September 23, 2023

新潮文庫「昭和ミステリー大全集」

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新潮文庫
昭和ミステリー大全集〈上巻〉
新潮社【編】
新潮社(1991/01発売)

目次

指紋(佐藤春夫)
途上(谷崎潤一郎)
琥珀のパイプ(甲賀三郎)
怪奇の創造(城昌幸)
嘘(渡辺温)
お・それ・みお(水谷準)
死後の恋(夢野久作)
押絵と旅する男(江戸川乱歩)
殺された天一坊(浜尾四郎)
聖アレキセイ寺院の惨劇(小栗虫太郎)
聖悪魔(渡辺啓助)
怪奇を抱く壁(角田喜久雄)
ハムレット(久生十蘭)
探偵小説(横溝正史)
眼中の悪魔(山田風太郎)
天狗(大坪砂男)
妖婦の宿(高木彬光)
解説(長谷部史親)

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新潮文庫
昭和ミステリー大全集〈中巻〉
新潮社【編】
新潮社(1991/02発売)

目次

社会部記者(島田一男)
心霊殺人事件(坂口安吾)
落ちる(多岐川恭)
完全犯罪(加田伶太郎)
殺意(松本清張)
かあちゃんは犯人じゃない(仁木悦子)
吉備津の釜(日影丈吉)
不運な旅館(佐野洋)
團十郎切腹事件(戸板康二)
案山子(水上勉)
お嫁にゆけない(笹沢佐保)
葬式紳士(結城昌治)
下り「はつかり」(鮎川哲也)
方壺園(陳舜臣)
ナポレオンの遺髪(三好徹)
淋しがりやのキング(生島治郎)
解説(縄田一男)

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新潮文庫
昭和ミステリー大全集〈下巻〉
新潮社【編】
新潮社(1991/03発売)

目次

南神威島(西村京太郎)
黄色い吸血鬼(戸川昌子)
襲われて(夏樹静子)
単位の情熱(森村誠一)
ジャケット背広スーツ(都筑道夫)
死神はコーナーに待つ(天藤真)
掘出された童話(泡坂妻夫)
ところにより、雨(赤川次郎)
菊の塵(連城三紀彦)
暗殺者グラナダに死す(逢坂剛)
ゆきどまりの女(大沢在昌)
糸ノコとジグザグ(島田荘司)
少年の見た男(原錙
解説(長谷部史親)

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新潮文庫
昭和ミステリー大全集〈ハードボイルド篇〉
新潮社【編】
新潮社(1992/01発売)

目次

死者の呼び声(島田一男)
ラ・クカラチャ(高城高)
復讐は俺の血で(大薮春彦)
狂熱のデュエット(河野典生)
地平線はぎらぎらっ(藤原審爾)
死体置場は空の下(結城昌治)
獣に降る雨(菊村到)
ひからびたデート(山下諭一)
天使の唄(三好徹)
死んだ男にこの唄を(生島治郎)
どこかの一隅で(仁木悦子)
ミス・リグビーの幸福(片岡義男)
感傷の街角(大沢在昌)
苦くて甘い心臓(都筑道夫)
暗い川(逢坂剛)
ダーティな夜(小鷹信光)
男は夢のなかで死ね(小泉喜美子)
栗鼠の夜(北方謙三)
歩道橋の男(原遼)

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絵本の世界(4)「たいせつなこと」「ちいさな島」

「たいせつなこと」

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たいせつなこと
ブラウン,マーガレット・ワイズ【作】〈Brown,Margaret Wise〉/ワイスガード,レナード【絵】〈Weisgard,Leonard〉/うちだ ややこ【訳】
価格 \1,320(本体\1,200)フレーベル館(2001/09発売)
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2017-01-21 たいせつなこと < 死ぬまでに読みたい絵本
https://ehon0016.hatenablog.com/entry/2017/01/21/185813

あらすじ

スプーンは、食べるときに使うもの。
でも、スプーンにとって大切なのは、それを使うと上手に食べられるということ。
ひなぎくは、白い。
でも、ひなぎくにとって大切なのは、白くあること。
そして、あなたにとって大切なのは……。

