総選挙

ミャンマーがまた少しニュースにでました。
総選挙についてはあまり詳しくは知りませんが、あの国のやり方からして急激な動きはないだろうと思います。
人々もそんなに大きな変化は期待してないんではないかと。
軍事政権というと聞こえは悪いですが、コントロールの効かない弱い民主主義よりはいいところもあるんじゃないかと思います。
ワッチェの方も特に変わりなく医療をやっているようです。

帰国して一年半がたちました。
ようやく次の動きに入る準備ができてきました。
興味あるかたはこっちのブログを覗いてください。

飛べないブタは歩いていこう。

貝のように

1ebfcab3.JPGドタバタと働いています。
完全な下っ端に逆もどりしたのと、未知の職場で最先端の専門医療=異常に細分化されていて何をやるにも調整と書類の山になる世界に入ってきたのとで、長い1日が続いています。

普通は形成外科っていうと大きな病院でも2,3人ですが、ここは現場で動いている医者が24人。他では見られない症例を勉強できるっていう意味では期待通りです。自分で手術をするようになるのは何年先がわかりませんが。

それぞれの世界にはそれぞれのルールと秩序があるのは当たり前のこと。
しばらくはミャンマーでの経験も“これが正しいのか?”とか“これ意味あんのか?”とかいう疑問も全て封印し、黙って働こうと思います。

いろんな経験はほっていてもそのうち自分の中で熟成されてくるものだろうから。

今日も休みの日の昼にちょっと病棟を見にきたら急変に遭遇。
見てみぬふりして帰ろうかな、とも一瞬思ったけどできるわけもなく手伝い始めたら結局この時間。
まーこういうのが嫌だったら医者を辞めるしかないのかな、と自分をなぐさめつつ。まーでも嫌ですが。

まーとにかく今はあまり考えず。黙々とやります。



アメリカ旅行記1

チキン

紆余曲折あってLAには結局48時間しかいられなかった。けど充実してました。
初日朝。LA国際空港にしては小さい印象。とりあえずホテルに行くかときょろきょろするとインフォメーションカウンターを発見。どかっと座っているというよりもたれているのはデブのブラックのおばちゃん。嫌な予感。いやーでもさすがに空港のインフォメだし、と気をとりなおして聞いてみる。
“あのーCustom Hotelに行きたいんだけど”
“アーイドンノーウ”
“いやでも空港のすぐ近くでバスの送迎もあるはずなんだけど”
“アーイドンノーウ、ホテルのバス乗り場でも言ってみれば”
ふんぞり返ったまま1mmも動く気配なし。というかカウンターに資料らしきものも全くなし。
ピキッ。Welcome to America!!!。そーだ、そーだ、何を言ってるんだおれは。ここはこういう国じゃないか!と軽く先制のジャブに頭を揺らされながらそそくさと立ち去った。

ホテルに電話をかけてしばらくすると迎えはきてくれた。ホテルに到着。こじゃれた感じのいり口の脇に小さな机。
“チェックインカウンターはここですか?”
“そうよ。でも一応いっておくけどアーリーチェックインはフィフティードラーよ。”
“フィフティーン?”
“フィフティー”
一泊分よりたけぇじゃねぇか。じゃ夕方まで時間をつぶすとする。カウンターにはこれまた見事に何もない。
“この辺の地図とか?”“隣のスーパーで買えば”“バスとか?”“その前の通りから出てるけど”とりつくしまもないが、こっちもちょっとエンジンかかってきているので負けない。
“バスに乗るとどこにいけるんだ?”“えーなんとか、なんとか、なんとかビーチ、なんとかなんとか”ビーチ!!よしそれだ。
“ちなみに荷物とか預かってくれたりとか・・・?”“もちろん”ゆえよ、最初から。

それから通りへ出てしばらく歩くとケンタッキーあんどタコベルが。ここで胃にグリーシーな太巻きタコを二本ほど押し込み、頼みもしないのに1Lは入るコーラの容器から粉っぽい味のコーラを少々すすってリハビリ完了。アメリカに戻ってきた。

これまた例外なく太って無愛想な黒人女性ドライバー(差別でなくほんとにみんなそうだった)に道を聞きながらバスを二本乗り継いで1.25ドルでベニスビーチにたどりついた。タクシーなら軽く30,40ドルはかかるところ。ざまーみろ!

