2006年05月23日

「東大生」であるということ@ヒラノクニスケ

Kuni



ヒラノクニスケです。

皆さん東大内外のことについて的を得た記述をしていると思いますが、
僕が思っていることも書こうと思います。

高校の頃は、東大生をどこか神格化していたように思います。
高校の進路指導や予備校、といった場所でその意識が培養されていったのは否めませんが
ま、入ったら今までとは違っていいこと尽くめだろう☆
くらいに考えていました。

実際「東大生」になったことで窮屈な思いをすることもある、
と言う可能性はあまり考えませんでしたね。

いったいどんな場面で窮屈さを感じるの?と思う人もいるかもしれませんが。
例えば学外に出て、他の大学の人と一緒に何かやるときに顕著に感じます。
このあたりの事情は
「東大に入る」ということ「東大を出る」ということ
に詳しいのですが、自己紹介で東大というと
一瞬空気が変わったりするなんてのはいつものことです。

あと、僕が嫌なのは、何か言うと
「やっぱ東大は違うね〜」と一くくりにされたり
「東大なのにそんなことも出来ないの?」
「東大なのにそんなことするの?」というような発言です。

「東大」だからってなんでそんなにあなた達のイメージ(多くは偏見に依る)に
合致したことを言ったりやったりしなきゃいけないんですか?


この弊害は他の人たちも書いてくれていますが、
内部での「東大生らしくなさ志向」も見ててたまに痛々しいです。

また、何か周囲の人と違うことを言ったりやったりすると
「東大ではそうなの?」といわれることです。
例えば、僕が驚いた(というか呆れた)のは
とある一学年下の子に

「東大って上の学年の人には敬語を使うの?」というセリフ。

状況にも依るでしょうが、普通、一学年上の人には敬語で話す…
というのは礼儀だと思います。
その子は「同じ学生なら敬語使う必要ないんじゃない?」という認識で
たまたまお互いの認識が違っただけのことでしょうが
その「認識の違い(自分とは異質な要素)」を
「東大だから」という理由に持っていって片付けてしまう。という
安直な要素が見て取れます。

つまり、東大生であることの窮屈さ、というのは
 「自分らしさ」が「(世間一般から見た)東大生らしさ」に
同化、吸収されてしまって
結局自分個人としてはどうなのか?という面を出しにくい、
認めてもらいにくいのではないでしょうか?


なぜここまで「東大」という名前が一人歩きしてしまうのか…という理由は
上記の本にも書かれていますが
大学受験というものはもはや国民の大多数にとって身近な現象であることと
受験界(偏差値)において東大はどの学部(科類)でも
one of the best ではなくて
the best であり続けているからだと思われます。
例えば文学ならこの大学のこの学部…、社会学ならこの先生のいるこの大学、
という基準が学部入学レベルではあまり存在しなくて
「とにかく東大が一番!」となってしまいがちだからではないかな。
成績が良かったり、または「志」が高いと思われるような人は
自動的に盲目的に東大を目指してしまうような、
東大を目指すのが当然と思われてしまうようなシステム自体が問題だと思っています。

以前、知り合いの先輩が卒業前に残した言葉で

「東大生」として見られることの窮屈さ。でも
東大生らしさ∋自分らしさ  ではなくて
自分らしさ∈東大生らしさ  だ。
そう考えると「東大生であること」が断然楽しくなってきた。
(∈→元として含まれる)

というものがありました。
実は入学当初は何を言っているのかイマイチ実感が湧かなかったのですが
今になってみれば言い得て妙。という感じです。

ま、「自分らしさ」というものは
追求しすぎても終わりが見えて来ず深みにはまる、
という危険性も同時に持っているので、この辺にしておきたいと思います。笑

固有名詞を当てはめてみると
「東大生としてのヒラノクニスケ」ではなくて
「ヒラノクニスケとしてのヒラノクニスケ」をもっと見て欲しい!
ということですね。(自分の名前を入れるとなんか照れ臭い)

todai_guidance at 03:14│Comments(5)TrackBack(0)clip!東大についての誤解 

この記事へのコメント

1. Posted by けい   2006年05月26日 04:34
こんにちは。理系一年、西日本の山村出身、famaleの「けい」と申します。以後お見知りおきをよろしゅうにお願いします。「東大生の誤解」という題が気になり、立ち寄りました。上京し2ヶ月が経とうとしてますが、実家の近隣、渋谷でのバイト先等で、世間様のありがたい誤解に苦慮しております。また先日、超エリート高校の有名(?)教師が、あるところで、「東大生は、バランスがいい。ガリ勉はしない」とおっしゃってました。有り難い言葉です。しかし、率直に申し上げて
『やめてくれ〜\(◎o◎)/!』
『ありがた迷惑やわ、ほんま!!(`ε´)  』

うちの高校の同級生10数人おるけど、うちを含めて、みんなカワットル!!良く言えば個性的、超。(*δ,δ)σ
絶対、他の大学入った子の方がバランスとれとるモン。
また同じクラスの人たちも結構、変!ファッションもユニーク。
2. Posted by けい   2006年05月26日 04:56
=続き=操作中急に画面が変化し途中になってしまいました。m(_ _)m 
→しかも、サークルのコンパで3年生の先輩達が、
「俺センターで92パ−しか取れんかった」「俺も、俺も」
「俺なんか、8割2分でさ〜。ママの方があせちゃってさ〜」
それを聞いた私の方が「マジ(?_?)。まだセンタ−の思い出にひたれるん?」と、あせってしまいました。

他の皆さんは、やっぱり優秀だと思うのですが、私のように男に負けたくなくって、ガリ勉して入ってきた人も少なくないと思うのです。だからこそ、私のように学内より学外にいる時間の方が長い人が結構いるのだと思います。
3. Posted by けい   2006年05月26日 04:59
=続き=長くなってしまい上に入りきれませんでした。
→私見ですが、これから4年かけてバランスの良い大人になっていくのではないかと思っています。(先輩諸兄の皆様、生意気を言って申し訳ありませんm(_ _)m)
単に東大生ということで、褒めて頂ける事は、恵まれていることと思いますが、一般の方ならまだしも、教育者が、褒めてどないする?たまたま、試験上手(結構取れる自身があった)なだけやん。
他学の学生に限らず、既に就職した友人など、ホンマようできた人結構おった。私を含めて一年生なんて、これからちゃうんかな。
4. Posted by クニ   2006年05月26日 22:41
けいさんこんにちは。

確かに、「バランス」という観念からみると東大生は他大の学生に比べて「偏っている」人が多いかもしれませんね。高校までは勉強さえしていれば、という雰囲気がなかったわけではないと思いますが、大学に入ったら勉強だけしていればよい、というわけには行かないですものね。そういう意味で大学に入ってから「バランス感覚」は鍛えられていくのかもしれないですね。でも、受験の時も東大って科目数が多いですが、そこにおいてもバランスって大事なんじゃないかと思います。一科目だけひたすら勉強しても駄目なわけですから、常に全体を見ながら進めていかなければなりません。まあ、それは勉強という次元の中だけ見た場合なので、大学に入ってからも大事ですね。
けいさんも学内、学外で色々な経験を積んで素敵な大人になって下さいね☆
5. Posted by イノウエマドカ   2006年05月27日 00:26
>けいさん
次の東大ガイダンスに、よかったら参加しませんか笑
興味あったら委員会まで連絡ください☆

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