戸田真琴official blog - まこりん日和 -

戸田真琴の公式ブログ

みなさん、こんばんまこりん🌸

先日、SODの大先輩で言わずもがなだいすきなまなてぃさん(紗倉まなさん)原作の映画、「最低。」(瀬々敬久監督)の試写に行かせていただきました。

東京国際映画祭での上映もみなさんの記憶に新しいと思います。(きらびやかにドレスアップした主演女優のみなさんと、控えめな黒のロングドレスに身を包んだ紗倉まなさん、みなさん本当に美しかった…!)

各地で絶賛されているのも納得の、本当に素晴らしい作品で、私も拝見したときほろほろと涙が出ました。

原作小説の感想は、一年以上前にもこのブログでお話しましたが、映画の感想をあらためて。

ネタバレもやんわり含むので、OKだよという方のみお進みください。







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「最低。」

 どういうふうに在れば、「生きている」ことになるのかしら。
私たちはいつも考えている。いつか考えなくて済むような、穏やかに赦された日が来ればいいと願いながら、目の前には今すべきお仕事があり、それがなんの役に立つのかも実のところ解らない。「それで?」それでも、生きて行くほかないなんて。

 大げさな理由もないままで、この道が登っているのか降りているのかわからなくても、もう、どうでもいいかなと少し、わらって。
 
 紗倉まなさんのデビュー作「最低。」を読んだ時、どろりとした生ぬるさが残った。人生を俯瞰するつめたい眼差しを極限まで薄くのばした日々の一枚一枚を、重ねて、重ねて、重ね尽くしたらリアルな体温になるのか、と。すました顔の内側にはこの温度の、透き通りもしない名付けようもない色をした液体が詰まっているのだと。
 そして、この秋それが映画になった。4つの短編のオムニバス小説だったものが、それぞれの人生が交錯し合うひとつの長編として、もう一度生まれた。
 AV女優の話、と聞いて、どろどろとした悲劇や転落劇を想像する人も少なくないと思う。インタビューを大げさに脚色するライターも、勝手な想像で不幸な人間だけが入る世界だと思っている一般の人もたくさんいるものだし、まあ、人前で裸になってセックスをしてそれをビデオにして販売するなんてどうあっても非日常なわけで、誤解も、いろいろ、仕方ない。
 だけど、どんな職業においてもただ普通に、「それに就くに至る理由がそれぞれ違う」というだけのことでもあって。そんな、AVに関わった人々の「それぞれの人生」を、肌に触れそうな近さで、不安を指でなぞっていくような速度の手持ちカメラで、撮影器具の無機物としての冷たさで、この映画は繊細に切り取っている。
 
 家族に内緒でAV女優として働く彩乃、平坦な日常に耐えられずAV出演を決める主婦・美穂、かつてAV女優だった母親の奔放さに振り回され居心地の悪さを感じ続ける女子高生・あやこ。AVに出るという、ある意味それだけでドラマになってしまいそうな事柄が、あくまで私たちの生きている日常の延長線上にあって、誰かはそこに救いを見出し、誰かはそれによって絶望し、誰かにとってはいつか「ふつう」のことになってしまう。その「異常さ」と「ふつうさ」が、「良いことであること」と「良いはずがないこと」が、きちんと同軸に当たり前の顔をして存在しているというだけで、この映画はとても信頼できると思った。

 わたしもAV女優をしているけれど、出演した理由も生活の温度も抱える悩みもこの中の誰とも違っている。それは、原作者の紗倉さんも、彼女が小説を書き上げるまでに見てきた無数のAV女優さんたちも皆それぞれそうだと思う。
 それでも、生きているとわかってくるのだ。人生における選択に、「良いだけのことも悪いだけのこともない」ということが。ただ生まれてきたというだけで、無数の選択をしていく権利がもらえてしまうことは、とても苦しく、贅沢だ。そして、結局どれほど周りと密接につながりあっているように見えても、その人の人生はその人の自己責任で、騙されたとしても間違えたとしてもその人だけに嘆く権利があり、困り果てる権利がある。
 ここに描かれている彼女たちだけでなく、誰もが、生まれた時からきっと悩んでいて。居場所も自己肯定感もなくて当たり前の世界で、幸福へのわずかな可能性をかけて、彼女たちは見えない博打をうつ。気楽なつもりになってみると、人生なんて全部博打みたいなものだから、と笑えるような気もするけれど、生きて行くうちに家族や伴侶や友人など、博打に巻き込んだらいけないような人たちが増えていくほどに、臆病になったりもする。それでもちょうど、「博打を打ってみた側」のひとたちのことが、この映画が存在することによって覗き見れるようになったのだ。
 
