August 15, 2020

〈米国人弁護士が断罪する東京裁判という茶番〉(転)どうして残虐行為を行ったアメリカが、東京裁判における「人道に対する罪」で、日本を裁くことができるのか

日本を「侵略の罪」で裁いていた連合国が、まったく同じときに東南アジアで侵略戦争を行っていた 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第6回 ケント・ギルバート 2016.12.16
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東京裁判で、日本が侵略の罪で裁かれていたちょうどおなじ時期フランス軍は、日本軍が植民地から解放したベトナムを、再び植民地にしようと戻ってきて、ベトナム独立軍と戦っていた現在のベトナム、ラオス、カンボジアの地域は、戦前は『フランス領インドシナ(仏印)と呼ばれていた

一方、戦前は『オランダ領インドネシア(蘭印)』だったインドネシアにも、オランダ軍が戻ってきた。しかし、オランダ軍だけでは兵力が足りなかったので、イギリス軍の援けを借りた。つまり、イギリスとオランダの連合軍がインドネシアに再侵攻し、インドネシア独立軍との戦争を戦ったのだ

日本を「侵略の罪」で裁いていた連合国が、そのまったく同じときに、東南アジアで侵略戦争を行っていたのである

東京裁判については、日本の多くの国民が「あれは、日本が悪事をはたらいたから、当然の報いとして裁かれた」と、思っているが、完全な間違いである。東京裁判は法治主義の根本を無視した、ペテンの茶番劇だ

インドのラダ・ビノード・パル(Radhabinod Pal)判事は、日本無罪論を判決書として提出した十一人の東京裁判の判事の中で、三人が反対意見を提出したその中で「日本は完全に無罪だ」と、説いたのは、インドのパル判事だけだった実は、この十一人の判事の中で、国際法の専門家は、パル判事だけだった。あとは全員が国際法に関して、素人ばかりだった。

オランダのベルナード・レーリンク(Benard Victor Aloysius (Bent) Roling)という、十一人の中でもっとも若い判事がいて、このレーリンクも、日本が一方的に悪かったわけではなかったとの反対意見を出している。レーリンクは、回想録を残しているが、その中で、泊まっていた帝国ホテルから市ヶ谷の法廷にバスで行くとき、毎日、連合国の壮大な戦争犯罪の現場、つまり、東京が焼け野原となっていたのを、往復のバスの中から見て、「これほど気の重いことはなかった」と、述べている。そして、日本が先の大戦を戦った一番の理由として、「白人諸国が、日本人をはじめ有色人種に対して、理不尽な人種差別を行ったことであった」と、日本を擁護している

もうひとりが、フランスのアンリ・ベルナールという判事だった。非常に滑稽なことだが、東京裁判は、英語と日本語で行われていた。同時通訳が行われ、英語は日本語に、日本語は英語にするという仕組みになっていたが、ベルナール判事は、ひとことも英語がわからなかった。日本語は言うまでもない。さぞかし忍耐強い人だったのだろう、何が語られているか、まったくわからないまま判事席の壇上にいた。ベルナールも回想録を書いているが、自分は毎日、法廷が開かれている間は、何を言っているのかまったくわからず、二日後に、フランス語への翻訳を、フランスの代表部が作ってくれたものを読んで、ようやく何が行われているのかを理解していたという。

占領下では、マッカーサー司令部が、厳しい言論統制を行っていたから、パル判決書も発表されなかった。ベルナール判事、レーリンク判事の判決書も、公表されることはなかった。

朝日新聞は、東京裁判が開廷した二年半後、東條大将ら七人が犠牲となって絞首刑に処せられた時に、社説で「この裁判は、きわめて公平に行われ、東條大将以下の処刑も、そこには報復の意図がいささかもない厳粛なものであった」と書いている。まったく酷い報道だ。保身のための事大主義である。同じ日本人が、よくはずかしげもなく書けたものだと思う。しかし、当時は朝日だけでなく、毎日も読売も、よくぞここまで卑屈になれると思うような記事で埋まっていた。そうしなければ、GHQから業務停止命令を受けるからだ。

「戦争犯罪人」は、A級、B級、C級に分けられていたB級、C級でも千人以上が処刑されている。これは捕虜を虐待したとか、捕虜を処刑したとか、いろいろあるが、このBC級裁判も、公正なものではまったくなかった戦後、米国は日本を占領している間に、日本のマスメディアや、教育を通じて、徹底的な情報操作による洗脳、マインドコントロールを行っただから、この辺りの事情を何も知らない、日本人が圧倒的多数なのだ

日米間の戦争は三年半あまりしか続いていないのに、日本に対する占領は、その二倍の時間をかけている。そして、その悪影響は、戦後七十年以上が経過した現在も続いている。日本のメディアも教育も、占領中から何も変わっていない。まったく異常なことだ。


もっと真実に気づくべきは我々アメリカ人で、アメリカ人も東京裁判のプロパガンダによって洗脳されている 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第7回 ケント・ギルバート 2016.12.17
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日本は、侵略戦争をしたとか、残虐行為をしたなどと、世界から批判されるところが、戦争をなんとか回避しようと、誠実に対応していたのが日本で何としても戦争を起こそうとしていたのがアメリカだった。また、アメリカ軍は太平洋での戦闘で、非道な残虐行為を平然と行ってきた事実もあるいわゆる「南京大虐殺」をラジオ放送や東京裁判で持ち出してきたのも、アメリカの残虐行為を糊塗するためだった

東京裁判終結七十年の節目の年である。日本が戦った戦争の真の姿を、再認識する必要がある。それは、多くの日本人にとっても、「天動説」から「地動説」への転換にも等しい衝撃となろう。しかし、もっと真実に気づくべきは、我々アメリカ人なのだ。アメリカ人も東京裁判のプロパガンダによって、虚妄の世界観をプログラミングされてきたのだ。自分が無知である事実を、知りもしないアメリカ人が、現在も圧倒的多数なのだ。

◆対米戦争を回避しようと努めた日本

近衛文麿内閣は、緊張の高まる日米関係を打開しようと、一九四一(昭和十六)年四月に日米交渉を始めることを決定した。日米交渉は、四月十四日に、野村吉三郎駐米大使が、コーデル・ハル国務長官をワシントン市内のウォードマン・パーク・ホテルの中にある長官の私邸を訪ねて、会談することから始まった。野村大使は、つづく四月十六日にもハル長官と会談した。五月だけでも、二日、七日、十一日、十三日、十四日、十六日、二十日、二十一日、二十八日と会談を重ねたが、見るべき進展がなかった。

同じころ、日本本土の奇襲爆撃計画は、陸海軍合同委員会によって、すでに作戦名が『JB―355』と、つけられていた『JB』とは、「Japan Bombardment」、つまり「日本爆撃」の頭文字である。五月九日に、ロークリン・カリー大統領補佐官が、大統領に『JB―355』計画について覚書を提出した。カリーがホワイトハウスで、『JB―355』計画を仕切っていた。カリーは、中国問題担当の大統領補佐官だったが、中国に深く同情していた。蒋介石政権と協議するために、この年の一月に中国を大統領特使として訪れていた。

