November 2011

November 30, 2011

米軍普天間基地移設問題と防衛局長不適切発言(上)

【防衛局長不適切発言】「普天間固定化」最悪シナリオに現実味(阿比留瑠比、坂井広志)(2011.11.29)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111129/plc11112923500030-n1.htm
野田政権は田中聡沖縄防衛局長の不適切発言問題で、田中氏を更迭することで早期収拾を図ったが、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題進展の新たな障壁となった。田中氏は「来年夏までに具体的進展がなければ、辺野古移設はやめる話になっている」とも語っており、このままでは「普天間固定化」という最悪のシナリオが現実味を帯びてくる。政府に打開策はあるだろうか。

防衛省の沖縄担当官僚が、その職務の中枢で、オフレコとはいえ、不適切発言をしたわけですね。
これが政府、沖縄県民、そして日米安保にまで響いているというわけですね。

【普天間移設】「これから犯すよと言うか」沖縄防衛局長がアセス提出めぐり発言 報道陣との非公式懇談会で(2011.11.29)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111129/plc11112911010008-n1.htm
琉球新報によると田中氏は28日夜の報道陣との非公式の懇談会で、一川保夫防衛相が米軍普天間飛行場の環境影響評価書の提出時期を明確にしない理由について、「犯す前にこれから犯しますよと言いますか」と発言、年内提出の方針はあるが地元の意向を配慮していることを強調したという。懇談会は那覇市内の居酒屋で行われ、報道機関約10社が参加していた。ー政府は年内に評価書を提出する方針だが、田中氏の発言が沖縄県のさらなる反発を招くのは必至で、防衛省内には「相当マイナスの影響が出る」(幹部)との懸念が広がっている。

【防衛局長不適切発言】米軍基地問題に精通 田中沖縄防衛局長(2011.11.29)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111129/plc11112922540026-n1.htm
田中聡氏(50)は大阪大卒で、昭和59年に旧防衛庁に入庁したキャリア官僚。自衛隊と米軍の基地・施設行政を担う旧防衛施設庁勤務が長い。旧施設庁の建設企画課長や防衛省内局の広報課長を歴任した。旧施設庁の廃止後、基地行政を引き継いだ地方協力局の地方協力企画課長を経て、今年8月に沖縄防衛局長に就任。地方協力企画課長時代には在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)の見直しに関する日米協議にも出席した。沖縄勤務は2度目で米軍基地問題にも精通。普天間移設をめぐる環境影響評価(アセスメント)の評価書提出に向け、準備作業を指揮していた。沖縄赴任前から周囲に「普天間問題を一歩でも前に進めたい」と意欲を示していた。人なつこい性格で、記者団にも率直に発言していたが、28日は酒の勢いもあり警戒心を失っていたようだ。

「沖縄県民の怒りは爆発寸前だ」沖縄県が地元の社民党の山内徳信参院議員は29日の参院外交防衛委員会で、こう訴えた。沖縄県選出の国民新党の下地幹郎幹事長も記者会見で指摘した。「普天間返還が動いた最大の要因は(平成7年の米兵の)少女暴行事件だ。その歴史を考えると『犯す』という言葉を使うこと自体、認識に問題がある」田中氏のあまりに不適切でお粗末な発言は、誰にもかばいようがない。

【防衛局長不適切発言】「沖縄県民の心もてあそんでいる」女性誹謗発言に地元から反発の声(2011.11.29)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111129/plc11112914260017-n1.htm
「沖縄県民の心をもてあそんでいる」。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設に向けた評価書提出時期をめぐり「犯す前に犯すと言わない」と女性を誹謗する発言をした田中聡沖縄防衛局長に、地元からは29日、反発の声が上がった。辺野古での反基地運動を続けているヘリ基地反対協議会の安次富浩さんは「防衛省の出先機関のトップなのに、沖縄の怒りをきちんと政府に伝えていない」と不満をあらわにする。沖縄防衛局は29日も、米軍北部訓練場(沖縄県国頭村など)の一部返還に伴うヘリパッドの移設に向けた工事を同県東村高江地区で着手しようとして、座り込む反対派住民と対峙した。座り込みを主導する沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「県民を侮辱している。恥知らずだ。一刻も早く上司の防衛相と共に辞任すべきだ」と語気を強めた。

【防衛局長不適切発言】田中氏を更迭 女性や沖縄を侮辱(2011.11.29)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111129/plc11112920150021-n1.htm
田中氏は28日夜の記者団との酒席で、評価書の提出に関し、一川氏が時期を明言していない理由を問われると「(女性を)犯す前にこれから犯しますよと言うか」と答えた。田中氏は同じ席で「政治家は分からないが(防衛省の)審議官級の間では、来年夏までに普天間の移設問題で具体的な進展がなければ(普天間の代替となる)辺野古移設はやめる話になっている。普天間は何もなかったかのようにそのまま残る」とも述べていた。一川氏は29日、田中氏を聴取した後、防衛省で記者会見し「本人は発言した内容と報道の表現がイコールではないと言っているが、弁解の余地はないと判断した」と述べた。ー会合は那覇市内の居酒屋で、報道を前提としない非公式の形式で行われた。県内外の報道機関約10社が参加したが、産経新聞社は欠席した。地元紙、琉球新報が29日付朝刊で報じたことを受け、関係者に取材して発言内容を確認した。

