光嶋裕介の新連載「和紙に挑む」第1回

展覧会直前連載:「和紙に挑む」(全4話)

第1話 予期せぬ混ざり合いからの想像と創造


光嶋裕介(建築家)

 「絵を描く」という至極プリミティブな行為が成立するためには、ペンや鉛筆といった描くための道具と、描かれるベースとなる紙がいる。ごく当たり前のことだが、これは、とても大切なはじまり。
 描きたいように、自分の身体感覚の行き届いたペンは、まるで自分の指の延長であるかのように自由に動き、目の前の風景や脳内のイメージをはっきりとした線として描き出すことができる。また、ペンが「図」としての線を描き落とすのは、「地」としての紙である。
 このなんの変哲もないような二つの道具、ペンと紙は、すべての創造のスタートライン、あるいは土台となる。極端にいえば、画家は自らのペンと紙でなければ創作できないはずだ。使い慣れない道具では、違和感ばかりが先行し、描きたいものを描くことは難しい。だから、画家たちは、必ず自分のペンとお気に入りの紙を持っている。幾度となく失敗を重ね、もっともしっくりくるペンと紙(筆とキャンバスと言い換えてもよい)を使って絵を描いている。

 一枚のドローイングにとって、「何で」、「何に」、描くかというのは、とても大切な出発点。もちろん、「何を」描くのかが一番大事であることは間違いない。しかし、その前にある描かれる対象としての紙について考えていくと、紙そのものも、立派な作品だと思うようになった。いわば建物にとっての敷地である。画材屋でわくわくしながらお気に入りの画用紙を購入することから作品づくりがはじまっていたと思っていたのだが、無自覚に紙は買うものと決めつけてしまっていたように思う。
 むしろ、絵を描く紙そのものを自らの手でつくる(紙は漉くという)ことこそ、なんだか自然なのではないかと思い立ち、越前和紙で有名な福井県武生を再訪した。

 二年前に日本の五つの美術館を巡回した『特別展 ガウディ×井上雄彦〜シンクロする創造の源泉〜』という展覧会の公式ナビゲーターを務めさせて頂いたご縁で、井上さんが武生の上山製紙所にて、高さ3.3メートル、長さが10.7メートルもある大きな和紙「平成長尺大紙」を20人もの人と協働して漉く現場に立ち会うことがあった。工場は、すごい熱気に包まれ、見たこともないような大きくて存在感のある和紙が完成した(井上さんは展覧会の最後の作品をこの大きな和紙に描いて展示した)。今回は、自分のドローイングを描くための和紙を自ら漉いてみることにしたのである。

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 和紙は、「楮(こうぞ)」や「三椏(みつまた)」といった木が原料となり、その繊維を均質に混ぜるために、ねばねばした「ネリ」を入れると、トロトロした液体が完成する。どことなくエロティックな液体だ。それを、細かい網状の底をした木製の四角い型の上に流し込むとそこに残った繊維が乾燥し、和紙になる。料理するときに網で素麺の水を切るように、水だけが下に落ちて、紙となる繊維はちゃんとひっかかる要領である。
 私の場合は、楮を墨などの顔料で染めた黒い液体と、漂白された通常の白い楮の液体の二種類を使用する。それを小さなバケツにそれぞれ汲み取って、同時に木枠の中に流し込む。すると、黒い液体と白い液体が勢いよくぶつかり合う。まったく予期せぬ造形となって混ざり合うのである。このどうなるか「わからない」ことをすべての創作のスタートラインにすることで起動する想像力を大切にしたいのだ。
 紙を自ら漉いてつくるということは、無条件に与えられた白紙の上から描き始めるということをしないで、自らの出発点を自覚的に一段階繰り上げることである。与えられた敷地をしっかりと考察した先に建築の設計がはじまるように、ドローイングにとって、紙を自分で漉くことには大きな意味があると私は考える。

 こうして、白と黒の液体の予期せぬ混ざり合いから想像力を膨らませ、強度ある創造力を発揮した作品制作がしたいと考えながら、私は今日も和紙に挑んでいる。
(こうしま ゆうすけ)

*画廊亭主敬白
「建築家のドローイングと版画」を看板にしているときの忘れものは、建築家光嶋さんの個展を2012年5月2014年9月の二度開いています。いつもは閑散としている画廊が連日多くのお客様で賑わいました。二年ぶり三度目の今回は自ら越前和紙の産地に泊り込み自分で和紙を漉く(当然その中には光嶋さんの夢と幻想が籠められています)という熱の入れようです。展覧会は9月を予定していますが、今回の和紙への挑戦を4回にわたり自ら実況中継してもらいます。毎月30日が更新日です。90cmという大きな和紙に挑む野心作にご期待ください。

●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
20160630_koshima_2-6光嶋裕介
「Urban Landscape Fantasia #1"」(6)
2013年
カンバスにシルクスクリーン、アクリル
90.0×90.0cm
Ed.1
サインあり


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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

●お勧め書籍のご案内
201606大谷省吾大谷省吾
激動期のアヴァンギャルドシュルレアリスムと日本の絵画 一九二八−一九五三

2016年
国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税別)
著者からのメッセージ
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・新連載・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は毎月30日の更新です。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

◆ときの忘れものは「ルイーズ・ニーヴェルスン展」を開催します。
会期:2016年7月5日[火]〜7月23日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
05アメリカを代表する女性彫刻家であるルイーズ・ニーヴェルスン。ウクライナのキエフに生まれ、幼少時にアメリカへ移住した彼女は、1950年代より主に黒で彩色した木製の箱状彫刻を制作し、独自の様式を確立します。以後20年以上にわたり一貫して黒い箱や廃物が増殖するかのような作品を制作し、世界各地で展覧会を開くほかパブリック・アートも手がけました。本展では大判の版画作品7点をご覧頂きます。