いかにもLAといった陽気で白い海岸でまだ肌寒いのに水着で寝そべる白人のおねーちゃんを眺めながら明日のテストに備えて本を流し読み。久しぶりに見たがやっぱり白人は手足長い。こればっかりはかなわない。というか見ていて悪くない。はー。夕方までたっぷり日光浴したら焼けた。Welcome to Los Angles!

店にちょっと入るとこれまたいかにもといったど派手なピンクのプリントのTシャツ。勢いでお土産に購入。やしの木の並ぶ海岸への道を歩いているとNYPIZZAの文字。NYのピザが有名なのかどうかも覚えてないが、もしかしたらの思いに誘われ入店。Buffalo Wings! Lemonade!これまた久しぶりの名前に惹かれていけないとわかっていながらも注文。やたら陽気なにーちゃんが奥に引っ込んでしばらくして出てきたのはチキンの足十本にギトギトのトマトソース。間違いなく冷凍チキンをチンして温めたソースを上からかけたんだな。でもこれをついている白いチーズソースにつけるとうまいんだな・・・と思いつつ口に運ぶがやっぱり思ったほどでもない。くやしいので全部平らげる。ものすごい体に悪いことをしている感じ。なんて単一な成分の食事だ。まーでもこれでよく眠れそう。
Welcome back to America!!

まーもう今はワッチェにいるんですが。

一時戦線離脱

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20日の朝に日本につきます。25日からはアメリカ。なんか渡米は暗雲がたちこめまくってて嫌な感じですが。前は苦にならなかった飛び回りスケジュールも最近はやや気が重め。大人になったってことか。

ワッチェを出る前にささやかなパーティーをやってくれました。なんのお祝い(うるさいのがいなくなる祝い?)だか知りませんが。
テンゾーさんたちが出張でいないので見ての通り自分とコーセイン以外は女の子ばかり。年のころは17からその倍以上まで様々ですが…。

この時のケーキのために日中仕事を抜け出したジーマとニーラとモウモウマを怒ったらジーマはまだしもまだ慣れない他の二人はショックを受けて逆に自分のこと避けて話をしてくれなくなってしまいました。おとうさん悲しい…。年頃の女の子は難しい…。笑

3月に戻るのが楽しみです。

下の記事にモウモウマの写真も加えときました。
アペーアメー(お父さんお母さん)に会いたい、って泣きながら憧れの看護士になるために奮闘してます。
他のスタッフも紹介しなくちゃね。

面白坊主

神白先生から呼ばれた。
“ちょっと先生診察してほしいんだけど”
40前後の気難しそうな顔をしたお坊さん。
聞くと排便時にかなりの量の出血があるとのこと。
貧血で結膜は真っ白。ここ数日は食べても吐いてしまう。
かなり心配な症状だ。
そこで肛門の診察をするわけだが女性の神白先生には絶対に見せたくないとのこと。男ならまーなんとか、というわけで自分が呼ばれた。

そうそう守られているもんではないが、お坊さんには女性は触れないことになっている。厳しいところでは目もあわせてはいけないのが公のルール。
それを診察時に守ろうとするとは余程気合の入った坊主なんだろう。
医療機関にくるのも初めてとのことだったので、さては山中に引きこもって本当に修行に打ち込んでいる僧侶なんだろうと勝手に想像して、これは失礼があってはいけないと体をこわばらせながらおそるおそるお尻を診察させていただく。
やはり嫌がるのであまり追求はできなかったが痔は確実にある。
ここからの出血か。しかし毎回洗面器の量の出血となると腸からかもしれない。そうすると大腸ファイバー検査が必要だしこの病院では対応できない。そう説明してとりあえず便観察をかねて入院してもらった。

その後マトゥザから報告。“先生あのお坊さん泣いてますよ”
“泣いてた?そうか。初めての入院って言ってたから不安が強いのかもね。”
“いえ、違います。お尻からのカメラの検査が怖いって、痛いし。あと一人で怖いって言ってます”
あれ?ちょっと想像と違うな。とにかくほかのお坊さんたちのいる2階に移動してもらった。

