ラ・ケヤキ

欅
大きな大きな欅の木。
新宿にある文化拠点「ラ・ケヤキ」に佇むこの木に見守られながら
先週末、津屋崎の日常をお伝えしてきました。

津屋崎にある昭和の一軒家、津屋崎ブランチから
新宿にある文化拠点「ラ・ケヤキ」という昭和の一軒家を訪れ
「「津屋崎」での活動から、普遍的で新しい暮らしを紐解く。」
と銘打った会を2日間開き、私たちが普段行っている対話の場を開いたり
写真や映像、食事で津屋崎の空気を届けました。

津屋崎の海も元気なお母さんたちもいない東京の街中で
いつもの日常を表現できるものかと
不安を感じながら望みましたが、ラ・ケヤキという洗練された舞台の上で
いつも通り(でも少し背筋を伸ばして)参加者の方と場を囲むことができました。
私は両日とも基本的に裏方にいたので、
具体的にどんなことが話されたのかはわからないのですが
会場から出てきた参加者や代表の山口さんの表情から
「いつも通り」であったことが伝わってきました。
育メン

でも不思議なんです。
いつも通りのことをしたはずなのに、
誰かと言葉で確認し合わないと、あれは夢だったのかもしれないと感じるのです。
窓から新宿御苑が見えるような素晴らしいロケーションがそうさせるのか
たくさんの方と出会え、濃密な時間を過ごしたからか
移りゆく時の中で、二度と同じ時間を過ごすことはできないと知っているからか
あの2日間が幻のように映ります。
もしかしたら、津屋崎を訪れた方もこんなふうに感じるのかもしれません。

ケヤキ外観
今回の2日間を通して
東京も津屋崎のこともより好きになりました。
当たり前のように津屋崎に聞こえる鳥や子どもたちが遊ぶ声を
真っ暗になる夜空を
改めて有難いものだと知りましたし
津屋崎にあるものがない東京でも、
人は同じように人を思い遣って暮らしていて、
やっぱり温かくて、その温かさを大切に思っている。
そんなふうに感じました。

この機会をいただけたlifeandshelterの相沢さんと若松さん
ご協力いただいたたくさんの方
本当にありがとうございました。




おばあちゃんが教えてくれていること

おばあちゃん
昭和2年生まれの祖母は、
20歳の時に農家に嫁ぎ、サラリーマンをしていた祖父の代わりに
曽祖父母に学びながら農業を営んできました。
現在では、家庭用に野菜を育てている程度ですが
草が生い茂る夏は、陽が落ちて暗くなるまで畑作業に勤しみます。
しかし、冬はあまり作業がないからか、
巨大な音量でテレビを見て、うたた寝して、起きて、テレビを見ての繰り返し。

年末にその祖母の姿を目の当たりにし、少し寂しい気持ちになりました。
腰が曲がり、足が弱っている祖母ができることは限られます。
同居している私の母が家事はほとんど全てやってしまうので
家の中で祖母の役割がありません。

一方、津屋崎では
祖母と同い年の方、ナガハマさんと私は日舞を一緒に習い、
着物の寸法直しなどいろんなことでご協力を得ています。
まちの中では、ナガハマさんにこんな言葉がかけられます。

「ナガハマさん、まだまだ元気でおらなあかんよ。
ブランチメンバーが踊る時の着物の用意もせなならんし、
なびちゃんが嫁に行く時は、衣装のこともせんなならんやろう。
その気配はないけどね・・・」

役割を持ち、生き生きとしているナガハマさんを見て
私も幸せな気持ちになるのですが、
祖母のことをおもわずにはいられなくなります。


遠くにいる祖母も
目の前にいるまちの方も大切にしたい。


私や家族だけでは
明るい道を見つけられないということだけがわかってきました。


言葉を持たない愛情

フォト
年末年始に母と祖父母が暮らす香川県に帰りました。
干し柿の暖簾をくぐり、家の中に入ると
祖母が「おかえり」といつもの笑顔で迎えてくれ
「ただいま」と返しながら、
祖母の家の香りや飾ってある絵や置物を見て
帰ってきたことを感じていました。

ご先祖様にご挨拶をしてから
母の部屋に入ると、壁に私が撮った写真が飾られていました。
昨年、母が津屋崎を訪れてくれた時に私がプレゼントしたものです。
両親ともに「子どもたちの自立」を重んじて兄と私を育てたので
親元を離れてからは特に、私たちに興味、関心を持つことは少なく、
何か相談しても「自らの責任で好きなことをしなさい」と返ってくるようなものでした。
そんな無関心な(を装う?)母が私の写真を飾ってくれていたことに
驚き、驚き過ぎて、気が付いたら泣いていました。

何も言葉にせず、見守るという母の大きな愛情。
どんなことが起こっても、笑顔で生きていく力を
もらえたように感じました。

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