October 14, 2018

追悼 佐々淳行氏 (下)「昭和初午会」

2013.3.6父の教え】初代内閣安全保障室長・佐々淳行さん 「武士道」貫いた強い意志

https://www.sankei.com/life/news/130306/lif1303060020-n1.html

危機管理の専門家として活躍する佐々淳行さん(82)。父、弘雄さんは戦国時代の武将、佐々成政から続く武士の矜恃と反骨精神を持ち続けた。

 

弘雄さんは28歳で九州帝国大(現九州大)法学部教授に就任した気鋭の政治学者だった大正デモクラシーの立役者、東京帝大の吉野作造教授の薫陶を受け、第一次大戦後、ドイツに留学。欧米を回った弘雄さんは英米型の自由民主主義の主導者だった。その父が昭和3年、大学を追われる。弾圧が強まり、思想が「アカ」と断じられたためだ。

 

祖父、友房さんは西南戦争時に薩摩軍で奮戦後に国家主義を建学精神とした同心学舎(現熊本県立済々黌高)を設立し、衆議院議員も務めた国権派だ。「共産主義も自由主義も社会主義も皆、『アカ』。だが、実際の父は祖父と同じように、どうにもならない『愛国者』だった」それは当時、自宅を訪れる面々の多彩さで知れる。陸海軍の重鎮、後に二・二六事件を起こす青年将校たちも自宅を訪れていた。父を視察していた特高刑事は「佐々弘雄はリンゴだ。外は赤いが中は真っ白だ」と報告したという。

 

大学を辞した後、朝日新聞論説主幹を務めた近衛文麿元首相のブレーンの一人でもあり、日中戦争の終結を模索し、三国同盟日米開戦にも反対を貫いた。「外交課題に対しては完全に和平派。そうした人たちは次々に摘発され、太平洋戦争へなだれ込んでいった。だが、官僚にも言論人にも良識派はいた。だから何とか止められなかったものかと残念に思う」と佐々さんは言う。終戦の8月15日、弘雄さんは「一億相哭の秋」と題した社説を書いた。天皇陛下のご聖断に従い武器をおこう。国のために命を捧げた将士のために共に哭こうとの社説を泣きながら書いていたと後に聞いた。

 

政界とのつながりは深かったが、金銭には清廉潔白。佐々さんが中学生のとき、父が自宅で分けた札束を数えている風景を見た。首相を退いた近衛氏からの慰労金だった。「当時のお金で5万円。今なら億単位でしょう。それを『同士に配る』と言って母には渡さない」。そして、「中学生なら監視はつかない」と、1万円を新聞紙に包んで届けるように言われた。困窮しても闇物資には手を出さず、家族が買うことも許さなかった。「ニーチェに『政治家には2種類ある。権力意志と権力欲がある』という一節がある。前者は権力に伴う責任と義務を果たす人、後者は自身の利益や享楽のために権力を求める。父は権力意志を貫いた」

 

「祖父も父も(数え年で)53、佐々成政も53で亡くなった。息子たちに『佐々家は53で死ぬことになってる。だからそれまでに自立しろ』と言ってきた。それなのに僕は82まで生きちゃって大ひんしゅくなんだ(笑)。おかげで息子たちは独立心の強い子になったけどね」。父譲りの強い意志は佐々家にしっかりと受け継がれている。(戸谷真美)

                  ◇

≪メッセージ≫

家族にとっては迷惑なこともあったが、せめてあと10年、長く生きていてくれればと思う。それが残念です。

                  ◇

 

 

佐々淳行氏は晩年、『私を通りすぎた政治家たち』を著します。

 

2014.08.28 書評 佐々淳行(初代内閣安全保障室長)が見た戦後の政治家 ベスト5 ワースト5 文:佐々淳行

https://books.bunshun.jp/articles/-/3553


今回、「最後の著書」と銘打って刊行した『私を通りすぎた政治家たち』は、いわゆる「佐々メモ」に基づく政治家閻魔帳ともいうべき本です。政治家でもあった私の祖父(友房)や父(弘雄)をはじめ、幼少の頃から遭遇し、学生時代に教えを請い、官僚になってから職務上接触したさまざまな内外の政治家を取り上げています。‐ざっと百人ぐらいの内外の政治家が登場します。「職業政治家」ではないものの、「国を代表する公人」は広い意味での「政治家」であるとみなして、エリザベス女王や元駐日大使のライシャワーさんやガガーリン少佐(人類初の有人宇宙旅行者)などもリストアップしています。

 

憎めない左翼政治家たちもいた

 

よくいわれる話ですが、政治家には、「政治家」(ステーツマン)と「政治屋」(ポリティシャン)の二種類があります。権力に付随する責任を自覚し、ノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)を心得ている人は「政治家」。権力に付随する利益や享楽を優先して追求するのは「政治屋」と、私は定義しています

 

