April 2014

April 27, 2014

〈韓国軍はベトナムで何をしたのか 週刊ポスト 2014年4/18号〉

韓国退役軍人 ベトナム戦争の殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊
http://www.news-postseven.com/archives/20140404_249705.html
 

民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行−。そもそも、当の韓国社会でさえ、その事実が知られるまでには、多くの時間を要した。きっかけは、ベトナム戦争終結から24年後の19995月、ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(199956日号)が行なった報道だった。ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒したのである。この記事が当時、韓国社会に与えた衝撃はすさまじいものがあった。同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いたからだ。

特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ソウル市内中心部にあるハンギョレ新聞社の前に集結した。「ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いたのだ。だが、集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していったのだ。韓国人ジャーナリストがいう。「彼らの狙いは新聞社の制作機能停止でした。パソコンなどだけでなく、輪転機を破壊し電力供給線も切断。新聞や雑誌の印刷を停止させた。さらに新聞を運ぶ貨物車を炎上させたり、新聞代金の領収書の束を数千枚も積み上げ火をつけたりと暴徒と化していた。彼らはベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士のこと)を民間人だというハンギョレ新聞社は赤(共産主義者)だ!という垂れ幕を掲げていた。殺した相手は民間人ではなく、ベトコンだったと主張し虐殺を正当化したかっのでしょう。そこで、新聞社を自由主義の敵と見なし、暴挙に出たのです」その場にいた新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。その後、暴力行為で4人が逮捕された。

この暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる『大韓民国枯葉剤後遺症戦友会』(以下、枯葉剤戦友会)だった。この枯葉剤戦友会は朴槿恵(パク・クネ)大統領への絶対的な支持を表明している有力な政治団体だ。2011年に開かれた「枯葉剤戦友会14次定期総会」は、与野党の多くの政治家が自ら出席を打診した。しかし枯葉剤戦友会から拒否され、唯一、招待された政治家が朴氏だった

韓国人 ベトナム戦争の蛮行知らないのは「言論封殺」の結果
http://www.news-postseven.com/archives/20140407_250142.html
ベトナム戦争ではのべ32万人の韓国兵が派兵され、ベトナム人を大量殺戮した彼ら自身も無傷ではなかった。米軍機がベトコンを密林からあぶり出すために上空から散布した枯葉剤を浴び、後遺症に苦しむ元軍人たちが集まり枯葉剤戦友会が結成された。会員数は現在約14万人。韓国政府により「枯葉剤後遺症」として認定された約6万人と、その疑いがある「後遺疑症」とされる約8万人からなる。ただし、彼らは単なる「被害者団体」ではない。韓国国内における政治団体としては、最右翼、最保守団体に位置づけられ、たびたび暴力を辞さない過激なデモ行為を行なってきた。韓国人ジャーナリストが声を潜めていう。「団体を構成するメンバーは最前線で戦った海兵隊出身者が多く、ハンギョレ新聞社襲撃のように武力行使も辞さない。どんな報復をされるかわからないので、舌鋒鋭いジャーナリストでも、この団体を敵に回すことは絶対にしない。ハンギョレ新聞社の報道後、韓国でもベトナム戦争の真実を追求するシンポジウムが開催されることがあった。しかし、会場は迷彩服を着た同団体関係者と思しき人で埋め尽くされ、実行委員会側の人間に対してベトナムでは民間人でもベトコンを支持した人間は殺さなくてはいけなかった。それに異を唱えるお前らも戦場で会えば殺しているという脅迫を行なっていた。警察当局ですら尻込みするような屈強な男たちに脅されて怖くないはずがない」

先の『ハンギョレ21』で記事を執筆した女性研究者は、母国での活動に危険を感じ、ベトナムに移住している。−このように、韓国軍が行なった「ベトナム戦争での蛮行」は韓国社会にとっては、最大のタブーといえるのだ。韓国人の多くがベトナム戦争での虐殺と陵辱に対しての知識が少ないのは、保守派の「言論封殺」の結果なのである。



togyo2009 at 10:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 捏造の慰安婦問題 

〈韓国軍はベトナムで何をしたのか 週刊ポスト 2014年4/4・11号〉

韓国軍 ベトナム戦争で戦果を上げる勇猛部隊として知られた
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140324-00000006-pseven-kr
ベトナム戦争といえば、共産主義陣営の北ベトナムと、資本主義陣営の南ベトナム及びそれを支援したアメリカによる戦争というイメージが強い。韓国軍が米軍に次ぐ規模で参加していたこと自体、日本では一般にあまり知られていない。産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘氏が解説する。「米・韓・南ベトナム側からすると、韓国軍はよく戦果を上げる勇猛な部隊として知られていた。当時、ベトコン(北ベトナムの兵士)から最も恐れられたのは韓国軍だといわれています。韓国にとってみれば大韓民国が成立して初めての海外派兵。アメリカや世界に存在感を見せるため、精鋭部隊を送り込んだ」

