2012年11月18日
再手術無事終わりました
みなさんに心配をおかけしていた、哲平の怪我の方は、今月はじめにようやくプレートを抜く再手術が無事終わりました。
手術の前日から入院して、朝一番の手術でした。
全身麻酔のため本人は、麻酔で眠って、目が覚めたら終わっていたという感じです。
「ネジ、はずす!」と言っていた哲平、手術で抜き取っていただいたプレートとネジ(上下で5本)を実際に手にとって納得したようです。
「こんなのが入っていました」という感じです。
週末があったので5泊して退院しました。
その退院した日の夕方、事務所の外で哲平の声・・・家で安静にしているはずの哲平がランニングウェアに着替えて、いつものマラソンの練習コースを走っています。
「こら〜! (せめて)走らないで、歩け!」 あきれた哲平です。
2週間たって傷口の糸抜きも済み、ようやく明日の月曜日から会社へ復帰です。
また改めてリハビリが始まりますが、前回の手術の際に半日休みをいただけるリハビリ休暇は使いきったため、今度は会社が終わってからのリハビリへの送り迎え、アッシー君が当分続きそうです。
手術の前日から入院して、朝一番の手術でした。
全身麻酔のため本人は、麻酔で眠って、目が覚めたら終わっていたという感じです。
「ネジ、はずす!」と言っていた哲平、手術で抜き取っていただいたプレートとネジ(上下で5本)を実際に手にとって納得したようです。
「こんなのが入っていました」という感じです。
週末があったので5泊して退院しました。
その退院した日の夕方、事務所の外で哲平の声・・・家で安静にしているはずの哲平がランニングウェアに着替えて、いつものマラソンの練習コースを走っています。
「こら〜! (せめて)走らないで、歩け!」 あきれた哲平です。
2週間たって傷口の糸抜きも済み、ようやく明日の月曜日から会社へ復帰です。
また改めてリハビリが始まりますが、前回の手術の際に半日休みをいただけるリハビリ休暇は使いきったため、今度は会社が終わってからのリハビリへの送り迎え、アッシー君が当分続きそうです。
蒜山マラソン
哲平が、先月ようやくレースに復帰しました。
6年前、初めてマラソンで走った「蒜山高原全国マラソンです。
例年でしたらNTN保養所の「大山高原ヴィラ」に、夢工房のみなさんと一緒に泊りがけで出かけるのですが、今年は管理人の方が体調を崩されているそうなので、親子3人で湯原温泉に泊まりました。
去年と同じく、哲平がハーフマラソンの部、
私が10kmの部、
妻が3kmの部
とそれぞれ楽しく走ってきました。
哲平は、この時はまだ腕にプレートとボルトが入ったままで、肩よりは上に上がらないというハンディがありましたが、39歳以下の部で9位と健闘しました。
実は、久しぶりのレースで足を痛めてはいけないし、怪我をしたままではいい成績は残せないだろうと、靴はいつものレース用のシューズではなく、底の厚い練習用の靴で参加させました。
重い靴をはいて走ったためか、入賞の8位までに入れず、哲平は悔しそうでした・・・
というか、昨年は入賞してもらえた副賞のチーズケーキが、今年はもらえなかった・・・のが、納得できなかったようです。
ということで、自分でチーズケーキを買って、翌日の会社のみなさんへのお土産にしていました(^_^.)
6年前、初めてマラソンで走った「蒜山高原全国マラソンです。
例年でしたらNTN保養所の「大山高原ヴィラ」に、夢工房のみなさんと一緒に泊りがけで出かけるのですが、今年は管理人の方が体調を崩されているそうなので、親子3人で湯原温泉に泊まりました。
去年と同じく、哲平がハーフマラソンの部、
私が10kmの部、
妻が3kmの部
とそれぞれ楽しく走ってきました。
哲平は、この時はまだ腕にプレートとボルトが入ったままで、肩よりは上に上がらないというハンディがありましたが、39歳以下の部で9位と健闘しました。
実は、久しぶりのレースで足を痛めてはいけないし、怪我をしたままではいい成績は残せないだろうと、靴はいつものレース用のシューズではなく、底の厚い練習用の靴で参加させました。
重い靴をはいて走ったためか、入賞の8位までに入れず、哲平は悔しそうでした・・・
というか、昨年は入賞してもらえた副賞のチーズケーキが、今年はもらえなかった・・・のが、納得できなかったようです。
ということで、自分でチーズケーキを買って、翌日の会社のみなさんへのお土産にしていました(^_^.)
2012年08月14日
8月 会報更新日記
パソコンのダウンや、毎日の哲平のリハビリの付添もあり会報の更新が遅れていました。
お盆休みに入り、ようやく余裕ができましたので「会報168号」「169号」「170号」「171号」まで、まとめてUPしました。
これまで哲平のリハビリは毎日通っていましたが、やはり腕にプレートとボルトが残ったままでは、ある程度以上はリハビリの効果は期待できないようです・・・。
しからば、もうプレートをはずしてほしい(リハビリの先生はCTで診察して、もうそろそろはずしてもいいのでは、とおっしゃってくださったので・・)、との思いもありましたが、主治医の先生は「同じ所がもう一度折れてしまうのが、一番怖いので、もう少し骨がしっかりできてからにしましょう」との診断でした。
再手術の時期についての意見は違いましたが、共に「今のままでは、リハビリによる改善は、さほど期待できない」ということでしたので、残りの有給休暇の日数も考慮して、7月の終わりからは、毎日行っていたリハビリを週2日ぐらいに減らすことにしました。
UPした会報でも紹介した通り、哲平は入院→退院→リハビリ通院→リハビリ出社と、ここまではまあ順調に回復して、7月10日からは復職することができました。
走る方では、5月の障害者スポーツ大会の1500mにも出場し、桃太郎夢クラブでも、にこにこコース→しっかりコース→バリバリjコースとこちらも順調にスピードを上げてくることができました。
次は、いよいよレース復帰・・・家族みんなで、哲平が初めて参加した「蒜山マラソン」にエントリーしました。
哲平はハーフ、私は10km、妻は3km、みんなで楽しんできます (^_^.)
おっと、その前に9月初めに、桃太郎夢クラブでの「ひば合宿」が待っていました。
私は、運転手役で参加のつもりでしたが、前に妻が哲平の付き添いで参加した時には、無理やり打ち上げのミニ駅伝にエントリーさせられたとか・・・・
私も少しは練習しといた方がいいかも、でもまだまだ暑い日が続いて、家の中でクーラーにあたっていたいのですが (^_^.)
お盆休みに入り、ようやく余裕ができましたので「会報168号」「169号」「170号」「171号」まで、まとめてUPしました。
これまで哲平のリハビリは毎日通っていましたが、やはり腕にプレートとボルトが残ったままでは、ある程度以上はリハビリの効果は期待できないようです・・・。
しからば、もうプレートをはずしてほしい(リハビリの先生はCTで診察して、もうそろそろはずしてもいいのでは、とおっしゃってくださったので・・)、との思いもありましたが、主治医の先生は「同じ所がもう一度折れてしまうのが、一番怖いので、もう少し骨がしっかりできてからにしましょう」との診断でした。
再手術の時期についての意見は違いましたが、共に「今のままでは、リハビリによる改善は、さほど期待できない」ということでしたので、残りの有給休暇の日数も考慮して、7月の終わりからは、毎日行っていたリハビリを週2日ぐらいに減らすことにしました。
UPした会報でも紹介した通り、哲平は入院→退院→リハビリ通院→リハビリ出社と、ここまではまあ順調に回復して、7月10日からは復職することができました。
走る方では、5月の障害者スポーツ大会の1500mにも出場し、桃太郎夢クラブでも、にこにこコース→しっかりコース→バリバリjコースとこちらも順調にスピードを上げてくることができました。
次は、いよいよレース復帰・・・家族みんなで、哲平が初めて参加した「蒜山マラソン」にエントリーしました。
哲平はハーフ、私は10km、妻は3km、みんなで楽しんできます (^_^.)
おっと、その前に9月初めに、桃太郎夢クラブでの「ひば合宿」が待っていました。
私は、運転手役で参加のつもりでしたが、前に妻が哲平の付き添いで参加した時には、無理やり打ち上げのミニ駅伝にエントリーさせられたとか・・・・
私も少しは練習しといた方がいいかも、でもまだまだ暑い日が続いて、家の中でクーラーにあたっていたいのですが (^_^.)
2012年04月14日
4月になりました
会報にも書いていますが、今も毎日哲平とクリニック通いです。
少しずつ腕や肩甲骨も動くようになり、今は90度〜100度ぐらいには腕も上がるようになってきました。
痛みもなくなってきたようなので、そろそろ職場復帰もお願いしようかな・・・と、思っているところです。
リハビリのPTの先生にも、以前哲平が職場で働いて時の様子をDVDで見てもらいましたが・・「スゴイですね」と絶句で、元通りでのバリバリでの復帰は、やはりちょっと難しそうですね。
お聞きしたところによると、肩の場合は、症状が “3か月で固定” してしまう、と断定されてしまうと限られているわけではなく、今後も少しずつでも改善されることもあるそうですので、気長にリハビリを続けていこうと思っています。
哲平も走りたいらしく、2週間ほど前から、勝手に太陽の家のまわりでジョギングを始めています。
あわてて手術をしていただいた先生にも確認したのですが、「無理のない範囲だったらいいですよ」と言われたので、作業所のお昼休みなどに走ることはOKを出しています。
他にも、育てる会の水泳教室や、スペシャルオリンピックスのボウリングにも行きたいそうなんですが、さすがに右腕が上に上がらない間は無理なのでがまんさせています。
「ボウリングは左手で投げようか?」と言うと、「左手デ投ゲマス」と答える健気な(?)哲平です。
私のほうは、哲平の入院中に、社会福祉士の試験がありました。
それまでは、哲平のベッドの脇にゴザを敷いて寝泊りしていましたが、さすがに試験当日は妻に替わってもらいました。試験勉強もあまりできず、模擬試験も一度も受けなくて・・・ぶっつけ本番の試験でしたが、ヤマカンで選んだ答えが当たっていたのか(各問、5択のマークシート式問題が150問)、なんとか合格できました。
ただ実際の支援はヤマカンというわけにはいかないので、改めて勉強のこれからです。
少しずつ腕や肩甲骨も動くようになり、今は90度〜100度ぐらいには腕も上がるようになってきました。
痛みもなくなってきたようなので、そろそろ職場復帰もお願いしようかな・・・と、思っているところです。
リハビリのPTの先生にも、以前哲平が職場で働いて時の様子をDVDで見てもらいましたが・・「スゴイですね」と絶句で、元通りでのバリバリでの復帰は、やはりちょっと難しそうですね。
お聞きしたところによると、肩の場合は、症状が “3か月で固定” してしまう、と断定されてしまうと限られているわけではなく、今後も少しずつでも改善されることもあるそうですので、気長にリハビリを続けていこうと思っています。
哲平も走りたいらしく、2週間ほど前から、勝手に太陽の家のまわりでジョギングを始めています。
あわてて手術をしていただいた先生にも確認したのですが、「無理のない範囲だったらいいですよ」と言われたので、作業所のお昼休みなどに走ることはOKを出しています。
他にも、育てる会の水泳教室や、スペシャルオリンピックスのボウリングにも行きたいそうなんですが、さすがに右腕が上に上がらない間は無理なのでがまんさせています。
「ボウリングは左手で投げようか?」と言うと、「左手デ投ゲマス」と答える健気な(?)哲平です。
私のほうは、哲平の入院中に、社会福祉士の試験がありました。
それまでは、哲平のベッドの脇にゴザを敷いて寝泊りしていましたが、さすがに試験当日は妻に替わってもらいました。試験勉強もあまりできず、模擬試験も一度も受けなくて・・・ぶっつけ本番の試験でしたが、ヤマカンで選んだ答えが当たっていたのか(各問、5択のマークシート式問題が150問)、なんとか合格できました。
ただ実際の支援はヤマカンというわけにはいかないので、改めて勉強のこれからです。
2012年03月10日
リハビリが続きます
哲平は今月も毎日、リハビリの日々です。
・・・ということは、私もアッシー君(古いですね (^_^.)・・)で、毎日クリニック通いです。リハビリは毎日30分〜40分ぐらい、痛みのこない範囲で少しずつ肩の稼働域を増やしていこうという治療です。
もちろん、1日のうちの40分ぐらいでは、あまり効果がないので、自分でできるリハビリをいろいろ教えてもらって、30分ぐらいのコースを4セット。朝・昼・夕と風呂上りに毎日やっています。
そこは律儀な哲平君、決められたことはきっちりとこなして、カレンダーにはいつも、一日4枚のシールです。
でも、それだけではやはり一日が長いので、空いた時間には、太陽の家作業所でリハビリを兼ねた仕事をさせてもらっています。
箸入れや、小さな紙箱を折ったり、4月から開設予定の小学生向け児童デイサービスの教材用にラミネート加工をしたり・・・・
まだ右腕は80度ぐらいまでしか上がりませんが、わりと器用に左手でサポートして仕事をこなしているようです。
そういえば、先日、わが家の洗濯干場になぜか丸椅子が置いてありました。
右腕が使えないので、洗濯カゴを置く台にしているのかな・・・と思っていたら、その丸椅子に上がってズボンを干している哲平を発見しました。
確かに、両手を使わなければハンガーにズボンは干しにくいですね。
右腕が上に伸ばせなければ、それならハンガーの位置まで右腕が届くようにと、どこからか丸椅子を探してきてハンガーの下にセットしたようです。
哲平なりに、いろいろ考えて工夫している生活している様子に思わず微笑んでしまいました。
・・・ということは、私もアッシー君(古いですね (^_^.)・・)で、毎日クリニック通いです。リハビリは毎日30分〜40分ぐらい、痛みのこない範囲で少しずつ肩の稼働域を増やしていこうという治療です。
もちろん、1日のうちの40分ぐらいでは、あまり効果がないので、自分でできるリハビリをいろいろ教えてもらって、30分ぐらいのコースを4セット。朝・昼・夕と風呂上りに毎日やっています。
そこは律儀な哲平君、決められたことはきっちりとこなして、カレンダーにはいつも、一日4枚のシールです。
でも、それだけではやはり一日が長いので、空いた時間には、太陽の家作業所でリハビリを兼ねた仕事をさせてもらっています。
箸入れや、小さな紙箱を折ったり、4月から開設予定の小学生向け児童デイサービスの教材用にラミネート加工をしたり・・・・
まだ右腕は80度ぐらいまでしか上がりませんが、わりと器用に左手でサポートして仕事をこなしているようです。
そういえば、先日、わが家の洗濯干場になぜか丸椅子が置いてありました。
右腕が使えないので、洗濯カゴを置く台にしているのかな・・・と思っていたら、その丸椅子に上がってズボンを干している哲平を発見しました。
確かに、両手を使わなければハンガーにズボンは干しにくいですね。
右腕が上に伸ばせなければ、それならハンガーの位置まで右腕が届くようにと、どこからか丸椅子を探してきてハンガーの下にセットしたようです。
哲平なりに、いろいろ考えて工夫している生活している様子に思わず微笑んでしまいました。
2012年02月09日
突然の事態!!
いつのまにか、今年ももう2月ですね。
正月休みのあとの連休に、哲平といっしょに家族3人で沖縄旅行に行ってきました。
いつものように、格安のバスツアーです。
初めての沖縄、天候はあいにくの曇り空や雨模様が多く、沖縄の青い海と青い空・・・
とはいかなかったのですが、旅の一番の目標(?)の、沖ら海水族館は満足したし、意外に首里城も異国情緒で楽しめました。
新年の挨拶を兼ねて、この沖縄旅行のことをブログに書こうかな・・・・なんて、気楽なことを思っているとき、突然の事態が突発しました!