手前味噌になるかもしれませんが、私の祖父や父は「政治家」だったと思います。「国益」を第一に考え、「私益」を後回しにするというのも「政治家」に必要な資質といえます。その観点から戦後日本の政治史で、ベスト5の「政治家」といえるのは、いろんな反論もあるかもしれませんが、(1)吉田茂、(2)岸信介、(3)佐藤栄作、(4)中曽根康弘、(5)石原慎太郎という名前を挙げることができると思います。

 

一方、国益より私益を優先したワースト5の「政治屋」といえば、(1)三木武夫、(2)小沢一郎、(3)田中角栄、(4)加藤紘一、(5)河野洋平……といった面々が私には浮かぶのです。「要は、佐々さんはリベラルが嫌いなだけだろう」と感じる向きもあるかもしれません。しかし、そうではない。自民党内のリベラルな人は、いささか無節操で、新聞世論に迎合するだけのタイプの政治家が多かった。

 

それに比べて、同じリベラルでも野党にいる人はちょっと違うタイプの政治家もいました。例えば、本書には「憎めない政治家たち」という章がありますが、そこに登場するのは、不破哲三、上田耕一郎、大出俊といった、反自衛隊反警察の共産党、社会党左派の論客たちです。国会答弁でも、何度もやりあった「天敵の仲」です。でも、こういう人たちは思想信条が首尾一貫しており、論敵ではあったけれども、どこかで心が通じ合うものを感じていました。

 

本書でも詳述していますが、防衛庁長官であったにもかかわらず、防衛問題よりも毎朝の円ドルの交換比率の動向や地元の山形の米問題に関心を寄せていた加藤紘一長官に更迭された私(当時防衛施設庁長官)を、労ってくれたのは駐日大使のマンスフィールドさん上田耕一郎さんの二人でした。上田さんは、わざわざ面会を申し込んできて、何を言われるのかと身構えていたら、「あなたはイヤな答弁、イヤな仕事を全部やらされていますね。本当にご苦労さまでした。三宅島も政治的な失敗として解任された。そう私たちは理解しておる。誤った自民党の防衛政策のために、あなたのような国のために一生懸命やっている人が解任されるというのは非常によろしくない」とまで言われたものです。

 

滅びゆく士族の末裔として未来の政治家に遺す書

 

太平洋戦争(大東亜戦争)が終わってからもう70年近い。私も今年84歳になります。日本の将来を思うと、心配でならない治安、防衛、外交といった国家でなければ成し得ないことを実現する上で、政治家の役割はますます重大です。その観点から、「将来を期待したい政治家たち」という章では、安倍晋三首相以下の若手政治家(石破茂、前原誠司、長島昭久、小泉進次郎、橋下徹……)の名前を挙げました。彼らが、期待に応えてくれるのか、それとも、まだ見知らない政治家が新たに台頭してくるのか……。それを見届けることは私には難しいかもしれない。

 

‐私は祖父や父が政治家であったにもかかわらず政治家にはならなかった。我が上司・後藤田正晴さんからも何度も「なれ」と命令されたものの、そればかりは抵抗し固辞してきました。その理由も本書で述べているので、ここでは省きますが、政治家にはならなくとも、一官僚として、一国民として、また、士族の末裔として、健全なる国家意識を持ち、国難に直面してもひるむことなく国益のために粉骨砕身してきたつもりです。変な譬えですが、昔見た米映画「アパッチ族の最後」「モヒカン族の最後」を最近思い出しもします。白人に追い詰められ圧倒的少数派になったインディアン族の悲劇の物語として鑑賞することも可能ですが、私のような「(旧)士族」や「内務官僚」や「政治警察」出身者というのは、民主主義の時代にあっては、もはや「インディアン族」以上に「少数派」となってしまい、時代遅れなのかもしれません。しかし、このDNAは、どこかで「政治家」にも引き継がれるべき資質であると私は信じています。

 

ともあれ、これが私の「最後の著書」となるかもしれませんが、少なくとも本書で何度も強調したノーブレス・オブリージュの精神を持った政治家たちが、これからの日本を背負っていくことを、滅びゆく士族の末裔の一人として、「老兵」として強く期待したいものです


 

私を通り過ぎた政治家たち 前編 佐々淳行 H26 09 13

私を通りすぎた政治家たち 後編 佐々淳行 H26 09 13

 

 

佐々氏の記事などをネットで追いかけていたところ、「昭和初午会」の存在を知りました。

 

日本の美しい桜が散った 佐々淳行氏(初代内閣安全保障室長)/追悼 渡辺昇一先生

https://www.chichi.co.jp/special/tuitou-watanabe/satusa.html

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渡部(昇一)さん、日下公人さん、岡崎久彦さんら、保守派の文化人でつくる「初午会」という集まりがあった。昭和になって最初の午年生まれということから名付けられた会で、私もそのメンバーである。

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三宅久之氏の Wikipedia にも紹介があります。

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平成期に渡部昇一などと1930年(昭和5年生まれ)の昭和で最初の午年生まれの著名人の同級生会の昭和初午会を組織した。

