旧街道をロードバイクで!ゼロからの挑戦

古地図を使い街巡りが大好きなオジサンです。古地図を片手に都内の散策にそろそろ飽き、旧街道の文化に触れたくなりました。古の街道をめぐるために、ロードバイクを購入して全国に挑みます。流行を追ってロードバイクに乗るわけではありません。まずは、五街道。次に四国八十八カ所、最後はスペインの聖地巡礼サンティアゴに・・・ ゼロから達成までの記録です。

史跡

旧甲州街道をロードバイクで(谷ケ原宿~上諏訪)

旧甲州街道をロードバイクで巡る旅2日目の続きです。

甲府を出発し、久しぶりに宿場町らしい台ケ原宿の酒蔵で休憩。
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次の宿場へ向かいます。

【谷ケ原宿~蔦木宿】
甲府宿~蔦木宿地図

谷ケ原宿付近は白州の良質な水を使ったお酒があちらこちらで作られています。
サントリー白州の工場もこの近くですね。

教来石宿通過。ここは何にもないですね。

国道20号とほぼ平行に走る旧街道をしばらく進む。度々出てくる明治天皇休憩所跡。
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小淵沢の南側を通過したあたりで、タイヤから”プシュー”とう音が。
街道の旅で今までパンクしたことはなかったが初めてのパンクです。
日影を見つけて修理することに。
国道と交差する付近にあったサンコーラインという会社の営業所の軒下を拝借。
大きな釘など踏んだわけでないが穴が二つ開いていた。
この時はパンクの原因はわからず、とりあえずパンクを修理。
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この営業所の横が旧甲州街道であったがどうも道が荒れている。パンクしたこともありこの道を避けたがこれが正解だった。釜無川を渡る橋が閉鎖されていた。無駄足を踏まずにすんだ。

日蓮上人の高座石の当たりを通ったときにまた”プシュー”という音。
パンク修理したが穴が大きく簡易修理ではだめだったようだ。
このチューブは諦め、予備のチューブに取り換える。
この日2度目の空気入れ。疲れました。

◆応安の古碑
応安とは北朝の年号で、諏訪郡で最古のものである。
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◆蔦木宿
蔦木宿に到着。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒
甲州街道43番目の宿場町です。
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【蔦木宿~上諏訪】
蔦木宿は民家は街道沿いにあるものの写真の通り宿場の雰囲気は残っていません。
更に先に進み金沢宿へ向かう。
金沢宿~上諏訪宿

御射山神戸一里塚
国道20号から離れて旧街道を行く。 街道を走っているなーという実感。
ダラダラと登ってきたが、ここで最高地点。(917m)
ここには街道の左右に当時の遺構がそのまま残っている立派な一里塚跡があります。
甲府~下諏訪断面

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この辺から中央本線の近くを走るルートとなる。
鉄道の駅の近くを走るのでお店が増えてきて嬉しい。

金沢宿は気が付いたら通過していた。

金沢宿を通過して走ると茅野駅近くまで到着。
もう諏訪までは目と鼻の先である。

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茅野駅を過ぎて中央線を跨ぎ山手側へ旧街道は位置を取ります。

◆甲州街道51番目の一里塚跡
日本橋から200km超えたんだ。
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更に諏訪に向かうとおお、酒蔵発見。
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あのメジャーな「真澄」です。
やっぱり中に入ることに。
蔵の中はこんなおしゃれな内装になっています。
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有料だが6種類のお酒の利き酒ができる。実質飲み放題。(笑)
ここでも、指を加えて我慢。見るだけ。
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後ろ髪をひかれる思いで次へ。
◆一里塚跡
52里目ですね。
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旧街道は諏訪湖の東岸の山の麓を走ります。
国道は平たんな場所を走るが旧街道は起伏ある道になります。
どこの街道もこのようなルート付けをしているようです。
上諏訪~下諏訪

水の影響を受けない?からかと勝手に思っていますが、今回走ってもう一つの理由を思いつきました。
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どうですか。景色が良いですよね。旅人の目にも優しかったのではないかな。
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◆承知川橋の石
この一枚岩は長く甲州道中の承知川にかかっていた橋石である。
伝説によると永禄四年武田信玄が川中島の戦の砌、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願を約し社殿の建替と千手堂に三重の塔の建立を約して出陣したという。

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ゴールです。
◆諏訪大社下社秋宮
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自転車を止めてお参り。
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荘厳です。

旧甲州街道の終点はここ。中山道と甲州街道の分岐点になります。
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時間は、15時。
お昼食べていないので上諏訪の街でお店を探したが、どこもランチは終了。
お土産屋でおやきが売られていたのでこれをとりあえずお腹の中に入れ込んだ。
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アイスもね。
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これで、旅は終了。

下諏訪駅に向かう。
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御柱が駅にたてられています。
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自転車を輪行袋に詰める準備をしていたところまた、”プシュー”という音が。
パンクしたようだ。あとで分かったのだがどこかでタイヤの側面を気づ付けていたためにその傷と擦れてチューブに穴が開いたようだ。
しかし、最後まで持ってくれて運河良かった。
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次の特急電車を待つ間に無事に旅を終えたお祝いに山並みを眺めながらビールを頂いた。
帰りは、こんな地元でしか買えないお茶をゲット。
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車内販売で甲府らしいこんなものが売っていたのでついつい手が出てしまいます。
二日間でアイス7個は食べたな。
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旧甲州街道をロードバイクで(野田尻宿~花咲宿)

旧甲州街道をロードバイクで巡る旅の続きです。

【野田尻宿~上鳥沢宿】
野田尻宿~花咲宿地図


酷暑の洗礼を受け、野田尻宿手前で体が悲鳴を上げた。
談合坂SAで休むものの、屋内の涼しい場所の確保はできなかった。
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高速道路のSAですが、一般道からも入れます。
ヘルメットにサイクルウェアーを着てウロウロしているの周りの人が訝し気に私に目線を送ってきます。
汗臭いのもあるのか。(笑)
野田尻宿は高速道路の登り側にあるのだが、暑さでぼうっとしていたこともあり野田尻宿分岐の標識を見逃していた。
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通過してしまったので、戻る元気なく前に進む。

ここから中央高速道路から反れていく。
反れていくだけならいいが、また、永遠と続く坂道が始まった。

◆矢坪坂の古戦場跡
享禄3年(1530)4月23日、相模国の北条氏綱の軍勢が甲斐国に攻め込み、迎え撃つ甲斐国小山田越中守の手勢と矢坪坂で激戦が展開された。

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少し山間エリアになり、直射日光を避けられる道も出てきてホットした。

犬目宿は途中にあったが、表示等見当たらず通過した。

しばらく進むと日本橋から初めて一里塚跡らしい遺構に出くわす。

◆恋塚の一里塚跡
21里目になります。
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登りは続き、気づいたら野田尻宿から300m登っていた。(標高550m)

