旧街道をロードバイクで!ゼロからの挑戦

古地図を使い街巡りが大好きなオジサンです。古地図を片手に都内の散策にそろそろ飽き、旧街道の文化に触れたくなりました。古の街道をめぐるために、ロードバイクを購入して全国に挑みます。流行を追ってロードバイクに乗るわけではありません。まずは、五街道。次に四国八十八カ所、最後はスペインの聖地巡礼サンティアゴに・・・ ゼロから達成までの記録です。

史跡

清瀬市郷土博物館

新しいコーナーを立ち上げます。

郷土博物館シリーズです。
各市町村では地元の歴史、文化をテーマにした郷土資料館や郷土歴史館などが整備されています。

これが結構地元にこだわったものになっている。
全国の歴史ではなく地域目線での歴史を撮らま得ているものとしては面白いです。

既に何か所も訪問しているがまだまだ数は沢山あるので東京都内は少なくとも制覇したい。

今回は清瀬市。
丁度、知り合いの方が個展をやっていたので清瀬市郷土博物館を訪問

IMG_4032

林先生は色鉛筆画で有名な方。
IMG_4035

これ、色鉛筆で描かれています。すごいでしょ。
IMG_4036
IMG_4046

当日は、ご本人も居て実演もしていました。
IMG_4034

ちょっとだけ、作品のご紹介です。
清瀬市近辺の風景が多く展示されていました。
清瀬市在住の方ならば「ああ、あそこ」とすぐわかるような絵です。
IMG_4041

IMG_4037
IMG_4039

私は、林先生の水面が描かれた作品が好きですね。
この作品も雨の路面が素晴らしく表現されています。
IMG_4045

さて、この博物館の2階で個展が開催されていましたが、一階は博物館です。
想像していたよりも立派な建物で展示も本格的でした。

IMG_4050


IMG_4047

IMG_4048
IMG_4054

清瀬市内にこんなに沢山の遺跡が発掘されていたのですね。
IMG_4055

西武鉄道の清瀬駅
当時は、武蔵野鉄道だった。
IMG_4056

関東ローム層の地層が柱で表現されています。分かりやすい。
IMG_4064


IMG_4065

想像よりも展示が充実していました。


よかったらポチって下さい

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

東山道武蔵路の講演

週末はゴルフとかイベントが多かったのでランニングをちょいとさぼっていました。
久しぶりに今朝小金井公園までジョギング。

さくらの開花宣言があちらこちらでニュースになっていましたが、小金井公園の桜はまだですね。

先月、ランニングした時には梅が咲き始めたころでしたが今では梅の花はほとんどなくなっていました。

先月の写真
IMG_4027
IMG_4029
IMG_4030

さて、先月は歴史関連のいくつかの講演会に足を運びました。
IMG_4009

IMG_4001

東山道武蔵路は既に国史跡に指定されているが、追加指定の場所がありそれの記念講演でした。

武蔵路は一部であるがあのような壮大な土木工事を整備させた権力は凄いです。
資料に載っていた東山道の地図。
IMG_4006

これの道の運用には公式令が出されていてこれを守らなかったときにきっちりと罰則が決められていた。
杖で打たれる数や鞭うちの数?ような罰則が記載されている。最悪は流罪。
恐怖政治だったのですね。

IMG_4008

この講演には多くの方が来られていたが、平均年齢は高い。
IMG_4003
IMG_4004

市長さんもご挨拶。
IMG_4005

中々面白い内容でした。
せっかく整備された東山道がなぜ後世で使われなかったのか少し疑問ではあった。

私は、武士の戦国の世ではあのような素早い移動ができる道は反って軍事的には守りとして良くない道だったので使われなくなったのかと勝手に想像していたが、道の整備は相当大変だったらしく朝廷の力が弱くなったら整備する人がいなくなり道路として自然に朽ち果てたとの説明であった。

現代の道路もしっかり整備しないと荒れるからね。インフラは作るより守る方が大変ということでしょうかね。

東山道は全国の国分寺整備とセットなので国分寺整備の当時の実情のお話しが聞けて面白かったな。

朝廷が指示した国分寺建設の仕様は諸国の財政事情によってきっちりは守られなく塔の重数も少ない国分寺があったりしたらしい。これについての罰則はなかったのかな。

色々と勉強になりました。


よかったらポチって下さい

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

麻布界隈史跡めぐり(その1)

ブログ記事の続きです。
東京都立中央図書館で「東京散歩学」とのタイトルで公開講演を聞いたあと歴史ある元麻布エリアを散策することにした。

図書館がある有栖川記念公園付近は都内でもちょっと雰囲気が違います。
何が違うか。それは外国人が多いことですね。
公園で遊ぶ子供たち、家族連れは6割は外国人です。
IMG_3995

ざっと地図を見ると大使館だらけです。
ノルウェー、スイス、中華人民共和国、パキスタン・イスラム、韓国、フランス、オーストラリア、フィンランド。 


図書館で配られた散歩地図。
IMG_3911

目に付いたのは「がま池」
たしかブラタモリでこの辺りを紹介していた時に番組で出てきたかな。
ただの池ではなく麻布七不思議として紹介されたと記憶しています。

地図を見ながらがま池に行ってみることに。
麻布運動場を抜けたところに変わった建物がある。
なんだろう。すごいデザインです。マンション?商業施設?地図には記載がないのでわからない。
IMG_3955

この奇妙な建物を通過して住宅街の入組んだ道を進む。道路は広くないがこの辺は豪邸ばかりです。
ウロウロしていると案内版を発見。看板の裏側はうっそうと木が生い茂っている。
IMG_3912
IMG_3913
昭和50年に作られた看板なので少しさび付いています。
内容は以下の通り。

「その昔、旗本山崎主税助治正の屋敷内の池に棲む大がまが、夜回りに出た家来を殺した。がま退治を決意した治正に、がまは白衣の老人となって夢枕に立ち、罪をわびて防火に尽くすことを誓った。その後、文政4年(1821)7月2日、麻布古川より始まった大火が山崎邸を焼かんとする折りしも邸内の古池から一匹の大蝦蟇が忽然と現れ、水を邸に吹きかけて猛火を退け山崎邸だけが火災よりまぬかれたのです。世の人々、この奇端を感じて山崎家にお守り札を乞う者が後を絶ちませんでした。このお守り札が「上の字様」と称され、江戸時代には芝赤羽橋の有馬邸から出された水天宮の御守と並び称されたものです。   「上の字様」は火傷、防火の御守として、文政4年(1821)9月より山崎家の執事、清水氏より授与されたのですが、清水氏が郷里に引き上げることになり、麻布の伝統に依るもの故、以後末広神社を通じて授与されるようにとの依頼により、昭和4年(1929)より末広神社にて「上の字様」が授与されることになりました。」

この池にはガマがいたようです。しかし、このがまは大火の時に池の水を家にかけて火災を防いだとのこと。「上の字様」として昭和には、防災のお守りを販売して売れたとの話がある。お守りで一儲けしたのは本当のようである。

