January 11, 2010

従軍慰安婦はいなかった 上田埼玉県知事の英断(前篇)

埼玉県立平和資料館=東松山市=の歴史年表で「従軍慰安婦」表記の「従軍」の文字削除問題と関連し、上田清司県知事は昨年12月10日、県議会で佐藤征冶郎議員の質問に答弁した。上田知事は、日本軍の関与や慰安所は認めているとしたが、「当時は『従軍慰安婦』という言葉はなかった」としたこれまでの発言は撤回しなかった。県議会を傍聴していた市民グループ関係者らはさらに不信感を募らせている。06年6月の答弁で上田知事は「『(埼玉県平和資料館の)従軍慰安婦問題など日本の戦争責任の論議が多発』と表記がありますが、古今東西、慰安婦はいても従軍慰安婦はいません。従って、こういった間違った記述がありますので、こういうのは修正しなければならん」と発言した。これを発端にして平和資料館の年表の「従軍慰安婦」の「従軍」の文字が削除されたという経緯もあり、韓国民団埼玉本部や日本の市民グループらは現在も、同館の削除された「従軍」表記を早期に復元するよう強く求めている。
上田埼玉県知事 従軍慰安婦表記で発言撤回せず(2010年01月01日)
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=51480

何が起こっているのか、それを数年前より遡ります。

06年6月、「古今東西、慰安婦はいても従軍慰安婦はいかなった」との上田知事の県議会答弁を受け(館長は「館の自己判断」と否定)、東松山市の埼玉県平和資料館が年表表記の「従軍慰安婦」を「慰安婦」に書き替えたことで、米下院でも証言した元従軍慰安婦とされた李容洙さんが3月1日、同館を訪れ文書で「要望書」を手渡し抗議と共に表記を復元するよう申し入れた。
「上田知事の歴史認識を問う県民連絡会」や「埼玉県平和資料館を考える会」などが、「単なる『慰安婦』で強制の事実があった事が伝わらない」と元の表現に戻すよう再三申し入れや面談をしてきた。しかし、館は「慰安婦の表現には強制の事実も含む」との解釈を譲らず今日に至っている。今回、改めてご本人の証言と声を館に訴えるため李容洙さんが来日し、自ら拉致の体験とその苦しかった人生を語り、表記を復元するよう強く訴えた。「なぜ、高齢の私が韓国から来てお願いしなくてはならないのか」とも訴えた。
その後、同市内の「市民活動センター」に移り、「3・1独立宣言90周年 『従軍慰安婦』問題を問う3・1市民集会」が開かれ185人が参加し、「県資料館」での面談報告や、李容洙さんの講演(証言)があった。当時15歳だった李容洙さんは80歳になり、日本兵に拉致された当時の話しから始まり、日本兵の乗った船底に他の女性たちと詰め込まれ、1946年に帰国するまでの生活や、その後、現在に至るまでの苦しい辛い人生を証言した。韓国には「過ちは許すが忘れない」という言葉があり、李容洙さんは責任追及に来たのではなく、その歴史を隠さず事実をしっかり後世に伝えて欲しいと訴えた。
(記者私見)李容洙さんは抗議や責任追及に来たのではなく、「事実を隠さず教訓として生かすために、後世に伝えて欲しい」と県資料館を訪れた。しかし、同席した私は館側の態度に憤りと共に、日本人として情けなく恥ずかしく思った。
李容洙さんは「過ちは許すが忘れない」と言ったが、中国にも「前事之忘 後事之師」(前の事を忘れず、後の教えとせよ)と言う言葉がある。敗戦40周年のドイツのヴァイツゼッカー元大統領の国会演説、『問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけがりません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。』との言葉を、この国はしっかり噛みしめるべきである。
李容洙さんが『従軍慰安婦』隠蔽の資料館に復元を要請 芹沢昇雄(2009/03/04)
http://www.news.janjan.jp/area/0903/0903038613/1.php

従軍慰安婦問題の紆余曲折は皆さんご存じのとおりですね。
南京大虐殺がなかったように、従軍慰安婦もいなかったのです。
慰安所もあり、慰安婦もいましたが、それは商売でした。
従軍ではなかったのです!

敗戦から29年目間フィリピンルバング島で軍人として生きながらえ帰国された小野田寛郎さんは、そのあまりにも歪曲された事実に目をつぶることができず、雑誌「正論 [平成十六年一月号]「私が見た従軍慰安婦の正体」でその胸の内を訴えました。
その前書きは次のようなものです。

首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。

戦時のどん底状態で、当時15歳だった李さんが巻き込まれてしまった消し去れない過去には痛ましいものもあります。
しかし、歴史学者・秦郁彦氏は雑誌「諸君 [2007.5]「従軍慰安婦」を捏造した河野談話はこう直せ!」 で李容洙さんの1992年挺身隊対策協議会への証言および2007年アメリカ下院公聴会での証言から、慰安婦になった経緯は民間業者の甘言、朝鮮人による騙しによるものであり官憲による強制連行ではないとし、家出が正しいと説いています。
だからこその彼女の「なぜ、私が、お願いしなくてはならないのか」なのではないでしょうか。