大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953』

大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953』

著者からのメッセージ


 このたび『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953』を国書刊行会から出版いたしました。日本にシュルレアリスムの美術がまとまったかたちで紹介されたのが1928年。その後の四半世紀に、日本の画家たちはシュルレアリスムから刺激を受けながら、何を生み出してきたのかを、古賀春江、福沢一郎、矢崎博信、浅原清隆、靉光、瑛九、北脇昇、鶴岡政男、岡本太郎、山下菊二らの作品を中心に考察したものです。
本の題名には少々こだわりがあります。「日本のシュルレアリスム」という言い方は、慎重に避けました。この言い方には、本家のシュルレアリスムというものがフランスにあって、日本のそれは一種の亜流である、という前提がつきまといます。シュルレアリスムに限らず、日本の近代美術はこれまでずっと、「日本の印象派」「日本のキュビスム」「日本のフォーヴィスム」というように、西洋の亜流、模倣として、一段低いもののように見られてきたのではないかと思います。
私はどうしてもこうした従来の捉え方に抵抗がありました。彼らの作品に、西洋からの影響があることは、もちろんまちがいありません。けれども、彼らには彼らなりの、固有のモティベーションがあったのではないか。そこに目を向けずに、ただ西洋の模倣と片づけて思考停止していては、彼らは浮かばれないのではないか。ずっとそう考えてきました。そこで、彼らが当時の社会との間にどのような緊張関係をもち、そしてそれに対して自身のヴィジョンをどのように示そうとしたのか、そのためにシュルレアリスム(のある一部分)からどのようにヒントをもらいつつ、自らの表現を組み立てていったのかということを、ひとつひとつの作品から読み解いていく作業を続けてきました。実際のところ、彼らがやりたかったことは、本家のシュルレアリスムとは全然ちがってしまっているといっていいでしょう。それでいいじゃない、だからこそおもしろいでしょう、と私は声を大にして言いたい。このたびの本は、そうした取り組み、二十数年分のまとめです。
正直なところを申し上げれば、私自身、彼らの作品に興味をもったいちばん最初の動機は、単純に見た目の不思議さ、おもしろさでした。これは本書の「あとがき」でも告白しておりますが、中学2年生のときに、地元の美術館で開かれていた展覧会で古賀春江の《窓外の化粧》を見て「おお、かっこいい」と思ってしまったわけです。同じ頃、ダリとかエルンストにも興味を持ちました。中学生の頭ですから、美術史の流れや影響関係などはわかりません。最初のうちは、イメージのおもしろさで古賀もダリも同列に興味をもって見ていたように記憶しています。
もう一歩踏み込んで、彼らのことを知りたいと思うようになったのは、大学で美術史を勉強し始めてからのことでした。ちょうど私が大学一年生のとき、練馬区立美術館で靉光の回顧展が開かれました。そこで《眼のある風景》と《自画像》に、完全に参ってしまったのです。それ以来、靉光は私の中で完全に別格の画家となりました。卒論で彼について書こうと、いろいろ調べていくうちに、彼に限らず、昭和戦前期にシュルレアリスムの影響を受けた画家たちが周囲から受けた抑圧のひどさを知りました。そして考えたのです。どうして彼らは、こんなに周囲からひどい扱いを受けてまで、シュルレアリスムに惹かれ、そこから表現のヒントを得ようとしたのだろう。単に見た目のかっこよさや、新しい流行に飛びつく、といった気持ちでは、とてもではないけれども、この抑圧には耐えられないのではないか。彼らには、抑圧に耐えてまで、シュルレアリスムから何かを得たいと思う切実な欲求があったのにちがいない、と。私たちがいま、考えるべきは、そうした彼らのモティベーションの由来を明らかにすることと、その固有のモティベーションが、もともとのシュルレアリスムからどれだけ逸脱しているかを見極め、その逸脱ぶりに、新しい表現の可能性を読み取ることなのではないでしょうか。
こうした研究のスタンスは、美術館に就職してからますます強まりました。私が東京国立近代美術館に就職したのは1994年。それから今日まで、1995年の阪神淡路大震災、2001年のアメリカのテロ、2011年の東日本大震災など、世界を揺るがす事件が続くにつれ、美術と社会との関係についても、人々の関心は高まってきたように思われます。しかし一方では、少数派の意見に対して不寛容な空気が広まりつつあるように見えるのも、これまた事実でしょう。こんな状況の今だからこそ、あらためて彼ら、1930年代、40年代に、社会との緊張関係の中で、ものを言おうとした画家たちのことを考え直さなければならないと確信します。おそらく多くの方々は、この本で取り上げられている画家たちのことを、あまりご存じないのではないかと思います。それくらい、彼らは半ば歴史に埋もれつつあります。でも、あらためてひとつひとつの作品を見直してみてください。一見、シュルレアリスムの模倣のように見える作品に隠されていたメッセージが読み解けたら、とたんにその作品は別の輝きを見せてくれるはずです。こんなおもしろい画家たちがいたのだ、ということを、ひとりでも多くの方に知っていただきたい。そして彼らが伝えたかったことに思いを馳せていただきたい。筆者の切なる希望です。
(おおたに しょうご)

201606大谷省吾大谷省吾
『激動期のアヴァンギャルド
シュルレアリスムと日本の絵画 一九二八−一九五三』

2016年
国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税別)
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。


目次(抄):
第一部 一九二八〜三六年 都市の近代化、その光と影の中で
・第一章 概観一九二八〜三六年 シュルレアリスム受容の初期過程
・第二章 超現実主義と機械主義のはざまで 古賀春江、阿部金剛を中心に
・第三章 福沢一郎とその影響 社会風刺としてのコラージュ、行動主義
第二部 一九三六〜四五年 戦時下に画家が見つめたもの
・第一章 概観一九三六〜四五年 危機の中の探究
・第二章 ダリの紹介と地平線の絵画
・第三章 靉光《眼のある風景》をめぐって 「物」へのまなざし
・第四章 紙の上の実験 表出される性と死
・第五章 シュルレアリスムから「図式」絵画へ 北脇昇
第三部 一九四五〜五三年 戦後の現実に直面して
・第一章 概観一九四五〜五三年 「前衛」の再編
・第二章 戦後の代表作を、戦前との関係から読み直す 福沢一郎、鶴岡政男、北脇昇
・第三章 岡本太郎の「対極主義」の成立とその展開
・第四章 ルポルタージュ絵画 山下菊二《あけぼの村物語》を中心に

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■大谷省吾(おおたにしょうご)
1969年茨城県生まれ。筑波大学大学院博士課程芸術学研究科中退。1994年より東京国立近代美術館に勤務。現在、同館美術課長。博士(芸術学)。「北脇昇展」(1997年)、「地平線の夢 昭和10年代の幻想絵画」(2003年)、「生誕100年 靉光展」(2007年)、「麻生三郎展」(2010年)、「生誕100年 岡本太郎展」(2011年)などを企画。現在、11月22日から開催予定の「瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす」を準備中。
2014年瀧口展、大谷省吾さん
2014年3月15日
ときの忘れものにて大谷省吾さん。
瀧口修造展ー」ギャラリートーク

◆ときの忘れものは「ルイーズ・ニーヴェルスン展」を開催します。
会期:2016年7月5日[火]〜7月23日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
05アメリカを代表する女性彫刻家であるルイーズ・ニーヴェルスン。ウクライナのキエフに生まれ、幼少時にアメリカへ移住した彼女は、1950年代より主に黒で彩色した木製の箱状彫刻を制作し、独自の様式を確立します。以後20年以上にわたり一貫して黒い箱や廃物が増殖するかのような作品を制作し、世界各地で展覧会を開くほかパブリック・アートも手がけました。本展では大判の版画作品7点をご覧頂きます。

森本悟郎のエッセイ「その後」第27回

森本悟郎のエッセイ その後・第27回

赤瀬川原平とライカ同盟 (7) 博多来襲


パリ撮影に出掛けた1999年は、新春に東京・京橋のINAXギャラリー(現LIXILギャラリー)で「ライカ同盟展『旧京橋區ライカ町』」を開いている。これは「名古屋や三重もいいけれど、一番身近な東京も撮りたいね」、という同盟員の意向を当時のINAXギャラリーディレクター・入澤ユカさんに伝え、二つ返事で引き受けて貰ったもの。展覧会タイトルは、「INAXのあたり、昔は京橋区だったね」という高梨さんのひと言と、「だったら会場はライカ町ということにしよう」という赤瀬川さんの提案がもとで、おのずから撮影エリアも決まった。「そりゃ俺の庭みたいなものだ」という秋山さんは旧京橋区の新富町育ちで、今は京橋プラザとなった京橋小学校卒。このギャラリーでは1986年に秋山さんが「そのトタンに」展を、1988年に高梨さんが「『都の貌』1986-1988」展を開いており、赤瀬川さんは初舞台だった。

福岡市の博多は秋山さんの御尊父出身地で菩提寺が福岡市内にあり、今もって秋山さんの本籍は福岡市博多区博多駅前とのこと。その博多を撮影して、博多に新しくできた大規模商業施設のキャナルシティで展覧会をしないか、という話がパリ撮影に同行した倉本紀久子さんから持ち込まれたのはその年の夏頃だったか。京橋・博多と、総督との地縁が続くものだと感心した。
同年9月と11月に3人揃って博多に出掛けた。この頃の博多は街が大きく変わろうとしていた時期だったらしく、9月に撮影した建物が11月には忽然と消えていたという経験を一度ならずしている。赤瀬川さんの〈物件〉も含め、なべてライカ同盟の写真に〈記録〉という意識は働いていないが、多くの写真がそうであるように、時を経ることでその〈記録〉性が浮かびあがってきていることは言を俟たない。11月は展覧会ポスター用写真撮影のため二塚カメラマンが従軍し、屋台での反省会という設定で撮影している。

