旧街道をロードバイクで!ゼロからの挑戦

古地図を使い街巡りが大好きなオジサンです。古地図を片手に都内の散策にそろそろ飽き、旧街道の文化に触れたくなりました。古の街道をめぐるために、ロードバイクを購入して全国に挑みます。流行を追ってロードバイクに乗るわけではありません。まずは、五街道。次に四国八十八カ所、最後はスペインの聖地巡礼サンティアゴに・・・ ゼロから達成までの記録です。

街巡り

欠かせない秀逸地図(その2)

街歩きには必須の地図。
特に史跡、旧跡を辿るには昔の地図が重宝します。

江戸時代の切絵図も良いのですが、少しリアルさに掛けます。
現地に出かけて行って現代の地図と江戸時代の地図を見比べれれば良いのですが、江戸時代に正確に測量された地図はない。明治初期に正確に測量された江戸の地図がありこれがすごく便利なんです。

その名も「東京時層地図」
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有料アプリです。1500円くらいしたかな。でもその値段の価値はあります。
各年代ごとに地図があります。
エリアは広くないですが、こんな感じで各年代の地図があり、同じ場所で時代のレイヤを移動すればその場所での変遷も手に取るようにわかります。
140年前から6層の時代地図があるのです。

九段下、現在の靖国神社付近です。
■文明開化期
この時は、靖国神社はなく競馬場になっています。
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■明治のおわり
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■昭和戦前期
戦争前なので当然ながら靖国神社はありません。
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そして、段彩陰影の地形図もあります。
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広いエリアで表示させると東京の凸凹が良く分かるのです。
日比谷付近が低地で入江だったのが読み取れます。
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そして写真も充実しています。
同じエリアでの写真。
昭和11年から7層くらいの時間で写真が掲載されています。

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この地図アプリ、眺めているだけでも時間潰せます。
一番長く使っているアプリかな。
重宝しています。

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欠かせない秀逸な地図(その1)


昨日、仕事で渋谷に行ったときには夕方からユニホーム姿の方がちらほら。
昨夜の勝利で次の試合意向は更にエスカレートするのでしょうね。

さて、サッカーとは関係ないですが街歩き、街道歩き、史跡チェックを行う際に欠かせないのが地図です。

歴史的な経緯が分かる地図。地形が手に取るように見える地図。古地図、切絵図。
最近は、スマホアプリの秀逸な地図が多くあり、大変助かっています。

ということで私のお気に入りの秀逸地図を紹介します。
まずは、これ。

「大江戸今昔めぐり」
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虎ノ門界隈の江戸の地図です。
かなり詳しい地図です。
この地図の下に江戸ー現代のバーがあります。
これをシフトさせると同じ場所で現代の地図が表示されるのです。

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このバーを江戸と現代の中間にもっていくと両方の地図がすけて表示されます。
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これが分かりやすいし、超便利。

この地図これだけではないです。
地図には、お城、寺院、神社、屋敷、史跡等々ばっちりプロットされています。
非表示にすることもできます。

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そして、こんなメニューもあります。
鬼平犯科帳ラリー。鬼平犯科帳由来の場所をめぐるコースが紹介されていて参加型のメニューのようです。
神社巡りや御朱印集めの方はこの神社リスト、便利でしょうね。


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カバーエリアは江戸中心ですが意外と広いです。

北は戸田付近まで。南は川崎付近。西は調布当たり、そして東は松戸付近まで表示されます。
場所の検索もでき航空写真とも連動。


さらに、これが無料アプリ。 JAFが提供している模様です。

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日本橋で揚げたて芋けんぴ

旧五街道の出発点、日本橋。

日本橋は街道好きにとっては特別な場所です。
最近は近代的なビルがどんどん立ち並び、神社もピカピカしていたりして空間的にはイマイチになっています。

しかし、食事やお土産など老舗は健在です。
先日、日本橋のコレドに用事があり出向いた時に挙げたて芋けんぴを販売しているお店を見つけた。

昭和27年に高知で創業した「芋屋金太郎」

日本橋発ではないですね。
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”揚げたて”の言葉に釣られて購入。

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この油紙を使った袋がいいです。小さい選択バサミのようなもので袋が閉じられていてそこには「揚げてより12時間すぎしもの、揚げたてにあらず」と宣言されています。

日本橋限定、オリーブ油、なたね油配合。

国産の芋とこだわりの油で揚げているのですね。
期待高まります。

袋を開けるとザックザックと芋けんぴが入っています。
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この芋けんぴは一本いっぽんが長い。
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写真ボケてしまいました。

この長いけんぴをポッキーのようにポリポリと食す。
軽い、芋の風味、そして周りの砂糖が少なからず多からずと丁度良い感じです。

おまけに暖かい。

日本橋で食べ歩きできるお菓子としてGoodではないでしょうか。
美味しかったので家族に持って帰りましたが、冷めていても「美味しい」との評価です。

拘りの老舗、流石です。



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冨嶽三十六景浮世絵チョコレートを発見

6月に入り”梅雨”がTVの天気予報で良く語られ始めました。

アウトドア活動には適さない季節になったようです。
梅雨の前にはどこか自転車で走りに行こうかな。少し山登りしたいところです。まだ、無計画ですが。

この季節、山もいいですが海にも行きたいところです。
先月、久ぶりにヨット乗り復活してきました。
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久々だったのでヨットの感覚だいぶん鈍りましたが、少しもどったかな。

でも自宅から海までは遠い道のりなのです。
帰り道、お腹が減ったので品川で下車。

無性に”品達”でラーメンが食べたくなった。
品達の人気店もだいぶんシフトしています。以前は「なんこつ亭」なんか行列ができていたのですが今はガラガラ。 代わりに激辛ラーメンが食べられるお店に行列です。
辛いの好きな方増えましたよね。

私は、最近出店したばかりの金沢ラーメンの「神仙」に入ってみました。
”金澤濃厚豚骨”という文字に引かれました。
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とことん濃厚を追求したと書かれています。豚骨のとことんですよ。語呂も良いけど拘りもいいです。
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本当であれば定番のラーメンだが季節限定の”エビ味噌味”を頼んでみた。
ラーメンにエビ味って最近好きになっています。

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見るからに濃厚です。
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麺はやや太い。チャーシューが薄いのが少々残念だがスープは想像通り美味しかったです。