ルーズベルト大統領は五月十五日、陸海軍に対し、蒋介石政権に爆撃機を供与して、『JB―355』計画を具体化するよう公式に命じた。これは、機体に青天白日旗マークを塗って、中華民国空軍機に偽装し、アメリカ人の「義勇兵」に操縦させ、中国の航空基地から発進して、東京、横浜、大阪、京都、神戸を爆撃するという計画だった。

陸海軍の合同委員会が、日本本土爆撃計画の実施へ向けて、詳細な立案に着手した。目的は、日本の「兵器および経済体制を維持するために必要な、生産施設を根絶するために、日本の民需、軍需工場を壊滅する」ことだった七月十八日、日本本土爆撃作戦計画書に、陸海軍長官が連署し、大統領の手元に提出した。ルーズベルト大統領はこの作戦を、その日のうちに承認したこれは、日本の機動部隊が真珠湾を攻撃する、五か月も前のことだった

この日、七月十八日に、近衛首相が松岡洋介外相を更迭するために内閣を総辞職して、第三次近衛内閣が発足した。代わって豊田貞次郎海軍大将が、外相として起用された。松岡を追放して、豊田と交代させたのは、アメリカに歩み寄ろうとしたことを意味した。アメリカのご機嫌をうかがったものだった。松岡は、日独伊三国同盟を象徴する人物となっていた。近衛は、松岡がドイツの力を借りてアメリカに対抗しようとしたことが、日米交渉の障害となっていると考えた

今日では、ルーズベルト大統領が七月十八日に、日本本土爆撃作戦を承認した文書が、公開されている。ルーズベルト大統領は今日でも、アメリカ国民のあいだで、『FDR』 として親しまれている。アメリカの「英雄」として扱われる、数少ない大統領の一人である。

日本は前年八月に、アメリカ、イギリスが仏印(フランス領インドシナ、現在のベトナムなど)を通じて、蒋介石政権に大量の兵器を供給していた『援蒋ルート』を遮断するために、フランス政府の同意を得て、南部仏印に進駐していたさらに、この年の七月に仏印のフランス当局の承認を取りつけて、北部仏印にも進駐した

日本では多くの専門家によって、七月二十八日に北部仏印に進駐を強行したことが、日米戦争の引き金を引いたと信じられている。だが、ルーズベルト大統領は、その十日前に、日本本土爆撃作戦を承認していた。

B17をはじめとする百五十機の長距離爆撃機と、三百五十機の戦闘機を、十月一日までに蒋介石政権に供与して、中国の基地から発進させて、東京、横浜の産業地域と、神戸、京都、大阪の三角地帯に、奇襲爆撃を加えることになった。この作戦には、中国のどの航空基地から発進して、日本のどの目標を攻撃するのか、それぞれ地図が添えられていた。日本本土爆撃は、中国空軍が実施することになっていたが、実際には『フライング・タイガーズ』と呼ばれる、義勇軍に偽装したアメリカ軍の飛行士が行う予定だった。ところが、日本本土を奇襲爆撃する『JB―355』作戦は、ヨーロッパ戦線が急迫し、大型爆撃機をイギリスに急いで回さなければならなくなり、中国への供与が遅れることになった結果、実施されなかった。

だが、真珠湾攻撃の約五か月前に、ルーズベルト大統領が、アメリカ陸海軍に対して、日本本土攻撃計画を承認していたという事実には変わりがない。これは、アメリカ国民を欺き、日本を騙し討ちにするものだった。もし日本側が、この計画を察知していたならば、真珠湾攻撃は、自衛権の発動に基づいた反撃になるはずだった


マッカーサーを必要以上に、「偉大」に思わなかったのは、東条英機元首相だった 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第8回 ケント・ギルバート 2016.12.18
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極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判は、裁判を主導したアメリカ側の当事者も、実際に裁判に携わった判事や、弁護士も、「裁判とは言えないものだった」と、認めている。どうして、そんな不条理な裁判がまかり通ってしまったのか。連合国側の諸国も、また他の世界各国も、そして、当事国である日本も、改めて検証する必要がある。

戦争を「犯罪化」する動きは、第一次世界大戦直後に遡る多大な犠牲者を出した、世界大戦の惨劇を二度と繰り返さないために、一九二八年にパリ条約が締結された。日本では、「パリ不戦条約」として知られるものだ。戦争そのものを、国際的に、「犯罪」と位置付けて、戦争を、回避しようという試みだったが、ほとんど実効性のないものとなってしまった。いずれにしても、第二次世界大戦が終結するまで、『戦争犯罪』とは、戦争における法規や慣例に対する違反を意味した

連合国側は、一九四三(昭和十八)年十月二十日に連合国戦争犯罪委員会(UNWCC)を設立したユナイテッド・ネーションズ十七か国が集って、敵国の戦争犯罪の証拠調査をするのが、その目的だった日本では、UN(ユナイテッド・ネーションズ)のことを、「国際連合」と和訳している。訳したのは外務省だ。しかし、UNは、正しくは、当時から連合国であるその敵国は、もちろん、日本とドイツ、イタリアの枢軸国だUN憲章(チャーター)には、いまだに『敵国条項』が残されているいまも日本は、UNの敵国とされている

UNWCCは、戦争犯罪の証拠調査から一歩踏み出し、終戦が近づくと政策提言をするようになる。オーストラリア代表のライト卿は、対日政策勧告を提言し、その結果、一九四五(昭和二十)年八月八日には、極東太平洋特別委員会が設置され、八月二十九日には、対日勧告が採択されている

◆日本占領を尊大な態度で演じたマッカーサー元帥

占領国軍最高司令官(SCAP)だったマッカーサーは、占領された日本では、まさに、天皇以上の存在のように自らも振る舞い、また、日本側もそのように扱った。日本人は、マッカーサーを必要以上に「絶対的な存在」として捉えている。彼は確かに、戦後の日本にとって、良いことも行ったが、悪いことも行った。両方を知るべきだ。専用機『バターン』号で厚木に降り立ったマッカーサーは、コーンパイプを燻らせ、丸腰で司令官機のタラップを降りて来た。日本の「征服者」か、「将軍」をきどって、あえて丸腰で降りることで、自分たちは日本人による襲撃など恐れていない、という勇気を威風堂々と示す、演出だった。
 
マッカーサーを必要以上に、「偉大」に思わなかったのは、東条英機元首相だった。AP通信のラッセル・ブラインズ記者は、占領直後に用賀にあった東條邸を、前代議士だった笠井重治と共に訪ね、マッカーサーをどう思うかと、質問した。東條は、「マッカーサーは、フィリピンで部下を置き去りにして濠州(オーストラリア)に逃げた。指揮官としてあるまじき行為だ。良い点数はあげられない」と、答えた。通訳をしていた笠井が慌てて、「閣下、まずいですよ。『敵将ながら、なかなかの人物だぐらいにしておきましょう」と言うと、東條は、「適当に訳しておけ」と、応じた。