翌日Hb(ヘモグロビン:貧血の値)を見ると5.3くらい。通常10−12。大体この病院の検査事態があまりあてにならずどんなに貧血ある人でも7くらいだったので驚いた。食事をしても吐いてしまうので脱水もある。実際は3くらいか。
恥ずかしがるのを厳しくいってみせてもらった便。和式なので流れているが確かに新鮮血のよう。輸血しながらとりあえず痔の手術をすることにした。これで止まらなければ腸だ。
麻酔をかけて肛門が緩むとびっくり。肛門から全周性に飛び出した大きな痔の数々。最初腸がでているのかと思った。気合を入れて切除にかかる。全部とると瘢痕で肛門狭窄になってしまうので7個中3個は残した。

ここからがこの坊さんの本領。手術直後からマトゥザやコーセインから次々と報告が入る。
“先生痛いから眠り薬を注射しろって騒いでます。”
“麻酔のあと水飲んじゃだめっていったのに飲んじゃいました”
“隠れていろいろ食べてますよ。”
厳格坊主じゃなくて単なる我侭坊主だったみたいだ。貧血で弱っていたのを輸血したら元気になってしまった。痔で死に掛けていたのに…。

その後も食事制限を守ってくれたかどうかはわからないが、大きな出血もなく、残った痔も小さくなった。辛いものは好きらしい。
“だいぶよくなってきたので明日退院しましょう”といろいろ説明すると、笑顔で聞いている。“よくなった、よくなったよ、痛くない”とのこと。
その日の午後寺で飯をくって帰ってくると珍しくその坊さんが話しかけてきた。
“飯くったか?”
“はい”
“えっ、いつ?”
“いま食ってきたところですよ”
ちょっと不機嫌そうに自分のベッドに戻っていく。
こちらの患者さんたちはいろんな食べ物をもってきてくれる。
そうかこの坊さんもなんか奢ってくれるつもりだったのかな、と待っているともってきたのは弁当箱。開けて見ると白いご飯が半分に、カレーのようなソース。
“これ夕飯に食え”

食い残し?に見えるが、お坊さんから自分の食ったご飯をいただけるのはありがたいことなのか?と考えつつ、ありがたくいただく。
いつもならスタッフがやってくれるが今は昼時で人がいない。
しょうがないから自分でやる。弁当箱を返すために自分たちの皿に移すとカレーは半分以上純粋な油でギトギト。
石鹸で洗ってたら水道が止まる。困る。
“何をやってるんだ、おれは?”と一人苦笑い。

ありがたく弁当箱をお返しする。
そのあとちょっとして荷物をすっきりまとめた坊さんとすれ違う。
“おー、じゃあ帰るよ”
“えっ!さっき退院は明日って言ったじゃないですか”
“うーん、いやもう帰る。”
何を言っても聞きそうにない。もういっか。
“先生、今度寺に遊びにこいよ。”
“はー。どちらのお寺ですか?”
“すぐそこだよ。黄色い屋根の”
山奥じゃねーし。笑

マイペースというか、転んでもただでは起きないというか。
まーでもなんか憎めない坊さんだな、と思ったときふとよぎる。

あれっ。マイペース?
もしかして他人からみるとおれもこんな感じ…?

いや、まさかね。


ワッチェの時間

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終日の手術期間が終わって数日になる。
眠い。期間中に比べれば毎日良く寝ているがそれでも眠い。
緊張の糸が切れたみたい。ないし身体が次の機会にむけて補充にはいったか。
ミャンマー人スタッフも自分と同じで妙に眠そうにしているのが面白い。

今回は神白先生と二人で半分づつやらせてもらった。
朝九時から夜九時までぶっ通しで手術をやるのは一年ぶり。
でも身体で覚えたことは忘れないもので結構なんなくできたと思う。
一年前に比べればだいぶ余裕をもっていろんなことを判断することもできたと思う。
術者の腕が上がると患者の治療が全体としてスムーズに進む。
以前はずいぶんドタバタしてしまっていたと思う。