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以下文献から、メンバーの各人がわかります。

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「昭和初午会」顛末記 よき友を持つことは幸いなるかな--政治評論家 三宅久之 本誌編集主幹 木場康治 バンガ- 21(2), 24-33, 2001-02  バンガ-ド社

座談会 昭和5年生まれの「初午(はつうま)会」の五氏が侃侃諤諤(かんかんがくがく) われら"保守正道"から見た二十一世紀・日本の道() NDL雑誌記事 日下 公人 木場 康治 竹村 健一 2002-02-12

座談会 昭和5年生まれの「初午(はつうま)会」の五氏が侃侃諤諤(かんかんがくがく)--われら"保守正道"から見た二十一世紀・日本の道() NDL雑誌記事 日下 公人 木場 康治 竹村 健一 2002-02-26

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昭和5年生まれ、この「昭和初午会」の面々が第2次安倍政権誕生に大きく貢献しているのです。

 

安倍晋三氏の総理大臣実現を求める有志の声明(下)瞑走 September 16, 2012

http://blog.livedoor.jp/togyo2009/archives/52318824.html

 


 

大道無門佐々淳行、菅内閣との不都合な関係
[H23/9/16]

2011/09/15 に公開

毎回、各界の著名人をお迎えして様々な話題について語り合う対談番組。歴史から言語、政治経済、哲学まで、幅広く深い知識においては白眉の存在である渡部昇一がホストをつとめ、ゲストそれぞれの魅力や、専門分野にまつわる話題を巧みに引き出していきます。

今回は、初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行氏をお招きし、警備課時代に捕まえ損ねた過激派連中が名を連ねていた「菅内閣」について振り返っていただくと共に、与野党を問わず黒い噂が絶えない選挙とカネの問題、外国勢力との関係などについてもお話しいただきます。

 

◆チャンネル桜公式HP

http://www.ch-sakura.jp/



togyo2009 at 13:04|PermalinkComments(0) たちあがれ保守政党 

追悼 佐々淳行氏 (中)事件編

2018.10.10「ミスター危機管理」被害減らす発想の重要性説く 佐々淳行氏死去

https://www.sankei.com/life/news/181010/lif1810100023-n1.html


‐佐々淳行氏が亡くなった10日、菅義偉官房長官は、記者会見で「危機管理のプロとして大いに活躍した。功績をしのび、ご冥福をお祈りする」と述べ‐。‐業績について「危機管理という言葉が多くの国民に知られるようになった」とたたえた。

 

防衛庁へ出向中の昭和52年米ソが核戦争の危機に直面した「キューバ危機」の米側対処を研究していたときのこと。「クライシス・マネジメント」という言葉が多用されていることに気付く。それに「危機管理」の訳語を当てて防衛白書に書き込んだのが、佐々氏だった。佐々氏は常々、国家的危機のときの政治権限の明確化などを訴えていた。

 

だが平成7年の阪神大震災の際、災害対応で後手に回る村山富市政権を目の当たりにする。発生約2カ月後、産経新聞のインタビューで「危機管理システムの国家的な構造的欠陥がやられた」と無念の胸中を明かしている。

 

父の弘雄氏は政治学者出身で後に朝日新聞論説委員室主幹などを経て参院議員。兄も東大から朝日を経て作家となった。戦国武将の佐々成政の流れをくむ佐々家の「家名を汚すことなかれ」と厳しく教育され、17歳のころ弘雄氏が亡くなり奨学金で東大に進学。当初は学者かジャーナリストを志望していたが、「国民の税金で卒業できた。恩返しに全体の奉仕者となる」と心に決める。

 

一方、戦後間もない日本社会は連合国軍総司令部(GHQ)による「民主化」から一転、「レッドパージ」へ激変左と極右の両勢力に振り回され、不安定化する国家の危険性を痛感した佐々氏は、治安の安定に貢献したいと29年、国家地方警察本部(現在の警察庁)入りた。当時、日米安保などをめぐり学生や労働界の運動が隆盛し、過激派による闘争は苛烈を極めた長野・軽井沢の企業保養所に連合赤軍が立てこもった47年の「あさま山荘事件」では警察庁から現地に派遣されて幕僚団の一員となり、顛末を記した「連合赤軍『あさま山荘』事件」(文芸春秋)は映画の原作となった。

 

退官後も危機管理に携わり、イラクによるクウェート侵攻カンボジアでの文民警察官殉職などでも政府に提言を続ける。正論大賞の受賞が決まった際には「『危機に臨んで何をなしたか』については私の右に出る役人はいない。『わが人生に悔いなし』である」と回想した。他方、日本のあり方をめぐっても「先の大戦で敗戦した日本はあらゆる面で潰されたまま。歴史認識や領土問題で、まともに反論さえでない。真の再生に向けた若い力を待ち望んでいる」と語っていた

 

 

「重要事件で振り返る戦後日本史」も読ませていただきました。

昭和の大事件を時系列に追いかけながら、現場からの声、その臨場を体現させていただけるような面白さがありました。

その時々に国家犯罪に対峙するご公務を務められ、その後の佐々氏の保守としてのTVや著書での発言を多くの方々に重く響かせたことに感謝いたします。

 

SB新書「重要事件で振り返る戦後日本史―日本を揺るがしたあの事件の真相佐々淳行【著】価格 \864(本体\800)SBクリエイティブ(2016/01発売)

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目次

 

第1章 現代に影響を与え続ける重大事件

第2章 占領下日本の世相があらわれた大事件

第3章 戦後「政治の季節」日本に襲来した嵐

第4章 高度経済成長の裏面史

第5章 国民の信頼を裏切った政界・官界スキャンダル

終章 社会を不安に陥れる事件の変容

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尖閣諸島問題から、日本のシーレーンをどう考えるか?