一川氏は会見で沖縄県側へ陳謝を繰り返したが、自身が沖縄を訪問して謝罪するのではなく、中江公人事務次官が30日に仲井真弘多知事と面会する。これに対し、仲井真氏は「コメントしたくない。口が汚れるから」と語った。

参院外交防衛委で一川保夫防衛相は「県民には心からおわび申し上げる」と陳謝するしかなかった。だが、政府が火消しに努めようと、普天間問題の進展がさらに難しくなったのは明らかだ。「沖縄の大きな課題に引き続き沖縄の皆さま方と誠心誠意、接したい」一川氏はこうも述べた。名護市辺野古への移設に必要な環境影響評価書を予定通り年内に県側に提出したい思いをにじませたわけだが、その準備作業の責任者が田中氏だったことを考えると、評価書を提出しても仲井真弘多知事の理解を得るのは困難とみられる。だからといって普天間問題が今回の田中発言によって暗礁に乗り上げるのを座視するわけにはいかない。それでは宜野湾市民の危険は何も改善されず、日本は辺野古移設を合意した同盟国である米国を再び裏切ることになる。日米関係の離反・冷え込みは中国や北朝鮮を喜ばせるだけだ。野田政権は沖縄の基地負担軽減の「結果」を出すことで、県側と信頼関係を築こうとした。日米両政府は23日に米軍軍属を日本でも訴追できるように合意したばかり。

米国と中国、大国は世界の覇権を目指します。
大国であっても敵わぬもの、それはその国の国民世論と世界の公共世論です。
この度は、日米安保普天間基地問題に国民世論の火種を落としました。
その大元は何だったのでしょうか。

【普天間移設問題】環境影響評価書提出先送り示唆発言で混乱 一川保夫防衛相(2011.11.12)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111112/plc11111221110015-n1.htm
一川保夫防衛相は12日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先として日米が合意した名護市辺野古の環境影響評価(アセスメント)の評価書提出時期について、「無理に提出するものではなく、沖縄の皆さんの理解の下で進める」と述べた。那覇市内で記者団の質問に答えた。評価書について、政府は年内に沖縄県側に提出する方針を固めている。一川氏の発言は地元の理解が得られなければ年内提出を見送る可能性を示唆したとも受け取れ、沖縄県側に不要な期待を抱かせる可能性もある。このため、一川氏は同日夕の記者会見で、年内提出方針は変わらない考えを強調する羽目になった。これに先立ち、一川氏は仲井真弘多知事と会談し、普天間飛行場の辺野古移設に理解を求めた。しかし、仲井真氏は県外移設を改めて求め、平行線に終わった。

民主党政権と沖縄県民の話し合いは元から進んでなかったのです。
日米安保を担うはずの民主党政権の、本丸を見据えず事なきを得ようとする、いつもの政治手法に根本があるのです。
 


togyo2009 at 18:49|PermalinkComments(76)TrackBack(0) 民主党政権 

November 23, 2011

南知隊 平成23年8月 記事保存(下)

【拡散希望】真の近現代史観
2011.08.14.00:58

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【真の近現代史観】
平成20年度アパ論文社会人優秀賞
 東京近代史研究所長落合道夫

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序言
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最近戦前のソ連の宣伝本「カニ工船」が売れているという。
ソ連の崩壊で共産主義運動の犯罪性が世界的に証明されたというのに大変な時代錯誤である。

映画「最後の早慶戦」では最後の「海行かば」の大合唱の史実が隠蔽されているという。
これはどういうことなのだろうか。

今日本は内憂外患こもごも来るという難局に差し掛かっているが、これらの原
因の多くは今も続いている占領憲法以下占領政策にある。

しかし国民には戦後史の真実が隠されているように思う。
そこで国民は日本の難局を解決するために、真の近現代史を学びなおす必要がある。

ただし歴史を学ぶというのは従来のような反日イデオロギーで歴史を決め付けるのではない。
歴史事件を具体的な因果関係でつなぐことである。

歴史の連鎖では結果が新しい原因となる。
そこで今後の日本の真の独立国家としての進路を考えるには、まず大東亜戦争を正しく理解しておくことが必要である。

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1.戦前の歴史
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戦争は突発することはない。
そこには大きな時代の流れと指導者の決断がある。

