実のならない椰子の木

当ブログはアイカツマイキャラストーリーと日々の由無し言を呟くところです。

scene.4


目の前には夢に繋がる扉があって。

私の手を引く誰かがいて。

"彼女"が言うのだ。


ーーー素直になればいいじゃん。


言われなくても分かってる、けど。

誰かのその言葉を、ずっと待っていたのかもしれない。

「私はーーー」



時刻は数十分ほど前にさかのぼる。


年度始めの行事が終わった私を待ち受けていたのは、退屈な休日の始まりだった。というのも、部活動に所属していなかった私は、プリパラを辞めてしまってできた空白を未だにろくに埋めることができないでいたからで。やることといえば、極端な話をすると食う、寝るくらいのものだった。後は学校から出された宿題をやったり、たまに家族でどっかに行ったり。

そしてその日、特に予定のなかった私は、目覚まし時計のアラームをつけず、心ゆくまでお布団と仲良くしてやろうと企てていたのだった。


「うぅ...............

呻きにも似た声をもらしながら目を覚ます。レースのカーテンの隙間から射し込む陽光、チュンチュンとさえずる鳥の鳴き声、抜けるような青空......一遍の曇りもないくらい爽やかな朝。

......のはずなのに、何故だろうか、今の私の気分は一言で表すなら「不快」だった。夢の内容は覚えていないけれど、きっと相当に気持ち悪いものであったに違いない。

このまま起きても消化不良な一日になりそうだったので、二度寝する前にとりあえず今が何時なのか確認しようーーーそう思って身体を起こそうとした時だった。

......ん?」

胸の辺りを、締め付けるような違和感。金縛りのようなその違和感は、逃れようとすればするほどベッドから身動きをとれなくする。

まるでそれは、おもちゃの藪蛇のように。

「はぁ......

それは、いつものことだった。

慣れた感触。慣れたくもなかった感触。いい加減忘れたい感触。

世間一般的にそれがどうなのかは知らないけれど。

少なくとも、私は、


「木実ぃ............ぐふふ」


大きく息を吸い込んで、"その馬鹿"の耳元に向かって、


「ナツメェエエエエエエエエエエエエ!!!!


ニヤニヤ笑いながら涎を垂らしていた夏梅の身体がビクッと強ばり、次の瞬間にはバネ仕掛けみたいにベッドから飛び退る。

「な、何だ何だ!? 直下型か!? 宇宙人か!? ハルマゲドンか!? だ、だが安心しろ! 木実にはお兄ちゃんがついてるからな! 他の誰でもなくこの夏梅お兄ちゃんが」

「他の誰でもなく夏梅がついているのが一番安心できないから!」

「そんなひどぶぉっ」

ちょうど手元にあった枕を夏梅の顔面目がけて投げつける。

「だいたい夏梅が勝手に部屋に上がり込んでるのがいけないんでしょ!」

......この枕、いい匂いが」

「ちょ、こら嗅ぐな!!!!!」

すぐさま夏梅から枕を奪還する。夏梅の顔が触れた場所を確認すると......何かちょっと湿っている。

「ナァ~ツゥ~メェ~!」

「俺は悪くない。お前がいい匂いしてるのが悪いんだ」

「いっそ清々しさすらある言い訳ね.........

「すまん、すまんかったからその硬そうな何かを構えるポーズはやめようぜ。枕は後でちゃんと洗っておきます、ハイ」

「よろしい。で、結局なんの用事? せっかくの休日の朝に」

とりあえず硬そうな何かしらを仕舞う。まずは理由を聞かないことにはどうにもならないのだ。

「ん? 俺は何の用事で木実の部屋に来たんだ?」

「いや......私が訊いてるんだけど」

「あ、そうか。そうだな。うーん、何だろうな!」

.........はぁ」



硬そうな何かで殴打した夏梅を放置して、そのままリビングに向かう。すると、加賀李兄ぃが座ってプリパラTVを観ていた。


『ーーーそして今日、プリパラで大規模なアップデートが行われまーす! いったい何が起こるのか...... 起きてしまうのか!』


......ふーん)

最近、加賀李兄ぃがプリパラに妙に詳しいのはこうやってマメにプリパラTVをチェックしているからなのだろう...... 下手すりゃ現役の頃の私よりも詳しくなってるかもしれない。

「おはようお兄ぃ」

「あ、木実。夏梅から話は聞いた?」

「夏梅? あぁ~、いや」

一応、夏梅は用事があって来たということは確かだったらしい。でも、加賀李兄ぃからの言伝を忘れた罪は大きい。

「困ったヤツだな......えっと、実は」

「いいよ。まかせて」

「まだ何も言ってないよ......

「加賀李兄ぃからの頼み事だもん。何でもするよ」

自信いっぱいにそう答えると、加賀李兄ぃは控えめに笑う。決して苦笑いではない。決して。

「じゃあ夏梅ともっと仲よ」


「それで何の用?」


......ははは。うん。それがね、卵を切らしちゃって、ちょうど今日は商店街で朝のタイムセールがやってるから」

「何だそういうこと、お安い御用だよ。ついでに他に買ってくるものとかある?」

「あ、そうそう。ちょうど買うモノリストを作ってたところでね」

加賀李兄ぃから受け取ったメモに目を通す。そこには大根だとかジャガイモだとか牛乳だとか、ちょっと重そうなものがずらりと書き並べられていた。

「まさかこれ1人で?」

「そんな訳ないって。もちろん一緒についていくよ」

「ホント!?」

「うん、だから準備して待ってて」

「わかった!」

頷くやいなや、急いで洗面所で顔を洗って髪を整えると部屋に戻って身支度を始める。灰色の休日になると悲観していたけれど、天は私を見放してはいなかったのだ。

「お兄ぃとおっでかけ~」

小躍りしそうになる気持ちを抑えつけて、姿見とにらめっこする。ワードローブ・ロッカーからあーでもないこーでもないと洋服を取り出したり戻したりして、納得いくまでコーディネートを繰り返す。

「あぁ~! わくわくする~~~......あれ?」

ふと、手が止まる。


何だろう、この感じ。

すごく、懐かしくて。


姿見の中から、キラキラした目で私を見つめる女の子は一体、誰だろう。


「私.........