韓国政府がアメリカ政府からの要請を受けベトナム派兵を決定したのは1964。当初は医療部隊など、南ベトナム政府軍の後方支援に限定した派兵だったが、196510月、戦闘部隊の大規模派兵を決定する。そして韓国は1964年から1973年までに延べ32万人を派兵。万を超える兵を派遣したのはアメリカと韓国だけである

ベトナム戦争 韓国軍「ゴダイの虐殺」を生き残った人の証言
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140326-00000008-pseven-kr
ベトナム戦争当時の韓国の指導者は、陸軍少将の時にクーデターを起こし、軍事独裁政権を樹立した朴正熙(パク・チョンヒ)大統領だった。現在の朴槿恵(パク・クネ)大統領の父親だ。彼は30万人以上の韓国兵を戦地ベトナムに送り込んだそこで起こった「虐殺と陵辱」にいま改めて注目が集まっている。ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、現地取材を通じ、韓国軍による民間人の無差別殺戮や女性の性的陵辱といった戦争犯罪について、多くのベトナム人から直接の証言を得てきた。

ベトナム中南部ビンディン省の省都・クイニョンにほど近い「ゴダイ集落」は、韓国兵の暴虐が最も苛烈を極めた地だ。1966123日から226日にかけ、多数の民間人が殺された。ベトナム国内では〈ゴダイの大虐殺〉と呼ばれ、いまだ民族の悲劇として語り継がれている。同集落にあるタイヴィン村に住むグエン・タン・ランさん(62)は、15発もの銃弾を受けながら奇跡的に一命を取り留めた。同村を襲撃したのは韓国陸軍・首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」だった。「100人を超える韓国兵が村を襲撃したのはまだ朝靄の残る9時頃でした。怒声とともに彼らは村の11軒のドアを足で蹴破ると、屋内にいた人間の髪の毛を掴みながら引っ張り出し、全65人の村人を1か所に集めました。韓国兵は一斉掃射で私たちを皆殺しにするのではなく、銃で追い立てて数人単位のグループに分かれさせ、45人ずつ集中砲火を浴びせ殺していくという方法を取りました。私の両親や親族も私の眼前で殺されました。その最中、韓国兵は中に若い女性を見つけると、寄ってたかって引きずり出し、地面に乱暴に転がした。そして私たちの目の前で輪姦し始めたのです。乱暴の限りを尽くされ、すでに微動だにしなくなった娘を、最後には撃ち殺した


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歳時に45人の韓国兵に暴行を受けたベトナム人女性の証言

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140328-00000000-pseven-kr
韓国軍の手による、もうひとつの名高い事件が「ハミの虐殺1968225日、南ベトナムのクアンナム省ハミ村で、海兵隊第2旅団「青龍部隊」が女性、子供、老人も含む135人の村人を殺害した事件だ。そのハミ村に青龍部隊OBを名乗る一行が訪れたのは20123月のことだった。村山氏が話す。「2年前の訪問時に一行は現地ベトナム人にあるペーパーを渡しました。そこには『もっと早く来るべきだった。僕たちの胸深くに刻まれた懐かしさと残念な気持ちを、ここにある花崗岩に刻むべきだった』との一文がありました。真意は不明ですが、自分たちが犯した罪深い行為に対する悔悟の念とも読めます」

村山氏はライダイハン(韓国兵とベトナム人女性との間に生まれた子供。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国の蔑称)の家族からも貴重な証言を得ている。ビンディン省に住むヴォー・ティ・マイ・ディンさんは15歳の時、同省クイニョンの韓国軍基地に就職した。150人ほどの韓国兵が駐留する施設の食堂でメイドとして働き始めてから5年後、20歳の時のことだった。いつものように仕事を終え、人気のない食堂で後片付けをしていた時だ。「突然、複数の韓国兵士が背後から襲いかかり、彼女をテーブルの下に引きずり込んだそうです。その後、45人の兵士が次々と彼女を蹂躙した。『韓国兵のことは思い出したくない』と彼女は口を閉ざし、これ以上は話してくれませんでしたが、この時の輪姦によって彼女は男の子を身ごもり、息子は現在43歳になるということでした」(同前)

