桂 春蝶オフィシャルブログ

関西若手落語家、桂春蝶が日常を語る日記

マンチェスター バイ ザ シー

最近、全ての事象には意味があるんだと強く思うようになってきました。
正確にいうと、前までも意味はあったのだろうけどそれに気付く感性が無かった…とでも言うべきでしょうか?
どこをきっかけにそれを理解できていったかは不明なのですが、一つ一つの出来事を深く味わう日々が続いています。

昨日の投稿には多くの反響をいただき、ありがとうございました。
さて、これはそこからも繋がる事のように思うのですが。

土曜の夜、映画「マンチェスター バイ ザ シー」を観ました。
家族の死、そこから交錯して行く人間模様があまりにも自然で、しかも緻密に描かれています。

儚いまでに不器用すぎて、愚かしいほど純情。
静寂の中で必死にもがく主人公の罪への葛藤に、幾度となくため息をつかされました。

主演のケイシーアフレックが、まるで目線と肩や背中だけで演技しているような…その迫真のアクトは、自分のすぐ側で本当に起こっている出来事なのではないか?と、錯覚すら覚えさせるほどのものだったのです。
本当に素晴らしい映画で、これに巡り会えた事をとても幸せに感じました。

さて、この映画は製作発表段階から「絶対に見なければならない映画」だと、自身強く感じていた作品でした。
主演男優賞と脚本賞、アカデミー賞を二つ受賞している事もあり、全国的に大きくロードショーされると思っていたのですが、関西では何と三館だけ。
しかも1日2回だけという規模の小ささに、何とも驚いてしまいました。

しかし、見終わった後、僕は正直に思えました。

「嗚呼…これはとても素晴らしい映画であるが、興行的な映画ではないだろうな」と。
あまりにも深く、人間の「業」を地味に堅く描いている為に、大衆娯楽作品とは一線を画す内容となっているのです。
はっきり言って「見やすい」映画ではありません。
観客にも鑑賞への覚悟と意志、文化レベルや経験とその素地を問いかける作品でした。

誤解しないでください。
興行的に当たらない映画はダメなのか?
そんな事は絶対に有り得ません。

もちろん僕は売れてる作品も否定はしません。

ですから一つ、こういう例えで聞いていただきたいと思うのです。

『もしも一番売れているラーメンが一番良いとするならば、日本一のラーメンは「インスタント麺」になってしまう。』

インスタントラーメンもとても美味しいです。
しかし1日50食限定のとことん質にこだわったラーメン屋さんも、良い物を提供しているお店は多いではありませんか?
売り上げも大切ですが、僕はそれだけが「質を測る物差し」にはならないと信じたいのです。

「マンチェスター バイ ザ シー」は、人間の心にいつ迄も何かを問いかけ続ける大作品だと思います。
観る人は少ないかも知れませんが、一人一人に与える「余韻の質」がとても高いのです。

僕はこんな映画が大好きです。
こんな作品を創りたい。
こんな世界を演じたい。
いや、こんな世界の中で「生きてみたい。」
ふと人生の壁に当たったとき、マンチェスターバイザシーのパンフレットにそっと手を当てるだけで優しい気持ちを取り戻せる。

僕の創る落語も、ある意味見る側に覚悟を背負っていただく事が多いと思います。
聴きやすい大衆娯楽芸能にはなってはいない。
しかし僕はまだまだ人の想いを、切なさを、喜びを、「極限の局面」を生きた人々を浮き彫りにしながら伝えてゆきたい。

ですから僕は誇りを持って言えます。
ご覧いただいて賛同してくださるお客様は、私のかけがえのない同志なのです。
本当に、心からありがたい…もうそれしか言えません。

僕の落語をいいと思ってくださった方は是非「マンチェスター バイ ザ シー」をご覧ください。
僕の書いたことが。切なくも優しくあなたの心に伝わると思いますから。


奇蹟とはなにか

この文章を読むその前に、これは信じていて欲しいのですが。
私はどちらかと言えばスピリチュアル系は否定している人間です。
霊感も全くありません。
無論「幽霊」なんてのは見た事もないし、根っからそういう世界を信じていません。