『木実ぃ~!』

一階からお兄ぃが呼ぶ声ではっとする。

時計を見ると、既に20分余り経過していた。流石に時間を掛けすぎたようだ。

「ごめ~ん! 今行く~!」

最後にもう一度姿見で寝癖がついてないかチェックして、部屋を飛び出す。


その日の始まりは、ちょっとだけラッキーだった。



そんなことはないのであった。

「いやー、見事な青空だな!」

......あのさ、何で夏梅がいるの?」

「ん? 来いと言われたからだぞ」

「加賀李兄ぃ~!」

何となく、何となくだけれどそんな予感がしていた。こんな上手く行くわけないって。絶対に裏があるんだって。でも信じてみたっていいじゃない。信じて.........

「うぅ......信じてたのにぃ.........

「あっ、おい加賀李テメェ! 何だか知らんが木実に謝れ!」

「失礼だなぁ、だいたい僕は騙してなんかないよ。一緒に行くとは行ったけど、僕だけとは言ってない」

「でもお兄ぃ、私が夏梅のこと嫌いなの知ってるでしょ!?」

「もちろん、だからこそだよ。いつまでもこのままってワケにもいかないのは、木実だってわかってるよね」

ずい、となるべく夏梅に聞こえないようにと顔を近づけて小声で話す。

「そ、それは、そうだけど......だからって!」

.........何でも言う事、聞いてくれるんじゃなかったっけ?」

耳元で、加賀李兄ぃの声がゾッとするほど響く。背筋を熱い何かが駆け抜けて行くような感じがした。

.........も、もう。加賀李兄ぃってそういうトコ、意地が悪いよね」

「あははっ、そうかな?」

「自覚がないのってトコもますます質悪いよ。まったく」

「けど、そうだなぁ。木実って何だか無性にいじめたくなるってのはあるかなぁ」

「いじ......!? もう、知らない!!」

「あぁっ、ご、ごめん木実! 別に変な意味じゃ」

「変じゃない意味って何があるのよ!」

「それは、えっと、う~ん.........や、やっぱりいいや」

「気になるから最後まで言ってよそこは!」

「痛い痛い痛い! ごめん!ごめんってば!」

その後も私と加賀李兄ぃの遣り取りは続き、最終的に買い物が終わるまで続いたのだった。

まぁ、それはそれで楽しかった、けれども。

加賀李兄ぃの言葉がその後も悶々と私の胸の奥底にわだかまっていた。


「おーい、俺のこと、忘れんなよー」



買い物を終えた帰り道。

ニコニコ笑顔の加賀李兄ぃを横目に、ぼんやりと今日の予定を考えながら空を眺めていた。綿雲がぷかぷか青空を漂う様を見ていると、私の意識も綿雲に乗せて一緒にそのままどこかに連れ去っていってくれそうで、何だか好きだ。

プリパラをやめてから、ますますこんな時間が増えている気がする。とりとめのないことばかりが頭の中を行ったり来たりして、何か考えてないと、ダメなのかもしれない。

明日はどんな服を着よう、とか。最近はそればっかりで。クセなんだ、たぶん。


そうやって、何もかも捨てたわけじゃないって、信じ込むしかないんだ。


「ま、待ってくれよ2人とも~......

後ろから夏梅の情けない声が聞こえてくる。というのも、公正なじゃんけんの結果、夏梅は見事に荷物係に任命されたからである。私が提げる朝食用のパンが入った袋を除いて、夏梅が全ての荷物を引き受けている。

ちなみに加賀李兄ぃは手ぶらなので、機嫌よく鼻歌なんか歌ったりしている。ちょっと可愛い。

「頑張れよ~、夏梅!」

「手ぶらのアニキに言われると腹立つな!」

「加賀李兄ぃが応援してくれてるんだから泣いて喜びなさいよ!」

「それは木実だけだから.........ん?」

「何よ」

「いや、そこ。何か、見たことあるようなの落ちてるからよ」

両手がふさがってるのでアゴをくいくいと動かして何かの場所を教えようとする夏梅。けれど指し示した道端には、"見たことあるような" ものなんて見当たらない。

強いて言うなら......

「ゴミなら落ちてるけど......

「だからそのゴミみたいなのだって。ちょっとそれ拾ってみてくれないか」

「はぁ......?」

バカだバカだとは思っていたけれど、まさか妹に向かってゴミを拾えなどと言い出すとは。これはそろそろ縁を切ることも視野に入れなければなるまい。

「こらこら夏梅、いくらなんでも女の子にそんなことさせちゃダメだよ。えっと......

すかさず加賀李兄ぃが横から入り込んで、ゴミのような何かを拾い上げる。よく見ると手提げのバッグのようで、中に何かモノが入っているようだった。

「う~ん、何だろう......Candy』?」

「『Candy Alamode』じゃないかな」

「あぁ、プリパラのコーデブランド」

霞んでほとんど見えないけれど、たぶんそうだ。プリパラの代表的ポップ系ブランドの1つで、その名の通りカラフルなキャンディを思わせる元気いっぱいで遊び心のあるデザインが売りだ。

で、そのロゴが印刷されているということは。

「これ、プリチケバッグだね」

「そうそうそれだ! よく木実のヤツ目にしてたからな。あれは色違ったけど」

「私は『Twinkle Ribbon』だったから」

とにかく、プリチケバッグが落ちていた。これは一大事だ。プリチケはプリパラアイドルにとって命と同じくらい大切なもの。それを失くしたとあっては、さぞ絶望に打ちひしがれていることだろう。

こうしてはいられない。

「私、プリパラに届けてくる」

「あっ、ちょっと!」

呼び止める声を今ばかりは無視して駆け出す。こうしている間にも、失くしたと知った女の子が泣いているかもしれない......そう考えるといてもたってもいられなかった。

こんなにボロボロになるまでバッグを使ってるような子だ......計り知れないほどの悲しみに沈んでいるはずだ。今更になって、ゴミだなんて思った自分が恥ずかしくなる。

汚れたプリチケバッグをギュッと胸に抱き寄せる。そうすることで顔も知らない誰かに安心して欲しかったのか、それとも。


ーーーコノミ、待ってるね、私。


「待ってて........!」



「木実、行っちゃったね.........朝食のパン持って」

「何やってんだアニキはよ追えよ!!!」

「だね、ぼちぼち追うとしようか~」

「のんびりしすぎだろ...... もしまた木実がプリパラにでも入ったらーーー」



(あ、そういやパン......)