そこで大東亜戦争を巡る極東の近代史を四大要因から考えてみたい。

第一は白人の植民地主義である。

現代の日本人には理解がし難いが、戦前の世界は白人が支配していた。
インドネシアなどは三百年にわたり殖民地にされオランダの圧制の下で収奪されていた。

このため二十世紀に入ると支配者の白人と民族独立を望む現地人との対立が尖鋭化していた。
この中にあって日本は最後に残された有色人種の独立国として国際社会で健闘していたので、白人からは邪魔者として憎まれ、有色人種からは希望の星として頼りにされ尊敬されていたのである。


第二は米国の西進植民地主義である。

米国は西部開拓が終ると太平洋に向かって勢力を伸張しハワイ王国を滅ぼし、米西戦争で独立したフィリピンを武力占領して植民地化し、さらに支那満洲への進出を企図していた。

このため大陸に先行する日本は邪魔であり、日本が満州国を建国すると「満洲国不承認」宣言を発表して日本への敵意を明かにしたのである。


第三は支那の混乱である。

大正元(1912)年外来の満洲人の清王朝が衰退すると、支那は複数の軍閥が抗争する戦国時代に入った。

これは蒋介石ら国民党軍閥にとっては支那民族の復権と国家統一の機会となったが、同時に統一権力の不在は諸外国の国際工作の場となった。

日本も日清、日露戦争以来支那には権益を持っていたので、特にソ連の極東工作に巻き込まれることとなった。


第四は大東亜戦争の真の原因である独ソ戦の影響である。

即ちソ連のスターリンはヒトラーの著作「我が闘争」からソ連攻撃の近いことを予想していたので、東西挟撃を避けるために、東部国境の反共勢力である蒋介石軍閥と日本を無力化することを謀った。

それが反共勢力同士の戦争であり、昭和11(1936)年の西安事件を始まりとする支那事変である。

本来、蒋介石も日本も戦争を望んでいたわけではなかった。
蒋介石は国共内戦勝利で支那統一の五分前といわれた有利な状況におり、日本もソ連を警戒していたので大陸の戦争をする意志はなかったのである。

それなのに蒋介石は西安事件で逮捕され脅迫に屈してソ連の傀儡となると、通州日本人大虐殺事件など執拗な対日挑発を起こした。

これに対して日本は上海事変の反撃から大陸の全面戦争に引きずり込まれ、スターリンの狙い通りの展開となった。

ソ連は蒋介石側に、三億ドルという天文学的な軍事援助を与え、四千名にのぼる赤軍軍事顧問団を多数の軍用機、武器弾薬とともに送っている。

この戦争にかねてから日本の弱体化を狙っていたルーズベルトが便乗して、日本の講和仲介要請を断ると、蒋介石に大々的な軍事援助を与えるのである。

そして三年後さらに経済封鎖して日本の反撃を挑発したのが太平洋戦争である。

ソ連は日本軍をさらに南下させるために米国の支那満洲への野望を利用しハルノート原案を提供するなど日米の戦争を画策した。

日本軍は少数であったが精鋭であり、独立を望む現地人の援助を受けて圧倒的に優勢な白人植民地軍を撃破した。

そして解放したアジア諸民族にそれまで宗主国が禁じてきた民族主義による独立準備教育を行った。

日本軍は勇戦したが原爆まで投下されて降伏した。

しかし日本人は敗北したが大東亜戦争は正しい自衛戦争であったことを知っておくべきである。

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2.戦後史(ソ連崩壊前)
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日本の勢力が失われた極東はどうなったのだろうか。
一言で言って米国の思惑通りにはならなかった。

それどころか米国の油断によりソ連が強大化したため、米ソの対立が始まり冷戦が長く続くことになる。

ソ連は戦争中、米国のルーズベルトの容共主義を利用して115億ドルに上る莫大な軍事借款を取り付け、独ソ戦に勝利したが、その間に米国の高度な軍事技術や原爆製造技術まで窃取し、欧亜に版図を大々的に拡大することに成功した。

このため戦前とは比べ物にならない危険な大国となった。

米国のウェデマイヤー将軍は「第二次大戦の唯一の勝利者はルーズベルトやチャーチルではなくスターリンであった」と述べている。
(引用抜粋:同将軍著「第二次大戦に勝者なし」)

ソ連は戦争が終わると戦時中の親米方針を一変させ天文学的な軍事借款を踏み倒し世界各地で米国に厳しく対立した。

昭和21(1946)年、英国のチャーチルは「鉄のカーテン」演説でこのような戦後世界を作るために戦争をしたのではないと嘆いたが後の祀りであった。

米国の西進支那満洲進出戦略については、ルーズベルトはヤルタ会議でスターリンに、米国の腹の傷まない日本の領土や帝政ロシアの支那利権、90万トンに上る膨大な武器を代償に、満洲の代理占領と戦後の蒋介石支持を取り付けていた。

