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August 12, 2015

加瀬英明氏のコラムより(4)映画「ムルデカ 17805」

映画『ムルデカ 17805』『月曜評論』2001427


映画『ムルデカ 17805』は、日本が前大戦にあたって、アジアを解放した物語である。ーこの映画も、前作の『プライド 運命のとき瞬間』と同じように、私が製作委員会の代表をつとめた。今年は戦後五十六年目になるが、日本が先の大戦にあたって、アジアを解放した史実に基いた劇映画がつくられて、全国で上映されるのは、始めてのことである。
映画が始まると、日本が「自存自衛の為に」(開戦の御詔勅にでてくる言葉)開戦したという字幕が現われる。これも、戦後初めてのことである。


この作品は、昭和十七年三月に日本軍が三百五十年にわたってオランダの植民地統治のもとにあって、蘭領東インドと呼ばれていたインドネシアを解放して、軍政下で統一インドネシア語を制定し、学校教育を充実し、全島にわたって、隣組、奉公会、警防団、婦人会などの組織をつくるなど、インドネシアの独立へ向けて準備したものの、日本が敗れると、二千人あまりの日本将兵が日本軍を脱して、インドネシア独立軍に身を投じて戦う物語である。アジア解放こそ、日本民族が明治以来いだいてきた大きな夢であった。アジアでも、アフリカでも、白人の植民地支配のもとで、有色人種は不当な差別を蒙っていた。アジアを解放することは、明治以後、日本国民がいだいてきた夢であった。


二十世紀の人類に起った最大の出来事は、いったい何だっただろうか。それは人間の長い歴史の果てに、人種平等の世界がもたらされたことだった。もし、日本が先の大戦を大きな犠牲を払って戦わなかったとすれば、アジア・アフリカ諸民族は今日でも、西洋の植民地支配のもとで、辱しめられていたことだろう。私にとって、この映画は二つの台詞によって表わされている。主人公の島崎武夫中尉が、将来のインドネシア国軍の幹部を養成する訓練所をつくる。一つは島崎が訓練の厳しさについてゆけずに脱走したインドネシア青年に向かって、「日本だって西洋の植民地となりかけたところを、国民の力によって撥ね返したのだ!」と怒鳴る言葉であり、もう一つは、島崎が独立戦争に参加して、勝利を目前にして狙撃されて、インドネシアの恋人のアリアティの腕のなかで死ぬ時に、アリアティが「日本は戦争に敗れたけれど、あなたは勝ったのよ!」と叫ぶ言葉である。私はアリアティの台詞に、日本は国家としては戦争に敗れたが、民族としては戦争に勝ったという意味をこめた。


私はこの映画を編集前のラッシュの段階から、何回も試写を観たが、自分がつくった映画だというのに、そのたびに感動して、涙が溢れるのを抑えられなかった。ーしかし、私は作品そのものの出来栄えだけでなく、戦後五十六年たって、日本の明治以来の理想を描いた映画をつくることができたということについて、感動せざるをえなかった。日本の再生が始らなければならないと思うと、胸が熱くなる。


「ムルデカ」はインドネシア語で、「独立」を意味している。副題の「17805」という数字は、今でもジャカルタの都心に聳える独立記念碑に刻まれた、独立宣言文の末尾に記されている日付である。日本はインドネシアを敗戦の年の九月に独立させることを決定していたが、日本が八月十五日に降伏すると、インドネシア独立運動の最高指導者のスカルノとハッタが、その二日後に独立宣言を強行した。日本は連合国の報復を恐れて、反対した。この時、スカルノとハッタは日本に感謝して、あえて西暦を用いずに、皇紀を使ったのだった。「05」は、皇紀二六〇五年である。


本映画の主人公には、柳川宗成中尉(終戦時には大尉)というモデルがいる。熱血漢で、拓殖大学を卒業した後に、中野学校で学び、昭和十七年にジャワに敵前上陸した。映画のなかで、オランダ軍総司令部に白刃を翳して、単身乗り込み、司令官に降伏を迫まる場面も、実話である。柳川中尉は将来の国軍の幹部要員を育成する学校を創設し、その後のインドネシア国軍の前身となった郷土防衛義勇軍をつくるのにあたって、中心的な役割を果した。インドネシアの独立をもたらすのに当たって、もっとも力があったのが、郷土防衛義勇軍をつくったことだった。柳川中尉は敗戦後に帰国しているから、その後の物語はフィクションである。