螻戊ヲァ莨壹ヵ繝ゥ繧、繝、繝シ展覧会フライヤー
撮影:二塚一徹
撮影地:博多区中洲新橋付近


取材は翌2000年にも続き、秋山・赤瀬川の美術家組は〈博多どんたく〉が開催される5月連休中に、高梨さんは7月の〈博多祇園山笠〉に合わせて出動。家元は恵比寿流(えびすながれ)の重鎮である住職の計らいで長法被(当番法被とも呼ばれる正装)を着用し、クライマックスの〈追い山〉に向けて行われるさまざまな行事をライカで追いかけた(舁き手にかける勢水(きおいみず)対策として、防水カメラのニコノスも用意していたが出番はなかった)。

02秋山祐徳太子「二つ山越しゃ」志免町


03赤瀬川原平「長老会議」博多区上川端商店街


04高梨豊「自我の芽ばえ」東区箱崎


展覧会は「ライカ同盟写真展[博多来襲]」と銘打ち、撮影開始から約1年半後の2001年2月8日から始まったが、その間に主催者が替わり、会場は福岡市中心街の天神・イムズの三菱地所アルティアムに変更となった。この展覧会に合せて、ライカ同盟が選ぶ公募の市民写真展「博多地撮り」も同じイムズ内のfmfukuoka/GAYAで同時期に開催した。10日にトークや表彰式などオープニングイベントが行われ、パーティは恵比寿流主要メンバーによる「祝いめでた」と「手一本」で始まった。

!cid_7388A4E2-38F9-4D3C-ADA3-348EE456060A志賀島フェリー桟橋で
撮影:二塚一徹



2000年には長い歴史に幕を閉じようとしていた都内の同潤会アパートを撮るという雑誌『東京人』の仕事もあった。振り返ってみると、ライカ同盟にとって世紀末から新世紀にかけての3年はなかなか多忙で充実したものだったことがわかる。
もりもと ごろう

●今日のお勧め作品は、浮田要三です。
20160611_ukita_09浮田要三
「巻物」
油彩・キャンバス
130.5×95.0cm
サインあり


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◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
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◆ときの忘れものは「ルイーズ・ニーヴェルスン展」を開催します。
会期:2016年7月5日[火]〜7月23日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
05アメリカを代表する女性彫刻家であるルイーズ・ニーヴェルスン。ウクライナのキエフに生まれ、幼少時にアメリカへ移住した彼女は、1950年代より主に黒で彩色した木製の箱状彫刻を制作し、独自の様式を確立します。以後20年以上にわたり一貫して黒い箱や廃物が増殖するかのような作品を制作し、世界各地で展覧会を開くほかパブリック・アートも手がけました。本展では大判の版画作品7点をご覧頂きます。

亭主は絶望しています。

先週末25日に終了した「第2回アートブック・ラウンジ〜画廊のしごと(南画廊のカタログ)」にはたくさんの方にご来場いただきありがとうございました。お買い上げいただいたお客様には心より御礼申し上げます。

また同時開催したここから熊本へ〜地震被災者支援展にも全国各地から多数のお申込みをいただきました。同じ作品に幾人もの方が重複して申し込まれたため抽選になり、せっかくのお気持ちを生かせなかったことをとても残念に思い、お詫びいたします。
抽選で外れたにもかかわらず義捐金としてお金を送ってくださった大阪のSさん、自らも阪神神戸の大震災で被災した兵庫のYさんは「熊本への寄付」ですと作品代の倍の金額を送ってくださいました。心より御礼を申し上げます。
のちほど義捐金の送金についてはご報告いたします。
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さて本日は、事前の準備では大谷省吾先生の新著『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953』をご紹介する予定でした(明後日29日にあらためてご紹介します)。

皆さんご存知の通り、世界中が大騒ぎになっています。
イギリスのEU離脱の可否を問う国民投票については、悲しむべきというか、たいへんなことになったと亭主は絶望的になっています。
このブログでは政治的なことはあまり触れないようにしています。
しかし、今回は敢えて書きます。その結果についてはイギリスの人々の民意として私たちがとやかく言えません。結果ではなく、その手続きに亭主は絶望しています。

画商という仕事は平和な時代、安全な社会でこそ成り立つ商売です。言葉を変えていえば、多様性を認めない社会では画商は仕事ができない。
民主主義の根幹をなす「寛容」と「多様性」を否定した(否定させようとした)国民投票という名の博打を打ったキャメロン首相は歴史上最低の政治家と言われても仕方ないでしょう。

この問題をめぐっては、当のイギリスに在住する日本の方がまったく正反対のコメントをネットで表明されています。
先ず、めいろまさんという方がtwitterで発信されたのをまとめたらしい<イギリスがEU離脱した理由>。これだけ読むと実にわかりやすく、移民というかEU内部からイギリスになだれ込んだ他国の人たちがいかにイギリス人の脅威になっているかと、遠い日本の私たちはつい思ってしまう。

しかし、事実を冷静に見れば、今回、離脱票が最も多かったのは移民が最も少なかった地域であり、残留票が多かったのは移民が最も多かった地域(例えばロンドン)です。このことを無視しためいろまさんの言説には??をつけざるを得ない。

それに対して、Yoko Kloeden(クローデン 葉子)さんというロンドンで建築インテリア事務所を経営している方が、<Brexitというパンドラの箱>と題して、めいろまさんに逐一明快に反論しています。
ぜひお読みください。

亭主が絶望しているのは、国民投票の結果ではなく、このような「人間の尊厳にかかわること」(移民や難民問題)を国民投票という、一見民主的な手続きにゆだねてしまったイギリスの政治に対してです。
民主主義の先進国であったイギリスは(保守党は)、史上最も民主的といわれたワイマール憲法のもとで選挙と国民投票という「憲法に則った民主的手続き」によってヒットラーが政権を獲得した歴史を忘れてしまったのでしょうか。

亭主はこれでも大学は法学部卒業でした。
親からの仕送りを拒否し、アルバイトとマンドリンと恋にうつつを抜かしていたためろくろく授業なんぞ出てはいませんが、「法哲学」の講義のとき聞いたドイツの歴史だけは鮮明に覚えています。
うろ覚えで、その先生の名前も忘れてしまったのですが、取り上げたのはドイツの法哲学者グスタフ・フォン・ラートブルッフでした。
第一次世界大戦の後、敗戦国ドイツは苦難の道を歩みます。この時代、ラートブルッフは司法長官に就任し、新しい法制に尽力します。ワイマール憲法の根幹は「民主的手続き=多数決」にありますが、ヒットラーは巧みに人々を扇動し、選挙と国民投票という民主的手続きでもって政権を獲得します。
その結果がアウシュビッツでした。ドイツの人々はうすうす(はっきりと)ユダヤ人大量虐殺を知りながら、見てみぬふりをしました。すべては合法的に進められました。
戦後、ラートブルッフは深い悔恨と反省をこめて、自らの法哲学を再考します。
多数決はほんとうに民主主義の万能の斧なのかと。
99人が君は死ぬべきだといったら従わなければならないのか。99人が、いや100人のうち100人が正しいといっても<多数決で決めてはいけないこと>があるのではないか。
それは「人間の尊厳」である。
人間の尊厳に関わることは多数決で決めてはならない、亭主は以来半世紀、この講義の教えを忘れたことはありません。