【国内海外 安全保障なう】第二回:韓国情勢とスパイ事情なう


国内海外安全保障なう 第三回 「日本は領土・領海を守れるのか」


石原新党、日本維新の会は救国の第三極となりうるのか


 

60´s 〈【安保改定の真実】〉中October 16, 2015 瞑走
blog.livedoor.jp/togyo2009/archives/52744099.html


2015.3.20【正論】危機管理強化の根幹は情報力だ 初代内閣安全保障室長・佐々淳行

https://www.sankei.com/column/news/150320/clm1503200001-n1.html

3月20日でオウム真理教による地下鉄サリン事件から20年を迎えた。1995年阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件が起き、ハイジャック・爆破事件などが1件も起きない不思議な13年間を過ごし、太平の夢にふけり始めていた治安当局に大ショックを与える事件となった。

 

《異質な国際危機への対応》


現在、13億の大陸大国である中国の海洋に向けての民族大移動と農業・海産資源獲得競争への参戦や、「イスラム国」なる国家でもない一大イスラム・テロ集団の台頭によって、日本は21世紀の新しい国際テロリズムの脅威にさらされている
。‐米ソ冷戦・イデオロギー対立時代とは異質な国際危機に見舞われている。

 

日本が「戦後レジームからの脱却」の旗を掲げる安倍晋三首相の“大変革内閣”の誕生によって、集団的自衛権防衛体制の改革、海防力の増強など、国家危機管理体制の強化という好ましい方向に向かっていることは周知のとおりである。

 

‐国家危機管理体制の改善に向けて既に改革が行われ、あるいは改革への着手が始まったのは次のとおりである。集団的自衛権導入のための改善、防衛予算増額、日米防衛ガイドラインの改善・閣議決定、水陸機動団の創設、装備予算化、与那国島へ沿岸監視部隊150人配備、海上保安庁の巡視船艇の新造、装備強化(13・7ミリ機関銃と20ミリ連射砲へ兵装改善)、警備船艇の近代化(24ノットから30ノットへ)、潜水艦隊増強(16隻から22隻)、大型ヘリ空母、輸送艦、イージス艦建造、兵員輸送用大型ヘリ導入決定−など。さらに航空自衛隊主力戦闘機F15からF35への換装や無人機導入、自衛隊の幹部人事(特に陸上自衛隊のサマワ派遣指揮官の番匠幸一郎陸将の西部方面総監への発令=沖縄尖閣担当)などもある。

 

‐だが、21世紀の新たな危機に対処するため、安倍内閣に期待することはまだまだたくさんある。‐安倍首相は、国会答弁において「海外邦人保護」の任務を自衛隊法の改正によって実現させる方針を示している。緊急脱出などevacuation(避難)のためだ。


《急がれる直属の「飛耳長目」》


いまや国民人口の1割にのぼる1300万人が居住者や旅行者として海外にいるその人命身体の保護に当たる国家機構としては、国家行政組織法によれば外務省領事局海外邦人安全課であるだが実力部隊をもたない外務省領事局ではこの任務に応えられない

またテロ対策は、地下鉄サリン事件以後も、あまり具体的には進行していない。その1つは情報能力である。アルジェリアや、「イスラム国」日本人人質殺害事件で、日本の裏情報収集能力の欠如が痛感された。テロリストたちの裏情報にかかわる各国インテリジェンス・ソサエティーから仲間はずれの日本外務省、いわゆる諜報能力をもたない日本の情報機関は、これらイスラム・テロリスト情報については蚊帳の外だ

 

日本は首相直属の「飛耳長目」(遠くで起きていることを耳できき、目でみる情報収集力)が必要であるとの議論がようやく30年ぶりに日本に起こっている。政治家に必要な素質はこのインテリジェンス諜報能力であると説いていて、長州の後輩である安倍首相吉田松陰を私淑している飛耳長目とは、米国のCIA英国のMI6ソ連のKGB中国の公安部イスラエルのモサドドイツのBNDフランスのDGSEのような大統領・首相直属の情報収集を行う国家情報機関であり、国によっては「007」で知られる英国のMI6のような活動もする

 