走り出してしばらくして、右腕に提げた袋に気付く。とはいえ、引き返すにしてはだいぶ距離も開いてしまった。

(ごめん、加賀李兄ぃ......あと、夏梅も)

流石に後先考えなさすぎたかもしれない。第一、プリパラに行ったとして持ち主に必ず会えるというわけでもない。めが姉ぇに預ければいいだけなのかもしれないけれど、ここまでしてしまった以上、持ち主を見つけないことにはモヤモヤして今夜は眠れそうにない。

(何やってんだろ、私.........

こんなに感情的になったのは久しぶりかもしれない。今日は何だか、ヘンな日だ。

念のため、道すがらで何か探し物をしていそうな女の子がいないかだけを確認しながら通りを行く。すると、途中で小さな交番が目に入る。

もしかしたら、万が一のこともある......そう思い、こっそりと交番の中を覗いてみる。

けれど、そこにはお巡りさんどころか、誰もいないもぬけの殻だった。

「そんな上手くはいかないよね......

諦めて交番を出ようとするーーーその時、どんっ、と後ろにいた何かにぶつかってしまう。

「どうしたのお嬢ちゃん?」

振り返ってみると、そこにいたのは(おそらく)この交番のお巡りさんだった。痩身で、黒縁メガネをかけた優しげな人だ。

「い、いえ、何でもないです! そ、それでは」

「ん? ちょっと待って」

「え?」

立ち去ろうとすると、ガシッと腕を掴まれて引き止められる。私、何か怪しい動きをしているように見えたのだろうか......

「な、何でしょう?」

「いやね、お嬢ちゃんの持ってるそのプリチケバッグなんだけど」

「このプリチケバッグの持ち主をご存知なんですか!?」

「おわっ!」

思わぬ質問に、反射的にお巡りさんに詰め寄る。

......う、うん。ちょうど今朝までここの交番にいたんだよ」

「それで、どこに行ったんですか?」

「プリパラだと思うよ。すごく急いでる様子だったから、もうとっくに着いてるんじゃないかな」

「ありがとうございます!」

聞くやいなや、踵を返して交番から飛び出す。お巡りさんの「気を付けるんだよ~!」と叫ぶ声が、とても遠く感じられた。


まだ諦めちゃダメだ。

良いことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもないんだから。



そしてようやく私は、プリズムストーンの前まで辿り着いた。......のはいいのだけれど。

「えっと......あ、そういやプリチケ確認してなかった!」

辿り着いたことに安心して、プリチケの持ち主の名前を確認することをすっかり忘れていた。他人のプリチケなので、万が一にでも傷が付かないように、慎重に取り出す。

名前は......

......イッキュー?」

おかしな名前だ。イッキューって、あの「一休」だろうか。こんなの2人といないだろうから間違えることはないだろうけど、あまり大声上げて探したくない名前だ。

でかかりといえば後は容姿くらいのものだけれど......

「プリパラでの姿といつもイコールとは限らないからなぁ......

プリパラは、プリチケが届いた女の子(ごく稀にだけれど男の子にも届く、らしい。噂話程度にすぎないけれど)だけがプリズムストーンにあるゲートをくぐることで行くことができる夢のテーマパークだ。そして、中にはゲートをくぐりプリパラに入ることで姿が変化する子もいる。意図的に変えている子も加えると、それなりの人数、プリパラと現実の姿が違うことになる。

となると、探すにしても姿がはっきりしているプリパラ内の方がどう考えても確実だ。

確実、なんだけれど......

......とりあえず、プリパラにいるかどうかだけめが姉ぇに訊いてみよう」

外にいるせよ中にいるにせよ、めが姉ぇなら何か知っている、はずだ。

(プリパラ、かぁ......

あれから3ヶ月。

もう訪れることもないだろうと思っていた。

あんなことがあったのに、まるで何もなかったみたいで。


けれど、まだ何にも終わっちゃいない。



「イッキューちゃんなら、ついさっき入園したわよ!」

訊ねると、めが姉ぇはいつになく上機嫌に答えてくれた。

「そうですか、ありがとうございます」

ともかく、イッキューちゃんがプリパラ内にいることはわかった。でもそこからが問題だ。

私には今、手持ちのプリチケがないのだ。当然、プリチケなしにはプリパラに入ることができない。他人のプリチケでも入れるといえば入れるけれど、知り合ってもいない相手のものを使うのは流石に気が引ける。

それに.........

(あのプリチケはもう、使わないって決めたんだから)

つまり残る手段はもう、めが姉ぇに預けるくらいしかない。それがきっと確実で、間違いがない。

でも、それじゃやっぱりモヤモヤするんだろう。

(となると、できればやりたくなかったけど......新しくプリチケを作ってもらうしかないのか)

親と、あと夏梅にバレると面倒くさいけれど、背に腹は変えられない。

「あの、すいません」

「どうしたの?」

「じ、実はプリチケを失くしてしまって。新しく作りたいんですけどーーー名前も姿も、全く違うもので」

「全く違うもの?」

「はい」

流石に声まではどうにもならないかもしれないけれど、歌わなければいいだけだの話だ。名前と姿が違えば、仮にプリチケを見られても誰のものなのかなんてわかるまい。

それに、どうせ今日限りの急ごしらえ。名前も適当なモノで構わないだろう。

私の名前は『八篠木実』だから......

「えっと、名前は『やしのき』で」

「へぇ~、かわいらしい名前ね!」

どこがやねん、と心の中で思わずツッコんでしまう。めが姉ぇの感性は独特だ。

「髪型はどうするの?」

「うーん、めが姉ぇのおまかせで」

「じゃあ......そうね、ちょっと長めで。ウェーブをかけて...... うん、いいカンジね。ぴったりなブランドは、Twinkle Ribbonかしら」

縁があるのか、めが姉ぇの目が確かなのか、ブランドだけは変わらないようだ。着慣れてるからいいけれど、他のも着てみたかったのでちょっと残念だ。

「準備オッケーよ。行ってらっしゃい」

出来上がったプリチケをめが姉ぇから受け取る。ここまでは順調。

後は、イッキューちゃんを見つけてバッグを届ければいいだけだ。とはいえ、簡単に見つかれば苦労はしない。プリパラはそれなりに広いから、一日中探しても見つかるとは限らないだろう。

でも、やるしかない。

「ありがとう、めが姉ぇ」

「えぇ! お友達、見つかるといいわね!」

「は、はい!」

そして私は、再びプリパラへと、足を踏み込んだ。



結論を述べると、私の心配は杞憂に終わった。何故なら......