思わせぶりなのは何ですので、先に結果から言いますと、哲平が交通事故に遭って入院ということになりました。
2週間経った今も、入院中で、付き添っている病室でこれを書いています。
1月20日、哲平を会社に送り出したあと、のんびり朝食を摂っていると、携帯電話が鳴り始めました。見ると哲平の携帯からの着信です。
出てみると、聞き覚えのない男性からの電話で「鳥羽哲平さんのご家族の方ですか?」
時計を見ると、もう哲平が家を出てから1時間ほど、なにか駅ででもトラブルがあったのかと、「はい、そうですが・・・」と応えると
「実は、私、赤磐警察署の○○と申しますが、哲平さんが交通事故に遭われまして・・・」
びっくりしましたが、相手の落ち着いた声に助けられました。
「横断歩道を自転車で渡っていて、車にはねられ、頭は打っておられないようなのですが、腕が痛いと言っておられるので、病院に搬送したいのですが、いっしょに救急車に乗っていただけますか?」とのこと。
「興奮しておられるせいか、おっしゃっていることがよくわからなくて・・・・」
いや〜、興奮していなくても、意志の疎通は相当難しいと思います。
事情を説明して、すぐに同乗しますと、場所を尋ねると、なんと家を出てまもなくの交差点、そこでずっと1時間近くも救急車が待機していたようすです。
後で時間を聞くと、消防署への第一報は事故直後に加害者の方からあったようです。
その後、哲平を囲んで、ケガの状態や、状況を聞きだすのに、みなさん困っておられたのでしょうね。
こんな時、哲平も困りますが、周りの事情(障害)を知らない方は余計???かもしれませんね。小さい頃なら、迷子札に連絡先などを書いた物もOKでしょうが、成人したあとではちょっと本人に抵抗があるかもしれません。
もう少し洒落た名刺でも作って、困ったときにはそれを渡すようにした方が本人のプライドからもいいかも知れませんね。今後の課題としたいです。
ともかくも、現場に着くと、待ちかねていた救急車が発進しました。哲平はもう搬送用のベッドに乗せられて、一応おちついた様子です。
それにしても、乗っていた自転車、交差点からかなり離れた歩道に残されていました。
聞くと信号無視で交差点に入った車に、横からはねられ、10mほども飛ばされたそうです。一歩間違えば大惨事になったところ・・・腕だけですんで本当に良かったです。
向かう先は、救急救命センターのある日赤病院だそうです。岡山の市街地を越えての病院で、おりからの出勤ラッシュ、サイレンを鳴らしても片道1車線の道、なかなか進まず、救急車は裏道に入ってサイレンとアナウンスで縫うように走ります。
そういえば、日赤は哲平が産まれた病院ですね。あの時は、深夜産気づいた妻を乗せて飛ばしに飛ばし、15分で着いたのを思い出しました。今日は救急車といえども30分ほどかかりました。
哲平の様子は、痛いのは腕だけのようですが、いつものようにそんなに痛がりもせず(これも自閉症の特性でしょうか)落ち着いてきて、救急車の中でも、あせらないですみました。
救急車の中から妻に電話して、とりあえず安心するように伝えて、後は哲平といつもの他愛無い会話です。哲平の気にしているのは「自転車こわれちゃった!」と「25日給料日!」
「自転車こわれちゃった」は言葉の通りなんですが、「25日給料日」は「大丈夫、交通事故で会社を休んでも、25日にはちゃんとお給料がもらえますヨ」という事です (^_^;)
病院に到着して、すぐに検査です。
腰から上の全身を調べてもらったのですが、幸い、やはり頭や内臓には異常がありませんでした。しかし腕は「右腕上腕骨近位端骨折」ということで手術と入院が必要とのことです。
わかりやすく言うと、右腕の肩の付け根あたりの骨が完全に折れて重なっている状態だそうです。これでよく痛みも訴えず、おとなしくしていられるものだと、改めて感心しました。
手術は、全身麻酔で行なうので、胃に食物があると手術中に逆流するおそれがあるとのことで、夕方以降になるとのこと。きっちり朝食を摂る習慣があったため、・・・やむをえませんね。
検査の結果を待っている間に、現場に残されていた哲平のヘルメットやレインコートを積んで、加害者の方がお詫びに来られました。
現場でも、お詫びの挨拶だけは受けていたのですが、改めて少し落ち着いてお話したのですが、大事な息子にケガをさせられたと言うのに・・・・不思議に怒りの感情が沸いてこないのです。
最初から、自分の信号無視を認めて、誠意をこめて謝ってくれたせいもあるのかも知れませんが、それよりも事故に遭って「腕だけで済んだ」という安堵感の方が大きかったせいがあると思います。
もちろん、障害があろうとなかろうと、誰でも事故に遭う可能性はあるのですが、哲平が一般就労して、自転車やJRを乗り継いで通勤することになった時、ある程度の危険は覚悟していました。
もっと前、当時の養護学校高等部への自主通学を始めた頃、いえもっと前、中等部での電車通学を試みた頃・・・あるいは、もっともっと前、入所施設の中で暮らすより、多少危険は大きいとしても、地域の中で暮らす方が、哲平にとっての生きがいのある人生ではないか、と思った頃からの覚悟だったかもしれません。
まあ、そんな訳で、事故の相手側を、責める気持ちにはならなかったのでしょう。
それにしても、信号はきちんと守って渡っていたのですが、私たちなら一応危険は察知して身の安全を守るところ・・・さすがは自閉症、「青は進め! 赤は止まれ!」・・・前しか見ていなかったのでしょうね。
自転車に乗れるようになった時に、交通ルールはしっかり教えました。でもそれは「赤は止まれ、青は進め」、交通信号を守らない車もあることまでは、教えられませんでした。
そして自主通学や自主通勤をするために、自転車が必須となった時に、交通ルールを守ることを改めて徹底したのですが・・・
やはり“一応”を言葉で説明するのは難しいですね。今後は、この事故を機会に、前の信号だけでなく、車の来る方向にも気をつけてくれるようになるのを願っています (^_^;)
それにしても届けられたヘルメット、割れて頭の横の部分などは欠けてふっとんでいました。
いい仕事をしてくれました。これがなかったら、モロに頭を打っていたと思うと、ぞっとしましたね。
ヘルメットに感謝です。
------------------------------------------------------------------------------------------
ブログの途中なんですが、本日(2月9日)、哲平は無事退院できました。
明日からは、別の病院での通院のリハビリが始まります。
入院中のことなどは・・・・いろいろありましたが、おいおいまた書かさせていただきます。
今日は、とりあえずお見舞いにきていただいたみなさんや、お世話になった方々に感謝です。
ありがとうございました。
正月休みのあとの連休に、哲平といっしょに家族3人で沖縄旅行に行ってきました。
いつものように、格安のバスツアーです。
初めての沖縄、天候はあいにくの曇り空や雨模様が多く、沖縄の青い海と青い空・・・
とはいかなかったのですが、旅の一番の目標(?)の、沖ら海水族館は満足したし、意外に首里城も異国情緒で楽しめました。
新年の挨拶を兼ねて、この沖縄旅行のことをブログに書こうかな・・・・なんて、気楽なことを思っているとき、突然の事態が突発しました!
思わせぶりなのは何ですので、先に結果から言いますと、哲平が交通事故に遭って入院ということになりました。
2週間経った今も、入院中で、付き添っている病室でこれを書いています。
1月20日、哲平を会社に送り出したあと、のんびり朝食を摂っていると、携帯電話が鳴り始めました。見ると哲平の携帯からの着信です。
出てみると、聞き覚えのない男性からの電話で「鳥羽哲平さんのご家族の方ですか?」
時計を見ると、もう哲平が家を出てから1時間ほど、なにか駅ででもトラブルがあったのかと、「はい、そうですが・・・」と応えると
「実は、私、赤磐警察署の○○と申しますが、哲平さんが交通事故に遭われまして・・・」
びっくりしましたが、相手の落ち着いた声に助けられました。
「横断歩道を自転車で渡っていて、車にはねられ、頭は打っておられないようなのですが、腕が痛いと言っておられるので、病院に搬送したいのですが、いっしょに救急車に乗っていただけますか?」とのこと。
「興奮しておられるせいか、おっしゃっていることがよくわからなくて・・・・」
いや〜、興奮していなくても、意志の疎通は相当難しいと思います。
事情を説明して、すぐに同乗しますと、場所を尋ねると、なんと家を出てまもなくの交差点、そこでずっと1時間近くも救急車が待機していたようすです。
後で時間を聞くと、消防署への第一報は事故直後に加害者の方からあったようです。
その後、哲平を囲んで、ケガの状態や、状況を聞きだすのに、みなさん困っておられたのでしょうね。
こんな時、哲平も困りますが、周りの事情(障害)を知らない方は余計???かもしれませんね。小さい頃なら、迷子札に連絡先などを書いた物もOKでしょうが、成人したあとではちょっと本人に抵抗があるかもしれません。
もう少し洒落た名刺でも作って、困ったときにはそれを渡すようにした方が本人のプライドからもいいかも知れませんね。今後の課題としたいです。
ともかくも、現場に着くと、待ちかねていた救急車が発進しました。哲平はもう搬送用のベッドに乗せられて、一応おちついた様子です。
それにしても、乗っていた自転車、交差点からかなり離れた歩道に残されていました。
聞くと信号無視で交差点に入った車に、横からはねられ、10mほども飛ばされたそうです。一歩間違えば大惨事になったところ・・・腕だけですんで本当に良かったです。
向かう先は、救急救命センターのある日赤病院だそうです。岡山の市街地を越えての病院で、おりからの出勤ラッシュ、サイレンを鳴らしても片道1車線の道、なかなか進まず、救急車は裏道に入ってサイレンとアナウンスで縫うように走ります。
そういえば、日赤は哲平が産まれた病院ですね。あの時は、深夜産気づいた妻を乗せて飛ばしに飛ばし、15分で着いたのを思い出しました。今日は救急車といえども30分ほどかかりました。
哲平の様子は、痛いのは腕だけのようですが、いつものようにそんなに痛がりもせず(これも自閉症の特性でしょうか)落ち着いてきて、救急車の中でも、あせらないですみました。
救急車の中から妻に電話して、とりあえず安心するように伝えて、後は哲平といつもの他愛無い会話です。哲平の気にしているのは「自転車こわれちゃった!」と「25日給料日!」
「自転車こわれちゃった」は言葉の通りなんですが、「25日給料日」は「大丈夫、交通事故で会社を休んでも、25日にはちゃんとお給料がもらえますヨ」という事です (^_^;)
病院に到着して、すぐに検査です。
腰から上の全身を調べてもらったのですが、幸い、やはり頭や内臓には異常がありませんでした。しかし腕は「右腕上腕骨近位端骨折」ということで手術と入院が必要とのことです。
わかりやすく言うと、右腕の肩の付け根あたりの骨が完全に折れて重なっている状態だそうです。これでよく痛みも訴えず、おとなしくしていられるものだと、改めて感心しました。
手術は、全身麻酔で行なうので、胃に食物があると手術中に逆流するおそれがあるとのことで、夕方以降になるとのこと。きっちり朝食を摂る習慣があったため、・・・やむをえませんね。
検査の結果を待っている間に、現場に残されていた哲平のヘルメットやレインコートを積んで、加害者の方がお詫びに来られました。
現場でも、お詫びの挨拶だけは受けていたのですが、改めて少し落ち着いてお話したのですが、大事な息子にケガをさせられたと言うのに・・・・不思議に怒りの感情が沸いてこないのです。
最初から、自分の信号無視を認めて、誠意をこめて謝ってくれたせいもあるのかも知れませんが、それよりも事故に遭って「腕だけで済んだ」という安堵感の方が大きかったせいがあると思います。
もちろん、障害があろうとなかろうと、誰でも事故に遭う可能性はあるのですが、哲平が一般就労して、自転車やJRを乗り継いで通勤することになった時、ある程度の危険は覚悟していました。
もっと前、当時の養護学校高等部への自主通学を始めた頃、いえもっと前、中等部での電車通学を試みた頃・・・あるいは、もっともっと前、入所施設の中で暮らすより、多少危険は大きいとしても、地域の中で暮らす方が、哲平にとっての生きがいのある人生ではないか、と思った頃からの覚悟だったかもしれません。
まあ、そんな訳で、事故の相手側を、責める気持ちにはならなかったのでしょう。
それにしても、信号はきちんと守って渡っていたのですが、私たちなら一応危険は察知して身の安全を守るところ・・・さすがは自閉症、「青は進め! 赤は止まれ!」・・・前しか見ていなかったのでしょうね。
自転車に乗れるようになった時に、交通ルールはしっかり教えました。でもそれは「赤は止まれ、青は進め」、交通信号を守らない車もあることまでは、教えられませんでした。
そして自主通学や自主通勤をするために、自転車が必須となった時に、交通ルールを守ることを改めて徹底したのですが・・・
やはり“一応”を言葉で説明するのは難しいですね。今後は、この事故を機会に、前の信号だけでなく、車の来る方向にも気をつけてくれるようになるのを願っています (^_^;)
それにしても届けられたヘルメット、割れて頭の横の部分などは欠けてふっとんでいました。
いい仕事をしてくれました。これがなかったら、モロに頭を打っていたと思うと、ぞっとしましたね。
ヘルメットに感謝です。
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ブログの途中なんですが、本日(2月9日)、哲平は無事退院できました。
明日からは、別の病院での通院のリハビリが始まります。
入院中のことなどは・・・・いろいろありましたが、おいおいまた書かさせていただきます。
今日は、とりあえずお見舞いにきていただいたみなさんや、お世話になった方々に感謝です。
ありがとうございました。
2011年11月06日
11月 会報更新日記
「会報162号」UPしました。
会報の巻頭文にもありましたが、哲平のとって半年ぶりのマラソン大会がありました。
入社以来恒例になった、夢工房岡山の大山ヴィラでの前日の激励会も開いていただきました。開設の頃は、哲平1人だった夢工房も今では5人の若者達が働いています。
一方では、当時の所長さんや上司の方も替わられたり、辞められたり・・・今月も入所以来お世話になっているT部長が退職されるそうです。
今回の大山ヴィラでは、新しい所長さんや上司の方も参加していただいて、温かく子ども達を見守っていてくれる夢工房はこれからもずっと続きそうでありがたかったです。
この蒜山マラソンの様子は、またブログでも紹介したいと思います。
個人的にショックだったのは、これまで使っていた私のパソコンがとうとうダウンしてしまったこと・・・ある日、突然動かなくなってしまいました。修理に出してみましたが、もう部品がないとのこと、よく7年働いてくれました。
ショックというのは、こんなこともあろうかと、自動バックアップのソフトをインストールして使っいたはずなの、なぜか2年ほど前からこのソフトがうまく動いていなかっこと・・・・
ホームページなどはプロバイダーにアップしてあったものをダウンロードすればなんとかなりそうですが、年末にかけての年賀状の宛名など、消えてしっまたようです (-_-;) また、手間をとりそうです。
もう一つのお知らせは、我が家も“時代”の太陽光発電とオール電化に踏みきろうと思っているのですが、そのため台所周辺の片付けをしていたら、長男の優樹の幼稚園時代のPTA新聞がでてきました。
哲平の卒業文集は、以前からHPに載せていたのですが、これはそれより3年前、はじめて哲平の障害がわかった頃の文です。
よかったら読んでみてください。 「発表会を見て」
会報の巻頭文にもありましたが、哲平のとって半年ぶりのマラソン大会がありました。
入社以来恒例になった、夢工房岡山の大山ヴィラでの前日の激励会も開いていただきました。開設の頃は、哲平1人だった夢工房も今では5人の若者達が働いています。
一方では、当時の所長さんや上司の方も替わられたり、辞められたり・・・今月も入所以来お世話になっているT部長が退職されるそうです。
今回の大山ヴィラでは、新しい所長さんや上司の方も参加していただいて、温かく子ども達を見守っていてくれる夢工房はこれからもずっと続きそうでありがたかったです。
この蒜山マラソンの様子は、またブログでも紹介したいと思います。
個人的にショックだったのは、これまで使っていた私のパソコンがとうとうダウンしてしまったこと・・・ある日、突然動かなくなってしまいました。修理に出してみましたが、もう部品がないとのこと、よく7年働いてくれました。
ショックというのは、こんなこともあろうかと、自動バックアップのソフトをインストールして使っいたはずなの、なぜか2年ほど前からこのソフトがうまく動いていなかっこと・・・・
ホームページなどはプロバイダーにアップしてあったものをダウンロードすればなんとかなりそうですが、年末にかけての年賀状の宛名など、消えてしっまたようです (-_-;) また、手間をとりそうです。
もう一つのお知らせは、我が家も“時代”の太陽光発電とオール電化に踏みきろうと思っているのですが、そのため台所周辺の片付けをしていたら、長男の優樹の幼稚園時代のPTA新聞がでてきました。
哲平の卒業文集は、以前からHPに載せていたのですが、これはそれより3年前、はじめて哲平の障害がわかった頃の文です。
よかったら読んでみてください。 「発表会を見て」
2011年10月12日
還暦祝い
会報でも紹介してもらいましたが、先日子どもたちが私の還暦祝いを開いてくれました。
せっかくの企画ですので、この際、恥ずかしいなどとは言わず、私も赤いチャンチャンコを楽しませてもらいました。
それにしても、さすがホテルグランヴィア、赤いズキンや、手にもつ扇子など、きっちり用意されているのですね。
その後、別室に移っての食事会、ただし今夜の主役は、メインの私でも、いつもの哲平でもなく、ヤンチャぶりを発揮し始めた孫のコタロウのようですね (^_^;)
花束やプレゼントまで用意してくれていました。
最後は、おひらきの前に、みんなで金屏風の前で記念写真です。
こんなに穏やかで、楽しい還暦の宴をみんなで祝ってもらえるとは・・・幸せな夕べでした。
もっとも妻は、「私は赤いチャンチャンコは着ない!(私に続いて来年還暦です)」と宣言していましたが (^.^)
せっかくの企画ですので、この際、恥ずかしいなどとは言わず、私も赤いチャンチャンコを楽しませてもらいました。
それにしても、さすがホテルグランヴィア、赤いズキンや、手にもつ扇子など、きっちり用意されているのですね。
その後、別室に移っての食事会、ただし今夜の主役は、メインの私でも、いつもの哲平でもなく、ヤンチャぶりを発揮し始めた孫のコタロウのようですね (^_^;)
花束やプレゼントまで用意してくれていました。
最後は、おひらきの前に、みんなで金屏風の前で記念写真です。
こんなに穏やかで、楽しい還暦の宴をみんなで祝ってもらえるとは・・・幸せな夕べでした。
もっとも妻は、「私は赤いチャンチャンコは着ない!(私に続いて来年還暦です)」と宣言していましたが (^.^)
2011年10月08日
10月会報更新日記
「会報161号」UPしました。
10月に入り、哲平の会社の節電対策の土・日営業もようやく終わりました。
自動車業界もいままでの遅れを取り戻そうと本格稼動に入ったようで、これからは哲平の仕事をしている夢工房でも、休日出勤や残業があるかもしれないとのことです。
仕事はないよりあった方がいいのはもちろんですが、哲平に「残業」というイメージがあるわけはなく、少し気になるところです。
そこで哲平に聞いてみました。
「いつもより長くお仕事すれば、お金はもっともらえますが、“残業”してもいいですか?」
答えは、「残業します!!」
お仕事するのが好きな哲平、そして何よりお金儲けの好きな哲平・・・
尋ねるほうがヤボでしたね。
問題は、帰りの電車だけ、これは残業のある日は前もって教えてもらえるとのことでしたので、今は会社を退職して、育てる会の事務局をパートで手伝っているオヤジの出番でしょう。
自由業ではないですが、自分で仕事をやりくりできる・・・気楽な身 (^_^;)
電話当番は代表に任せればなんとかなりそうです。
さて、その残業代、いくらに決めましょう?