実は品川は旧東海道がある街なので好きですね。
どこかに立ち寄りたくなるのですが、この日は外も暗くなっていたので素直に駅まで戻りました。
駅前にあるWingの地下で何か美味しそうなものがないか物色。
そうしたらこんなものが目についた。

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チョコレートのMerry’sの売り場です。
浮世絵をモチーフにしたチョコレートです。
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ジグゾーパズルのようになっています。

品川土産としてはアリかな。 赤富士1枚、1620円也。ちょいと高いか。

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旧日光街道をロードバイクで(野木宿~小金井宿)

旧日光街道の旅の続きです。

野木宿から野々田宿へ向かいます。
東北本線を右手に見ながら国道4度号線を北上。
いつの間にか小山市内に入る。
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【野々田宿】

野々田宿は”逢の榎”と”問屋場跡”をマークしていたが見つけられず通過してしまった。
野々田宿付近
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”逢の榎”ってなんとなく気になったのだがこんな解説がある。
「間々田宿は江戸および日光からそれぞれ11番目の宿場にあたり、距離も18里の中間地点に位置していたので、「間の宿」と呼ばれていた。間々田宿の入口にあった榎は「間(あい)の榎」と呼ばれ、いつの頃からか「逢の榎」と呼ばれるようになり、縁結びの木として信仰を集め、祖師堂も建てられている」

野々田宿で数少ない古民家を発見。建物は左に傾いている。
そして売地看板が出ていたのでこの建物も何れなくなりますね。
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新幹線と並行して小山宿に向かいます。
野々田宿地図1


【小山宿】
小山宿付近は新幹線の駅中心に再開発されていて宿場の面影はほとんど残っていません。
新しい建物であるが小山宿っぽい建物である”小山まちの駅”へ立ち寄ることにした。以前にも訪れたことがあり小山の名産を販売しており何か甘い物でも補給しようかと思ったのだが、この日はお休みであった。
①小山まちの駅
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新幹線小山駅
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小山宿の現在の街並み
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小山宿地図1



小山宿の次は新田宿です。

【新田宿】
旅籠11軒の小さな宿場です。

この宿場付近には一里塚が残っている。
ここまでは一里塚らしい痕跡はほとんどなかったが、久々に出会う。
こんもりとした部分に一里塚があったのではないか。今は雑木林になっている。

②喜沢一里塚跡(21里)
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新田宿から3kmしか離れていない場所に小金井宿があります。


【小金井宿】
旅籠は43軒の規模。 
江戸時代は下総佐倉藩の管理にあった宿場だったそうだ。
佐倉藩からはかなり距離があるのだが不思議である。

小金井宿付近にはしっかりとした一里塚が残っている。

③小金井一里塚(22里)
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小金井宿付近の古民家。
今は荒廃しておりいつ崩れてもおかしくない。このような建物が他にも数軒あった。
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④蓮行寺
小金井宿付近にあるお寺であるが、ここから宇都宮藩の領地。
将軍が日光社参の際に、ここで宇都宮城主が出迎えたという。
1329年の開基である。
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小金井宿地図1

次は石橋宿。

つづく。

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旧日光街道をロードバイクで(幸手宿~古河宿)

旧日光街道を越谷宿から再スタートして日光に向かいます。

幸手宿からの続きになります。

幸手宿から中川(権現堂川)の橋を渡る国道4号線から旧街道は左に反れる。
旧街道はいいですね。のんびり走れます。

この付近は現在も田畑の真ん中を街道が通ります。
しばらく進むと二股になり道標が現れる。街道っぽくて好きです。

①日光街道みちしるべ(外国府間道標)

安永四年(一七七五)の道標。「右つくば道」「左日光道」「東かわつま前ばやし」とある。現在の茨城県五霞村字川妻 同総和町前林のこと。
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この案内板の下に掲載されている地図にもしっかり示されています。
外国府道標


日光みちしるべ


しばらく国道4号線に沿うように旧街道は進み、南栗橋駅近くからは権現堂川の土手沿いに進むことになる。
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②焙烙地蔵
栗橋宿入り口あたりに”焙烙地蔵”が祭られている。
利根川には栗橋関所が設けられていた。この関所破りの重罪人の処刑場だったようだ。ここで火あぶりの刑が執行された。何気に近寄ってみたが、案内板を読んでぞくっとしました。
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【栗橋宿】
利根川渡河の宿駅として栗橋宿が成立した。栗橋宿は利根川対岸の中田宿と合宿の形態をとっていた。荷物や人夫の継ぎ立てを行う問屋の業務は半月毎の交代制であった。 旅籠は25軒だったそうだ。

栗橋宿を過ぎるとすぐに利根川。対岸に渡ると中田宿。
ここにも関所が設けられていた。

③中田関所跡
『房川渡中田関所文書』の「嘉永元申年十月」によると、関所の面積が縦14間1尺、横15間1尺であり、その中に約16坪の番所があったという
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利根川を渡った後は、JR東北本線と並行するようにしばらく走る。
古河付近になると道路が整備されていて自転車が走りやすい。
青帯部分が自転車用の通行路。広くて良いです。
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栗橋宿地図1

【古河宿】
古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つである。天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、本陣・脇本陣は1軒ずつ設けられ、旅籠が31軒あった。

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古河宿エリアは宿場を前面に出しのアピールが伝わってきます。
残念ながら古い建物は残っていないが、街道から少し入ったところに古河藩の城下待ちの雰囲気を感じることができます。
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写真右手に古河城堀の痕跡が残っています。
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古河城跡の場所には古河歴史博物館があります。
立派な博物館でした。 当初の計画は立ち寄る予定だったのですが残念ながら休館日でした。
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本陣跡 
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古河宿地図1

ここまで来ると、気温が大分高くなってきたのでコンビニエンスストアに立ち寄る。
朝は食欲なかったので抜いてきた。エネルギー蓄積のためにも朝食を頂く。
しかし、この辺のコンビニにはイートインスペースはない。
駐車場で腰を掛け、仕事のメールをチェック。
ここまでで40km走行。 久々の自転車なので足には少し重さを感じ始めた。
こんな時はこれです。
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次は野木宿。
次につづく。

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旧日光街道をロードバイクで(越谷宿~幸手宿)

