スタッフSの海外ネットサーフィン No.51「Imprimer le monde」

スタッフSの海外ネットサーフィン No.51
「Imprimer le monde」

The Centre Pompidou, Paris


 読者の皆様こんにちわ、ゴールデンウイークも早々に過ぎ去り、大分寒さも和らいできたなぁ…等と思っていたらあっという間に日中気温29℃などという洒落にならん暑さになってしまい、自宅でエアコンを全力運転させて環境破壊に勤しんでおります、スタッフSこと新澤です。

 1977年に開館し、今年で40周年を迎えたパリの現代美術の最先端・ポンピドゥーセンター。
現在はMUTATIONS-CREATIONSという主題の下、幾つかの企画展を開催していますが、今回ご紹介させていただくのはその内の一つ、「Imprimer le monde」です。

imprimer-le-monde-web

 直訳すると「世界を印刷する」という意味のタイトルですが、この企画展では昨今技術の躍進が著しい3Dプリンターを用いた作品が展示されています。40の出展者の内訳は作家に限らず、3Dプリンターを解析や実験目的で使用するデザイナーや建築家等、多岐に渡ります。

 3Dプリンターと聞くと一般には最近、2010年代以降の技術と思われるかもしれませんが、その起源は1860年代にフランス人作家・彫刻家・写真家であるフランソワ・ウィレーム(Francois Willeme)の写真彫刻まで遡ることができます。とはいえ、現在知られるコンピューターを介してのモデルの出力が1980年代に実現されるまでは、コンピューター自体の誕生までに100年、そこから更に技術の発展に20年が必要とされましたが。

 今日、3Dプリンターは一般家庭が所有できるほどにサイズと価格が手軽となり、逆にハイエンドにおいては様々な素材を用いて精密な出力を可能とするだけではなく、通常であれば実現できない形状の出力も可能としました。

 今回の出品作品で自分が特に興味を惹かれた作品は以下の2点です。

imprimer-le-monde-centre-pompidou-outside1_960"Grotto II"
Benjamin Dillenburger、Michael Hansmeyer作

およそ7トンの砂岩を材料に制作された、縦横3mを超える立体作品です。
デジタルデータを基に制作されているからこそ分かることですが、作品を構成している面の数、実に13億以上! 制作はデザイン作業に2年が費やされたものの、パーツの出力は全自動で1ヶ月、組み立てに人力で2日。
c Photo by Fabrice Dall'Anese

stranger-7"Stranger Visions, Portraits and samples from New York, 2012"
Heather Dewey-Hagborg作

道端に落ちている髪の毛、ガムの固まり、たばこの吸い殻からDNAを抽出し、それを材料にコンピュータがDNA保持者の顔を算出、3Dで出力するという、生物学の実験との境界が非常に曖昧に感じるシリーズ。
stranger-8自分の痕跡から知らぬ間に自分の外観が複製されている、と書くとゾッとしませんが、作家と作家本人のDNAポートレートを見比べると、やはり髪の毛一本じゃ人間なんて分からんモンだなとも思います。

 他にもいかにも3Dプリンターで出力したのだろうなと察せられるものから、「えっ、これが!?」というものまで、様々な作品が展示されています。

 この展覧会は6月19日(月)まで、11:00から21:00の間、ポンピドゥーセンターのギャラリー4にて開催しております。
 先端技術が多種多様なクリエイターの手によって活かされる様子にご興味がある方は、是非以下より公式ページもご覧になってみてください。

(しんざわ ゆう)

ポンピドゥーセンター公式サイト(英語)
MUTATIONS-CREATIONS / IMPRIMER LE MONDE展ページ(英語)
デジタル・グロテスク(英語)
上で紹介した"Grotto II"を制作したグループの公式ページです。前作である"Grotto I"の画像や紹介動画も掲載されています。
Go Behind the Scenes to Watch How Heather Dewey-Hagborg Creates Portraits with Found DNA(英語)
ヘザー・デューイー・ハグボルがDNAポートレートを制作する過程を動画で見ることができます。