相当、ダメージあり。途中コンビニエンスストアもなければ自販機もなし。
しかし、一里塚跡を過ぎたあたりで下りに変わった。

ひたすら、旧甲州街道沿いを進み山間エリアからJR中央線に近づく。
下鳥沢宿付近に到着するとようやく民家が見えてきた。

◆22里目の一里塚跡。
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◆下鳥沢宿
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒
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◆上鳥沢宿
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13軒
鳥沢宿は上、下が近くにあります。
上はやっぱり京都側なのですね。
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【上鳥沢宿~花咲宿】
鳥沢宿~花咲宿地図

上鳥沢宿を通過すると八王子を出発してから初めて観光地らしい名所である猿橋に到着。

◆猿橋(奇橋)
長野県上松町の「木曽の桟」、山口県岩国市の「錦帯橋」と並んで奇妙な形をしている橋から日本三大奇矯(日本三奇橋)と呼ばれている。古くは7世紀頃に作られたと伝えられ、鎌倉時代には存在していたらしい。

歌川広重もこの猿橋近くの茶屋で食事をして一休みした。
私もしばし、日影で川音を聞きながら和みタイム。
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この辺りからはJR中央線と並行に走る街中ルート。
猿橋駅近くの猿橋宿、駒橋宿、大月駅近くの大月宿を通過。

そして花咲宿へ。

◆花咲宿
こちらの宿場も上、下分かれていた。
下花咲宿
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13軒

 本陣跡
星野家が名主・問屋を勤めた。鬼瓦葺き切妻造りの母屋や籾倉、味噌蔵や文庫蔵及び家相図は国指定文化財である。
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ここからは、甲州街道一番の難所であった笹子峠に向かいます。
永遠と登りが続く。正直前半のダメージと酷暑などで筋肉のへばりを感じてきました。

次へ続く。

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旧甲州街道をロードバイクで(小原宿~野田尻宿)

旧甲州街道をロードバイクで巡る旅の続きです。

小仏峠を越えて小原宿に到着。 思ったより足場が悪くハードな峠越えだったことと下りは暑さにやられたことからかなり体力を消耗。
眼下に見える相模湖が心を癒してくれる。

【小原宿~吉野宿】
小原宿~吉野宿地図

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本陣を後にして次に進みます。

ここからは、国道20号と旧甲州街道が絡み合うようになっています。
国道20号の方がフラットでかつ最短ルートですが、旧街道は起伏激しく、くねくね曲がっておりそして道が狭く舗装でないところもある。

この道が予想以上に時間を費やすことに。
与瀬宿は、いつの間にか通過。

旧甲州街道と中央高速道路の下を通過するが、中央高速道路建設時に旧甲州街道は潰されたようである。橋げたの細いところを通り抜ければ良いようだが人ひとり歩くのも厳しい幅である。

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この道を諦めて、向こう側に出て続きの道を探った。やっぱり未舗装道路である。
折角、旧街道に戻り着いたら、行き止まり。勘弁してほしい。
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気を取り直してこの区間は国道20号を走る。
度々、国道20号から分岐する旧甲州街道。

そのたびにアップダウンも繰り返す。


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◆吉野宿
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3軒

小さな宿場町の吉野宿
高札場の木標。

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高遠藩、飯田藩などの参勤交代の常宿として栄えました。
写真の建物は元旅籠「藤屋」です。建物は明治30年に建て替えられたものですが、重要文化財。


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中を覗いてみると展示コーナーがあるようですが、時間が押しているので観ずに進んだ。
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藤屋の正面は本陣跡になります。

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吉野宿~野田尻宿
吉野宿~野田尻宿

吉野宿を過ぎるとまた、未舗装の旧街道が現れる。
国道20号と旧甲州街道を代わる代わる進むが、旧甲州街道はやっぱりこんな道が多い。
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林の中を進み、また登りながらJRを跨ぐ。
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細い道なので自転車を降りての走行は結構つらい。

◆関野宿
関野宿に到着。本陣跡が見当たらなかった。

◆関野宿
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3軒

しかし、甲州街道の宿場間隔は短い。

この後、旧甲州街道は脇道にそれること何度もあるが、時間がかかる未舗装道路はパスすることにした。まだまだ、先は長い。


◆上野原宿
 久々に街並みがある宿場跡。 上野原名物のまんじゅうを買う暇がなくなり通過のみとなった。
 
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠20軒、6町18間の規模を持ち大きく新町と本町の2つの町で構成さ
 れ、交代で伝馬継ぎ立てを行っていました。
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◆鶴川宿
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠8軒
今は、さびしく道標が建っているだけ。
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大椚一里塚跡

久々に整備された一里塚跡です。
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ここまで来たのだが、暑さと未舗装道路そしてアップダウン。 熱中症の危険を感じ始めた。

中央高速道路と並行して進むが、本来の旧街道高速道路と重なっていたと思われる。
この区間は影になるものがなく炎天下にさらされてふらふら。

◆長峰碧跡
北条氏と武田氏が小競り合いをした中世の古戦場でした。ここに加藤丹後守景忠が砦を築き、外敵進攻に備えたと言われます。
高速道路建設時に移設された石碑
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野田尻宿に到着するまでに熱中症アラームが体の中で鳴った。
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野田尻宿の手前に中央高速道路の談合坂サービスエリアがある。
もうここで休憩しないと先に進むのは危ない。

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しかし、SA内は激混み。
塩のタブレットを購入。おにぎり一つ。水分補給をして再出発。
本当は涼しい室内がよかったが、満席なので屋外のベンチ。つらかった。

次へつづく。

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旧甲州街道をロードバイクで(横山宿~小原宿)

五街道をロードバイクで巡る旅は、四街道目となる旧甲州街道にチャレンジです。

昨年に日本橋から横山宿(八王子)まで巡ったのでその続きです。
余裕を持って1泊2日の行程にしました。

初日は、横山宿から甲府宿までの街道距離で91km。
実際走った距離は105mです。

この区間は、小仏峠、笹子峠とうい甲州街道内で難所がある区間です。

【横山宿~駒木野宿】 8km
自宅から自走して八王子に到着。
ここ、横山町交差点からスタートです。

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このエリアは旧甲州街道は現在の国道20号です。
高尾までは都会の喧騒を残す道となっています。
この日は、朝食を取らずに出発したので高尾駅付近のコンビニで小休止。

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朝食を食べ終えて再スタート。
高尾駅を通過後、JRを潜ったらすぐに右に折れる道が旧甲州街道です。
この道に入ると街道っぽい空気が広がります。

ここから小仏峠に向かって徐々に登りが始まる。
そして最初の史跡。
◆小仏関所跡
江戸時代、甲州道中でもっとも堅固と言われた関所です。
天正年間(天正元年(1573年)から文禄元年(1592年))に北条氏照が武蔵国と相模国境の要衝として小仏峠の頂上に築いたのがはじまりと言われ、その後麓に下ろされ、更に北条氏滅亡後の天正18年(1590年)に関東に入った徳川家康によって、現在地に移設され整備されたといわれています。