旧街道をロードバイクで巡るシリーズの旧日光街道編です。

3年前に日本橋~越谷宿まで走ったのですが、その後は入院やケガで街道には足を運ぶ機会がなく3年振りに旧日光街道にトライすることにしました。

5月は暑いと言えども爽やかな気候なので新緑の香りを楽しみながら走れるのでロードバイクで街道を行くには絶好の季節です。

以前の越谷までの記録です。
http://blog.livedoor.jp/tokaidou/archives/45116424.html

越谷宿からスタートになります。
越谷駅前の駐車場に自動車を留めてそこからロードバイクをセットしスタートしました。

私が20年ほど前に降りたことのある越谷駅とは打って変わって再開発された綺麗な駅前となっていましたね。

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【越谷宿】
越谷宿は越谷駅と北越谷駅の中間くらいにあるのでそこまで少し走りスタート。
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ここから約120kmの旅が始まります。ワクワクしますね。

越谷~粕壁地図

越谷宿付近は史跡や案内板などほとんどなし。なのでスルーして次に向かいます。
しばらくは4号線沿いに走行。 国道はこのように大きなトラックが横を通るのであまり好きではないです。
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【粕壁宿】

国道4号を北上するとすぐに粕壁宿に到着。
春日部市はこんな標識を用意してくれています。
粕壁宿は45軒ほどの旅籠があるそこそこの規模の宿場町です。
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宿場の街並みの絵が案内板に載っています。
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宿場の痕跡はなく近代的なビルに囲まれています。
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その中でもこのような建物が残っています。

①「永嶋庄兵衛商店」 粕壁宿は問屋も沢山あったようです。
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粕壁宿付近は史跡をめぐるルート案内も整備されていていいですね。
歴史資料館も充実しているようですが、今回は先を急ぐので立ち寄らず進みます。
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途中に発見した石碑? 文字が読めないが石の風化具合からかなり前から街道に整備されていたのだろう。
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粕壁宿地図1




【杉戸宿】
杉戸宿。日本橋から5番目の宿場町。
古くから利根川(現・古利根川)の渡し場があり、日本武尊が東征を行った際にこの付近に上陸し、そこが杉の木が茂る港(水門)であったことから杉門と名付けられたとする伝説がある。

国道4号線から旧街道に分岐するところから宿場町エリアとなる。
分岐点付近にあった公園にこんな案内板があることを発見しました。
宿場町の地図です。
宿場はこのように始まりと終わりにはコーナーがある桝形になっているのが良くわかる地図です。
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国道4号線から離れて静かな道となります。
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高札場跡??
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粕壁宿方向を示した道標を発見。そんなに古いものではなさそうです。

宿場の端っこのコーナー。 角には商店が店を構えていることが多く、「角屋」との屋号が使われていることが多いです。
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②小島定右衛門邸
角穀という米穀問屋だったようです。
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杉戸宿地図1

杉戸宿を離れて幸手宿に向かう。
街道には明治天皇休憩所の表示を良く見かける。
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【幸手宿】
6番目の宿場。旅籠27軒という小規模な宿場町であったようだ。

日光御廻り道?
幻のルートと言われている。権現堂川の洪水を避けるルートだったとか。
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幸手宿地図1

栗橋宿へ続く

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麻布界隈史跡めぐり(その1)

ブログ記事の続きです。
東京都立中央図書館で「東京散歩学」とのタイトルで公開講演を聞いたあと歴史ある元麻布エリアを散策することにした。

図書館がある有栖川記念公園付近は都内でもちょっと雰囲気が違います。
何が違うか。それは外国人が多いことですね。
公園で遊ぶ子供たち、家族連れは6割は外国人です。
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ざっと地図を見ると大使館だらけです。
ノルウェー、スイス、中華人民共和国、パキスタン・イスラム、韓国、フランス、オーストラリア、フィンランド。 


図書館で配られた散歩地図。
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目に付いたのは「がま池」
たしかブラタモリでこの辺りを紹介していた時に番組で出てきたかな。
ただの池ではなく麻布七不思議として紹介されたと記憶しています。

地図を見ながらがま池に行ってみることに。
麻布運動場を抜けたところに変わった建物がある。
なんだろう。すごいデザインです。マンション?商業施設?地図には記載がないのでわからない。
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この奇妙な建物を通過して住宅街の入組んだ道を進む。道路は広くないがこの辺は豪邸ばかりです。
ウロウロしていると案内版を発見。看板の裏側はうっそうと木が生い茂っている。
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昭和50年に作られた看板なので少しさび付いています。
内容は以下の通り。

「その昔、旗本山崎主税助治正の屋敷内の池に棲む大がまが、夜回りに出た家来を殺した。がま退治を決意した治正に、がまは白衣の老人となって夢枕に立ち、罪をわびて防火に尽くすことを誓った。その後、文政4年(1821)7月2日、麻布古川より始まった大火が山崎邸を焼かんとする折りしも邸内の古池から一匹の大蝦蟇が忽然と現れ、水を邸に吹きかけて猛火を退け山崎邸だけが火災よりまぬかれたのです。世の人々、この奇端を感じて山崎家にお守り札を乞う者が後を絶ちませんでした。このお守り札が「上の字様」と称され、江戸時代には芝赤羽橋の有馬邸から出された水天宮の御守と並び称されたものです。   「上の字様」は火傷、防火の御守として、文政4年(1821)9月より山崎家の執事、清水氏より授与されたのですが、清水氏が郷里に引き上げることになり、麻布の伝統に依るもの故、以後末広神社を通じて授与されるようにとの依頼により、昭和4年(1929)より末広神社にて「上の字様」が授与されることになりました。」

この池にはガマがいたようです。しかし、このがまは大火の時に池の水を家にかけて火災を防いだとのこと。「上の字様」として昭和には、防災のお守りを販売して売れたとの話がある。お守りで一儲けしたのは本当のようである。

当時の池は500坪もあったらしい。
今は小さな池。
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明治初期の地図では大きな池であったことが分かる。
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この池は枯れたことがないらしい。地形的には起伏がある場所なので湧き水が窪地に溜まるのだろう。

上空から見るとこんな感じ。住宅に囲まれるように今も水をたたえて居るのが分かる。
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地形図では現在の池より窪地は大きかったことが分かります。
明治初期の地図のように長細い池と合致する窪地ですね。
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ぐるっと周囲を回ってみた。建物に囲まれているので池は見えない。
すると大きな駐車場を発見。
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あの林は池の周囲にある木々ではないか。
ちょっとだけ駐車場に足をふい入れさせてもらって柵に近づいた。
あったあった。池が。枝の間に水面が光っている。
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見えやすい場所を探して移動。
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はっきり確認できました。がま池です。

