キャスター辛坊治郎氏を救った海上自衛隊(上)第1回長州正論懇談会、そして長州ファイブから150年

June 30, 2013

キャスター辛坊治郎氏を救った海上自衛隊(下)

ヨット遭難事故で救助された辛坊治郎さん「救助にたくさんの税金…反省」 2013.6.22
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/130622/cpb1306222129003-n1.htm
救助されたニュースキャスターの辛坊治郎さん(57)は全盲のセーラー岩本光弘さん(46)とともに22日午前0時すぎから東京都新宿区の吉本興業東京本部で記者会見。辛坊さんは「救助にたくさんの人手や税金を使うことになり、反省しなければいけないことは、きりがないぐらいある」とあらためて謝罪し、「岩本さんを無事に家族の元に帰せてよかった」と声を震わせた。

「もう一回やりたいとは口が裂けても言えない」−「本当にご迷惑をおかけしました。救助していただいて心から感謝している」と声を詰まらせて謝罪した。疲れた様子の辛坊さんらは「救助にたくさんの人手や税金を使うことになり、反省しなければいけない」と反省の弁。再チャレンジについては「もう一回やりたいとは口が裂けても言えない」と厳しい表情だった。−また、救助活動時は海が荒れていたのに自衛隊が航空機を着水させたといい、「普通のパイロットだったら、あの海には降りない。僕は本当にすばらしい国に生まれたと思った」と述べた。

【軍事のツボ】辛坊治郎氏の海難救助取材記(2013.6.24)(梶川浩伸)
http://www.sanspo.com/geino/news/20130624/sot13062418480003-n1.html
完全に“シビレ”てしまった。−海難救助で海上自衛隊や海上保安庁が見せてくれたプロの仕事に、だ。ヨットで太平洋横断にチャレンジしていたニュースキャスターの辛坊治郎氏と全盲のヨットマン・岩本光弘氏が6月21日、宮城県の金華山南東約1200キロの洋上で遭難した。まず簡単に時系列で動きを追う。

 ●6月21日午前7時35分ごろ 辛坊氏から2人のチャレンジをサポートしている団体事務局に「右舷から浸水している」と電話連絡
 ●午前7時46分ごろ 団体事務局が118番通報(海難救助要請)
 ●午前8時ごろ 2人は浸水が激しいヨットを放棄してライフラフト(救命いかだ)に乗り移る
 ●午前10時 第2管区海上保安本部(2管)から海自厚木航空基地に災害派遣要請。この間、2管は巡視船とガルフストリーム昂慎 複味腺複毅娃亜屬Δ澆錣沓厩罅廖砲鮓従譴貿標。巡視船の到着予定時刻は23日未明
 ●午前10時49分 海自の哨戒機P−3Cが厚木航空基地離陸
 ●午前11時39分 US−2が厚木航空基地離陸
 ●午前11時44分ごろ 海保のガルフストリーム昂慎,現場海域に到着し、2人の無事を確認
 ●午後2時ごろ US−2が現場に到着し、着水を試みるが波が高く断念
 ●午後3時ごろ US−2は現場上空を旋回し続けていたが、現場を離れる
 ●午後3時5分 2機目のP−3Cが厚木航空基地を離陸
 ●午後3時8分 別のUS−2(2番機)が厚木航空基地を離陸
 ●午後5時53分ごろ 2番機が現場到着
 ●午後6時14分 2番機が着水に成功し、2人を無事救出
 ●午後9時45分ごろ 2番機の先導役のP−3Cが厚木航空基地着陸
 ●午後10時30分 2番機、厚木航空基地着陸(海自の派遣航空機は計4機)
 ●午後10時37分ごろ 2人が地上に降り立つ

以上のような経過をたどったが、筆者は厚木航空基地で取材にあたった。滑走路脇のターミナルビルの前で、救出に成功したUS−2の到着を待っていると、海自の広報からUS−2はエンジンが1発停止しているとの情報が。停止しているのは4発あるうちの第3エンジンとのこと。右翼2発のうち機体側のエンジンだ。現場は波が高くエンジンが潮をかぶったことで、故障を防ぐため停止させていると説明があった。ちなみにエンジンは2発停止しても飛行は十分可能。飛行艇だからある程度潮をかぶるのは当たり前だが、予防的な停止をさせるほど大量だったということは、それだけ波が高かったことになる。現場海域は波高3〜4メートル、南西の風約15メートルだったというが、同機は波高3メートルまで着水が可能とされている。1番機が着水できなかったことも考えると、海況はこの機の限界付近だったのではないか。パイロットの技量の高さが分かる。