厚木に降り立ってからも、マッカーサーは統合参謀本部から命令を受けて、占領にあたっていたマッカーサーは、アメリカ陸軍の一将官として、下された命令に従うのであって、特別な存在であったわけではない。統合参謀本部から時折出されるそうした命令に、マッカーサーは内容の如何を問わず、服する義務があった。一九四五(昭和二十)年九月十二日、統合参謀本部は、マッカーサーに次ぎのように命じた。「遅滞なく適切な軍事裁判を実施するか、日本人の戦犯を法廷で裁き、罰せよ」マッカーサーには、連合国がヨーロッパの法廷で、戦犯をどのように裁くかが、より明確になった段階で、詳細な指令が下されるとも伝えられた。

ニュルンベルグ裁判は、ドイツ国家を破壊し、その法制度を破棄した連合国側の四カ国緊急合意で実施が決まった占領軍の権限の根拠は、ドイツでは政府が崩壊しており、無条件降伏となったことだった

しかし、日本の場合は、政府は機能していたポツダム宣言、日本軍は無条件で武装解除し、降伏することが条件だったが、日本国政府は完全に機能していたし、「以下の条件で降伏する」と、条件をハッキリと提示した、有条件降伏だった。ドイツとは、状況がまったく違ったのだ。戦争犯罪人に対する裁判も、当然ながら、当時の戦時国際法に違反した戦闘員を裁くものと認識していた。
 

どうして残虐行為を行ったアメリカが、東京裁判における「人道に対する罪」で、日本を裁くことができるのか。 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第9回 ケント・ギルバート 2016.12.29
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/4039/

真珠湾攻撃によって、日米の戦端が開かれると、大統領行政命令によって、十二万人以上にのぼる、アメリカ国籍を持つ日系アメリカ人が、敵性外国人として、財産をすべて没収されたうえで、身の回り品だけ持つことを許されて、全米十か所の僻地に設けられた強制収容所に送り込まれたこれは、法の下の平等を定めた、アメリカ合衆国憲法修正第十四条に対する、重大な違反だった。同じく、敵国のドイツ系、イタリア系などのアメリカ人は、まったく収容されることがなかったのだ。

収容所は有刺鉄線によって囲まれていた。馬小屋や、急拵えの掘立小屋が並び、衛生も、環境も、劣悪だった。サーチライトを備えた監視塔の上から、常時、銃を携えた兵士が監視していた。

歴史学者のマサチューセッツ工科大学(MIT)のジョン・ダワー教授は、著書『容赦なき戦争・太平洋戦争における人種差別』(平凡社)のなかで、日系アメリカ人が収容された施設について、こう描写している。

「日系アメリカ人は西海岸の自宅や、コミュニティから追い立てられて、牛のように駆り集められただけではなく、強制収容所の最終的な宿舎に移住させられるまで、何週間も、何カ月も、動物用の施設で暮らすよう命じられたのである。ワシントン州では、二千人の日系アメリカ人が、ポートランドの家畜置場にある、唯一の汚い建物に詰め込まれ、わらを詰めた麻袋の上で寝た。カリフォルニア州ではサンタアニタ、タンフォロンといった、競馬場の厩舎の中の馬房に押し込められた。サンタアニタの集結センターは、結局八千五百人の日系アメリカ人の住居にあてられたが、馬の引っ越しと、最初の日系アメリカ人の到着との間には、四日しかなかった。そこの唯一の入浴設備は、馬用のシャワーであり、厩舎の悪臭がいつまでも漂っていた。ほかの疎開者たちも、はじめ各地の馬小屋や牛舎に入れられた。ワシントン州のピュヤラップ集結センター(キャンプ・ハーモニーと呼ばれた)では、豚の檻に入れられた。」

◆人間扱いされなかった日本兵

アメリカのほとんどの白人が、日本人や日系人を蔑視していたから、アメリカ国内でも自分たちと同じ人間として見ていなかったのだ。同様に戦場において、日本人兵士を、人間だとは見ていなかった。

チャールズ・リンドバーグは、一九二七年に単機を駆って、はじめて大西洋を横断したことで、アメリカの国民的英雄となった。リンドバーグは、第二次世界大戦に当たって、志願して、太平洋戦線で大佐として戦ったが、克明な日記を残している。

「軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。今こそ、日本兵を殺すチャンスだと、その捕虜は軍曹の前に、引き立てられた。『しかし、俺はこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ』『ちぇつ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ』偵察隊の一人が、日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に、日本兵の頭部に腕が巻きつき、喉元が一方の耳元から他方の耳元まで、切り裂かれたのだった。このやり方は、話をしてくれた将軍の、全面的な是認を受けていた。私がそのやり方に反対すると、軽蔑と哀れみの態度で接した。『やつらを扱うたった一つの方法さ』談はたまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。『捕虜にしたければ、いくらでも捕虜にすることが出来る』と、将校の一人が答えた。『ところが、わが方の連中は、捕虜を取りたがらないのだ』『二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのは、たった百か、二百だった。残りの連中には、ちょっとした出来事があった。もし、戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう』『両手を挙げて出て来たのに、撃ち殺されたのではね』と、別の将校が調子を合わせる」(一九四四年六月二十六日)
「わが将兵の態度に、強い衝撃を覚えた。敵兵の死や勇気に対しても、また、一般的な生活の品位に対しても、敬意を払うという心を持ち合わせておらぬ。日本兵の死体から略奪したり、略奪の最中に、死者を『野郎』呼ばわりしたりすることも、意に介さぬ。ある議論の最中に私は意見を述べた。『日本兵が何かをしでかしそうと、我々がもし拷問をもって彼らを死に至らしめれば、我々は得るところが何一つ無いし、文明の代表者と主張することさえできない』と。『ま、なかには、やつらの歯をもぎとる兵もいますよ。しかし大抵は、まずやつらを殺してから、それをやっていますね』と、将校の二人が言い訳がましく言った」(六月二十八日)
「わが軍の将兵は、日本軍の捕虜や、投降者を射殺することしか、念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が、大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだというが、南太平洋における戦争をこの眼で見れば見るほど、われわれには、文明人であると主張する理由が、いよいよ無くなるように思える」(七月十五日)
「心底で望んだとしても、敢えて投降しようとしない。両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは、火を見るよりも明らかなのだから
(七月二十一日)

 以上『孤高の鷲―リンドバーグ第二次大戦参戦記』学研M文庫

アメリカの従軍記者は、一九四六(昭和二十一)年の『アトランティック・マンスリー』誌に、太平洋戦線で「われわれは捕虜を見境なく撃ち殺し、野戦病院を攻撃し、救命ボートに機銃掃射を加え、民間人を殺害した。日本兵の頭蓋骨を煮て、置き物や、骨からペーパーナイフをつくった」(エドガー・ジョーンズ)と、寄稿している。

