1974-2199 宇宙戦艦ヤマト とはず語り ー全砲門開けー

宇宙戦艦ヤマトにまつわるよしなしごとをそこはかとなく書き綴っています。 2019年5月24日より「全砲門開け」のサブタイトルを付けました(笑)。

死ぬほど暑かった夏がようやく過ぎ去り、さわやかな秋の風が金木犀の香りを運んでくれる季節となりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

えー、この度、わたくし大和川は決意新たに、来年2024年「宇宙戦艦ヤマト50周年」に向けて、ちょっと真面目に同人誌活動を再始動することにしました。これまで、主に「ゲスト原稿」という形で、他人様の土俵でこそこそっと活動しておったわけですが、個人的にな事情も落ち着いてきたこともあり、自己責任において同人誌活動を再開できる環境が整ってまいりました。というわけで、来年にむけてひさびさの新刊同人誌を2タイトル、リリースする計画をただいま進行させておる次第です。

一つは、宇宙戦艦ヤマト放送50周年記念本として、当ブログで2014~15年にかけて連続掲載しておりました【宇宙戦艦ヤマト放送開始40周年記念企画】イラストコラムを全面リニューアル、加筆・修正してどどーんとフルカラーで出しちゃいます!
表紙もだいたいこんな感じ、というのを作りました。
50th表紙

背景のイラストやタイトルの色は今後変わる可能性がありますが、タイトルは「74年宇宙戦艦ヤマト全26話を、イラストつきで語ってみた。」でほぼ決まりです。もう、そのまんまのタイトルです。わかりやすい!

テキストは1ページに収まる程度にまとめ直し、イラストも印刷して見るに堪える程度にレタッチし、そもそも書いていない第1話から第4話までを新たに描き下ろし、書き下ろしをいたしまして、お目見えさせていただく予定でございます。

ymt1974-02
第2話イラスト描き下ろしました
ヤマトを1話ずつ1枚の絵にまとめる作業というのは、実に楽しいですね。本当に楽しい。なにより、一つ一つのエピソードに印象的なシーンが複数あるので、どのシーンを使うか迷うくらいです。あまりいろいろ描きすぎると画面がごちゃごちゃするし、イラストに書き文字やらなんやら書き足すので、下書きには入れてたのに泣く泣くカットした絵もあります。つくづくアニメって「画・絵」だな、と思いました(当たり前)。
オールフルカラーの60pぐらいになると思います。大和川の人生初フルカラー同人誌になるので、発行部数は冒険しません。ちょっとしか刷らないので、もし「欲しい!」という奇特な方がいらっしゃいましたら、ご予約いただけるとありがたいです。主に通販での頒布になると思います。
 
もう一つのタイトルは、Pixivにあげていた「防大まんが」こと、古代守・新見薫・真田志郎の防大生時代を100%大和川の妄想で描いた問題作を、ついに!!一冊にまとめることにしました!この漫画に、「防大祭実行委員・新見薫」と、既出の薫ちゃん漫画いろいろに、なにか描き下ろしを加えてちょっとぶ厚い目の薄い本が出来上がると思います。ゲストはお楽しみということで。これも今更どれだけ売れるかさっぱり見当もつかないので、あんまり刷らないと思います。

ペーパー202310-01
表紙のラフ(ヤマケット22で配布予定のペーパーの表紙にもなってます)
ペーパーはヤマケット22でFreeSentence(megerさまのサークル)にて配布していただける予定です。

どちらも通販がメインになると思いますが、もし、委託に応じてくださるサークルさんがあれば、イベントでの頒布もありうるかもしれません。大和川本人がサークル参加する可能性は、今のところ未定です。まあ、これら2タイトルの売れ行き次第ですかね(笑)。まだ大和川の2199二次創作作品が欲しいよ!という方が、たくさんいらっしゃるといいなあ。

詳細は決まり次第、当ブログかX(旧・Twitter)で告知いたします。


以下、リリースしたいと思ってるタイトル
●「BBY-01分署シリーズ」2199刑事ドラマパロというか、ネタイラスト集
●航空隊(サブマコ・篠玲含む)漫画集成
●その他、2199ネタまんが寄せ集め(ヤマトサイド・ガミラスサイド)
てなところですかね。出るのか出ないのか、出すのか出さないのかは、先行2タイトルの評判次第です。皆様、なにとぞよろしくお願いいたします。

お問い合わせはこの記事のコメント欄にいただけるとありがたいです。「買います!」「待ってました!」「欲しい!」といった、大和川ががぜんやる気の出るようなコメント大歓迎でございます。凹むようなコメントは書かないでねm(__)m

というわけで、大和川からの大切なお知らせは以上です。

 しかし暑いですね。連日35度以上とか。日中に出歩くのは正気の沙汰やございませんな。できるだけ日陰をよって歩くようにしてるんですが、時間帯によっては日影がほとんどない時間もありますよね。もうそんなときは覚悟を決めるしかない、日傘持って出ます。
 てなわけで、お知らせです。
 夏コミ102、KIYO CLUBさんの新刊は『マジンガーZ vs デビルマン』50週年の永井豪先生本に、寄稿させていただきました。
 今回も、私以外は豪華執筆陣!!にもかかわらず、なんと、3pもいただいております!どゆこと?!
 わたくしは『マジンガーZ対デビルマン』魔神と悪魔に不良性感度はあるか?!というタイトルで、イラストと雑文を書かせていただきました。今回はちょっとした実録まんがもあります。