いろんな再確認があった。
一つ:他の事が全てどうでもよくなるくらい何かに打ち込むと見えてくるものがある。毎日起きて食って治療して治療して治療して食ってカンファして寝る。これをしばらくやっていると如何に普段どうでもいいことに追われているかが自然と浮かんでくる。
その時間をスタッフみんなと共有できているのも楽しい。

一つ:ミャンマー人と過ごす時間は楽しい。サイクロン以降そういう時間が続いている。おととし自分がワッチェで活動しているときは日本の看護師3人、ハンター、ジーマ、テンゾーさん、ウラウの八人チームだったがいまは20人いて半分はミャンマー人。彼らのものごとに対する態度や物腰は新鮮で心地よい。もちろん自分が大事にしてもらっているという立場あってのこともあるが。メリケン人と過ごす時間も悪くなかったが、ミャンマー人の方が根底で共通する部分が多いように感じる。日本人ももっていたはずのもの。

一つ:On とOffのバランス。今スイッチを切ってみてわかるが、On の時は突っ込みすぎ。硬くなりすぎ。突撃好きは結構だが、一か八かの勝負だけでは続かない。もう何度も遭っているが、今後も取り返しのつかないことになるのを減らすためにはアクセルを踏みながらももっと周りを見渡せるようにならなければ。やっぱりまだまだ“アオイ”。

一つ:学びってのは自分の意識していないところに転がっている。自分の芯を固めつつ、可能性を制限しないよう手を広げるってのは今後もっと難しくなってくるだろう。

書き出したらきりがない。この一ヶ月もあっという間だった。良い時間だったんじゃないかな。

写真は鍼の師匠と。家に遊びに行ったら年齢が半分の若い奥さん(もとメイド)がいた。金はないが陽気で熱くて人望のあるおっちゃんだ。

ブタもおだてりゃ木に登る

ETVへの感想について反響をいただいているので改めて考えたことをもう一回まとめておきます。
繰り返しになりますが自分が書いたことで不快な思いをされた人がいたらごめんなさい。

一つは事前の期待が大きかったことがあり、特に自分が期待をしていたのは漠然と“自分たちがやっていることへの理解”だったんだと思います。ところが見てみると自分がここで大事にしていること:それは一緒に働いているニーラやモンモンマが一心に仏に祈っていたり、ジーマが毎日当たり前のように仏壇の水を替えていたりする場で生活することであり、追い込まれたスタッフみんなの目に本気の色が灯ることであり、治療を終えた患者が人知れずうれしそうにしているさまをふと目にすることだったりするのだが、それが全く表現されてなかった。一方で“若いのに頑張っている”とか“過酷な環境で無償でやっていて偉い”とか言われると逆に“やかましい”としか思えないという自分の性格がある。まーそれ自体がまさに“若い”ということだ、と言われればそれまでですが。よって非常に腹立たしかった。

ただこれに関しても今は少し考え直しています。ここ一週間で二組の突然訪問がありました。九州のお坊さんの一団と香川のビルマ協会の一団。いずれも中年のおじさん、おばさんで、仏教や慰霊で何回もこの国に来ている人たちでETVを見たということで立ち寄っていただいたそうです。病院を回って写真を撮って自分たちの話をして帰っていきました。二組あわせて10万前後の寄付をいただきました。

先日ここに書いたマンダレーに搬送した心臓病の男の子、後日うちのスタッフが別の用事で病院に行ったところ元気に歩いていたそうです。その時自分が当面の治療費として渡し男の子の母親が涙ながらに抱きしめたお金が5千円。
つい数日前も肺に水が溜まってひどい呼吸状態で受診した37歳の女性がもっていたお金は3千円。酸素ボンベつきの救急車でマンダレーに搬送すると2千5百円。結局うちで応急治療をして呼吸状態を少し安定させ、村から車を呼び寄せて搬送。この人も家族がよくなっていると後日報告してくれた。
10万円で助かる命がいっぱいある。