アメリカの人気作家のウィリアム・マンチェスターも、著書『回想 太平洋戦争』(コンパニオン出版)のなかで、「投降した日本兵は無防備だったが、一列に並ばせて、軽機関銃で掃射して、一人のこらず射殺した」と、述べている。

先のダワー教授は著書のなかで、「捕えた日本兵を一人放ち、狂ったように駆け出して逃げるところを、銃の標的として楽しんだり、沖縄で恐れおののく老女を撃ち殺して、『みじめな生活から、自由にしてやった』と、自慢した」と書いている。

イギリスの歴史作家のマックス・ヘイスティングは、沖縄におけるアメリカ兵による残虐行為を、つぎのように描いている。「一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。とくに、沖縄戦がそうだった。」(アメリカ軍兵士の)クリス・ドナーは、こう記録している。

『地面に十五歳か、十六歳と思われる、美しい少女の死体が横たわっていた。全裸でうつぶせになって、両腕を大きく拡げていたが、やはり両脚を開いていて、膝から曲げてあがっていた。仰向けると、少女の左乳房を銃弾が貫いていたが、何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。』しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、丘の上から、敵によって狙撃されて倒れた。その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。兵たちが口々に、『あのビッチ(魔女)を撃て! ジャップ・ウーマンを殺せ!』と、叫んだ。兵が一斉に射撃した。女は倒れたが、渾身の力を振り絞って立ち上がると、手放した赤児のほうへ、わが子の名を叫びつつ、よろめきながら進んだ。兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった」(『ネメシス 日本との戦い 一九四四ー四五』、ハーパース・プレス社、ロンドン)

「ネメシス」は、ギリシャ神話のなかに登場する、復讐、あるいは天罰を降す女神である。

もし日本兵がこのような残虐行為を働いたならば、「皇軍」の名を汚すものとして、厳しく処罰された日本は長い歴史を通じて、これほど酷い人種差別を行ったことも、都市ごと大量虐殺を行うこともなかったし、奴隷制度も存在しなかった

このような証言は、この他にもいくらでもある。日本人は先の対戦中、アメリカ人を「米鬼」と呼んだが、まさに鬼だった。戦時中の日本国内で「鬼畜米英」という言葉が日常的に使われ、東條英機が戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と説いた理由も、このような戦場の現実を知れば理解できる。
どうして、このような残虐行為を行った側が、「人道に対する罪」で、極東国際軍事裁判で日本を裁くことができるのか


togyo2009 at 10:58|PermalinkComments(0) 南京大虐殺はなかった! 

August 14, 2020

〈米国人弁護士が断罪する東京裁判という茶番〉(承)日本には「A級戦犯」のみならず、戦争犯罪人もいない。英霊を祀る靖国参拝は尊ばれるべきだ

米国人弁護士が語る真実。日本には「A級戦犯」のみならず、戦争犯罪人もいない。英霊を祀る靖国参拝は尊ばれるべきだ 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第2回 ケント・ギルバート 2016.12.13
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3970/

日本は、議会制民主主義の国だ。戦前もそうだったし、戦後もそうである。その議会(国会)で決議されたことには、重大な重みがある。国会決議を蔑ろにすることは、民主主義国家の在り方を否定することに繋がる。

一九五三(昭和二十八)年八月三日、衆議院本会議で可決した「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」によって、日本には、いわゆる「A級戦犯」のみならず、戦争犯罪人は存在しなくなった。それにも関わらず、「A級戦犯」が靖国に合祀されているから、云々と言う事それ自体が、国会決議を軽視した発言である。靖国神社に祀られているのは、「A級戦犯」や「戦争の犠牲者」ではない。国のために命を捧げた英霊である。

国家の持つ至高の権利は、「国権の発動たる戦争」を行う権利である主権国家には、自衛権としての「戦争権」が賦与されている。それは、個人に譬えれば、「生存権」であり、「正当防衛」の権利である。国家の決断として、戦われた戦争で「戦って命を落とされた方々」を慰霊し、顕彰するのは、国として当然のことだ。その戦争で、勝ったか、負けたかは関係ない。また、その戦争が、大義ある戦争であったか、そうでなかったかも、別次元の問題である。戦争の大義は、それぞれの当事国が、それぞれに主張すべきものだ。日本の戦争には日本の大義があり、正義がある。英霊の慰霊・顕彰は、日本という国家の大義に殉じたことによって、当然に為されるべきものである。敵国や第三国が、その慰霊・顕彰に口をはさむことは、厳に謹むべきだ

アメリカでは、戦死した将兵は、大統領よりも上の地位を与えられ、顕彰される。貴い命を国の為に捧げた英雄だからだ。戦争で戦って、命を捧げた英雄の顕彰の仕方は、国によっても、その国の文化・伝統、あるいは宗教によっても違う。その違いは、それぞれ尊ばれるべきものだ。

◆英霊は、「戦争の犠牲者」ではない

最近は、空襲体験のある人たちを、「戦争体験者」と呼んでいる。しかし、すこし前まで、「戦争体験者」とは、「戦争に行ってきた」人たちを意味した「戦争体験」とは、「戦闘体験」と同義語だった。戦場で、敵を相手にして戦った人々だけを、「戦争体験」があると、言っていた。戦争が終わって、復員してきた軍人たちは、戦時中に、本土で空襲を体験した、女性や、子どもを、「戦争体験がある」などとは言わなかった。「戦争体験がある」というのは、軍隊に入って、実戦を戦ったことを意味したのだ。米軍の戦闘機から機銃掃射を受けた子どもが、「私は戦争体験がある」などと、言ったことはなかった。

私の大学の卒論のテーマは、『三島由紀夫』だった。三島氏には「戦争体験」がなかった。戦争体験のある人たちからは、「楯の会」の一連の行動も、「軍隊ごっこ」に見えたことだろう。しかし、三島氏の場合は、一九二五(大正十四)年生まれだから、同期の中には大東亜戦争で散華した友人たちもいた。


いまマスコミに登場する、「戦争体験者」のほとんどは、いわゆる「焼け野原世代」だ。子どもだった頃に「空襲を体験した」という、世代の方々だ。確かにこの世代の方々は、「戦争の被害者」と、言える。アメリカ軍による無差別爆撃や、機銃掃射に恐怖を覚えた、という意味では、そのとおりだ。亡くなった場合は、戦争の犠牲者である。