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街道の左手は川、右手は山となっており通り抜けにくい場所に関所があります。
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明治2年に関所は廃止されて現在は広い空き地となっています。
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◆駒木野宿跡
現在は、立派な石碑が建っていてこの場所が宿場であったことを示しています。
しかし、街並みはなく宿場の面影はありません。
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【駒木野宿~小仏峠~小原宿】
駒木野宿を過ぎて舗装された旧甲州街道を更に登っていきます。
途中まで舗装されている道路ですが、途中からは登山道に変わります。
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前々日に台風が襲来したので山道が荒れていないか気にしていたのですが、やっぱりところどころで山水が道に染み出ていて滑りやすく注意深く登山。
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この辺まではなだらかでしたが、途中から歩くだけでもきつい勾配になってくる。
高齢の登山者を追い越し進む。自転車を持っている私を見て「自転車持っていくの凄いね」と声をかけてくれた。

有難かったのがこの道は沢沿いだったので沢のひんやりとした空気が流れてきてこの日の猛暑を忘れさせてくれた。

そして、湧き水で喉を潤す。
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道も細くなり人ひとり通れる幅になってきた。もうすぐ峠です。
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登山道を歩くこと30分強。やっと峠に到着です。
峠は割と開けていていくつもの登山道の分岐点となっています。
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小仏峠茶屋跡
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いくつも山道が分岐しているのですが、甲州街道の標識が整備されて有難い。
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あとは下りと思って気を楽にしていたが、それが結構大変でした。
道が狭く、急こう配、道はウェットなので滑りやすい。そして登りより距離がある。

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途中嫌になるほどの下り。登山道から舗装された道路にやっとでた。
底沢の標識が建っている。

さあ、ここから自転車に跨れると思ったら、ナビ替わりのスマホが固まっている。
何度かスタートするもダメ。予備のスマホでしのぐがiPhoneなので操作していないとスクリーン暗くなり何度も停車しながら走る苛立ち。
薄暗い山道から開けた道路に出て気持ち良い。
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◆小原宿
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◆小原宿本陣跡
小原宿には200年前の建物である本陣跡が残っている。
街道で江戸時代の本陣跡の建物はここだけらしい。
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中に入らせてもらった。
無料で見学できる。お庭を掃除していた管理の方が軽く説明して頂けました。
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下の写真は大名の泊まる部屋だったそうだ。
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横山宿~小原宿地図

次へつづく

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清瀬市郷土博物館

新しいコーナーを立ち上げます。

郷土博物館シリーズです。
各市町村では地元の歴史、文化をテーマにした郷土資料館や郷土歴史館などが整備されています。

これが結構地元にこだわったものになっている。
全国の歴史ではなく地域目線での歴史を撮らま得ているものとしては面白いです。

既に何か所も訪問しているがまだまだ数は沢山あるので東京都内は少なくとも制覇したい。

今回は清瀬市。
丁度、知り合いの方が個展をやっていたので清瀬市郷土博物館を訪問

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林先生は色鉛筆画で有名な方。
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これ、色鉛筆で描かれています。すごいでしょ。
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当日は、ご本人も居て実演もしていました。
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ちょっとだけ、作品のご紹介です。
清瀬市近辺の風景が多く展示されていました。
清瀬市在住の方ならば「ああ、あそこ」とすぐわかるような絵です。
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私は、林先生の水面が描かれた作品が好きですね。
この作品も雨の路面が素晴らしく表現されています。
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さて、この博物館の2階で個展が開催されていましたが、一階は博物館です。
想像していたよりも立派な建物で展示も本格的でした。

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清瀬市内にこんなに沢山の遺跡が発掘されていたのですね。
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西武鉄道の清瀬駅
当時は、武蔵野鉄道だった。
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関東ローム層の地層が柱で表現されています。分かりやすい。
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想像よりも展示が充実していました。


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東山道武蔵路の講演

週末はゴルフとかイベントが多かったのでランニングをちょいとさぼっていました。
久しぶりに今朝小金井公園までジョギング。

さくらの開花宣言があちらこちらでニュースになっていましたが、小金井公園の桜はまだですね。

先月、ランニングした時には梅が咲き始めたころでしたが今では梅の花はほとんどなくなっていました。

先月の写真
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さて、先月は歴史関連のいくつかの講演会に足を運びました。
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東山道武蔵路は既に国史跡に指定されているが、追加指定の場所がありそれの記念講演でした。

武蔵路は一部であるがあのような壮大な土木工事を整備させた権力は凄いです。
資料に載っていた東山道の地図。
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これの道の運用には公式令が出されていてこれを守らなかったときにきっちりと罰則が決められていた。
杖で打たれる数や鞭うちの数?ような罰則が記載されている。最悪は流罪。
恐怖政治だったのですね。

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この講演には多くの方が来られていたが、平均年齢は高い。
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市長さんもご挨拶。
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中々面白い内容でした。
せっかく整備された東山道がなぜ後世で使われなかったのか少し疑問ではあった。

私は、武士の戦国の世ではあのような素早い移動ができる道は反って軍事的には守りとして良くない道だったので使われなくなったのかと勝手に想像していたが、道の整備は相当大変だったらしく朝廷の力が弱くなったら整備する人がいなくなり道路として自然に朽ち果てたとの説明であった。

現代の道路もしっかり整備しないと荒れるからね。インフラは作るより守る方が大変ということでしょうかね。

東山道は全国の国分寺整備とセットなので国分寺整備の当時の実情のお話しが聞けて面白かったな。

朝廷が指示した国分寺建設の仕様は諸国の財政事情によってきっちりは守られなく塔の重数も少ない国分寺があったりしたらしい。これについての罰則はなかったのかな。

色々と勉強になりました。


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麻布界隈史跡めぐり(その1)

ブログ記事の続きです。
東京都立中央図書館で「東京散歩学」とのタイトルで公開講演を聞いたあと歴史ある元麻布エリアを散策することにした。

図書館がある有栖川記念公園付近は都内でもちょっと雰囲気が違います。
何が違うか。それは外国人が多いことですね。
公園で遊ぶ子供たち、家族連れは6割は外国人です。
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ざっと地図を見ると大使館だらけです。
ノルウェー、スイス、中華人民共和国、パキスタン・イスラム、韓国、フランス、オーストラリア、フィンランド。 


図書館で配られた散歩地図。
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目に付いたのは「がま池」
たしかブラタモリでこの辺りを紹介していた時に番組で出てきたかな。
ただの池ではなく麻布七不思議として紹介されたと記憶しています。

地図を見ながらがま池に行ってみることに。
麻布運動場を抜けたところに変わった建物がある。
なんだろう。すごいデザインです。マンション?商業施設?地図には記載がないのでわからない。
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この奇妙な建物を通過して住宅街の入組んだ道を進む。道路は広くないがこの辺は豪邸ばかりです。
ウロウロしていると案内版を発見。看板の裏側はうっそうと木が生い茂っている。
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昭和50年に作られた看板なので少しさび付いています。
内容は以下の通り。

