数奇な運命を経験した、神戸市唯一の多宝塔です。
徳光院2
徳光院 多宝塔

 12月初旬になると境内は木々の紅葉で真っ赤に染まり、華やかな雰囲気に包まれます。休日でも訪れる人はまばらで、紅葉の名所である京都のように人の多さに圧倒されることなく、ゆっくり紅葉を鑑賞することができます。掃き清められた境内で、深まる秋を静かに感じたい人にはお勧めです。12月中旬までは紅葉に間に合うかも知れません。
徳光院3
徳光院4
神戸の隠れた紅葉の名所です。
徳光院5
掃き清められた境内
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