しかし、靖国神社に祀られる英霊は、戦争の被害者や、犠牲者ではない。実際に将兵、あるいは軍属として戦闘に従事して、命を失われた方々だ彼らには少なくとも、「戦争の当事者」としての、意識と覚悟があった。もちろん、華々しい戦果を挙げ、散華された英霊の方々がいる一方で、敵と戦火を交えることなく、病死、あるいは、餓死した方々もいる。しかし、その方々も、国のために命を捧げられた、英霊である「立派に、お国のために戦われた」と、そう慰霊し、顕彰することが大切なのだ。戦争を知らないわれわれが、勝手に「犠牲者」扱いすることは、英霊に対して無礼極まりないと、気づくべきである。

この慰霊・顕彰ということは、どの国でも行われている。アメリカもそうだし、中国やロシア、韓国でもそうだ。靖国神社は、マッカーサーの「神道指令」によって、いまは、一宗教団体とされている。しかし本来ならば、国として祭祀を執り行って、靖国神社の英霊を慰霊・顕彰すべきであろう。このことは、政教分離とは、別次元の問題である。


東京裁判を実行することで、アメリカは新たな『戦争犯罪』を犯した 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第3回 ケント・ギルバート
2016.12.13
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3972/

日本人に、「日本は戦争犯罪を犯した国なのだ」という、罪の意識を植えつける目的で行われたWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)

戦争の結果、戦勝国と敗戦国が生じたにしても、戦勝国が、一方的に敗戦国を「裁判」で裁くことなどできないそれは、まさに「勝者の裁き」に過ぎず、必ず公平・公正を欠いたものになることは、自明だからである。ところが日本人は、「勝てば官軍」と言って、それを「仕方がない」ものだと受入れているところがある。日露戦争の『水師営の会見』のように、アメリカが、敗軍の将を讃えてくれると、期待したのであろうか。それとも、『まな板の上の鯉』のごとく、「いさぎよい」日本人の姿を、示そうとしたのか。天皇と皇室制度を守り、国体を護持することだけを最優先としたのか。それら全てが、混在していたのかもしれない。だが、アメリカの占領軍は、『水師営の会見』の時の、乃木大将とは違っていた。日米開戦時の首相だった、東條英機陸軍大将は、敗軍の将ステッセルのように、丁重な扱いを受けることはなかった。

私は、戦争を美化するつもりは全くない戦争は、常に悲惨なものである戦争の本質は、人間同士の殺し合いであり、破壊の限りを尽くすことであるしかし、国家は時に、戦争せざるをえない局面に立たされ、決断を余儀なくされる人類の歴史とは、戦争の歴史である、と言っても過言ではない

戦争は、国際法上、いまも合法である戦争そのものを、犯罪と位置づける努力も、過去にあったが、その努力は、いまだ実を結んでいないましてや、第二次世界大戦当時、戦争それ自体は、国際法違反ではなかったそして、「侵略戦争」は、その定義すらも定まっていなかっただから、その時代に、「侵略戦争を行った国」として、日本を「犯罪国家」に、仕立て上げることは、そもそも、国際法的に不可能なのだ。「戦争犯罪」として、裁判で処断できたのは、戦時国際法に対する違反行為、つまり『通例の戦争犯罪』、ーだけである
 
それなのに、東京裁判では「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」などという、それまで存在しなかった、事後法をわざわざつくり出してまで、アメリカは日本を裁いた罪刑法定主義という、法治主義に欠かせない大原則を、破ったものであり、それこそ正に、無法の誹りを免れない愚行であった日本が「戦争犯罪国家」だったのではない。アメリカが、東京裁判を実行することで、新たな『戦争犯罪』を犯したのだ。この国際法違反の罪は、「日本が侵略戦争を起こした」など、という冤罪が晴れたあかつきにも、アメリカを呪縛して逃れさせないことになる。


「日本は先の戦争で無条件降伏をした」という「虚偽」報道をしている 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第4回
ケント・ギルバート 2016.12.14
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3973/

日本は、連合国が発したポツダム宣言を受諾して降伏した。そのことを、日本人の多くは、「日本は無条件降伏をした」と、誤解している。いや、嘘を信じ込まされている。日本は無条件降伏などしていない。日本は、降伏条件が明示された、ポツダム宣を受諾することで、降伏したのだ

ポツダム宣言(The Potsdam Declaration)は、昭和二十(一九四五)年七月二十六日に、アメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において、日本に対して発せられた、全十三か条からなる宣言である。その第五条には次の文がある。

 五、我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることもない。執行の遅れは認めない。

要するに、ここには連合国が、「この条件から外れるようなことは、絶対にしない」と、書いてあるのだポツダム宣言は、日本に『条件付き降伏』を求めていたということである

第七条には、「第六条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする」とある。つまり、日本全国を占領することはしない。日本が、われわれの要求する、条件を達成するまで、連合国側は、「いくつかの地点を占領」するという、条件を出しているのだ。日本全土を占領するとは、どこにも書いていないアメリカが、日本全国を占領したということも、重大なポツダム宣言違反である

第十条には、「我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処刑されるべきである。日本政府は日本国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障害は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」と、書かれている戦争犯罪人」というのは、それまでの戦時国際法によれば、たとえば非戦闘員を殺すとか、一般市民への略奪を行うとか、あるいは女性に対して乱暴をはたらく、あるいは降伏して捕虜となった者を虐待するなどの「戦場犯罪」を意味するそれまで、国民の指導者に対して、「戦争犯罪人」として、責任を問うたことは、人類史上ただの一度もなかった。だから、日本がポツダム宣言を受諾したときには、当然のことながら「戦争犯罪人」というのは、通常の戦場犯罪をおかした、いわゆる「戦争犯罪者」を罰するものだと、理解していたのである。それ以外の解釈は全く考えられなかった。前例がないのだから、当然のことである。

さらに、最後の第十三条では、「我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである」と、書いてあるここでの「無条件降伏」とは、「全日本軍」の無条件降伏を要求しているのであって、「日本国」としての無条件降伏はもとめていないのだそもそも第五条には、「我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、…我々がここから外れることもない。…」と、書いてある。意訳すると、「われらの条件は左の通りである。われらはこれらの条件より離脱することはない」と、宣言しているのである。そう宣言しながら、日本全土を占領し、極東国際軍事裁判を行っている連合国による日本の占領政策は、ポツダム宣言の重大な違反なのである

日本は、天皇を人質にとられた状況だった。「天皇を捕えて戦争犯罪人として裁く。命も保障できない」と脅迫されたら、二千六百年余りに及ぶ「国体」の護持が、最大の望みである日本人は、何の文句も言えなかった。

斯くして、アメリカの国際法への重大な違反は、自ら発した『ポツダム宣言』に違反するところからはじまった日本の大新聞をはじめとして、多くのメディアは平然と、「日本は先の戦争で無条件降伏をした」という「虚偽」報道をしている。今の日本では、人々が深く考えることを止めてしまっているのか、歴史をなおざりにしているのか、大新聞や、テレビの報道を鵜呑みにしてしまっている。もう一度言うが、「日本国は無条件降伏をしていない。日本国の軍隊のみが無条件降伏した」のであるしかし、占領軍は、自らが宣言した日本の降伏条件を、一方的に破ったのだ。だから日本が「無条件降伏をした」という、ことにして、虚偽情報を蔓延させた