やっぱりかなり小ぶりの池です。
昔の写真はこれ。横長の池ですね。池としての風格あります。今は大きな水たまりと言った感じですが。
ガマ池 昔










肉眼で確認できて満足です。

麻布運動場の方に戻り、次のばターゲットは善福寺。
ここは、江戸時代に初めてアメリカ大使館が設置された場所。そして福沢諭吉先生のお墓があることでも有名です。
このお寺、史跡密集場所なのです。元麻布に来たら外せませんね。

仙台坂を下ったところ。韓国大使館の目前に位置しています。
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この辺りは警官がやけに多い。平昌オリンピックの時期なので韓国大使館周辺の警備が強化されているのかな。
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その2へつづく。


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初冬の国分寺散策

12月に入って寒さが厳しくなりました。

ようやく骨折していた鎖骨が8割方付いた感じです。↑の部分が骨折箇所。
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もう、普段の生活に戻し落ちた筋肉をもとに戻すつもりです。
来週は、久々のロードバイク。行先は箱根と小田原飲み(笑)

先日は、かみさんのリクエストで国分寺を再散策。
国分寺の勤務先で受付の業務をしているので何かと聞かれることが多いので地理マスターしたいとのこと。
当初は自転車で行こうかと思ったが寒さのあまり自動車に変更。

以前に散策したので今回はまだ足を運んでない場所に行く。

まずは、国分寺駅前の殿ヶ谷戸庭園で紅葉を満喫。
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一番の紅葉時期なので多くの人が訪れていた。
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落ち葉も絵画のようです。

尺八と琴の演奏会もやっていました。なかなか良かったです。
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東京最後の紅葉ってところでしょうか。

この庭園は東京都が買い取っているが元の持ち主はあの岩崎弥太郎のお孫さんの彦彌太さんの別荘だったらしい。
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一族の写真。当時の雰囲気が伝わってきます。
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この足で国分寺付近へ移動。
武蔵国分寺ではなく江戸時代に再建された国分寺。
ここには万葉植物園が境内にあります。万葉集に出てくる草木花が境内の敷地にさり気なく植えられている。

仁王門
木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられている。
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この階段の先に薬師堂があります。
建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。

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中には国指定重要文化財「木造薬師如来坐像」が安置されており10月10日の御開帳時に拝観できる。

ここから武蔵国分寺資料館に移動。
お鷹の道沿いにあったが初めてはいる。

思ったより綺麗に整備された建物。
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中に入ると正面に武蔵国分寺付近の当時を想定した模型が展示されていて全容が俯瞰的に見れて良いです。
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ボランティアの案内の方が丁寧に説明して頂ける。瓦や展示物など背景やエピソードを紹介してくれて実に面白く聞けた。

この模型にもあるが、武蔵国分寺領域を表す溝が周囲に巡らされていた。
その一部が今も保存されているとのことで、武蔵国分寺の北側、裏手の方に回ってみた。
区画溝跡が地図の場所に存在している。
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人工的に作られた溝であることが断面から察することができる。
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柵の向こうに伸びる道も区画の溝があった。今はマンションを背にしているのでそれであったことは説明を受けないとわからない。

冬の日は早く落ちる。すでに薄暗くなり国分寺をあとにした。
かみさんはそれなりに楽しめたようで満足気な表情だったな。
これでお客さんに国分寺付近の史跡を尋ねられても説明できるだろう。

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日本経緯度原点に行ってみた

今日から12月、師走です。
あっという間の1年間。

都心でも紅葉が楽しめます。
近くの小金井公園も銀杏、紅葉が楽しめます。
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東京たてもの園ないも絵になっていました。
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さて、仕事で東京タワーの足元、飯倉にある東京アメリカンクラブに行ってきました。ロシア大使館とアフガニスタン大使館に囲まれている。
在日アメリカ人が妻や恋人と楽しむための会員制社交クラブとして設立されている。18年前に訪れたときは、施設内はまさにアメリカ。案内も英語、そして空気もアメリカでこの異文化空間に感動した記憶がある。

しかし、2010年に新しい建物に建て替えられ近代的になったが当時の良い雰囲気は消え失せていた。
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ここから見える東京タワーは絶景です。
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この施設で用事を済ませて帰ろうとGoogleMapを開いた。その時に「日本緯経度原点」と示された場所があることに気づく。

緯度経度の基準点か? こんな場所にあるんだと気になり行ってみることにした。

すっかり暗くなり分かりにくい。ウロウロしていると大使館の人に声を掛けられるのではないかと少しドキドキです。

日本緯経度原点とは文字通り、国内の緯度経度を示す時にこの点がすべて基準となる。
日本におけるすべての三角測量の出発点となる。日本の土地は地殻変動や地震の影響を受けて緯度経度がずれる。それの補正を行っているらしい。東日本大震災の時も再設定されている。
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公園みたいになっていて、奥に行くと石標が設置されている。
整備されてから時間経っていないのか真新しかった。
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右にある丸い部分が原点。
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五街道の標準点である日本橋の道標よりもスケール感あって感動したいところですがもう少し史跡っぽい渋さがあったら良いのにな。

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夫婦で武蔵国分寺史跡周辺ポタ その4


夫婦で回った武蔵国分寺史跡のポタリング。

かみさんはママチャリでしたが、史跡、遺構の魅力に取りつかれたようで疲れを出さずに一緒に付き合ってくれました。

GoogleMapで作った史跡地図で説明しながら次なる場所へ向かいます。
七重塔跡を見た次は、ちょっと休憩したくなりました。

残すところは、おたかの湧く水と真姿の池湧水群です。
国分寺崖線を背にして武蔵国分寺が建てられていた。 武蔵台地からの端っこの崖である。 湧き水が豊富な好立地な場所でもあった。

国分寺散策地図3
地形図

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■おたカフェ
ここは史跡の駅とも称されている。
史跡の駅か、初めて聞いたな。

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こじんまりとしていて良い雰囲気。
店内。
中二階はこんな個室的な空間。

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お土産や歴史資料がそろっていました。
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お鷹の湧く水は資料館敷地内のようですが、閉館時間を過ぎたので今回はパス。