韓国には先の対戦で多くの犠牲を日本人が強いたと訴えられる方々もおられます。
韓国に対する戦後補償は、昭和40年に日本から韓国に対し合計5億米ドル(日本円で1,800億円、日本の国家予算の半分程度、当時の韓国の国家予算の約1.5倍、)の補償が行われています。
これを当時の韓国政府が受け取って、各人にまで手渡されたかどうかはわかりませんけどね。

従軍があろうがなかろうがいいじゃないか、なにも寝た子を起こさなくてもとお考えの方もおられるかもしれません。
しかし、ことは日本の子供たちの教育問題にまで通じることなのです。
南京問題と同じく、教科書にこの国際的デマがしっかり記載されているのです。

大人がしっかりすればいい?これも疑問です。
なにをとち狂ったのか、平成5年には官房長官という国家の要職にあった河野洋平議員がこれを認めてしまったのです。
これが悪名高き”河野談話”です。
事実、マスコミ報道が、こちらも南京問題と同じく、このデマを風潮しているからです。
またまた同じく朝日新聞が主流となってです。

偏見でお伝えしているのではありません。
さらにその人数の提示を見てください。
秦氏は慰安婦を2万人程度と推定してますが、民主党公式ホームページでは8万〜 20万人、そして韓国側も20万人としています。
このアン?バランス、まるで南京問題を見ているようです。

資本主義国で日本人ほどマスコミを信用している人種はないそうです。
日本では半分以上の人々がマスコミの情報を真に受けますが、他国は4人にひとり程度だそうです。
簡単に言うと、マスコミも儲けと主義主張に走り、腐敗しているということです。
しかし日本人は、マスコミとは優秀な日本人が叡智を駆使して客観的な情報と意見を提供してくれるものと、信じています。
日本人を信じ、尊敬して、盲信しています。
さらに、マスコミ社会に故意に情報を操作する人々が紛れ込んでいたとすれば、たとえ彼らが優秀であっても、なおさらです。
歪曲された情報が、流さない情報が、どれほどもあり、五感を研ぎ澄ませられなくなっているのです。

次に、人間感覚をお持ちでバランスの良い声をお届けします。

「生活者の日本統治時代」 呉善花(韓国人女性)著
従軍慰安婦という言葉は最近になって出てきたものです。慰安婦がいたことは事実ですが、強制的に戦地へ連れて行くことなどは絶対にあり得ません。朝鮮も同じ国内でしたから、法治国家として司法の三審制度もあり、無法地帯ではありませんでした。もちろん、警察権力もしっかりしていました。そういう法治主義システムの網をかいくぐって、婦女子を強制的に連れて行くことなど、当時の朝鮮ではとうていできることではありませんでした。

「反日韓国に未来はない」 呉善花著
私は韓国で生まれて二十六歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が 強制的に連行したといった話はいっさい耳にしたことがありません。 また、私が『生活者の日本統治時代』で、インタビューした植民地世代の韓国人の誰一人として、 そのような光景を見たことも聞いたこともないといっていますにもかかわらず、最近になってそうした話が出るなんて、まったくおかしなことだというしかありません。日本の左翼活動家が反日民族主義の活動家に入れ知恵して以来、 「そういうことがあったらしい」「そういうことがあったに違いない」「そういうことが事実あった」 というようにエスカレートしていったことは明らかです。こうして「従軍慰安婦」問題は、女子挺身他(女性の徴用者たち)と意図的に混同させられ、 大量の女たちが「従軍慰安婦」させられた、強制連行でそうさせられた、という物語がつくられ、 それがあたかも真実であるかのように韓国国内で信じられるまでになってしまったのです。                      

「台湾人と日本精神」 蔡焜燦(台湾人)著
引き揚げ者の中には、海南島から日本兵と共に引き揚げてきた二十名ほどの台湾人慰安婦の姿もあった。彼女達は我々と同じキャンプに収容されて台湾への帰国を待っていた。彼女らは口々に、「海南島は儲かるし、それよりも兵隊さんが喜んでくれたんです」と語っていた。そうした生の声には、日本で騒がれるような強制連行の(悲劇)などは存在しなかったことを、私のこの耳がしっかり聞いている。(略)1999年、8月号の「正論」に掲載された許文龍氏(実業家であり、李登輝総統の国策顧問)の記事も、まさしくそんな氏の客観的な歴史観と実行力の賜物だったと言っていいだろう。日本でくすぶり続ける慰安婦の「強制連行」なる問題に首を傾げた許氏は、戦時中に慰安婦だった女性を集めてその事実を明らかにしたのである。もちろん結果は、日本の一部のマスコミや学識者がヒステリックに訴えるような「強制連行」なる事実は存在しなかった。

「上田知事の歴史認識を問う県民連絡会」「埼玉県平和資料館を考える会」や不信感を募らせた市民グループ、そして市民の市民による市民のためのメディアJanJanニュースと芹沢昇雄記者に、私はドイツ元大統領の演説をそっくりそのままお返しいたします。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけがりません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となりますよ。


togyo2009 at 04:51│Comments(0)TrackBack(1)歴史に挑む 

トラックバックURL

この記事へのトラックバック

1. 「慰安婦はいても従軍慰安婦はいない」?  [ 人の振り見て ]   January 25, 2010 21:07
 慰安婦について一部の人たちがよくいう「慰安婦はいたが従軍慰安婦はいなかった」というようなことを埼玉県知事が主張し、撤回の意思を見の..

コメントする

名前
URL
 
  絵文字