東京裁判では日本が犯したとされる悪事のみが訴追され、連合国が犯した戦争犯罪には触れることが許されなかった 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第5回 ケント・ギルバート 2016.12.15
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3974/

日本民族に贖罪意識を植え付ける柱となったのが、東京裁判として知られる、極東国際軍事裁判だった第二次世界大戦以前には、一国の指導層を戦争行為の犯罪人として、訴追した前例はなかったし、国際法のなかにも、そのような条文は存在していなかった

東京裁判も、『ポツダム宣言』に明らかに違反するものだった。ポツダム宣言』は、「我々の捕虜を虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪者に対して、厳格なる裁判が行われるべし」と、定めているが、これは非戦闘員を殺傷したり、捕虜を虐待することを意味するものだった東京裁判で、被告たちは「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」によって裁かれたが、ニュルンベルク裁判が開かれるまで、「平和に対する罪」などという概念すら、存在していなかった

東京裁判は、「裁判」という名にまったく価しない、ペテンだった。日本はアジアを侵略した罪によって、裁かれたところが、この裁判劇が進められていたあいだ、イギリス、オランダ、フランスは、マレー半島、インドネシア、ベトナムを再び植民地として支配するために、侵略戦争を戦っていた侵略を継続しようとしたのは、戦勝国の側だった。このこと一つをとってみても、連合国のペテンは明白だった。

東京裁判では、日本が犯したとされる悪事のみが、一方的に訴追され、連合国が犯した戦争犯罪には、いっさい触れることが許されなかった東京大空襲によって一夜のうちに十万人以上、広島、長崎に原爆を投下して、国際法で殺傷を禁じられている、非戦闘員と、民間人を、大量に殺戮したことだけをとっても、アメリカが、重大な戦争犯罪を犯したことは明白だ

マッカーサーの側近で、GHQの二人の最高幹部の一人だったウィロビー少将は、オランダのレーリング判事に、「この裁判は、有史このかた、最悪の偽善だ。このようなひどい裁判が行われる以上、戦争に敗れれば、戦犯として縛り首になるなら、自分の息子が軍務につくことは、許さない」と、語っている東京裁判で裁判長をつとめた、オーストラリアのウィリアム・ウェッブは、裁判中に本国にいた妻のベアトリスに、「こんな裁判につきあわされて、嫌になった」と、私信を送っている

日米戦争をもたらしたのは、一九四五年四月に急死したルーズベルト大統領だった。ルーズベルト大統領こそが、「平和に対する罪」によって、裁かれるべきだった。インドのパル判事は、『パル判決書』のなかで、東京裁判を「復讐の欲望を満たすためだけに、法律的手腕を踏んでいるかのように、装ったものでしかない」と、断定している

◆存在しない法による一方的な裁き

マッカーサーは、日本進駐後、直ちに三十九人の日本の指導者たちを、戦争犯罪人容疑者として指名し逮捕した。問われたのは、「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」だった。「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」は、逮捕の直前まで、世界にそんな罪は存在すらしていなかった。法律というものは、それまでなかった法律をつくり、前に遡のぼって人を逮捕したりはできない、という鉄則―法律不遡及の原則―がある。 たとえば、いま急に「東京都内で酒を飲んでいる者は、懲役十年に処する」という、法律ができて、過去に遡って適用し捕えて罰するとなったら、これはたいへんなことだ。それと同じことを、米軍は日本に対して行った。「平和に対する罪」、「人道に対する罪」と聞いたとき、逮捕された人たちも驚き、日本政府も、それが何を意味するものなのか、まったく理解できなかった。

翌年五月三日に、三十九人のいわゆるA級戦犯容疑者が、二十八人に絞り込まれ、正式に被告とした東京裁判がはじまった裁判は二年半にわたって行われた東京裁判は、まったく違法な裁判である。なぜなら、戦時国際法には、国家の指導者を裁くという発想自体が、まったくないからである。 

東京裁判が、いかにいい加減で不法なものであったかは、明白だ。まず、日本がはたらいたとされる、悪事のみが裁かれたことだ連合国側が行った東京大空襲(昭和二十年三月十日に、十万人の老若男女が殺された)や、広島・長崎への原爆投下による無辜の民の大虐殺は、それ自体が戦争犯罪だ米空軍は最初、九千メートル付近の高高度から軍事工場や、軍港を狙う昼間爆撃を行っていた。これを、一千五百〜三千メートル未満の低空から、焼夷弾を用いて都市を丸ごと焼き払うという、無差別の夜間爆撃へと方針を変更したのは、カーチス・ルメイ空軍大将である。彼は後に、「もし、戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことに、われわれは勝者になった」と、語っている。自分が戦争犯罪を行っている意識、すなわち「革新的故意」が、明確にあったのだところが、連合国側の戦争犯罪は、すべて不問に付され、日本が行ったとされる、非道のみが裁かれたのであるそして、東京裁判では、七人の国家指導者が、絞首刑に処せられるという、「私刑(リンチ)」が行われた


togyo2009 at 15:12|PermalinkComments(0) 事件の深層 

〈米国人弁護士が断罪する東京裁判という茶番〉(起)『歴史戦』の最大の武器が、東京裁判という『プロパガンダ劇』

書籍〈米国人弁護士が断罪する東京裁判という茶番
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ケント・ギルバート/著 植田剛彦/編集・構成
ベストセラーズ
1,540円
2016年12月  教養/ノンフィクション/戦争
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【目次】

序章 歴史戦は、いまも戦われている 

歴史戦は、真珠湾攻撃以前から仕掛けられていた
アメリカが仕掛けた戦争なのに、日本が侵略国にされる『歴史戦』
ホット・ウォーだけが、戦争ではない
『歴史戦』の最大の武器が、東京裁判という『プロパガンダ劇』だった
いまも日本を呪縛する東京裁判の呪い
日本に「A級戦犯」は、いない!
英霊が祀られているのが、靖国神社
英霊は、「戦争の犠牲者」ではない
日本を「犯罪国家」に仕立て上げた東京裁判

第一章 東京裁判は、WGIPのための『プロパガンダ劇場』だった 

『条件付き降伏』だったポツダム宣言
WGIPとしての東京裁判  
存在しない法による一方的な裁き
東京裁判という茶番
フーバー大統領回顧録の『証言』
フーバー大統領回顧録のなかにある、ルーズベルト「狂人」説を敷衍して
準備されていた対日戦争

第二章 戦争を起こしたのは、アメリカだった 

アメリカ人こそ真実に気づくべき
対米戦争を回避しようと努めた日本
初の日本本土空爆
ルーズベルトによる挑発
対米戦争は想定されていなかった
実現しなかった日米会議

