みなさん、こんばんは。
連休は、幕張でやっていた某ライブに行ったのと、その足で実家に帰っていました。あんまりこういうところで話しませんが、家族はにぎやかな人たちです。私はよっぽど気が合う人でないと、一人でいる方が頭の回転が速くなるタイプなので、実家にいるときなんかはもうまったく頭が機能しなくなります。IQとか、2くらいになっていると思う。美味しいご飯が美味しいとか、ねこがふわふわして可愛いとか、そういうことだけを共有できる相手で、思想や感性の面ではまるで他の宇宙の人というくらい不可解で、おいしいとか可愛いとかもはやどんな人でも共有できるじゃん。とツッコミが入りそうなものですが、血が繋がっている家族です。ふつうに好きです。
いろいろと諦めてゴロゴロとしていたら、だんだんだめになる気がして、だけど一分一秒も無駄にしないで生きていたいと感じている方がちょっと異常なんだということもわかっていて、ああもう、東京に帰ったらもうずうっと本気でいよう。今は眠ろう。と結論を出してねこを撫でたりお団子を食べたりしていました。お団子といえば体型もちょっと気をつけなきゃ。食いしん坊だし食いしん坊のお友達も多いから永遠に失敗し続けてる減量も、いつまでたっても満足にできないってことは多分私はそこまで自分の体型や容姿に執着がないんだろうな。と今更気付いたりもします。いや、お仕事の内容的にもっと執着しなきゃだめなんだけど。誰か、私の食事量と運動量を管理しておくれ、と思うけれど、だいたい時間があるときはどこかをふらふらしているか映画や展示を見に行っているかカフェに入って文章を書いているかで、もう根っからの気分屋で好きなことにしか興味がないので結局難しいかなとも思います。でも、写真集があるのでさすがに、本気を出そう。と、夜食のキュウリをかじりながら。

ということで、おかげさまで、メンフィスで2冊目の写真集を撮影することが決まり、それに伴う写真展の開催も決まり、心地の良いプレッシャーの中思考を巡らせているところです。

メンフィスはブルースの街。昔、ブラックミュージックに興味を持った時に調べていて心に刻まれていたのが、「ブルースはどうしようもない悲しみを歌うために生まれた」というような一説でした。
音楽ってなんだろう、という論争に、まったくもって音楽のできない私は何も言う権利はないと思うのだけれど、ただのそのへんの、歩きながら音楽を聴くことを幸福だと思ういち人間としての音楽に対する気持ちは、ブルースの在り方を心の底から美しいと思う気持ちとまるで同じです。
私は追い詰められた時や打開策を探すとき、理論武装で立ち向かってしまうことが多く、そういうとき勝利の法則を導き出した頃にはかなりの確率で疲れ果てています。たぶん誰にも伝わらないし死ぬまで伝わらなくていい苦労です。
だけれど、やるせない気持ちや理不尽にさらされた時の悲しみ、嘆きの気持ちをほろりほろりと溶かして、現実逃避でないただの光の言葉としての「まあ、いいか。」まで運んでくれるのは、いつも音楽です。熱いコーヒーの中に角砂糖を落としたように。粒子になって無くなるように。

神様や、見えない大きなものの歌をみんなで揃って歌った時代から、自由のもとに産み落とされたひとりひとりが個人的な苦悩を歌う時代になった。それがブルースの誕生だと言われています。これも本で読みました。

私たちも、神様のお話じゃなくて、自分の話をしよう。と、思う時があります。
もっと言うと、肌の色や国籍や職業や性別の話じゃなくて、個人個人の話をしようよ。と。
女の子ってこうなんでしょ?日本人ってこうなんでしょ?AV女優ってこうなんでしょ?いろいろな質問の中、「そういう人もいるし、そうでない人もいます。」と答えるときの、そのくらいわかってよ。という気持ちは、もはやわがままではないと思う。だって私は総意にはなり得ないし、総意もわたしにはなり得ない。
君が私を不可解に思っても、それは別にいいし、こういうことです、わかりにくくてごめんね。と謝る癖も、そろそろやめようと思った。
なるべく嫌われたくないな。と願って気を使っても、信じられないような角度から命ごと全否定されるときもあるし、どんな気遣いにも目を通していない無責任なヘイトを浴びることもある。(こういうことを書いていつも思うのは、ぜんぜん、思っていたよりも平気だってこと。悲劇のヒロインになる暇がなさすぎるのと、守るべきものがちゃんとあるので。)それなら、なるべく私でいよう、と願う。いらない癖は捨てていこう。やましい未練も捨てていこう。誰かがいつか魔法を使ってお城に招待してくれるなんて、淡い妄想もとっくに消えて、それでも生きてきた身体に、私の心にだけ使える無敵の魔法を私自身が持っていると教えてもらった。「ごめんね」を繰り返してしぼんでいく愛情はもう見たくないし、いつも凛々しく次の一歩を歩む時の微笑みで、愛していると同じ意味の想いを渡せたらいいんだと思う。強く、強くなろう。

だれにでも一目で愛される才能がもし貰えるとしても、わたし天邪鬼だからつい「いらないよ」と答えてしまいそう。差別と貧困と嘆きの中で生まれたブルース。苦しんだ方が得だなんてひっくり返っても言えないくらい、そりゃ何不自由ない幸福な人生がよかったよ。と思ってしまうけれど、泥水をひとくちでも啜ったなら、もうそれをいつかほんとうの美しさの糧にするように生きるしかない。僕はブルース。今あなたと「まあ、いいか。」と言いたくて。
そうそう、そんな気持ちをすこし詰めたコラムが今週末アップされます。いつものKAI-YOUさんでのお悩み相談コラムです。ただの透明な涙で浄化してくれる美しい映画音楽と一緒に。

誰かの嘆きが形を変えて浄化される時、浄化されたことよりもその嘆きが生まれた瞬間のために祝福を送りたい。その瞬間を生きていたあなたまで、時を超えてありがとうと言いたい。


遠く、遠く、行きたいと願うなら、心の一番奥の方まで行ってみたい。そんな気持ちと一緒に、アメリカに行きます。
その第一回編集会議が今週末。ご参加のみなさん、どうぞよろしくお願いします。どんなまこりんが見たいとか、そういうのが素直に聞きたいです。どんな私でも見せたいよ。