当時の池は500坪もあったらしい。
今は小さな池。
IMG_1908

明治初期の地図では大きな池であったことが分かる。
IMG_1909

この池は枯れたことがないらしい。地形的には起伏がある場所なので湧き水が窪地に溜まるのだろう。

上空から見るとこんな感じ。住宅に囲まれるように今も水をたたえて居るのが分かる。
IMG_1911

地形図では現在の池より窪地は大きかったことが分かります。
明治初期の地図のように長細い池と合致する窪地ですね。
IMG_1913

ぐるっと周囲を回ってみた。建物に囲まれているので池は見えない。
すると大きな駐車場を発見。
IMG_3961

あの林は池の周囲にある木々ではないか。
ちょっとだけ駐車場に足をふい入れさせてもらって柵に近づいた。
あったあった。池が。枝の間に水面が光っている。
IMG_3957

見えやすい場所を探して移動。
IMG_3958
はっきり確認できました。がま池です。

やっぱりかなり小ぶりの池です。
昔の写真はこれ。横長の池ですね。池としての風格あります。今は大きな水たまりと言った感じですが。
ガマ池 昔










肉眼で確認できて満足です。

麻布運動場の方に戻り、次のばターゲットは善福寺。
ここは、江戸時代に初めてアメリカ大使館が設置された場所。そして福沢諭吉先生のお墓があることでも有名です。
このお寺、史跡密集場所なのです。元麻布に来たら外せませんね。

仙台坂を下ったところ。韓国大使館の目前に位置しています。
IMG_3962

この辺りは警官がやけに多い。平昌オリンピックの時期なので韓国大使館周辺の警備が強化されているのかな。
IMG_3964

その2へつづく。


よかったらポチって下さい

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

初冬の国分寺散策

12月に入って寒さが厳しくなりました。

ようやく骨折していた鎖骨が8割方付いた感じです。↑の部分が骨折箇所。
IMG_3328

もう、普段の生活に戻し落ちた筋肉をもとに戻すつもりです。
来週は、久々のロードバイク。行先は箱根と小田原飲み(笑)

先日は、かみさんのリクエストで国分寺を再散策。
国分寺の勤務先で受付の業務をしているので何かと聞かれることが多いので地理マスターしたいとのこと。
当初は自転車で行こうかと思ったが寒さのあまり自動車に変更。

以前に散策したので今回はまだ足を運んでない場所に行く。

まずは、国分寺駅前の殿ヶ谷戸庭園で紅葉を満喫。
IMG_3539

一番の紅葉時期なので多くの人が訪れていた。
IMG_3500
IMG_3503
IMG_3510
IMG_3514
IMG_3519

IMG_3520
IMG_3527

落ち葉も絵画のようです。

尺八と琴の演奏会もやっていました。なかなか良かったです。
IMG_3499

東京最後の紅葉ってところでしょうか。

この庭園は東京都が買い取っているが元の持ち主はあの岩崎弥太郎のお孫さんの彦彌太さんの別荘だったらしい。
IMG_3535

一族の写真。当時の雰囲気が伝わってきます。
IMG_3537


この足で国分寺付近へ移動。
武蔵国分寺ではなく江戸時代に再建された国分寺。
ここには万葉植物園が境内にあります。万葉集に出てくる草木花が境内の敷地にさり気なく植えられている。

仁王門
木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられている。
IMG_3542

この階段の先に薬師堂があります。
建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。

IMG_3543

中には国指定重要文化財「木造薬師如来坐像」が安置されており10月10日の御開帳時に拝観できる。

ここから武蔵国分寺資料館に移動。
お鷹の道沿いにあったが初めてはいる。

思ったより綺麗に整備された建物。
IMG_3544

中に入ると正面に武蔵国分寺付近の当時を想定した模型が展示されていて全容が俯瞰的に見れて良いです。
IMG_3545

ボランティアの案内の方が丁寧に説明して頂ける。瓦や展示物など背景やエピソードを紹介してくれて実に面白く聞けた。

この模型にもあるが、武蔵国分寺領域を表す溝が周囲に巡らされていた。
その一部が今も保存されているとのことで、武蔵国分寺の北側、裏手の方に回ってみた。
区画溝跡が地図の場所に存在している。
IMG_3549
IMG_3550
人工的に作られた溝であることが断面から察することができる。
IMG_3552
柵の向こうに伸びる道も区画の溝があった。今はマンションを背にしているのでそれであったことは説明を受けないとわからない。

冬の日は早く落ちる。すでに薄暗くなり国分寺をあとにした。
かみさんはそれなりに楽しめたようで満足気な表情だったな。
これでお客さんに国分寺付近の史跡を尋ねられても説明できるだろう。

よかったらポチって下さい

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

夫婦で武蔵国分寺史跡周辺ポタ その4


夫婦で回った武蔵国分寺史跡のポタリング。

かみさんはママチャリでしたが、史跡、遺構の魅力に取りつかれたようで疲れを出さずに一緒に付き合ってくれました。

GoogleMapで作った史跡地図で説明しながら次なる場所へ向かいます。
七重塔跡を見た次は、ちょっと休憩したくなりました。

残すところは、おたかの湧く水と真姿の池湧水群です。
国分寺崖線を背にして武蔵国分寺が建てられていた。 武蔵台地からの端っこの崖である。 湧き水が豊富な好立地な場所でもあった。

国分寺散策地図3
地形図

IMG_1996


■おたカフェ
ここは史跡の駅とも称されている。
史跡の駅か、初めて聞いたな。

IMG_1990

こじんまりとしていて良い雰囲気。
店内。
中二階はこんな個室的な空間。

IMG_2001

お土産や歴史資料がそろっていました。
IMG_2002

お鷹の湧く水は資料館敷地内のようですが、閉館時間を過ぎたので今回はパス。

■お鷹の道
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ-トルを遊歩道として整備 されている。


BlogPaint



■真姿の湧水

この湧き水にはこのような伝説がある。
847年(承和14年)、当時絶世の美女と謡われた玉造小町は、業病とされた皮膚の病に冒され、その容色を失い、治療の効なく変わり果てた己が姿に、「御仏の慈悲にすがっても」と意を決し、小町は当地の国分寺を訪れ、薬師如来にぬかづいて一心に祈り続けたところ、三×七=二十一日目に一人の童子が忽然と現われ、小町をとある池の畔に誘い、「この池水にて身を洗うべし」そういいおいて童子は姿を消してしまうが、藁にもすがる想いで小町がいわれたとおりにしたところが、七日にして、元の美しい姿を取り戻した。」

IMG_1991
IMG_1992
IMG_1993
IMG_1994

水は名水百選に選ばれているだけあって澄んでいて清らかな水である。
IMG_1995
IMG_1999

崖の上に登ってみると台地っぽくフラットな土地となっていました。
IMG_1998

お鷹の道は京都の小道を思わせる空間がありかみさんは凄く気に入っていました。

武蔵国分寺付近の史跡を夫婦でポタリングしたが、観光地に来たような錯覚でした。

かみさんは病みつきになり回り切れていない箇所もあるのでもう一度行こうと誘われています。

よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その3

表題のその2の続きです。

国分寺周辺の史跡、遺構の多さには今回改めて感心しましたが、それよりもかみさんの方が感銘したのではないかと思います。

私は日ごろから史跡巡りは好きなのでかなりディープに調査して訪ねて行きます。今回はそれに初めてつき合わせたのですが、かみさんもまんざらでないようで一緒に結構楽しんでいました。