「移民」という分かりやすい状況を人質にとり、代議制という「寛容と熟慮の手続き」を放棄し、国民投票という二者択一を迫る「感情に訴える手続き」を強行したイギリス議会(特に保守党)の堕落を亭主は心の底から軽蔑し、絶望しています。
チャーチルが生きていたらなんと言うでしょうか。

●今日のお勧め作品は瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』です。
瀧口修造、他『マルセル・デュシャン語録』瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』
『マルセル・デュシャン語録』
1968年
本、版画とマルティプル
マルセル・デュシャン、荒川修作、ジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリー
外箱サイズ:36.7×29.8×5.0cm
Ed.50  Signed

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

本日27日(月曜)は休廊です。

◆ときの忘れものは「ルイーズ・ニーヴェルスン展」を開催します。
会期:2016年7月5日[火]〜7月23日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
05アメリカを代表する女性彫刻家であるルイーズ・ニーヴェルスン。ウクライナのキエフに生まれ、幼少時にアメリカへ移住した彼女は、1950年代より主に黒で彩色した木製の箱状彫刻を制作し、独自の様式を確立します。以後20年以上にわたり一貫して黒い箱や廃物が増殖するかのような作品を制作し、世界各地で展覧会を開くほかパブリック・アートも手がけました。本展では大判の版画作品7点をご覧頂きます。

スタッフSの海外ネットサーフィン No.40「Occasions and other occurrences」

スタッフSの海外ネットサーフィン No.40

「Occasions and other occurrences」
Dia: Beacon, New York, USA


読者の皆様こんにちわ、六月早々に都心でも29℃に届く日々が続き、「梅雨どこいった」とボヤいていたら今度は連日の雨、けれど気温はそう低くならずあまりの蒸し暑さに家では早くもエアコン全開なスタッフSこと新澤です。

Dia:Beacon

今回の記事でご紹介させていただく場所は、アメリカ・ニューヨークにあるDia: Beaconです。非営利団体であるDia Art Foundationによって運営されているこの美術館、中々に特徴的です。
まず第一にその所在。上記の画像を見れば分かりますが、住所こそニューヨークではあるものの、一般的にニューヨークと聞いて想像する都市部からおよそ100kmほど北の森の中にあります。何故こんな場所にあるのかというと、この美術館、以前は菓子業界の雄、ナビスコの梱包印刷工場だったそうで、1929年に建設されたこの工場を改装して、2003年にオープンしたのが現在のDia: Beaconです。ちなみに都市部から離れてはいますが、最寄駅からは歩いて5分圏内なのでアクセスが悪い、ということはありません。
この場所が都市部から離れているにも関わらず選ばれた理由は幾つかありますが、おそらくその中でも有力な理由はこの建築の構造でしょう。元が工場ということで支柱の間が大きく開けていることで大型作品の展示に適している事にに加え、敷地自体が15,000平方メートルという開館当時は世界最大級の展示スペースを誇り(現在もそうかは不明です)、なによりそれらの展示スペースがガラス張りの天井により自然光源を持つという美術館はそうある物ではありません。

20160626_Dia2Dia: Beaconの館内。
展示スペースで陽光の当たらない場所はありません。

このDia: Beaconと、同じくDia Art Foundationが運営するDia: Chelseaで6月24日から7月17日にかけて週末限定で開催されるのがアーティスト、イザベル・ルイス(Isabel Lewis)による「Occasions and other occurrences」、直訳すると「機会とその他の出来事」です。
ちなみに上でDia: Beaconの特徴について書きましたが、このイベント自体は美術館内ではなく、敷地近くの公園で開催されます。
カテゴリ分けすればパフォーミングアートになるのかもしれませんが、このイベントで提供されるのは見る「作品」ではなく、作家が提供する話題や環境を通じてそれぞれが独自に感じる「経験」です。視覚だけではなく、イザベル・ルイスのDJが聴覚を、シェフの作る料理が味覚を、そしてノルウェー出身のアーティスト、シセル・トラース(Sissel Tolaas)の作る香りが嗅覚を刺激して、「Occasions and other occurrences」という経験を来場者に提供します。
来場時には事前予約が推奨されていますが、イベント自体には決まった時間の長さはありません。作家曰く「このイベントから『何か』を感じて帰ってもらうことが目的。会場にいる時間は10分でも30分でも2時間でも問題ない」とのこと。

20160626_Dia32015年の「Occasion」でDJ役をこなすイザベル・ルイス。
今回のイベントでの話題は「カテゴリ分けと量数により定義される科学主義の現代欧米文化において、ルネサンスや中世の美術から得られるものはあるのか?」等。

話を聞くだけではなく、作家との会話も可能なそうなので、ちょっと変わったアート体験をしてみたい、という方にはいいかもしれません。

(しんざわ ゆう)

Dia Art Foundation公式サイト(英語)
Dia: Beacon公式サイト(英語)
"Occasions and other occurrences"紹介ページ(英語)

●今日のお勧め作品は山口勝弘です。
山口勝弘「夜の進行」600
山口勝弘 Katsuhiro YAMAGUCHI
夜の進行
1981年  シルクスクリーン
47.0×40.0cm
Ed.50 Signed

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◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

本日26日(日曜)と、明日27日(月曜)は休廊です。

◆ときの忘れものは「ルイーズ・ニーヴェルスン展」を開催します。
会期:2016年7月5日[火]〜7月23日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
05アメリカを代表する女性彫刻家であるルイーズ・ニーヴェルスン。ウクライナのキエフに生まれ、幼少時にアメリカへ移住した彼女は、1950年代より主に黒で彩色した木製の箱状彫刻を制作し、独自の様式を確立します。以後20年以上にわたり一貫して黒い箱や廃物が増殖するかのような作品を制作し、世界各地で展覧会を開くほかパブリック・アートも手がけました。本展では大判の版画作品7点をご覧頂きます。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第5回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第5回

『木に持ちあげられた家』

今回は、絵本『木に持ちあげられた家』(スイッチパブリッシング 2014、 原著は“House Held Up by Trees”2012 )をご紹介します。作者はアメリカの詩人テッド・クーザー(Ted Kooser, 1939-) 、絵をカナダ出身のイラストレーター、ジョン・クラッセン(Jon Klassen, 1981-)が描いています。ジョン・クラッセンは、どことなく飄飄とした軽やかで味わいのある絵で人気を博しており、『どこいったん?』『アナベルとふしぎなけいと』『くらやみこわいよ』といった絵本が日本語にも翻訳されて出版されています。

01HOUSE_cover(図1)
『木に持ちあげられた家』表紙


02_ted-kooser(図2)
動画“House Held Up by Trees” by Ted Kooser
キャプチャー画像


『木に持ちあげられた家』(図1)は、テッド・クーザーが、彼の自宅から少し離れたところにある木々に囲まれた廃屋の周辺を長年通りすがりに見る中で着想を得て子ども向けの物語と作り出したもので、「自然が人間の作り出したものを完全に支配してしまう圧倒的な力」をテーマにしています。表紙(図1)は、一軒の家が土台ごと周辺を取り囲む木に持ち上げられている様子が下から仰ぎ見るような角度で描かれていて、家が宙に浮かぶその様子は一見すると奇妙に映りますが、実際にテッド・クーザーが物語の着想を得たという廃屋を背に語っている映像(図2)を見ると、木の枝が内側から窓を突き破るよう伸びており、「持ち上げられる」まではいかなくとも、廃屋が木の力によって姿を変えることは殊更に珍しいことではなく、この物語が作者の想像だけではなく現実の社会の有り様を反映していることがわかります。