ちなみに哲平のお給料、入社のときは2万円、毎年1000円ずつベースアップして今は25000円です。
というか、そう信じて、給料日にはきっちりその金額をATMでおろし小遣いにして、残りは自然に貯金される仕組みです。
律儀な自閉症の哲平、残業代が決まれば、これまたきっちり足し算して、給料日を楽しみにすることでしょうね。
10月に入り、哲平の会社の節電対策の土・日営業もようやく終わりました。
自動車業界もいままでの遅れを取り戻そうと本格稼動に入ったようで、これからは哲平の仕事をしている夢工房でも、休日出勤や残業があるかもしれないとのことです。
仕事はないよりあった方がいいのはもちろんですが、哲平に「残業」というイメージがあるわけはなく、少し気になるところです。
そこで哲平に聞いてみました。
「いつもより長くお仕事すれば、お金はもっともらえますが、“残業”してもいいですか?」
答えは、「残業します!!」
お仕事するのが好きな哲平、そして何よりお金儲けの好きな哲平・・・
尋ねるほうがヤボでしたね。
問題は、帰りの電車だけ、これは残業のある日は前もって教えてもらえるとのことでしたので、今は会社を退職して、育てる会の事務局をパートで手伝っているオヤジの出番でしょう。
自由業ではないですが、自分で仕事をやりくりできる・・・気楽な身 (^_^;)
電話当番は代表に任せればなんとかなりそうです。
さて、その残業代、いくらに決めましょう?
ちなみに哲平のお給料、入社のときは2万円、毎年1000円ずつベースアップして今は25000円です。
というか、そう信じて、給料日にはきっちりその金額をATMでおろし小遣いにして、残りは自然に貯金される仕組みです。
律儀な自閉症の哲平、残業代が決まれば、これまたきっちり足し算して、給料日を楽しみにすることでしょうね。
2011年09月04日
9月 会報更新日記
23年 9月 4日 「会報160号」UPです。
今日は日曜日ですが、珍しく哲平が有給休暇をとったので、一緒にスペシャルオリンピックスの山陽陸上に行ってきました。
みんな楽しんで参加している山陽陸上ですが、メインの30分走・・・・1周1kmのコースを、それぞれ自分の体力・走力に合わせて何周走るか決めます。
決まったら、それぞれアイスの棒を持ちます。3周なら3本、5周なら5本、持って走って一周終わるごとにカゴに1本ずつ入れていきます。
持っている棒がなくなると終わりです。これなら、自閉症の多いメンバーにもわかりやすいですね。
さて本日、何年かぶりに岡山を直撃した台風も通り過ぎ、気持ちのいい風が吹いています。
私はいつものように、アイスの棒を5本・・30分で5km、ちょうどいいです。
哲平、「6本」「え? 6本」・・「7本」「え?7本」・・「8本」「よし、8本」
私と哲平のやりとりです。
もう足の調子も、すっかり治ったようなので、少し挑発してみました。
それにしても、あいも変わらず素直な哲平ですね。
30分走、私が5km、哲平が8km、走っているうちに2周遅れにされてしまいましたが、同じぐらいでゴールできました。
マラソンの大会のときは、律儀に給水所ごとに立ち止まって水を飲んでいると教えてもらった哲平です。
スポーツ店で腰につけるボトルを買って、走りながら飲む練習させようと、追い越されるたびに、「アクエリアス飲みましたか?」と聞くと「飲みました」とオウム返しです。
確かめようにも、アッという間に置いていかれるので、確認はできませんね (^_^;)
ゴールしたあと、確かめてみると、飲み方も分からなかったようで、ようやく吸い口を開けて飲んでいましたので、やっぱりただのオウム返しだったようです (^.^)
写真は会報にも載せた、毎日新聞の記事です。
記事の内容は「会報160号」でお読みください。
今日は日曜日ですが、珍しく哲平が有給休暇をとったので、一緒にスペシャルオリンピックスの山陽陸上に行ってきました。
みんな楽しんで参加している山陽陸上ですが、メインの30分走・・・・1周1kmのコースを、それぞれ自分の体力・走力に合わせて何周走るか決めます。
決まったら、それぞれアイスの棒を持ちます。3周なら3本、5周なら5本、持って走って一周終わるごとにカゴに1本ずつ入れていきます。
持っている棒がなくなると終わりです。これなら、自閉症の多いメンバーにもわかりやすいですね。
さて本日、何年かぶりに岡山を直撃した台風も通り過ぎ、気持ちのいい風が吹いています。
私はいつものように、アイスの棒を5本・・30分で5km、ちょうどいいです。
哲平、「6本」「え? 6本」・・「7本」「え?7本」・・「8本」「よし、8本」
私と哲平のやりとりです。
もう足の調子も、すっかり治ったようなので、少し挑発してみました。
それにしても、あいも変わらず素直な哲平ですね。
30分走、私が5km、哲平が8km、走っているうちに2周遅れにされてしまいましたが、同じぐらいでゴールできました。
マラソンの大会のときは、律儀に給水所ごとに立ち止まって水を飲んでいると教えてもらった哲平です。
スポーツ店で腰につけるボトルを買って、走りながら飲む練習させようと、追い越されるたびに、「アクエリアス飲みましたか?」と聞くと「飲みました」とオウム返しです。
確かめようにも、アッという間に置いていかれるので、確認はできませんね (^_^;)
ゴールしたあと、確かめてみると、飲み方も分からなかったようで、ようやく吸い口を開けて飲んでいましたので、やっぱりただのオウム返しだったようです (^.^)
写真は会報にも載せた、毎日新聞の記事です。
記事の内容は「会報160号」でお読みください。
2011年08月11日
8月 会報更新日記
23年 8月11日 「会報159号」UPしました。
なんとか、哲平の休みの過ごし方にも、少しずつは慣れてきたようです。
木曜日は私が哲平に付き合って過ごして、哲平と私の休日、金曜日は仕事を探してきて、私も哲平も気楽な仕事をして一日を過ごしています。
それにしても、土日に休めないというのは、哲平のQOLにかなりの影響がでていますね。予想された、日々の行事の他にも、特別な日程も土日に計画されているものが多く、桃太郎夢クラブの合宿や、スイカマラソン・湖山池マラソンなどにも、今年は参加を断念してもらいました。
10月の蒜山マラソンには、予定では休めるようになるはずなので(会社の節電のための休みの変更は、予定では7月〜9月の3ヶ月で終わるそうです)
哲平の足の具合もだいぶ回復して、1ヶ月前から「しっかりコース」、半月前からは「バリバリコース(桃太郎夢クラブで一番速いコース)」に復帰でき、練習日には嬉しそうに走っています。
予定通り、10月には土日が休めるような体制に戻っていれば嬉しいのですが・・・・(^_^;)
なんとか、哲平の休みの過ごし方にも、少しずつは慣れてきたようです。
木曜日は私が哲平に付き合って過ごして、哲平と私の休日、金曜日は仕事を探してきて、私も哲平も気楽な仕事をして一日を過ごしています。
それにしても、土日に休めないというのは、哲平のQOLにかなりの影響がでていますね。予想された、日々の行事の他にも、特別な日程も土日に計画されているものが多く、桃太郎夢クラブの合宿や、スイカマラソン・湖山池マラソンなどにも、今年は参加を断念してもらいました。
10月の蒜山マラソンには、予定では休めるようになるはずなので(会社の節電のための休みの変更は、予定では7月〜9月の3ヶ月で終わるそうです)
哲平の足の具合もだいぶ回復して、1ヶ月前から「しっかりコース」、半月前からは「バリバリコース(桃太郎夢クラブで一番速いコース)」に復帰でき、練習日には嬉しそうに走っています。
予定通り、10月には土日が休めるような体制に戻っていれば嬉しいのですが・・・・(^_^;)
2011年07月22日
総社吉備路マラソン
長い間、ブログに書き込みしていなかったので・・・
そういえば、2月の吉備路マラソンの報告もまだでしたね。
育てる会の会報には書かれていたので、ご覧いただいた方もあるとは思いますが、会報には載せられなかった写真も含めて、半年遅れの報告です。
2回目のフルマラソンとなった、2月27日の総社吉備路マラソンでした。
初めて伴走なしでのフルマラソンへの挑戦でしたが、前回の記録を7分も縮めて2時間48分23秒、34歳以下の部で7位入賞でトロフィーまでもらいました・・・そうです。
実は、この大会は、私もハーフマラソンの部に申し込んでいたのですが、当日行われた「星の国から孫ふたり 〜「自閉症」児の贈りもの〜」の映画と講演会に育てる会も協力することになり、自閉症啓発書籍の販売のため、残念ながら私は大会を棄権し、当然のことながら哲平の颯爽と走る姿は見れませんでした (^_^;)
それでは、ご一緒に哲平のカッコイイ写真です。
スタートしてしばらくは、なんと先頭を引っ張っていたそうです。
道中の走っている姿、伴走の方もいなかったので、自分でペースを作って走っていたようです。
ゴール間近のショットです。最後までいい顔で走っていますね。
まだまだ10kmや20kmは走れそうです。
そういえば、2月の吉備路マラソンの報告もまだでしたね。
育てる会の会報には書かれていたので、ご覧いただいた方もあるとは思いますが、会報には載せられなかった写真も含めて、半年遅れの報告です。
2回目のフルマラソンとなった、2月27日の総社吉備路マラソンでした。
初めて伴走なしでのフルマラソンへの挑戦でしたが、前回の記録を7分も縮めて2時間48分23秒、34歳以下の部で7位入賞でトロフィーまでもらいました・・・そうです。
実は、この大会は、私もハーフマラソンの部に申し込んでいたのですが、当日行われた「星の国から孫ふたり 〜「自閉症」児の贈りもの〜」の映画と講演会に育てる会も協力することになり、自閉症啓発書籍の販売のため、残念ながら私は大会を棄権し、当然のことながら哲平の颯爽と走る姿は見れませんでした (^_^;)
それでは、ご一緒に哲平のカッコイイ写真です。
スタートしてしばらくは、なんと先頭を引っ張っていたそうです。
道中の走っている姿、伴走の方もいなかったので、自分でペースを作って走っていたようです。
ゴール間近のショットです。最後までいい顔で走っていますね。
まだまだ10kmや20kmは走れそうです。
2011年07月16日
久しぶりの書き込みです
ずいぶん、久しぶりのブログ更新です。
今、見たら、前回はなんと「あけましておめでとうございます」・・・
なんと、半年も書き込みがなかったですね。
毎月、「育てる会会報」を更新・UPして、その中に「私のお薦め本」や「近隣の講演会のご案内」、今年は「やさしい成年後見人制度」などのコラムも書き・・・会報のUPの際には「更新日記」に近況報告なども書いていたので、こんなに間があいていたとは気がつきませんでした (^_^;)
これからも、うっかりしそうなので、とりあえず更新日記を書いたときには、ブログにも同文をUPすることにします。これなら、少なくとも月1回の近況報告はできるわけで・・・・もちろん、もっともっと書き込むつもりですが (^.^)
写真は今年の4月、世界自閉症啓発デーでの啓発活動で、岡山駅前でチラシ配りをした時の「ももっち」と「うらっち」に挟まれた哲平の写真です。
---------------------------------------------
23年 7月16日
「会報158号」UPしました。
今月に入ってから、東日本大震災による電力不足解消のため、自動車業界が休みを土・日から木・金に変更していますね。ピーク時の使用を押さえ、分散することが狙いだそうですが・・・・おかげで、哲平の会社も休みが変更となってしまいました。
ですから、今日の太陽の家のさをり織り教室にも、明日の育てる会の水泳教室やスペシャルオリンピックスの陸上にも参加できなくて、会社に行っています (-_-;)
その分、木・金は休みなのですが、一人でできることにはまだ限りがあり、2日間も一人で留守番とはかわいそうなので、私がつきあうことになりました。
と、言っても育てる会の事務に支障がでては困るので、土日は私も一人で事務局出勤・・・・また、退職前のデパート勤務に戻ったような感じです (^_^;)
予定では、9月までの3ヶ月のシンボウだそうですが、原子力発電所の点検停止からの再開がままならなくなってきて、関西地区へも節電の要請との報道も
・・・はたしてどうなりますことやら・・・・・
今、見たら、前回はなんと「あけましておめでとうございます」・・・
なんと、半年も書き込みがなかったですね。
毎月、「育てる会会報」を更新・UPして、その中に「私のお薦め本」や「近隣の講演会のご案内」、今年は「やさしい成年後見人制度」などのコラムも書き・・・会報のUPの際には「更新日記」に近況報告なども書いていたので、こんなに間があいていたとは気がつきませんでした (^_^;)
これからも、うっかりしそうなので、とりあえず更新日記を書いたときには、ブログにも同文をUPすることにします。これなら、少なくとも月1回の近況報告はできるわけで・・・・もちろん、もっともっと書き込むつもりですが (^.^)
写真は今年の4月、世界自閉症啓発デーでの啓発活動で、岡山駅前でチラシ配りをした時の「ももっち」と「うらっち」に挟まれた哲平の写真です。
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23年 7月16日
「会報158号」UPしました。
今月に入ってから、東日本大震災による電力不足解消のため、自動車業界が休みを土・日から木・金に変更していますね。ピーク時の使用を押さえ、分散することが狙いだそうですが・・・・おかげで、哲平の会社も休みが変更となってしまいました。
ですから、今日の太陽の家のさをり織り教室にも、明日の育てる会の水泳教室やスペシャルオリンピックスの陸上にも参加できなくて、会社に行っています (-_-;)
その分、木・金は休みなのですが、一人でできることにはまだ限りがあり、2日間も一人で留守番とはかわいそうなので、私がつきあうことになりました。
と、言っても育てる会の事務に支障がでては困るので、土日は私も一人で事務局出勤・・・・また、退職前のデパート勤務に戻ったような感じです (^_^;)
予定では、9月までの3ヶ月のシンボウだそうですが、原子力発電所の点検停止からの再開がままならなくなってきて、関西地区へも節電の要請との報道も
・・・はたしてどうなりますことやら・・・・・
2011年01月08日
あけましておめでとうございます
みなさま、おけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今日は年末にあった嬉しい話、2つの報告です。
11月に行われた福知山マラソンで、哲平が初マラソンにして3時間を切るサブスリーを達成できたということは、前にも書きましたが、その後日談です。
1つは、マラソンで頑張ったということで、哲平の勤めるNTNテクニカルサービスの社長賞をいただきました。副賞として次回の世界選手権のマラソン出場に内定している、NTNの北岡選手のサイン入りユニフォーム一式もいただきました。
残念ながら、NTNの岡山工場には陸上部は無いそうですが、これを機会に同好会でも出来て、休憩時間などにユニフォームを着て練習する哲平の姿も見えるようなると嬉しいですね(^.^)
もう一つは、年末に地元の山陽新聞に、哲平とサポートしてくださった榊原病院の杭ノ瀬先生の記事が載りました。
申し訳なく思っていた給水所でのエピソードや、その後のマラソンで、先生も自己記録を更新できたことなど、暖かくレポートしていただいています。
みなさんのサポートのおかげで、とても良いお正月が迎えられました。
今年もみなさんに感謝の一年となりそうです。
今年もよろしくお願いします。
今日は年末にあった嬉しい話、2つの報告です。
11月に行われた福知山マラソンで、哲平が初マラソンにして3時間を切るサブスリーを達成できたということは、前にも書きましたが、その後日談です。
1つは、マラソンで頑張ったということで、哲平の勤めるNTNテクニカルサービスの社長賞をいただきました。副賞として次回の世界選手権のマラソン出場に内定している、NTNの北岡選手のサイン入りユニフォーム一式もいただきました。
残念ながら、NTNの岡山工場には陸上部は無いそうですが、これを機会に同好会でも出来て、休憩時間などにユニフォームを着て練習する哲平の姿も見えるようなると嬉しいですね(^.^)
もう一つは、年末に地元の山陽新聞に、哲平とサポートしてくださった榊原病院の杭ノ瀬先生の記事が載りました。
申し訳なく思っていた給水所でのエピソードや、その後のマラソンで、先生も自己記録を更新できたことなど、暖かくレポートしていただいています。
みなさんのサポートのおかげで、とても良いお正月が迎えられました。
今年もみなさんに感謝の一年となりそうです。
2010年12月11日
年賀状の写真