さて、国分寺尼寺跡でじっくりと案内や説明版を読みながら古の空間を想像して少し時間を使いました。

いよいよメインの国分寺跡になります。
全国国分寺の中でも最大級だった武蔵国分寺。
地は東西8町、南北5町半。
東大寺が最大で最大で東西南北とも8町。これからも大規模であったことが分かる。

国分寺散策地図2

当時はこんな感じだったのでしゅうかね。
「武蔵国分寺」の画像検索結果
■国分寺南門跡

国分寺跡付近は保存地区なので空き地が多くだだっ広いです。 写真の方向が武蔵国分寺になります。
この道は当時の参道とほぼ同じ筋となっている。

IMG_1981

道を進むと南門跡に到着。 南門の基礎部分を復元して整備されています。
IMG_1982

■国分寺中門跡
こちらも最近復元されたような。何本か柱のようなものが建っていますね。
中門のあった場所をイメージさせるのでしょうが、まだ整備中でした。

IMG_1983


■国分寺金堂跡
南門跡からさらに北に進む。中門跡を通過すると金堂跡に到着する。
何もない広場にポツンと石碑が立っている。
創建時は間口7間、奥行4間あったどうだ。

IMG_1984

近づいてみると金堂跡と記されていました。
IMG_1986

IMG_1987



■七重塔
金堂跡の東側に七重塔が建設されていた。
近くに行ってみると塔跡は2か所あるではないか。
835年に落雷で焼失して再建されたとあるが、同じ場所に再建されたのか場所を変えて再建されたのか明確でないらしい。

いづれにしても2か所の塔跡が発見されている。
塔跡1

IMG_2006
IMG_2003

塔跡1から50m西に行った場所にこんもりとしている部分が塔跡2?
基礎跡の確認は表面からはできませんでした。

IMG_2007

IMG_2009

重塔を有している諸国国分寺は多いがここは七重塔。高さにすると70m~80m? 創建当時にこれだけの建造物が作られたのは凄いです。

ここからは武蔵国分寺史跡巡りも終盤に向かいます。
つづきはその4で。
よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その2

「夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その1」の続きです。

東山道武蔵路跡に感銘を受けた後は、旧鎌倉街道跡に行くことにした。

旧鎌倉街道の方が当然ながら東山道よりも後世にできた道である。
道幅10mの道は国府への道としては廃れて行った。
あんなに立派な道を後世の人はなぜ使わなかったのだろうかと疑問に思ってします。

私なりの解釈ではあるが、武家政治へと時代が変わるとあのような当時の高速道路のような道は領地を守る人にとっては迷惑な道であったのだろう。

東山道の原型は東海道や中山道等の幹線道路として活用はされているが何れも細くくねくねした道になっている。

これも上記の理由であろう。

旧鎌倉街道も鎌倉幕府へとつながる道であるが道幅細く、土塁で囲まれたりと戦国の為の道と化している。

その鎌倉街道の名残として当時に近いまま残っている場所が国分寺にもある。

東山道武蔵路から西へ300mくらいのところに平行して旧鎌倉街道がある。

■武蔵台遺跡敷石住居跡

旧鎌倉街道に向かう途中には、「武蔵台遺跡敷石住居跡」が公園として整備されていた。原始・古代・中世・近世の複合遺跡なので、そのうち縄文時代では縄文早期(9000年前)と縄文中期(4000年前)にムラがあり、上の敷石住居は中期の遺跡を移築して保存したものらしい。
IMG_1951


■鎌倉街道

ここから北に向かい坂を下ると住宅地からうっそうとした林の中に突入する。
入り口には旧鎌倉街道として保護するために通行止めとしている説明がある。

この道は切通しになっている。
IMG_1952

IMG_1953

でも細い道です。

■塚

両脇には史跡が残っています。
案内版は土で汚れているので読みにくい。

IMG_1956
IMG_1955
”塚”と案内には書かれている。
「中世(1415世紀頃)において種々の祈願の成就を得るために作法に則り本尊に対し祈祷するために築かれた修法壇跡伝祥応寺との関係を有するものと推考される」と説明されていた。

■伝承応寺跡

その伝承応寺が鎌倉街道を挟んで反対側にある。
IMG_1959
IMG_1963
IMG_1958


階段を上ると案内版がある。これもかなり汚れている。
IMG_1960
案内版には「旧鎌倉街道と言われる切通しに東面して土塁(基底部幅3m、高さ1.2m以上)と溝とで東西30m、南北45mの長方形の区画が形づくられている。現存する大小15個の礎石の分布などから東西9m南北18m程の規模の堂がその中央にあり、瓦を用いない建物だったと推定されている」と示されている。
IMG_1961
登ると平坦な土地が広がっていた。

更に切通の鎌倉街道を下る。
IMG_1964

■武蔵国分寺尼寺金堂
 旧鎌倉街道を挟むようにして武蔵国分寺の尼寺の遺構がある。

奈良時代中頃、聖武天皇の詔により鎮護国家を祈願する官立寺院として国分寺(僧寺)とあわせて国分尼寺が国ごとに建立された。
IMG_1971

IMG_1966
IMG_1967

IMG_1969

復元された基礎
IMG_1972

立派な講堂も建設されていた。
IMG_1973
IMG_1974

IMG_1977
IMG_1978

発掘調査時の様子。
IMG_1979


IMG_1980

武蔵国分寺付近の遺構は凄いです。この辺はJRの拡幅に伴い発掘調査が進んだエリアでもあります。 まだまだ、眠っている遺構は沢山ありそうですね。

尼寺の後は本丸の国分寺跡へと向かいました。
続きはその3で。


国分寺 鎌倉街道


よかったらポチってください 


 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その1

久々に史跡関連の記事です。

今年の春先にかみさんが国分寺を散策したいとのリクエストがあった。
この辺で働き始めたので土地勘を高めたいとのこと。

そうであれば、以前から企画していた国分寺周辺の史跡巡りを提案して行くことにした。

かみさんと二人だけで自転車乗るの久しぶりだな。

もちろんかみさんはばっちり籠付きのママチャリ。これで国分寺までの10kmを走ります。
IMG_1931

ペースはゆっくりです。
40分間くらい走って国分寺到着。

今回の訪問は、国分寺跡は基より、東山道武蔵路、旧鎌倉街道を中心に国分寺付近に多数点在する史跡を回る。
マークをプロットしている場所が史跡です。 茶色い一本線は東山道武蔵路です。

国分寺散策地図

スタートは東山道武蔵路の痕跡辿りから。
東山道と軽く言うが、本当にすごい道路。
IMG_1929

東山道は都から東国の国府へ向かう官道であった。
7世紀末に整備されているが日本国を貫く幹線道路の規模の大きさは圧巻です。
IMG_1928

武蔵の国府には当初はつながっていなかった。
武蔵国分寺へ向かう道路として東山道武蔵路が作られた。
地図の赤いライン。
群馬県の新田あたりからほぼ真っ直ぐ南下している。

都立多摩図書館の脇に大きなスペースがある。
IMG_1930
歩道だと思ってしまいがちだがこれが東山道武蔵路の後だ。
良く見ると茶色い色が付いている。
かみさんもこの道良く通ったらしいが東山道だと知りびっくりしていた。