03(図3)
家の周辺の野原や林で遊ぶ子どもたち


04(図4)
林の木越しに見える家
芝刈りをする父親を眺める子どもたち


物語は、父親と息子と娘の3人が暮らす一軒の家の経る時間の経過を辿り、ページの見開きで、家とその周辺の環境を、引きや俯瞰、仰角のようなさまざまなアングルから描き出しています。物語は家が建てられたばかりの頃(図3)から始まり、敷地の両脇の林越しにぽつんと立つ家と芝生の広がり、駆ける子どもたちが描かれ、次の見開き(図4)では、子どもたちは父親が丹念に家の廻りで芝刈りをするのを眺める様子が、林の木越しに描かれています。林の木々と木を伐採して造成された敷地に立つ家をこのように繰り返して描くことで、家の周辺の空間的な広がりが示され、自然(木)と人間の作り出したもの(家)が物語の中でこの後どのように関係していくのかということが暗示されています。

05(図5)
成長したこどもたちが、幼い頃に遊んだ林の傍らに佇む


06(図6)
芝を刈る父親の後ろ姿と家


幼かった子どもたちもやがて成長し、家を出て自立する頃を迎え、かつて遊んだ林の傍らに佇む後ろ姿が描かれます(図5)。父親は子どもたちが家を出ていく日が近づいても芝生の手入れを怠ることはなく、林の方から翼のついた木の種が芝を刈る父親の頭上と家の廻りを舞っています(図6)。子どもたちの後ろ姿に隠れて見えない家(図5)と、頑なまでに家と芝生をきれいに保とうとする父親の姿(図6)が、子どもと親それぞれの家との関係のあり方を浮かび上がらせています。

07(図7)
父親が去り、売りに出された家


08(図8)
買い手がつかずに放置されるがままになった家


子どもたちが家を出て、高齢になって一人で家に住み管理することを負担に感じるようになった父親は、街のアパートで一人暮らしをすることを決めて家を売りに出します(図7)。道路沿いに面した家と電柱が果てしなく立ち並ぶ道路沿いの荒涼とした風景は、夕暮れに染まる空と相まって寂寥感を高めて表わしています。いつまでたっても買い手のつかない家が上空から俯瞰するような視点で描かれ(図8)、芝生の手入れをされることのなくなった家の廻りには若木が生えています。次第に父親が家の様子を見に来ることもなくなり、家は荒れ果ててゆき、家の廻りに生えてきた若木も大きく育っていきます。

09(図9)
風に吹かれ、家を鳥の巣のように包み込む木々


10(図10)
木々に持ち上げられた家


放置された家はあちこち傷んで腐っていきますが、家を取り囲むように生えてきた木々が、家を鳥の巣のように包み込み(図9)家は辛うじて家の形を留めてゆき、木々の成長と共に家が地面から持ち上げられて、ツリーハウスのように宙に浮かんでいきます。(図10)物語は次のような言葉で締めくくられています。「木々に囲まれた家、木々の力に支えられた家、そして、小さな緑の花々の香りをたたえてふく風」。かつて家族が暮らしていた家が、空き家になり荒れ果て、壊れていく経過は、現実の事象として捉えれば現在の日本でも深刻化している「空き家問題」そのものなのですが、物語としては、家族に関わる問題としてではなく、その経過を家や周辺の環境の変化という観点から描き出すことで、人が作り出したものを遥かに凌駕する自然の力、理(ことわり)を、詩的に淡々と語っているのです。

以前にも、連載「母さん目線の写真史」の中で、家にまつわる物語としてバージニア・リー・バートン作の『ちいさいおうち』について取り上げ、19世紀末から20世紀半ばにかけてのアメリカの都市化の流れや同時代の写真家の作品と照らし合わせながら読み込んでいきました。この『木に持ちあげられた家』もまた、アメリカ社会の変化や写真家の作品に照らし合わせると、物語の中に描かれていることをより具体的に理解できるのではないかと思います。

11_robert-adams(図11)
ロバート・アダムズ
「新築のトラクトハウス、コロラド州 コロラド・スプリングス」(1968)


まず、森林が伐採されて造成された土地に住宅が建てられるところから物語が始まりますが、これは第二次世界大戦後に急速に進行する郊外住宅の建設ラッシュの状況にもかさなるところがありますし、1939年生まれのテッド・クーザー自身が幼い頃からその状況を目の当たりにしてきた世代にあたります。テッド・クーザーと同世代のアメリカの写真家ロバート・アダムズ(Robert Adams, 1937-)は、1960年代後半からコロラド州やロサンゼルス近郊などで、郊外住宅やその周辺の風景を撮影し、大規模な宅地開発によって風景がどのような変容を遂げてきたのかということを冷徹な眼差しで捉えています。アダムズがコロラド・スプリングスやデンバー近郊の郊外住宅で撮影した写真集をまとめた『The New West』(1974) には、トラクトハウス(規格化された団地開発型戸建住宅)の建設過程や、郊外住宅地が遠く背景に山脈をのぞむような環境と共に写し取られていて、(図3)や(図4)に描かれている情景と重なり合うところがあります。
アメリカの経済発展とともに拡張していった宅地開発は、風景の有り様を大きく変容させていきましたが、作り出された住宅が、さまざまな要因のために後の世代に引き継がれることなく放置されているという現状に対しては、クーザーやアダムズから見ると子どもにあたる世代が新たな眼差しをむけています。

12_james-d-griffioen(図12)
ジェームズ・D・グリフィオン
「Feral Houses(野生化した家、野良家)」より


デトロイト近郊を拠点に活動する写真家ジェームズ・D・グリフィオン(James D. Griffioen 1977-)は、財政破綻のために荒廃したデトロイト郊外空き家を2000年代後半から撮影し、シリーズ「Feral Houses(野生化した家、野良家)」として発表しています。自動車産業の中心としてかつては繁栄したデトロイトでは、今や住民が出て行った住宅地の空き家化が深刻な社会問題になっていることは広く知られていますが、グリフィオンは、空き家のまま長年放置される間に、雑草や樹木、蔦のような植物が家全体を取り囲み、飲み込んでしまっている様子をそれぞれの家の正面から写し取っています。写された家の中には、大きな邸宅と呼べるようなものもあり、人々が買い求めた財産が無惨に打ち捨てられている状態を克明に記録するグリフィオンの撮影方法には、アメリカン・ドリームの象徴としてマイホームを手に入れることに躍起になってきた親の世代や経済的な価値観に対する醒めた姿勢が根底にあるように思われます。

家という財産を手に入れ、それを維持して守っていくということは、一つの世代の中では完結せず、次の世代に続くべき営みですが、『木にもちあげらた家』は、人間の営みや作り出すものよりもはるかに強く、長く持続する自然の力に、いかに意識を向けるのか、ということを語っているかのようです。物語を締めくくる「小さな緑の花々の香りをたたえてふく風」という一文に表わされた生命の微(きざし)は、微かであるが故に深い印象を残すのです。
こばやし みか

●今日のお勧め作品は、ピーター・ビアードです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第22回をご覧ください。
20160625_beard_01_san-quentinピーター・ビアード
「San Quentin Summer 1971(T.C.& Bobby Beausoleil)」
1971年撮影(1982年プリント)
ゼラチンシルバープリント(すこし描きこみあり)
22.5×33.5cm
Ed.75 サインあり


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◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