今日、日本では前大戦中に日本がアジアを侵略したために嫌われているというが、事実にまったく反している。日本の敗戦後、中国では戦時中に日本に協力した数万人の中国人が「漢奸」として裁判にかけられ、処刑された。しかし、東南アジアからインドにいたるまで、大戦中に日本に協力した人々が、一人として裁判にかけられたことも、ましてや処刑されたこともない。日本が大戦中に悪いことを行ったとしたら、このようなことはありえない。かえって、インドネシアでも、インドでも、ミャンマーでも、戦後、対日協力者は全員が民族の英雄となった。フィリピンでは、初代のラウレル大統領の長男が戦争中に日本の士官学校で学び、戦後、駐日大使となった。アキノ大統領の一家は、対日協力者だった。


中国では日本と結んだ汪兆銘政権が、蒋介石政権と毛沢東の中国共産党に対して内戦を戦ったから、事情が異った。アメリカやイギリスが大戦中にもっとも恐れたことが、蒋介石政権が脱落して、日本と和睦することだった。そうしたら、アジアにおける戦争が白人と有色人種による「人種戦争」となった。そのために、アメリカは蒋介石政権に対して惜しみない援助を行なった。大戦中、中国人だけが、白人側について戦った。


日本は先の大戦を自存自衛のために、戦った。しかし、日本の多くの青年が、アジアをアジア人の手に取り戻すために、生命を捧げた。そして幕末の日本から始まった精神が、アジアを動かしたのだった。昨年、拓殖大学が創立百周年を祝った。天皇陛下が記念式典に臨席された。その時のお言葉のなかで、「校歌には青年の海外雄飛の志と共に『人種の色と土の境 我が立つ前に差別なし』とうたわれています。当時の多くの学生がこの思いを胸に未知の世界へと大学を後にしたことと思われます」と述べられている。これこそ、幕末以来の日本人の夢であった。陛下は深い想いをこめられて、このお言葉を述べられたにちがいない。第二次大戦後、〃植民地解放の嵐〃が全世界に吹き荒れ、アフリカ大陸にまで及んだ。日本国民が大きな犠牲を払った代償として、ついに人種平等の世界がもたらされた。


『ムルデカ 17805』の製作に当たっては、昨年七月から日本から百二十人以上のスタッフや、俳優が二ヶ月以上、インドネシアに滞在して撮影を行った。インドネシア政府とインドネシア国軍がこの間、撮影に全面的に協力してくれた。冒頭の上陸戦闘のシーンから壮大な戦闘場面が多いが、国軍が連日、三百人以上の兵士を出演させてくれた。これらの兵士は日本軍の軍服を着て、日本兵の役を熱演してくれた。ー平成十一年に、ジャカルタを久し振りに訪れたところ、スカルノ政権時代のアブドゥル・ガニ外相をはじめとする日本軍政時代を体験した人々が、八十人近くホテルに集まって、歓迎会を催してくれた。宴が盛りあがると、参会者に歌詞が配られ、全員がー日本の歌を十曲あまり、日本語でつぎつぎと合唱してくれた。そのなかに『八重汐』という歌があった。私はこの歌がうたわれるのを、はじめて聞いた。


「八重汐や、遠きわだつみ あまてら天照す神の国より おおみこと大詔かしこみまつり み皇いくさの船をすすめて はらから同胞とここにつどえり」


「日の本はアジアの光」「大いなるアジアを興す」という歌詞を聞きながら、私は涙が頬を伝わるのをとめることができなかった。


インタビューにくる外国の記者たちは、三十代の人々が多い。したがって、先の大戦を客観的にみることができる。オーストラリア放送協会のテレビのインタビューアーは、「やはり日本がアジアを解放したのですね。日本が戦争に勝ったのですね」といった。私が「あなたがたはアブオリジニ原住民の数が少かったから、幸運でした。もっと多かったら、今ごろ、あなたがたは追い出されて、オーストラリアという国はなかったでしよう」とまぜっ返すと、インタビューアーが気持よく笑った。イギリスの国営放送のBBCの記者も、ラジオのインタビューで、「日本が先の大戦を戦わなかったら、アジア・アフリカが解放されなかったというのは、正しいですね」と、感心したように答えた。そして、「でも、今まで気がつきませんでした」とつけ加えた。


今日では、アメリカ、イギリス、オーストラリアをはじめとする旧連合国がしたり顔をして、先の大戦中に民主主義と人道主義の側に立って、侵略を働いた軍国主義日本を破ったと説いている。これは事実から懸け離れている。第二次大戦が戦われるまで、アジアの諸民族を支配して、辱しめていたのが民主主義であり、人道主義だったというのだろうか。戦後、国連が「人権宣言」を発したが、日本がアジアを解放することなしには行われなかったことだった。