 あそこにいるのは、別の世界のひとじゃない。ただのフィクションでもない。実際にその選択をして飛び込んだ世界で見てきたものを描いた本を、さらさらと深くまで潜り新たなエンディングに結び直したことで可視化された、生身の鼓動の音なのだ。極端な悲劇でも喜劇でもない、日々を生きているすべてのひとたちにほど近い、薄ぼんやりとした現在の話なのだ。
 
 テレビも週刊誌も極論を煽り、絶望か希望かの二択でシーソーゲームに興じる昨今、私たちはこの「どちらでもないこと」を忘れてしまいそうになる。「平凡」と「非凡」を切り分ける。「あちら側」と「こちら側」を切り分ける。この映画の中で、まるで私たち皆のように不器用に生きる彼女らの、「どちらでもない」叫びが聞こえただろうか。これで良かったのでもなく、こうするべきでなかったとも思えない、それでも、生きていくほかないなんて。そんなうなだれる姿すら、どうしてか、光に見えた。
 
 瀬々敬久監督が原作の続きとして新たに織り上げたラストシーンは、まさにそんなどっちつかずのただの光がどうにも目映く、心の奥深くからの涙を誘いだすようだった。
 美穂、あやこ、そして彩乃の日々は、めでたしめでたしのエンディングには収まらない。収まるはずがない。割り切れない選択をして、割り切れない反応を受け、割り切れない今を生きて、この映画が終わった後にもずっとずっと続いていくのだから。としっかりと言われているようで、それがとても良かった。
 愛をもらったり、もらえなかったり、捨ててしまったり、つい落としてしまったりもするけれど、また探して、思わぬ場所で見つけてしまうような明日が来たらいいな。と、彼女らに対して、そして彼女らとともに悩める日々を生きる全てのひとに対して願わずにはいられない。自分自身にもそう願ってあげられるような気がした、優しくてたおやかな温度を保った映画だった。

 キャスティングもすばらしく冴えていて、特に佐々木心音さん演じる彩乃の焦燥感と肉感のある魅力が胸に刺さった。笑顔を作るのが苦手な女の子みたいな、笑い方をするのだな、と。今作で本格的な演技に初挑戦したという山田愛奈さん演じるあやこも、ほんとうに記憶の中で教室の隅にいたかと思うような、思春期の痛みと切なさを人の形にくりぬいて持っていた。
 美穂を演じた森口彩乃さんを含め、主演をつとめた女優さんみんながどこか頼りなく、誰か守ってあげてほしいと願わざるを得ない不安定さを持っていた。そんな胸を苦しくさせるような彼女らの存在感も、この映画が私たちの割り切れない心の隙間に染み渡る傑作となった大きな大きな所以だと思う。

 なによりも、今この時代に、こんなにも壁を作られやすいある世界と「ふつう」の世界の境目を、ぼかしてくれる映画が生まれたことに対する祝福がこの胸を満たしている。同じ世界に生きていて、誰もの悩みや葛藤が、またほかの誰もの心を救う可能性があるのだと、私たちは知ったわけで。
 それがこんな、思い出すと光として思い起こされるような美しい映画でよかったな。と、心から思う。
 そうね、"ああ、割り切れないな。"と思うたび、「生きているな」と知るものね。







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劇場公開は11/25〜。

公式HPはこちらです。(http://saitei-movie.jp )

通りかかった角川シネマにも、大きな看板が出ていました。



確かな温度で人を救う映画なので、どうか、必要としている人に一人でも多く届きますように…!






🌸まこりん🌸

メンフィス(と、経由地のロス)での写真集撮影が終わって一週間ぶりに着いた東京は、台風の最中だった。出国する前の日も台風で、時間がちゃんと動いていたのかよくわからなかった。わたしはこの仕事を始めてからなぜか急に晴れ女の才能が覚醒したのか、ロケやイベントがある日はほとんど空が晴れている。アメリカでも一度も雲を見ていないというレベルでずっと晴れていた。もともと晴れている国なのかな。
クラウドファンディングでみなさんからご協力いただいたお金とみずみずしい期待のおかげで、今のご時世ありえないような自由な一週間を過ごさせてもらいました。これから編集さんは編集を、わたしは中身に詰めるものとリターンのZINEをできるだけ濃厚にするべく動いていくのですが、ちょっと、胸がいっぱいで。
ほんとうはもう少し切ない気持ちで始めたプロジェクトだったので。ひとりでも輝いて生きていけたら、というような。ひとりでもあなたがたが付いていてくれるならどこまでも行こう、というような。私はちょっと、この世界に意外と、冷めた気持ちでいたのかもしれないな。と過去を戒めるほど、もっとずうっと幸福に、ただの「愛してもらった記憶」でしかない写真がたくさん生まれました。