このおじさんたちに“おれが大事にしているのは・・・”と語ったところで何の意味があろう。訪問していただき支援していただき“良いところに来た”と気持ちよく帰っていただいたらみんながプラスでいいのかな、とぼーと考えている。

もう一つは向こうに都合の良いように撮られ、向こうが欲しているようなことをべらべらしゃべっていたのは紛れも無く自分だということである。編集の仕方で文脈が変わってしまうのはもちろんだが、自分で語っている以上後でそれを放映されて怒る筋合いはない。要は自分がうかつだったということである。
このブログにせよテレビにせよメディアというのは多くの人に何かを発信するためのものなのだ。それに乗る以上は自分の中でのメッセージを余程明確にしておかなければいけない。受け取る人が好き勝手に受け取るのは当たり前の話。あそこで放映されているものに物足りなさを感じたのならそれは自分がそれ以上のものを見せられていなかったからに他ならない。全く恥ずかしい話である。

いい勉強になった。
“若い安井医師は頑張っています”などと二度と言わせない。

不快

先日代表の吉岡にワッチェに来てNHKのDVDを見ました。
感想は一言で言うと“不快”です。
そういえばその代表も自身のブログで酷評していました。

どうしようかちょっと迷ってました。
NHKの放送で“よかった、感動した”という反響をいただいた方々に自分として害意はありませんし、ありがたいと思ってますが、自分個人の感想として書きます。

前から思ってたんですが相手に害意ないけど自分の意見を言うときに英語には“No offence, but・・・”という表現がありますが、日本語でそれにあたる言葉を知りません。ご存知の方は教えてください。
ちょっと違いますが最近は先日会ったときに父親の友人の方がよく使われていた“誤解を恐れずに言うと・・・”という言葉をまねしています。

見た直後はいろんなところに腹が立ってましたが、今覚えているところでいうと
.瓮奪察璽犬ない。
しいて言えば“日本の若い人が頑張ってます”くらい。そんなのはアメリカの語学留学にいったって、東京の道路現場でバイトしてたって“頑張っています”なわけで、そんなことでどうこう言われる筋合いはない。やたら“若い”を強調されたのも不快だ。
だから結果として“すごいところで頑張ってます”という以外何も伝わってないんじゃないだろうか。ジャパンハートがここで何をしているのかは出ていない。出演者の直接の知り合いはいざ知らず、あの番組を見てこの団体に寄付しようという気持ちは
起きないだろう。現に番組放映後の反応も乏しかったらしい。

だいたい“ミャンマーでは”とかやたら偉そうな表現を連発するわりにミャンマーの何を撮っているわけでもない。“貧乏でかわいそうな人たち”“その貧乏な人たちを助けるために貧乏しながら頑張る人たち”という構図で撮られたが、みゃんまー人にしてもおれらにしてもそんなことで同情される筋合いはない。
ミャンマー人がどういう文化と心情をもち、どういう背景で生きているのか、そんなことには毛頭興味がないんだろう。
民放がエンタメ要素を誇張して作った方がまだよかったかもしれない。日本人が欲しがるような感動話の一つや二つ、うちの患者たちはみんな抱えている。

さらにその“かわいそうなミャンマー人を利用して若い医師、看護師が経験をつんでいる”的な撮られ方をしたのは許せない。“ここに来て成長することができました、ここは学びの場です”って馬鹿みたいに繰り返された。ミャンマー人は教材じゃねえ。

ナレーターのおばさんの偉そうな言葉にいちいち腹がたったが、それが番組制作者側にとって都合のいい構図なんだろう。安っぽい。そして自分がその構図に都合のいいような発言を結果的に繰り返していた。それにも腹が立つ。

が、まーそれも言ってみれば自分の未熟さゆえ。代表の吉岡の話を中心にまとめればもっと深いものになったかもしれないと思う。自分が普段から発しているメッセージが所詮そんなもんだからそういう風に利用されたというわけだ。自分をはじめ他の出演者が一年二年でかじりとれたものからは“頑張りました”というメッセージしか伝わらなかったということだ。

