江戸の坂、東京都心の坂をロードバイクですべて登り切ってみようという意味のない企画を始めました。
しかし、歴史の街には坂あり。坂は庶民の生活とともにある坂。
そういう意味では、旧街道を走ることと通じるものがあると勝手に思っています。
先般は、神田付近と九段付近を攻めてみました。 小石川台地の端に位置する場所です。
坂は、色で塗っている場所。現代地図と地形図を見比べると場所や起伏が感じ取れる。
まずは、九段坂から
①九段坂(赤色線)
この坂はあまりにも有名な坂ですね。写真の左手に武道館があります。
なだらかな坂ですが430mくらいの距離があります。高低差17m。
坂の由来
この坂を九段坂といいます。古くは飯田坂ともよびました。『新撰東京名所図会』には「九段阪は,富士見町の通りより,飯田町に下る長阪をいふ。むかし 御用屋敷の長屋九段に立し故,之を 九段長屋といひしより 此阪を九段阪といひしなり。今は斜めに平かなる坂となれるも,もとは 石を以て横に階(きざはし)を成すこと 九層にして,且つ急嶮なりし故に,車馬は通すことなかりし(後略)」とかかれています。坂上は,月見の名所としても名高かったようで,一月二十六日と七月二十六日には,夜待ちといって月の出を待つ風習があったといいます。
②鍋割坂(濃いピンク色の線)
千鳥ヶ淵に向かって下る坂である。
下ってフラットになり上るような坂は鍋カーブに似ているので”鍋割坂”と名付けらている坂は多い。
実に短い坂であった。斜度は4%くらいかな。人通りはほとんどなし。
すれ違うパトロールのお巡りさんはこの坂を自力で登るのを諦めて押していましたが。
坂名の由来
この坂を鍋割坂といいます。『新撰東京名所図会』には「堀端より元新道一番町の通りへ上る坂なり」とかかれています。同じ名称の坂は各地にありますが,どれもふせた鍋(台地)を割ったような坂であることからその名がつけられています。千代田区隼町の国立劇場北側のところにも同名の坂があります。
③御厩谷坂 おんまやだにざか(濃緑の線)
ちょっと読めない坂です。写真の左手には大妻女子短期大学です。
この日は女子大生が若干おりました。
長さ100mくらいのなだらかな坂でした。井伊家の屋敷が近くにあったようだ。
坂名の由来
この坂を御厩谷坂といいます。『東京名所図会』には“一番町と上六番町との間,すなわち井伊家邸前より南の方に係れり,厩谷もと御厩谷という。むかし徳川将軍家の厩舎ありしに因り此名あり。”『新撰江戸志』に“今も紅梅勘左衛門殿やしきに 御馬の足洗いし池残りてあるなりというと見えたり”とかかれています。御厩谷にかかる坂ということにより坂名となりました。
近くにこんな看板も。
④一口坂(濃い青) いもあらいざか
”ひとくち”ではなく”いもあらい”と詠むんだね。靖国通りの交差点名になっている坂である。
この坂を下ると外堀にぶつかる。右手には法政大学がある。
なだらかな坂 距離は240mで高低差は6m程度。
坂名の由来
この坂を一口坂 (いもあらいざか) といいます。「麹町区史」には 『一口坂の一口は,大阪のいもあらいと同じくイモアライと読むべきで, 電車 一口坂停留所 から北へ九段電話局前を 新見附へ降る坂である』 と書かれています。疱瘡(ほうそう)を“いもがさ”とか“へも”とよんで, 疱瘡を洗う(治す)という意味として知られています。ただこの疱瘡に霊験あらたかな社が どの辺にあったのかということは不明です。
⑤富士見坂(白の線)
法政大学の西側を走っている道路です。
距離140m 高低差5m
中腹に標識があったが辛うじて富士見坂と読める。富士山が見えた見晴の良いさかは。
富士見坂は関東地区ならばどこでもありそうな名前です。
この坂を法政大学の学生がひたすらこの道を登りトレーニングをしていた。
坂名の由来
この坂を 富士見坂 といいます。
同名の坂は各地にあり,千代田区でも3か所をかぞえます。もともと富士見町という町名は 富士山がよく見える台地につくられた町ということでしょう。むかしは この坂から富士山の美しい姿が見えたことにより その名がつけられたということです。坂の下で 一口坂と合流します。
次に続きます