今年もそろそろ年賀状を作るシーズンですね。
年賀状に使う写真を、今年出場したマラソン大会の中から探していて、改めて気づかされました。
息子ながら、哲平の写真はどれを見てもなかなかカッコいいですね。
例えば、先日の蒜山マラソンの写真です。
全身が写っている写真でも、足が地上より離れ飛ぶように走っていますね。
私も、上半身だけなら、頑張っているように見えなくも・・ありません。
でも、全身を見ると、やはりもう来年還暦のおじいちゃんですね。
自分では、結構風をきって走っているつもりでも、歩いているのか走っているのか、わからない1枚です。
ん~ん、どうも年賀状には使えませんね。
哲平のカッコよさばかりが残った写真探しでした
(^_^;)
年賀状に使う写真を、今年出場したマラソン大会の中から探していて、改めて気づかされました。
息子ながら、哲平の写真はどれを見てもなかなかカッコいいですね。
例えば、先日の蒜山マラソンの写真です。
全身が写っている写真でも、足が地上より離れ飛ぶように走っていますね。
私も、上半身だけなら、頑張っているように見えなくも・・ありません。
でも、全身を見ると、やはりもう来年還暦のおじいちゃんですね。
自分では、結構風をきって走っているつもりでも、歩いているのか走っているのか、わからない1枚です。
ん~ん、どうも年賀状には使えませんね。
哲平のカッコよさばかりが残った写真探しでした
(^_^;)
2010年11月24日
速報! 初マラソンでサブスリー
昨日の福知山マラソン、初めてのフルマラソンを走った哲平、「なんとか無事に完走して、ゴールに帰ってきてほしい」との願いで送り出しました。
それが、なんと3時間を切る、2時間55分45秒という好タイムでゴールしました。
会報にも書いていたように、先日の蒜山ハーフマラソンでは40歳以下で6位に入賞、1時間19分54秒でしたので、算数的には可能な時間なのですが、その蒜山マラソンでも、自分ではペース作りが難しく、最初から飛ばして折り返し点までは2位、そのあとバててのレースでした。
ハーフマラソンなら、最後はへばっても、なんとか勢いでゴールはできたのでしょうが、フルマラソンではそれでは途中で倒れるかもしれません。「マラソンは30km過ぎてからは、まったく別の代物」というのを聞いたこともあります。
マラソンを体験していない哲平にとっては、不安が募ります。
そんな折、桃太郎夢クラブで一緒に練習しているKさんが、「30kmぐらいまで、一緒に走ってあげましょうか?」と言ってくださいました。
夢のような、ありがたいお話でした。
3時間を切るサブスリーのKさんが、今大会での自分の記録は二の次にして、哲平に伴走してくださるというお話です。
いつもスタートからダッシュしてしまう哲平に、妻のかけた言葉、「今日はK先生が哲平のボランティアさんです。ボランティアさんの後を付いて走ります」
この“ボランティア”という言葉が効いたのでしょう、今回はKさんの後ろをずっと走ったそうです。
実は哲平には前歴があって、以前にもハーフマラソンでペースを抑えるため一緒に走ってくださると言っていただいたKIさん(今回の福知山マラソンにも一緒に参加された、やはり桃太郎夢クラブでサブスリーの方)をスタート直後のダッシュでおいてけぼりにしたことがあるのです。
その時は「てっちゃん、待って!!」というKIさんの呼び声に、一瞬振り向いて・・・そのまま行ってしまったそうです。何しろ、あのモグスを追いかけようとした哲平ですから(^_^;)
今回は、聞きなれた「ボランティアさんの後ろ」がわかってくれたようです。
後は、無事に、そしてKさんに迷惑をかけないで帰ってくるのを祈るだけです。
そして、願いとおり無事に、そして期待以上のタイムでゴールした哲平でした。
と・こ・ろ・が・・、やはり「迷惑はかけないで」というのは無理だったようです。
なんと哲平、給水所で立ち止まって水を飲んでいたそうです。それも律儀に全ての給水所に立ち寄って・・。笑いながら報告してくださったKさんですが、それを見守ってくださったKさんも立ち止まっていたわけですから、かなりの時間をロスさせてしまいました。ホントに申し訳なかったです。
30km手前まで、そんな哲平を無事に引っ張ってくださったKさんから「ここからは自由に走っていいよ」 と声をかけられたとたん、恩も義理もなくKさんを置いて行った哲平だそうです。
Kさんも2時間57分台でゴールされたので、給水所で立ち止まって哲平が飲み終わるのを待っていなければ、自己新も狙えたのではないかと思うと、かえすがえすも申し訳ない次第です。
ゴールしたあと、KさんやKIさん、それに一緒に応援にきた奥様方からも口々に「てっちゃん頑張ったね。すごいね」と笑顔でほめてもらって、本当に暖かく見守っていただいていることに感謝です。
記録も嬉しかったですが、一緒に喜んでくださったみなさんに囲まれていることが余計に嬉しかった一日でした。
当日の写真などは、また後日アップさせていただきます。
今日の写真は、先日の蒜山マラソンのものです。
相変わらずいい笑顔で走っている哲平です。
それが、なんと3時間を切る、2時間55分45秒という好タイムでゴールしました。
会報にも書いていたように、先日の蒜山ハーフマラソンでは40歳以下で6位に入賞、1時間19分54秒でしたので、算数的には可能な時間なのですが、その蒜山マラソンでも、自分ではペース作りが難しく、最初から飛ばして折り返し点までは2位、そのあとバててのレースでした。
ハーフマラソンなら、最後はへばっても、なんとか勢いでゴールはできたのでしょうが、フルマラソンではそれでは途中で倒れるかもしれません。「マラソンは30km過ぎてからは、まったく別の代物」というのを聞いたこともあります。
マラソンを体験していない哲平にとっては、不安が募ります。
そんな折、桃太郎夢クラブで一緒に練習しているKさんが、「30kmぐらいまで、一緒に走ってあげましょうか?」と言ってくださいました。
夢のような、ありがたいお話でした。
3時間を切るサブスリーのKさんが、今大会での自分の記録は二の次にして、哲平に伴走してくださるというお話です。
いつもスタートからダッシュしてしまう哲平に、妻のかけた言葉、「今日はK先生が哲平のボランティアさんです。ボランティアさんの後を付いて走ります」
この“ボランティア”という言葉が効いたのでしょう、今回はKさんの後ろをずっと走ったそうです。
実は哲平には前歴があって、以前にもハーフマラソンでペースを抑えるため一緒に走ってくださると言っていただいたKIさん(今回の福知山マラソンにも一緒に参加された、やはり桃太郎夢クラブでサブスリーの方)をスタート直後のダッシュでおいてけぼりにしたことがあるのです。
その時は「てっちゃん、待って!!」というKIさんの呼び声に、一瞬振り向いて・・・そのまま行ってしまったそうです。何しろ、あのモグスを追いかけようとした哲平ですから(^_^;)
今回は、聞きなれた「ボランティアさんの後ろ」がわかってくれたようです。
後は、無事に、そしてKさんに迷惑をかけないで帰ってくるのを祈るだけです。
そして、願いとおり無事に、そして期待以上のタイムでゴールした哲平でした。
と・こ・ろ・が・・、やはり「迷惑はかけないで」というのは無理だったようです。
なんと哲平、給水所で立ち止まって水を飲んでいたそうです。それも律儀に全ての給水所に立ち寄って・・。笑いながら報告してくださったKさんですが、それを見守ってくださったKさんも立ち止まっていたわけですから、かなりの時間をロスさせてしまいました。ホントに申し訳なかったです。
30km手前まで、そんな哲平を無事に引っ張ってくださったKさんから「ここからは自由に走っていいよ」 と声をかけられたとたん、恩も義理もなくKさんを置いて行った哲平だそうです。
Kさんも2時間57分台でゴールされたので、給水所で立ち止まって哲平が飲み終わるのを待っていなければ、自己新も狙えたのではないかと思うと、かえすがえすも申し訳ない次第です。
ゴールしたあと、KさんやKIさん、それに一緒に応援にきた奥様方からも口々に「てっちゃん頑張ったね。すごいね」と笑顔でほめてもらって、本当に暖かく見守っていただいていることに感謝です。
記録も嬉しかったですが、一緒に喜んでくださったみなさんに囲まれていることが余計に嬉しかった一日でした。
当日の写真などは、また後日アップさせていただきます。
今日の写真は、先日の蒜山マラソンのものです。
相変わらずいい笑顔で走っている哲平です。
2010年07月10日
すいかながいもマラソン
鳥取で開かれた「すいか・ながいも健康マラソン」に哲平と二人参加してきました。
エントリーは、妻も含めて家族3人だったのですが、今度、赤磐市で始めたスペシャルオリンピックス山陽:陸上の練習日と重なって、妻がコーチ代行の世話人ということで・・・・男、二人の参加でした。
前日から、ビートルズを聴きながら東郷湖までドライブし、温泉につかって、すっかりいい気分でした。
当日は、朝からあいにくの梅雨空、100円ショップで買ったレインコートの袖をはさみで切って、二人で雨対策です。
でも、スタート前には、小雨となって、このままだと暑くなりそうなので、出会った桃太郎夢クラブのMさんのアドバイスを聞いて、カッパは脱いでのスタートです。
哲平は、スタートの前の方にポジションをとらせて、私は実力相応に後ろの方に・・・と行きかけたのですが、前から10列目ほどに、見かけた面々の集団、10人ほど。桃太郎夢クラブのみなさんが集まって和気藹々。まわりのみなさんは、みんな前を向いて、腕時計を合わせたり緊張気味なのですが、なぜかここは輪になって談笑です。
さきほどのMさんから、「てっちゃん、暑いけど、大丈夫? これ少し飲ませてあげたら」と、熱中対策水のボトルをもらい、最前列まで飲ましに行きました。また、私はみんなの所に帰って、すっかりリラックスです。ふだん、いっしょに走っているみなさんと一緒でしたら心強いです。
スタートの号砲が鳴ったときも、笑顔でスタートです。・・・と、いってもメンバーの中では、一番ユックリの私です。みなさん、がんばって〜! とマイペースで見送りました。
それでも、いつもなら後方からスタートする私が、前の方からスタートしたおかげで、どんどん抜かれはしましたが、いつもは10kmコースでは1時間の私が。57分50秒、満足できるタイムでした。
哲平とは、折り返しですれ違って「哲平ガンバレ!!」と声をかけたのですが、相変わらずのポーカーフェイスで走って行きました (^_^;)
哲平の記録は36分25秒、39歳以下のクラスで20位でした。10kmで20分以上離されてしまいました。
このマラソン大会、すいか食べ放題がウリなのですが、哲平は律儀に荷物の所で20分以上も待ってくれていたようです。
私がようやくゴールした後、いっしょにすいかを食べに行ったのですが、いくら食べ放題と言われても、2切れ、3切れでもう腹いっぱい。そんなに食べれるものではないですね。
岡山で留守番をしている妻のために、せっかくですからすいかを1玉買って、またビートルズを聴きながらドライブです。
楽しい週末でした。
エントリーは、妻も含めて家族3人だったのですが、今度、赤磐市で始めたスペシャルオリンピックス山陽:陸上の練習日と重なって、妻がコーチ代行の世話人ということで・・・・男、二人の参加でした。
前日から、ビートルズを聴きながら東郷湖までドライブし、温泉につかって、すっかりいい気分でした。
当日は、朝からあいにくの梅雨空、100円ショップで買ったレインコートの袖をはさみで切って、二人で雨対策です。
でも、スタート前には、小雨となって、このままだと暑くなりそうなので、出会った桃太郎夢クラブのMさんのアドバイスを聞いて、カッパは脱いでのスタートです。
哲平は、スタートの前の方にポジションをとらせて、私は実力相応に後ろの方に・・・と行きかけたのですが、前から10列目ほどに、見かけた面々の集団、10人ほど。桃太郎夢クラブのみなさんが集まって和気藹々。まわりのみなさんは、みんな前を向いて、腕時計を合わせたり緊張気味なのですが、なぜかここは輪になって談笑です。
さきほどのMさんから、「てっちゃん、暑いけど、大丈夫? これ少し飲ませてあげたら」と、熱中対策水のボトルをもらい、最前列まで飲ましに行きました。また、私はみんなの所に帰って、すっかりリラックスです。ふだん、いっしょに走っているみなさんと一緒でしたら心強いです。
スタートの号砲が鳴ったときも、笑顔でスタートです。・・・と、いってもメンバーの中では、一番ユックリの私です。みなさん、がんばって〜! とマイペースで見送りました。
それでも、いつもなら後方からスタートする私が、前の方からスタートしたおかげで、どんどん抜かれはしましたが、いつもは10kmコースでは1時間の私が。57分50秒、満足できるタイムでした。
哲平とは、折り返しですれ違って「哲平ガンバレ!!」と声をかけたのですが、相変わらずのポーカーフェイスで走って行きました (^_^;)
哲平の記録は36分25秒、39歳以下のクラスで20位でした。10kmで20分以上離されてしまいました。
このマラソン大会、すいか食べ放題がウリなのですが、哲平は律儀に荷物の所で20分以上も待ってくれていたようです。
私がようやくゴールした後、いっしょにすいかを食べに行ったのですが、いくら食べ放題と言われても、2切れ、3切れでもう腹いっぱい。そんなに食べれるものではないですね。
岡山で留守番をしている妻のために、せっかくですからすいかを1玉買って、またビートルズを聴きながらドライブです。
楽しい週末でした。
2010年05月09日
障害者スポーツ大会 〜 洞爺湖マラソン
今日は、県の障害者スポーツ大会でした。
普段は長距離を走っている哲平ですが、県大会では最長が1500mですので、中距離としてのエントリーです。
あまり得意とは言えない1500m走ですが、昨年は成人の部でで5分を切って、県大会記録を作った哲平です。
今年は、同じ桃太郎夢クラブで練習しているK君が20歳になって、少年の部から成人の部になり同じ部門でのスタートです。
K君、少年の部での県大会記録を持っていますので、いよいよ統一王者決定戦です。
とこるが、哲平、先日毛無山に登ったとき、途中で足を故障したようです。一緒に山歩きした私は気がつきませんでしたが、どこかで痛めたようです。
「平成23年5月1日、毛無山登りません!」と宣言しているので相当痛いようです。
走る前から、普通に歩いてもビッコをひいていた哲平ですが、スタートの号砲が鳴ったあともなんとかK君にあまり離されないようにがんばってます。
「哲平 ガンバレ! ついて行け!!」
最初は大きく差をつけられていましたが、ペースを落さず走り続け、なんとか追っかけて最後の1周勝負です。
「哲平 ガンバレ! 追いつけるぞ! がんばれ!!」
カメラを構えて待っていましたが、最後の直線、とうとう前を走るK君をとらえて並びました。
「哲平 ガンバレ! 抜け! 抜け!!”」
夫婦で声を嗄らして大声で応援していたため、肝心の写真をとるのは二人とも忘れていました (^_^;) しかたなく、写真は表彰式の時のものです。
一度は追いついて抜きましたが、ライバルで負けず嫌いのK君、ゴール前で再び哲平を抜き返してゴールです 。
やはり最後は、「勝ちたい!!」というモチベーションの差がでたようですね。
このあたりは、自閉症児には教えたくても、なかなか教えられません。
争うことが苦手な自閉症児ですね。
足を痛めて、スタート前には歩いていてもビッコをひいていた哲平ですので、体調の悪いわりにはがんばりましたね。よかったです。
後は体調を整えて、今月末の洞爺湖マラソンに挑戦です、
そのフルマラソンへのチャレンジ、地元の山陽新聞で記事にしていただきました。
(PDFファイル:桃太郎夢クラブブログでも紹介していただきました)
結構大きな記事で特集していただけましたので、ご覧になった知り合いのみなさんから応援の電話をいっぱいいただきました。
記事の最後に私の名前や、哲平の写真のバックに笑って見ている私の顔も載っていたので、それを見た私の小学校時代の恩師からも・・懐かしかったですね (^.^)
2010年05月04日
じつは・・・
じつは、定年まで1年残していたのですが、会社で募集していた早期退職優遇制度に応募して、この機会に退職することにしました。
今までも、休みの日には、ボランティアで育てる会の事務を手伝っていたのですが、児童デイサービスの給付費請求業務や、「自閉症のしおり」の作成やその助成金の申請業務にもかなり手をとられ、ゴールデンウィーク明けには赤磐市より委託を受けた「あかいわ発達障害支援センター」の業務も始まります。
加えて、将来的には太陽の家作業所を、就労継続支援の多機能型として赤磐ぐんぐんの児童デイサービスと合併させるという構想もあり・・・この際、思い切って退職して再就職先を探すかたわら、その空いた時間にはボランティアとして手伝うことにした次第です。