本当に大切なことは何かを教えてくれる絵本です。
 
見どころ

今回の見どころは、自分が自分らしくあることの大切さです。
この絵本では、様々なものが登場し、それぞれのものに大切なことが書かれています。
登場するのは、日用品や自然、食べものなどです。
普段はあまり意識しないようなことが書かれていて、読んでいるとハッとさせられるような新たな発見があります。
ものには、それぞれ目的や役割があります。
例えば、雨にとって大切なのは、みずみずしく潤すということです。
では、あなたにとって大切なのは、なんでしょう。
答えは、「あなたがあなたであること」です。
あなたはあなたであること、つまり自分らしくいることが大切なのです。
あなたは自分らしくいるだけで、十分に存在価値があるのです。
無理に、何者かになる必要はないのです。
このことに気付いている人は、実は多くはないのではないでしょうか。
この一節を読むだけで、今までとは世界が変わって見えてくる人もいるでしょう。
また、改めて「自分は自分でいいんだ」と確信する人もいるでしょう。

どんな人にでも、自分が自分らしくあることの大切さがわかる、素晴らしい絵本です。

印象的なことば

あなたがあなたであること
 
シンプルながらも、胸を打つ言葉です。
自分らしくいることの大切さが伝わる、まさに名言ですね。

感想

タイトルの通り、大切なことが描かれた絵本です。
本書は、1949年に最初に出版されて以来、多くの人に読み継がれてきました。
そして、半世紀以上ものときを経て、日本では2001年に初めて出版されました。
それまで出版されなかったのが不思議なくらいの名作です。
レナード・ワイスガードの絵と、マーガレット・ワイズ・ブラウンの詩的な文章が重なり合って、読者に優しく語りかけるような1冊になっています。
普段は何も考えずに使っているものや見つめている自然にも、実はそのものにしか果たせない、大切な役割があるのです。
この絵本を読んだ後に、改めて日常の風景を見渡してみると、普段何気なく見ていたものが、それぞれ大切な役割を持っていることに気が付きます。
きっとこの絵本を読んだら、今までよりも自然や日用品を大事にしたくなると思います。
そして、それと同じように、自分を大切にしたくなるはずです。
そんな風に、ものや人に接する人が増えたらいいなと感じます。
日常の風景が今までとは少し違って見える、そんな絵本です。
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レナード・ワイスガード

1916年、アメリカ・コネティカット州で生まれる。自ら絵と文をかいた作品もあるが、他作家の作品に絵をつけたものが180冊以上あるといわれている。マーガレット・ワイズ・ブラウンとは1946年のコルデコット賞銀賞作『まいごになった子ひつじ』(長崎出版)などおよそ25冊の本を作っている。1947年には、『ちいさな島』(ゴールデン・マクドナルド文/童話館出版)でコルデコット賞と『あまつぶぽとりすぷらっしゅ』(アルヴィン・トレッセルト文/童話館出版)で同銀賞を同時受賞した。2000年没。

マーガレット・ワイズ・ブラウン

1910年、ニューヨークに生まれる。児童書の編集者をへて、20代後半から創作をはじめる。多くのすぐれた画家と組み、42年の短い生涯の間に100冊以上の作品を発表した。幼い子どもの感性に訴える文書に定評があり、『ぼくにげちゃうよ』『おやすみなさいのほん』、『おやすみなさいおつきさま』『いぬ おことわり!』など多くの作品が日本でも愛読されている。ゴールデン・マクドナルドの筆名で出した『ちいさな島』により、1947年コルデコット賞を受賞。


「ちいさな島」

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ちいさな島
マクドナルド,ゴールデン【作】〈MacDonald,Golden〉/ワイスガード,レナード【絵】〈Weisgard,Leonard〉/谷川 俊太郎【訳】
童話館出版(1996/09発売)
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Book 46 / December 02, 2016 < 『ちいさな島』
https://andpremium.jp/article/book-46/