五月はじめに、映画の原作に当たる小説『ムルデカ 17805』が、自由社より刊行された。私にとって、あの時代を描くのは、あの時代の精神を復元することだった。映画と拙著が、奪われた記憶を取り戻すのに役立つことを願っている。私はこの小説のなかで、敗戦後、島崎の母の房代が息子の同期生であり、インドネシアで戦犯の冤罪を着せられて刑死した宮田の未亡人の早苗をたずねる場面を書いた。


「雄々しい母と、りり凛々しい戦争未亡人が向かい合っていた。『ご主人も、アジア人が誇りを取り戻すために、命を捧げられました』しばらく、二人は黙っていた。ガラス戸越しに、うぐいす鶯が小さな庭で鳴いた。『早苗さん。武夫は、よくこんな歌をうたっていました』房代は小声で歌った。音調が外れていた。『………人種の色と地のさかい境、わが立つ前に差別なし……武夫を教えて下さった、拓殖大学の校歌でした』(略)早苗が『軍事郵便』というスタンプが押された封筒の束から、一通を取り出した。宮田からの手紙を、房代が来るたびに一通づつ読んだ。そうすると、慰められた。房代は早苗よりも、夫を長く知っていたのだ。(略)房代がめがしら目頭を押さえた。眼鏡を取りだしてかけると、手紙を取って読んだ。房代は手紙を折ると、早苗に返した。『このごろは、軍人が何でも悪いことになっていますが、私はこの国の軍人の妻であることを、今でも誇りにしています。主人は上海事変で戦死しました』房代が座り直した。島崎の父は下士官だった。『この小さな日本が軍国主義をとってきたから、日清戦争と日露戦争に勝ちました。もし、日清戦争に敗れていたとしたら、清の属国だった朝鮮と同じようになって、ひどいことになっていたはずです。日露戦争に負けていたとしたら、日本はロシアによって支配され、アジア全部が今でも西洋の植民地となっていたことでしよう。今こそ敗戦の衝撃によって、何でも軍人が悪かったといっていますが、そういつまでも目隠しはされません。この国が復興を遂げた時には、国民のみなさんが、きっと、きっと、正気を取り戻しますよ』」


私たちは日本国民に、正しい歴史を伝えてゆかねばならない。自国の歴史に正当な誇りをいだくことによって、はじめて国家として自立することができるところが、このところ日本の歴代の首相や、外相が、戦勝国史観に媚びて、日本が先の戦争に当たってアジアを侵略し、悪事を働いたといって謝罪するようになっている。私はアジアをひろく旅しているが、インドでも、ミャンマーでも、カンボジア、マレーシア、インドネシア、フィリピンでも、六十五歳以上の人々は、日本のお蔭で独立できたことを知っており、日本に感謝している。



「歴史教科書」に賛否両論  Date : 2001/07/10 (Tue)

鬼頭誠論説委員の意見に異議あり

読売新聞の鬼頭誠論説委員ー。の時局コメンタリ410日号)の「『歴史教科書』に賛否両論」は、前大戦が終わってから56年目になるのに、戦勝国史観がいまだに日本の知識層を支配していることを示していて、憤慨せざるをえない。鬼頭氏は「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書が、「日米開戦時の真珠湾攻撃が不意打ちとなったことに一切触れていない (略) 日本の国家国民に取り返しのつかない汚名を着せることになった例の駐米大使館の不手際の一件を記述しなかった」ことを、強く批判している。近代に入ってから、宣戦を布告するか、あるいは最後通告を手交してから戦争を開始した例は、第一次世界大戦を除けば、僅かである。アメリカをとれば、1846年の米墨戦争も、1898年の米西戦争も、アメリカ軍の奇襲によって始まっている。アメリカは米墨戦争によって、メキシコからテキサス、ユタ、ネバダ、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ諸州を奪ったが、奇襲に成功したザカリー・テイラー将軍はその人気を駆って、第12代大統領に当選した。米西戦争では、スペインからフィリピンを奪った。 


知識人よ戦勝国史観から脱却せよ

ルーズベルト大統領は、日本が真珠湾を「騙し討ち」したといって、日本に対する国民の憎しみを煽り立てるために、宣伝材料として用いた。大使館の不手際は宣伝材料を提供したから、残念なことであったが、アメリカは日本の外交暗号を解読していたので、日本大使が最後通牒を手交する以前に読んでいた。その後、アメリカのお気に入りのペット国家であるイスラエルも、開戦に当たって奇襲をお家芸としているが、アメリカから非難されたことがない。自衛戦争の場合は、宣戦布告なしに戦争を始めても違法ではない不法な東京裁判も、真珠湾攻撃については有罪としていない私がつくった、日本が前大戦でアジアを開放した物語である映画「ムルデカ 17805」が5月に東宝系から全国で封切られることから、アメリカをはじめとする多くの海外テレビ、新聞の取材を受けた。アメリカのテレビ記者が、「日本はハワイを宣戦布告なしに奇襲した」というので、「アメリカが1890年代に宣戦布告なしで、ハワイ王国を海兵隊を奇襲上陸させて、併合したのを、模倣しただけだ」と答えたところ、記者も大笑いした。



togyo2009 at 16:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

February 07, 2014

2014年東京都知事選挙 田母神俊雄氏起つ!(6)