米国はその後蒋介石を傀儡に支那満洲を支配するつもりだったのである。

しかしスターリンは米国のハラを見抜くと何度も蒋介石支持を確約した上で代償を先取りし、満洲を占領すると、一転違約して満洲を毛沢東に渡してしまった。

米国の原爆投下の威嚇も、ソ連に地上戦を恐れる本音を見抜かれていたので効果はなかった。

そしてソ連に支援された毛沢東は、内戦で米国が支援する国民党蒋介石軍を撃破してしまった。

この結果、昭和29(1949)年、米国は支那の全拠点から追い出され、長年の支那満洲を狙う西進アジア政策は失敗に終わった。

そこでマッカーサーは、
「支那の共産化と喪失は米国太平洋政策百年の最大の誤りであった」と総括した。

太平洋戦争の米国の真の目的が、日本の占領ではなかったことは重要である。

また支那は37年ぶりに統一され、戦前のような列強の工作の場ではなくなった。
白人の植民地主義については、日本が降伏すると、宗主国は殖民地の再建をはかり旧植民地に来襲した。

米英は大西洋憲章で殖民地の独立を約束したが嘘だった。
白人はアジアの殖民地を失うと欧州の一小国に成り下がるので、強引に植民地を再建しようとした。

しかしこの時代錯誤の再植民地化に対して現地側は、日本軍の教育を受けた青年たちが日本軍の残した武器を持って立ち上がり、自ら独立戦争を開始したのである。

戦況は多くの近代兵器を装備する白人宗主国側に有利となったが、ソ連が民族独立運動に介入し、武器を送り、反米闘争に利用し始めたので、米国はむしろ民族主義政権による独立を望むようになり、白人諸国に圧力をかけた。

このためオランダはしぶしぶインドネシアの独立を認めたのである。

ベトナムでは既にソ連が糸を引くベトナム共産党が殖民地独立運動を指導していたので仏の再植民地化は失敗し撤退した。

印度をはじめとする広大な英国のアジアの殖民地も独立した。
米領フィリピンも独立した。

結局米国は日本を追い詰めたために反撃され、その影響でアジアは独立し、欧米の植民地体制全体が崩壊したのである。

このためあるアジア在住の仏人は、
「日本は一般的には第二次大戦で敗北したとされるが、アジアのこの一角では勝利した。戦後この地域は一変した」と述べている(C・ソーン著「太平洋戦争とは何だったか」)。

このアジア諸民族の独立運動がアフリカや南米の植民地独立に伝播し、さらに米国の黒人の公民権回復運動を支援し、今日の多数の独立国からなる世界を作ったのである。

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3.日本近代史
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こうした戦後世界の変化に対して敗戦した日本はどのように対応してきたのだろうか。

日本は降伏するとまず占領軍の厳しい軍事独裁下におかれ世界から遮断され徹底的な破壊を受けた。

ここで重要なのは、総司令部の中にスターリンの指示を受ける多数のソ連人、ソ連
関係者、米国共産主義者が入り込んでいたことである。

しかし当時の米国は戦争中の親ソ政策の延長で、ソ連に無警戒であった。

占領行政というと占領軍が破壊された日本を再建したように思う人がいるが、米国のその後の対日政策の転換後の記憶が上塗りされたための勘違いである。

彼らの日本占領の目的は、あくまでも彼らの戦争目的の完遂であった。

米国の太平洋戦争の目的は、支那満洲支配のために邪魔な日本を二度と立ち上がらせないことであった。

他方ソ連の目的は、将来の米国撤退後における日本の共産化であった。

両者は同床異夢であったが、当面の日本破壊では一致していた。

かれらの占領政策の核心は、日本民族の共同体の破壊であり、日本人の生存、生活、再生における伝統と連帯の断絶であった。

そして重要なのはこれらの破壊政策を日本人に後から戻されないように相続制度を変更したことである。

仏人のトクビルが指摘しているように、人間の社会構造の基礎は相続制度にある。

古来日本人は戦争や飢饉などの生存の危機に対応して子孫が生き延び復活できるシ
ステムを作ってきた。
それが家制度である。

だから相続は平等ではないし平等であってはならないのである。
なぜなら平等にすると全滅するからである。

これは救命ボートの定員問題に似ている。
全員がボートに乗れば全滅する。

しかし半数だけでも助かればその後子孫が増えて血族として復活する可能性が出てくる。
ここには個体の生存よりも血族の継続を重視する人類の究極の知恵が見えるのである。

そこで敵は日本人の相続制度を平等主義に変えて一時的な個人の欲得を利用し、全体の破壊政策を修正させないように仕組んだのである。

これは仏革命やその後の共産革命でも見られた左翼の定番政策であった。

このため日本は今、少子化が止まらず戦前の美しい家族愛が失われ、道徳が乱れて苦しんでいるのである。

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4.日本正常化の機会と回避、挫折
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日本が占領軍に破壊されている間に極東情勢は急速に変化した。
このため戦前のアジア政策を引きずる米国の日本占領政策は時代遅れになってきた。
米国では中共の支那統一で大陸から追い出されると「支那が失われた」という悲痛な叫びが国中で上がった。