しかし、道幅広い。
詳細な案内が出ている。
道幅は10m、側溝まで整備されていた。
道路もフラット。 
IMG_1923
IMG_1924
IMG_1925

そしてもっとすごいのが道路が直線で整備されていること。
道路って地形に合わせて楽な作り方するのだが地形を無視した直線道路を作るのは大変。 古代の土木技術おそるべし。
IMG_1926

更に南下すると史跡として残されている部分があります。
IMG_1935

住宅地に突然現れる広い空き地。これ、空き地じゃなくて東山道武蔵路の史跡です。
見てみてみて、この道幅。
IMG_1937
そして道路の両脇に整備されている側溝。年代によって側溝の位置は変ったようだ。
IMG_1940

IMG_1941
IMG_1942

地面にも説明書きがあります。
IMG_1943

当時の雰囲気を再現した絵。 国分寺脇を直線道路が貫いている。
山に向かって伸びているの方向は現在の所沢あたり。
IMG_1945

所沢付近の武蔵路の発掘写真がありました。
IMG_1947
IMG_1948
IMG_1949

古の人々がこの道を通った様子を想像するだけで感動します。

しかしこの道は数年に一度くらいしか使われていなかったそうだ。
それなのにこの道を作るか。ロマンあるね。


ここから旧鎌倉街道へと向かう。 続きはその2をご覧ください。


よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

手のひらの熊本城(復活応援)

8月のお盆時期に突入。今年は旧日光街道を走破しようと計画していたが思わぬ怪我のため中止しました。

天気もイマイチだし、運動のできないということで以前に入手した「カードバードキャッスル 熊本城」を作成することにした。

熊本城復活のための寄付として売られていました。
名城の熊本城があのような状態になったので心を痛めていたのですがこのような企画には迷わず参加。

2000円で購入です。この売上は復活の為に寄付されるとのこと。
IMG_2835
IMG_2834

パッケージの中身を取り出すと以下のものが同梱されています。
IMG_2836

子供たちと学んで作る?対象は15歳以上と書かれている。今回はお父さんだけで作ります。
IMG_2837
IMG_2838

カードボードと言いながらも結構細かいパーツで組み立てるようです。
IMG_2839
IMG_2840

パーツを数えると100ピース。 人型の飾り入れると110ピースです。
これは、本腰入れて作るやつだ。

以前にNHK特集で熊本城の被害状況と崩れなかった創建当初の石垣の分析をしているものがあったのを思い出した。武士の英知で作り上げた地震に強い「武者返し」の石垣。武者返しではなく耐震設計の石垣だったと解説されている。このビデオを流しながら作業に入ります。

まずは、石垣から。流石に武者返しのような曲線ではないです。(笑)
IMG_2841

このクラフトは本当に良くできています。台紙から切り取りやすいししっかりした素材なので変にヘタレない。精度もきっちりしているので気持ちよく組み立てられます。
IMG_2842
IMG_2843
少しお城の雰囲気が出てきました。

ここから一気に組み立てます。
気づいたら開封後、45分経過しました。パーツが多いのでどうしても時間かかります。

完成。紙感はぬぐえませんが結構良い感じです。
IMG_2844
IMG_2845
IMG_2846
IMG_2848
IMG_2849

上から見ると少し雑な感じになります。

大きさは手のひらサイズです。

寄付なので値段は気にしていなかったがこれだけしっかり設計されているのなら2000円は決して高くない。

ご興味のある方は以下からまだ購入できるようです。
http://www.kumitate-bokin.jp/

飾り棚に置いてみました。やっぱりこの角度がGoodです。
IMG_2853

思ったより良い感じです。

よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

北斎美術館と両国ランチ&史跡

やっと梅雨っぽくなってきました。

先日、以前から訪問したいと思ったすみだ北斎美術館
IMG_2328

昨年新しく出来てからいつか行こうと思っていた。たまたま近くに用事があったので立ち寄ることに。
かなり個性的な建物です。
IMG_2326

場所柄、東京スカイツリーがすぐ近くです。
IMG_2327

ちょうど東海道の企画展が開催されていました。
IMG_2329

1階のショップには北斎関連の書籍など目を引くものがそろっていますね。
IMG_2323
IMG_2324
IMG_2325

提示室は、3階と4階

結構な人の賑わいです。しかし、年配の方が多いです。

東海道企画展では、当時の地図が宿場毎に展示されているのが良かったです。東海道を旅した記憶が蘇ってきます。

常設展より企画展の方がやっぱり内容濃かったですね。

美術館を後にし、ちょうどランチタイム。
界隈で美味い物が食べたいとネットで検索してたどりついたのがここ
「千代福」

”うなぎ”です。最近食べていないなーと思いチョイス。

IMG_2333

ここを選んだのがリーズナブルなうなぎのランチメニューがあること。
IMG_2330

注文したのは「らんち重」
1000円という価格なのに、うなぎ+焼き鳥+玉子焼きがごはんの上にのっている。
IMG_2332

流石にうなぎは小さいがうなぎ食べた満足感は十分です。

ここ、結構Goodです。
うな重でも2500円と手が届く範囲ですね。

さてうなぎを食べた満足感一杯に店を出て両国駅へ。

史跡好きにはどこを歩いても史跡の匂いを感じてしまいます。
途中の神社

IMG_2338


案内板がガッチリあるではないですか。
はんのき馬場跡。
この馬場は武士の弓場の稽古のために設けられたとのこと。
IMG_2334

そして、葛飾北斎が近くに住んでいた。良く知られているように北斎は90回以上も転居をした。
この辺りに住んでいたのは1840年ごろ。80才を超えた時期だったようだ。
IMG_2336


下町はあちこちで史跡があり本当に楽しいですね。

よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

新しい虎ノ門の史跡

東京の官庁街にある虎ノ門。
私にとっては社会に出て初めて働いた思い出の地でもある。

最近は、虎ノ門ヒルズに始まり周辺の再開発は物凄いことになっている。
建物の建て替えもかなりあり昔の面影も少なくなってきています。

虎ノ門でランチと思い、30年前によく通っていたお店に足を運ぶがことごとく無くなっていたり、お店が変わっていたりした。

その当時からの人気店であった長崎ちゃんぽんの店「長崎飯店」は今も健在でした。
お店を見つけるが、当時はお昼となると行列ができていたが今は行列どころか店内もガラリ。
味が変わったのかちょっと心配になったが、入店してちゃんぽんをいただく。味は変わっていなかったようだ。
IMG_2442


虎ノ門で気になっていた史跡がある。虎ノ門に用事があり地図を見ていたところ今までに認識していたかった史跡マークが。文化庁の敷地に「史跡 江戸城外堀跡地下展示室」と記載されている。
たぶん、文科省の建て替えが行われた時に整備されたのだろう。

虎ノ門地図

IMG_2444

この地下に行って観た。
地下通路から少し外れる非常階段のような階段。
IMG_2447

しっかり案内看板もあります。期待できます。
壁にはこんなものが。 堀の底レベルを示している。史跡好きとしてはうれしい。
IMG_2448

階段を上がると展示室が出現。
IMG_2453
IMG_2454

かなり、立派に整備されています。
展示室の奥には石垣が保存されています。
IMG_2449
IMG_2451


昔の文科省の敷地内に放置されていた石垣だったようです。

現在の地図
虎ノ門地図現代

明治初期の地図
虎ノ門明治地図

赤丸で囲った付近の石垣のようです。
この外堀は明治中期の地図を見るとはすでに埋められていました。

この展示室には詳細な解説も付いていて見ごたえあります。

IMG_2455
IMG_2456
IMG_2457
IMG_2458
IMG_2459
IMG_2460

虎ノ門に行ったときに是非立ち寄ってください。

よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

旧甲州街道をロードバイクで(府中宿~日野宿)