そう考えればいい勉強になった。
不快なのでもう忘れることにしよう。
テレビに出ようが出まいがワッチェの生活は続いている、あいも変わらず。

1/13

今日また子供を一人搬送した。13歳の男の子。
2日前に来たときの主訴は顔と足のむくみ。
急性の腎障害かな、と思って入院させてみたら夕方から呼吸状態が悪化した。
酸素と薬でその日はやや改善。苦しそうにしながらもなんとか寝ていた。
銅像の西郷さんにちょっと似たこの子は苦しくてもあまり騒がない。じっと耐える。
別に女の子の緊急入院もあり、その日は急変に備えて病院に泊まることに。
翌朝薬でよくなったといい、元気に食べ始めた。
安心してみていたら夕方からまた呼吸状態が悪化。
酸素が必要になる。モニターもつけた。
電気が止まる。その両方が止まる。
酸素ボンベを引っ張りだしてきたりして対処する。
幸い最近夜は電気が来ていることが多い。
昨日も何回か停電があったがなんとか朝を迎えられた。

今日K先生と改めて精査したら心臓の動きも悪いことがわかった。初診の時は気づけなかった。
血液検査も酸素投与もままならないこの病院で戦い続けるには限界がある。
マンダレーの病院に搬送することにする。当然お金の問題になるに決まっている。

付き添っていたお母さんを呼び出す。太った気丈そうなおばさん。
でも搬送の話になるとやっぱり泣き崩れた。
“夫もいない。お金ももうないの。”
聞くと13人の子供を生んでいた。うち5人はすでになくなっていた。
幼いうちに亡くなった子が4人。働きに出た先で病気でなくなった子が一人。
一人一人について語りだすと止まらない。
生きている8人も一緒に住んでいるわけではなかった。上の子たちは働きに出て、
親戚などに預けている子もいる様子。
でもこの子に付き添ってきた。入院中もずっとそばで心配そうに見ていた。
入院しても良くならない息子を見ても文句も言わずにじっと見守っていた。
そして今泣き崩れた。

一人でこれだけの子供を抱えて生きてくる、その子供たちの死をも抱えて生きてくるっていうことがどれだけのことなのか自分には想像もつかない。
そして彼女の様子から気づかされる。
この男の子は決して彼女にとって13分の1ではないんだということが。


昼すぎに搬送した。
入院してしばらくは足りるだろう程度のお金を援助した。
くしくも向こうの病院で救急の先生に患者のプレゼンをすると最初に聞かれたのは
“で、経済的バックアップは君の団体がするのか?”
ありふれた現実。

今日日本の大きな病院の形成の先生が来て下さった。
明日から形成のオペ週間になる。
JHにとっても初めての試みだ。

結論はいつも同じ。
できることをやるしかない。毎日。



モウモウ

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“センセイありがとございま”
かわいい笑顔と片言の日本語で答えてくれたモウモウマはまだ17歳の女の子だ。
鎌倉の大仏の絵はがきをお土産に渡した。
来た当初びっくりした。ミャンマー人にとっては日本で必ず行きたい場所。
自分が行ったことあるのかも覚えてなかったが今回箱根の帰りによってきた。
その時もミャンマーではなかったがアジアのどこかの人が感涙しながら拝んでいた。そういうのを見るとうれしい。ありがたみも増すものだ。
鎌倉の大仏を自国の文化として誇りに思っている日本人はどれくらいいるだろう。

話がそれた。
モウモウマは看護師になるのが夢で先月からワッチェで生活を共にしている。
彼女の出身の村は今回のサイクロンで大きな被害が出た地域にある。
彼女の家や家族の話は直接聞いてはいないが、近くの村にはよく行っていたので被害の想像はつく。あっという間に屋根の高さまで水が入ったところだ。

親元を遠く離れ、外国人と一緒に暮らしながら過ごす忙しい日々。
普段は笑顔でがんばっているが、他のスタッフ曰く休みの日になるとお母さんを思い出して泣いているときもあるらしい。
彼女には今この日々がどんな色に映っているんだろう。
いつか思い出して大事に思える日々になってくれればうれしいなと思う。

ワッチェに戻って三日。
六時に起きて掃除して瞑想して患者を診て手術をして飯を作って食っている。
いつもの生活に戻ってきた感じ。

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