《新たな国際情報官の任命を》


ソ連のスターリン
は、メキシコに亡命した政敵、トロツキーKGBの前身であるゲーペーウーから刺客を放って、メキシコ市においてツルハシで脳を突き刺すという原始的な暗殺により葬った
。だからインテリジェンスはダーティーワークで、日本ではすぐに“危険な仕事”と嫌われ、戦後の国際情報戦では終始、後れをとってきた。

 

日本でも、日露戦争の児玉源太郎明石元二郎などは、いわゆる“上忍”としてロシア革命を起こさせて、帝政ロシアをして日露戦争を諦めさせ日本に奇跡の勝利をもたらした。今、欲しい人材は明石元二郎だが、一朝一夕で国際情報官は育たない。即戦力を得るには、現任の防衛駐在官58人と警察駐在官に、三枚目の看板である“内閣情報”を併任することである、現行法の中で国際情報官を任命し、外務省一等書記官、防衛省一等陸・海・空佐そして内閣情報官の三枚看板として機能させる。そして今は入れてもらえない米国のインテリジェンス機関などに、堂々と公式訪問できるようにすることだ。

 


2016.8.22
【正論】米国に守ってもらうしかない「半国家」状態がなお続いていることを忘れてはならない 初代内閣安全保障室長・佐々淳行

https://www.sankei.com/politics/news/160822/plt1608220020-n1.html

2016年は、憲法公布から70年の節目である。衆院に加えて、7月の参院選挙でも改憲勢力が3分の2に達し、秋の臨時国会では憲法審査会での議論も始まる。憲法改正の機運はいよいよ高まってきたといえる。

 

≪日本を無力化した占領行政≫


現在、わが国を取り巻く国際情勢が大きく変化していることは誰の目にも明らかである。尖閣諸島周辺で中国海警局の15隻もの公船と200隻超の漁船が活発に活動している事を筆頭に、南シナ海や東シナ海で強圧的にふるまい急速な軍備拡張を進める中国核ミサイル開発をやめない北朝鮮ウクライナやシリアで力を誇示するロシア残忍なテロを続ける過激組織「イスラム国」(IS)など、危機は拡大する一方だ。

 

国家の本質的任務は治安・防衛・外交、すなわち安全保障である。ところが、現行憲法下では、自分たちの力で自国を守ることができない日本国憲法第9条第2項に「交戦権は認めない」とあるからだ。この「交戦権」を原文に照らせば「ザ・ライト・オブ・ベリジェレンシー」である。「ベリジェレンシー」とは「交戦」という意味で、一切の戦闘行為を含んでいる。つまり「交戦の権利がない」のであれば「一切、戦えない」ということにほかならない。「自衛ならいい」などという都合のいい解釈はありえない。「ベリジェレンシー」の出典をたどれば、米比戦争後、アメリカがフィリピンを属国化したときの憲法で使われていた。軍政官として統治の基盤を築いたアーサー・マッカーサー・ジュニアが、植民地統治のために盛り込んだ文言だった

 

それを、息子で連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが敗戦国・日本に強要した。少なくとも朝鮮戦争が起こるまで、マッカーサーの占領行政は日本の徹底的な無力化と、軍国主義の払拭、平和主義の徹底だった。ところが米ソ対立が激しくなって冷戦構造ができあがっていく過程で、日本も武装する必要がでてきたため「自衛のための戦力は持てる」と解釈し、憲法に抵触しないよう「自衛隊は戦力ではない」ということになってしまった。

 

≪吉田茂から聞いた「本音」≫


だが、条文の「本義」に帰れば交戦はできない。日米安保条約によってアメリカに守ってもらうしかないという「半国家」の状態が今も続いているのである。はたしてそれをいつまで続けるのか。私は警察・外務省・防衛庁・内閣と長く公務に就いてきた。その間、政府解釈に従って国会でもそう答弁してきたが、憲法の矛盾には目をつぶってきた。よく知られているように、戦後の日本は「安全保障はアメリカ頼みの軽武装。軍事費は最少にして経済優先、成長に専念する」という吉田茂政権の方針を踏襲することで、世界有数の豊かな国になった

 

だが吉田氏は「軽武装・経済優先」をずっと続けるつもりはなかった。私は東大法学部在学中に結成した「学生土曜会」の仲間と大磯の吉田邸に押しかけて、「日米安保条約には反対だ。半国家を明示するものだ」と詰め寄ると、吉田氏から「君たちにそれができるのか。できないものは後回しだ。経済力がついたら憲法改正して自衛軍にするのだ。今は経済再建が第一である。経済力がつくまでの間は日米安保条約でアメリカに守ってもらうのだ。できるような時がきたら、君たちがやれ」という言葉を直接、聞いている。

 

≪戦争が起きないよう備えよ≫


吉田氏の言葉を引くまでもなく、経済大国になった日本は、国家としての軍事力を保有して然るべきだ自衛隊は約200機のF156隻のイージス艦来年、4隻目が就役予定のヘリ空母をはじめ、世界有数の装備を持っている隊員の練度も士気も高い

 