「ちょっとぴょんマネ! あんたあたしのバッグ食べたっしょ!!!!」

......!」(ぶんぶん首を横に振りながら)


もう一度、"イッキューちゃん"のプリチケを確認して、目の前にいる彼女と見比べてみる。

「やっぱりあの子、だよね...?」

橙色のくしゅふわツインに、焼けた褐色の肌。気の強そうなツリ目が印象的なギャル風の女の子。

探せば同じような容姿の子はいるかもしれないけれど、彼女と緑のウサギマネージャーの会話を聞く限り、どうやらプリチケバッグを探しているようだからたぶん彼女だろう。

「う~ん......どうしよう」

やっとのことで見つけたバッグの持ち主を前にして、しかし私は物陰から動けずにいた。


「ほらほら吐きなさいよ吐き出しなさいよ!!! このっ!!! このっ!!!」(壁に押さえつけたウサギの口に手を突っ込みながら)

「ガボッ!? ガボボボボボボボボボボ」(目を白黒させながら)


.........

これ、直接わたしたら絶対に厄介なヤツだ。直感が私に告げていた。コイツやべぇよ、と。

(ざ、残念だけど。バッグはめが姉ぇに預けよう。うん、そうしよう。私は何も見なかった。イッキューちゃんも見つからなかった。似合わない真似はするもんじゃない、ってことだ。よし、大人しく帰って朝ごはんにしよう、お腹空いたし)

無理やり納得してひとり頷くと、すぐに回れ右をしてゲートへと引き返「ちょっとそこのあなた!」そうとしたけれどそうは問屋が卸さないのだった!!!

「ご、ごめんなさーーーい!!!」

「ちょっと待って、何を謝って」(木実の肩を掴みながら)

「ぎゃーーーーー!!!」

「ぎゃーーーーー!?」

「わ、わわわ私たべてないからー!!!」

「ナニナニナニナニどゆこと!?」

ついとっさのことで自分でもワケがわからなくなってしまう。とにかく命が危ない! そのことで頭がいっぱいだった。

「あ、それあたしのプリチケバッグ!?」

「えと、ああああのこここれはあのあの」

「ありがとー! もしかして届けてくれたのー? やばーい テンあげ↑↑↑ うれピーナッツ~

「テン......ピ、ピーナ......???」

「そだ! さりげあたし一緒にライブするコ探してたんだけどぉ、これがゲッティンするコがナッシンでさぁ...... よかったらあたしとやんない? ライブ」

ラ、ライブ? ライブとはなんぞや(錯乱状態)。でもそれをすれば助かるというのなら、やるしかない。

「もちろん!」

「マヂ!? やったぁ! そうと決まればエントリーエントリー♪ ぴょんマネ、OKっしょ?」

......!」(ぶんぶんと首を縦に振りながら)

「だよねー! んじゃ行こっか、えーっとあなた......

「わ、私、やしのきって」

「やしのきちゃん! ヘンな名前! でも気に入っちゃったカモ!

ぐいぐいと、か細い腕からは想像もつかないくらい強い力でなす術もなく引っ張られるがままになってしまう。

「あたしはイッキュー! って、ヘンな名前なのはあたしもおんなじだね~!」

「あはは......

とりあえず、彼女はイッキューちゃんで間違いはないらしい。喜んでいいのやら、どうなのやら。

「やしのきちゃん、ライブは初めて?」

「えっと、まぁ、そんなトコかな......

「そっかぁ。でもダイジョブだよ! ここは、プリパラは、みーんなアイドルなんだから!」

そうこうしている内に、私たちはいつの間にかライブ会場まで到着していた。

「めが姉ぇ、ライブ今からエントリーできるかなぁ?」

「はい、できますよ。おふたりですか?」

「もち!」

そうか。私、今から久しぶりにライブを.........ライブ?

ライブってもしかして、あのライブ?

「ちょっと待って!」

直前になって冷静になったお陰で、今まさに自分が置かれている状況をやっと理解する。

「どしたの?」

「や、やっぱりライブは......

「なんで?」

「それは......

言葉に詰まる。詰まってしまう。

それはイッキューちゃんの質問があまりに真っ直ぐだったから。

だから、私は真っ直ぐイッキューちゃんのことが見れなくなってしまう。

「ライブ、したくないから......

「ホント? そんな風には感じなかったけどなぁ」

「感じなかった?」

「あたしね、わかるんだ。その子がホントに『ライブしたいかしたくないか』って」

この子は何を言っているんだろう。

嘘をつくにしたって、もうちょっと上手い嘘があるはずだ。説得するにしたって、もうちょっとやり方があるはずだ。

それなのに、なんで。

「あなたを見た時、キラキラーッて見えたの。あんなのが見える子が、ライブしたくないなんて、嘘だよ」

「そんなデタラメ......だいたい、なんで私なの?」

「理由なんて必要ないの!」

「メチャクチャだよ、私には理由きいたくせに」

「あたし!」

イッキューちゃんは、急に私の両手をギュッと握りしめて、


「あなたとその理由を探したいの!」


イッキューちゃんの言葉が、真っ直ぐに私の胸に飛び込んでくる。

ほんの一瞬、世界がキラキラと輝いた、気がした。きっと、気がしただけだ。

けど、何だろう。今のは。

「ワガママだってわかってる。けど、あなたみたいな人はじめてなの! お願い、あたしとライブして! してください!!!」

「うっ......