これと同時に米国が邪魔だった日本を占領支配する意味は失われ、かえって武装解除した日本の国防代行が大きな負担になってきた。

さらにスターリンが昭和25(1950)年、米国の注意を欧州方面からそらすため朝鮮戦争を起こすと、米国では身勝手にも「アジアはアジア人に守らせろ」の声が上がりだした。

日本を再軍備して米軍の犠牲を減らそうというのである。

そこでダレス国務長官は昭和25(1950)年来日し、吉田首相に再軍備を許可した。

対日占領政策の基本である日本非武装化方針を百八十度転換したのである。

これとともに東京裁判による日本軍人の処刑はピタリと停止し、二度と再開されることはなかった。

しかし吉田は占領憲法や経済困窮などを理由に再軍備を拒否した。

だが吉田の真意は別にあった。

すなわち、米国が戦前以上の30万の日本軍の再建を求めるのは、そのうち10万を朝鮮に国連軍名目で派遣するハラと読んだからである。

すなわち米国の極東政策の失敗を日本の青年の血で尻拭いをさせられてはたまらないということである。

ただし吉田は独立国家の自衛は当然の権利と考えていたので、後年は核自衛を主張した。

米国は日本政府の自衛反対を知って困惑し、それまでの占領政策を矢継ぎ早に変更し始めた。

まず昭和26(1951)年、占領軍総司令部のマッカーサー将軍を更迭した。
これは彼の影響力が日本の再軍備に有害と見たのである。

マッカーサーは早速米議会で「日本の戦争は自衛のためであった」また「憲法九条は日本人が作ったもの」と証言し、日本政府が再軍備しやすいように誘導した。

そして昭和27(1952)年には、日本に再軍備させるべくサンフランシスコ講和条約を作り独立させた。

このため同条約にはベルサイユ条約のような敗戦国の国防制限はない。

しかし日本政府は用心深く再軍備をせず、警察予備隊を創設しただけであった。

このため米国は止む無く講和と同時に日米安保条約を締結した。

そして昭和28(1953)年10月には国務省のロバートソン次官補が与党幹部の池田勇人を招き、再軍備を要請した。

これに対して池田は以下の理由を挙げて断った。

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(1) 兵役対象の青年は、米占領軍により何が起ころうと二度と武器を取らないように教育されたから反対する。

(2) 婦人、特に遺族は大切な人を捧げたのに戦後大迫害をうけたので絶対に反対する。

(3) それでも軍隊を作ると、米占領軍が共産主義を広めたので、軍隊が共産主義クーデタを起こす可能性がある。
(抜粋引用:「吉田茂とその時代」J・ダワー著)
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米国は占領政策を反省するしかなかった。
日本軍を千人でもよいから残して置けばよかったのである。

そこで会談直後、米政府はニクソン副大統領を東京に派遣し、日米協会の昼食会で占領憲法の第九条は誤りであったと公式に声明(昭和28年11月15日)を出させた。

朝鮮戦争は昭和28(1953)年スターリンが急死すると休止状態になり、日本軍の出兵の可能性は低くなっていた。

しかし日本政府は憲法を改正せず、再軍備しようとしなかった。

日本の左翼マスコミはソ連の影響を受けて反政府的であり、占領状態の正常化に反対した。

このため国民は国際情勢の変化を正しく知らされないまま、日本に開放された米国の市場を利用してひたすら経済復興にまい進したのである。

こうして戦後第一の占領体制正常化の機会は失われた。

警察予備隊の後身の自衛隊は、名前から分かるように軍隊ではない。

軍法会議など万国共通の軍隊の基本機能を持っていないからである。

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5.ソ連崩壊と日本の正常化
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この後日本は経済発展を続けたが、政治やマスコミ、文化界の価値観は占領時代初期の左翼的な反日のまま固定していた。

そこに世界史的大事件が起きた。

それは平成3(1991)年のソ連の自滅である。

ソ連は人類初の理想主義国家として誕生したが、70年後に崩壊して分かったことは未曾有の大犯罪国家であった。
この事実が分かると、それまで日本で支配的であった左翼は勢力を失った。

もともと左翼思想は曖昧な妄想であり、左翼運動は冷酷な現実主義者が妄想的共産主義者を利用して権力を握り私利私欲を満たす詐欺運動であった。

この単純なカラクリは英国のG・オーウェルが「動物農場」で風刺している通りである。

ソ連が崩壊すると国際社会では新しい二つの動きが現れた。

一つは国際経済が国境を越えて諸国民の生活に大きな影響を与えるようになったことである。
それが文化的社会的な反発を招き、いま大きな問題になっている。

もう一つは米ソの冷戦で押さえつけられていた各国の民族主義が盛んになったことである。

この結果世界は核兵器の拡散とあわせて米国一国では管理が難しい状況になりつつある。

そして米国はすでにアジアには地理的利権がなくイデオロギー的な対立も消えたので、日本の価値もなくなりアジアから防衛線を下げる動きが出ている。

占領体制を墨守してきた日本にとって、大変危険な状況になっている。

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6.日本の課題
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そこで日本の政治を見ると国際社会の激しい変化に正しく対応してきたのだろうか。
日本の与野党やマスコミの行動は、ともに日本の独立や建国を祝わない、共同体の犠牲者である靖国神社の英霊に感謝しないという点で共通である。