私は3月に刊行した『私を通りすぎたスパイたち』(文芸春秋)で、長年、スリーパー(休眠諜報員)として潜伏をしたのち、スパイとして暗躍した者が何人かいたことを記した。国の重要機密を他国へ漏洩した憎むべき者たちだが、彼らはスパイになりたくて生まれてきたわけでもなかったろう。敗戦という屈辱を受けたうえ、シベリアという厳寒の地へ抑留され、生きて帰るために「誓約引揚者」となり、スパイにさせられた者もいた。考えてみれば彼らも敗戦によって人生を狂わされたのである。

 

敗戦とは惨めなものだ。決して負ける戦をしてはならない最も重要なことは、戦争が起きないよう備えることであるそれには現状に則した憲法が必要だ。日本国民は成熟し憲法改正をタブーと考えなくなってきた。今、もっとも国に誇りを持ち、平和の尊さを実感しているのは、オリンピックに感動している若者たちだろう。平和愛好国であり続けるために、今こそ活発な議論を強く呼びかけたい。



togyo2009 at 07:58|PermalinkComments(0) 事件の深層 

追悼 佐々淳行氏 (上)政治編

2018.10.10 佐々淳行氏死去 初代内閣安全保障室長

https://www.sankei.com/life/news/181010/lif1810100019-n1.html

初代内閣安全保障室長を務めるなど危機管理、安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行氏が10日、老衰のため死去した。87歳だった

 

昭和5年、東京都出身。東京大学法学部卒業後、29年に国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁。警備や公安畑を歩み、44年の東大安田講堂事件、47年のあさま山荘事件など戦後史に残る重大事件で対処に関わった。香港領事、三重県警本部長などを経て旧・防衛庁へ出向。防衛施設庁長官などを歴任した。61年には内閣安全保障室長に就任。平成元年の昭和天皇大喪の礼の警備を最後に退官した。

 

日本社会に「危機管理」という概念を定着させ、公職退任後も新聞やテレビなど多方面で活躍。テロや災害から国民の生命・財産を守り損害を減らす備えの重要性を訴え続けた。国益を重視する現実的な政策提言は歴代政権にも影響を与え、平成13年の米中枢同時テロでは米国の対テロ活動を後方支援するため、自衛隊のイラク派遣を進言。小泉純一郎政権によって実現された。‐産経新聞の‐正論メンバーとしても長く正鵠を射る持論を展開、19年には第22回「正論大賞」(18年度)を受賞した。

 


現代日本の危機管理そして諜報組織(インテジェンス)を訴えた先駆者・佐々淳行氏がお亡くなりになりました。

警察庁・防衛庁を退任後、メディアに登場してその志を、命の火が尽きるギリギリまで、国民に訴え続けられました。

経験と言論に裏付けられたメッセージの数々に想いを巡らせながら、心からの哀悼の意を表させていただきます。

 

佐々氏の著書で読んだ一冊が「彼らが日本を滅ぼす」(発売日:201101月、出版社:幻冬舎)です。この著書には「ほんとに彼らが日本を滅ぼす」(発売日:201107月、出版社:幻冬舎)という続編もあります。





「彼らが日本を滅ぼす」

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【目次】


第1章 「中国漁船体当たり事件」で発覚した日本の危機/第2章 危機管理能力を決定的に欠く民主党/第3章 民主党の裏切り/第4章 彼らは日本を中国の属国にしたいのか?/第5章 今、日本の「海防」「国防」はどうあるべきか/終章 本当に国を守る政治家は誰か

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彼ら、全共闘世代は「破壊の世代」と呼ばれる。 かつて、極左過激派の長期にわたる暴力革命闘争、世界・同時・急進・武装革命を目指し、「目的は手段を正当化する」というレーニン思想や、「革命は銃から」と説く毛沢東主義に影響された「造反有理」のトロツキズムの武力闘争は、日本共産党の平和改革論よりもっと左で、もっと過激だった

武装の上、大学をバリケード封鎖して主張を通そうとして、全国の大学が激しい紛争状態となった。全共闘に扇動された学生たちは、投石や火炎瓶、角材などを武器にした「ゲバ闘争」によって、少なくとも一万五千人が逮捕・起訴され、まともな就職ができず、その人生を大きく狂わせてしまった。殉職者十余名を含む一万二千人の機動隊員が重軽傷を負い、なかには失明、四肢喪失、顔面火傷のケロイドなど、癒しがたい公傷を負い、今でも辛い後遺症に苦しんでいるものもいる。

人生を狂わされた多くの”同士”や後遺症に苦しむ警察官がいるというのに、仙谷由人氏は、うまく転向して官房長官の栄職まで出世した。その上で国のために命がけで働く自衛隊を「暴力装置」と呼んだ

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日本には領海侵犯を取り締まる法律がないそう聞くと驚く読者が多いだろう。しかし、残念ながら「領域警備法(領海警備法)」がなく「領海侵犯罪」もない。これは事実である。領海侵犯という、国家主権を侵害する重大な不法行為を取り締まるために、漁業法出入国管理および難民認定法覚せい剤取締法などで対処しているのが現実だこんな国は世界にも例がない。