■お鷹の道
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ-トルを遊歩道として整備 されている。


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■真姿の湧水

この湧き水にはこのような伝説がある。
847年(承和14年)、当時絶世の美女と謡われた玉造小町は、業病とされた皮膚の病に冒され、その容色を失い、治療の効なく変わり果てた己が姿に、「御仏の慈悲にすがっても」と意を決し、小町は当地の国分寺を訪れ、薬師如来にぬかづいて一心に祈り続けたところ、三×七=二十一日目に一人の童子が忽然と現われ、小町をとある池の畔に誘い、「この池水にて身を洗うべし」そういいおいて童子は姿を消してしまうが、藁にもすがる想いで小町がいわれたとおりにしたところが、七日にして、元の美しい姿を取り戻した。」

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水は名水百選に選ばれているだけあって澄んでいて清らかな水である。
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崖の上に登ってみると台地っぽくフラットな土地となっていました。
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お鷹の道は京都の小道を思わせる空間がありかみさんは凄く気に入っていました。

武蔵国分寺付近の史跡を夫婦でポタリングしたが、観光地に来たような錯覚でした。

かみさんは病みつきになり回り切れていない箇所もあるのでもう一度行こうと誘われています。

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夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その3

表題のその2の続きです。

国分寺周辺の史跡、遺構の多さには今回改めて感心しましたが、それよりもかみさんの方が感銘したのではないかと思います。

私は日ごろから史跡巡りは好きなのでかなりディープに調査して訪ねて行きます。今回はそれに初めてつき合わせたのですが、かみさんもまんざらでないようで一緒に結構楽しんでいました。

さて、国分寺尼寺跡でじっくりと案内や説明版を読みながら古の空間を想像して少し時間を使いました。

いよいよメインの国分寺跡になります。
全国国分寺の中でも最大級だった武蔵国分寺。
地は東西8町、南北5町半。
東大寺が最大で最大で東西南北とも8町。これからも大規模であったことが分かる。

国分寺散策地図2

当時はこんな感じだったのでしゅうかね。
「武蔵国分寺」の画像検索結果
■国分寺南門跡

国分寺跡付近は保存地区なので空き地が多くだだっ広いです。 写真の方向が武蔵国分寺になります。
この道は当時の参道とほぼ同じ筋となっている。

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道を進むと南門跡に到着。 南門の基礎部分を復元して整備されています。
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■国分寺中門跡
こちらも最近復元されたような。何本か柱のようなものが建っていますね。
中門のあった場所をイメージさせるのでしょうが、まだ整備中でした。

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■国分寺金堂跡
南門跡からさらに北に進む。中門跡を通過すると金堂跡に到着する。
何もない広場にポツンと石碑が立っている。
創建時は間口7間、奥行4間あったどうだ。

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近づいてみると金堂跡と記されていました。
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■七重塔
金堂跡の東側に七重塔が建設されていた。
近くに行ってみると塔跡は2か所あるではないか。
835年に落雷で焼失して再建されたとあるが、同じ場所に再建されたのか場所を変えて再建されたのか明確でないらしい。

いづれにしても2か所の塔跡が発見されている。
塔跡1

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塔跡1から50m西に行った場所にこんもりとしている部分が塔跡2?
基礎跡の確認は表面からはできませんでした。

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重塔を有している諸国国分寺は多いがここは七重塔。高さにすると70m~80m? 創建当時にこれだけの建造物が作られたのは凄いです。

ここからは武蔵国分寺史跡巡りも終盤に向かいます。
つづきはその4で。
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夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その2

「夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その1」の続きです。

東山道武蔵路跡に感銘を受けた後は、旧鎌倉街道跡に行くことにした。

旧鎌倉街道の方が当然ながら東山道よりも後世にできた道である。
道幅10mの道は国府への道としては廃れて行った。
あんなに立派な道を後世の人はなぜ使わなかったのだろうかと疑問に思ってします。

私なりの解釈ではあるが、武家政治へと時代が変わるとあのような当時の高速道路のような道は領地を守る人にとっては迷惑な道であったのだろう。

東山道の原型は東海道や中山道等の幹線道路として活用はされているが何れも細くくねくねした道になっている。

これも上記の理由であろう。

旧鎌倉街道も鎌倉幕府へとつながる道であるが道幅細く、土塁で囲まれたりと戦国の為の道と化している。

その鎌倉街道の名残として当時に近いまま残っている場所が国分寺にもある。

東山道武蔵路から西へ300mくらいのところに平行して旧鎌倉街道がある。

■武蔵台遺跡敷石住居跡

旧鎌倉街道に向かう途中には、「武蔵台遺跡敷石住居跡」が公園として整備されていた。原始・古代・中世・近世の複合遺跡なので、そのうち縄文時代では縄文早期(9000年前)と縄文中期(4000年前)にムラがあり、上の敷石住居は中期の遺跡を移築して保存したものらしい。
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■鎌倉街道

ここから北に向かい坂を下ると住宅地からうっそうとした林の中に突入する。
入り口には旧鎌倉街道として保護するために通行止めとしている説明がある。

この道は切通しになっている。
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でも細い道です。

■塚

両脇には史跡が残っています。
案内版は土で汚れているので読みにくい。

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”塚”と案内には書かれている。
「中世(1415世紀頃)において種々の祈願の成就を得るために作法に則り本尊に対し祈祷するために築かれた修法壇跡伝祥応寺との関係を有するものと推考される」と説明されていた。

■伝承応寺跡

その伝承応寺が鎌倉街道を挟んで反対側にある。
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階段を上ると案内版がある。これもかなり汚れている。
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案内版には「旧鎌倉街道と言われる切通しに東面して土塁(基底部幅3m、高さ1.2m以上)と溝とで東西30m、南北45mの長方形の区画が形づくられている。現存する大小15個の礎石の分布などから東西9m南北18m程の規模の堂がその中央にあり、瓦を用いない建物だったと推定されている」と示されている。
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登ると平坦な土地が広がっていた。

更に切通の鎌倉街道を下る。
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■武蔵国分寺尼寺金堂
 旧鎌倉街道を挟むようにして武蔵国分寺の尼寺の遺構がある。

奈良時代中頃、聖武天皇の詔により鎮護国家を祈願する官立寺院として国分寺(僧寺)とあわせて国分尼寺が国ごとに建立された。
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復元された基礎
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立派な講堂も建設されていた。
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発掘調査時の様子。
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武蔵国分寺付近の遺構は凄いです。この辺はJRの拡幅に伴い発掘調査が進んだエリアでもあります。 まだまだ、眠っている遺構は沢山ありそうですね。