これは半世紀以上も前の反日占領体制を占領軍に代わって続けているのと同じである。

だとすると彼らは占領体制を変えたくないのではないか。

そのためマスコミは、戦後世界の変化と冷厳な現実を国民の目から覆い隠してきたのではないか。

しかし外国による横田めぐみさんらの国民拉致、竹島領土侵犯事件などの被害が明らかになり、もはや隠しおおすことはできない。

このため国民の間には占領体制をいつまでも続けようとする与野党に見切りをつけ、新しい政治勢力に日本再生を期待する声が上がっている。

その場合核となる政策は、占領軍に奪われた国民国防制度と家制度の回復であろう。
その正常化が他の分野も芋蔓式に正常化してゆく。

昭和28(1953)年、日米会談で池田勇人はロバートソン国務省次官補に「日本人が自分を守るのは自分しかないことに気づくには相当の時間がかかるだろう」と述べた。(抜粋引用「吉田茂とその時代」)

またある米国GHQ要員は離日時に日本は長い歴史のある国だから、独立を回復すれば占領軍に破壊されたものを復旧させてゆくだろうと述べたという。

今その時が来ているのである。

【参考】
「スターリンの国際戦略から見る大東亜戦争と日本人の課題」落合道夫著
価格:2940円
送料:エキスパック500円(二冊まで)
288ページ、写真、図版入り

送金方法:郵便振替 口座名:東京近代史研究所
口座番号:00140−0−373193
紹介HP: http://www3.plala.or.jp/tkyokinken/>

/ねずきちのひとりごと


66年目の夏(上)
2011.08.28.19:33

終戦の日となる8月15日、靖国神社では例年、戦没者追悼中央国民集会が開催されます。
戦没者追悼中央国民集会は英霊にこたえる会が主催しています。
現在の会長は中條高アサヒビール株式会社名誉顧問です。
中條高氏といえばベストセラー「おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状」の作者です。

私も中條氏の著書「魂を抜かれた日本人」を所蔵しています。
いつか皆様に著書の内容をしたいと思っています。

今年の集会の提言者は、中條会長の他、三好達日本会議会長、佐藤正久参議院議員、一色正春元海上保安官、小野田寛郎小野田自然塾塾長の皆様でした。

「戦傷を負ひ災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては朕の深く軫念する所なり」この日午前、セミ時雨が降り注ぐ神社境内で開かれた戦没者追悼中央国民集会では、66年前の昭和天皇による玉音放送(終戦の詔書)のテープが流された。これは例年通りだが、今年はいつにも増して参列者の胸に響いたようだ。日本会議の三好達会長(元最高裁長官)は、震災5日後の天皇陛下の「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく…」とのお言葉を引用してこう語った。「陛下のお言葉を拝し、昭和天皇の終戦の詔書に思いをはせた」また、自民党の佐藤正久参院議員も集会でやはり終戦の詔書から「任重くして道遠きを念ひ総力を将来の建設に傾け道義を篤くし」とのお言葉を引き、国民が一つになって復興に力を尽くすべきだと強調した。
靖国ルポ 大震災と先の大戦からの復興なぞらえる 天皇陛下のお言葉がキー
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110815/plc11081520270007-n1.htm

66年目の夏は、日本人にとって、なおさら辛い夏となりました。
英霊を弔い、そして東北大震災で被災した方々を見舞う夏となったからです。

 周知のように平成七年に出された村山首相談話は、わが国が「国策を誤り」、「侵略」「植民地支配」を行ったことに「反省」と「お詫び」を表明し、その後の日本外交を呪縛し続け、日本政府に国家賠償を求める訴訟や、外国からの日本批判に拍車をかける結果をもたらした。
 菅直人首相が、(昨年)八月十日、「日韓併合百年」に関する首相談話を発表した。
 平成七年の村山談話が植民地支配の内容に触れていないのに比して、今回の談話は、「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」とあって、いわゆる植民地支配による具体的な侵害にまで言及しているからである。その偏った歴史観はあらためて指摘するまでもない。
 過去に首相が歴史認識について触れた事例は何度かあるが、それらは首脳同士による共同声明によってであり、また、アジア諸国全体を対象としたものであった。今回のように「特定の国」に対して、以後の内閣を拘束する危険性が多分にある「首相談話」を発表したのは初めてである。二国間に限られた首相談話による謝罪の前例ができた以上、他のアジアの国、たとえば中国から満州事変、盧溝橋事件、南京事件などの何十年という節目を理由として、同様の談話を要求された場合、拒否する理由が成り立たなくなるのは明白であろう。
第24回 戦没者追悼中央国民集会 「声明」と「首相談話に関する日本会議の見解」/オピニオン/日本会議
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/1193