●今日のお勧め作品は、植田正治です。
ueda_06_sakyu-nude_3植田正治
《砂丘ヌード》
1950年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 23.7×21.7cm
Sheet size: 30.3×25.2cm
サインあり

ueda_08_sakyu-nude_5植田正治
《砂丘ヌード》
1950年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 24.2×21.7cm
Sheet size: 30.3×25.3cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

さようなら、南青山3丁目
最後の企画「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」は明日が最終日です。
前身の編集事務所の時代から30年近く青山で営業してきましたが、植田正治写真展を最後に、ときの忘れものは移転することになりました。
長年のご愛顧に感謝するとともに、新たな場所での再出発にご支援、ご協力をお願いします。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

ジェレミ・ステラ『東京の家 tokyo no ie』(青幻社、2017)

01(図1)
『東京の家 tokyo no ie』表紙
(青幻舎、2017)


02(図2)
『tokyo no ie : Maisons de Tokyo』表紙(右は帯つき)
(Le Lezard Noir, 2014)

今回紹介するのは、東京を拠点に活動するフランス人の写真家、ジェレミ・ステラ(Jérémie Souteyrat, 1979-)の写真集『東京の家 tokyo no ie』(図1)です。この写真集は、フランスの出版社から刊行された『tokyo no ie : Maisons de Tokyo』(2014) (図2)を新たに日本版として編集、制作されました。フランス版の写真集が刊行された2014年のインタビューで語っているように、ジェレミ・ステラは2009年から東京に在住し、都内に点在する著名な建築家が設計したユニークな住宅とその周辺の光景に惹かれ、建築雑誌の住宅特集号やインターネットを手がかりに住宅を探し出し、住人と交渉して許可を得て4年間かけて撮影に取り組みました。
フランス版(図2)は縦位置の判型に左開きの構成で、横位置の写真をページ毎に上下左右に余白を設けて配置したり、あるいは見開き全体で一枚の写真を配置したりしており、写真のサイズの違いが際立っています。それに対して日本版では、上開きの構成で、ページを上向きに繰りながら上下それぞれのページで一つ一つの場面に対峙し、空間の広がりや奥行き、住宅の形を吟味することができるようになっています。ところどころで、都心の景色を遠景から捉えた裁ち落としの写真が挿入されていますが、ページに余白の有無にかかわらず、写真のサイズが大きくは違わないため、写真集を通じて淡々としたリズムが刻まれています。フランス版は黒いクロス製本ですが、日本版では、建材のコンクリートや鋼鉄やアルミニウムのような建材を連想させる光沢のある灰色の紙で装丁されています。
写真集の巻末には、作品のリストとして、住宅の名前、撮影年月日がまとめられています。住宅の名前には、所在地や素材、形状、設計のコンセプトにかかわる言葉が使われおり、「建築家の作品」としての住宅が、あたかも彫刻や立体、インスタレーション作品として存在しているありようを印象づけます。一連の住宅の竣工年と、撮影年月日を照らし合わせて見ると、住宅が完成して数年を経た後に撮影されていることがわかります。一般的に、建築家の作品としての建築物をとらえた写真と言うと、竣工写真のような完成直後を捉えたものが思い浮かべられますし、建築雑誌でもそういった写真が数多く紹介されています。しかし、ジェレミ・ステラの関心は、それらの住宅が、住人や周囲の環境とともに、どのように存在し、時間の流れのなかでどのような変化を遂げているのか、ということに向けられています。そのため、ステラは、水平と垂直を整えた上で、住宅の構造がきちんと収まるような視点を注意深く選びつつ、通行人や車、自転車のような偶発的な要素を画面の中に取り入れています。