この本を知ってからずっと後に、これが『おやすみなさいおつきさま』などの絵本で知られるマーガレット・ワイズ・ブラウンが、ゴールデン・マクドナルドというペンネームを使って書いた絵本だと知って驚いた。ちいさな島の豊かな自然を綴ったこの物語は、本の最後に出会うこの文章にその魅力が凝縮されている。「ちいさな島でいることはすばらしい。世界につながりながら じぶんの世界をもち かがやくあおい海に かこまれて」翻訳は谷川俊太郎さん。この絵本にはシンプルな哲学が込められている。
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September 22, 2023

小説家・佐藤春夫

佐藤 春夫(1892年(明治25年)- 1964年(昭和39年))は、和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に医師・佐藤豊太郎、政代の長男として生まれます。母・政代は旧紀州藩士・竹田家の娘。佐藤家の家系は代々紀州で医を業とし、父・豊太郎に至って九代を数えています。また、父・豊太郎は正岡子規に私淑した文人(号は鏡水)でもあります。〔Wikipedia 参照〕

和歌山県立新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)在学中の1909年(明治42年)、『すばる』創刊号に短歌を発表し、評論家・生田長江、歌人・与謝野鉄幹を知ります。1910年(明治43年)卒業後、上京して生田に師事、与謝野の新詩社に入利、ここで同人の堀口大學を知り、堀口と共に旧制第一高等学校(旧制一高:現・東京大学教養学部)の試験を受ける予定が、放棄して慶應義塾大学部文学科予科に入学します。慶應義塾では当時の教授・永井荷風に学び、兄弟子に当たる小説家・久保田万太郎とは犬猿の仲であったが、荷風の死後明らかになった『断腸亭日乗』に、弟子の久保田と春夫を中傷する内容が書かれていたため、後に和解しています。1909年(明治42年)から『スバル』『三田文学』に叙情詩を発表して識者の注目を集めます。1911年(明治44年)、幸徳秋水らに連座して同郷の医師・大石誠之助が大逆事件の被告として処刑され、その当時の心情を詩「愚者の死」として『スバル』に発表して評価されていきます。

1912年(大正元年)、平塚らいてう(平塚雷鳥)を中心として結社された女流文学社・青鞜社の画家・尾竹紅吉を通じて妹・ふくみと知り合い、その気持ちを詩に託しますが、慢性の不眠症を患うこととなり、慶應義塾も中退してしまいます。この頃、詩人であり彫刻家・高村光太郎のアトリエに通い、肖像画を描いてもらいます。その後、元芸術座の女優・川路歌子と同棲し、この頃から散文詩に向かう一方で絵筆を執り、第2回「二科展」に『自画像』と『静物』の2点が入選しています。

1917年(大正6年)、神奈川県都筑郡中里村(現・横浜市)に移って田園生活を始め、『病める薔薇』を執筆し、翌年『黒潮』に発表します。1919年(大正8年)に前述の『病める薔薇』の後半を書き足した『田園の憂鬱』を完成させて『中外』に発表し、一作毎に新進作家としての地位を確立する一方、1920年(大正9年)に極度の神経衰弱に陥り、帰郷しています。その後、台湾や中国の福建を旅し、台湾での縁より、人類学者・森丑之助と知り合っています。

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『病める薔薇 短篇集』天佑社 1918年(大正七年十一月廿八日) 「田園の憂鬱」新潮文庫、岩波文庫

『女誡扇綺譚・田園の憂鬱』小学館 2019年。川本三郎解説、選書判、全5編
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1921年(大正10年)に『殉情詩集』を発表し、小説家、詩人として広く認められ、『新青年』誌などで多くの推理小説を発表し、この頃、小説家・富ノ澤麟太郎と知り合います。小説家・谷崎潤一郎が妻・千代に冷淡なのを見て同情から恋に変わり、谷崎はいったん佐藤に妻を譲ると言うが、谷崎は妻の妹・せい子(『痴人の愛』のナオミのモデルとなった女優・葉山三千子)と結婚するつもりでいたが断られ、妻が惜しくなって前言を翻したため、谷崎と交友を断っています。谷崎は当時小田原に住んでいたためこれを小田原事件といいます。失恋に苦しみ、代表作である「秋刀魚の歌」(詩集『我が一九二二年』所収)などで千代への思慕を歌っています。この頃、東京市外目黒氷川に居を構えた弟・夏樹方に小説家・稲垣足穂らと共に同居しています。