言葉を繰り返せば、虚偽も事実のように後世に残ります。
英霊に応える会は、この危険性を覆す提言もしています。

 更迭の要因となった「村山談話」は東京裁判史観に基づくものと見倣されるが、東京裁判は、裁判自体がGHQの裁判規約で開かれたものでA級戦犯が裁かれた「平和に対する罰」は国際法に準拠していなかった。マッカーサー元帥が米上院の軍事外交委員会で「日本が戦争に入った目的は主に自衛のためにやむなくしたものだ」と証言したことで、大東亜戦争を侵略戦争として断罪した東京裁判そのものの意味をなくしたものとも言えよう。
 歴史教育は子供達に祖国への誇りを持たせることにある。田母神氏の「日本は良い国と言ったら解任された」との言葉が胸に響いてくる。現職航空幕僚長として制服姿で堂々と平成二十年の靖國神社の春季例大祭を皮切りに七月の大東亜戦争全戦没者慰霊祭、八月の英霊にこたえる会主催の全戦没者慰霊大祭に参拝した田母神氏の英霊顕彰の思いをしっかり受け継いでいただきたいものである。
田母神航空幕僚長の更迭に思う/提言/英霊にこたえる会
http://eireinikotaerukai.com/proposals/proposal_002.html

皆様、「編御祭神の御心 御祭神の編⊃声劼悗了廚ぁ廚鯑匹鵑任澆討ださい。
http://eireinikotaerukai.com/documents/document_002.html

家族を、国を守るため、命をかけた英霊の皆さまの言霊に虚偽はありません。
今、私たちに出来ることは、平穏にあぐらをかいて虚偽を見過ごさないことです。
マスコミほどの影響力を持たなくても、一人一人が虚偽を否定していくことです。
それは民主党政権が続く今の日本にとって、今の日本人にとって、とても大切なことです。

「今年は震災が発生した特別な年だ。時には命を懸ける人がいなければ家族や祖国を守ることができないと、私たちは再認識した」この日、靖国を参拝した自民党の安倍晋三元首相は参拝後、メールマガジンにこう記した。


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南知隊 平成23年8月 記事保存(上)

書籍:南京事件の総括―虐殺否定の論拠〈はじめに〉より(2)大虐殺の定義
2011.08.06.14:56

昭和五十九年の歳末に雜誌「諸君!」が、南京事件を研究している《虐殺派》《中間派》《虐殺否定派》の四人を集めて座談会を開いたことがある(同紙六〇年四月号所載)。集まったのは元早稲田大学教授洞富雄、拓殖大学教授秦郁彦、ノンフィクション作家鈴木明の三氏と私の四人であり、この四人はそれぞれ『決定版南京大虐殺』『日中戦争史』『《南京大虐殺》のまぼろし』『《南京虐殺》の虚構』の著者である。司会は「文芸春秋」編集委員長の半藤一利氏であった。

〈田中 《大虐殺》とは何かという定義からはじめましょう。私はやはり、当時の日本軍が計画的、組織的に虐殺をやったかどうか・・・・・・発令者がいて、命令を伝達する者がいて、かつ実行者がいたのかどうか。そういう計画性の有無を論じたいと思うんですよ。〉(これに対して洞氏)〈贊成ですね。ぼくは、大虐殺という言葉は好きじゃないんです。〉

活字にはならなかったが、洞氏は「あれ、一体、いつ頃から言いだされたんですか」との自分の設問に自分でこう答えている。「本多勝一氏が『中国の旅』の中で、中国で云われている《大屠殺》を《大虐殺》と翻訳して書いたのがはじめてではなかろうか」と。そして次に続く。〈─一般には《南京事件》だったですね。洞 ええ、私も前に書いた本は『南京事件』としました。ただ、のちに版元の要請で「大虐殺」になっちゃった。(笑)ことに今度の本なんか『決定版・南京大虐殺』となった。(笑)「決定版」はほんとに困るんだ。〉

結局、この座談会では、最後まで「大虐殺の定義」はなされずに終わってしまった。しかし、「南京大虐殺」という言葉が本多勝一氏の『中国の旅』(昭和四十六年)あたりが最初だろうという洞氏の言葉は興味がふかい。中国は「南京大屠殺」といって、決して「大虐殺」とは言わない。その理由については別項で詳論しているので参照していただきたい(第七章『なぜ中国は「大屠殺」か』)。

南京事件の論点は、日本軍が犯したとされる殺害行為の存否とその規模および、それを虐殺と評価するか否かとされています。
戦後、日本の学者や著述家が検証を深めて、この議論をしていくわけですが・・
片や、日中の外交など政治的な背景に影響を受け続けることになり、真実でない論説は見逃せないわけです。