旧甲州街道(新宿高井戸)2

西府中駅付近にこんな交差点名。 宿場と関係するネーミングかと思ったが違っていた。
DSCF4880


□関家かなどこ跡

関家とは
江戸時代から明治初期まで鋳造を業としていた
DSCF4881
DSCF4882


□元上谷保村の常夜灯
西暦1794年に建てられた。
この常夜燈は、上谷保村の油屋(屋号、今の甲州街道北側の原田幸治氏宅)の東隣に置かれていたもの。その後、道路改修のときに現在地に移されたらしい。

200年強の月日を感じる風化具合です。


DSCF4883
DSCF4884


□元青柳村の常夜灯
上谷保村の常夜灯とほぼ同じ時期に設置されたようです。
DSCF4885


街道沿いに真新しい鳥居がありますが、細い参道が永遠と続いて言います。府中付近にもありましたが、現代に残る神社の参道は不思議な空間です。
DSCF4886


□日野の渡し
 多摩川にはいくつかの渡し場があった。旧甲州街道は日野宿に向かう途中に多摩川を渡ることになる。渡し場の場所は移動していたらしいが江戸時代の貞享年間に現在の場所に定まったらしい。


DSCF4887

DSCF4888
DSCF4889

現代の立派な橋。 ここから多摩川の日野の渡しルートを想像するのです。
DSCF4890
DSCF4891


多摩川を越えると日野宿に到着。
DSCF4892


次へ続く


よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

川越歴史ポタ(郊外編)

先週、映画「グレートウォール」を見てきました。
万里の長城を舞台にした歴史アクションです。

万里の長城建造の目的とされる一つの史説に基づき作られたとか。
60年に一度現れる得体のしれない怪物を街に入れないための壁。 怪物の数の迫力とそれを退治する爽快感はありますが、万里の長城の受け止め方少し変わったように思います。

さて、川越歴史ポタの続きです。

市街地は城下町中心の史跡でしたが、郊外はどちらかと言うと戦国時代の防衛戦略が見え隠れするポイントです。

探索ルートは以下の通り。

川越歴史ポタ1

川越城下町から北西に向かう。
入間川を越えて大穴城跡に向かう。
途中、空腹を満たすためにコンビニで昼食をとる。
IMG_2250

川越市境ですが坂戸市に入ったところに大穴城跡がある。
室町の中期頃、ここに陣屋があったと言い伝えられていますが、この城の城主が誰であったか詳しく分かりません。江戸時代は陣屋として使われて居たらしい。

遺構らしきものが見当たらない。土塁が残っているとのことだが公園整備にかき消されてよくわからない。公園内に入ってみる。
公園内に案内板を発見し、ここが大穴城跡であることを確認。

IMG_2251

更に北西に向かう。
中央自動車連絡道の手前を右折して雑木林の道を進むと大堀山館跡の案内板を発見する。
IMG_2254

うっそうとしているが雑木林の中はこんもりと盛り上がっている。ここに館があったようだ。
IMG_2252
IMG_2253

館は500年前に作られて三重の堀と土塁でできている。
鎌倉街道が近くを通っている。上杉氏の川越城と鉢形城をつなぐルートも通っており交通の要所に設置されたいたようだ。

ちょっと雑木林に足を踏み入れると空堀らしい遺構が存在する。
IMG_2255

ここから南下
旧鎌倉街道上道のルートの遺構があるとのことで立ち寄った。
市民の森見たいになってる。

IMG_2257
IMG_2258

ボランティアが作成した案内板。ここでは、堀兼道と書かれている。
本来の鎌倉街道はもっと西側を走っており、この街道は鎌倉街道の支道ということだ。
所沢付近の
古来より数々の歌に詠まれた堀兼の井戸がある場所から分岐しているので堀兼道となっている。この道は河越館にもつながっていた。

しかし、鎌倉街道の両脇土塁というような遺構は見つからなかった。
IMG_2259

今回、最終目的地の河越館跡に向かう。


平安時代末から南北朝時代にかけて武蔵国で有数の勢力を誇った武士である河越氏の居館跡。
近くに行くとのっぱらです。
IMG_2260

IMG_2278

こんな風に紹介されています。

「河越館は鎌倉時代、この地域で最大の勢力を誇った河越氏の居館です。
河越重頼源頼朝に重用され、その娘(郷御前)が源義経の正妻となっています。河越館は河越氏の居館としてだけではなく、幕府の武蔵国政庁としても機能していました。また、戦国時代初頭に起きた「長享の乱」の際には関東管領・上杉顕定河越城の扇谷上杉氏を攻撃するために7年にわたってこの地に陣(上戸陣)を構えました。その後、北条氏が河越城一帯を勢力下におさめると、重臣・大道寺政繁が砦を築いたとされています。現在、館跡一帯は「河越館史跡公園」として整備されており、一部には常楽寺が建てられています。」

IMG_2279

どこが遺構なのか分からなかったが近寄ってはっきり分かった。
堀跡が残っている。

IMG_2268

IMG_2267


館中心に堀が取り巻いている。その外側には道があったようあ。
IMG_2261
IMG_2262
IMG_2263
IMG_2264
IMG_2265
IMG_2266
IMG_2270
IMG_2271
IMG_2272
IMG_2273
IMG_2274
IMG_2275
IMG_2277

説明版が詳しい。ポイントポイントに説明されているのが良い。
人はほとんどいないのでゆっくり古の河越館の想像しながら楽しませてもらった。
帰りは雨に降られたが、充実した史跡巡りでした。


よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

川越歴史ポタ(市街地編)

GW前の週。 
川越へ歴史ポタしてきました。

川越は20年以上前に訪れたことがあるがそれ以来。
最近は小江戸として完全に観光地として定着しましたね。

自転車で川越をポタリングしたいと以前から思ってました。
GWで混み合う前の川越に行くことにしました。

観光でなく歴史スポットや史跡を回るコース。
ルートラボで経路をチェック。

これをデータでエクスポートし、Googleマップにインポート
史跡や立ち寄りスポットを入力するのにはGoogleマップの方が使いやすい。

今回の川越付近の立ち寄りルートです。

全体の立ち寄りルート
川越歴史ポタ1

川越市街地
川越歴史ポタ2


自宅から自転車で川越に向かう。
田舎道なのでやっぱり車道が狭い。

自転車お構いなしにトラックが横を通りすぎる。
神経擦り減ります。

川越までは緩やかな下りなので快調に走れるのですが荒れた道で異音が発生し気になる。
何度かチェックするものの”カチャカチャ”という音は消えず。
川越到着後、じっくりチェックしたところスプロケの締めが甘くそれで音がしていたようだ。
まあ、外れることはないのでそのまま走行。