これ以上ほうっていたら土下座でも始めるのではないだろうかってくらいの勢いで頭を下げるイッキューちゃんに思わず気圧される。

なんか、意地になってる私がバカみたいだ。

「じゃあ..........だけなら」

「え?」

「今日だけなら! ライブ、してもいいよ」

「ホントに!?」

顔を上げたイッキューちゃんの瞳が満天の夜空みたいに輝く。なんだか、おもちゃをプレゼントされた幼い子どものようだった。

悪い子ではないみたいだし......大丈夫だろう。一回くらい。

「うん。でもホントに、今日だけだからね。もうこれ以上ライブするつもりは」

「どーしよどーしよ! コーデは? 曲は? チーム名はどーしょっか!?」

「って聞いてる!? 今日だけだからね! チーム名とかいいからね!?」

「かしこかしこ~

前言撤回。この子、やっぱりヤバい子だ。ライブが終わったらバレないようにさっさとバックれてしまおう。


ーーーコノミ、待ってるね、私。


......良いことばかりじゃないけど、悪いことばかりじゃない。

バッグの持ち主、イッキューちゃんが見つかったんだし、悪くはないんじゃないだろうか。ライブすることにはなっちゃったけど、まぁ、込みで考えるとプラマイゼロ? なんて、自分でもどんな計算かよくわかんないけど。

今日だけは、許してくれるよね。

.........ん?)

ふいに、妙な視線を感じて振り向く。

するとそこには、イッキューちゃんが『ぴょんマネ』と呼んでいた緑のウサギマネージャーがいた。ジッと、無言でこちらを見つめている。

(まぁ、仕方ないか)

別にこのマネージャーに限った話じゃない。


3ヶ月前から、全てのマネージャーは口を利くことができなくなってしまったのだから。


(ウサギさんまだ見てる......何か伝えたいのかな?)

しばらくじっとウサギさんとにらめっこしていると、エントリーの手続きが終わったようで、イッキューちゃんが手招きしていた。

「やしのきちゃん! ライブ、始まるよ!」

「曲はどうするの!?」

ステージゲートに走り出すイッキューちゃんに慌てて訊ねる。するとイッキューちゃんは猫みたいに笑うと、ビシッ! っと私を指さして高らかに宣言した。


「『Everybody's Gonna Be Happy』!」



プリパラTVを見上げるリボン型の噴水。その付近のベンチに座る2人組。

片や腰まで伸ばした長い黒髪、片や小柄の、カナリアイエローが目を引くセミロング。

通り行く人が、彼女らをチラチラと様子を伺っている......それもそのはず、彼女らは今のプリパラで最も名の通った2 人組ユニットなのだから。


......ええ匂いがするなぁ」

「姉者、それはもしや」

「ふふっ......ようやく揃ったみたいや。あちきらもそろそろ、重い腰あげなかんようやなぁ!」


黒髪の少女の後を追うように、もう一人の小柄な少女が歩き出す。



暗い、モニターの光だけがぼうっと浮かび上がるどこかの一室。

モニターには、ステージに立つ「やしのき」と「イッキュー」が映っている。


「新しい門出に相応しいライブね。そう思わない?」

『全く、お茶目な神様もいたもんだ。いや、プリパラだから、『女神』と言うべきかな? 何にせよ、これ以上ないってくらい、出来すぎた運命だよ......


姿の見えない"暗闇"が、嘲るような調子で応える。



久々のライブ、のはずだった。はずなのに。


ーーーなんだろう、この感じ......


見えない五線譜が、私の音を導く。旋律から伸びた見えない糸が、私の身体を導く。不思議な感覚だった。

私が、私じゃないみたいだ。


イッキューちゃんの音と私の音が重なり合って、メロディーが会場に満ちていく。全てが一つになって、キラキラと光り輝いている。

これは、もしかして。


ーーープリズムボイス?


こんなに気持ちいいライブは初めてだった。

歌い終わりたくない、そんな気持ちでいっぱいだった。

けれど、終わらない歌などあるわけもなく。

ランウェイを歩き終えた先で、<メイキングドラマ>が起動する。

メイキングドラマなんて、何も考えてなかった。でも、イッキューちゃんの顔を見たら、自然と目の前に景色が広がってくる。



「素直になればいいじゃん?」


目の前には夢に繋がる扉があって。

私の手を引くイッキューちゃんがいて。

私は、もう片方の手のひらに、壊れた懐中時計を握りしめていて。


「大丈夫! あたしと一緒に、行こ?」

「私は......


その続きが、出てこなくて。

握った手を握り返す勇気もなくて。

その癖、扉の先に何があるのか、知りたくてたまらない。


「だったらそれで十分!」

「えっ?」


ぐいっと、扉の前まで引き寄せられる。

まばゆい光が、私たちを包み込む。


「さぁ、夢のステージへ!」


扉を抜けた先には、どこまでも天高く伸びる階段があって。

私たちは、その最初の一段へと、足をかける。


かけあがれ! 夢への階段! 前人未到のアイドルロード!



ライブが終わると、歓声に包まれながら、私はしばらくぼーっと突っ立っていた。

「やしのきちゃーーーん!!」

「おわわっ!?」

飛びついてきたイッキューちゃんをすんでのところで支えきる。顔に当たるツインテールがくすぐったい。

「お、重いしくすぐったいから、い、一旦はなれて!」

「アハハー! ごめんごめん、つい嬉しくてー! あーあ、残念~ ......これきりだなんて。でも、約束は約束だかんね。ありがと、楽しかったよ!」

.........うん、約束」


イッキューちゃんは、笑顔でそう言うけれど。何だか、ちょっと寂しそうで。

胸に、チリチリと焦げ付くような痛み。

(罪悪感......?)

いや、違う。

こんなのはただの言い訳だ。

本当は、本当に寂しいのは。


「んじゃ、また会えたらお話くらいしよ? ライブしたよしみってことで」

「あ、あのさ! 実は!」

意を決して、イッキューちゃんに胸のうちを伝えようとしたーーーーその時だった。



『プリパラパンポーン! これよりプリパラはアップデートを開始しまーす! システムでーす!』


めが姉ぇの底抜けに明るいアナウンスが響き渡る。

そして私たちはその直後、ライブ会場外のプリパラタウンに強制移転させられていた。

「ど、どうなってるの!?」

「あれ? やしのきちゃん知らないの? 今日、プリパラで何かが起こる~って、プリパラ TVでやってたじゃん」

「プリパラTV.........あっ、そういえば!」

家を出る前、加賀李兄ぃがリビングで見ていたプリパラTVで、確かそんなことを言っていたような...... もう自分には関係ないと思ってすっかり忘れてしまっていた。

「あれはこのことだったのか......