南京事件で犠牲になった市民を10万人以上とする代表的な研究者は、南京事件調査研究会のメンバーである洞富雄 (早稲田大学教授)、藤原彰(一橋大学教授)、笠原十九司(都留文科大学教授)、吉田裕(一橋大学教授)、井上久士(駿河台大学教授)、本多勝一(ジャーナリスト)、高崎隆治(戦争研究家)、小野賢二(化学労働者)、渡辺春巳(弁護士)などが挙げられる。
南京大虐殺論争 - Wikipedia

大虐殺派の主要な研究者であった洞先生でさえ、著書のタイトルを「大虐殺」ではなく「事件」としようとしました。
それは、大虐殺では不安定要素があった、つまり大虐殺の定義には値しない要因があったからです。


【拡散希望】「無条件降伏」という国際的な詐欺とそれに騙され続ける日本
2011.08.10.16:43

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「無条件降伏」という国際的な詐欺とそれに騙され続ける日本
史実を世界に発信する会 茂木弘道

1945年7月26日に米英支が発したポツダム宣言を受諾して日本は降伏した。
宣言は、13項目からなるが、第5項で、

「われらの条件は以下の如し。われらは右条件より離脱すること無かるべし」とあり、以下8項目の条件が掲げられている。
明らかに「有条件降伏」であり、その第13項に「全日本国軍隊の無条件降伏」がある。

「軍隊の無条件降伏」と「国家の無条件降伏」が全く異なることは言うまでもない。
国際法の常識である。

従って、7月30日に開催されたアメリカ国務省の国務長官スタッフ会議では、それ以前にアメリカが考えていた「国家の無条件降伏」と7月26日の宣言とはどのように違うか、検討された覚書でこの違いについて検討している。

そこで明確にこう述べている。
「この宣言は、日本国および日本国政府に対して降伏条件を提示した文章であって、受諾されれば国際法の一般準則によって解釈さるべき国際協定となるであろう。」

更に「この宣言は、無条件降伏が「全日本国軍隊」にのみ適用されると解している。」と当然のことながら書かれているのである。

マッカーサーですら、このくらいの国際法の常識を持っていたので、送られてきた「降伏後の対日初期方針」に疑問を感じ、9月3日マーシャル参謀長あて手紙を送っている。

「特に内示された指令は、いくつかの点において降伏文書とポツダム宣言に規定されている諸原則を著しく逸脱していると思われるので、小官は所見を貴官に上申しておかなければならないと感じるのである。」

直ちにトルーマン大統領から、これに答える指令が9月6日付で送られてきた。
「我々と日本の関係は、契約的基礎の上に立っているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。」

要するに、ポツダム宣言以前の無条件降伏でいくのだ、と開き直ったわけである。
それは間違っていることを分かっていながら、「軍隊を武装解除」してしまえば、何を言っても通るとばかり、正しく国際的な背信詐欺行為を堂々と行ったのである。

これを受けて占領軍民間検閲支隊長フーバー大佐は、日本の報道関係者に、
「マッカーサー元帥は、連合国はいかなる意味でも、日本を対等と見做していないことを明瞭に理解するよう欲している。…最高司令官は日本政府に命令する…交渉するのではない」と強圧的宣言を行い、「言論、宗教及思想の自由は尊重さるべし」と言う宣言の規定を、踏みにじって、徹底的な検閲、さらには史上例を見ない焚書まで行ったのである。

しかも、憲法まで検閲下で変えさせられたにもかかわらず、「無条件降伏」論にやられてしまった日本人は、これに対するまともな反論を行う事が出来ずにここまで来てしまった。

負けたのだから仕方がないといつまでも思っていたのでは駄目だ。
「無条件降伏」などということは詐欺であり、不当なことである、という認識なしには、敗戦克服、日本再生はないということである。
(2011、8、5)
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この一文について、茂木さんは次のように述べられています。

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宣言に述べられていたことは、勝者敗者双方を拘束する「双務協定」ということになります。
ですから、いかに勝者といえどもそこに述べられていたことを逸脱して「勝手」なことはできないという事です。

しかし、一旦日本軍の武装解除をした占領軍は、この規定を公然と無視してやりたい放題の国際法違反を重ねました。「言論、思想信条の自由はこれを尊重さるべし」と書かれているのに、徹底的な検閲と表現思想の取り締まりを行いました。

神道指令、地理歴史教育停止、教科書書き換え、そして憲法の押し付け、すべてポツダム宣言違反、国際法違反でした。
たんにハーグ協定違反といった部分的なものではありません。

ようするに、ポツダム宣言を発してさも国際法を尊重するかのように見せかけたアメリカは、日本の軍事力がなくなった途端、それを完全に反古にするするという国際的な大詐偽・背信行為を行ったという事です。

この事実を明確に認識し、これに対する正義の怒りを持つことなくして、敗戦思想からの脱却、日本再生はあり得ないと考え一文を書いた次第です。
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/ねずきちの ひとりごと


togyo2009 at 09:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 共同管理ブログ「南京の真実を知らせ隊」