「その昔、旗本山崎主税助治正の屋敷内の池に棲む大がまが、夜回りに出た家来を殺した。がま退治を決意した治正に、がまは白衣の老人となって夢枕に立ち、罪をわびて防火に尽くすことを誓った。その後、文政4年(1821)7月2日、麻布古川より始まった大火が山崎邸を焼かんとする折りしも邸内の古池から一匹の大蝦蟇が忽然と現れ、水を邸に吹きかけて猛火を退け山崎邸だけが火災よりまぬかれたのです。世の人々、この奇端を感じて山崎家にお守り札を乞う者が後を絶ちませんでした。このお守り札が「上の字様」と称され、江戸時代には芝赤羽橋の有馬邸から出された水天宮の御守と並び称されたものです。   「上の字様」は火傷、防火の御守として、文政4年(1821)9月より山崎家の執事、清水氏より授与されたのですが、清水氏が郷里に引き上げることになり、麻布の伝統に依るもの故、以後末広神社を通じて授与されるようにとの依頼により、昭和4年(1929)より末広神社にて「上の字様」が授与されることになりました。」

この池にはガマがいたようです。しかし、このがまは大火の時に池の水を家にかけて火災を防いだとのこと。「上の字様」として昭和には、防災のお守りを販売して売れたとの話がある。お守りで一儲けしたのは本当のようである。

当時の池は500坪もあったらしい。
今は小さな池。
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明治初期の地図では大きな池であったことが分かる。
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この池は枯れたことがないらしい。地形的には起伏がある場所なので湧き水が窪地に溜まるのだろう。

上空から見るとこんな感じ。住宅に囲まれるように今も水をたたえて居るのが分かる。
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地形図では現在の池より窪地は大きかったことが分かります。
明治初期の地図のように長細い池と合致する窪地ですね。
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ぐるっと周囲を回ってみた。建物に囲まれているので池は見えない。
すると大きな駐車場を発見。
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あの林は池の周囲にある木々ではないか。
ちょっとだけ駐車場に足をふい入れさせてもらって柵に近づいた。
あったあった。池が。枝の間に水面が光っている。
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見えやすい場所を探して移動。
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はっきり確認できました。がま池です。

やっぱりかなり小ぶりの池です。
昔の写真はこれ。横長の池ですね。池としての風格あります。今は大きな水たまりと言った感じですが。
ガマ池 昔










肉眼で確認できて満足です。

麻布運動場の方に戻り、次のばターゲットは善福寺。
ここは、江戸時代に初めてアメリカ大使館が設置された場所。そして福沢諭吉先生のお墓があることでも有名です。
このお寺、史跡密集場所なのです。元麻布に来たら外せませんね。

仙台坂を下ったところ。韓国大使館の目前に位置しています。
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この辺りは警官がやけに多い。平昌オリンピックの時期なので韓国大使館周辺の警備が強化されているのかな。
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その2へつづく。


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初冬の国分寺散策

12月に入って寒さが厳しくなりました。

ようやく骨折していた鎖骨が8割方付いた感じです。↑の部分が骨折箇所。
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もう、普段の生活に戻し落ちた筋肉をもとに戻すつもりです。
来週は、久々のロードバイク。行先は箱根と小田原飲み(笑)

先日は、かみさんのリクエストで国分寺を再散策。
国分寺の勤務先で受付の業務をしているので何かと聞かれることが多いので地理マスターしたいとのこと。
当初は自転車で行こうかと思ったが寒さのあまり自動車に変更。

以前に散策したので今回はまだ足を運んでない場所に行く。

まずは、国分寺駅前の殿ヶ谷戸庭園で紅葉を満喫。
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一番の紅葉時期なので多くの人が訪れていた。
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落ち葉も絵画のようです。

尺八と琴の演奏会もやっていました。なかなか良かったです。
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東京最後の紅葉ってところでしょうか。

この庭園は東京都が買い取っているが元の持ち主はあの岩崎弥太郎のお孫さんの彦彌太さんの別荘だったらしい。
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一族の写真。当時の雰囲気が伝わってきます。
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この足で国分寺付近へ移動。
武蔵国分寺ではなく江戸時代に再建された国分寺。
ここには万葉植物園が境内にあります。万葉集に出てくる草木花が境内の敷地にさり気なく植えられている。

仁王門
木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられている。
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この階段の先に薬師堂があります。
建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。

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中には国指定重要文化財「木造薬師如来坐像」が安置されており10月10日の御開帳時に拝観できる。

ここから武蔵国分寺資料館に移動。
お鷹の道沿いにあったが初めてはいる。

思ったより綺麗に整備された建物。
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中に入ると正面に武蔵国分寺付近の当時を想定した模型が展示されていて全容が俯瞰的に見れて良いです。
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ボランティアの案内の方が丁寧に説明して頂ける。瓦や展示物など背景やエピソードを紹介してくれて実に面白く聞けた。

この模型にもあるが、武蔵国分寺領域を表す溝が周囲に巡らされていた。
その一部が今も保存されているとのことで、武蔵国分寺の北側、裏手の方に回ってみた。
区画溝跡が地図の場所に存在している。
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人工的に作られた溝であることが断面から察することができる。
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柵の向こうに伸びる道も区画の溝があった。今はマンションを背にしているのでそれであったことは説明を受けないとわからない。

冬の日は早く落ちる。すでに薄暗くなり国分寺をあとにした。
かみさんはそれなりに楽しめたようで満足気な表情だったな。
これでお客さんに国分寺付近の史跡を尋ねられても説明できるだろう。

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夫婦で武蔵国分寺史跡周辺ポタ その4


夫婦で回った武蔵国分寺史跡のポタリング。

かみさんはママチャリでしたが、史跡、遺構の魅力に取りつかれたようで疲れを出さずに一緒に付き合ってくれました。

GoogleMapで作った史跡地図で説明しながら次なる場所へ向かいます。
七重塔跡を見た次は、ちょっと休憩したくなりました。

残すところは、おたかの湧く水と真姿の池湧水群です。
国分寺崖線を背にして武蔵国分寺が建てられていた。 武蔵台地からの端っこの崖である。 湧き水が豊富な好立地な場所でもあった。

国分寺散策地図3
地形図

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■おたカフェ
ここは史跡の駅とも称されている。
史跡の駅か、初めて聞いたな。

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こじんまりとしていて良い雰囲気。
店内。
中二階はこんな個室的な空間。

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お土産や歴史資料がそろっていました。
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お鷹の湧く水は資料館敷地内のようですが、閉館時間を過ぎたので今回はパス。

■お鷹の道
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ-トルを遊歩道として整備 されている。


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■真姿の湧水

この湧き水にはこのような伝説がある。
847年(承和14年)、当時絶世の美女と謡われた玉造小町は、業病とされた皮膚の病に冒され、その容色を失い、治療の効なく変わり果てた己が姿に、「御仏の慈悲にすがっても」と意を決し、小町は当地の国分寺を訪れ、薬師如来にぬかづいて一心に祈り続けたところ、三×七=二十一日目に一人の童子が忽然と現われ、小町をとある池の畔に誘い、「この池水にて身を洗うべし」そういいおいて童子は姿を消してしまうが、藁にもすがる想いで小町がいわれたとおりにしたところが、七日にして、元の美しい姿を取り戻した。」