まずは、喜多院。 正確には川越大師 喜多院。
午前中の早い時間だったので人気少なし。
IMG_2211


実は、喜多院に入るの初めて。喜多院案内係のボランティアさんが何人かいる。 
「先週までは桜があったので人で多かったけどね」

そうか、丁度良く混み合う週から外れたようだ。
慈眼堂でお参りを済ませ、客殿(重要文化財)へ入る。入場料400円であるが江戸城から移築さえた家光誕生の部屋など将軍の部屋、春日局の部屋があるとのことで見ものです。

IMG_2212

庭も見処です。
IMG_2218


部屋の外から撮影。
IMG_2215

将軍のトイレとお風呂。 来場者は興味深々で覗かれていきますね。
IMG_2217

部屋を見ながら当時の状況を想像して楽しめます。

入館料には五百羅漢像見学もついています。
IMG_2221
IMG_2225

表情は全部違います。表情を見るだけでも楽しい。
「暦応の古碑」 喜多院の歴代住職の名前が刻まれている。県の史跡に指定されている。
IMG_2228


小一時間使ったかな?
喜多院山門付近にある甘いもののお店で好物の”かりんと饅頭”を購入。

IMG_2230

その名も”つばさかりん” その場で上げているので表面がカリカリ。中身は川越らしく小豆餡でなく芋餡が使われている。
IMG_2231
IMG_2232

この足で川越歴史博物館に立ち寄るつもりだったが前まで行くと細いビルに館長らしき方が入口で構えている。観光地博物館的なにおいがしたのでパス。

大正ロマン通りを通り抜ける。 なかなか良い街並みである。端午の節句シーズンなので鯉のぼりが所狭しと吊り下げられています。
IMG_2233

建物もレトロでいいですね。
IMG_2234
IMG_2236

小一時間使ったかな? このまま、「時の鐘」があるメイン通りへ。

GW前とは言えども観光客は多いです。 歩道がないので結構自動車通りにくそう。

IMG_2237

IMG_2239
IMG_2242

何か食べようと思ったが、お店が観光観光しているので引いた。
時の鐘と記念撮影。

このあと、お菓子横丁に寄りこのまま、川越城本丸へ。

お菓子横丁。
IMG_2243

川越城本丸。

IMG_2245
入館料は100円と安い。
川越城は焼失してしまったので当時のものは残っていない。
天守閣を持たないお城。

IMG_2247


現在は、奉行詰所の一部が建物として見学できる。(建物図の赤く囲まれている建物)
IMG_2248


ここから川越郊外の史跡に向かう。
つづく。


よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

二・二六事件の是清邸

2月26日

そうです。今日は二・二六事件があった日ですね。
事件は1936年。 81年前になります。

海外ではクーデターがたまにありますが、日本でも80年前にあったのですね。

赤坂から青山に向かう途中に高橋是清翁記念公園があります。
この二・二六事件で犠牲になった高橋是清邸があった場所。
100名近くの兵員がこの場へ襲撃に来たとのこと。

今は、ひっそりとした公園です。人影はほとんどなく森に囲まれているのでちょっと暗いです。
当時の屋敷跡の雰囲気は残っていますね。

IMG_1320

赤坂区役所があった場所でもある。
赤坂区? 青山地区と赤坂地区が赤坂区だったようだ。
IMG_1321

公園内には石碑が立っています。
昭和16年 東京市の石碑。高橋是清がこの地で事件に巻き込まれたことを記載している。

IMG_1322

公園といってもうっそうとしていて、人気は少ないです。
高橋是清像が像が公園内に設置されています。堂々としていますね。

IMG_1323

石灯籠は是清邸にあったものそのままでしょうか。
IMG_1324
IMG_1325
IMG_1326

この地にあった建物は戦時中に焼失したらしいが、母屋は小金井公園にある江戸東京たてもの園に移設されています。

そのまま移設されているのでリアルです。
中に入ったことがありますが当時のまま。 是清が討たれた部屋も当時のままです。
襲撃された部屋から見る庭。
DSC07065

この部屋には是清が残した掛け軸が飾られています。
DSC07066

この掛け軸は襲撃の場にもあったのでしょうか。

歴史の舞台となっているこの地ですが、地図で見るとこんな感じ。

現在の地図はこれ
青山通り沿い。カナダ大使館のお隣です。
IMG_1716

明治初期の地図
赤く囲った場所です。
この周辺は畑や竹林があったのですね。
青山通りから奥に入ったところにはほとんど道路ないです。

段差がある場所の上側にその後道路が整備されたことが現在の地図と比較すると良くわかります。
IMG_1717

大正時代の地図
青山通りに路面電車が出現
枠で囲った場所に建物がありますがこれが是清邸だったと思われます。
路面電車の”赤坂表町”の駅前にあったというこですかね。
IMG_1718 (1)

上空からの写真
昭和20年代の写真です。すでに建物は無くなっています。
終戦前でも周囲は空き地が多い状況だったようです。空襲の影響かな?

IMG_1719


歴史の舞台の変遷を少し追ってみました。


よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

新宿に残る旧青梅街道の痕跡

寒い。

東北地方はひどいことになっていますね。
週末も大変なことに・・・・
センター試験受験の方も気になります。

さて、先日何気に新宿を歩いていたところ、こんな標識を見つけました。
IMG_1528

"旧青梅街道"

青梅街道は現在もしっかり道路としてあるが、”旧”がついているので現在と違うということかな。

青梅街道は内藤宿から青梅街道と甲州街道に分岐している。
そこが青梅街道の出発点。

この標識は新宿東口アルタ付近から西口に抜けるJR下を通る通路の入り口にある。
以前はなかったと思うがいつからできたのかな。

新宿付近の青梅街道の今昔をチェックしてみた。

〇明治時代初期

ダイヤのマークあたりが”旧青梅街道の標識”があった場所。
街道沿いに建物があるがそれ以外はのっぱらですね。
IMG_1675

〇明治時代後期

赤線が青梅街道。 JR線ができています。
このJR線は青梅街道を横断しています。
IMG_1676

〇大正時代
まだ、青梅街道は当初のルートのまま残っています。
IMG_1677

〇昭和時代初期
路面電車が整備されています。
黄色いラインが靖国通り。 靖国通りに路面電車の路線が整備されています。
IMG_1678

〇昭和時代初期
新宿西口にロータリーができて整備され始めました。
このころの地図から淀橋エリアに浄水場が記載されています。
IMG_1679


〇昭和中期
現在の新宿の姿に近くなっていますが、まだ淀橋浄水場は存在しています。
この時代くらいから西口の青梅街道のルートは消されつつあります。
旧青梅街道現代


とうことで、”旧青梅街道”の標識があった場所はやっぱり旧青梅街道。
今の青梅街道は靖国通りとドッキングしています。

西口に抜けるトンネルの入り口にはこんな説明書きがあります。
IMG_1534

IMG_1529

青梅街道には10か所の宿場があったようです。
開通当時は石炭の道として八王子から江戸へ石炭が運ばれたが、後半は農作物のルートとなったと説明されている。
IMG_1530