しかし、時として人は「説明の出来ない経験」をするものです。
これはそういう話として、お読みいただけたらと願います。

今年の1月、HEPホールで僕は「ニライカナイで逢いましょう?ひめゆり学徒隊秘抄録?」という作品をおろしました。
いい意味でお読みいただけたら幸いですが、もし僕が霊感等に苛まれてる人間なら、そもそもこの様な作品は手がける事すらしなかったでしょう。
敏感な部分と、鈍感な部分がうまく配合されていなければ、余計な事に足を取られてマトモな舞台をつとめる事が出来ないはずなのです。

しかしこの1月のHEP公演は、少し何かが降りてきたような印象がある舞台だったのです。
「何かが降りて、舞台に宿っている」しかしそれが一体何なのか、具体的には分からないまま千秋楽となりました。
僕の稽古場、大阪のワンルームマンションでは複数の模造紙が壁に貼られています。
このネタを作る時に、自分の中で書き出したあらゆるアイデアや沖縄戦の情報が書かれた模造紙。
ネタは出来たのですから、もう剥がせば良かったのですが、何故か「まだ外せない」という思いが僕の中にあったのです。

さて、数ヶ月が経過し、柏、神戸、トリイホールと三回このネタを発表する機会をいただいたのですが…あのHEPホールの時のように「何かが降りてくる」感覚は特に得られないまま、公演が終わりました。
ネタと向き合った模造紙もまだ剥がす時ではない…と、壁に貼られた文字たちと何ヶ月も向き合う日々を過ごしました。

誤解しないでいただきたいのですが、これは決して「何かが降りて来なければいけない」という訳ではなく、自分だけの感覚の中に存在するもので、お客様へそれが伝わっている性質のものではないとの確信もありました。
自分が自分に疑問を投げかけるのです。
あれは一体何だったのか?

さて、本題となる一昨日の話をいたします。
5/19・東京は清瀬けやきホールにてニライカナイ公演がありました。
その前に埼玉県行田市にて1時間半の講演があり、かなりと体力的限界を感じながらの高座でありました。

僕はこの手の噺を演る時は、必ず客電をオフにいたします。
落語で伝えたい想い…というこのシリーズは僕の中での「心の繋がり」が、本当の本当に大事なのです。
集中力をフルに高められるように、客席等何も見えない状況になればなるほどいいとの強い想いがありまして。
しかし、舞台明かりを点けている以上客席を完全に見えなくする事は不可能な事が多く、清瀬けやきホールもうっすら見えているという状況ではありました。

もうここからは、覚悟のある方だけお読みいただきたいです。
自分も頭がおかしい人間なのではないかと思われるのを理解して書いてゆきますから。

体調はどん底でした。
始まって30分は本当に危なかった。
疲労度がピークなのと、時間が無くてまともに食事ができなかったことが災いし、途中から(これも初めての体験なのですが)極度の空腹感を覚え、言葉を発するパワーが無くなってゆき、もはや舞台を続けられない!という精神状態になったのです。

しかし「ある台詞あたり」からまるで自分が自分でない様なトランス的状態に陥り、もう僕はそれに身を任せるしか術をもたない、そんな時間が流れてゆきました。
僕は「無」に近いから、心は平常なのです。
「無」というか「空(くう)」ですね。
空(くう)なのに台詞を語る自分は狂気に満ちあふれ、演じてるというよりその人をあの時の僕は「生きていた。」

それより特筆すべきは、それ以外のところにも次々に発生したある現象の事です。
ホールは観客席と通路があります。
通路には誰もいない。それは当たり前です。
しかし、僕はこの日今では珍しいおかっぱ頭の女の子が何人か、複数で通路に座っているのが見えた。