 

北洋漁業の日本漁船は日本固有の領土である北方四島周辺で操業中、しばしばロシア国境警備隊の警備艇に銃撃され、拿捕され、数千万円という保釈金を支払ってやっと釈放されるという目にあっている

尖閣の中国漁船も、体当たりしてきた時点で銃撃を受けても文句を言えないのが国際法上の常識であるしかし、日本の巡視船は撃てない

 

20101123日午後234分、北朝鮮軍が突然、約170発の砲弾を発射し、うち約80発が黄海に浮かぶ韓国領延坪島に着弾した。まったく理由のわからない、突然の砲撃であった。‐東アジア一帯で一挙に軍事緊張が高まったこの砲撃を、驚くことに日本の菅総理はテレビ報道で知ったというさらに官邸危機管理センターに菅総理と仙谷官房長官が入ったのは、二時間後だというではないか。なんという国家危機管理体制の不覚悟ぶりだろう。

朝鮮戦争は終わっていない休戦状態なのである。もし、南北の軍事紛争が始まれば、国連軍が機能しはじめるので、日本にはその後方支援義務があることを忘れてはならない。‐「朝鮮半島有事」というと、すぐに「数十万の難民流出」などと想像したりするが、何よりも大切なのは、
28,000人の在韓邦人と年間300万人といわれる−日本人観光客やビジネスマンの保護だ。‐もし、60年前と同様100万人の北朝鮮人民軍が38度線を越えて侵攻してきたら、ソウルは数時間で戦火の巷と化す。‐まして、女房役の内閣官房長官が自衛隊を「暴力装置」と呼んで、野党による参議院問責決議案の脅威に直面しているとき、その「暴力装置」が機能しなければならないかもしれない事態となったのだ

 

「反日」議員が国家公安委員長に就く亡国の人事

 

第一次改造内閣において左翼人士への依怙贔屓としか考えられないのが、岡崎トミ子氏の国家公安委員長就任である。‐岡崎氏は2003年、国会開会中に訪韓し、現職の国会議員として初めて元従軍慰安婦らが定期的に行っている個人賠償を求める反日デモに加わり、声高に応援し、ソウルの日本大使館に向かって拳を振り上げて気勢を上げた経歴を持つ。‐しかし、彼女は、国家公安委員長就任後に国会の場でこのことを問い詰めると、なんと「国益に合致する」と答弁したのだどこの国の国益を指しているのだろうか

岡崎氏のような人物が警察のトップになり、あらゆる「極秘」「秘」などの国家機密文書の閲覧権を持ち、海外情報治安機関からの極秘情報を読み、警視正以上の国家公務員の人事権、そして人々を逮捕する職権を握るかと思うと、背筋が寒くなった。

 

日米同盟を弱体化させた三人の「戦犯」

 

(民主党が)唱えていたのは「東アジア共同体」「沖縄のアメリカ海兵隊無用論」「対等な日米関係」「日本海・友愛の海」、その延長線上で日米中が等距離にあるという「日米中正三角形論」だった。こうした耳当たりのよさげな言葉は、方法論と具体論をともなわない観念論であり、安全保障にはまったく実効性のない空理空論である。

観念論が招いた日米同盟の軋みを察した中国による様子見が、今回の尖閣紛争だった。‐重大な国損を招来した民主党政権の病巣をえぐらなければならない。明言しよう。日米同盟を弱体化させたのは、小沢一郎、鳩山由紀夫、岡田克也の三氏である

 

無責任総理は「四列目の男」

 

私は学生時代の菅直人をよく知っている。菅直人総理も、あの第二次反安保闘争学園紛争花盛りの当時、バリケード封鎖された東京工業大学の輝ける闘争委員長だった。三派系セクトには属していなかったようだが、東工大学生たちを反安保闘争にかき立てる名アジテーターであったことは間違いない。‐加藤学長は、「あの菅という学生には手を焼いています。彼がアジ演説をすると、すぐ五百人くらい集まって騒ぐので困っております」と窮状を私に訴えていた。‐現場で警視庁の警備公安の幹部たちが、「我々は、菅のことを『四列目の男』と呼んでいるんです」と言う。スパイのことを「第五列」ということは知っていた。‐「どういう意味?」「機動隊が検挙活動に入ると、横隊だと三列目までは手が届くんですが、四列目となると手が届きません。彼はいつも四列目より後ろにいて、逃げ足が速いんで捕まえられないのです」

 

羽田空港で国際定期便が再開した伏線とは

 

ペンタゴンでの横田返還交渉の席上、石原都知事は、アクリル樹脂性の東京都空域の立体模型を持ち出し、まず「羽田空域」を中央に置いて、それに「成田空域」の模型をかぶせ、さらに「厚木」「横田」と透明な模型を重ねていって、ウォルフォヴィッツ国防副長官に「いかがです? 一目瞭然でしょう」と示したのである。 実に説得力のあるプレゼンテーションだった。 「まず、空域管制権を大幅に日本に返還していただきたい。次に、日米合同の貨物機発着空港、さらに日米共同の民間空港と空軍基地にしてゆく」 という構想を述べた。