「あれ~? でも何にも起こってなんか......って、あーーーーーーーー!?」

隣でいぶかしげにしていたイッキューちゃんが突然どこかを指さしながら叫び出す。びっくりして私も、イッキューちゃんが指さす方向を確認した。


最初は何が起こっているのかよくわからなかった。

けどずっと見ている内に、動いてはいけないものが動いていることに気が付いた。

目を疑った。


「ドリームシアターが、浮いてる......!?」


それが一体何を意味するのか、わからないけれど。

とんでもないことが始まろうとしている、それだけはわかった。


stage.2に続く

scene.3


帰宅して居間に入ると、奥から香ばしい匂いが漂ってきた。

「ただいま~」

「おかえりなさい、木実」

台所から顔を出したのは、一番上の兄・加賀李(かがり)だった。エプロン姿が今日もイマイチ似合っているのか似合ってないのかよくわからない。

「夏梅(なつめ)は?」

「部活だって。と言っても今日はお父さんたちよりは早く帰ってくるらしいよ」

「ふーん、そっか」

通学鞄をソファに置いて、自分も一緒にもたれかかる。ふぅ~、と長い息が漏れた。

私には2人兄がいる。上の兄が、いま料理をしているハーフフレームの眼鏡をかけた長身で頭がよくて優しくて頼りがいのある加賀李兄ぃ。そして、下の兄が(加賀李兄ぃに比べて)チビで(加賀李兄ぃに比べて)バカで短気で無神経な夏梅って人だ。兄と呼ぶのもおぞましい。

「木実、いい加減に夏梅のこと呼び捨てにするのやめたほうがいいよ?」

「いいの。夏梅は夏梅なんだから。それ以外に何て呼べばいいのよ」

何と優しいことに、あんな奴に気を使って加賀李兄ぃはことある事にこうして諭してくれてるのだけれど、いくら親愛する加賀李兄ぃの言葉だからといってこればかりはどうしようもなかった。あいつを兄なんて呼んだらアレルギーか何かで死に至る可能性もある。

「もしかして、恥ずかしいの?」

「まさか。ただ、あいつを兄として認めてしまったら人としての尊厳を失ってしまうと思うから」

「相変わらず夏梅には辛口だね」

苦笑いする加賀李兄ぃ。というか、何で夏梅の話なんかしているんだろう。幸せな時間が台無しになってしまうではないか。

「それより加賀李兄ぃ、お昼ご飯はなぁに?」

「炒飯だよ。シーフードの」

リビングと隔てる台から身を乗り出してキッチンを覗き込む。丁度、お皿に盛り付けるところだった。

と、そこで「ぐぅ~~......」と尻すぼみの間抜けな音がどこかから聞こえてきた。

......うん、どこかから。

決して、私ではなくて、いや、でも加賀李兄ぃだって言いたいわけでもーーー


ぐぅ~~~~~~~.........


.........

......食べよっか」

加賀李兄ぃの優しい笑顔が痛い。

美味しそうな炒飯を目にして、もう我慢できないとばかりに私の腹の虫が鳴り始めてしまったのだった。

「わ、私、コップとか準備するね」

「ありがとう、お願い」

「おやすいごようだよ、わっはは......

気まずくなってしまったので(私がひとりで気まずくなってるだけなんだろうけど......)配膳の手伝いをして誤魔化す。私と同じで間の悪い腹の虫だ。

ついでにテレビの電源を点ける。ニュースでも何でも、点いてないよりはマシだ。図らずも、聞こえてきたのは馴染みのある女性の声だった。

『プリパラパンポーン! プリパラTVをご覧の皆様! めが姉ぇが午後1時をお知らせしまぁーす!』

底抜けに明るい声。赤いメガネが目印の、プリパラのスタッフガール。めが姉ぇは今日もめが姉ぇだった。

けれどそれが、今の私には何だか不気味なものに思えてくる。

『さて、今日はもうすぐ始まる、プリパラ史上初のビッグイベントの情報を特別にちょこっとだけ紹介したいのですがぁ~......

めが姉ぇの声が頭に響く。スプーンを持つ手を、強く握る。気を抜けば力が入らなくなりそうな両足で、確かめるようにフローリングの床を踏みしめる。

大丈夫だ。今朝みたいなことにはならない。まだ、音が聴こえている。視界はクリアで、息も出来る。でも、ちょっと口の中が渇く。

『何と今回は、お招きしたスペシャルゲストの方にお願いしたいと思いまーす! どうぞ~!』

辛うじて動く眼球で、横目にテレビの画面を見やる。

そこには、


『ご機嫌よう、プリパラアイドルの皆さん』


まるで貴族か何かみたいに、左右に都合3つずつ拵えられた縦ロール。形造る頭髪は純金の如く眩く輝きを放っていて。

病的なまでに白い肌膚と、星空をそのまま閉じ込めたんじゃないかってくらい、深く、暗く、儚く、美しい......何て言葉じゃ足りないくらい、深遠さを秘めた双眸。蠱惑的な薄桃色の唇からは、僅かに白い歯が覗いている。

彼女は、確か。


「金森(かなもり)ビオラだったかな」

「え?」

意外な人間からの言葉に、思わず顔を上げる。軽い違和感は、知らぬ間に消えていた。

「あれ、違った?」

首を傾げる加賀李兄ぃ。さっき言った通り、画面のテロップは「人気沸騰中! 金森ビオラ」と表示していた。

「う、ううん、違わないけど。よく知ってるね」

「木実が行ってたからってのもあるけど、最近ますます人気になってるって話だからね。嫌でも耳につくんだよ」

「へぇ......

そう言いながら、私と加賀李兄ぃ、それぞれの定位置に盛り付けたお皿を並べると、ヤカンからコップに麦茶を注ぐ。私もすぐにスプーンを並べて、椅子に座った。

「って言っても、それくらいしか知らないかな。やっぱり、みんなあんなことがあった後だとプリパラに行きづらいだろうしね」

「そうだね......