終盤には僕の背後で沢山の人達の気配を感じました。
そして霧が立ち込めて来て、その霧がいつしか人型になっては消えていくのです。
しかし、それに僕は何も感じない。
何故なら僕は空(くう)の状態。
僕は周りの異常な空気にも全く関せず、ただ落語の登場人物を生き語ってゆくのです。
いわば電波塔かラジオの様な役割を果たせられている、そんな感覚でした。

もう一度申しますが、僕は霊的なものは否定しています。
恐らくあれは僕の幻影です。
極限の状態が脳内を覚醒させ、その様な事象を起こさせたのです。
だから、本当に何とも思わなかった。
だが終演後、身体は動けなくなるほどひどく疲れてしまいました。
死ぬんじゃないかというほど抜け殻。
その後にやってくる虚無感。
こんな時になんですが、その時のコンディションを例えるならば、ホセメンドーサと戦った後の矢吹丈…いやむしろ白髪の老人化したホセメンドーサ側だったかもな。笑
そんな感じでした。

あれは一体なんだったのか、気持ちは虚ろなまま、誰にも言わないまま、次の日大阪のワンルームマンションに帰って来ました。
すると僕は扉を開けた途端、その場に呆然と立ち尽くしてしまいました。

なんと…。

「ニライカナイで逢いましょう?ひめゆり学徒隊秘抄録?」のプロットを書いたあの模造紙が、全て自然に剥がれていたのです。
模造紙全てが剥がれていたら、何にも思わなかった事でしょう。
しかし不思議と、次回作「茶粥屋綺譚」の事を書いた模造紙はそのまま剥がれる事なく、壁に貼られた状態になっているではありませんか。

霊的な事は何も信じぬ僕ですが、この時ばかりは素直に「ありがとうございます」と手を合わせていました。
怖さなんてどこにもありません。
本当にありがたいなと、ただただ思えました。

僕はね、沖縄戦で亡くなったありとあらゆる方々からお言葉をいただけた心持ちになれたのです。
「もうこのお噺はあなたにお任せいたしました。これから何度かの演じる機会はあなたにある事でしょう…どうか純粋なまま、このお噺に向き合い続けてくださいませ」それを伝える為に降りてきてくださった。
勝手な解釈かも知れませんが、そう深く思えました。

世の中には説明できない事があります。
奇蹟という言葉がありますが、それはどこか我々が知り得ることのないどこかの世界に「想い」が届いた時に起こるものではないかと感じるのです。
一歩一歩でいい、ゆっくりと刻みつけるようにこれからも自分の想いを繋いでゆきたい。

そう思ってやまない出来事でした。

最後までお読みいただき本当に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

落語で伝えたい想いシリーズ第5弾が早くも!「茶粥屋綺譚(ちゃがゆやきたん)」

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《是非、お広めいただけたらありがたく思います!何卒よろしくお願い申し上げます!》

連続二日間、天満天神繁昌亭にて公演いたします!
何と!早くも「落語で伝えたい想い」シリーズの最新作・第5弾を発表いたします!

今回のテーマは「医療。」
しかも舞台は江戸時代で、初の擬古典に挑戦しますよ!
昔からあるような人情噺的作品になるよう粉骨砕身想いを込めて製作中です!

作品名は「茶粥屋綺譚(ちゃがゆやきたん)」です!
本当に、素敵な良い噺ですよ!

7/19(水)
7/20(木)
落語で伝えたい想いシリーズ5
「茶粥屋綺譚」

開演:19時(開場30分前)

場所:天満天神繁昌亭

料金:前売2500円/当日3000円

ご予約・お問い合わせ
06(6356)6788
クリエイティブワンズ(平日10時?17時)
こちらでいいチケットをおさえています!

詳しくは、このチラシをご覧ください!

新しい世界が待っています!
どうかこの感動を味わいに来てください!
何卒、何卒!よろしくお願い申し上げます!

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