本来なら、この交渉は外務省なり国土交通省防衛庁(当時)がやるべきものだった。ところが、日本政府はアメリカに向かって「NO」と言えない日本だったから、こんな大胆な提案をする者は哀しいかな、石原慎太郎氏以外にいなかったのである。 ウォルフォヴィッツ国防副長官は、実に真剣に石原提案を聞き、善処を約束した。 この石原交渉によってアメリカ政府は2008年に横田の空域を20%返還したのである。そのおかげで、羽田の空域が大きく広がり、第三、第四滑走路の建設が可能となって、ついに2010(平成22)年1021日日本航空ソウル行き第一便が羽田を離陸した

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〈佐々淳行より皆様へ 署名のお願い〉

http://blog.livedoor.jp/togyo2009/archives/51837218.html

 



【正論】初代内閣安全保障室長・佐々淳行 日教組よ、まず「自己批判」せよ 
2008/10/21, 産経新聞

 

≪政治信念貫いた中山氏≫


中山成彬前国土交通大臣
が、日教組(日本教職員組合)が日本の教育に及ぼした害悪を批判
、舌禍事件として騒がれた。確かにTPOが悪い。‐だが中山氏は政治信念を貫いて日教組批判を撤回せず大臣を辞め、堂々と自らの責任をとった。その出処進退は九州男子らしく見事である。中山氏の日教組批判は、表現はちょっと粗いものの、国民の大多数が日教組に対して内心で抱く気持ちを代弁したものだ。

 

もちろん、文部科学省(旧文部省)も悪いが、日教組は教育現場で半世紀にわたり、子供の教育よりイデオロギー闘争を優先させ、初等・中等公立学校教育を今日のような荒廃に陥れた明らかな日教組の弊害である反体制的な自虐史観日の丸・君が代反対全国学力テスト反対デモ・座り込みなどの校外での政治活動優先…と、いちいち、中山氏が指摘した通りではないか

日教組関係者は、道徳教育は反対ではないという。しかし彼らが半世紀にわたり、道徳教育の導入に時には集団暴力で、時には陰湿な抵抗運動で反対し続け、児童・生徒たちの公共心やモラル、愛国心の低下をもたらしたこと、これまた歴史的事実である。

 

日教組が文科省との協調に路線転換したのは1995年。だが、公共心、愛国心、道徳教育を謳った一昨年の教育基本法改正を「改悪」といっているではないか。

 

≪教育講習を暴力で妨害≫

 

‐日教組は中山氏を批判する前に、まず自ら犯した半世紀の過ちを反省し、謝罪すべきである。‐筆者は歴史の生き証人として、中山氏が言わなかった2つの事例をあえて証言し、日教組の反省と総括、自己批判を強く求める。

 

第1は、日教組が文部省の道徳教育に暴力で反対した事実である。昭和33年、全国7つのブロック別に校長・教頭を対象にした「道徳教育講習」が実施されたが、当時の‐日教組は数千人を動員して実力妨害した。全国7番目、九州地区の別府道徳教育講習には、全国を転戦してきた日教組武闘派2000人が大分県職組、大分全学連と組んで、デモや反対集会を展開した会場旅館での座り込み校長・教頭の参加実力阻止と、別府に騒擾状態をもたらした。

 

当時大分県警1300人の警備部隊を指揮したのは、筆者である。その渦中で、W巡査部長が日教組の闘争本部に監禁される事件が起きた。筆者は部下のU警備部長らを伴い、警察官の即時解放を求めて、制服で交渉に赴いた。すると、闘争本部では、筆者らを武装解除して人質に、と騒ぎ出す始末だ。筆者は‐「県警の機動隊には、30分たってわれわれが帰らなければ、突入し、全員検挙せよと命じてある。その時は二宮武夫県議(故人・のち社会党代議士)、貴方に私が手錠をかける」と告げた。間もなくW巡査部長は解放された。

 

≪警官の子を立たせる体罰≫

 

第2は、当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を受けた事件だ。この教師は授業中、「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じた。数人が−立つと、クラス全員に「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、学生を警棒でなぐっている悪い人たちです」といい、「立っていなさい」と理不尽にも放課後、夕方まで立たせていた

 

帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。ところが校長は「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。筆者が「公立小学校で親の職業による差別・いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』という体罰について教育委員会に提訴する」と迫ると、校長は当の教師を拙宅に寄越した。そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、泣訴哀願したのだ。

 

また、京都では警察官の子は勉強ができても成績は「オール3」だったという事実もある自虐史観の日教組は、日本のアジア侵略について、やった方は忘れても、やられた方は忘れないと言っている。同様に子供たちも忘れていない。日教組は、何の罪もないのに理不尽に心を傷つけられた警察官、自衛官の子供たちに謝ってから、ものを言うべし。



togyo2009 at 03:26|PermalinkComments(0) 今が旬の企画もの