「第2回アートブック・ラウンジ〜画廊のしごと(南画廊のカタログ)」は本日が最終日です。
モンドリアン本棚「第2回アートブック・ラウンジ〜画廊のしごと(南画廊のカタログ)」
会期:2016年6月14日[火]〜6月25日[土]
*日曜、月曜、祝日は休廊
志水楠男が設立した南画廊が1956年から79年に開催した199回の展覧会から、1959年の今や伝説となったフォートリエ展はじめ、ヤング・セブン展、中西夏之展、サム・フランシス展などのカタログ50冊を頒布します。南画廊の作家たちー靉嘔、オノサト・トシノブ、駒井哲郎、菅井汲、嶋田しづ、山口勝弘、山口長男、難波田龍起、加納光於の作品を展示し、1968年10月南画廊で刊行記念展が開催された瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』(M・デュシャン、荒川修作、J・ジョーンズ、J・ティンゲリー)の完璧な保存状態のA版も出品します。

沖縄・浦添市美術館「内間安瑆展」6月16日〜6月26日

ニューヨークの内間安瑆先生のご遺族からメールをいただきました。
沖縄で内間先生の展覧会が開かれており、それも26日まで、定例の記事(建築家のドローイング第8回ハンス・ペルツィヒ)に割り込むことになりましたがご案内します。
沖縄の皆さん、ご旅行中の皆さん、ぜひぜひご覧になってください。

大変ご無沙汰しております。奥様、皆様お元気でお過ごしでございますか。いつもご案内メールをお送りいただきありがとうございます。
こちらは、寒い春のあと急に気温が上がり、今日は湿気も高く夏の始まりを感じております。
 ご連絡が遅れ誠に申し訳ございませんが、展覧会のお知らせをさせていただきます。
6/16 - 26 まで、添付の通り沖縄の浦添市立美術館にて、安瑆さんの展覧会が開催されております。展示作品30点は沖縄県立美術館より借用したそうです。浦添市は安瑆さんの父親の出身地なので、今回の移民100周年の展示と合わせ多くの方々に身近に感じてもらえるのではないかと思っています。案内状に掲載されている家族写真が撮られたとき、安瑆さんはすでに日本に留学していたので映っていませんが、エッチング自画像で参加しているアイデアがなかなか素敵です。
会期中は琉球大学の永津禎三教授がギャラリートークをしてくださり、若い方々が熱心に耳を傾けてくださったそうです。
日本は雨が多く大変な様子をニュースで見ております。
皆様どうぞお気をつけてお過ごしください。


20160616内間安王星展20160616内間安王星展 裏
第6回世界のウチナーンチュ大会記念
「虹色のかけはし 内間安瑆のARTと浦添の移民100年展」

会期:2016年6月16日[木]〜6月26日[日]
会場:浦添市美術館
   〒901-2103 沖縄県浦添市仲間1-9-2
時間:9:30〜17:30(金曜日は19:00まで) ※入館は閉館の30分前まで。月曜休館
 「第6回世界のウチナーンチュ大会」(平成28年10月27日〜30日)の開催を記念して、美術館と図書館の共同企画で北米と南米を中心とした浦添の移民と文化について市民はじめ、県内外の人びとに紹介する企画展を開催します。企画展示室2で明治時代末期(1906年頃)から現代にいたる浦添の移民の歴史と文化を写真やパネル、ゆかりの品々で紹介。企画展示室3では、浦添出身の北米移民2世で日本と米国で評価の高い美術家、内間安瑆の木版画と油彩画作品約30点(沖縄県立美術館所蔵)を紹介します。(同展HPより転載)

*画廊亭主敬白
公立美術館で僅か10日間の会期というのはあまりに短いですね。内間先生の展覧会とあらば(それも一昨年の沖縄県立美術館での大回顧展に継いで史上二度目の美術館レベルでの展示)、本来なら何が何でも駆けつけねばならないのですが、残念無念、今回はあきらめます。
それにしても前記の大回顧展のカタログ(素晴らしい内容です)も販売されたのは僅か100冊(千冊ではありません)、今回の展覧会の会期も僅か10日、沖縄の数字の観念が少し違うのかしら・・・・・
内間先生とその作品については、このブログで「内間安瑆の世界」として括っていますので、ご参照ください。

●今日のお勧めは内間安瑆の70年代の木版です。
TWO_SPHERES_IN_SPACE_二つの球_600内間安瑆
「TWO SPHERES IN SPACE 二つの球」
1971-1973  木版
Image size: 76.0x52.0cm
Sheet size: 86.6x59.9cm
Ed.30 Signed

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
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「第2回アートブック・ラウンジ〜画廊のしごと(南画廊のカタログ)」は明日までです。
同時開催:ここから熊本へ〜地震被災者支援展

建築家のドローイング 第8回 ハンス・ペルツィヒ

リレー連載
建築家のドローイング 第8回
ハンス・ペルツィヒ(Hans Poelzig)〔1869―1936〕

八束はじめ


 前々回にオットー・ワグナーのドローイングと実作とのスタイルの上での一致が、確かなメチエの介在の上に可能になったと述べたが、ユーゲント・シュティルにも何がしかのものを負っていることは疑い得ないにも拘らず、表現主義における――ここでは主にドイツのそれに限定しておく――ドローイングのスタイルは、そうした職人的なテクネーの延長上に確保されたものとは全く違っている。ワグナーの線描が、工作技術によって保証され、辿り得るものであったのに対して、表現主義者の作家たちのドローイングでは、線は実対化したものの境界というようなものではなく、つまり自律的なオブジェの構成要素というカテゴリーに入るものではなく、むしろある運動のプロセスであり、勢いという、本来定着して目に見えないものの行跡でしかない。主役を演ずるのは不動の客観物=オブジェではなく、その勢いを生じずにはおかないもの、つまりはその呼称にもあらわれている「表現」である。それが具体性に先行していることは、この運動ともまんざら無関係ではなかったヴォーリンガーの有名なゴシック芸術に関わるテーゼ、つまり「抽象」と「感情移入」に簡潔に要約されている。

第一次室内パースハンス・ペルツィヒ Hans Poelzig
「第1次室内パース」

 軽率の謗りを敢えて覚悟でいってしまうならば、「表現主義」と「表現主義的なるもの」との区別が可能であると思われる。この区分をひとまずしておくことによって、何故前者がオランダを除けば基本的にはドイツ固有の運動であったかを理解し得る。ラテン民族が表現主義的なアモルフのカオスを好まなかったという議論は、通俗的には説得性ありげに見えるが、ガウディ(スペイン)はアール・ヌーボーというより表現主義的な激しさすらもっているし、ル・コルビュジエ(スイスーフランス)の戦後のロンシャンの礼拝堂や、ミケルッチ(イタリア)の太陽の教会などはそれに対する反証となり得る。それが熱病のように共同化されて、時代の渦を形成していった所に、「表現主義」が一時代のスタイルとして成立し、またハンス・シャローンのような例外は別とすれば、作家たちがやがて病から治癒したかのようにそれから身を遠ざけていった一過性の理由を探ることができる。それはドイツの第一次大戦前後の社会的な大変動期のみに生じ得た、巨大な芸術と表現とのトランス状態であり、極度の個人主義と極度の集団主義、前進性と後進性とが不可分な形で煮つめられている坩堝であった。ヴォルテージの高さだけが問題であって、何であれ中途半端なもの、現状維持的なものは存在の余地がなかった。ペルツィヒの神話的な原始の共同体へのノスタルジーとルックハルト兄弟の有機的なファンタジーへの憧憬とメンデルゾーンの喧騒に満ちたダイナミズムとの間には、この変換期の作用の大きさ以外に共通するものを見つけるのは、必ずしも容易ではない。