机の端に置いてあるリモコンを手に取って、適当にチャンネルを変える。面白くもつまらなくもないワイドショーだった。

「いいの? プリパラTV?」

口に運ぼうとしたコップを一旦置いて、加賀李兄ぃが不思議そうに尋ねる。

「いいの。私にはもう関係ないことだから」



太陽が沈んで、夜が来て、明日もたぶん太陽が昇る。そしたら新しい1日が始まって、少なくとも今日じゃないけど、ほぼ相似形の退屈な『今日』になる。街灯りで掻き消されて不機嫌な星空が、私にそう告げた。

晩御飯も入浴も済ませて、宿題もなくて、明日は土曜日で、とりわけ熱中する趣味もなくて、話し相手になる友人もいなくて、兄は忙しくて、両親は眠っていて。

かと言って自分は眠る気にもなれなくて。

錠が外れた出窓の隙間から唸るような音を立てて吹き込む夜の冷気を肌に感じながら、右の掌で、古めかしい鍵を弄ぶ。



クローゼットの一番奥。

銀色の宝箱に封じ込めたもうひとりの私。

深い深い眠りの底、やがて風化する記憶。

時は進めど、しかし進むほどに、それは。

きっとだから、どうしようもないから、こうするしかない。

どうしたって意味などないけれど。

酔っているよりはずっといいと。


そうやって、私は私に麻酔をかける。













夜道に揺れ動く影がある。

身なりは貧相で、ボロっちい布のようで。

時折、壁や電柱にぶつかりながらふらふらと歩く姿を、野良猫たちが不審そうに見つめている。

.........あ痛ぁ!? ちょっと何すんのよ! バカ! 電柱のバカ!」

どうやら女の子のようだが、やっていることは完全に酔っ払いのそれである。もちろん、電柱はうんともすんとも答えない。それが気に障ったのか、女の子は力任せに蹴りを入れるが、直後「ぎぃぇっ!」と奇声を上げてのたうち回るのだった。

「いだいぃ......うぅ......くらくらする ......寒い......おなかすいた......... どうしてプリパラは24時間じゃないの......というか風呂入りたい」

黄色いプリチケバッグを抱えながら、ぶつぶつと怨念のように不満をこぼしている。髪はボサボサ、目は虚ろで、こころなしか痩せこけているようにも見える。

そこに、近くの交番にいたおまわりさんが駆けつけてくる。

「お嬢ちゃん、こんな時間に何してるの!」

「あぁ......ダメだこりゃ......もう ......

そのままふらりと倒れる女の子、おまわりさんが慌てて抱きとめる。

「ちょっ、お嬢ちゃん!? 大丈夫かい!?」

「あ、れ.......... めが、み .........

「女神...... いや、本官は男で .........ってお嬢ちゃん!? お嬢ちゃんーーー!?」

ぐったりと項垂れて意識を失う女の子。

しかしすぐに規則的な、すうすうという寝息が聴こえてくる。

「一体なんなんだ.........

.........ライブ.........しな .......きゃ......

眠っていてもプリチケバッグを放さない女の子。幸せそうな顔で寝言を漏らしている。


scene.4に続く



scene.2













何か目的があったわけではない。

けれど、意味がなくなった。それだけだった。

私は、八篠木実(やしのこのみ)は、プリパラを辞めた。


中学2年生にもなると、いくら私の通うパプリカ学園が幼小中高一貫だとは言え、それなりに勉学に力を入れ始めてもいい頃合だ。授業の内容も段々と難しくなって、気を抜けばあっという間に周囲と差がついて置いていかれてしまう。だから、プリパラを辞めたのはいい機会だったのかもしれない。その主たる原因が違ったにしろ、どの道いつかは卒業しなければならない。

『お遊び』では、食べていけない。親から耳にタコができるほど言い聞かされていた。変にのめり込む前だったからだろう、私は特に煩わしいとも感じることなく、ただの学生に戻った。

そうあるのが普通だと、教科書に描かれた落書きを消すみたいに。



「ーーーですので、中等部、高等部の生徒は高学年として小学部の規範となる行動を心掛けると同時に、学生としての自覚をもって、勉学に励むように」

始業式。校長先生の堅苦しい挨拶が壇上から降ってくる。この声を聞くと、休みが明けたんだなぁと改めて実感させられるから少しブルーな気分になる。鼻のあたりでわだかまる欠伸を噛み殺し、舞台の一文字幕あたりを睨みつけてやり過ごす。朝というのはどうも、身体は重いくせに頭は妙に軽くて、頭だけ胴体から離れてどこかに飛んでいってしまいそうだなぁ、とか他愛のない空想を広げていたら、いつの間にやら校長先生の話は終わっていた。

校長が降壇し、入れ替わりに壇上に現生徒会長が登壇してくる。そんなのまだあったなぁ、めんどくさいなぁ、と心中でぼやきながら、今度は会長の背後のホリゾント幕をぼんやりと眺める。

チラッと会長に視線を移すと、真っ黒の絹糸みたいな長髪をさらりと流した、大和撫子然とした、割と美人の部類に入る女生徒だった。彼女はやはり聴くに麗しい声で、

「おはようございます、新生徒会長の一宗流(にのまえそうりゅう)です。遅くなりましたが、新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。そして全生徒の皆さん、ご進級おめでとうございます。ここ、パプリカ学園は幼小中高一貫。ここで12年間、この学舎で同じ時、同じ青春を過ごしていくことになります。新入生の方は期待と不安でいっぱいでしょう。ですが、それは新入生みんなが同じこと。貴方たちは仲間がいます。そして私達や、先生方がいます。手とに手をとって、これから始まる学園生活を私達と一緒に作り上げていきましょう」

そこまで一気に読み上げると、「それと」と笑顔を作って、

「最近、プリパラの入場者数が右肩下がりだそうです。新しくプリチケが届いた生徒も含め、現役の皆さんも、勉学に差し障りない程度にアイドル活動に励んでくださいね。それでは」

とだけ付け加えると、行く先に草花でも生えてきそうなくらい優雅な足取りで下手側の脇幕へと姿を消した。

(あの制服、高等部の先輩だ......