第三章 残虐行為をしたのもアメリカだった

厩舎に押し込められた、日系アメリカ人
人間扱いされなかった日本兵
 
第四章 東京裁判への道 

昭和十八年十月二十日に始まった、戦争犯罪調査
日本占領を尊大な態度で演じたマッカーサー元帥
東京裁判に反対だったマッカーサー
極東裁判所設立をめぐる、アメリカの傲慢と、独裁、イギリスの反発
いわゆる「A級戦犯」容疑者の逮捕
東京裁判で判事になる資格のなかったウェッブ裁判長
「A級戦犯」の被告の数は、物理的なスペースで決まった
後になって「法」を作って「罪」を被せた「事後法」裁判
検察側は宣誓のない供述も証拠採用し、弁護側に有利な証拠は却下された
裁判所条例をつくって実行した、インチキ裁判
東京裁判二十八名の被告

第五章 東京裁判への道 

一九四六(昭和二十一)年五月三日(金)裁判開廷
大川周明、東条英機の禿頭を叩く
裁判冒頭に『管轄権』を問いただした清瀬一郎弁護人
裁判の内容を把握できていない判事たち
なぜ『共同謀議』が、東京裁判で問題にされたのか
「侵略戦争を起こした共同謀議」は、定義も実体もまったく不明だった
『日本に世界征服の目的があった』という、プロパガンダ
英米法で『悪魔の落とし子』とされる、共同謀議
「侵略戦争」は、定義されていなかった
本人が犯した戦争犯罪では、誰一人として起訴されなかった
圧巻だった東条英機の宣誓供述
アメリカの政治的都合で、いわゆる「A級戦犯」の裁判も急遽取りやめ

第六章 侵略戦争の「共同謀議」も「南京大虐殺」も、すべて虚構だ 

日本人が、自ら「侵略戦争だった」という愚
『パリ不戦条約』は、まったく機能不全に陥っていた!
『南京大虐殺』で、日本を犯罪国家にしたかったアメリカ

第七章 アメリカの当事者も、東京裁判の判事たちも批判した東京裁判 

日本は「東京裁判を受け入れた」のではない
東京裁判の判事も、アメリカの要人も、東京裁判を批判している

終章 東京裁判史観は、間違っていた 

アメリカで起こった日米戦争史観の見直し
『ヴェノナ文書』の衝撃
『フーバー回顧録』が否定した東京裁判史観
ルーズベルトの罪状を論じたフーバー大統領回顧録
『東京裁判史観』の否定は、反米でも歴史修正主義でも全くない

巻末コミック 原案 加瀬英明
歴史の再審・ワシントン平和裁判 
戦争犯罪国家として裁かれるのはアメリカだ!
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ケント・ギルバート著の最新刊『米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番』12月16日発売。 ケント・ギルバート 2016.12.12
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3962/

ー私はほんの数年前まで、「東京裁判」について詳しく調べたり、深く考えたことなど一度もなかった。「侵略戦争」という犯罪行為を行った日本の指導者を、連合国側が裁判にかけて、とくに罪が重い「A級戦犯」である7人が死刑になったという、「お仕着せの認識」しか持っていなかったのだ。

本書後半の漫画の原作者である加瀬英明先生とは、保守派のジャーナリストである植田剛彦氏を通じて二十数年来の友人であり、平成五年には『日米知ってるつもり大論争』(日本教文社)という共著を出版したこともある。しかし、加瀬先生も植田氏も、アメリカ人である私に遠慮したのか、東京裁判が茶番だという話は教えてくれなかった。いや、仮に教えてもらったとしても、昔なら「根拠のない陰謀論だ」と決め付けて怒っただろう。

1980年から東京に住み始めて以来、「靖国通り」は数えきれないほど通ったことがあったが、靖国神社の境内に足を踏み入れたのは、2015年5月が初めてだった。ちなみに、その1年前の私は、靖国神社にはいちばん罪が重い「A級戦犯」があえて合祀されているのだから、日本が仕掛けた戦争に巻き込まれてひどい目に遭った、中国人や、韓国人が、日本の内閣総理大臣による靖国神社参拝に怒るのは当然だと思っていた。さらに、「A級戦犯だけを分祀すればいいのに……」とも考えていた。

今から振り返ると、トータルで40年近くも日本に住みながら、しかも、戦後の日米関係研究の第一人者との人脈まで持ちながら、自分は何と無知だったのかと恥ずかしくなる。しかし、弁明するならば、日米どちらの国民も、自らの意志で歴史の真実を調べない限り、教育や、マスコミ報道を通じて、偏った考えを植え付けられてしまうものなのだ。

本文で詳しく述べるが、GHQ(連合国軍総司令部)は日本を占領中に、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と名付けた心理作戦を通じて、日本人に「自虐史観」を植え付けた「戦争の放棄」を規定した日本国憲法第9条こそが、WGIPの主柱であるというのが、最近になって得た、私の結論である。

一方で、私たち米国人には、「リメンバー・パールハーバー」などの戦時プロパガンダや、無差別空襲、原爆投下、そして東京裁判などを正当化するために、「戦勝国史観」が植え付けられている。日米両国とも「洗脳」や「マインドコントロール」と言っても過言ではないことが、現在進行形で行われている。そして「洗脳」とは、何らかの強いきっかけがなければ気付かないものである

私の場合は、朝日新聞が2014年8月に行った「慰安婦報道の誤報取り消し」が、自分の洗脳状態に気が付くきっかけとなった。日本の三大紙である朝日新聞が、そんな無責任な大嘘を何十年も報じ続けていたとは想像すらしなかった。昔からテレビや、新聞の情報を盲信していたわけではないのだが、自分がこれまで「常識」だと考えていた情報を、すべて疑ってみて、謙虚な気持ちで一から調べてみる必要性を強く感じたのである。もし、日本で暮らした経験を持つ外国人が、「日本兵は20万人もの朝鮮人女性を慰安婦にするために強制連行した」とか、「南京では30万人もの民間人を大虐殺した」、あるいは「731部隊は残酷な人体実験を行っていた」と信じていたら、「日本人は規律正しくて優しいのに、なぜ先の戦争のときは残虐だったのだろう?」という疑問に必ずぶつかるはずだ

私は初来日した1971年から、朝日新聞の誤報取り消しがあった約2年半前まで、40年以上もの間、この疑問への回答を出せずにいた。事実を知ってしまえば何のことはない。日本人は戦争中も、規律正しくて優しかったのだ先に挙げた3例は、世界中の人々に広く信じられているが、まともな証拠が存在しない、事実を知る人は少ないだろう。「戦争中の日本人は残虐だった」という、思い込みこそが、プロパガンダによる洗脳の結果であり、完全に間違った認識なのだ。実際には、目を背けたくなるような残虐行為は、むしろ米軍の方がひどかった。こちらには明白な証拠が残っている