ザルツブルグハンス・ペルツィヒ Hans Poelzig
「ザルツブルグの祝典劇場・第1次案外観」

 1869年に生まれたペルツィヒは、この時代の嵐とも痙攣ともいうべき運動に巻きこまれた建築家たちの中では最年長に属する。2才年上にはユーゲント・シュティルのオルプリヒ、1才年上には表現主義者にも影響を受けたべーレンスがおり、ウィーンのロースやホフマンよりは1才年長になる。後の近代建築運動の旗手となったグロピウス、ミース、ル・コルビュジエらよりは一世代半ばほど上にあたる。表現主義に身を投じた中でもタウト兄弟やメンデルゾーンにしても80年代の生まれである。この5年の違いは、彼らの原イメージとでもいうべきものに決定的な相違を与えている。ペルツィヒは、古いドイツの森林や山の深い響きに身を委ねながら育ち得た最後の世代である。彼は、同世代の建築家たちの多くとちがって、より若いアヴァンギャルドの運動にも理解と助力を与えたが、コンラード・ワックスマンのような技術者を育てたにも拘らず、本質的にはドイツの――後にはナチスの「血と大地」理論をも触発する――風土に根ざした神話的=ロマン的な共同体のイメージの上に生い立った建築家である。事実、こうしたイメージは、ペルツィヒのようにナチスから排除された建築家にも、5才下の、ナチスの寵を得たヴィルヘルム・クライスのような人物にも、またその中間にあったパウル・ボナッツなどにも共に通底している。ペルツィヒの最も著名な実現された建物、演出家マックス・ラインハルトのためのベルリンの大劇場はつららのような突起物が天井から無数に垂れ下がる幻想的なインテリアで一世を風靡したが、ドローイングに留まったビスマルク記念碑、コンスタンチノープルの友好の家、そしてザルツブルクの祝典劇場などのプロジェクトでは、こうした幻想性は更に著しく亢進されている。建築のマッスは鬱然としたうねりのうちに溶解されていて、もはやはっきりとした輪郭をもたない。それは霧の中から茫漠とした偉容をあらわしつつある塊のようでも、黒々と先端をうかがいしることもできない様子で濃厚に生い茂る森のようでも、底知れぬ深い洞窟のようでも、更にはまた巨大な蟻塚のようでもある。ワグナーの華麗なユーゲント・シュティルのドローイングがペンの鋭利な線(ハード・エッジ)を必要としたのとは対照的に、ペルツィヒはスケッチでは木炭を、詳細なレンダリングでは鉛筆を多く用いた。それらでつくられる線の柔らかさ、あるいはあらゆる方向に広がり蔓延していく曲面の微妙なテクスチャーが、ペルツィヒにとっては是非とも必要なものであった。そこに現出するものは南方の強い日ざしとは全く違った、ドイツの北方的な神話の空間であり、そうした古代の記憶を背負った共同体のイメージである。ここでは建築家はむしろ祭司なのである。柔らかいが大地に根ざした重さをたたえたその曲面の流れは、その祭儀をつつみこむ聖なる衣であり、時代の激動をその壁の厚みの外側で塞ぎとめている。ペルツィヒのドローイングほど、20世紀ドイツ社会の奥底に潜められた共同体への憧憬を能く表現し得ているものは他にない。

ビスマルクハンス・ペルツィヒ Hans Poelzig
「ビンゲルブリュッケのビスマルク記念碑―第1次案」

やつか はじめ

*現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.97』(1983年10月1日発行)より再録
*作品画像は下記より転載
「第1次室内パース」
https://thecharnelhouse.org/2015/08/17/return-to-the-horrorhaus-hans-poelzigs-nightmare-expressionism-1908-1935/hans-poelzig-festspielhaus-salzburg-1920-1922e/
「ザルツブルグの祝典劇場・第1次案外観」
http://socks-studio.com/2014/11/19/hans-poelzigs-festspielhaus-in-salzburg/
「ビンゲルブリュッケのビスマルク記念碑―第1次案」
現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.97』より

八束 はじめ Hajime Yatsuka
建築家・建築批評家
1948年山形県生れ。72年東京大学工学部都市工学科卒業、78年同博士課程中退。
磯崎新アトリエを経て、I983年(株)UPM設立。2003年から芝浦工業大学教授。2014年退職、同名誉教授。
代表作に白石市情報センターATHENS,
主要著書に『思想としての日本近代建築』。

●今日のお勧め作品は、磯崎新です。
礒崎新「闇2」小磯崎新 Arata ISOZAKI
「闇 2」
1999年 シルクスクリーン
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35 サインあり

礒崎新「影1」600磯崎新 Arata ISOZAKI
「影 1」
1999年 シルクスクリーン
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35 サインあり

礒崎新「霧1」600磯崎新 Arata ISOZAKI
「霧 1」
1999年 シルクスクリーン
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35 サインあり

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◆八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。

南画廊と駒井哲郎

ただいま開催中の「アートブック・ラウンジVol.2〜画廊のしごと(南画廊のカタログ)」では、戦後の現代美術を画商として牽引した南画廊のカタログを特集展示しています。
志水楠男さんが1956(昭和31)年6月に設立した南画廊は、閉廊した1979年11月までに199回の展覧会を開催しています。

亭主が南画廊の志水さんを初めて訪ねたのはを1974年でした。
美術のびの字も知らないのにいきなり新聞社の新規事業の一環として「現代版画センター」を設立することになり、先ず相談にあがったのが高校生のときからお世話になっていた井上房一郎さんでした。井上さんは直ぐに鎌倉の土方定一先生(当時神奈川県立近代美術館館長)のところに連れていってくださり、そこから亭主は久保貞次郎先生を知り、版画の道へと進みます。
井上さんは同時に「東京画廊の山本さんと、南画廊の志水さんを訪ねなさい」と助言してくれました。いま思うと28歳の若造にその後の筋道をつけてくれた井上さんの的確な目と助言に感謝するばかりです。

そうして知った南画廊は当時美術界の輝ける大画廊でした。
「私設外務省」という比喩がぴったりな、サム・フランシスジャスパー・ジョーンズなど海外から来る作家やコレクターの多くが南画廊の志水さんを頼ってくるのでした。

南画廊の最初の展覧会(1956年6月)は「駒井哲郎銅版画個展」でした。
若い志水さんが30歳で自分の画廊を開くにあたり、駒井先生を最初の作家に選んだことは、その後のお二人にとって画期的なことでした。
南画廊史である『志水楠男と南画廊』所収の年譜によれば<開廊記念展には「現代日本美術のパイオニアは誰か」と考えた末に、当時、銅版画家として清冽な作品を制作していた新人駒井哲郎を選んだ。>とあります。

19560618南画廊(駒井哲郎展)
南画廊の最初の展覧会「駒井哲郎銅版画個展」の案内状


上掲は志水さんが画廊の案内状として印刷したものですが、駒井先生はいかにもコレクターを大切にする銅版画家らしく、印刷の案内状とは別に手刷りの銅版画による案内状も制作しています。
南画廊案内状1956年
駒井哲郎
「南画廊開廊記念個展案内状」(仏文、別に和文のものもあり)
会期=1956年6月18日〜23日
銅版
12.0×17.6cm

南画廊案内状1958年
駒井哲郎
「南画廊個展案内状」(仏文、別に和文のものもあり)
会期=1958年12月15日〜20日
銅版
12.0×17.6cm


志水さんはその後、大画商としての地歩を固めていきます。
駒井先生は1956年の開廊記念展、1958年と1960年の計3回の個展を南画廊で開催し、その都度、オリジナル銅版画による案内状を制作しています。