韓国によるベトナム派兵 軍事独裁体制を維持するためだった
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140331-00000000-pseven-kr
1964
年、韓国はアメリカ政府からの要請を受けベトナム戦争への派兵を決定。1964年から1973年までに延べ32万人を派兵した。なぜそこまで韓国はベトナム戦争に深く関わる必要があったのか。それを読み解くには、当時の韓国社会の状況を知る必要がある。朴槿恵・現大統領の父・朴正熙(パク・チョンヒ)氏が陸軍少将の地位で軍事クーデターを起こし、韓国大統領に就任したのは、ベトナム派兵決定の前年だった。軍事独裁体制を敷く朴大統領の権力基盤はもちろん軍隊。だが当時、アメリカは韓国軍の兵力を削減する計画を進めていた。韓国人ジャーナリストが説明する。「朝鮮戦争の休戦協定を受けて1954年、共産圏である北朝鮮や中国の脅威から韓国を守るため、アメリカが韓国軍の軍事費をサポートすることになった。しかし、それから10年ほど経つとアメリカは韓国軍維持に巨額の財政支出を続けることに難色を示し始める。そして、米政府は韓国軍と在韓米軍を合わせて計25万人を削減する案を韓国に提示した。それに対し、自らの権力基盤が弱体化すると思った朴大統領が焦った。そこで朴氏は対反共戦争への参加、つまりベトナムへの大軍派兵に踏みきって、軍の温存に成功した

さらに朴氏は、派兵の見返りとしてアメリカからの軍事装備の提供や訓練費のアメリカ負担など、安全保障を強化する支援も得た。実際、軍事援助額はベトナム戦争中に大幅に増加。それまで2億ドル未満だった軍事援助額は1968年に3.8億ドル、1969年には4.8億ドルにまで膨れあがった。派兵の理由はそれだけではない。「1965年の日韓協定締結を控えて大規模な反政府デモが起きるなど、政権批判が強まっていた。そこで国外のトピックに国民の目を逸らせる必要があった。いずれにせよ、派兵は朴大統領の軍事独裁体制を維持するための手段だった(同前)



togyo2009 at 09:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 捏造の慰安婦問題 

April 13, 2014

〈韓国軍はベトナムで何をしたのか 週刊ポスト 2014年3/28号〉下

韓国サイト 韓国軍人に暴行されたベトナム人女性の証言掲載
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140320-00000004-pseven-kr
実は、ベトナムでの韓国軍による蛮行を、当事者である韓国人が知ったのは1999で、戦争終結からかなりの年月を要していた。発端は週刊誌『ハンギョレ21』(199956日号)が始めた1年以上にわたる連載記事だった。記者がベトナム当局から資料を入手し、現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。とくに殺害方法に触れた箇所は凄惨を極める。〈生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。子供たちの頭を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる女性たちを次々に強姦したあと殺害妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉まさに韓国史のタブーに初めて切り込んだ記事だった。しかし、長く封印されてきた蛮行を暴いたことに、政権は怒り、元軍人たちも大反発した。同誌を発行する本社の幹部が、退役ベトナム参戦軍人らに監禁、暴行される事件まで起こった

それから10年以上を経て、ようやく同誌に追随する動きが出始めた。先の市民団体の声明の前日、韓国の市民参加型ニュースサイト『オーマイニュース』に、韓国軍人に集団輪姦されたベトナム人女性の証言が掲載されたのである。韓国軍の基地で働いていた当時20歳の女性が、兵士たちに輪姦された挙げ句に妊娠。「ライダイハン」を出産し、現在に至るまでの苦労の人生を回顧している。

韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140318-00000000-pseven-kr
「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」──31日、独立運動記念式典で韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本をそう批判したその言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による蛮行を明かす。ベトナム戦争で派遣された韓国軍は、19661月から2月にかけてビンディン省ゴダイ集落で1004人の民間人を虐殺した(ゴダイの大虐殺

ベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行なわれた。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一か所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。逃げようとする私にも銃を乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いましたフォンニャット村周辺では74人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。

さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。1968225日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと09歳までの子供が57人も確認できた殺戮と破壊──これがベトナム戦争で韓国軍が行なったものと、現地の人々は口をそろえた。

ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140317-00000001-pseven-kr
ベトナム南部最大の商業都市ホーチミンから、飛行機で約1時間北上するとクイニョンに到着する南シナ海に面したこの港町は今、静かなリゾート地として旅慣れた観光客の間で人気のスポットになりつつある。そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。そして気付かされる。ここがベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった血なまぐさい戦場であっことを──。ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。

その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。つり目で表現された武装した軍人たち。彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。右腕には、ゴダイ集落を襲撃した「猛虎部隊」の紋章である虎が描かれている。−この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。その傍らにはゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。そこには「韓国軍が行なった非道は忘れない」という内容の文字も書かれてい

集落全体では、1966123日から226日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。「韓国軍が村に来たのは朝9時ごろ。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一か所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せつけられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを1度に殺さず、数人単位で射殺していきました私の両親や親族も殺されました」



togyo2009 at 07:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 捏造の慰安婦問題