・・・というわけで、ゴールデンウィークどころか、これからは「毎日が日曜日」です。
前回のブログは「昨日は家族が・・・」というところで終わったのですが、「食事をしに行きましょう」と誘われて、いつもの外食だと思い帰省していた長男も連れて家を出たのですが、着いてみると席が予約してあり、長女夫婦もやってきて・・・
実は、私に内緒で退職慰労の席、「長い間ご苦労さまでした」の席を設けてくれていました。
「お疲れさまでした」の乾杯の後、哲平から「一番好きな人はお父さん、二番目に好きな人はお母さん、3番目は哲平君、4番目は・・・」の文を読んでくれました。3番目に自分が入っているのが哲平らしいところです。
長女からはねぎらいのことばと花束をもらい、普段照れ屋な長男からは「尊敬してるよ」とはにかみながら言ってもらったあと、妻からも手紙を読んでもらいました。
『 ・・・哲平の障害を知った時の衝撃は今でも忘れられません。二人にとっては初めての試練でしたよね。あなたと二人だったから、あの大変な日々も超えてこられたように思うのです。
今でも覚えている光景は、夕焼けの中、お父さんを迎えに走っていく紗代と優樹の向こうから帰ってくる嬉しそうなあなたの笑顔。
私は哲平を乳母車に乗せてゆっくり子どもたちの後を付いて行きましたっけ・・・
幸せな、我が家も記憶です。
お父さんの手にぶら下がりながら、帰ってくる二人の子どもを見ながら、こんな幸せな日々が続くといいなあ〜と思ったものでした。
ところが、私は依然として幸せなまんまなんです。結婚して36年。私はあなたと結婚して本当に良かった。あなたの事が、本当に大好きです。・・・・・』
読んでいる妻も涙ぐみ、私も思わず涙ぐんでしまいました。
それをみていた長女が「いいなぁ・・・」
長男も長女も、親からみてもいい子に育ってくれて、もし哲平が生まれていなかったとしても、それなりに幸せな家族だったとは思うのですが、哲平の存在がより家族を結びつけ、今の幸せにプラスになったのは間違いないところですね。
みんなが「お父さん、36年ご苦労さまでした。ありがとう。」と言ってくれましたが、私のほうこそ、みんなにありがとう・・・・そんな宴でした。
退職しても、まだまだ人生は続きます。これからもよろしくです。
今までも、休みの日には、ボランティアで育てる会の事務を手伝っていたのですが、児童デイサービスの給付費請求業務や、「自閉症のしおり」の作成やその助成金の申請業務にもかなり手をとられ、ゴールデンウィーク明けには赤磐市より委託を受けた「あかいわ発達障害支援センター」の業務も始まります。
加えて、将来的には太陽の家作業所を、就労継続支援の多機能型として赤磐ぐんぐんの児童デイサービスと合併させるという構想もあり・・・この際、思い切って退職して再就職先を探すかたわら、その空いた時間にはボランティアとして手伝うことにした次第です。
・・・というわけで、ゴールデンウィークどころか、これからは「毎日が日曜日」です。
前回のブログは「昨日は家族が・・・」というところで終わったのですが、「食事をしに行きましょう」と誘われて、いつもの外食だと思い帰省していた長男も連れて家を出たのですが、着いてみると席が予約してあり、長女夫婦もやってきて・・・
実は、私に内緒で退職慰労の席、「長い間ご苦労さまでした」の席を設けてくれていました。
「お疲れさまでした」の乾杯の後、哲平から「一番好きな人はお父さん、二番目に好きな人はお母さん、3番目は哲平君、4番目は・・・」の文を読んでくれました。3番目に自分が入っているのが哲平らしいところです。
長女からはねぎらいのことばと花束をもらい、普段照れ屋な長男からは「尊敬してるよ」とはにかみながら言ってもらったあと、妻からも手紙を読んでもらいました。
『 ・・・哲平の障害を知った時の衝撃は今でも忘れられません。二人にとっては初めての試練でしたよね。あなたと二人だったから、あの大変な日々も超えてこられたように思うのです。
今でも覚えている光景は、夕焼けの中、お父さんを迎えに走っていく紗代と優樹の向こうから帰ってくる嬉しそうなあなたの笑顔。
私は哲平を乳母車に乗せてゆっくり子どもたちの後を付いて行きましたっけ・・・
幸せな、我が家も記憶です。
お父さんの手にぶら下がりながら、帰ってくる二人の子どもを見ながら、こんな幸せな日々が続くといいなあ〜と思ったものでした。
ところが、私は依然として幸せなまんまなんです。結婚して36年。私はあなたと結婚して本当に良かった。あなたの事が、本当に大好きです。・・・・・』
読んでいる妻も涙ぐみ、私も思わず涙ぐんでしまいました。
それをみていた長女が「いいなぁ・・・」
長男も長女も、親からみてもいい子に育ってくれて、もし哲平が生まれていなかったとしても、それなりに幸せな家族だったとは思うのですが、哲平の存在がより家族を結びつけ、今の幸せにプラスになったのは間違いないところですね。
みんなが「お父さん、36年ご苦労さまでした。ありがとう。」と言ってくれましたが、私のほうこそ、みんなにありがとう・・・・そんな宴でした。
退職しても、まだまだ人生は続きます。これからもよろしくです。
2010年05月01日
毛無山
みなさん、おひさしぶりです。
暑かったり、寒かったり、おかしな冬がやっと明けたと思ったら、もう初夏の風が吹いています。
今年も、また山歩きの季節ですね。
ゴールデンウィークが始まり、例年のように、またカタクリの花を見に、哲平と毛無山に出かけました。
登山道を歩きながら、「この前、毛無山に来たのはいつだっけ?」と聞くと、「2009年5月1日金曜日」・・・だそうです。
今日が5月1日なので、ちょうど1年前ですね。こんな時は便利(?)です。
去年はもうカタクリの花が盛りを過ぎていましたが、今年は寒かったので、まだ期待できそうです。
二人ともトレーナーを着て登りはじめたのですが、すぐに汗ばんできました。
「暑くないですか?」と聞いても「暑くありません」。哲平も私も、汗はあまりかかない方ですが、七合目あたりで、私がトレーナーを脱ぐと、哲平も一緒に「脱ぎます」・・・見ると、さすがにシャツの背中は濡れています。
やっぱり、少しは暑かったようですね (^.^)
頂上はいい天気で、大山が目の前にくっきりと。昼食をとりながら、妻に携帯で報告です。途中で哲平に変わって、なにやら返事をしています。
そこから白馬山まで、カタクリの花を眺めながらの縦走です。左には大山の眺望、足元にはカタクリの紫色の可憐な花々・・・・いつもながらの山歩きを堪能しました。
ゴールデンウィークに入って、4月29日には横浜から吉田友子先生をお招きしてのセミナー、今日5月1日は山歩き、昨日は家族で・・・・
デパート勤務なのに、どうしてこんなに休みがとれるのでしょう? じつは・・・(続く)
暑かったり、寒かったり、おかしな冬がやっと明けたと思ったら、もう初夏の風が吹いています。
今年も、また山歩きの季節ですね。
ゴールデンウィークが始まり、例年のように、またカタクリの花を見に、哲平と毛無山に出かけました。
登山道を歩きながら、「この前、毛無山に来たのはいつだっけ?」と聞くと、「2009年5月1日金曜日」・・・だそうです。
今日が5月1日なので、ちょうど1年前ですね。こんな時は便利(?)です。
去年はもうカタクリの花が盛りを過ぎていましたが、今年は寒かったので、まだ期待できそうです。
二人ともトレーナーを着て登りはじめたのですが、すぐに汗ばんできました。
「暑くないですか?」と聞いても「暑くありません」。哲平も私も、汗はあまりかかない方ですが、七合目あたりで、私がトレーナーを脱ぐと、哲平も一緒に「脱ぎます」・・・見ると、さすがにシャツの背中は濡れています。
やっぱり、少しは暑かったようですね (^.^)
頂上はいい天気で、大山が目の前にくっきりと。昼食をとりながら、妻に携帯で報告です。途中で哲平に変わって、なにやら返事をしています。
そこから白馬山まで、カタクリの花を眺めながらの縦走です。左には大山の眺望、足元にはカタクリの紫色の可憐な花々・・・・いつもながらの山歩きを堪能しました。
ゴールデンウィークに入って、4月29日には横浜から吉田友子先生をお招きしてのセミナー、今日5月1日は山歩き、昨日は家族で・・・・
デパート勤務なのに、どうしてこんなに休みがとれるのでしょう? じつは・・・(続く)
2010年02月10日
訃報が続きました
マラソンのシーズン到来で、今年も哲平と一緒に「F1ロードマラソン」や「丸亀国際ハーフマラソン」に参加してきました。
ただその報告の前に、訃報のお知らせがあります。
一つは、「光とともに・・・」の作者で、漫画家の戸部けいこさんが亡くなられたこと・・・。
戸部さんには、漫画の中に哲平のエピソードを取りこんでいただいたり、育てる会の講演会の推薦文を書いていただいたり・・・、また、連載されていた「フォアミセス」の雑誌に育てる会の活動紹介を載せていただいたり、単行本のあとがきに娘の書いた文を使っていただいたりと、生前は本当にお世話になりました。
しばらく、雑誌の休載が続いていたので、心配していたのですが、享年52歳、あまりに早すぎるお別れでした。
一足先に哲平は就労できましたが、光くんも元気で働く大人になるまで見届けたかったのに残念です。
ご冥福をお祈りします。
もう一つは、義姉の訃報です。
もう10年ほど前から体調を崩し、ここ3〜4年はずっと入院が続いていたのである程度覚悟はしていたとはいえ、やはり私と同じ年、58歳の早すぎる訃報でした。
それまで、大阪で義姉の世話をしていた母が、さすがにそろそろ疲れてきたのか、岡山に戻ってきて、すぐ亡くなってしまったのに続くお別れです。最期の数年はほとんど意識もなかったそうなので、その辛さを思いやった母がそっと迎えにきてくれたのかもしれません。
そういえば、母の四十九日の法要が終わり、仏様になって彼岸の住人になって間もなくの出来事でした。
改めて合掌です。
その義姉の葬儀の時のことです。
たまたま、妻と娘は京都で行われたTEACCHのカンファレンスに泊りがけで出かけていました。私と哲平が岡山で留守番をしていました。
そこに届いた義姉の逝去の知らせです。枚方市の葬儀式場で落ち合うことにして、妻の喪服も持って、哲平と二人新幹線に乗り込みました。
そう言えば、哲平と二人の旅行で一緒に新幹線に乗るって初めてですね。いつもは、山登りや温泉巡り・・・どちらかというと、田舎からさらに田舎へ、という旅で自家用車での旅ばかりです。
なにしろ、バスは一日何本か、タクシーの姿などどこにも見えないな、という所がほとんどです。
今日は、車は近くのバス停まで。
そこから、バス→新幹線→地下鉄→京阪電車→タクシーと乗り継いでの行程です。
こうしてみると、普段はもうかなりの部分まで一人でできるようになっていると思っていた哲平ですが、まだまだ出歩くにはガイドヘルプの“人”の支援が必要なのだと、つくづく感じられます。
視覚支援やスケジュールで伝えられることには限界がありますね。
最初のバスは練習のおかげで療育手帳を見せて半額料金を払う、はなんとかできます。最後のタクシーも行き先を書いた紙を見せて乗ることはできそうです。
ただ、あいだの「みどりの窓口」で「療育手帳を見せて当日の自由席の岡山-新大阪の切符を買う」や、「新幹線を降りて地下鉄御堂筋線まで行き、淀屋橋までの切符を買う」や「淀屋橋まで行き、今度は京阪電車の改札口まで行き、香里園までの切符を買う」などは、やはりつきそいがないと難しいですね。
途中の乗り換えで迷子になったり、間違えた路線に乗ってとんでもない所に行ったり・・・
練習したことは、そのまま覚えられる自閉症ですので、なるべく経験や体験をさせた方が世界を広げることになるのですが、もう二度とは行かないであろう葬儀式場への道ですので、これは覚えるだけ無駄とも言えそうです。
体験してほしいのは、これからも暮らす岡山での道々です。
便利だからと車ばかりを使わず、機会があるごとに、もっと公共機関を使っての外出を増やしていきたいと改めて感じた二人の旅でした。
同時に、いざという時に使えるガイドヘルプの確保も考えておかねければいけませんね。
ちなみに、哲平、通夜の時も告別式も落ち着いて参列することができました。
母の葬儀に続いて棺の足の役目も務めました。悲しい体験ですが、一度やったことは安心して繰り返せるということですね。
ただその報告の前に、訃報のお知らせがあります。
一つは、「光とともに・・・」の作者で、漫画家の戸部けいこさんが亡くなられたこと・・・。
戸部さんには、漫画の中に哲平のエピソードを取りこんでいただいたり、育てる会の講演会の推薦文を書いていただいたり・・・、また、連載されていた「フォアミセス」の雑誌に育てる会の活動紹介を載せていただいたり、単行本のあとがきに娘の書いた文を使っていただいたりと、生前は本当にお世話になりました。
しばらく、雑誌の休載が続いていたので、心配していたのですが、享年52歳、あまりに早すぎるお別れでした。
一足先に哲平は就労できましたが、光くんも元気で働く大人になるまで見届けたかったのに残念です。
ご冥福をお祈りします。
もう一つは、義姉の訃報です。
もう10年ほど前から体調を崩し、ここ3〜4年はずっと入院が続いていたのである程度覚悟はしていたとはいえ、やはり私と同じ年、58歳の早すぎる訃報でした。
それまで、大阪で義姉の世話をしていた母が、さすがにそろそろ疲れてきたのか、岡山に戻ってきて、すぐ亡くなってしまったのに続くお別れです。最期の数年はほとんど意識もなかったそうなので、その辛さを思いやった母がそっと迎えにきてくれたのかもしれません。
そういえば、母の四十九日の法要が終わり、仏様になって彼岸の住人になって間もなくの出来事でした。
改めて合掌です。
その義姉の葬儀の時のことです。
たまたま、妻と娘は京都で行われたTEACCHのカンファレンスに泊りがけで出かけていました。私と哲平が岡山で留守番をしていました。
そこに届いた義姉の逝去の知らせです。枚方市の葬儀式場で落ち合うことにして、妻の喪服も持って、哲平と二人新幹線に乗り込みました。
そう言えば、哲平と二人の旅行で一緒に新幹線に乗るって初めてですね。いつもは、山登りや温泉巡り・・・どちらかというと、田舎からさらに田舎へ、という旅で自家用車での旅ばかりです。
なにしろ、バスは一日何本か、タクシーの姿などどこにも見えないな、という所がほとんどです。
今日は、車は近くのバス停まで。
そこから、バス→新幹線→地下鉄→京阪電車→タクシーと乗り継いでの行程です。
こうしてみると、普段はもうかなりの部分まで一人でできるようになっていると思っていた哲平ですが、まだまだ出歩くにはガイドヘルプの“人”の支援が必要なのだと、つくづく感じられます。
視覚支援やスケジュールで伝えられることには限界がありますね。
最初のバスは練習のおかげで療育手帳を見せて半額料金を払う、はなんとかできます。最後のタクシーも行き先を書いた紙を見せて乗ることはできそうです。
ただ、あいだの「みどりの窓口」で「療育手帳を見せて当日の自由席の岡山-新大阪の切符を買う」や、「新幹線を降りて地下鉄御堂筋線まで行き、淀屋橋までの切符を買う」や「淀屋橋まで行き、今度は京阪電車の改札口まで行き、香里園までの切符を買う」などは、やはりつきそいがないと難しいですね。
途中の乗り換えで迷子になったり、間違えた路線に乗ってとんでもない所に行ったり・・・
練習したことは、そのまま覚えられる自閉症ですので、なるべく経験や体験をさせた方が世界を広げることになるのですが、もう二度とは行かないであろう葬儀式場への道ですので、これは覚えるだけ無駄とも言えそうです。
体験してほしいのは、これからも暮らす岡山での道々です。
便利だからと車ばかりを使わず、機会があるごとに、もっと公共機関を使っての外出を増やしていきたいと改めて感じた二人の旅でした。
同時に、いざという時に使えるガイドヘルプの確保も考えておかねければいけませんね。
ちなみに、哲平、通夜の時も告別式も落ち着いて参列することができました。
母の葬儀に続いて棺の足の役目も務めました。悲しい体験ですが、一度やったことは安心して繰り返せるということですね。
2010年01月07日
昼食
元日には、休みをもらいましたが、当方デパート勤務のため、2日から出勤です。
その代わりに5日・6日と休みをもらいました。
もう育てる会やデイサービスは始まったため、妻は事務所で配達された弁当で昼食です。
一方で、我が家では、まだ正月休み中の哲平と2人でお昼です。
そんな日は・・・・いつも、哲平が昼ごはんを作ってくれます。
哲平の得意な料理は、唐揚げやトンカツ、マカロニサラダやポテトサラダ、シチューやカレーなど、洋風なものが多いのですが、今日はお昼ご飯ということもあって、鮭を焼いたのと、スクランブルエッグ、それにおにぎりを二人分用意してくれました。
2階でパソコンをいじっていると、
「オトウサン、ゴハンヨ〜」と、哲平の声です。
すっかり、息子に面倒をみてもらう親爺です (^_^.)