駒井先生の手刷りの銅版による南画廊の1960年の個展案内状を入手した当時20代のあるサラリーマンはそれをきっかけに駒井作品の蒐集につとめ、やがて500点を超える大コレクションをつくるにいたります。自分で好きなものだけを集めた結果だけれど、文化財は社会のものでもあるからと考えたその人はすべてを世田谷美術館に寄贈します(「再び福原コレクションについて 発見された駒井哲郎」)。
駒井哲郎_個展案内状_二匹の魚
駒井哲郎
「南画廊個展案内状(二匹の魚)」
会期=1960年4月18日〜28日
銅版(福原コレクション)

たった一枚の案内状ですが、駒井哲郎先生、志水楠男さん、福原義春さんのそれぞれの大きな物語になっていったことを思うと、感慨深いものがあります。

駒井哲郎《芽生え》駒井哲郎
《芽生え》
1955年  銅版
15.5×28.0cm
Signed

駒井哲郎「嵐」
駒井哲郎
「嵐」
1962年 エッチング(亜鉛版)
18.5×18.5cm
Ed.20 Signed
※レゾネNo.175(美術出版社)

駒井哲郎《街》駒井哲郎
《街》
1973年  銅版
23.5×21.0cm
Ed.250 Signed
※レゾネNo.298(美術出版社)


●今日のお勧めは、貴重文献『志水楠男と南画廊』です。
onosato_10『志水楠男と南画廊』
1985年
発行:「志水楠男と南画廊」刊行会
27×26.5cm 251ページ
執筆:大岡信、志水楠男、難波田龍起、今井俊満、小野忠弘、木村賢太郎、加納光於、オノサト・トシノブ、菊畑茂久馬、宇佐美圭司、野崎一良、靉嘔、中西夏之、清水九兵衛、飯田善國、戸村浩、菅井汲、保田春彦、桑原盛行、他
頒価:16,200円(送料250円)

*志水さん没後、ご遺族によって刊行された南画廊の全記録。60〜70年代の世界の現代美術を知る上で、第一級の資料です。
特に巻末におさめられた座談会の顔ぶれと内容が凄い。
出席者は大岡信、東野芳明、読売の名物記者であり日本の現代美術の影の仕掛け人だった海藤日出男、志水さんを画商の道に導き最初のパートナーだった東京画廊の山本孝、志水さんの同級生でパトロンでもあった山本陽一(日本ノボパン工業社長)の5人が志水さんの生涯を率直に語り合っています。

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◆ときの忘れものは「第2回アートブック・ラウンジ〜画廊のしごと(南画廊のカタログ)」を開催しています。
モンドリアン本棚「第2回アートブック・ラウンジ〜画廊のしごと(南画廊のカタログ)」
会期:2016年6月14日[火]〜6月25日[土]
*日曜、月曜、祝日は休廊
志水楠男が設立した南画廊が1956年から79年に開催した199回の展覧会から、1959年の今や伝説となったフォートリエ展はじめ、ヤング・セブン展、中西夏之展、サム・フランシス展などのカタログ50冊を頒布します。南画廊の作家たちー靉嘔、オノサト・トシノブ、駒井哲郎、菅井汲、嶋田しづ、山口勝弘、山口長男、難波田龍起、加納光於の作品を展示し、1968年10月南画廊で刊行記念展が開催された瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』(M・デュシャン、荒川修作、J・ジョーンズ、J・ティンゲリー)の完璧な保存状態のA版も出品します。

同時開催:ここから熊本へ〜地震被災者支援展

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第10回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第10回

ジョージ・オーウェルの『1984』は有名なディストピア小説ですが、歴史が絶え間なく書き変えられていく=アーカイブが改竄され続けていく国家が描かれています。消してしまうことは勿論、現在の政治状況に合わせて不都合な事柄は何度でも書き直されてしまう。これは単なる焚書よりも恐ろしいことです。一体いつの記述が本来書かれたものだったのかが分からなくなってしまうのです。自分が信じていたこと、前提としていたことが常に脅かされる状態にあるということは、自分の存在自体も脅かされる状態にあるということです。主人公であるウィンストン・スミスは文書管理の部署に属し、政府の指示に基づいた文書の改竄・破棄を担当しているわけですが、そのような仕事に従事する主人公が、システムに抗おうとして密かに記述=自らの存在を確認するものとしてのアーカイブ化を始めるというところは象徴的です。『1984』が書かれたのは70年近く前ですが、同じようなモチーフは現在に至るまで書き継がれています。6月号『新潮』掲載の絲山秋子「新月とマリンバ」には、記録が抹消され、音のみが歴史を伝える手段となっている近未来(?)が描かれていました。これだけ記録やデータが溢れている時代ですが、大きなシステムに飲み込まれて歴史が消えてしまうことへの不安が募っているのでしょうか。
建物は歴史をどのように伝えるでしょう。
秋田の雄勝町にある白井晟一設計の雄勝町役場が取り壊しの危機にあるということで、6/11に行われたシンポジウム「雄勝町役場を考える」を聞きに行ってきました。
シンポジウム前に役場を見学したところ、白井建築に対して持っていた「重厚な闇の空間」というイメージを払拭するような、明るい軽やかな空間が役場2階に広がっていました。ドーリア式の楕円柱や独特の曲線をえがく手摺など、“白井晟一らしい”と思うような要素もちりばめられていますが、むしろ明快なモダニズム建築の要素の方を強く感じます。この建物が竣工したのは1956年。白井晟一にとって初の鉄筋コンクリート建築です。建物をRC造にするにあたっては、議会の強い希望があったようです。小さな町の役場に鉄筋コンクリート造は分不相応だと援助を拒否されながらも、かつての火事の経験から不燃建築をとの思いを貫き、戦後民主主義の始まりとなる会議場を擁する役場が誕生したわけです。町の人びとの熱意に白井も応え、当時の標準よりも費用を抑えた坪単価での実現となったそうです。ベルリンでは人民戦線運動に与していたという白井がデザインした、あの開かれた明るい空間は、民衆へと開け放たれた政治の象徴のつもりではなかったかと感じてしまいます。ガラスで仕切られた部屋の内部の見通しはよく、談合や密談を許さないための構成になっているかのようなのです。一方で、時代に迎合するのではなく永遠のものとしての建築をつくろうという意志が、ドーリア式の柱に現れているようでもあります。
現存する30件ほどの白井建築のうち、10件は湯沢地域にあるといいます。戦後初の作品である羽後病院も湯沢に実現しました。白井が戦中に縁あって家財道具を湯沢に疎開していたことがきっかけで戦後に仕事を依頼されたようですが、単に縁があったというだけでは済まされないほどの数の建築をこなしています。シンポジウム登壇者の松隈洋教授は、白井は湯沢に育てられた建築家だと言います。そして勿論、湯沢が白井に育てられた側面もあるでしょう。

DSC05387旧雄勝庁舎、2016年6月筆者撮影


雄勝町役場も一度は取り壊しが決まったと報道されています。焚書ならぬ近代建築の焚築(?)は至るところで行われていますが、それはまさに歴史を抹消することです。今回白井晟一とこの建物を巡る歴史を少し知り、改めてその思いを強くしました。

「白井晟一 湯沢・雄勝6作品群を遺す会」が発足しています。フェイスブックのチェックをどうぞ↓
https://www.facebook.com/leaveshiraiseiichi6works/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、安藤忠雄です。
20160622_andou_25_drawing2
安藤忠雄
「Koshino House」
2015年
紙にクレヨン、コラージュ
イメージサイズ:20.7×61.0cm
シートサイズ:23.6×63.6cm
サインあり

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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