歩いて完乗 あの頃の都電41路線散策記

かつて都心を隈なく網羅した東京都電。その全41路線の軌跡を歩いて訪ね、完乗(?)を目指す記録のブログです。都電のルートをぶらぶらと歩きながら、私なりに気になる街の風景などもご紹介していきます。

2015年02月

系統番号30番 その4

水戸街道をさらに南下します。桜橋通りと交わる向島3丁目交差点まで来ると、【向島3丁目】です。電車開業当初はここが【向島須崎町】でしたが、昭和25年の延伸時に電停名が変更された件は、前回ご紹介の通りです。

かつて永井荷風が玉ノ井通いに使った浅草からのバスは、ここで桜橋通りへ折れ、墨堤通りへと向かったと思われますが、そのルートをたどって交差点から桜橋通りを右へ入ると、「見番通り」と名付けられた小さな通りに出ます。「見番」の名からもわかるように、このあたりが向島花街の中心地で、都電全盛期の頃までの隆盛こそ失われているものの、昔ながらの向島の伝統を守り続ける料亭が多く残り、今も夕方ともなれば、座敷へ向かう芸者衆の姿をごく日常的に見ることができます。いくつかあった見番を統合した向島墨堤組合は、見番通りに入ってすぐ右手のビルにその看板があり、「見番」の名も併記されています。

やがて言問通りとの大きな交差点に出ると、【言問橋】です。電車開業当初は、この間に【小梅町】がありましたが、戦時中に廃止されています。小梅とはいかにも向島らしい地名ですが、昭和39年の住居表示施行で消滅し、現在は小梅小学校の名などにその名残をとどめています。

交差点を右へ入ると、すぐに隅田川にかかる言問橋です。川端康成が『浅草紅団』(昭和5年)の中で「言問橋は直線の美しさなのだ。清州は女だ。言問は男だ」と評したほど、隅田川の名だたる橋の中では直線的フォルムが際立つ言問橋は、ゲルバー橋と呼ばれるトラス橋の一種で、震災復興橋として昭和3年に架けられました。フォルムもさることながら、「言問」の名も印象的ですが、これは在原業平の「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の歌に因むといわれます。業平のこの故事は白髭橋付近ともいわれ、果たして言問の名がこれに由来するものかどうか、諸説あるようです。

既にご紹介の通り、言問通りには昭和27年にトロリーバス101系統(今井~上野公園間)が開通し、30番の線路と交差していましたが、30番廃止より一年早い同43年に、廃止されました。

言問橋を渡り切ってから振り向くと、橋の真正面にスカイツリーがそびえ立ち、視界からはみ出るほどの大きさで天を衝いています。その足元を都電やトロリーバスが走っていたら・・・。ついつい妄想に浸りたくなるロケーションです。

*本文中の【 】は、電停名です。

30torori
昭和37年の路線図(朝日百科 歴史でめぐる鉄道全路線 付録)

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系統番号30番 その3

水戸街道を歩くと、間もなく東向島3丁目交差点付近が、【寺島町1丁目】です。こちらも昭和40年の住居表示施行後は、【東向島1丁目】と変わりました。

交差点から西へ延びる商店街が、地蔵坂通り商店街です。下町の向島地区にあって「坂」とは珍しいですが、商店街を抜けた先の墨堤通りへ上がる手前のところが、ほんの少しだけ坂になっています。江戸期の堤防修復工事の際にできた坂といわれ、墨堤通りに面した子育て地蔵から、地蔵坂の名があります。スカイツリーの完成を境に、街の様相が大きく変化してきた墨田区内ですが、商店街の趣は今も都電時代の懐かしい香りに溢れ、毎月「4」のつく日に行われる縁日など、昭和の情景がここには残されています。

さらに水戸街道を進みます。現在の水戸街道は、明治から大正期にかけての市区改正で整備された、いわゆる「改正道路」のひとつで、旧来の水戸街道が千住宿から東へ分かれたことを考えると、向島で水戸街道の名は本来はおかしいのですが、国道6号の愛称として、言問橋以北では水戸街道の名が使われています。

やがて東向島1丁目交差点に出ると、ここが【向島須崎町】となります。昭和6年の電車開業当初は、【向島須崎町】の電停名はひとつ先の【向島3丁目】にあり、こちらが【向島】でしたが、昭和25年の延伸開業の際に電停名が移されたことになります。向島須崎町は、墨堤の牛島神社の旧地としても知られましたが、この町名も昭和39年に消滅し、電停は【向島5丁目】と変わりました。

東向島1丁目交差点から西へ延びる、狭い通りに面した商店街が、鳩の街通り商店街です。昭和初期からの歴史を持つ商店街ですが、空襲を免れたこともあり、戦前の道幅のままで現存している点も注目に値します。特に、戦後の特飲街、赤線地帯の跡地としてその名をご存知の方も多いでしょう。玉ノ井を空襲で焼け出された私娼街の業者がこの辺りへ移ってきたことに始まるとされ、昭和33年の売春防止法成立で消滅するまでの間、特殊な賑わいをもった街が、鳩の街であり、その足として都電30番を利用した客たちも多かったことでしょう。赤線時代を象徴する鳩の街の名は、現在も商店街名として使われ、都電全盛期から時計の針が止まったままかと思うような昭和レトロな商店街の様子は、何度訪れても飽きることがありません。さすがに近年では少なくなりましたが、入り組んだ路地裏へ入り込むと、独特の意匠を凝らした赤線時代の建物の痕跡を、今も散見することができます。

*本文中の【 】は、電停名です。

mukoujima
墨田区全図 昭和31年

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