次の日は、昼食は野菜たっぷりのラーメン、夕食はおでん、これまた下ごしらえから完成まで、まかせっきりの親爺です。
その間にも、哲平は日課のマラソンや、正月明けの出社に備えての散髪など、言われなくても一人でさっさと・・・・ホントできすぎた息子です。
その代わりに5日・6日と休みをもらいました。
もう育てる会やデイサービスは始まったため、妻は事務所で配達された弁当で昼食です。
一方で、我が家では、まだ正月休み中の哲平と2人でお昼です。
そんな日は・・・・いつも、哲平が昼ごはんを作ってくれます。
哲平の得意な料理は、唐揚げやトンカツ、マカロニサラダやポテトサラダ、シチューやカレーなど、洋風なものが多いのですが、今日はお昼ご飯ということもあって、鮭を焼いたのと、スクランブルエッグ、それにおにぎりを二人分用意してくれました。
2階でパソコンをいじっていると、
「オトウサン、ゴハンヨ〜」と、哲平の声です。
すっかり、息子に面倒をみてもらう親爺です (^_^.)
次の日は、昼食は野菜たっぷりのラーメン、夕食はおでん、これまた下ごしらえから完成まで、まかせっきりの親爺です。
その間にも、哲平は日課のマラソンや、正月明けの出社に備えての散髪など、言われなくても一人でさっさと・・・・ホントできすぎた息子です。
2010年01月04日
「一日一題」
前月の「育てる会会報 139号」で、会員の方にはお知らせしたのですが、先月から妻が新聞のコラム欄に寄稿させてもらっています。
主に自閉症のことになるのですが、この機会に少しでも「自閉症」というものを正しく理解してほしいという思いで書いています。
私の役目は、妻が書いた原稿をなんとか、お約束の700文字までに縮めること (^_^;)
なにしろ、会報の巻頭文でおわかりのように、妻は思いが走ってともすれば長く長くなりがちです。多い時は、文字数が倍ほどもあります。それを、書きたい思いを聞きながら削っていく次第です。大体の文字数まで合わせたところで、後は新聞社の方におまかせです。
こんなことを、毎日普通にやっている記者の方って、さすがプロですね。
実は、この話が決まったとき、楽しみにしていてくれたのが、亡くなった母でした。
最初の寄稿が終わって、あとは活字になるのを楽しみに待っていた11月29日の未明に倒れてそのまま息をひきとりました。
新聞に妻の顔写真と最初のコラムが載ったのは、その翌々日の夕刊でした。生きていれば、いっしょに笑いあって新聞を覗き込んでいる母の姿が、ありありと見えてくるだけに・・・残念でした。
その後、通夜やら告別式やらで、次のコラムの締切がギリギリになり、担当のH記者さんにはご迷惑をおかけしました m(__)m
そんなコラムも、全8回のうち、もう折り返しを過ぎ、今月末までの予定です。
岡山の地元紙「山陽新聞」夕刊の「一日一題」、妻の担当は毎週火曜日なのでよろしかったら、また見てやってください。
主に自閉症のことになるのですが、この機会に少しでも「自閉症」というものを正しく理解してほしいという思いで書いています。
私の役目は、妻が書いた原稿をなんとか、お約束の700文字までに縮めること (^_^;)
なにしろ、会報の巻頭文でおわかりのように、妻は思いが走ってともすれば長く長くなりがちです。多い時は、文字数が倍ほどもあります。それを、書きたい思いを聞きながら削っていく次第です。大体の文字数まで合わせたところで、後は新聞社の方におまかせです。
こんなことを、毎日普通にやっている記者の方って、さすがプロですね。
実は、この話が決まったとき、楽しみにしていてくれたのが、亡くなった母でした。
最初の寄稿が終わって、あとは活字になるのを楽しみに待っていた11月29日の未明に倒れてそのまま息をひきとりました。
新聞に妻の顔写真と最初のコラムが載ったのは、その翌々日の夕刊でした。生きていれば、いっしょに笑いあって新聞を覗き込んでいる母の姿が、ありありと見えてくるだけに・・・残念でした。
その後、通夜やら告別式やらで、次のコラムの締切がギリギリになり、担当のH記者さんにはご迷惑をおかけしました m(__)m
そんなコラムも、全8回のうち、もう折り返しを過ぎ、今月末までの予定です。
岡山の地元紙「山陽新聞」夕刊の「一日一題」、妻の担当は毎週火曜日なのでよろしかったら、また見てやってください。
2010年01月03日
桃太郎温泉
みなさま、今年もよろしくお願いします。
哲平が生まれる前から、お正月には、いつも妻の実家の西脇市に里帰りしていました。
それが一昨年、相次いで義母と義父が亡くなり、実家も弟夫婦の世代となりましたので、去年から正月の里帰りは遠慮することにしました。
哲平は楽しみにしていたのですが(どうやら、目的の多くはおじいちゃんとおばあちゃんからもらえるお年玉のようでしたが・・・・)、“代わり”にということで、去年は長男も誘って、白川郷や金沢へ温泉旅行に行きました。これからは、西脇に帰省する代わりに家族で温泉旅行もいいかな、と言っていました。
さあ、今年はどうしよう・・・と考えていた矢先に、今度は突然の私の母の死去・・・、まだ忌中で我が家の床の間の祭壇を置いて毎晩お参りしているのですから、家を空けるわけにはいきませんし、そんな気分にもなれません。
ここで、哲平にどう納得させるか、それが問題です。
哲平も般若心経を唱えながら、遺影や位牌に手を合わせているのですから、おばあちゃんが亡くなったことは理解しているはずです。でも、それが西脇に行くのを止めたり、温泉旅行に行けなくなったりするのと結びつく・・・のは理解できそうにないですね。
そこで、我が家で考えた代案です。『今年のお正月は「桃太郎温泉」に行きます!』
哲平もあっさり「桃太郎温泉! 桃太郎温泉!!」と納得です (^_^.)
めでたし、めでたし。
実は、この桃太郎温泉、私の通った小学校(今は廃校ですが)のすぐ先にできた施設で、我が家からだと車で5分もかからず手軽に行けます。
大衆演劇や宿泊施設もある、いわゆる健康ランド的な温泉です。
元日の日、朝から「温泉、温泉、桃太郎温泉!」とすっかり乗り気な哲平と、帰省中の長男も連れて家族4人で出かけました。最初は大きなバッグに着替えなどを勝手に詰めようとする哲平に「今日はお泊りではありません。タオルだけでいいです」と納得させて出発です。
入湯料を払って、男湯と女湯に分かれて、いざ温泉です。
隣接している日本料理のレストランには何度も昼食に来たことはあるのですが、お湯に入るのは初めてです。
入ってみて、意外に温泉らしい(?)のに驚きました。お湯も豊富で、気持ちがいいです。
周りには火山も温泉もないところですが、地下1500メートル以上もボーリングして、温泉を掘り当てたそうです。ですから、毎日500tを超える源泉掛け流しで、お湯がどんどん入れ替わってきれいな湯船です。
外はちょっと寒かったけれど、昼間から露天の桧風呂に男3人はいって、身体を伸ばしいい気持ちです。
大衆演劇は哲平も飽きるかもしれないとパスしたので、入湯料だけ。一人千円もかからず、温泉気分を満喫できました。
風呂上りにほかほかした身体で、昼食は隣の日本料理店「ひなせ」、新鮮な瀬戸内の魚料理で、日本酒を熱燗でいい心持ちです・・・去年に比べるとずいぶん安上がりな“温泉旅行”でしたが、哲平も充分満足したようなので・・・、いいお正月でしたね。
哲平が生まれる前から、お正月には、いつも妻の実家の西脇市に里帰りしていました。
それが一昨年、相次いで義母と義父が亡くなり、実家も弟夫婦の世代となりましたので、去年から正月の里帰りは遠慮することにしました。
哲平は楽しみにしていたのですが(どうやら、目的の多くはおじいちゃんとおばあちゃんからもらえるお年玉のようでしたが・・・・)、“代わり”にということで、去年は長男も誘って、白川郷や金沢へ温泉旅行に行きました。これからは、西脇に帰省する代わりに家族で温泉旅行もいいかな、と言っていました。
さあ、今年はどうしよう・・・と考えていた矢先に、今度は突然の私の母の死去・・・、まだ忌中で我が家の床の間の祭壇を置いて毎晩お参りしているのですから、家を空けるわけにはいきませんし、そんな気分にもなれません。
ここで、哲平にどう納得させるか、それが問題です。
哲平も般若心経を唱えながら、遺影や位牌に手を合わせているのですから、おばあちゃんが亡くなったことは理解しているはずです。でも、それが西脇に行くのを止めたり、温泉旅行に行けなくなったりするのと結びつく・・・のは理解できそうにないですね。
そこで、我が家で考えた代案です。『今年のお正月は「桃太郎温泉」に行きます!』
哲平もあっさり「桃太郎温泉! 桃太郎温泉!!」と納得です (^_^.)