「永遠の0」百田氏が田母神氏を応援演説[2014年2月4日]

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20140204-1252962.html

公開中の映画「永遠の0(ゼロ)」の原作者で作家の百田尚樹氏(57)が3日、都内で田母神俊雄氏(65)の応援演説を行った。大阪から上京し、選挙カーの上で熱弁を振るった。「田母神さんは立派な国家観を持っている。教育を通して日本人の誇りを伝えてほしい」と訴えた。

 

田母神陣営救った!「永遠の0」百田氏、1000人の前で“大和魂”

http://www.sanspo.com/geino/news/20140204/pol14020405030001-n1.html

東京都知事選に立候補している元航空幕僚長の田母神俊雄候補(65)の応援に3日、大ヒット上映中の映画「永遠の0」の原作者、百田尚樹氏(57)が駆け付け、「立派な国家観、歴史観を持った本当の男」と支持を呼びかけた。田母神氏の応援団長、石原慎太郎氏(81)がインフルエンザで不在の中、「非常に心強い応援者」と陣営関係者を感激させた。


百田氏は午前9時10分、JR新宿駅西口前でマイクを握った。ベストセラー作家の登場に通勤客も足を止め、約1000人の人だかりが。その前で、百田氏は約30分にわたり田母神氏への支持を呼びかけた、「子供たちに国や日本人が立派であると教えないと、日本は本当にすばらしい国にはなれない。田母神さんだけが正しい国家観を持っている。他の候補には任せておけない!


百田氏は田母神氏の立候補表明時から、ツイッターで支援を明らかにしていた。各種世論調査での苦戦報道を受け「応援に行かなければ」と考えるようになったとし、3日前にツイッターで「負け戦であるからこそ、応援したい」と宣言。前日2日、田母神氏と初対面を果たし「一目見て、この人は男やなと思った」とほれ込んだ。「一番戦争をしたくないと思っているのは自衛隊員。『永遠の0』も戦争を起こしてほしくない、という思いで書いた。だが、そのためには日本人が自国の歴史に誇りを持たないとならないそれを訴えているのは田母神さんだけだ


百田氏は午後も、田母神氏の街頭演説に同行。応援団長の石原氏がインフルエンザでダウンした田母神陣営には、願ってもない援軍となった。田母神氏は「孫たちが祖父の名誉を回復する(永遠の0)というのは、自虐史観教育で悪くなった日本を誇りある国にする、という私の考えと同じ」と強力な味方を得て、選挙戦終盤への勢いをつけていた。
 



togyo2009 at 19:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 07, 2012

『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男』大場大尉役竹野内豊さんに主演男優賞

【第54回ブルーリボン賞】竹野内豊に主演男優賞 「役者人生で天命」と作品に感銘(2月15日(水)配信)
俳優の竹野内豊(41)が『第54回ブルーリボン賞』の主演男優賞を受賞し14日、都内で行われた授賞式に出席した。『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』での演技が評価され、「この作品に出会えたこと、
今の時代にこの作品を残せたことは役者人生で天命といっても過言ではないくらい、意義のあることと思います」と感慨深げに喜びをかみしめた。

『太平洋の奇跡 』はサイパン島での大場大尉の生き様を描いた映画です。
私も観に行き、上映中は涙々でした。(年を取ると、涙腺はいっそう弱くなります)

主演の竹之内さんは大場大尉のご子息の元を訪れ墓参りをし、その時のことをインタビューで語っています。

「ご子息が『父は野武士のような人でした』と表現されたのが印象的でした。多くを語らず、すべて行動で意思を示す方だったそうです。撮影中、大場さんを演じている時に、この言葉はいつも僕の心のどこかにあって忘れることはなかったですね。そして、お墓からの帰り際、ご子息が自分の手をギュっと握られました。そして『父のことをよろしくお願いします』と震える声でおっしゃって深々と頭を下げられたんです。自分は決して大場大尉になれになれるわけはないんですけれど、このご子息の深いお気持ちは、作品を観る方にスクリーンを通して伝えなくてはと思った出来事でした」

同じ日本人として大場大尉を演じたことを天命とまで語った竹野内豊さんの受賞を喜んでいます。
これを機会に、DVDやリバイバルを観る方々が増えればいいですね。


太平洋の奇跡−フォックスと呼ばれた男−



togyo2009 at 16:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)