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水は名水百選に選ばれているだけあって澄んでいて清らかな水である。
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崖の上に登ってみると台地っぽくフラットな土地となっていました。
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お鷹の道は京都の小道を思わせる空間がありかみさんは凄く気に入っていました。

武蔵国分寺付近の史跡を夫婦でポタリングしたが、観光地に来たような錯覚でした。

かみさんは病みつきになり回り切れていない箇所もあるのでもう一度行こうと誘われています。

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夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その3

表題のその2の続きです。

国分寺周辺の史跡、遺構の多さには今回改めて感心しましたが、それよりもかみさんの方が感銘したのではないかと思います。

私は日ごろから史跡巡りは好きなのでかなりディープに調査して訪ねて行きます。今回はそれに初めてつき合わせたのですが、かみさんもまんざらでないようで一緒に結構楽しんでいました。

さて、国分寺尼寺跡でじっくりと案内や説明版を読みながら古の空間を想像して少し時間を使いました。

いよいよメインの国分寺跡になります。
全国国分寺の中でも最大級だった武蔵国分寺。
地は東西8町、南北5町半。
東大寺が最大で最大で東西南北とも8町。これからも大規模であったことが分かる。

国分寺散策地図2

当時はこんな感じだったのでしゅうかね。
「武蔵国分寺」の画像検索結果
■国分寺南門跡

国分寺跡付近は保存地区なので空き地が多くだだっ広いです。 写真の方向が武蔵国分寺になります。
この道は当時の参道とほぼ同じ筋となっている。

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道を進むと南門跡に到着。 南門の基礎部分を復元して整備されています。
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■国分寺中門跡
こちらも最近復元されたような。何本か柱のようなものが建っていますね。
中門のあった場所をイメージさせるのでしょうが、まだ整備中でした。

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■国分寺金堂跡
南門跡からさらに北に進む。中門跡を通過すると金堂跡に到着する。
何もない広場にポツンと石碑が立っている。
創建時は間口7間、奥行4間あったどうだ。

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近づいてみると金堂跡と記されていました。
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■七重塔
金堂跡の東側に七重塔が建設されていた。
近くに行ってみると塔跡は2か所あるではないか。
835年に落雷で焼失して再建されたとあるが、同じ場所に再建されたのか場所を変えて再建されたのか明確でないらしい。

いづれにしても2か所の塔跡が発見されている。
塔跡1

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塔跡1から50m西に行った場所にこんもりとしている部分が塔跡2?
基礎跡の確認は表面からはできませんでした。

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重塔を有している諸国国分寺は多いがここは七重塔。高さにすると70m~80m? 創建当時にこれだけの建造物が作られたのは凄いです。

ここからは武蔵国分寺史跡巡りも終盤に向かいます。
つづきはその4で。
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夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その2

「夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その1」の続きです。

東山道武蔵路跡に感銘を受けた後は、旧鎌倉街道跡に行くことにした。

旧鎌倉街道の方が当然ながら東山道よりも後世にできた道である。
道幅10mの道は国府への道としては廃れて行った。
あんなに立派な道を後世の人はなぜ使わなかったのだろうかと疑問に思ってします。

私なりの解釈ではあるが、武家政治へと時代が変わるとあのような当時の高速道路のような道は領地を守る人にとっては迷惑な道であったのだろう。

東山道の原型は東海道や中山道等の幹線道路として活用はされているが何れも細くくねくねした道になっている。

これも上記の理由であろう。

旧鎌倉街道も鎌倉幕府へとつながる道であるが道幅細く、土塁で囲まれたりと戦国の為の道と化している。

その鎌倉街道の名残として当時に近いまま残っている場所が国分寺にもある。

東山道武蔵路から西へ300mくらいのところに平行して旧鎌倉街道がある。

■武蔵台遺跡敷石住居跡

旧鎌倉街道に向かう途中には、「武蔵台遺跡敷石住居跡」が公園として整備されていた。原始・古代・中世・近世の複合遺跡なので、そのうち縄文時代では縄文早期(9000年前)と縄文中期(4000年前)にムラがあり、上の敷石住居は中期の遺跡を移築して保存したものらしい。
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■鎌倉街道

ここから北に向かい坂を下ると住宅地からうっそうとした林の中に突入する。
入り口には旧鎌倉街道として保護するために通行止めとしている説明がある。

この道は切通しになっている。
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でも細い道です。

■塚

両脇には史跡が残っています。
案内版は土で汚れているので読みにくい。

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”塚”と案内には書かれている。
「中世(1415世紀頃)において種々の祈願の成就を得るために作法に則り本尊に対し祈祷するために築かれた修法壇跡伝祥応寺との関係を有するものと推考される」と説明されていた。

■伝承応寺跡

その伝承応寺が鎌倉街道を挟んで反対側にある。
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階段を上ると案内版がある。これもかなり汚れている。
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案内版には「旧鎌倉街道と言われる切通しに東面して土塁(基底部幅3m、高さ1.2m以上)と溝とで東西30m、南北45mの長方形の区画が形づくられている。現存する大小15個の礎石の分布などから東西9m南北18m程の規模の堂がその中央にあり、瓦を用いない建物だったと推定されている」と示されている。
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登ると平坦な土地が広がっていた。

更に切通の鎌倉街道を下る。
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■武蔵国分寺尼寺金堂
 旧鎌倉街道を挟むようにして武蔵国分寺の尼寺の遺構がある。

奈良時代中頃、聖武天皇の詔により鎮護国家を祈願する官立寺院として国分寺(僧寺)とあわせて国分尼寺が国ごとに建立された。
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復元された基礎
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立派な講堂も建設されていた。
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発掘調査時の様子。
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武蔵国分寺付近の遺構は凄いです。この辺はJRの拡幅に伴い発掘調査が進んだエリアでもあります。 まだまだ、眠っている遺構は沢山ありそうですね。

尼寺の後は本丸の国分寺跡へと向かいました。
続きはその3で。


国分寺 鎌倉街道


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夫婦で武蔵国分寺周辺史跡ポタ その1

久々に史跡関連の記事です。

今年の春先にかみさんが国分寺を散策したいとのリクエストがあった。
この辺で働き始めたので土地勘を高めたいとのこと。

そうであれば、以前から企画していた国分寺周辺の史跡巡りを提案して行くことにした。

かみさんと二人だけで自転車乗るの久しぶりだな。

もちろんかみさんはばっちり籠付きのママチャリ。これで国分寺までの10kmを走ります。
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ペースはゆっくりです。
40分間くらい走って国分寺到着。

今回の訪問は、国分寺跡は基より、東山道武蔵路、旧鎌倉街道を中心に国分寺付近に多数点在する史跡を回る。
マークをプロットしている場所が史跡です。 茶色い一本線は東山道武蔵路です。