尼寺の後は本丸の国分寺跡へと向かいました。
続きはその3で。


国分寺 鎌倉街道


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夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その1

久々に史跡関連の記事です。

今年の春先にかみさんが国分寺を散策したいとのリクエストがあった。
この辺で働き始めたので土地勘を高めたいとのこと。

そうであれば、以前から企画していた国分寺周辺の史跡巡りを提案して行くことにした。

かみさんと二人だけで自転車乗るの久しぶりだな。

もちろんかみさんはばっちり籠付きのママチャリ。これで国分寺までの10kmを走ります。
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ペースはゆっくりです。
40分間くらい走って国分寺到着。

今回の訪問は、国分寺跡は基より、東山道武蔵路、旧鎌倉街道を中心に国分寺付近に多数点在する史跡を回る。
マークをプロットしている場所が史跡です。 茶色い一本線は東山道武蔵路です。

国分寺散策地図

スタートは東山道武蔵路の痕跡辿りから。
東山道と軽く言うが、本当にすごい道路。
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東山道は都から東国の国府へ向かう官道であった。
7世紀末に整備されているが日本国を貫く幹線道路の規模の大きさは圧巻です。
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武蔵の国府には当初はつながっていなかった。
武蔵国分寺へ向かう道路として東山道武蔵路が作られた。
地図の赤いライン。
群馬県の新田あたりからほぼ真っ直ぐ南下している。

都立多摩図書館の脇に大きなスペースがある。
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歩道だと思ってしまいがちだがこれが東山道武蔵路の後だ。
良く見ると茶色い色が付いている。
かみさんもこの道良く通ったらしいが東山道だと知りびっくりしていた。

しかし、道幅広い。
詳細な案内が出ている。
道幅は10m、側溝まで整備されていた。
道路もフラット。 
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そしてもっとすごいのが道路が直線で整備されていること。
道路って地形に合わせて楽な作り方するのだが地形を無視した直線道路を作るのは大変。 古代の土木技術おそるべし。
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更に南下すると史跡として残されている部分があります。
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住宅地に突然現れる広い空き地。これ、空き地じゃなくて東山道武蔵路の史跡です。
見てみてみて、この道幅。
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そして道路の両脇に整備されている側溝。年代によって側溝の位置は変ったようだ。
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地面にも説明書きがあります。
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当時の雰囲気を再現した絵。 国分寺脇を直線道路が貫いている。
山に向かって伸びているの方向は現在の所沢あたり。
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所沢付近の武蔵路の発掘写真がありました。
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古の人々がこの道を通った様子を想像するだけで感動します。

しかしこの道は数年に一度くらいしか使われていなかったそうだ。
それなのにこの道を作るか。ロマンあるね。


ここから旧鎌倉街道へと向かう。 続きはその2をご覧ください。


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【赤坂ランチ】炒めスパゲティの”PP AKASAKA”

先週末、今週末とも台風来訪で天候悪し。

鎖骨骨折のために不参加となったゴルフコンペも結局は中止。
フルマラソンも大雨だったので不参加で良かったかもしれない。

昨日、4ヵ月ぶりのジョギングをし本日やっぱり筋肉痛。
筋肉って使わないと激減するんですよね。 早く元の筋肉に戻したい。

運動と食事。これが重要。
ということで赤坂ランチの紹介です。

溜池山王駅近くにあるスパゲティ屋さん
イタリア料理屋でなくスパベティ屋なんです。
以前からちょっと気になっていた。
店はいつもドアが開いていて店内が見える。
カウンターに軽微な椅子。 カウンター居酒屋をそのまま居抜きで使ったのではないかと思わせる。

店内は薄暗い。
少し入りにくい雰囲気だ。
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店内に入りカウンターに座る。
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ドラゴンズのキャラクターがまず目に入った。
店主は中日ファン?

ぐるっと見渡すとそうではないようだ。
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さて、メニュー。

イタリアン、ミートソース、ナポリタン、明太子、ジャポネ、ブルドック。

昭和の香りが漂ってきます。

しかし、ジャポネ?、ブルドック?
これなんだろう。

ブルドックがソース味らしい。
昔ながらのフライパンでパスタを炒めるもののようですね。
自宅で作っていたスパゲッティです。

ここは、ど真ん中のナポリタンにした。 普通、中盛り、大盛とも値段一緒なので大盛を注文。


待つこと10分間。
出来上がってきました。

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大盛と言っても物凄く多い訳ではない。
味は、想定していたものよりもピリ辛です。

噛みしめながら子供も頃を思い出す。
値段は600円と安いのでちょっとお腹を満たしい時はこれもありだね。


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新しい虎ノ門の史跡

東京の官庁街にある虎ノ門。
私にとっては社会に出て初めて働いた思い出の地でもある。

最近は、虎ノ門ヒルズに始まり周辺の再開発は物凄いことになっている。
建物の建て替えもかなりあり昔の面影も少なくなってきています。

虎ノ門でランチと思い、30年前によく通っていたお店に足を運ぶがことごとく無くなっていたり、お店が変わっていたりした。

その当時からの人気店であった長崎ちゃんぽんの店「長崎飯店」は今も健在でした。
お店を見つけるが、当時はお昼となると行列ができていたが今は行列どころか店内もガラリ。
味が変わったのかちょっと心配になったが、入店してちゃんぽんをいただく。味は変わっていなかったようだ。
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虎ノ門で気になっていた史跡がある。虎ノ門に用事があり地図を見ていたところ今までに認識していたかった史跡マークが。文化庁の敷地に「史跡 江戸城外堀跡地下展示室」と記載されている。
たぶん、文科省の建て替えが行われた時に整備されたのだろう。

虎ノ門地図

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この地下に行って観た。
地下通路から少し外れる非常階段のような階段。
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しっかり案内看板もあります。期待できます。
壁にはこんなものが。 堀の底レベルを示している。史跡好きとしてはうれしい。
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階段を上がると展示室が出現。
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かなり、立派に整備されています。
展示室の奥には石垣が保存されています。
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昔の文科省の敷地内に放置されていた石垣だったようです。