同じ学園に生徒でもあまり興味を示さない私だったけれど、今の人は少し目を引くものがあった。それに、何だか変わった名前だ。宗流なんて、女の子につける名前とは思えないけれど、不思議と彼女には違和感を感じなかった。何故なのかは、わからないけれど。わからないから興味が湧いたのだろう、と適当に結論を出す。とにかくその場限りは、私は彼女のとりこだった。

等と一人思慮にふけっていた私だけれど、周囲のざわめきはいちいち私が考えていたようなことに気は留めないらしい。あるワードが出た瞬間から、一つの話題に持ち切りだった。

いや、本当は私も脳裏を過ぎらなかったわけではない。むしろ、思い出して然るべきだ。

「えぇ......でもさぁ」「だよね......」「でも今はなんともないって ......」「そんなのわかんないっしょ」「どうする.......?」「そんなこと言われてもね...... 」「だってさ」「怖い」「怖いよね?」「怖くない?」「怖い」「怖いよ」

一人の言葉がきっかけになって、堰を切ったように気持ちが溢れ出して、周りにいる子たちをあっという間に呑み込んでいく。

気付けば私は渦の中だった。目を逸らしたって、耳を塞いだって、私の隙間からするりと這入ってきて、否応なしに頭の中があの事でいっぱいになる。

それは私につきまとう影で。

つまりはプリパラのことで。


3ヶ月前の事故のことだった。



始業式で半ドン(これはもう死語だろうけれど...)だったので、帰りのホームルームが終わるや否や教室を飛び出す。クラスメイトが何やらこちらに話しかけていたような気もするけれど、とにかくあれから気分が悪い。さっさと家に帰って昼食を摂りたかった。急いてるからか、少し小走りになる。

......そういえば、こういう時に限って彼女がーーー。

「ちょっと、あなた」

ゲッ、と思った時にはもう遅かった。背後から覚えのある生徒の声が聞こえてくる。

「な、何でしょうか、南委員長......

恐る恐る振り返ると、やはりそこには予想通りの人物がきちっとした姿勢で立っていた。

間違えるわけもない。切り揃えた前髪にポニーテール。黒縁眼鏡と、その奥でギラリとこちらに刺すような眼光を向ける鋭い目。

彼女こそ、警察官も真っ青な違反検挙率を誇るパプリカ学園風紀委員長、南みれぃ先輩。

「あら、自覚がないのかしら。なら教えてあげるわ」

くいっと眼鏡を持ち上げると、次の瞬間、目にも止まらぬ早業で私の額にお馴染みの『違反チケット』が貼り付けられる。

「私立パプリカ学園校則第3243条!『廊下を走ってはならない』!」

「うぐっ!」

やっと帰れると思った矢先にこれだった。ますますブルーな気分に拍車がかかる。違反チケットを剥がして確認すると、どうやら通算45回目のようだった。

「運が悪い......

「あなたがいつも廊下を歩いていればいいことよ。反省なさい」

それだけ言うと、委員長は次の獲物ーーー違反者を取り締まるため、いずこへと去って行った。

......いや、行こうとしたが、途中でピタリと歩みを止めた。

「そういえばあなた、いつも一緒にいたーーーあら?」



私はと言うと、もうこれ以上は相手をしていられなかったので、隙を見て離脱していた。昇降口でローファーに履き替えると、一直線に校門へと駆け出す。

あの人は神出鬼没な節がある。毎度のこと実に間が悪いタイミングで現れるので、委員長と顔を合わせる時は大体違反チケットも一緒だ。最初ほどではないけれど、ちょっとトラウマになっているくらい。

「もう流石に追ってこないよね......

校門を抜けて、階段を駆け下りる。学園の敷地内から抜ければ大丈夫だろう。とりあえず一安心、と思いたいけれど、何があるかわからないので、念のために後ろを確認しておく。

ーーーそれがよくなかった。

「あたっ!」

「きゃっ!」

正面にやや強い衝撃。私は歩いていたので、恐らく相手方が走っていたのだろう、反動に押されて尻餅をつく。

幸い舗道に目立った汚れはなかったものの、お尻に鈍痛がはしる。

それから、胸にも。

「いたたたた......

「も、もも申し訳ないです! 大丈夫ですか?」

慌てた様子で先に起き上がった相手方が近寄ってくる。何となく間の抜けたような声だ。

「い、いえいえ、こちらこそ前も見ないで申し訳......

応じながら相手方の姿を確認すると、人物の背丈の半分くらいの年端も行かない女の子だった。小学4~6年生といったところだろうか。

通りで胸も痛いわけだ。彼女の頭が丁度、私の胸のあたりにぶつかったのだろう。......私にも衝撃を吸収するクッション的なものが胸についていればいいんだけれど。

いいんだけれど......

「どうかされましたか? もしかして、どこか痛みますか!?」

「な、なんでもないなんでもない!」

まさか年頃の憂いに沈んでいたとは言えまい。ぶんぶんと手を振って適当に誤魔化す。

それにしても、妙なことがひとつ。

......ヘッドフォン?)

女の子の両耳は、まるでそこから"生えている"みたいにぴったりとくっついたヘッドフォンに覆われていた。角のようにも見えるそれには溝があり、絶えずその溝を淡い青色の光が循環している。

加えて、その光と同じ色をした両の瞳は、見詰めあっていると呑み込まれてしまいそうなほど透き通っていて、神秘的で。

そして、非人間的だった。

(まさかね)

私はおかしな妄想を振り払うと、自分が大丈夫であることをアピールするために立ち上がって、くるくると回ってみたいステップを踏んだりする。

「ほら、ヘーキヘーキ! 安心して!」

「よかったです......でもすみませんでした」

「いやいや! それよりあなた、急いでたんじゃない?」

言われて思い出した! とばかりに、さっきまでの安堵の表情が一変して真っ青になる。

「そ、そそそそうでした!」

忙しなく手足をばたつかせて、落っことした黒いトランクを拾い上げると、また何か思い出したように小さなメモに何やら走り書きして、

「こ、これ! また何かありましたらここに一報いただけると! それでは!」

「あっ、ちょっと!」

私の手にそれを握らせると、引き止める間もなく女の子は大急ぎで去ってしまう。後ろ姿はすでに豆粒よりも小さくなっていた。

「何をそんなに急いでたんだろ......

自分には関係ないんだけれど、と心の中で呟いて、手渡されたメモを開く。


『モモツキ ミズポ


TERU 090-XXXXXX-PPPPP


TERUってのはTEL、電話番号のことだろう。番号からして携帯だ。まぁ、それはいい。

「モモツキミズ""って」

変な名前だ。こっちもきっと『ミズ""』の間違いだろう。

くすっ、と堪え切れなくなって笑みが零れる。最近は忘れかけていたものだった。

何だか微笑ましい気持ちになった私は、さっきまでのブルーな気持ちも嘘みたいに晴れてしまい、その後は鼻歌混じりの帰り道になったのだった。


scene.3に続く

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