1922年(大正11年)、父・豊太郎が還暦を迎え、佐藤は家督を継ぎます。この頃、「都会の憂鬱」を『婦人公論』に断続連載し始め、ダダイスト詩人・高橋新吉と知り合います。そして、雑誌『月光』の同人となり、『聊斎志異』や今古奇観「百花村物語」の翻訳を手がけます。中国文学に傾倒して長期の旅行を計画しますが、関東大震災や小説家・島田清次郎の事件のため中止してます。その後、1924年(大正13年)に帰郷して約1年ほど郷里に留まりますが、1926年(大正15年)に谷崎潤一郎と交友関係を復活させ、3年間に長篇を2作ずつ書く約束で小説家の菊池寛、宇野浩二、里見と共に報知新聞社客員記者となり、中国への旅を実施します。この頃、作家・富沢有為男と知り合います。

1927年(昭和2年)に小石川区町(現・文京区関口)の新居に移り、改造社の講演旅行に加わり九州、北陸方面を廻り、その後、中国旅行を行い、旅行中に小説家・芥川龍之介の訃を聞くこととなります。帰朝後に『芥川龍之介全集』の編纂にたずさわり、王秀楚の「揚州十日記」を翻訳発表しました。『平凡』『文學』の創刊に携わり、1929年(昭和4年)に法政大学予科講師となり、作文を担当。在職中に現在の同大学校歌を作詞する。翌年に兵庫県武庫郡に移り住むが、軽い脳溢血を病み、病気静養のため下里へ帰郷しています。後に佐藤は「山口県民の歌(3代目)」を1962年(昭和37年)に作詞しています。

佐藤は、谷崎の妻・千代を1930年(昭和5年)に譲り受けます。谷崎と千代の離婚成立後の3人連名の挨拶状を知人に送り、「細君譲渡事件」として新聞などでも報道されて反響を呼び起こし、谷崎の長編小説『蓼喰ふ蟲』はその経緯を描いたものと思われていましたが、実はその前年の、千代を小説家・大坪砂男に譲る件についてのものであることが後に分かりました。

1931年(昭和6年)に長男・方哉が誕生し、1933年(昭和8年)に法政大学を辞職し、この年に小説家・中谷孝雄と知り合います。1935年(昭和10年)芥川賞が制定されると選考委員11人のうちの1人となり、この頃、小説家・太宰治と知り合います。翌年には、文化学院の文学部長に就任します。1937年(昭和12年)に日本浪曼派の同人となり、文藝春秋社特派員として華北方面に出発し、文学者従軍海軍班の一員として中国に赴きます。1940年(昭和15年)初代・花柳寿美のために「八雲起出雲阿国」を書き下ろし、歌舞伎座、帝国劇場で上演します。息子・佐藤方哉(まさや、1932年-2010年)は、後に行動分析学の第一人者と評され、慶應義塾大学文学部で長く教鞭を執り、国際行動分析学会会長、慶應義塾大学名誉教授・帝京大学文学部教授などを歴任しました。

1941年(昭和16年)、太平洋戦争(大東亜戦争)の文士部隊として中支戦線に従軍し、マレー及びジャワの南方方面へ視察旅行に出かけ、大政翼賛会の肝いりで開催された「文学者愛国大会」に参加します。戦争末期の1945年(昭和20年)には、長野県北佐久郡平根村(現・佐久市)に疎開しています。佐藤は、明治期には大逆事件の影響を受けて思想的な傾向を示す「傾向詩」を多く手がけますが、大正に入って小説家として生きることを目指します。第二次大戦中は文学者として従軍し、戦争を賛美するかのような詩を残し、戦後はB級戦犯に問われている知人などを弁護しました。日本文学報国会の理事だったため、戦後は戦争協力者の一人として批難されますが、「わたくしは民族感情を代表して、はじまってしまった戦争に勝つように協力しただけであった。」と答えました。