めでたし、めでたし。
実は、この桃太郎温泉、私の通った小学校(今は廃校ですが)のすぐ先にできた施設で、我が家からだと車で5分もかからず手軽に行けます。
大衆演劇や宿泊施設もある、いわゆる健康ランド的な温泉です。
元日の日、朝から「温泉、温泉、桃太郎温泉!」とすっかり乗り気な哲平と、帰省中の長男も連れて家族4人で出かけました。最初は大きなバッグに着替えなどを勝手に詰めようとする哲平に「今日はお泊りではありません。タオルだけでいいです」と納得させて出発です。
入湯料を払って、男湯と女湯に分かれて、いざ温泉です。
隣接している日本料理のレストランには何度も昼食に来たことはあるのですが、お湯に入るのは初めてです。
入ってみて、意外に温泉らしい(?)のに驚きました。お湯も豊富で、気持ちがいいです。
周りには火山も温泉もないところですが、地下1500メートル以上もボーリングして、温泉を掘り当てたそうです。ですから、毎日500tを超える源泉掛け流しで、お湯がどんどん入れ替わってきれいな湯船です。
外はちょっと寒かったけれど、昼間から露天の桧風呂に男3人はいって、身体を伸ばしいい気持ちです。
大衆演劇は哲平も飽きるかもしれないとパスしたので、入湯料だけ。一人千円もかからず、温泉気分を満喫できました。
風呂上りにほかほかした身体で、昼食は隣の日本料理店「ひなせ」、新鮮な瀬戸内の魚料理で、日本酒を熱燗でいい心持ちです・・・去年に比べるとずいぶん安上がりな“温泉旅行”でしたが、哲平も充分満足したようなので・・・、いいお正月でしたね。
2009年12月20日
お別れ
母が亡くなりました。
あまりに突然という感じで・・・・
妻の運転で、岡山まで、叔母さん(母の妹)と三人でショッピングにでかけ、イトーヨーカドーや商店街で買い物をして元気に帰ってきた、その夜・・・未明でしょうか、倒れてそのまま還らぬ人となってしまいました。
それまで大阪で私の兄の食事の世話などをしていたのですが、さすがに少し身体も弱ってきたので、岡山で一人で気楽に暮らしたいと、故郷に帰ってきてからの矢先でした。
帰ってきてから、我が家で一緒に食事をしたり、哲平と4人で外食したり・・・これから呑気に暮らせると思っていました。岡山で以前からかかりつけの内科の先生にも診てもらったのですが、「歳相応に、お元気ですよ」と言われて安心して近所での一人暮らしに賛成したのですが・・・こんなことになるのなら、一緒に暮らしていればと、悔いは残ります。
ただ、最後に会ったのが、当日夕方の私なのですが、「一人暮らしは安気(あんき)でいいワ」というのが最後の言葉になってしまったので、運命と受け入れるしかないのでしょうね。
86歳と高齢で、生前にも「長患いはしたくない。誰にも迷惑をかけずに逝けるのが理想」と言っていた母は、その言葉通りに旅立ったので本望だったかもしれません。一番気にかけてくれていた哲平が就職できたのを喜んで、「これでもう心配することは何もない」と言ってくれていた母でした。
ただ、遺された家族にとっては、あまりにも突然で、もっと気楽な老後を一緒に過ごさせてあげたかったというのが正直なところです。
今は毎晩、冥福を祈ってお経をあげるしかない毎日です。
自宅での納棺の際には、ショックのためか、「お別れしますか?」「見ません」と言っていた哲平ですが、最後のお別れの時には花を供えて手を合わせていました。
そして出棺では、孫の一人として、「棺の足」をしっかり務めることができました。
娘(孫)の紗代も結婚して婿もできたので、孫たち4人に支えあげられて母の棺は、大勢の見送りの中出発しました。
後で、叔母さんから「孫の4人に棺の足をしてもらった人は、蓮の花に乗って極楽浄土へ行けると言うんよ」と教えてもらいました。
今、母は極楽浄土から、私たちや孫たちの様子を、生前と変わらぬ優しいまなざしで見守っていてくれると信じます。
あまりに突然という感じで・・・・
妻の運転で、岡山まで、叔母さん(母の妹)と三人でショッピングにでかけ、イトーヨーカドーや商店街で買い物をして元気に帰ってきた、その夜・・・未明でしょうか、倒れてそのまま還らぬ人となってしまいました。
それまで大阪で私の兄の食事の世話などをしていたのですが、さすがに少し身体も弱ってきたので、岡山で一人で気楽に暮らしたいと、故郷に帰ってきてからの矢先でした。
帰ってきてから、我が家で一緒に食事をしたり、哲平と4人で外食したり・・・これから呑気に暮らせると思っていました。岡山で以前からかかりつけの内科の先生にも診てもらったのですが、「歳相応に、お元気ですよ」と言われて安心して近所での一人暮らしに賛成したのですが・・・こんなことになるのなら、一緒に暮らしていればと、悔いは残ります。
ただ、最後に会ったのが、当日夕方の私なのですが、「一人暮らしは安気(あんき)でいいワ」というのが最後の言葉になってしまったので、運命と受け入れるしかないのでしょうね。
86歳と高齢で、生前にも「長患いはしたくない。誰にも迷惑をかけずに逝けるのが理想」と言っていた母は、その言葉通りに旅立ったので本望だったかもしれません。一番気にかけてくれていた哲平が就職できたのを喜んで、「これでもう心配することは何もない」と言ってくれていた母でした。
ただ、遺された家族にとっては、あまりにも突然で、もっと気楽な老後を一緒に過ごさせてあげたかったというのが正直なところです。
今は毎晩、冥福を祈ってお経をあげるしかない毎日です。
自宅での納棺の際には、ショックのためか、「お別れしますか?」「見ません」と言っていた哲平ですが、最後のお別れの時には花を供えて手を合わせていました。
そして出棺では、孫の一人として、「棺の足」をしっかり務めることができました。
娘(孫)の紗代も結婚して婿もできたので、孫たち4人に支えあげられて母の棺は、大勢の見送りの中出発しました。
後で、叔母さんから「孫の4人に棺の足をしてもらった人は、蓮の花に乗って極楽浄土へ行けると言うんよ」と教えてもらいました。
今、母は極楽浄土から、私たちや孫たちの様子を、生前と変わらぬ優しいまなざしで見守っていてくれると信じます。
2009年11月11日
ハイスコア & 幻のハイスコア
先週末、妻が福岡でのTEACCH2デイ講座に泊りがけで参加したため、代わりに久しぶりにスペシャルオリンピックス(SO)のボウリングの練習会に付き合いました。
哲平は、助走なしでレーンの前で構えてエイヤッと投げるフォームです。
球にスピードはありませんが、もっぱらコントロール重視です (^_^.)
SOではアメリカン方式(左右のレーンを交互に使用)で行っているため、練習会でも組になって交替で投げています。先週の哲平の組は3人とも自閉症の青年たちです。みんな、傍から見ると淡々と投げていますね。
ストライクが出ても、スペアが取れても、はしゃぎもせずに、後ろで観ている親たちの差し出す手に、義務的(?)にハイタッチです。練習の時ぐらい、仲間同士でハイタッチしてもよさそうなのに・・・・とも思いますが、お互い干渉せずに、自分の投球を続けます
(^_^;)
それでも、ガーターになると悔しそうですし(哲平の場合は顔をこすっています)、ストライクだと満足そうな様子ですし、彼らなりに楽しんでいるのでしょう。
隣の組のダウン君たちが、大きな声ではしゃいでいるのを横目に、静かにゲームが進行していきますね。
哲平のアベレージは120ほど・・・1ゲーム、2ゲームとそれなりの点数で進んでいきます。
ところが3ゲーム目、8番9番ピンのスプリットをうまく間を通してスペアをとったあたりから、レーンとの相性が急に良くなったみたいです。
ストライクがでてハイタッチ、ダブルがでて「ワー凄い」、ターキーと続いて隣のレーンからも驚いたお母さんたちもやってきてハイタッチ・・・哲平は相変わらず淡々に応えています。
フォースと出て「ワー!ワー!ワー!」騒いでいないのは、哲平や一緒に投げている自閉症の仲間たちだけです。
そのあと、残念ながら9ピンと途切れても、悔しがる様子もなく、何事もなかったようにゲームは続きます。
このゲーム、結局哲平としてはこれまでのハイスコアの183でした。
哲平も点数だけは気になるようで「183点」と、繰り返して満足そうです。
練習会の時間は4時から5時までの1時間、もう1ゲームできるかな? という時間で次のゲームが始まりました。
ここからが、自閉症児たちの“らしい”ところ・・・
次のゲームでも、今日の哲平とレーンの相性の良さは続いていて、途中でターキーも出たりして、今度もかなりのスコアが期待できそうです。ワクワクしながら応援していると、9フレームに入ったあたりで5時になりました。
とたんに、3人全員ボウルを片付け始めて、あっさりと途中終了です。
普通の子どもたちなら、「せっかくのいい調子、あと5分もかからないから・・・」と言いそうなところですが、さすが規則はしっかり守る律儀な自閉症児たちです。
ハイスコアよりは、時間を守ることが優先ですね。
もったいないと思うのは親だけなんでしょうね (^_^;)
哲平は、助走なしでレーンの前で構えてエイヤッと投げるフォームです。
球にスピードはありませんが、もっぱらコントロール重視です (^_^.)
SOではアメリカン方式(左右のレーンを交互に使用)で行っているため、練習会でも組になって交替で投げています。先週の哲平の組は3人とも自閉症の青年たちです。みんな、傍から見ると淡々と投げていますね。
ストライクが出ても、スペアが取れても、はしゃぎもせずに、後ろで観ている親たちの差し出す手に、義務的(?)にハイタッチです。練習の時ぐらい、仲間同士でハイタッチしてもよさそうなのに・・・・とも思いますが、お互い干渉せずに、自分の投球を続けます
(^_^;)
それでも、ガーターになると悔しそうですし(哲平の場合は顔をこすっています)、ストライクだと満足そうな様子ですし、彼らなりに楽しんでいるのでしょう。
隣の組のダウン君たちが、大きな声ではしゃいでいるのを横目に、静かにゲームが進行していきますね。
哲平のアベレージは120ほど・・・1ゲーム、2ゲームとそれなりの点数で進んでいきます。
ところが3ゲーム目、8番9番ピンのスプリットをうまく間を通してスペアをとったあたりから、レーンとの相性が急に良くなったみたいです。
ストライクがでてハイタッチ、ダブルがでて「ワー凄い」、ターキーと続いて隣のレーンからも驚いたお母さんたちもやってきてハイタッチ・・・哲平は相変わらず淡々に応えています。
フォースと出て「ワー!ワー!ワー!」騒いでいないのは、哲平や一緒に投げている自閉症の仲間たちだけです。
そのあと、残念ながら9ピンと途切れても、悔しがる様子もなく、何事もなかったようにゲームは続きます。
このゲーム、結局哲平としてはこれまでのハイスコアの183でした。
哲平も点数だけは気になるようで「183点」と、繰り返して満足そうです。
練習会の時間は4時から5時までの1時間、もう1ゲームできるかな? という時間で次のゲームが始まりました。
ここからが、自閉症児たちの“らしい”ところ・・・
次のゲームでも、今日の哲平とレーンの相性の良さは続いていて、途中でターキーも出たりして、今度もかなりのスコアが期待できそうです。ワクワクしながら応援していると、9フレームに入ったあたりで5時になりました。
とたんに、3人全員ボウルを片付け始めて、あっさりと途中終了です。
普通の子どもたちなら、「せっかくのいい調子、あと5分もかからないから・・・」と言いそうなところですが、さすが規則はしっかり守る律儀な自閉症児たちです。
ハイスコアよりは、時間を守ることが優先ですね。
もったいないと思うのは親だけなんでしょうね (^_^;)
2009年11月06日
律儀な・・・
今月の哲平の会社での目標(めあて)の一つに
「ごはんはゆっくり15分かけて食べる」というのが決まったそうです。
私と同じで、いたって早食いの哲平です。
5分もあれば「ごちそうさま」です。
身体のためにも、ゆっくり食べる方がいいですね。
わかっているのですが・・・・私の場合は、もうこんなものでしょう。
ただ哲平の場合は先が長いので直せるものなら直してやりたいものです。
家でも、会社に合わせて練習です。
いきなり15分は難しいので、まずは10分から。
キッチンタイマーをセットして、ゆっくり食べるように言いました。
さすが、律儀な自閉症です。
次からは、自分でキッチンタイマーを10分に合わせて「いただきます」です。
ただ、「ゆっくり食べる」というのを教えるのは難しいですね。
ゆっくり箸を使う・・・口に運ぶペースを変えるのは無理そうです。
30回噛む・・・数を頭の中だけで数えることが出来なくて、口に出して「1、2、3・・・」しゃべっていてはなかなか上手く噛めません。
したがって、いつもの分量を食べ終わっても、まだ10分には届きません。
ゆえに10分間、その後もいつも以上に食べ続けています (^_^.)
まあ、少々やせっぽち気味の哲平ですから、当面はよしとしましょうか。
それにしても、律儀な哲平ですね。
それにうまく応えられるように、こちらももう一工夫、考えましょう。
「ごはんはゆっくり15分かけて食べる」というのが決まったそうです。
私と同じで、いたって早食いの哲平です。
5分もあれば「ごちそうさま」です。
身体のためにも、ゆっくり食べる方がいいですね。
わかっているのですが・・・・私の場合は、もうこんなものでしょう。
ただ哲平の場合は先が長いので直せるものなら直してやりたいものです。
家でも、会社に合わせて練習です。
いきなり15分は難しいので、まずは10分から。
キッチンタイマーをセットして、ゆっくり食べるように言いました。
さすが、律儀な自閉症です。
次からは、自分でキッチンタイマーを10分に合わせて「いただきます」です。
ただ、「ゆっくり食べる」というのを教えるのは難しいですね。
ゆっくり箸を使う・・・口に運ぶペースを変えるのは無理そうです。
30回噛む・・・数を頭の中だけで数えることが出来なくて、口に出して「1、2、3・・・」しゃべっていてはなかなか上手く噛めません。
したがって、いつもの分量を食べ終わっても、まだ10分には届きません。
ゆえに10分間、その後もいつも以上に食べ続けています (^_^.)
まあ、少々やせっぽち気味の哲平ですから、当面はよしとしましょうか。
それにしても、律儀な哲平ですね。
それにうまく応えられるように、こちらももう一工夫、考えましょう。
2009年10月29日
蒜山高原マラソン
今年も恒例になった蒜山高原マラソンに参加してきました。
今回で4回目・・・NTN夢工房岡山の指導員の I さんに哲平が誘われてから毎年ですので、もう哲平も就労4年目ということですね。
これまた恒例になった、前日夜の大山高原ヴィラでの激励会も4回目、今年もおいしいお酒をいただきました。
哲平の入社以来親身にお世話になった、NTSのS前所長ご夫妻も参加していただき、本当にアットホームな家族ぐるみの激励会です。
いつもように、おいしい冷酒の差し入れもあり、すっかり出来上がってしましました
(^_^.)
翌日は、爽やかな風の中スタートです。 I さんはお子さん2人と3kmの部、Mくんは5kmの部、去年はハーフの部にエントリーされたNTT本社のTさんは今年は自重して(?)10kmの部に参加です。
そして我が家、哲平はハーフの部、私は10kmの部、そしてなんと今年は妻がマラソンデビューで3kmの部にエントリーです。先日から、桃太郎夢クラブでも私と同じニコニココースに入って練習はしているのですが・・・・
やはり、観ているだけでなく、参加する方が楽しめる! いつもの妻の前向き、かつ無謀(?)な挑戦です。
相変わらずのすごい人数で、最初にスタートした5kmの部のMくん、スタートは拍手で送り出したのですが、ゴールは人波の中で見損ねてしまいました m(__)m
次はハーフの部のスタートです。哲平、いやに力が入っています。受付の時、ゼッケンの11番を見て、係りの人に「いい番号ね。1番になれるといいね」と言われたのを真に受けて「1番! 1番!!」と狙っているようです。
先日、倉敷で5時間走に参加したとき、試しに42kmを走ってみたのですが、その時少し足を痛めたようで本調子ではありません。(ちなみに、その時は途中で様子を見て少し歩いたりしたのですが、手元の時計で3時間20分ほどでした)
なにより無事帰ってきてほしいのですが「無理するなよ」と言っても、そんな抽象的な指示ではわかる訳がないですね。誰か適当な方について走れればいいのですが、ちょっとすぐには見当たりません。
自分でペースを作って走ってくれることを信じて送り出します。
号砲1発、哲平がスタートダッシュで飛び出します。前の方で見ていた方に聞くと、沿道に出るところでは2位で駆け抜けたようです。ちょっとオーバーペースが心配です。
その後、すぐに10kmの部のスタートです。私はいつものように1時間が目標ですから、後ろのほうからゆっくりスタートです。これまた、すごい人です。スタートのピストルの音も聞こえないほどで、前が動きだしたので、それに合わせてゆっくりスタートラインを越えました。
沿道はススキが揺れて、心地よい風が吹いて気持ちがいいです。できれば向かい風ではなく、せめて横から・・・と思ったのですが、まあ帰りは追い風のはず、がまんしましょう。最初に走った時にはしんどかった急坂や、歩いてしまった折り返しを過ぎての坂道も、このペースならさほど苦しいとも思わず走りきれました。
月に2回ほどですが、桃太郎夢クラブで10kmほどはジョギングしているおかげでしょうか。
妻の3kmの部は、哲平や私が走っている間にスタートしてゴールしてしまうという時間設定でしたので、残念ながら妻の雄姿(?)は見えずじまいでした。それでも、トラックに帰ってきてからゴール前で2人ほど抜いたそうなので、がんばったようですね。
私はのんびり楽しく走って、目標にはわずかに届かず1時間1分1秒というピンゾロのタイムでゴールでした。妻は21分47秒だったそうです。
後は哲平だけです。今日は、順位や記録よりも無事ゴールしてくれることを祈って待っています。
実業団や大学のランナーが私がゴールして間もなく、すごいスピードで帰ってきます。ハーフと10kmのスタート時間の差が10分でしたので、1時間10分少々というところでしょうか。
哲平がベストタイムを出した丸亀ハーフマラソンの時が1時間21分ほどでしたので、坂道のある今日のコースだともう少しかかるとは思いますが・・・次々とハーフの選手が帰ってきます。桃太郎夢クラブでご一緒させてもらっているバリバリコースの方もゴールされましたが、哲平の姿はまだ見えません。
少し心配になりかけた時、トラックに入る道を通る黄色い帽子が見えました。哲平です。
いつまのように淡々と汗もかかずにマイペースで走っています。「哲平ガンバレ!」と声をかけても、ラストスパートするわけでもなく、そのままのペースでゴールです。
記録は1時間25分0秒、このコースで、今日の足の状態ではがんばりましたね。
「てっちゃん、最初ペース速過ぎ」桃夢の先輩からのアドバイスですが、やはりゴールまでを見通したペースというのは難しいのでしょう。こればかりは誰かについて走るか、自分の身体で覚えていくしかないのでしょうね。
ともあれ、家族3人、無事完走です。
気持ちのいい秋の風が吹きすぎていきます。
帰り道、カーステレオから流れてくる山口百恵の「いい日旅立ち」がぴったりの秋の一日でした。
2009年09月28日
夏の終わりに・・・さよなら久住高原
さて、最終日、今日で九州ともお別れです。
精算を済まし、今日は荷物も全部積み込んで、「お世話になりました」と宿を後にします。もう今回の旅で、何度もドライブしておなじみになった、久住山麓のやまなみハイウェイを湯布院に向かいます。
今日はおにぎり弁当とは違い、初日に見つけておいた湯布院のローソンで、いつもの岡山での山登りと同じようにおにぎりや唐揚げを買って、最後の目的地、由布岳へ。初日に登山口を確認に寄ったときの土砂降りとは違い、昨日と同じ快晴でいい一日になりそうです。麓の草原をのんびり歩いて登山口へ、ここから今回の旅の最後の目的地である由布岳へ。二つの峰が向かい合って立つ特徴的な姿がはるか上空に望めます。つづら折の登山道を登っていくと、途中にはところどころに見晴らしのいい場所があり、気持ちよく登っていけます。
それでも、山歩きも三日目、中腹を過ぎたあたりから、やはり息があがってきます。まあ今日は、由布岳に登ったら、後は岡山に帰るだけ。
2時ごろまでに降りてくればいい予定ですので、休憩もマメにはさみながら一歩一歩、景色を楽しみながら登っていきます。
最後の急坂をがんばって、ようやく二つの峰にはさまれた鞍部につきました。前方は火口のはずですが、今は木々に覆われています。東峰から向こうの稜線を辿って西峰にいたる山なみに囲まれたくぼ地が火口なのでしょうね。さて時間はあるので、この火口のまわりをグルッとまわってもいいのですが、どうしましょう?