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しかし、歴史の街には坂あり。坂は庶民の生活とともにある坂。
そういう意味では、旧街道を走ることと通じるものがあると勝手に思っています。
先般は、神田付近と九段付近を攻めてみました。 小石川台地の端に位置する場所です。
坂は、色で塗っている場所。現代地図と地形図を見比べると場所や起伏が感じ取れる。
まずは、九段坂から
①九段坂(赤色線)
この坂はあまりにも有名な坂ですね。写真の左手に武道館があります。
なだらかな坂ですが430mくらいの距離があります。高低差17m。
坂の由来
この坂を九段坂といいます。古くは飯田坂ともよびました。『新撰東京名所図会』には「九段阪は,富士見町の通りより,飯田町に下る長阪をいふ。むかし 御用屋敷の長屋九段に立し故,之を 九段長屋といひしより 此阪を九段阪といひしなり。今は斜めに平かなる坂となれるも,もとは 石を以て横に階(きざはし)を成すこと 九層にして,且つ急嶮なりし故に,車馬は通すことなかりし(後略)」とかかれています。坂上は,月見の名所としても名高かったようで,一月二十六日と七月二十六日には,夜待ちといって月の出を待つ風習があったといいます。
②鍋割坂(濃いピンク色の線)
千鳥ヶ淵に向かって下る坂である。
下ってフラットになり上るような坂は鍋カーブに似ているので”鍋割坂”と名付けらている坂は多い。
実に短い坂であった。斜度は4%くらいかな。人通りはほとんどなし。
すれ違うパトロールのお巡りさんはこの坂を自力で登るのを諦めて押していましたが。
坂名の由来
この坂を鍋割坂といいます。『新撰東京名所図会』には「堀端より元新道一番町の通りへ上る坂なり」とかかれています。同じ名称の坂は各地にありますが,どれもふせた鍋(台地)を割ったような坂であることからその名がつけられています。千代田区隼町の国立劇場北側のところにも同名の坂があります。
③御厩谷坂 おんまやだにざか(濃緑の線)
ちょっと読めない坂です。写真の左手には大妻女子短期大学です。
この日は女子大生が若干おりました。
長さ100mくらいのなだらかな坂でした。井伊家の屋敷が近くにあったようだ。
坂名の由来
この坂を御厩谷坂といいます。『東京名所図会』には“一番町と上六番町との間,すなわち井伊家邸前より南の方に係れり,厩谷もと御厩谷という。むかし徳川将軍家の厩舎ありしに因り此名あり。”『新撰江戸志』に“今も紅梅勘左衛門殿やしきに 御馬の足洗いし池残りてあるなりというと見えたり”とかかれています。御厩谷にかかる坂ということにより坂名となりました。
近くにこんな看板も。
④一口坂(濃い青) いもあらいざか
”ひとくち”ではなく”いもあらい”と詠むんだね。靖国通りの交差点名になっている坂である。
この坂を下ると外堀にぶつかる。右手には法政大学がある。
なだらかな坂 距離は240mで高低差は6m程度。
坂名の由来
この坂を一口坂 (いもあらいざか) といいます。「麹町区史」には 『一口坂の一口は,大阪のいもあらいと同じくイモアライと読むべきで, 電車 一口坂停留所 から北へ九段電話局前を 新見附へ降る坂である』 と書かれています。疱瘡(ほうそう)を“いもがさ”とか“へも”とよんで, 疱瘡を洗う(治す)という意味として知られています。ただこの疱瘡に霊験あらたかな社が どの辺にあったのかということは不明です。
⑤富士見坂(白の線)
法政大学の西側を走っている道路です。
距離140m 高低差5m
中腹に標識があったが辛うじて富士見坂と読める。富士山が見えた見晴の良いさかは。
富士見坂は関東地区ならばどこでもありそうな名前です。
この坂を法政大学の学生がひたすらこの道を登りトレーニングをしていた。
坂名の由来
この坂を 富士見坂 といいます。
同名の坂は各地にあり,千代田区でも3か所をかぞえます。もともと富士見町という町名は 富士山がよく見える台地につくられた町ということでしょう。むかしは この坂から富士山の美しい姿が見えたことにより その名がつけられたということです。坂の下で 一口坂と合流します。
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