マジンガーZ対デビルマン-1-1コピー2
1/3pだけチラ見せ。甲児くんとか描いたのン十年ぶりやわ。


 こんな感じで、大昔作ったスーパーロボット大戦の同人誌のノリで、描いております。よかったら、ぜひ、お求めください。

 余談ですが、去年買ったiPad Proに入れたProcreateというアプリで、今回初めて同人原稿描きました。Photoshopみたいにテキストの流し込みはできないのですが、お絵かきはとても快適にできます。以上です。

『宇宙戦艦ヤマト』の生みの親の一人である松本零士先生が、星の海へと旅立たれました。
 お久しぶりです。
 1年近く放置していた当ブログの久々の投稿が、このような悲しい報せがきっかけになるとは、残念でなりません。
松本零士キャラblog

 ついにその時が来てしまった、というのが正直な感想です。御年85歳。私が子供のころなら十分に長生きされた、といってはばかられることもないご年齢です。しかし、令和5年の今、85歳という年齢でさえ、まだまだお元気でいてほしかった、と申し上げたくなるくらいの年齢ですが、それは私たちのように遠くから見ている者の勝手な言い分。今はただ、長い間ありがとうございます。星の世界で、ハーロックやメーテル、エメラルダス、鉄郎やトチロー、そしてヤマトと邂逅されるのでしょう。松本先生の魂が安らかであらんことを願うばかりです。
 ヤマトと出会う前、私は「松本零士」という漫画家については「男おいどん」という漫画の作者である、という認識くらいしか持っていませんでした。少年誌に掲載されていた漫画だったのでほぼ縁がなく、読んだことはありませんでした。
「宇宙戦艦ヤマト」というアニメが始まって、松本零士という人が漫画を描いている、ということもうっすら聞き及んでいました。何しろ、当時我が家は日曜夜7時半というとカルピス劇場一択、という健全家庭(笑)。しかも、両親とも「戦争」を想起させるものが大嫌いな世代ときているものですから「宇宙戦艦」などというぶっそうなタイトルのアニメなどおいそれと見せてもらうことなどできませんでした。それでも私は、「ハイジ」の放送終了後は有無を言わさずチャンネルを8チャンネルから10チャンネル(大阪なので読売テレビ)に固定させることに成功。それは一人っ子の特権ですね!テレビに夢中になってかじりつく娘を、両親はどんな思いで見ていたのでしょうか。二人ともこの世の人ではない今、聞くすべはないのですが。
 ヤマトの放送が終わって、再放送が始まるまでの間、私たちはとてつもない飢餓感に苛まれました。「ヤマト」に関連するものを探し、お小遣いが許す限り買い求めました。
 その中に、松本零士先生の漫画がありました。最初に買った漫画は『ワダチ』でした。『男おいどん』(読んでません(^^;)をSFにシフトさせたような〈四畳半SF〉です。縦じまのトランクスを履いた眼鏡のさえない男と、すらりとした美女のカップルというか、コンビというか、そんな男女が物語の中心にいるのですが、ずいぶん長いこと読んでないので詳しいことは忘れました。
「キャプテン・ハーロック」は名前しか知らず、駸々堂書店心斎橋店で開かれた松本零士原画展に行き、ハーロックの超かっこいいポスターを買って部屋に貼っていました。そのころにはヤマトの最初の再放送があったかもしれません。しかし、今のようにアニメ雑誌もムックもない時代の話。よすがとなるのはレコードと漫画の単行本(ひおあきら版含む)と、朝日ソノラマ文庫の小説版くらいでしょうか。月刊アウトがヤマトの特集をするのが私が中学2年生の時です。その翌年、映画版が公開されるのですが、それまでの間、松本零士作品は、ヤマトと何の関係もなくても私たちの飢えた心を満たしてくれました。
 映画版のヤマトが公開されてからの松本先生の快進撃は、誰もが知るところでしょう。『宇宙海賊キャプテン・ハーロック『『銀河鉄道999『『新・竹取物語 千年女王』とテレビアニメ作品が続きます。もちろん、ヤマトも劇場版の第二弾「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が78年に公開。その秋に「ヤマト2」テレビ放映開始。
 999の劇場版公開の時の興奮は、ヤマトとは別物でしたが、私も3回ぐらい観に行きました。本当に夢のような時代でした。
 レコードの企画も目白押し。『クイーン・エメラルダス』『ザ・コクピット』と、ラジオドラマと音楽で構成されたアルバムでした。もう何でも買いましたよ!戦場まんがシリーズを揃えるのもあたりまえ。ヤマトファン≒松本零士ファンといっても過言ではない状況が何年も続きました。
 松本零士先生の漫画とアニメは、私の10代の思い出そのものなのです。
 群青色を全体ににじませた画用紙に、ポスターカラーのホワイトを吹き付けると、そこはもう宇宙。
 どれだけそんな絵を描いたことか。
 80年代から90年代にかけては、OVA作品が多かったように思います。また、鉄道会社などの企業や公共施設・イベントのキャラクターデザインにおいても、松本先生のオリジナルキャラクターが多く起用されたことは、現代の自治体やイベントの「二次元キャラ」の起用の嚆矢だったといえるかもしれません。
 ヤマトと松本先生が、最終的に不幸な別れ方をしなければならなかったのは、本当に残念です(のちに、西崎氏と和解したそうですが)。
 ヤマトの半分は松本先生が創られたものだと、私は思っています。半分で多ければ、3分の1ぐらい。ヤマトから松本零士要素を無くしては、ぜったいに成り立たないのですよ。そのことについては、またいずれ書きたいと思っています。
 今はただ、感謝の気持ちを込めて、心から「ありがとうございました」と申し上げるのみです。
 わが青春の松本零士よ、永遠に。そして、さようなら。

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