三角点のあるのは西峰で、岩にはられた鎖を登っている人が見えます。そのあと、また鎖を伝って岩を横切り頂上に登っていくコースが下からも見えます。
哲平に「登りますか?」と聞くと、「登りません!」
オッと、ここに来て、初めての登山拒否です。コースが見えるだけに、高所恐怖症気味の哲平、鎖場を登るのはイヤなようです (^.^)
もちろん、楽しむための山歩きですから、イヤなコースを無理強いするつもりはありません。
今度は、東峰を指差して、「登りますか?」と聞くと「登ります!」コチラは急な登山道ですが、鎖は見えなくて、しっかり地に足をつけて登れそうです。
頂上につくと、正面に西峰がそそり立っています。そちらからお鉢めぐりで、稜線をこちらに向かう人も何人か見えます。
もう一度、今度は下からではなく、向かいに見える西峰を指差して聞いてみました。
「登りますか?」「登りません!」きっぱりとした答えが帰ってきました (^_^;)
お鉢めぐりを止めたので、まだお昼には時間があります。帰り道で食べてもいいかな、と思って聞いてみました。
「お昼はどこで食べますか? ここで食べますか?」「食べます」
頂上に着けば、時間は少々早くても弁当がいいようですね。食欲旺盛にペロリと食べて、食べ終わったらいつものように、すぐに「降りる」だそうです。
よく晴れて、遠くまでも眺望がいいのですが、「景色をめでる」という楽しみは哲平には向いていないようです。
「山とは、踏破するモノ」「登って、お弁当を食べて、降りるモノ」そんな感じでしょうか。でも、それが哲平なりの山登りの楽しみ方なら、それ良しでしょう(^.^)
降りる途中で、携帯に電話が入ってきました。東京にいる妻からでした。今、障害関連の書籍を扱っている「スペース96」の会社に行って、本を見ているそうです。「『このまちで、ともに暮そう』って本、持ってる?」持ってないと言うと、「じゃ、買って帰る」
考えたら、携帯って便利ですね。東京から、九州の由布岳に電話して、本を持ってるか持っていないか簡単に確認できるのですから・・・・
こちらは、このままだと、夕方7時ごろに家につく予定だと言うと、妻はそれよりちょっと遅くなるかも、という返事。
お互い「気をつけて!」
その夜、九州と東京から、岡山の我が家に、家族3人、無事集いました(^.^)
今回の夏の終りの久住高原への旅、哲平と二人で登った山々です。
祖母山 1756.4m
(日本百名山)
星生山 1762m
久住山 1786.9m
(日本百名山)
中岳 1791m
(九州本土最高峰)
天狗ヶ城 1780m
扇ヶ鼻 1698m
由布岳(東峰) 1582m
(三角点は哲平に断られた西峰1583.3mにありますが、東峰はそれより1mほど低いそうです(^_^;)
精算を済まし、今日は荷物も全部積み込んで、「お世話になりました」と宿を後にします。もう今回の旅で、何度もドライブしておなじみになった、久住山麓のやまなみハイウェイを湯布院に向かいます。
今日はおにぎり弁当とは違い、初日に見つけておいた湯布院のローソンで、いつもの岡山での山登りと同じようにおにぎりや唐揚げを買って、最後の目的地、由布岳へ。初日に登山口を確認に寄ったときの土砂降りとは違い、昨日と同じ快晴でいい一日になりそうです。麓の草原をのんびり歩いて登山口へ、ここから今回の旅の最後の目的地である由布岳へ。二つの峰が向かい合って立つ特徴的な姿がはるか上空に望めます。つづら折の登山道を登っていくと、途中にはところどころに見晴らしのいい場所があり、気持ちよく登っていけます。
それでも、山歩きも三日目、中腹を過ぎたあたりから、やはり息があがってきます。まあ今日は、由布岳に登ったら、後は岡山に帰るだけ。
2時ごろまでに降りてくればいい予定ですので、休憩もマメにはさみながら一歩一歩、景色を楽しみながら登っていきます。
最後の急坂をがんばって、ようやく二つの峰にはさまれた鞍部につきました。前方は火口のはずですが、今は木々に覆われています。東峰から向こうの稜線を辿って西峰にいたる山なみに囲まれたくぼ地が火口なのでしょうね。さて時間はあるので、この火口のまわりをグルッとまわってもいいのですが、どうしましょう?
三角点のあるのは西峰で、岩にはられた鎖を登っている人が見えます。そのあと、また鎖を伝って岩を横切り頂上に登っていくコースが下からも見えます。
哲平に「登りますか?」と聞くと、「登りません!」
オッと、ここに来て、初めての登山拒否です。コースが見えるだけに、高所恐怖症気味の哲平、鎖場を登るのはイヤなようです (^.^)
もちろん、楽しむための山歩きですから、イヤなコースを無理強いするつもりはありません。
今度は、東峰を指差して、「登りますか?」と聞くと「登ります!」コチラは急な登山道ですが、鎖は見えなくて、しっかり地に足をつけて登れそうです。
頂上につくと、正面に西峰がそそり立っています。そちらからお鉢めぐりで、稜線をこちらに向かう人も何人か見えます。
もう一度、今度は下からではなく、向かいに見える西峰を指差して聞いてみました。
「登りますか?」「登りません!」きっぱりとした答えが帰ってきました (^_^;)
お鉢めぐりを止めたので、まだお昼には時間があります。帰り道で食べてもいいかな、と思って聞いてみました。
「お昼はどこで食べますか? ここで食べますか?」「食べます」
頂上に着けば、時間は少々早くても弁当がいいようですね。食欲旺盛にペロリと食べて、食べ終わったらいつものように、すぐに「降りる」だそうです。
よく晴れて、遠くまでも眺望がいいのですが、「景色をめでる」という楽しみは哲平には向いていないようです。
「山とは、踏破するモノ」「登って、お弁当を食べて、降りるモノ」そんな感じでしょうか。でも、それが哲平なりの山登りの楽しみ方なら、それ良しでしょう(^.^)
降りる途中で、携帯に電話が入ってきました。東京にいる妻からでした。今、障害関連の書籍を扱っている「スペース96」の会社に行って、本を見ているそうです。「『このまちで、ともに暮そう』って本、持ってる?」持ってないと言うと、「じゃ、買って帰る」
考えたら、携帯って便利ですね。東京から、九州の由布岳に電話して、本を持ってるか持っていないか簡単に確認できるのですから・・・・
こちらは、このままだと、夕方7時ごろに家につく予定だと言うと、妻はそれよりちょっと遅くなるかも、という返事。
お互い「気をつけて!」
その夜、九州と東京から、岡山の我が家に、家族3人、無事集いました(^.^)
今回の夏の終りの久住高原への旅、哲平と二人で登った山々です。
祖母山 1756.4m
(日本百名山)
星生山 1762m
久住山 1786.9m
(日本百名山)
中岳 1791m
(九州本土最高峰)
天狗ヶ城 1780m
扇ヶ鼻 1698m
由布岳(東峰) 1582m
(三角点は哲平に断られた西峰1583.3mにありますが、東峰はそれより1mほど低いそうです(^_^;)
2009年09月27日
夏の終わりに・・・久住高原7
なるべく岩は迂回できるところは、遠まわりでも迂回して、あまり哲平に怖い思いはさせないようにして、無事久住別れに降り立ちました。
ここから、まずは右手の久住山に。斜面には多くの人が取り付いて登っています。人気の山だけあってルートはあちこちに出来ています。低いかん木で見通しもよいので、どこからでも登れそうです。
そういえばこの一帯の山々、どこも同じように高い木もなく明るい山が並んでいます。本当に「山歩き」という感じですね。
ただその分、さえぎる木々もなく、快晴の天気、相当陽に焼けそうですね(^_^;)
久住山、一気に登れそうに見えたのですが、やはりここでも私は息切れ、岩山とはうってかわって哲平は元気です。この斜面、まっすぐ登れば早いとは思うのですが、年を考えジグザグに登っていきます。スキーで直滑降は怖いので、斜滑降を繰り返して急斜面を降りる・・・あれの逆ですね。
少々時間はかかりましたが、無事頂上到着です。
少し早いけど、お昼にしようか、と思いましたが、ちょうど頂上付近、中学生の団体の子どもたちが食事中・・・にぎやかですね。
時計を見ると、まだ11時を回ったあたり、「哲平、まだ早いから、あっちの山に登ってお昼にしようか? いいですか?」「いいです」
前もって、この久住山でお弁当を食べよう、と言ってなくてよかったですね。お茶だけ飲んで、今度は中岳に向かいます。
登ったり降りたりの繰り返しですが、今度は山頂付近にできた火口湖の御池のほとりを回って、九州本土最高峰の中岳へ。今度はちょうどいい時間になったので、ここで弁当です。今日も、やっぱり私はおにぎり2個がやっと・・・残りの1個は哲平のお腹の中へ (^.^)
さて、今日はいい天気で眺望も最高です。登ってきた眼下を見ると御池の向こうに、天狗ヶ城がそびえています。
「あの山にも登ってみようか?」「登ります」
いつもと一緒で、食べ終わったらすぐに降りようとする哲平ですが、誘ってみると、登るのに異存はなさそうです。
天狗ヶ城、さすがに頂上の人数も次第に減ってきて数パーティだけになっています。一応、記念にと携帯で写真を撮ろうとすると、親切に「押してあげましょうか」と声がかかりました。
「お子さんと、ご一緒ですか、いいですね」「ありがとうございます」と礼を言って撮ってもらいましたが、そう言えば、親子連れといえば小さい子とお父さん、お母さんが多いですね。 小学生か、せいぜい中学生ぐらいまで、青年になっても一緒に登ってくれているのは哲平ぐらいですね (^.^)
さて、これであらかた登ったように思えて、そろそろ降りようかと思いましたが、時計を見るとまだ2時です。せっかく登ったのに、もう降りてしまうのは少しもったいないですね。
かと言って、哲平の辞書には、「何もしないで山の空気をゆっくり吸いながらくつろぐ」なんて項目はなさそうです。
あと、残っているのは、途中にあった「→ 扇ヶ鼻」の標識です。正直言って、もう登るのはこれぐらいでイイかな・・・と思っていたのですが、「登りますか?」と聞くと、相変わらずの「登ります」の返事。
最後のひとふんばりで登ってみました。
頂上について、どこか見覚えのある景色です。地図を取り出してみてわかりました。忘れていましたが、ここは前回赤川登山口から登ってきて最初に着いた山でした。はるか真下に、宿にしている久住高原荘の屋根が見えます。
前は、帰りにもここから降りたので、今日で3回目、見覚えあるはずですね (^.^)
その宿に帰りついての露天風呂です。私の腕は今日一日でもう真っ赤か。湯船につけるとヒリヒリなので、腕だけ浮かべてなんとか温まります。ところが哲平に「ヒリヒリしませんか?」「痛くないですか?」と聞いても、「痛くありません」といつものように、腕を沈めて全く平気のようです。そういえば私の腕は赤くなっているのに、哲平の腕は黒くなっているだけ。毎日の自転車通勤やマラソン練習のおかげでしょうか?
その夜、ヒリヒリして、なかなか寝られなかったのはお父さんだけでした (-_-;)
ここから、まずは右手の久住山に。斜面には多くの人が取り付いて登っています。人気の山だけあってルートはあちこちに出来ています。低いかん木で見通しもよいので、どこからでも登れそうです。
そういえばこの一帯の山々、どこも同じように高い木もなく明るい山が並んでいます。本当に「山歩き」という感じですね。
ただその分、さえぎる木々もなく、快晴の天気、相当陽に焼けそうですね(^_^;)
久住山、一気に登れそうに見えたのですが、やはりここでも私は息切れ、岩山とはうってかわって哲平は元気です。この斜面、まっすぐ登れば早いとは思うのですが、年を考えジグザグに登っていきます。スキーで直滑降は怖いので、斜滑降を繰り返して急斜面を降りる・・・あれの逆ですね。
少々時間はかかりましたが、無事頂上到着です。
少し早いけど、お昼にしようか、と思いましたが、ちょうど頂上付近、中学生の団体の子どもたちが食事中・・・にぎやかですね。
時計を見ると、まだ11時を回ったあたり、「哲平、まだ早いから、あっちの山に登ってお昼にしようか? いいですか?」「いいです」
前もって、この久住山でお弁当を食べよう、と言ってなくてよかったですね。お茶だけ飲んで、今度は中岳に向かいます。
登ったり降りたりの繰り返しですが、今度は山頂付近にできた火口湖の御池のほとりを回って、九州本土最高峰の中岳へ。今度はちょうどいい時間になったので、ここで弁当です。今日も、やっぱり私はおにぎり2個がやっと・・・残りの1個は哲平のお腹の中へ (^.^)
さて、今日はいい天気で眺望も最高です。登ってきた眼下を見ると御池の向こうに、天狗ヶ城がそびえています。
「あの山にも登ってみようか?」「登ります」
いつもと一緒で、食べ終わったらすぐに降りようとする哲平ですが、誘ってみると、登るのに異存はなさそうです。
天狗ヶ城、さすがに頂上の人数も次第に減ってきて数パーティだけになっています。一応、記念にと携帯で写真を撮ろうとすると、親切に「押してあげましょうか」と声がかかりました。
「お子さんと、ご一緒ですか、いいですね」「ありがとうございます」と礼を言って撮ってもらいましたが、そう言えば、親子連れといえば小さい子とお父さん、お母さんが多いですね。 小学生か、せいぜい中学生ぐらいまで、青年になっても一緒に登ってくれているのは哲平ぐらいですね (^.^)
さて、これであらかた登ったように思えて、そろそろ降りようかと思いましたが、時計を見るとまだ2時です。せっかく登ったのに、もう降りてしまうのは少しもったいないですね。
かと言って、哲平の辞書には、「何もしないで山の空気をゆっくり吸いながらくつろぐ」なんて項目はなさそうです。
あと、残っているのは、途中にあった「→ 扇ヶ鼻」の標識です。正直言って、もう登るのはこれぐらいでイイかな・・・と思っていたのですが、「登りますか?」と聞くと、相変わらずの「登ります」の返事。
最後のひとふんばりで登ってみました。
頂上について、どこか見覚えのある景色です。地図を取り出してみてわかりました。忘れていましたが、ここは前回赤川登山口から登ってきて最初に着いた山でした。はるか真下に、宿にしている久住高原荘の屋根が見えます。
前は、帰りにもここから降りたので、今日で3回目、見覚えあるはずですね (^.^)
その宿に帰りついての露天風呂です。私の腕は今日一日でもう真っ赤か。湯船につけるとヒリヒリなので、腕だけ浮かべてなんとか温まります。ところが哲平に「ヒリヒリしませんか?」「痛くないですか?」と聞いても、「痛くありません」といつものように、腕を沈めて全く平気のようです。そういえば私の腕は赤くなっているのに、哲平の腕は黒くなっているだけ。毎日の自転車通勤やマラソン練習のおかげでしょうか?
その夜、ヒリヒリして、なかなか寝られなかったのはお父さんだけでした (-_-;)