ひとりとか、そうでないとか、そんなことついに考えなくなった。自由であるとか、そうでないとか、そんなことがもうどうでもよくなった今がほんとうの自由であると。愛する前からとっくに愛しているひとたちに出会いたくて、少しでも声の響く方へ。まだまだ内容はひみつなんだけど、ね、毎日自分にしかばれないくらいこっそりつけていた香水も、街中を駆け回ってあつめた衣装も、かわいらしく見えることよりも精神性とほんとうのチャーミングを探したヘアもメイクも、あまりにも好きであまりにもつよく綺麗だから使えなかった口紅を塗ったことも、ぜんぶ秘密なんだけどね、愛しているのはいつもきみの耳もたこになるくらいわたし喚いているから、「あなたわたしを愛しているでしょ?」と言ってしまい遂にもう嬉しすぎてへんな顔で笑ってしまうような旅を。永遠にみなさまの想いを最上級に美化し尽くしたまま浮かべた星空の下を気の合う仲間と歩いていたかったものですが、どうしても、どうしてもあなたの本棚に、置いて欲しいので待っていてね。ひとつもこぼさぬよう、こぼれ落ちても同じ星にしか居られないことの寂しい幸福といっしょにね。


メンフィスもおなじ11月くらいの気候で、硬質の白い光が噴水広場にそそいでいた。昔は11月って、これから寒くなっていくのにおまえは一人ぼっちで自分で自分を暖めきれるのか?と問われて追い詰められているようで、あまり好きではなかったのだけれど、クリスマスもニューイヤーイブもバレンタインデーも平日と同じになるくらいわたしはもっとただひたすら毎日を愛で満たしていたいと、願ってからは落ち込まなくなった。子供らしくなくなる進化が、平穏に人を愛していくための能力を生むのなら、わたし大人になろう、と思うわけで。
人々には実は心の、年齢も性別も性質も、一生分類しきれないくらい種類があって、わたしだって変だと言われることも多いけどきっとみんな少しずつくらいはそれぞれ変だ。わたしのなかでのしっくりくる愛の形が人と違っても、わたしはもうこれだって確かに愛だと、凛々しく燃える青い炎を、これがちゃんと愛だと、わたしの人生にはちゃんと愛が灯っていると知っている。だから、きみも、おとぎ話やメロドラマからはぐれてしまったあるいはそれらに近すぎてうさんくさく見えてしまったきみの愛のことを、きみが愛と呼んでほしい。
アメリカにいる一週間、わたしは自分でも驚くくらい自由で、驚くくらいわがままで、驚くくらい冴えていて。もともと周りに気を使って緊張して具合が悪くなるから外泊が苦手だったのに、一週間も他人とべったり一緒にいて、睡眠も毎晩3時間ずつくらいで、それなのにこんなに心も体も軽いままだったのはじめてだった。人生が、幸福に向かっていて、これがあるひとつの到達点だったのかなと思うほど。8人乗りの白いフォード、眠っているうちに日焼けしないようカーテンが閉まっていたときの温もり。そんなことだってこれを読んでいるあなたが遠回しにプレゼントした愛だよ。私はばかだしきみが思うよりもずっとさみしい人間だったので、きみが思うよりもずっときみの存在がありがたいのです。



表にまだ出せないものをあれやこれやと作り続ける日々で、ポジティブなことだけを伝えたいわけでもないからそれはそれぞれだけれど、この写真集はまぎれもなく途方もない希望と感謝とわたしたちの人間としての愛くるしさを絶対に詰め込んでいて、そんなふうにものを作っていけること自体にずっと涙が出てしまうほどです。

今年とかきっともうすぐに終わってしまうね。マフラーくるまってその肌と毛糸の間にきみがいままで感じてきた愛情のぜんぶが少し混じっていますように。
寒いけどがんばろうね、そばにいようね。







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映画とお悩み相談のコラム、今月は芸術の秋に寄せて。
「アートはわからん」な人、「アートがわかる自分はいけてる!」な人、それからそんなことよりもっと純粋にものに向き合う人、そんな人たちの違いと、隙間を埋める愛と想像力のお話です。

わたしの両親も「わからん」側の人間で、それはさみしくもあるけど全部のものを見ていくにはあまりにも時間の足りない人生だから、わたしと全くみるものの観点が違う人たちが「そうだったかもしれない自分」のように思えてとても心強いと感じます。

今回も、飯田えりかさんが撮ってくださったすてきな写真が一緒です。小雨の降る新宿でくすくす笑いながら。いつもの自分に近い格好で、まったく飾らずに済みました。文章に興味無い方も写真ギャラリーだけでもぜひどうぞ。



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