May 2013

May 31, 2013

ベトナム戦争での韓国軍の蛮行〈朝鮮-新しい危機の内幕-〉より

1965年の9月と10月に"ファイアス・タイガー"日本語では猛虎師団(朝鮮語ではメンホサタン)と"ブルー・ドラゴン"日本語では青竜師団(朝鮮語ではチョンヨンサタン)の両師団がベトナムへ上陸した。"索敵殺害"――"殺し尽くし、焼き尽くし、破壊し尽くせ"という作戦―のなかでも最も残忍無比なことをやってのけたのは、他ならぬこれら両師団だったのである。次に掲げる詳細なリストは、ハノイの日刊紙ニャンザン(人民)を含む、ハノイを通じて中継された解放民族戦線の報道に基づいたものである。


1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、全員を殺害した。1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。


1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことなのだ」こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。


1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。


放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、今日のベトナム民族大虐殺なのである。つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを妨げているのである。


(中略)


なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、さらにまたそれは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることができるのだという誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、ソウル政府当局は日本人記者に説明した。


D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年



togyo2009 at 17:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史に挑む 

〈「被害者史観」韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の「加害責任」〉佐藤和(後編)

 しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。では韓国のごく一般の市民はこの問題をどう受けとめているのだろう。「世代によって、受けとめ方はかなり違うでしょうね。若い世代であれぱ、さほど反発もなくふつうに考えられるでしょうが」そういうのは、米国の大学に留学中の韓国人男性(28)だ。「自分たちの世代にとって、ベトナム戦争といえば、まず韓国が高度成長を遂げた時代という、明るいイメージとセットになっている。そもそもベトナム戦争について学校で習ったり、語り合ったりした記憶もない。よく『忘れられた戦争』などといういわれ方もされましたが、本当にそのとおりでしたから」


 実際に、韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ(『入門 韓国の歴史国定韓国中学校国史教科書』明石書店より)。

 そして、教科書以外での「認識」としては、やはり「経済成長」の方が先にくるというのも一般的な認識のようだ。


 ベトナム戦争時、韓国からベトナムへは兵士のみではなく、多くの労働者や技術者、ビジネスマンなどが渡っていった。兵士らにアメリカから支給された手当や労働者らの賃金、韓国企業の得た利益などは約10億ドルにものぼり、それらは本国に送金されて韓国経済を潤した。かつて日本が朝鮮戦争の特需を契機に高度経済成長したように、韓国がこの「ベトナム特需」を契機に「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済発展を遂げたことは、広く知られるところだ。ソウル在住の会社員(35・男性)は、こう語る。「虐殺のことはメディアに取り上げられて知りました。でも詳しく読んだわけでもないし、どこまでが事実なのかわからない。ベトナムと韓国はいい関係にあり、日韓関係とは違うと思う。問題化しないかぎり、このままそっとしておきたい気特ちです。ベトナム戦争では被害にあった韓国人兵士も多く、自分の家族に戦争での負傷者がいれば、複雑な気持ちだと思いますよ」


「日本人の友人の微妙な表情がわかった」

 そして「虐殺」と「責任」となると、どうしても「日本」が出てきてしまうところも、この議論を複雑にしている。ソウル在住の大学生(24・男性)は「徴妙な気持ち」と語った。「自分としては(虐殺の報道は)ショックでした。ベトナムは観光ブームになったときに行きたいな、と思っていたけど、現地の若者と話すときにどういう態度を取ったらいいか迷いますね。同じ世代の日本人と会ったとき、彼らが徴妙な顔付きをしていたのが、わかったような気もする。教科書や靖国で激しい日本批判があるけれど、自分たちだって同じようなことをやったじゃないか、日本だけを責められるのか、という気持ちにもなる。もっとも、それを日本からいわれれば、やっぱりムカつくけれど」ソウル在住の会社員(24・女性)も「日本を非難するなら、韓国ももっとベトナムに謝罪するべき。きっぱりした態度をとらないと、逆に日本につけこまれる恐れがあるのではないでしょうか」と、日本を意識した発言をした。


 ちなみに、ベトナム政府はこれまで謝罪や補償は一切求めていない。98年、韓国大統領として初めてベトナム訪問をした金大中は「遺憾の意」を表明。韓国外交省も「謝罪ではない」とコメントしていた。しかし、この824日、ソウルで行なわれた首脳会談で、ベトナム大統領として初めて訪韓したルオン大統領に対し、金大中大統領は「我々が不幸な戦争に参加し、不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と、「謝罪」に一歩踏み込んだ発言をした。

 「うまいやり方ですね。意図はともかく、これで日本から『韓国は謝ってさえいないじゃないか』と突っ込まれるスキをなくしたわけだから」と、韓国政治に詳しい韓国人ジャーナリストはいう。「だが、これで韓国人全体が『自分たちも加害者だった』と認識したと考えない方がいい。むしろ、この謝罪は日本に向けた外交力ードとみた方がいいでしょう」

 歴史認識が世界中で「外交ツール」となってしまった時代に、しかもベトナムだけでなく、そこに「日本」も絡んでくるだけに、この問題、韓国内では難しい議論となりそうだ。


国軍によるベトナム民間人虐殺問題「SAPIO01.9.26ぼやきくっくり

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid927.html



togyo2009 at 12:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 捏造の慰安婦問題 

〈「被害者史観」韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の「加害責任」〉佐藤和(前編)

SAPIO2001.9.26号 特集【韓国「反日症候群」の正体】より

<大論争>「日本ばかり責めていられない」の声も

「被害者史観」韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の「加害責任」ジャーナリスト 佐藤和

 

 戦争といえばまず「被害者」だった韓国が、いま揺れている。ベトナム戦争時に従軍した韓国人兵士の「民間人大量虐殺」が報道され、長年のタブーだった「歴史の恥部」の解釈を巡って激しい議論が起きているのだ。

 それは虐殺か戦争か。謝罪はするべきか不要か。どこかで聞いたような議論は、しかしベトナムが謝罪も補償も求めていないことで、むしろ国内の政治問題となる可能性もでてきた。ことの経緯と一般韓国人の認識をレポートする。 


 *

「償いの必要はない」といった元司令官  ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。

 最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は99年、韓国軍がべトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(56日号/韓国の民主化の中で生まれたハンギョレ新聞社は88年創業、現在新聞発行部数は韓国第4位)。

 この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。

 例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。以下、その部分を略して引用すると——大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す——等々だ。


 日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。


 続いて同誌の2000427日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。しかし同時に、今やその行為に罪悪感を感じ、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。

 これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000421日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ぺージにわたり大々的に報じたのだ。


 タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。同年627日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。


 ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。

 ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。


 アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。

 冷戦時代、反共産主義が優先された韓国では、自国の恥部となり得る問題は隠されてきた。それどころか自国民が被害者となったケースでも、問題は隠されてきた。例えば朝鮮戦争下での米軍による韓国避難民大量虐殺の事実でさえ、韓国メディアで報道されたのは金泳三政権になってからの94年である。

 また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。



togyo2009 at 12:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史に挑む