国分寺散策地図

スタートは東山道武蔵路の痕跡辿りから。
東山道と軽く言うが、本当にすごい道路。
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東山道は都から東国の国府へ向かう官道であった。
7世紀末に整備されているが日本国を貫く幹線道路の規模の大きさは圧巻です。
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武蔵の国府には当初はつながっていなかった。
武蔵国分寺へ向かう道路として東山道武蔵路が作られた。
地図の赤いライン。
群馬県の新田あたりからほぼ真っ直ぐ南下している。

都立多摩図書館の脇に大きなスペースがある。
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歩道だと思ってしまいがちだがこれが東山道武蔵路の後だ。
良く見ると茶色い色が付いている。
かみさんもこの道良く通ったらしいが東山道だと知りびっくりしていた。

しかし、道幅広い。
詳細な案内が出ている。
道幅は10m、側溝まで整備されていた。
道路もフラット。 
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そしてもっとすごいのが道路が直線で整備されていること。
道路って地形に合わせて楽な作り方するのだが地形を無視した直線道路を作るのは大変。 古代の土木技術おそるべし。
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更に南下すると史跡として残されている部分があります。
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住宅地に突然現れる広い空き地。これ、空き地じゃなくて東山道武蔵路の史跡です。
見てみてみて、この道幅。
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そして道路の両脇に整備されている側溝。年代によって側溝の位置は変ったようだ。
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地面にも説明書きがあります。
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当時の雰囲気を再現した絵。 国分寺脇を直線道路が貫いている。
山に向かって伸びているの方向は現在の所沢あたり。
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所沢付近の武蔵路の発掘写真がありました。
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古の人々がこの道を通った様子を想像するだけで感動します。

しかしこの道は数年に一度くらいしか使われていなかったそうだ。
それなのにこの道を作るか。ロマンあるね。


ここから旧鎌倉街道へと向かう。 続きはその2をご覧ください。


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手のひらの熊本城(復活応援)

8月のお盆時期に突入。今年は旧日光街道を走破しようと計画していたが思わぬ怪我のため中止しました。

天気もイマイチだし、運動のできないということで以前に入手した「カードバードキャッスル 熊本城」を作成することにした。

熊本城復活のための寄付として売られていました。
名城の熊本城があのような状態になったので心を痛めていたのですがこのような企画には迷わず参加。

2000円で購入です。この売上は復活の為に寄付されるとのこと。
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パッケージの中身を取り出すと以下のものが同梱されています。
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子供たちと学んで作る?対象は15歳以上と書かれている。今回はお父さんだけで作ります。
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カードボードと言いながらも結構細かいパーツで組み立てるようです。
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パーツを数えると100ピース。 人型の飾り入れると110ピースです。
これは、本腰入れて作るやつだ。

以前にNHK特集で熊本城の被害状況と崩れなかった創建当初の石垣の分析をしているものがあったのを思い出した。武士の英知で作り上げた地震に強い「武者返し」の石垣。武者返しではなく耐震設計の石垣だったと解説されている。このビデオを流しながら作業に入ります。

まずは、石垣から。流石に武者返しのような曲線ではないです。(笑)
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このクラフトは本当に良くできています。台紙から切り取りやすいししっかりした素材なので変にヘタレない。精度もきっちりしているので気持ちよく組み立てられます。
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少しお城の雰囲気が出てきました。

ここから一気に組み立てます。
気づいたら開封後、45分経過しました。パーツが多いのでどうしても時間かかります。

完成。紙感はぬぐえませんが結構良い感じです。
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上から見ると少し雑な感じになります。

大きさは手のひらサイズです。

寄付なので値段は気にしていなかったがこれだけしっかり設計されているのなら2000円は決して高くない。

ご興味のある方は以下からまだ購入できるようです。
http://www.kumitate-bokin.jp/

飾り棚に置いてみました。やっぱりこの角度がGoodです。
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思ったより良い感じです。

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北斎美術館と両国ランチ&史跡

やっと梅雨っぽくなってきました。

先日、以前から訪問したいと思ったすみだ北斎美術館
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昨年新しく出来てからいつか行こうと思っていた。たまたま近くに用事があったので立ち寄ることに。
かなり個性的な建物です。
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場所柄、東京スカイツリーがすぐ近くです。
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ちょうど東海道の企画展が開催されていました。
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1階のショップには北斎関連の書籍など目を引くものがそろっていますね。
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提示室は、3階と4階

結構な人の賑わいです。しかし、年配の方が多いです。

東海道企画展では、当時の地図が宿場毎に展示されているのが良かったです。東海道を旅した記憶が蘇ってきます。

常設展より企画展の方がやっぱり内容濃かったですね。

美術館を後にし、ちょうどランチタイム。
界隈で美味い物が食べたいとネットで検索してたどりついたのがここ
「千代福」

”うなぎ”です。最近食べていないなーと思いチョイス。

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ここを選んだのがリーズナブルなうなぎのランチメニューがあること。
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注文したのは「らんち重」
1000円という価格なのに、うなぎ+焼き鳥+玉子焼きがごはんの上にのっている。
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流石にうなぎは小さいがうなぎ食べた満足感は十分です。

ここ、結構Goodです。
うな重でも2500円と手が届く範囲ですね。

さてうなぎを食べた満足感一杯に店を出て両国駅へ。

史跡好きにはどこを歩いても史跡の匂いを感じてしまいます。
途中の神社

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案内板がガッチリあるではないですか。
はんのき馬場跡。
この馬場は武士の弓場の稽古のために設けられたとのこと。
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そして、葛飾北斎が近くに住んでいた。良く知られているように北斎は90回以上も転居をした。
この辺りに住んでいたのは1840年ごろ。80才を超えた時期だったようだ。
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下町はあちこちで史跡があり本当に楽しいですね。

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新しい虎ノ門の史跡

東京の官庁街にある虎ノ門。
私にとっては社会に出て初めて働いた思い出の地でもある。

最近は、虎ノ門ヒルズに始まり周辺の再開発は物凄いことになっている。
建物の建て替えもかなりあり昔の面影も少なくなってきています。

虎ノ門でランチと思い、30年前によく通っていたお店に足を運ぶがことごとく無くなっていたり、お店が変わっていたりした。

その当時からの人気店であった長崎ちゃんぽんの店「長崎飯店」は今も健在でした。
お店を見つけるが、当時はお昼となると行列ができていたが今は行列どころか店内もガラリ。
味が変わったのかちょっと心配になったが、入店してちゃんぽんをいただく。味は変わっていなかったようだ。
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虎ノ門で気になっていた史跡がある。虎ノ門に用事があり地図を見ていたところ今までに認識していたかった史跡マークが。文化庁の敷地に「史跡 江戸城外堀跡地下展示室」と記載されている。
たぶん、文科省の建て替えが行われた時に整備されたのだろう。