戦後となる1946年(昭和21年)から文芸誌『群像』などの創刊に助力し、翌年から毎年全国各地に旅行に出かけます。1948年(昭和23年)から日本芸術院会員、水上瀧太郎賞選考委員となり、翌年、誕生日を祝う会「春の日の会」第1回を日比谷陶々亭で催します。1950年(昭和25年)宮中歌会始に列席し、『朝日評論』でイギリスの詩人・エドマンド・ブランデンと東西の詩について対談し、翌年には『三田文学』の編集委員となります。1954年(昭和29年)、小説家・檀一雄と共に九州を旅行し、疎開地・佐久に別荘「見山居」の新築を始めます。1956年(昭和31年)に芥川賞受賞作品『太陽の季節』をめぐって小説家・舟橋聖一と応酬します。1962年(昭和37年)に芥川賞選考委員を辞任し、山口県の「山口県民の歌」(3代目)および「山口市の歌」(2代目)を作詞して制定されています。翌年、小説家・井上靖を連れて北海道旅行に出かけ、『北海タイムス』夕刊に「北海道吟行」を12回連載しました。1964年(昭和39年)慶應義塾大学で「詩学」を開講し、朝日放送「一週間自叙伝」というラジオ番組の放送予定分を自宅の書斎で録音中、「私は幸いにして…」という言葉を発した直後に心筋梗塞を起こし、そのまま死去しました。72歳没。同年、東京オリンピック開会式に作詞した「オリンピック東京大賛歌」が歌われました。

佐藤は昭和文壇界の重鎮であり、俗に門弟三千人といわれ、その門人もまた井伏鱒二、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、稲垣足穂、龍胆寺雄、柴田錬三郎、中村真一郎、五味康祐、遠藤周作、安岡章太郎、古山高麗雄など、一流の作家になった者が多くいました。また、芥川賞の選考をめぐる太宰との確執はよく知られ、自分を慕う者の世話はどこまでもみたが、自分を粗略にした(と思った)者はすぐに厚誼を途絶するという、ものごとを白・黒で見る傾向もありました。『新潮』編集長の齋藤十一から原稿を没にされてからは、齋藤および新潮社と縁を切っています。三島由紀夫も第二次大戦末期には春夫のもとに出入りし、初対面の折に「大家の内に仰ぐべき心の師はこの方を措いては、と切に思はれました」(1943年10月5日付富士正晴宛書簡)と記したこともあり、三島が長篇小説『盗賊』(1948年)の序文を川端康成に依頼したことが気に入らず、以後は疎遠になっています。檀一雄は、川端家に遊びに行っても酒が出ないので閉口していたところ、佐藤の家を訪れた折には佐藤が下戸なのにもかかわらず気前よく酒を振舞われて感激し、それ以後弟子を自任するようになったといいます。太宰治の『道化の華』『虚構の春』は佐藤が命名した作品であり、芥川賞創設初年度の芥川賞は石川達三の『蒼氓』に決まり、太宰治のデビュー作『逆行』は次席となったおり、太宰は川端康成に抗議文を送ったり、佐藤に来年の受賞を懇願するなどして文壇に波紋を広げました。

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ちくま文庫 怪奇探偵小説名作選〈4〉佐藤春夫集―夢を築く人々
佐藤 春夫【著】/日下 三蔵【編】 筑摩書房(2002/05発売)

目次
西班牙犬の家
指紋
月かげ
陳述
「オカアサン」
アダム・ルックスが遺書
家常茶飯
痛ましい発見
時計のいたずら
黄昏の殺人
奇談
化物屋敷
山妖海異
のんしゃらん記録
小草の夢
マンディ・バナス
或るフェミニストの話
女誡扇奇談
美しき町
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togyo2009 at 20:02|PermalinkComments(0) That's 芸能界