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January 19, 2019

南知隊 平成27年3月 記事保存(2)週刊新潮「朝日新聞の戦争責任」 他

〈チャンネル桜討論会 所謂南京虐殺関連部分〉
2015.03.05.18:35






 
週刊新潮「朝日新聞の戦争責任」(上)朝日新聞の戦争報道
2015.03.10.18:25
特集 日本の戦争責任を追及する「朝日新聞」の戦争責任──まず自分のアタマの上のハエをどうにかしろ 「週刊新潮」平成14年8月29日号より抜粋

戦後の朝日新聞の歴史は、偽善と自己弁護の歴史だったといっていい。「屠り去れこの米鬼」「朝鮮、徴兵制に感激の波高し」「洋々たり我が資源作戦」と、戦争をひたすら礼賛し、国民を逃げ場のない洗脳状態に放り込む先頭に立ったのが、朝日である。が、同紙は戦後、日本の戦争責任を中国・韓国の意に沿って追及する側に見事に転じる。 では、自らの戦争責任について、朝日はどう総括したのか。

昨年の終戦記念日に社説で「天皇の戦争責任」を追及して波紋を呼んだ朝日新聞は、今年は一転、天皇のテの字も出さない社説を掲げた。自らの戦争責任をタナに上げての天皇の責任追及には、さすがに多くの読者がア然としたものだが、今年はその反省もあってか、社説の代わりに『天声人語』にこんな一説が登場した。

<新聞は、本誌も含めて日本の新聞の多くは、過ちを犯した。厳しい情報統制下とはいえ、戦争推進の政府方針に追随し、戦意高揚を図った。その責任は大きいが、貴重な教訓を得た。毎日の紙面で誓うわけではないが「あの失敗を繰り返してはならない」と多くの新聞人が思ってるはずだ>(8月15日付)

一見殊勝にも思えるこの文章は、実はいかにも朝日新聞らしい偽善に満ちた巧妙な手法が用いられている。つまり、この文章を冷静に読むと、ほかの新聞もすべてが政府方針に追随し、戦意高揚を図ったのだから、これは自
分だけの責任ではない、すべては時代が悪かったのだ、という自らの責任逃れを印象づけていることに気づく。

だが、果して朝日は、ほかの新聞も戦意高揚を図ったのだから、と許されるような紙面を当時展開していたのだろうか。そして、そのことに対する誰もが納得する総括を自ら行ったことがあるのだろうか。答えは”ノー”である。「朝日新聞が自らの戦争責任を総括したことはいまだに一度もありません」というのは、『朝日新聞血風録』の著者で元朝日新聞記者の稲垣武氏(評論家)だ。「朝日は終戦後3カ月を経た昭和20年11月7日に、紙面の左隅にわずか33行で『国民と共に立たん』という宣言を目立たないように掲載し、戦争責任をとったとしています。しかし、その内容たるや軍部からの制約で新聞としての本分を全うできなかったという極めて自己弁護的なもので、さらに戦後50年を経た95年2月、『メディアの検証』という連載記事を掲載し、これも自らの戦争責任を総括したかのような形式をとりましたが、それもメディア論という手法を用いたもので、当時の状況を他人事のように扱う実に不完全なものでした。本来なら1面で、堂々と社長名で総括すべきものを姑息なすり替えでごまかしたのです。つまり、
朝日はいまだに一度も国民に”謝罪”していない。戦後57年を経ても、自らの戦争責任を総括できず、一方で日本の戦争責任を追及しつづける。それが朝日新聞なのです。 

朝日新聞の戦争報道──たしかにそれは、検証するに値するものである。戦争を美化し、正当化し、国民の戦争熱を極限まで煽り、そして、真実を知りながら、自らの主張に沿って最期の最期までそれを隠蔽し、嘘を書き続ける。国民を死地に追いやったその見事なまでの紙面は、やはり地を圧するものだった。それは一体いかなるものだったのか。


http://www.geocities.jp/pekin_chan/page034.html
 

週刊新潮「朝日新聞の戦争責任」(中)国民洗脳に果たした役割
2015.03.10.18:31
特集 日本の戦争責任を追及する「朝日新聞」の戦争責任──まず自分のアタマの上のハエをどうにかしろ 「週刊新潮」平成14年8月29日号より抜粋

凄まじい戦争礼賛記事
朝日新聞が軍部礼賛の記事を掲載し始めるのは、満州事変以後のことである。「満州事変以前の日本というのは、ちょうど現在の日本のような長期的不況に陥っていました」と、前出の稲垣氏がいう。「当時は、日本人全体に軍部に対する反感があり、軍人が軍服のまま電車に乗るとうしろ指をさされるような雰囲気がありました。しかし、満州事変勃発以後、国民感情は転換する。満州国建国によって国内の閉塞感が一気に突き破られる感じを受けたからなんですが、朝日はそれでもなかなか軍部を持ち上げるような記事は書かなかった。しかし、そうした朝日の報道に九州の在郷軍人会が不買運動を始め、ライバルだった毎日新聞が、朝日は売国的だ、という内
容のビラを撒くようになる。そこで朝日は役員会を開き、方針転換をはかるのです。朝日は以降、堰を切ったように戦争を肯定し、推進する論陣を張るようになりました。」その変わり身の早さは、戦後遺憾なく発揮されるが、とにかく実際に当時の新聞を見てみるとそれは凄まじいの一語に尽きる。

