けっこうな回数、死にかけた。
身体的なダメージは回復すれば立ち直れる。ただ、もはや治ることはない病気と戦い続けている。治療をやめたら間もなく死ぬ。救いは、治療さえ続ければ生きていられる。
でも精神的なダメージもここんところくらい続けている。この精神的ダメージは回復することはない。
詳細は残せない。信頼していた人に裏切られ、扱いによっては警察ざた、訴訟も辞さない。
裏切られた不信感は消えず、人を見る目も変えられた。
他にも信用してしていたことが裏切られた。これも詳細は書けないが、続けて盗難に遭ってる。侵入されて盗難にあったら、通報して警察に任せるが、証拠もないし、通報できない事情もある。
さらに、頼まれて受けたことが他の人に迷惑をかけたりしながら、ようやくできるようになったと思っていたら、あっさり、何も言わずにやめたクソ。詳しく書けないが、その経緯を書ければ、如何にくそかがわかるが、事情で書けない。散々謝られたが、不信感は消えない。
「ウソだろ」とあきれるようなこと。
書けないことばかりだが、要するに不信感でえらい精神的ダメージをくらっている。
まさに、心身ともにボロボロ。
街中だが、畑を続けてきた。ところが病気のせいで、作った野菜は、ほぼ食べられない。
じゃあなんで野菜づくりをしてきたかというと、バンドの子達と練習終わりに野菜をみんなでわいわいしながら、収穫して、おみやげにしてもらうのが楽しかったからだけ。
作ったじゃがいもがたくさん過ぎて、みんなにあげても余り、自分でも食べたら、救急車で運ばれて、死ぬところだった。ジャガイモで死にかけた。そういう野菜も食べられない病気になっている。
他の野菜もほぼ食べられない。メンバーもごく少なくなり、野菜を作る意味も無くなった。
野菜を作る作業も病気などのせいで困難になった。つらくて作業もできない。
「もう 終わりだね」
そう決意した。畑はもうやらない。
バンドの練習場所として作った広い部屋も、無意味になっている。
かつては20人程度いたメンバーは、今は3人か4人。何年も待ったが増える見込みなし。
広い部屋も大量の楽器や機材も無意味になってる。
「もう 終わりだね」
そう決意した。
長いこと関わってきた子ども・音楽・・・。人生の中で多くを占めてきたことを終える。
その想いは、簡単に言えるものではない。
部屋はどうにもならないが、大量の楽器や機材は、処分することにした。
シンセサイザーを取り入れた頃のシンセサイザーは、ほぼ10台。それを使うための機材群、スピーカー群、そしてトランペットなどの楽器は、20台近い。びっくりするほど大量だ。
5tトラックに乗せられるかどうか危ぶまれるほど。
そして、買い取ってもらった。20年近く使ってきたものだから、当然二束三文。数百万かけたものが子供の小遣い程度に。でも、散々使って数々の思い出を作ってくれた。使い切ったと言えるわけだから、売ってお金になったらなんて思っちゃいない。
スッキリしたと同時に
「もう終わったね」
という実感。いつかは終わるのは当然と思ってたけど、意外にすんなり終わりを受け入れられた。
死にかけたりで心身ポロポロになり、ずっと生きがいというか生きてきた中心的なことたちが、そろいもそろって一気に「終わり」という状況を迎えた。じわじわ終わると思ってたのに。
「もういろいろやってこれたじゃん。十分でしょ」
「はい、はいもう終わり。強制終了だ」
終末を通告された。
転換期なのは間違いない。生から死への転換か。
すでに余生に入ってるが、別の余生への転換か。