それは航続距離(滞空時間)の点でも同様だ。2番機は離陸から7時間半ほども行動している。4700キロとされる航続距離を巡航速度470キロで単純に割ると10時間となるが、実際には悪天候の中での飛行や着水して救助活動を行うことなどを考慮すると、余裕はほとんどないだろう。「世界的に見ても自衛隊の救難隊はトップレベル」と海自幹部が話すのも納得できる。

やがて滑走路の南方からUS−2の前照灯が見えてきた。海自広報から事前に「到着は午後10時30分」と聞いていた、その時刻ぴったりにタイヤが滑走路に降りた。着陸した2番機の3番エンジンは、プロペラのピッチ(角度)を変えブレード(羽根)を進行方向と平行にして空気抵抗をできるだけ少なくするフェザリングをしていた。数十メートルの至近距離で暗い中で雨に濡れる同機の姿を見、ターボプロップ機独特の「ビーン」というエンジン音を聞き、ケロシン(燃料)が燃焼したにおいを感じたとき、これまで何人もの自衛官から「われわれは命じられれば『できません』とは決して言えない」と聞いてきた、その言葉が脳裏をよぎった。

ターミナルビル内で会見に臨んだ辛坊氏と岩本氏は、厳しい表情ながらも思ったほどやつれていなかった。そして2人が目に涙を浮かべながら繰り返し口にしていたのは、海自や海保など救助に携わった関係者に対する感謝の言葉だ。「たった2人の命を救うために海上自衛隊、それから海上保安庁の何百人の皆さんが、命を投げ出す覚悟で、4メートルの波を越えて助けに来て下さった。本当に申し訳ない。ありがとうございました」−辛坊氏はこうも語った。「(ライフラフトの中で)2人で体を寄せていても互いの体温が下がっていくのが分かった。気力もあり、水と食料も1週間分合ったが、(海保の船が到着する)明日の夜まで持つかなと考えた。それが(US−2から下ろされた)モーターボート(ゴムボート)の15馬力のエンジン音が響いて、『大丈夫ですか』と声をかけてくださったときには、『あ、帰れる!』と。もうその一言で、本当にこんな言い方どうか分かりませんが、この国の国民でよかった』と本当にそう思いました」2人はターミナルビルの去り際まで、その場に居合わせた何人もの海自関係者の手を繰り返し堅く握り、感謝の言葉を述べていた。

困難な状況になっても、決して見捨てられることはない。必ず救助の手をさしのべてくれる。そう実感できる国は世界の中で決して多くはない。US−2の存在はその安心感を現実のものにしている。恩恵を受けるのは民間人だけではなく、海自や空自、それから米軍にまで及ぶ。航続距離が長く、世界最高水準の耐候性を備える救難飛行艇について海自幹部は「この機があるおかげで、洋上遠くを哨戒飛行するP−3Cの乗組員も任務により専念できる」と話す。第2次大戦時、米軍は潜水艦を不時着水したパイロットの捜索救難任務にも就かせた。これで数多くのパイロットが生還し、再び航空機に搭乗して戦うことができた。残念ながら日本軍はそのようなシステムを備えていなかった。

厚木航空基地での記者会見の間中、辛坊氏はひとつのワッペンを握りしめていた。救助された際、海自隊員に名前を聞いたところ、「規則で名前は教えられないということで、せめて部隊名だけでも教えてほしいと言うと、このワッペンをくれたんです」。この話に“シビれ”た。そして、とても大事そうにしていたのが印象に残った。ワッペンは海自の救難飛行隊である第71航空隊のものだ。岩国航空基地(山口県岩国市)が本拠地で、厚木航空基地にもUS−2を1機配備して、緊急事態に備えている。この日は2機が厚木航空基地から飛び立ったが、「1機はたまたま来ていた」(海自関係者)というから、ラッキーだった。

私もテレビでこのインタビューを観ましたが、その印象が違います。
辛坊氏が救助していただいた自衛隊員に名前を聞きたところ、それは教えられないが、ジャンバーに腕章として貼っていたワッペンをバリっと剥がして渡してくれたとのこと、それが第71航空隊のものであり、この隊はSWATであるとのことでした。
テレビの流し観ですので、不確かではありますが、日本の最高の救援部隊が発動してこその救われた命だったということです。
日本国民の命を救うために自衛隊員は命を賭けた訓練と責務を日々課しているということです。


togyo2009 at 18:08│Comments(0)TrackBack(0) 事件の深層 

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