国民洗脳に果たした役割
前出の稲垣氏によれば、「朝日新聞は、読者に募金を募り、そのお金で軍用機を買い、軍部に献納するというキャンペーンまで始めます。朝日はこれを”銀翼基金”と名づけ、”千機、二千機われらの手で”というスローガンの下、まず朝日新聞の社長・会長が率先して1万円の募金をおこない、この基金にお金を出した読者の名前を紙面に掲載しつづけるのです。そのほか、軍国歌謡や戦争スローガンの募集、そして慰問金の募集など、次から次へと戦争遂行のために積極的な活動をおこなっていくのです。」たしかに昭和16年12月12日に掲載された。
<軍用機献納運動の強化>と題された社告は面白い。ー本社が10万円、社長・会長がそれぞれ1万円を献金したことを宣言しているのである。これはもはや当時の体制に責任を転嫁できるレベルの関与の仕方ではない。「それだけではありません。朝日は積極的に”記者報告会”という後援会を各地で開催し、戦地から戻った特派員たち
に直接、軍部寄りの意見を述べる講演をさせて、大衆感化の重要な役割を果たすのです。紙面だけではなく、あらゆる意味で朝日は国民を戦争に駆り立てる重大な役目を果たし続けたことになります。」(同)ーそして、朝日新聞の常軌を逸した軍国報道は、終戦が近づくとさらに激しさを増す。敗戦がわずか3週間後に迫った昭和20年7月25日に至っても、<本土決戦必ず勝つ 敵近づけば思ふ壺 その機掴んでわが戦力爆発 特攻隊に学ぶ>と、この期に及んで特攻を賛美・推進している。その欺瞞の姿勢は、終戦を察知しながら、終戦前日の8月14日に、<敵の非道を討つ>と題する社説を掲げ、<いかに敵が焦慮の新戦術を実施しようとも、一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである>と戦争継続を主張するところにも現れている。


http://www.geocities.jp/pekin_chan/page034.html


週刊新潮「朝日新聞の戦争責任」(下)いまだ戦争責任を取らず
2015.03.10.18:42
特集 日本の戦争責任を追及する「朝日新聞」の戦争責任──まず自分のアタマの上のハエをどうにかしろ 「週刊新潮」平成14年8月29日号より抜粋

いまだ戦争責任を取らず
その徹底した紙面は見事というほかないが、朝日と覇を争って軍国報道に血道を上げた毎日新聞が、終戦直後に社長以下、有力幹部が責任をとって続々辞任したのに比べ、朝日は、社主の村山派と反村山派の権力抗争が繰り広げられ、実に3カ月を経た11月に両派が退陣するまで、すべてが曖昧にされるのである。
 

稲垣氏(前出)がいう。「前述したように、その末に出された 『国民と共に立たん』という宣言さえ、軍部に責任を転嫁したものに過ぎませんでした。そればかりか朝日は戦後今度はGHQに擦り寄り、持ち上げ記事を掲載するようになり、事前に是非読んでくれと、GHQに掲載前に記事を持っていくことまでしていたことが、米の公文書に記されています。要するに朝日は、戦時中は軍部に擦り寄り、戦後はGHQ、そしてやがては中国やソ連という共産勢力に擦り寄って、時代時代に現われる強い相手を礼賛する報道を続けるのです。 変わり身の早さと、強い者にはとことん擦り寄るその姿勢は戦前から一切変わっていませんね 」

元日経新聞記者でコラムニストの井尻千男氏(拓殖大学日本文化研究所長)もいう。「 戦後の朝日にとっては、結局GHQが大本営であり、占領期が終って以降は、中国が大本営になったんです。 朝日はセンチメンタリズムというか感情論だから、GHQや中国の言うことを聞いている方が大衆受けすると思ったんだろうね。 やがて北京政府や韓国政府の言いなりになり、反日・自虐史観を前面に押し出すようになるんです。 そして少しでも日本の政府要人が北京政府の気に障ることを言おうものなら、すぐにご注進して問題化するという”ご注進ジャーナリズム”を作りあげた。 自ら戦争を煽り、礼賛した朝日は日本の近代史を断罪する資格などないはずなのに、GHQや中国に擦り寄ることによってこれを断罪する側に回ったのです。 その無定見さ、臆面もない大衆迎合ぶりは見事というしかありません」

さて、朝日新聞の言い分も聞こう。「朝日新聞は、自らの戦争責任を明確にするため、社長以下の役員、編集幹部が退陣し、1945年11月7日の1面に宣言『国民と共に立たん』を掲載して、国民の側に立った新聞社になることを誓い、以来それに沿った新聞づくりを進めてきました。戦前の小紙の振る舞いについては、ひとことで総括できるものではありませんが、戦後50年にあたる1995年の2月以降に連載した、自らの戦争責任を検証する企画記事をはじめ、折々に、検証記事を載せています」(広報室)それらが姑息なすり替え記事に過ぎなかったことは前述の通りだ。 戦後、日本人としての誇りや気概を失わせることにひたすら邁進してきた朝日新聞 のこれが正体である。

http://www.geocities.jp/pekin_chan/page034.html 


togyo2009 at 15:45│Comments(0) 共同管理ブログ「南京の真実を知らせ隊」 

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