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2016年12月13日

こんばんは。文科一類2年のフジワラです。
近頃はイベント告知マンとなって記事らしい記事を書くのを避けていたのですが、ブログの担当者からの指令でこの記事を書くに至りました、はい。笑
そんなわけで、今回は私の映画についての考え方を書きたいと思います。
かなりパーソナルな記事になるかと思いますが、息抜き程度に読んでもらえればと思います。

と、内容に移る前にこちらをよろしくお願いしますm(_ _)m↓
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ありがとうございました!

突然ですが、私は最近のハリウッド映画などでよく見られる、「絶望するほど街が破壊されて、数え切れないほどの民間人が犠牲になったけど、主人公とヒロインはなんとか生き延びたし、ついでにふたりの恋も成就したからハッピーエンド」というのがあまり好きではないんですよね。
また、例えば主人公やヒロインだけ敵の銃弾が当たらない、といった展開もあまり好きでないです。残念なことに現実の世界では誰であっても等しく不幸は降りかかってくるものですから。

ここまで私の趣味を書いてきましたが、結局映画の解釈は人それぞれで、観た人がどう思うか、観る人が映画に何を期待するかが大きく反映されるものだと思うのです。

「フィクションなんだからできる限りぶっ飛んだ展開を期待する」
「ベタだけど主人公が大活躍して、ヒロインを救い出し世界を救う、というまさに映画のような展開を期待する」
「とことんリアリティにこだわって欲しい」
どれも価値観として良いものだと私は思います。

私はどうせ映画はフィクションですから、先が読めるような展開ではなく、ありえないくらいリアリティにこだわりながら、観る人の予想や期待を裏切る展開を映画の中で作り出してもいいのでないかと思っています。
世の中は綺麗なことばかりではないから、せめてスクリーン内は幸せで満ちていて欲しい、という意見もあると思いますが、私はあえて現実の悲しさをそのまま(あるいはさらに誇張して)スクリーンの中に映し出してみるのもありなのではないかと思います。
だから、悪が最後に勝ってしまったり、主役に不幸が訪れたりする瞬間を見てみたいのです。

こんなことを書くと「単に人の不幸を見たいのでは?」「性格が歪んでいるのでは…?」なんて思われるかもしれません。
ですが、先に書きましたが映画は解釈によって自在に変化するものです。

「本当に悪役は絶対的な悪なのでしょうか?逆に絶対的な正義とは存在するのでしょうか?」
「映画の中の不幸は本当に単なる不幸なのでしょうか?」
「ハリウッド映画などに見られるハッピーエンドは本当にハッピーエンドなのでしょうか?」

後二者について少し触れると、映画で描かれる不幸から私たちは何も学ぶことはないのでしょうか?例えば、「ミスト」(2007年)では主人公に悲惨な結末が訪れますが、本当に作中での主人公の全ての行動は正しかったと言えるでしょうか?そこから学ぶことがあると思います。
また、ハリウッド映画的なハッピーエンドをハッピーエンドとして受け入れると(つまり、主人公さえ生きていれば良いと考えると)、暗黙のうちに命に優先順位をつけてしまうことになりませんか?本当にそれでいいのでしょうか?

多くの場合、映画の作り手は作品にメッセージを込めたり、これを描きたい、という熱意を持っているのです。観た人が作品について自分の価値観を押し付けあうのは作り手の意図に反することでしょう。後味の悪さで有名な「ファニーゲーム」(1997年)のミヒャエル・ハネケ監督は暴力が他人への冒涜であることを観る人に認識し直してもらうために、あえてあのような作品を撮ったと語っています。暴力がエンターテイメントとして描かれることが多い中で、彼はそういうことを伝えたかったのです。

長々と書いてきましたが、要は本当は人生映画のようにはいかないんだから、ただハッピーエンドばかり受け入れるのではなくバッドエンドとも向き合いましょう、というわけですね。(多少強引ですが笑)
不幸とは誰にでも訪れる(例え物語の主人公であっても)、誰もが自分の人生の主人公でありながら、本当は主人公なんて存在しない、という悲しい現実を忘れないために、不幸を描く映画は存在し続ける意味はあると思っています。

こんな後味の悪い映画作るなよ、と言いたくなるような作品は世の中に多く存在しますが(まとめ記事などで見つけられるかと思います)、価値観や解釈の多様性、作り手の意図、そこから汲み取れる教訓はあるものです。ですからこの記事を通じてそういった作品への拒否反応を少しでも無くしてもらえたら幸いです。

最後に1つご紹介を。
「パンズ・ラビリンス」(2006年)
近年だと「パシフィック・リム」(2013年)を監督したギレルモ・デル・トロ監督の作品です。
内戦後のスペインを生きる少女を描いたダーク・ファンタジーとなっています。
皆さんの目にはこの結末、どう映るでしょうか?
少女の立場になってぜひ考えてみてください。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
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2016年12月07日


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