現在の地図
虎ノ門地図現代

明治初期の地図
虎ノ門明治地図

赤丸で囲った付近の石垣のようです。
この外堀は明治中期の地図を見るとはすでに埋められていました。

この展示室には詳細な解説も付いていて見ごたえあります。

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虎ノ門に行ったときに是非立ち寄ってください。

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旧甲州街道をロードバイクで(高井戸宿~府中宿)その2

旧甲州街道をロードバイクで巡るシリーズです。
高井戸宿までは、史跡らしいものが少なく、この傾向は府中宿手前まで続きます。


旧甲州街道(新宿高井戸)2

府中宿付近まで来るとお祭りの雰囲気が漂う。
この4月30日~5月6日は大國魂神社で「くらやみ祭り」が行われている。

変わった名前のお祭りです。 夜の神事を明かりを消して行われるのでこのような名前になったとのこと。

旧甲州街道沿いの神社も同じようにお祭りの準備。はっぴを着た人が目に付く。お神輿も町内会毎に用意されている。ムードたっぷりです。

武蔵国府八幡宮あたりにもこんな看板が。
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この神社の参道がやけに長い。どこまで続いているのかちょっと追ってみた。
住宅地の間に参道があるというか参道を囲むようにして住宅が作られている。

なんと参道には踏切まで。
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時代の変遷を感じつつも参道だけはしっかり残っているのが不思議ですね。

府中宿に更に向かう。

この辺が中宿の八幡宿だったのだろう。 交差点の名前となっています。
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大國魂神社に到着。

物凄い人です。
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屋台もかなりの数。 ちょうどお昼くらいなのでお腹減ってきた。

ここまで来ると府中宿です。

旧甲州街道(新宿高井戸)3

◇府中高札場跡
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おお、やっと街道らしくなってきた。

◇札の辻と問屋場跡
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この交差点の高札場跡の対面に蔵風の建物がある。
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さり気なく案内場が設置されているので中々気づかなかった。

この建物、地元酒屋さんがお店として使われている。
蔵の建物も素敵だったので中を覗いてみると喫茶店のようだ。

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街道らしい雰囲気を味わいに入店してランチを食べることにした。
店内はおしゃれに改装されています。でも蔵の良さは残っていますね。


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隣の酒屋も蔵を上手く活用していました。このカフェから続いています。
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お酒の種類も豊富です。

カフェの入り口の看板に出ていたお店のおすすめ商品の由来がわかりました。
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出てきたランチはカレーランチ。無難です。
お店の方が優しく声をかけてくれます。ほっとしますね。
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お腹いっぱい。
さあ、日野宿へ向けて出発です。
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旧甲州街道をロードバイクで(内藤新宿~高井戸宿~府中宿)

旧甲州街道をロードバイクでの続きです。

日本橋からスタート、新宿の繁華街を通過して高井戸宿に向かいます。
しかし、旧甲州街道は史跡らしいものが少ない。
ロードバイクでペダル漕ぐ時間が長く、予定よりかなり早く進む。

【内藤新宿~高井戸宿】
新宿南口、昨年できたNEWoManのビル前を甲州街道が抜ける。
坂を下りきったところから旧街道は一本北側の細い道になる。新宿西口のヨドバシカメラや飲食店街だ。当然のことながら旧甲州街道の名残はゼロです。

GW期間なので中央高速道路は渋滞のようだが甲州街道は以外と車は空いていた。
このくらいの広い道はロードバイクにとっても車をそんなに気にしないので走りやすい。
旧甲州街道(新宿高井戸)1

◇一里塚跡(四番目)
そんな単調な甲州街道であるが日本橋から4番目の一里塚の名残がある場所を通過。
塚も樹木も何もない。 バス停「一里塚」がその場所に一里塚があったことを伝えてくれる。
この一里塚の手前が高井戸宿となるが宿場の痕跡はなし。
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【高井戸~府中宿】
旧甲州街道(新宿高井戸)2


桜上水付近を通った時に甲州街道から南に向かう細い道に違和感のある車止めがある。
「水道局用地」と書かれている。もともとは水道局管理の道だったのだろうか。

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◇世田谷百景 
武州千歳村大橋場跡を探していたが見つからず。
残念ながら見つけることができなかったが探している付近の公園にこんな説明の碑を発見。

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甲州街道の面影を残す風景だそうだ。

◇中宿
国領付近から国道20号から離れ旧街道を走れる。旧街道らしい適度な道路の曲がりが良いです。

途中にはこんなバス停が。
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高井戸から府中まではいくつかの中宿が設けられていた。
ここは国領宿あたりになるかな。

◇近藤勇の座像
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京王線西調布駅近く、中央高速と旧甲州街道が交差する手前あたりでこんな標識が目に入った。ノーマークの史跡なのか??

寺の奥に進むとこんな真新しい近藤勇の像があった。
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その横にはこんな説明が。
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調布は近藤勇の故郷であること、慶応4年(1868)3月、近藤勇が甲陽鎮撫隊をひきいて甲府へ向かった時も、この寺で休憩したと書かれている。真実は良く分からないが少しの事でも関連つけて像を造られたのかな。

◇常久の碑
味の素スタジアムを右手に望み更に旧甲州街道を進む。
途中京王線の飛田給駅の横を通過するが、以前と比べてあまりにも綺麗に再開発されていることにびっくりです。

常久は旧甲州街道沿いあった集落の名前。現在は公園の入り口付近に立派な石碑が飾られている。
最近作ったんだね。
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碑には銅板のようなものが張り付けられている。近寄ってみてみると上段は旧甲州街道の地図のようだ。しかし、読み取ることはできないです。
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この付近は旧甲州街道なので交通も少なくゆったりとした時間が流れているようにも感じますね。
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旧甲州街道をロードバイクで(日本橋~内藤新宿))

今年のGWは天候も良くお出かけ日和が続いています。

こんなに天候の良い日が続くならまだ残っている五街道のうちどれかを走破する計画を立てればよかったかな。

今年のGWは1日だけ旧街道の旅に充てました。

区間は、日本橋~八王子まで。この区間の距離は45kmくらいでたいしたことないが、今回は自宅からの自走で出発、帰宅したので走った距離は107km。
まあ、1日で史跡をめぐるのであればちょうど良い距離かな。

【日本橋~内藤新宿】
日本橋~桜田門

早朝自宅を出発。8時過ぎに日本橋到着です。
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旧東海道、旧中山道、旧日光街道、旧水戸街道でもここ起点。 5度目になります。
何度来ても気が引き締まります。
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この場所にロードバイク置いて撮影するの定番となっています。
写真を撮る傍らで男女1組の方が江戸風旅支度をしているではないですか。