IMG_1531

切絵地図が付けらえており、現在位置も示されている。
よく見えないが”成瀬甚八”さんの土地だったようだ。

写真は昭和30年ごろ。新宿駅前に建物ができ始めている。関東大震災以後は被害の少ない東京の西側に移住した人が多く、新宿がターミナル駅へと変貌し始めた時期でもある。

IMG_1532

路面電車が交通の中心となっている。昭和38年ごろ。私が生まれたころです。
IMG_1533

昭和45年には路面電車は荒川線以外廃止されている。

新宿の変遷をこのように紹介されるのも歴史ブームのお陰なのか。

新宿東口と西口をつなぐこのトンネルは現在は通り抜ける便利な道であるが旧青梅街道だったのですね。
若干西口あたりは旧青梅街道としてのルートがなくなっているが東口は当時のまま残っている。

今度、この道を通るときは味わいながら歩くことにしたい。

よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

石神井川の源流を真剣に探索その2

3連休のなか日。

夕方から雨の予報。
AMにジョギングに繰り出す。

しかし、昨日の石神井川源流を調べていたら現場に言ってみたくなった。
地図上で隠れてしまった石神井川の源流を推測できたが、現状はどうなっているのだろうか。
石神井川推測図

いつものジョギングコースである小金井公園を走りそこから玉川上水に出る。
IMG_1565
名勝、小金井桜の石碑。
桜の季節まではあと3ヵ月。楽しみです。

さて、そのまま西へ向かい、小金井カントリークラブの敷地隅に向かう。

地形的には窪地になっているエリアに石神井川が流れていたと思う。
石神井川起伏2
窪地の左端あたりが小金井カントリークラブと鈴木小学校がある。

ゴルフ場に近づくと早速坂が出没。
IMG_1568

ゴルフ場敷地で川があっただろう場所。
IMG_1573

ここから流れが出ていたはずだ。
明らかに窪地の一番低い場所に位置する。
IMG_1572

住宅地の川筋を探ってみた。
下の地図の赤いラインが川筋予測ライン。
青いラインが探索したルート。
IMG_1594

IMG_1574

下水道が下を流れているのだろうが、川筋と重なっている。

川筋らしき道は超緩やかな登りとなっている。
IMG_1578

突き当りが鈴木小学校。
小学校の敷地は1.5mほど高くなっているので、壁には排水穴がいくつも設置されている。
水の流れを感じます。
IMG_1581
IMG_1583

写真中央の赤い家あたりが一番低い場所なので川の始まり箇所かな?

鈴木小学校の門が開いていてグランドではサッカーをやっていた。ちょっとだけ様子を確認させもらった。
IMG_1587
IMG_1589

古代の泉の場所はどこかわからなかったがあまりウロウロしていると怪しい人の間違えられてもいやなので退散。

帰り道、この付近の鈴木新田開発用に引き込まれた用水路後を通りかかった。
玉川上水から引き込んだ用水路であるが今は水はない。
IMG_1594-1


IMG_1591
IMG_1593

現場に行っても川の明確な痕跡はなかったが、何となく納得できた。

よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

石神井川の源流を真剣に探ってみた

年が明けてから早くも1週間が経ちました。

新年会も多数あり、体はブヨブヨです。(笑)

こんな状況なので今朝はジョグへ。

多摩湖サイクリングロードと小金井公園のルートです。

多摩サイクリングロードから小金井公園に向かう道。公園手前で谷になる。そこには川が流れている。
河川については、そんなに気にしていなかったがこんな看板が目に入ってきた。

IMG_1557

「石神井川上流端」
おおっ。この川は石神井川だったのか。
しかし、私が知っている石神井川とはちょっと違う。 川というよりは溝があるだけ。
それも水はない。

看板の通り、ここは上流端であり川の源流ということなのか。
地図を見てみると確かに石神井川が記載されておりこの付近で川の線が途切れている。

TVで川の源流を探す番組を見たことがある。荒川なんかは相当な山の中に源流があるようだが石神井川の源流はこんなところなのか。

練馬に住んでいた子供に見た石神井川は20mくらいの川幅で汚い水が流れていた。
旧中山道の板橋宿にも石神井川が流れていたが、非常に澄んだ清流になっていたことにびっくりしたことを思い出した。


そもそも、石神井川の源流は石神井池だと思っていた。正確には三宝寺池かな。
石神井池は三宝寺池から流れ出る水を堰き止めて作った池と聞いたことがある。

そこから、隅田川まで40m強の標高差を15kmくらいの距離でダラダラと流れている。標高差がそんなにないのでグネグネとした川筋となっている。

石神井川ルート


地図を見るとさらに上流まで、そして小金井公園くらいで途切れている。
気になったので地図に載っている川の最上流まで辿ってみた。

IMG_1558

この先からは暗渠となっており川は確認できない。
IMG_1559

さらに進むと嘉悦大学敷地手前まで行ける。
左手は小金井カントリークラブ。

IMG_1562

嘉悦大学から先は柵があるので進むことはできない。
暗渠から川筋らしい溝が小金井カントリークラブに向かっている。

地図でいうとこの辺りまできた。

石神井川上端

地図では、さらに川があるように示しているが水など全くない。
IMG_1561

ゴルフ場にも大学にも入る訳にはいかないので、ここで断念。
ジョギングを終えて自宅に帰っても気になって調べてみた。

そうするとこの先の鈴木小学校が源流となっていたとのこと。
湧き水が出ていたらしい。

昭和前半まではそれなりの水量だったようだが、都市化でアスファルトや建物が増えて地下に流れる水が少なくなり枯渇したようだ。大雨の時くらいしか今は流れていないらしい。

鈴木小学校の場所を地図で確認。

地図には川らしきものはない。わずかにゴルフ場内に川筋らしいものが見える。
ふと秀逸な地図アプリがスマホにあることを思い出した。
この地図は、標高を細かく確認できるのだ。


スーパー地形

こんな感じで、地図の中心の十字の標高が細かく表示される。これを使えば窪地を確認できるではないか。
細かく標高が一番低くなっている場所を探しながら川筋を予測してみた。

この赤い線がルートになっている。小金井カントリークラブ敷地内の川筋とも合致した。

石神井川推測図

嘉悦大学前は標高61.5mくらい。
ゴルフ場内の川筋は、61.8m
小金井街道の向こうもゴルフ場敷地内であるが地図でも明らかに窪地になっている。
この辺の窪地は標高64.5mくらい。すでに3mくらいは上がっていることになる。
ゴルフ場内も航空写真でこの想定ラインを落としてみると川筋らしいものがある。


ゴルフ場内川筋

ゴルフ場から先は住宅地。
住宅地内も標高を細かくチェックすると標高65m~66mの低いラインが引ける。

そうしたら鈴木小学校敷地にラインはぶち当たった。
この推測ルートは正解のように思える。

過去の航空写真で鈴木小学校あたりを確認していたらこんなものを発見。

1974年の航空写真なので今から43年前となる。まだ小学校は建設されていない。
昭和51年に鈴木小学校が建設されたので工事途中の写真のようだ。

鈴木小学校建設の際には約1~3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかったことでも有名である。
鈴木遺跡として現在も資料館ができている。

赤丸の中に川筋のような黒いラインが映っている。もしかしたらこれが石神井川の源流かも。
標高から割り出した場所と合致したのも興味深い。
資料文献によるとこの地には水車もあったらしい。水車の水路かもしれないが。


鈴木小学校川筋


こんなに真剣に調べるつもりはなかったがついついのめり込んでしまった。(笑)