虎ノ門地図

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この地下に行って観た。
地下通路から少し外れる非常階段のような階段。
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しっかり案内看板もあります。期待できます。
壁にはこんなものが。 堀の底レベルを示している。史跡好きとしてはうれしい。
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階段を上がると展示室が出現。
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かなり、立派に整備されています。
展示室の奥には石垣が保存されています。
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昔の文科省の敷地内に放置されていた石垣だったようです。

現在の地図
虎ノ門地図現代

明治初期の地図
虎ノ門明治地図

赤丸で囲った付近の石垣のようです。
この外堀は明治中期の地図を見るとはすでに埋められていました。

この展示室には詳細な解説も付いていて見ごたえあります。

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虎ノ門に行ったときに是非立ち寄ってください。

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旧甲州街道をロードバイクで(府中宿~日野宿)


旧甲州街道(新宿高井戸)2

西府中駅付近にこんな交差点名。 宿場と関係するネーミングかと思ったが違っていた。
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□関家かなどこ跡

関家とは
江戸時代から明治初期まで鋳造を業としていた
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□元上谷保村の常夜灯
西暦1794年に建てられた。
この常夜燈は、上谷保村の油屋(屋号、今の甲州街道北側の原田幸治氏宅)の東隣に置かれていたもの。その後、道路改修のときに現在地に移されたらしい。

200年強の月日を感じる風化具合です。


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□元青柳村の常夜灯
上谷保村の常夜灯とほぼ同じ時期に設置されたようです。
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街道沿いに真新しい鳥居がありますが、細い参道が永遠と続いて言います。府中付近にもありましたが、現代に残る神社の参道は不思議な空間です。
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□日野の渡し
 多摩川にはいくつかの渡し場があった。旧甲州街道は日野宿に向かう途中に多摩川を渡ることになる。渡し場の場所は移動していたらしいが江戸時代の貞享年間に現在の場所に定まったらしい。


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現代の立派な橋。 ここから多摩川の日野の渡しルートを想像するのです。
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多摩川を越えると日野宿に到着。
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次へ続く


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川越歴史ポタ(郊外編)

先週、映画「グレートウォール」を見てきました。
万里の長城を舞台にした歴史アクションです。

万里の長城建造の目的とされる一つの史説に基づき作られたとか。
60年に一度現れる得体のしれない怪物を街に入れないための壁。 怪物の数の迫力とそれを退治する爽快感はありますが、万里の長城の受け止め方少し変わったように思います。

さて、川越歴史ポタの続きです。

市街地は城下町中心の史跡でしたが、郊外はどちらかと言うと戦国時代の防衛戦略が見え隠れするポイントです。

探索ルートは以下の通り。

川越歴史ポタ1

川越城下町から北西に向かう。
入間川を越えて大穴城跡に向かう。
途中、空腹を満たすためにコンビニで昼食をとる。
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川越市境ですが坂戸市に入ったところに大穴城跡がある。
室町の中期頃、ここに陣屋があったと言い伝えられていますが、この城の城主が誰であったか詳しく分かりません。江戸時代は陣屋として使われて居たらしい。

遺構らしきものが見当たらない。土塁が残っているとのことだが公園整備にかき消されてよくわからない。公園内に入ってみる。
公園内に案内板を発見し、ここが大穴城跡であることを確認。

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更に北西に向かう。
中央自動車連絡道の手前を右折して雑木林の道を進むと大堀山館跡の案内板を発見する。
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うっそうとしているが雑木林の中はこんもりと盛り上がっている。ここに館があったようだ。
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館は500年前に作られて三重の堀と土塁でできている。
鎌倉街道が近くを通っている。上杉氏の川越城と鉢形城をつなぐルートも通っており交通の要所に設置されたいたようだ。

ちょっと雑木林に足を踏み入れると空堀らしい遺構が存在する。
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ここから南下
旧鎌倉街道上道のルートの遺構があるとのことで立ち寄った。
市民の森見たいになってる。

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ボランティアが作成した案内板。ここでは、堀兼道と書かれている。
本来の鎌倉街道はもっと西側を走っており、この街道は鎌倉街道の支道ということだ。
所沢付近の
古来より数々の歌に詠まれた堀兼の井戸がある場所から分岐しているので堀兼道となっている。この道は河越館にもつながっていた。

しかし、鎌倉街道の両脇土塁というような遺構は見つからなかった。
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今回、最終目的地の河越館跡に向かう。


平安時代末から南北朝時代にかけて武蔵国で有数の勢力を誇った武士である河越氏の居館跡。
近くに行くとのっぱらです。
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こんな風に紹介されています。

「河越館は鎌倉時代、この地域で最大の勢力を誇った河越氏の居館です。
河越重頼源頼朝に重用され、その娘(郷御前)が源義経の正妻となっています。河越館は河越氏の居館としてだけではなく、幕府の武蔵国政庁としても機能していました。また、戦国時代初頭に起きた「長享の乱」の際には関東管領・上杉顕定河越城の扇谷上杉氏を攻撃するために7年にわたってこの地に陣(上戸陣)を構えました。その後、北条氏が河越城一帯を勢力下におさめると、重臣・大道寺政繁が砦を築いたとされています。現在、館跡一帯は「河越館史跡公園」として整備されており、一部には常楽寺が建てられています。」

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どこが遺構なのか分からなかったが近寄ってはっきり分かった。
堀跡が残っている。

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館中心に堀が取り巻いている。その外側には道があったようあ。
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説明版が詳しい。ポイントポイントに説明されているのが良い。
人はほとんどいないのでゆっくり古の河越館の想像しながら楽しませてもらった。
帰りは雨に降られたが、充実した史跡巡りでした。


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川越歴史ポタ(市街地編)

GW前の週。 
川越へ歴史ポタしてきました。

川越は20年以上前に訪れたことがあるがそれ以来。
最近は小江戸として完全に観光地として定着しましたね。

自転車で川越をポタリングしたいと以前から思ってました。
GWで混み合う前の川越に行くことにしました。

観光でなく歴史スポットや史跡を回るコース。
ルートラボで経路をチェック。

これをデータでエクスポートし、Googleマップにインポート
史跡や立ち寄りスポットを入力するのにはGoogleマップの方が使いやすい。

今回の川越付近の立ち寄りルートです。

全体の立ち寄りルート
川越歴史ポタ1

川越市街地
川越歴史ポタ2


自宅から自転車で川越に向かう。
田舎道なのでやっぱり車道が狭い。

自転車お構いなしにトラックが横を通りすぎる。
神経擦り減ります。

川越までは緩やかな下りなので快調に走れるのですが荒れた道で異音が発生し気になる。
何度かチェックするものの”カチャカチャ”という音は消えず。
川越到着後、じっくりチェックしたところスプロケの締めが甘くそれで音がしていたようだ。
まあ、外れることはないのでそのまま走行。

まずは、喜多院。 正確には川越大師 喜多院。
午前中の早い時間だったので人気少なし。
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実は、喜多院に入るの初めて。喜多院案内係のボランティアさんが何人かいる。 
「先週までは桜があったので人で多かったけどね」

