縷縷夢兎の3回目の個展と、そこで行われたShe is さん主催のトークショー「She is Book Talk」に行ってきました。
個展のタイトルは「YOURS」。直訳で「あなたのもの」。

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前回の個展にも足を運んでいたけれど、それはこのお仕事を始めて間もない頃だったし、まだ縷縷夢兎を着たこともなかった。着る日がくるともまるで思っていなかった。当たり前だし、今も変わらずそう思っているけれど、私は裏方の人間の方が向いていて、この世界の主人公は自分の他にいるとどこかで思っている。味のある悪役とか、主人公の友達とか、そういうほうがぜんぜんいい。意味のある行いをし、それによって富や名声や手柄を特別得ることがない、という生き方が一番かっこいいという哲学が私の中にずっとあるので。

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とは言っても、二度身に纏ったあの黒い縷縷夢兎のドレスはわたしにとって永遠に剥がせない呪いの鎧になったと感じているし、個展会場で洗濯ばさみに挟まれて吊るされているそれを見ても、ああ、わたしのあの日がぶらさがっている。と刹那思えてしまうほど、「あれを着たこと」に固執している。
物語がある服だけが人をおかしくする。あの数え切れるはずのない無数の網目をくるったように編んでいく、その動作の歩数分、物語を背負った服が生まれていく。museとして掲げただれかの佇まいに意図して精神を依存して。そんなもの、だれかに異常なまでに肯定されたい、好きになってくれなくてもせめて認識されたい、居ないことにされるくらいなら困って欲しいし嫌って欲しい、なんて願いを燻らせていく思春期の女の子たちが、着たがらないはずがないわけで、「選ばれた人しか着ることができない」というイメージが膨らんでいったことも相まって、縷縷夢兎というハンドメイドニットブランドはある種宗教のように信仰されつつある存在になっていた。

今回はじめて個展に対して書かれたステートメントでは、その中や新しいグッズラインで
「no muse」=主人公不在の世界/物語の主人公さえも使い捨て・代替可能/最早「主人公であること」はリスクでしかない場合もある
などと様々な言い回しで「誰か一人が主人公であることを肯定しない世界線の展開」に縷縷夢兎が入ったことが示されていて、それに共感するとともに本当にかっこいいな、と思った。

だれもがそれぞれ世界の片隅のなんてことない要素のひとつで、それと同時にだれもが自身の人生の主人公で、この世界の中心だと、いつかどこかに書いたのだけれど、そういう私だから、今回の個展が縷縷夢兎に集合してきていた「絶対的存在への信仰」のようなものをふり落とそうとしたことに対して、とても素直に感動した。
インスタレーションの中には額縁のついた鏡もあって、そこには来た人が写っている。インターネットにあふれる「私も縷縷夢兎に選ばれたかった。」という少女たちの言葉と重なり、胸がいっぱいになった。
現実はおとぎ話じゃない。私は今、映画や漫画に嫉妬すらしないほど人生という物語を美味しく味わっている蜜月の途中にいるけれど、それでもくしゃくしゃになって涙にぬれた婚姻届がぶら下がっているのを見て、人生にあった痛々しいことから順にどんどん思い出した。王子と姫の出てくるあのおとぎ話からボロ布を着たまま吐き出されたあの日の私が、ここに住んでいたんだな、なんて、普通に思った。ああ、この空間は、選ばれた誰かのものじゃなくて、ここに来た名前も知らない誰かのものなんだな。ここに今、仕事を終えてぎりぎりやってきたばかりの私のものなんだな。
「muse」という言葉を掲げて憧れを追体験するべく作り込まれていた世界から、見つめた人を映して取り込む鏡のような呪いになったようで、たまらない気持ちになった。自身のコンプレックスを昇華していくスタイルのクリエイターさんが支持を集めていくと、どこかで変革点が現れる時がある。優しすぎる人ほど、見つめてくれた人たちの瞳に責任を持とうとする。やさしさによって形を変えていくことが一概に良いことだと言い切るにためには、総意というものの正しさを認められはしないのだけれど、「妄信的に憧れられ信仰される」という現状をちゃんと手放して生まれ直そうと試みたこの個展はもうマインドから潔く美しいものだったし、やっぱりやさしさによって形を変えていくことはそれ自体が美しいのだと思う。その対象が、「ひとりから少数へ」から「ひとりからみんなへ」というように変化するのではなく、どれだけ増えても「ひとり対ひとり」の繰り返しであるところが、また輪をかけてやさしく美しいのだと思う。

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トークショーの中でそれぞれ影響を受けた本といって佳苗さんが紹介されていた、「縷縷日記」という本から、縷縷夢兎というブランド名の由来がきているらしい。

「縷縷」という言葉には、「細切れに長く続いていく」といった意味や、「小さな宝石が散らばる様子」と例えられることがあるそう。

憧れを背負うほど、さまざまな言葉で語られていくけれど、私はこの「小さな宝石が散らばる様子」という意味がこのブランドの名前のどこかに込められていること、ほんとうにぴったりだと思った。それは、このお洋服たちが宝石を散りばめたような見た目をしているからというだけではなく、縷縷夢兎を見つけてそれぞれに憧れや劣等感を抱いて繰り返し点滅していく少女たちの心がこの世界に散らばっているような景色を、可視化してくれるブランド、ブランドを超えた現象そのものになっているからだと思う。
それがいい感情ばかりでなくても、チカチカと光ったり消えたりしながら、少女たちが通り過ぎていく。それはなんて意味のある無意味だろう。
いい名前だな、神様になりかけて、それから、信者以外の人たちこそが対話の相手だと改めて言う、そんな物語を背負うブランドなんて他にある?…ないよなあ、やっぱりそりゃあみんな好きだよ、盲信を解いたとして結局好きだよ、だって美しいもの。なんて、今日また改めて縷縷夢兎に恋した私も、情けなく、惚れた弱みをだだ漏れにしながら思うのだ。

佳苗さんはトークショーの中で、こう語る。
「通り過ぎて、いつか捨ててしまうトキメキであってもいいけれど、いつか戻ってくるノスタルジーでもありたい。」
縷縷夢兎が神聖な服だと思われがちな理由なんてこれだけでわかってしまう。
初恋の女の子が思い出の中でお洋服になったなら、こんな感じだろうな、って、思ってしまうものね。いつか捨てていく思い出だけど、またいつか苦しさが溶けて消えた頃に「好きだったな。」って頰を染める、そんな存在のことを、人はその人固有の誰にも秘密の神様にしちゃったりするものね。無敵だね。

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