(追加)
この投稿をした後にこんな地形図があることに気づいた。同じアプリのメニュー。
石神井川起伏2

十字のあたりが嘉悦大学。
右側が川下になる。 この谷間の終点が鈴木小学校だ。
鈴木小学校は崖の下に立つので湧き水が発生しやすい場所だと思う。
この地形図からも源流は小学校あたりであることを証明しています。

なお、この小学校から2007年に湧き水が出たとのこと。古代の泉と呼んでいるらしい。
ネットにこの泉の写真があったので掲載させてもらいます。
a0149405_1002051.jpg


よかったらポチってください 

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

赤坂溜池あたりの窪地に魅せられて

赤坂見付から溜池交差点までは江戸時代まで池があったことは有名である。

赤坂、溜池付近は凹凸が激しい地形なので溜池以外にも妙な窪地があったりする。

今回気になったのはここ。

赤丸の窪地です。明治初期の地図ですが完全に池になっています。
IMG_1595-1

拡大するとこんな感じ
崖に囲まれた窪地になっています。池の周囲には竹の文字が。
多分竹林があったのだろう。

IMG_1605

崖の上には畑と記載されている。

段彩陰影の起伏図で見ると赤丸のあたり。確かにぐっとく窪んでいるがこのあたりは一帯が低地となっている。
IMG_1609


これを見ると現在はどうなっているのか気になってくる。

明治終わりの地図。
既にこの池はなくなっている。窪地の横にある「荒」、「畑」と記載されている場所に僅かであるが池が残っている。
IMG_1606

昭和30年代の地図
水たまりのような池はこの時もまだ残存している。

IMG_1608

今はどうなったかというと。
IMG_1604

高層ビルが立ち並び、湿地の面影は全くないです。

昭和20年代の航空写真。
黄色い〇で囲った場所はまだ小さな池が残っていますが、赤い〇の部分の窪地は地図と同じように建物が建っているのが良くわかります。

IMG_1610

となるともうすで現地に行っても何もないのかな。

現地に行くと何かあるかもしれないとお昼の時間に足を運んでみた。

現在の地図に落とす。
オレンジ色のルートを歩いてみた。
IMG_1613

明治終わり
IMG_1612


オレンジ線の左上は一番土地が高くなっている。
おしゃれなレストランがあります。
IMG_0386

このレストランはVの字で挟まれていますが、いずれも下り坂。
左手に進む。
IMG_0387


下っていますね。
左手を進むと神社の入口があります。
IMG_0389


地図は神社マークだったが今は観音様を祀っている。境内に入ってみたが猫の額のように狭い。
ここから下ると直ぐに平らになり広大な駐車場が
このあたりも湿地だったと思われる。
IMG_0390

先ほどのオレンジ線の通りより一本平行に走る道を通ってみるがなんの痕跡もない。
GPSで昔の地図に今の場所をプロットしてみたら、なんと窪地の池の真ん中じゃないか。
IMG_0388

地形はなんとなく残っているが何も史跡や痕跡を発見することはできなかった。
でも、今も住宅が立て込み細い道が通る都心とは思えない鬱蒼感は残っています。
IMG_1526


まあ、こんなこともあるさ。(笑)

よかったらポチってください

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

赤坂日枝神社散策

シルバーウィークですね。
今週は天候に恵まれずに生憎でした。

昨年のシルバーウィークは中山道を完走しましたね。
2回に分けた残り部分。佐久平付近から草津まで。昨年は天候に恵まれて快適でした。

1年か。 早いね。しかし、あれからロードバイクにはほとんど乗っていない。 脚力落ちたろうな。

さて、職場の近くにある赤坂日枝神社。オフィスの窓からいつも良く見えます。
  
日枝神社は小高い丘の上にあるのでかなりの登りがありますが最近はエスカレータなんかできちまって情緒が失われています。

明治初期。 日枝神社の横に川のように長い細いのが溜池です。
低地の丘ですね。
IMG_1566

最近の地図

高崎邸の跡地に日比谷高校ができたのがよく分かりますね。
IMG_1569

今回は、情緒が残っている赤い鳥居の階段から登ることにした。
IMG_1001

ここ、絵になります。外人さんには大変喜ばれる撮影ポイントです。

登りきると蔵でしょうか。神社の家紋??
IMG_1003

鬱蒼とした木々で取り囲まれている神社
IMG_1005

ぐるりと境内を回ると正面の門に到着
IMG_1007

門の横にはこれ。
リオオリンピックでは”君が代”が多く流れました。
その君が代に歌詞に出てくる「さざれ石」

さざれ石ってなんだ。こんな解説があります。
もともと小さな
の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す」
長い年月を表現するのに使われたんだね。

IMG_1008
IMG_1010

こちらは最近できた石段とエスカレータ。立派です。
IMG_1013

私はみなさんが行かないようなポイントをチェック
境内の裏手に行く。
境内から大分くだったところにこのような木造の家がある。質素だが雰囲気があります。
IMG_1022

IMG_1018

正面に出ると提灯が。日本料理やさんのようです。
IMG_1023

この山の茶屋の通りを挟んで反対側には日比谷高校です。
IMG_1024
IMG_1025

日枝神社の近くにはこんな案内板がある。
IMG_1026

ちょっと文字が小さいのでこんな風に解説されています。
江戸城内に社(やしろ)があった古い歴史をもつここ日枝神社は、かつては、南は芝、西は麹町、東は霊厳島小網町、北は神田に至る、広大な氏子地域をもっていましたが、それは明治の初め東京の酪農誕生の地域でもありました。

 明治6年にはすでに7軒の牧場があり、竹橋には、吉野文蔵が幕府の牧場を引き継ぎ、芝桜川には明治4年、洋式搾乳の先駆者前田留吉が、下谷には旧幕臣辻村義久が、麹町五番町には阪川当晴が、そして木挽町に越前屋守川幸吉が牧場を開きました。」

意外ですね。幕府が倒幕された武士が廃業して牧場を始めたという経緯ですね。
乳牛が都心の真ん中んにいたようです。

ここは日枝神社の駐車場。
IMG_1027

私が注目したのは、ちょっと前までここには池があったこと。

今は痕跡ない。

地図で見ると、
明治初期にはしっかり池が示されている。
(日枝神社の右上)

BlogPaint

昭和40年には消え去っている。
IMG_1569

写真でもはっきり残っています。
IMG_1572

こんなにしっかりした池は埋め立てられたのだろうか。
痕跡がないかチェックする。

唯一あったのがこの石垣だろうか。池の縁に存在していた。?
IMG_1028

ここからはキャピタル東急がすぐ近くにあります。
建て替えらえて立派になっています。
IMG_1029

ここは、国会の議員会館の近くなので議員さんが良く利用されています。
議員会館も私が出入りしていた時と比べると建て替えれて近代的になっています。
IMG_1033

議員会館の入口近くには趣のあるお店があります。
漆喰の彫刻。

「黒澤」
IMG_1030

入口
IMG_1031
IMG_1032

高級そうであるがお蕎麦屋さんである。
ランチは手ごろな値段て食べれるようなので今度来てみるか。



よかったらポチってください

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へにほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へにほんブログ村 自転車ブログ ロードバイクへ

ギャラリー
  • 3峠/月
  • 3峠/月
  • 3峠/月
  • 3峠/月
  • 3峠/月
  • 3峠/月
プロフィール

旧東海道走破

QRコード
QRコード
livedoor 天気