そうか、丁度良く混み合う週から外れたようだ。
慈眼堂でお参りを済ませ、客殿(重要文化財)へ入る。入場料400円であるが江戸城から移築さえた家光誕生の部屋など将軍の部屋、春日局の部屋があるとのことで見ものです。

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庭も見処です。
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部屋の外から撮影。
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将軍のトイレとお風呂。 来場者は興味深々で覗かれていきますね。
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部屋を見ながら当時の状況を想像して楽しめます。

入館料には五百羅漢像見学もついています。
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表情は全部違います。表情を見るだけでも楽しい。
「暦応の古碑」 喜多院の歴代住職の名前が刻まれている。県の史跡に指定されている。
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小一時間使ったかな?
喜多院山門付近にある甘いもののお店で好物の”かりんと饅頭”を購入。

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その名も”つばさかりん” その場で上げているので表面がカリカリ。中身は川越らしく小豆餡でなく芋餡が使われている。
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この足で川越歴史博物館に立ち寄るつもりだったが前まで行くと細いビルに館長らしき方が入口で構えている。観光地博物館的なにおいがしたのでパス。

大正ロマン通りを通り抜ける。 なかなか良い街並みである。端午の節句シーズンなので鯉のぼりが所狭しと吊り下げられています。
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建物もレトロでいいですね。
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小一時間使ったかな? このまま、「時の鐘」があるメイン通りへ。

GW前とは言えども観光客は多いです。 歩道がないので結構自動車通りにくそう。

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何か食べようと思ったが、お店が観光観光しているので引いた。
時の鐘と記念撮影。

このあと、お菓子横丁に寄りこのまま、川越城本丸へ。

お菓子横丁。
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川越城本丸。

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入館料は100円と安い。
川越城は焼失してしまったので当時のものは残っていない。
天守閣を持たないお城。

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現在は、奉行詰所の一部が建物として見学できる。(建物図の赤く囲まれている建物)
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ここから川越郊外の史跡に向かう。
つづく。


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二・二六事件の是清邸

2月26日

そうです。今日は二・二六事件があった日ですね。
事件は1936年。 81年前になります。

海外ではクーデターがたまにありますが、日本でも80年前にあったのですね。

赤坂から青山に向かう途中に高橋是清翁記念公園があります。
この二・二六事件で犠牲になった高橋是清邸があった場所。
100名近くの兵員がこの場へ襲撃に来たとのこと。

今は、ひっそりとした公園です。人影はほとんどなく森に囲まれているのでちょっと暗いです。
当時の屋敷跡の雰囲気は残っていますね。

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赤坂区役所があった場所でもある。
赤坂区? 青山地区と赤坂地区が赤坂区だったようだ。
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公園内には石碑が立っています。
昭和16年 東京市の石碑。高橋是清がこの地で事件に巻き込まれたことを記載している。

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公園といってもうっそうとしていて、人気は少ないです。
高橋是清像が像が公園内に設置されています。堂々としていますね。

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石灯籠は是清邸にあったものそのままでしょうか。
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この地にあった建物は戦時中に焼失したらしいが、母屋は小金井公園にある江戸東京たてもの園に移設されています。

そのまま移設されているのでリアルです。
中に入ったことがありますが当時のまま。 是清が討たれた部屋も当時のままです。
襲撃された部屋から見る庭。
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この部屋には是清が残した掛け軸が飾られています。
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この掛け軸は襲撃の場にもあったのでしょうか。

歴史の舞台となっているこの地ですが、地図で見るとこんな感じ。

現在の地図はこれ
青山通り沿い。カナダ大使館のお隣です。
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明治初期の地図
赤く囲った場所です。
この周辺は畑や竹林があったのですね。
青山通りから奥に入ったところにはほとんど道路ないです。

段差がある場所の上側にその後道路が整備されたことが現在の地図と比較すると良くわかります。
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大正時代の地図
青山通りに路面電車が出現
枠で囲った場所に建物がありますがこれが是清邸だったと思われます。
路面電車の”赤坂表町”の駅前にあったというこですかね。
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上空からの写真
昭和20年代の写真です。すでに建物は無くなっています。
終戦前でも周囲は空き地が多い状況だったようです。空襲の影響かな?

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歴史の舞台の変遷を少し追ってみました。


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新宿に残る旧青梅街道の痕跡

寒い。

東北地方はひどいことになっていますね。
週末も大変なことに・・・・
センター試験受験の方も気になります。

さて、先日何気に新宿を歩いていたところ、こんな標識を見つけました。
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"旧青梅街道"

青梅街道は現在もしっかり道路としてあるが、”旧”がついているので現在と違うということかな。

青梅街道は内藤宿から青梅街道と甲州街道に分岐している。
そこが青梅街道の出発点。

この標識は新宿東口アルタ付近から西口に抜けるJR下を通る通路の入り口にある。
以前はなかったと思うがいつからできたのかな。

新宿付近の青梅街道の今昔をチェックしてみた。

〇明治時代初期

ダイヤのマークあたりが”旧青梅街道の標識”があった場所。
街道沿いに建物があるがそれ以外はのっぱらですね。
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〇明治時代後期

赤線が青梅街道。 JR線ができています。
このJR線は青梅街道を横断しています。
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〇大正時代
まだ、青梅街道は当初のルートのまま残っています。
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〇昭和時代初期
路面電車が整備されています。
黄色いラインが靖国通り。 靖国通りに路面電車の路線が整備されています。
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〇昭和時代初期
新宿西口にロータリーができて整備され始めました。
このころの地図から淀橋エリアに浄水場が記載されています。
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〇昭和中期
現在の新宿の姿に近くなっていますが、まだ淀橋浄水場は存在しています。
この時代くらいから西口の青梅街道のルートは消されつつあります。
旧青梅街道現代


とうことで、”旧青梅街道”の標識があった場所はやっぱり旧青梅街道。
今の青梅街道は靖国通りとドッキングしています。

西口に抜けるトンネルの入り口にはこんな説明書きがあります。
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青梅街道には10か所の宿場があったようです。
開通当時は石炭の道として八王子から江戸へ石炭が運ばれたが、後半は農作物のルートとなったと説明されている。
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切絵地図が付けらえており、現在位置も示されている。
よく見えないが”成瀬甚八”さんの土地だったようだ。

写真は昭和30年ごろ。新宿駅前に建物ができ始めている。関東大震災以後は被害の少ない東京の西側に移住した人が多く、新宿がターミナル駅へと変貌し始めた時期でもある。

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路面電車が交通の中心となっている。昭和38年ごろ。私が生まれたころです。
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昭和45年には路面電車は荒川線以外廃止されている。

新宿の変遷をこのように紹介されるのも歴史ブームのお陰なのか。

新宿東口と西口をつなぐこのトンネルは現在は通り抜ける便利な道であるが旧青梅街道だったのですね。
若干西口あたりは旧青梅街道としてのルートがなくなっているが東口は当時のまま残っている。

今度、この道を通るときは味わいながら歩くことにしたい。

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