本書では、アメリカ人である私がショックを受けた話も、当時の資料に基づいて「ファクト(事実)」と思われるものは載せることにした。ただし、本書の内容を鵜呑みにすることはやめてほしい。私は歴史の専門家ではないし、本書に載せた情報の根拠資料を、すべて細部まで読み込んだ自信もない。もし間違いだと思われる記述を発見したら、遠慮せずに指摘や反論をして欲しい。単なる感情論ではなく、証拠を伴うものであれば大歓迎である。

本書が、東京裁判の問題点のみならず、第二次世界大戦の真実や、戦後体制の問題点について、証拠に基づいた冷静な議論を行うきっかけとなることを希望している。


史上最大の冤罪事件、東京裁判について米国人弁護士が語る。「戦争犯罪国家として裁かれるのはアメリカだ」 米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第1回 2016.12.12 ケント・ギルバート
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3968/

真珠湾攻撃よりも以前から、アメリカは、『歴史戦』を日本に仕掛けていた。日本に『侵略国家』のレッテルを、貼りつけるためだ。アメリカ側にのみ正義があり、日本は、「悪の枢軸国」の一翼を成す、『戦争犯罪国家』だと、謀略宣伝するためだった。本当は、アメリカ政府こそが、自国民を騙して、戦争をはじめたのだ。もし、仮に、公平な国際軍事裁判が行われたならば、『戦争犯罪国』として裁かれるのは、アメリカだった。それなのに、日本人の認識も、世界の人々の認識も、まったく逆になっているこれが、『歴史戦』の真実だ史実を曲げて、歴史を捏造して、世界中にプロパガンダ謀略宣伝を流布して、「歴史修正」を実行したのは、アメリカ政府だった

なぜ、アメリカ人弁護士の私が、『歴史戦』の真相を、いま、問題にするのか。訝しげに思われる方もいるだろう。しかし、その理由は単純明快だ。私は嘘が大嫌いなのだ。弁護士なのでファクト、すなわち“事実”をもっとも重視しているからである。アメリカの国益のためにも、嘘をベースにした日米関係は、いい加減に改めるべき時期である。しかし、史実を無視した『歴史戦』は、いまもなお、現在進行形で戦われている。

◆『歴史戦』の最大の武器が、東京裁判という『プロパガンダ劇』

極東国際軍事裁判」が、東京裁判の正式名称だ。いかにも、正当で正義の裁判を装っているが、現実は、まったくの茶番だった。「裁判」というのは名ばかりで、まったく一方的で、不当な「復讐劇」だった。それは、起訴状が手交された日からもわかるその日は、昭和二十一年四月二十九日。つまり昭和天皇の天長節(天皇誕生日)だったのだ判決文の朗読が始まったのが、『紀元節』、つまり、現在の建国記念日にあたりいわゆる「A級戦犯」として、死刑判決を下された七名(実は松井石根陸軍大将は「A級戦犯」の起訴事実を認定されていない)が絞首刑に処せられたのが、当時の皇太子(つまり今上陛下)の誕生日にあたる、昭和二十三年十二月二十三日だった。もちろん、日本にとってお目出度い日に、忌まわしい死刑をわざと執行したのだ怨念すら、感じてしまうほどのおぞましい復讐「裁判」劇場だった

しかし、アメリカは、どうしてもアメリカの戦争犯罪行為を糊塗したかった。日本こそが戦争犯罪国家であり、アメリカは正義の味方だと、世界に宣伝したかったのだ。まさにプロパガンダそのものである。このプロパガンダ「裁判」劇は、功を奏した。私自身、ほんの数年前まで、東京裁判に強い疑念の目を、向けたことはなかった。

東京特派員倶楽部(現・日本外国特派員協会)の外国特派員たちは、『正義の裁き』を、冷静かつ真摯に検証することもなしに、世界に報じた。東京特派員倶楽部は、「マッカーサーに対抗するために結成された」と、言う人もいるが、それは、マッカーサーが各国の記者の「定員枠」を制限したことに対する、反発を示し、労働条件改善のための、団体交渉を行った組織であるという、程度の意味しかない。その結果、マッカーサーが「定員枠をはずす」上に、「正規の現役ジャーナリストなら、誰でも宿舎と食事を提供する」と、オファーしたところ、すぐ合意に達した。そうして、獲得したのが、三菱地所がリースした、五階建ての赤レンガビルだった。「ナンバーワン新聞ビル」と、呼ばれ、地下は厨房、一階がラウンジと食堂とバー、2,4,5階には、個室の食堂があった。それ以外は、寝室に改造して、シャワーと洋式トイレを新設した。これだけ、好条件を提供されると、占領軍の批判記事は書きづらくなる

◆いまも日本を呪縛する東京裁判の呪い

東京裁判こそが、史上最大の冤罪事件だった。戦争犯罪人として裁かれた人たちの名誉回復は、不十分なままだ。しかし読者の中には、七十年も前の東京裁判のことなど、もうどうでもいいではないかと、そう思われる方もいるだろう。だが、問題は、その東京裁判WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)が、二十一世紀に生きる日本人を、いまだに呪縛していることだ。大半の日本人は、いまでも占領軍の戦時プロパガンダに呪縛されている。このため、その色眼鏡を通してしか、歴史や世界を見ることができない。

二〇一六(平成二十八)年の八月十五日、安倍晋三首相は、靖国神社を参拝しなかった。国のために命を捧げた将兵を祀る靖国神社に、首相が参拝することができないという、実に異常な状況に日本は置かれている。中国や韓国の批判をかわすことや、連立与党の、公明党への配慮のためだろうが、まったく理不尽なことだ。

首相が、靖国神社を参拝することが問題なのは、「A級戦犯が祀られている」から、だとも言われる。しかし、それもまた、ほんとうではない。プロパガンダである。昭和天皇は、いわゆるA級戦犯について、「米国よりみれば犯罪者ならんも、我が国にとりては功労者なり」と述べているこの先帝陛下のお言葉は、「A級戦犯」として、逮捕状が出された木戸内大臣について語られたものだと、『木戸幸一日記』に書かれている

実は、昭和二十年八月の終戦から、昭和五十年四月までの三十年弱の間に、歴代八人の首相が、計三十一回の靖国神社参拝を行っている。首相の靖国参拝は、恒例行事だったので、わざわざ、新聞の紙面を大きく割いて、報じるものではなかった。両陛下や、首相の靖国参拝を、朝日新聞ですら、好意的に報じていた。ところが、三木武夫首相が昭和五十年八月十五日の「終戦の日」に参拝したとき、朝日新聞は初めて「政教分離」に絡めて、批判的な報道を行ったこれ以降、新聞等の批判的報道は徐々にエスカレートし、今では中国や、韓国が、外交カードに用いるようになった

首相や、閣僚の靖国神社参拝に、何か問題があるかのように、考えている人々の大半は、このような経緯を何も知らず、ネガティブキャンペーンに踊らされているだけである。このような経緯を知った上で、批判を続ける人々は、左翼的思想の確信犯だろう


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