どこまで行くのだろうと声を掛けようと思ったらお二人は既に出発。方向からすると中山道の旅なのかもしれない。中山道は長いがそれに見合う楽しみがある。

今回私が行く甲州街道は日野宿までは割と単調で旧街道を味わえるところが少ない。
他街道と比べて甲州街道は参勤交代でもほとんど利用されなかった。物資輸送や庶民の娯楽ルートとしての役割の方が多かった。

日本橋を出発し大手町方向へ向かう。ここでは立ち寄りたい場所がある。
街道から少し外れるが将門塚がある。
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日経新聞本社の一角にこんな空間があるなんて。
あの平将門の首塚です。
将門の首級は京都に送られ、獄門にかけられたが、三日後白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。大地は鳴動し太陽も光を失って暗夜のようになったという。村人は恐怖して塚を築いて埋葬した。これ即ちこの場所であり、将門の首塚と語り伝えられている。」
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ここは、祟り話があって有名です。 敷地内にはこんな記事がぶら下がっています。
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早朝にも関わらず、お参り来る方が何人かいました。ジョギングの途中に立ち寄る方もいたかな。

将門塚を後にして街道に戻り皇居の内堀通りを走る。
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この辺りは江戸城の堀、石垣が残っており好きな場所である。

和田倉門跡に立ち寄ってみた。
和田倉門付近は綺麗に公園整備されている。
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和田倉門の石垣。堂々としています。
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旧街道を進むとあの桜田門。井伊直弼が殺害された歴史的な場所である。
日野宿付近行くと土方歳三の故郷でもありこの時代の展示物が歴史館にある。

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横目で桜田門をチェックして次に進む。
四谷~内藤新宿

途中見どころ少なし。史跡もほとんどなし。
四谷大木戸跡が残っているが交差点の歩道に目立たなく表示されている。
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そこから内藤新宿に向かう途中に玉川上水水番所跡の石碑がある。
羽村から永遠と流れてきた玉川上水はここから分水され江戸市中へ配られた。
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玉川上水は新宿御苑に沿って今でもルートが存在している。
旧甲州街道は玉川上水と並行しながらこの先進むことになる。

この辺りが内藤新宿があった場所。
日本橋から初めての宿場。この宿ができる前は高井戸宿が一番初めの宿であったが、この区間が長いとのことで商人等が宿場設置を要望した。
信濃国高遠藩内藤家中屋敷の一部や旗本の屋敷などが存在したが、これらの土地を幕府に返上させて宿場用地となった。
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内藤新宿を抜けると成木街道(青梅街道)と甲州街道の分岐点である追分がある。
交差点を挟んで伊勢丹の対角。丸井の前にこんな表示がある。
買い物客はこれにはほとんど気づいていない。写真を撮る私の姿を訝しく見る人もいます。
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次は高井戸宿へ。

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川越歴史ポタ(郊外編)

先週、映画「グレートウォール」を見てきました。
万里の長城を舞台にした歴史アクションです。

万里の長城建造の目的とされる一つの史説に基づき作られたとか。
60年に一度現れる得体のしれない怪物を街に入れないための壁。 怪物の数の迫力とそれを退治する爽快感はありますが、万里の長城の受け止め方少し変わったように思います。

さて、川越歴史ポタの続きです。

市街地は城下町中心の史跡でしたが、郊外はどちらかと言うと戦国時代の防衛戦略が見え隠れするポイントです。

探索ルートは以下の通り。

川越歴史ポタ1

川越城下町から北西に向かう。
入間川を越えて大穴城跡に向かう。
途中、空腹を満たすためにコンビニで昼食をとる。
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川越市境ですが坂戸市に入ったところに大穴城跡がある。
室町の中期頃、ここに陣屋があったと言い伝えられていますが、この城の城主が誰であったか詳しく分かりません。江戸時代は陣屋として使われて居たらしい。

遺構らしきものが見当たらない。土塁が残っているとのことだが公園整備にかき消されてよくわからない。公園内に入ってみる。
公園内に案内板を発見し、ここが大穴城跡であることを確認。

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更に北西に向かう。
中央自動車連絡道の手前を右折して雑木林の道を進むと大堀山館跡の案内板を発見する。
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うっそうとしているが雑木林の中はこんもりと盛り上がっている。ここに館があったようだ。
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館は500年前に作られて三重の堀と土塁でできている。
鎌倉街道が近くを通っている。上杉氏の川越城と鉢形城をつなぐルートも通っており交通の要所に設置されたいたようだ。

ちょっと雑木林に足を踏み入れると空堀らしい遺構が存在する。
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ここから南下
旧鎌倉街道上道のルートの遺構があるとのことで立ち寄った。
市民の森見たいになってる。

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ボランティアが作成した案内板。ここでは、堀兼道と書かれている。
本来の鎌倉街道はもっと西側を走っており、この街道は鎌倉街道の支道ということだ。
所沢付近の
古来より数々の歌に詠まれた堀兼の井戸がある場所から分岐しているので堀兼道となっている。この道は河越館にもつながっていた。

しかし、鎌倉街道の両脇土塁というような遺構は見つからなかった。
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今回、最終目的地の河越館跡に向かう。


平安時代末から南北朝時代にかけて武蔵国で有数の勢力を誇った武士である河越氏の居館跡。
近くに行くとのっぱらです。
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こんな風に紹介されています。

「河越館は鎌倉時代、この地域で最大の勢力を誇った河越氏の居館です。
河越重頼源頼朝に重用され、その娘(郷御前)が源義経の正妻となっています。河越館は河越氏の居館としてだけではなく、幕府の武蔵国政庁としても機能していました。また、戦国時代初頭に起きた「長享の乱」の際には関東管領・上杉顕定河越城の扇谷上杉氏を攻撃するために7年にわたってこの地に陣(上戸陣)を構えました。その後、北条氏が河越城一帯を勢力下におさめると、重臣・大道寺政繁が砦を築いたとされています。現在、館跡一帯は「河越館史跡公園」として整備されており、一部には常楽寺が建てられています。」

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どこが遺構なのか分からなかったが近寄ってはっきり分かった。
堀跡が残っている。

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館中心に堀が取り巻いている。その外側には道があったようあ。
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説明版が詳しい。ポイントポイントに説明されているのが良い。
人はほとんどいないのでゆっくり古の河越館の想像しながら楽しませてもらった。
帰りは雨に降られたが、充実した史跡巡りでした。


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