03(図3)
House Tokyo, 三幣順一 / A.L.X
2012年9月7日

04(図4)
Laatikko, 木下道郎ワークショップ
2013年10月

表紙にも使われている、House Tokyoをとらえた写真(図3)では、四つ角の斜向いから住宅を捉えつつ、自転車で通り過ぎた人物の黄色い帽子と、路面に描かれた十字線の中心の黄色い四角が偶さかに呼応するような瞬間が捉えられています。このように、住宅という動かないものを被写体の中心に据えつつも、その時の現象、偶然の出会いによって成り立つ生き生きとしたストリート写真としての性格をも具えていることが、ステラの写真の魅力だと言えるでしょう。
ステラが捉えた住宅の多くは、都心の限られた敷地に建てられたいわゆる狭小住宅と呼ばれるもので、ユニークな造形の住宅とともに、建てられた敷地のあり方にも眼が惹きつけられます。たとえば、いびつな形をした区画の端や角のわずかな空間や、建物と建物の間の間口が3mにも満たないような細長い形状の土地のように、町の土地区画から取り残された敷地の中に、建築家がアイデアと工夫を凝らして作り上げた住宅が納まり、側に停められた自動車や自転車、通行人が、家のスケールを測る尺度のようにも映ります。「Laatikko」(図4)は、隣接する建て売り住宅の方が画面の中に大きく捉えられ、わずかに戸口と側面だけが写っており、画面を右側から通りかかる女子学生たちの姿と相まって、主役であるはずの住宅が、さほど目立つこともなく、周囲の景色に馴染んでひっそりと存在するものとして捉えられています。House Tokyo(図3)が、素材や形において、周囲の住宅とは全く異質な強い存在感を持つものとして、その特徴が際立つような視点から捉えられているのと比べると、「Laatikko」(図4)は、敷地の形や隣接する建物との位置関係によって、景色の中に紛れ込んでしまっているようです。どんなに奇抜なデザインの住宅も、町の景色の中に飲み込まれている様子は、新陳代謝を繰り返す東京という都市が持つ性格をあらわにしているようでもあります。

05(図5)
BB 山縣洋建築設計事務所
2011年2月15日

06(図6)
ペンギンハウス アトリエ天工人
2010年11月20日

それぞれの住宅が、竣工からしばらく年数を置いて撮影されていることは、先にも述べましたが、数年の間に、住宅が経た変化は、壁面、とくに白い壁面の汚れに見て取ることができます。
たとえば、「BB」(図5)の白い壁面の量塊感は隣の住宅と並ぶことで強いインパクトを放っていますが、採光用の天窓の角の部分からの雨だれにより、筋のような汚れが残っています。「ペンギンハウス」(図6)も同様に、白い壁面に汚れが沈着しつつ、周辺の木立とともに、その外観を時間の中で徐々に変えていっていることを伺わせます。双方(図5)(図6)ともに、壁面の汚れの痕跡が、偶然そこに居合わせた通行人や隣家の住人の存在も相まって、撮影時の時間性を強く印象づけるものになっています。
ジェレミ・ステラが、住宅を通して東京という都市の構造や変化を記録する姿勢は、フィールドワークに臨む研究者のような理知性と、その時々の状況に即座に反応するストリート写真家の視線に根ざしています。写真に捉えられた住宅や周辺の町の情景が、数十年を経た後にどのように変化していくのか、ステラ自身の関心は、東京の未来の姿にも向けられているのかもしれません。

2017年5月26日(金)〜6月8日(木)の会期で、新宿のエプソンイメージングギャラリー エプサイトにて、展覧会「東京の家」(【東京写真月間2017】関連企画)が開催されます。写真集に収録された作品の大型プリントが展示されます。6月3日には、展覧会関連イベントとして<アーティストトーク&サイン会>ジェレミ・ステラ(Jérémie Souteyrat)x小林美香が開催されますので、是非お運び下さい。また、「日本、家の列島 ―フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン―」(汐留ミュージアム、2017年4月8日(土)〜6月25日(日))においても、『東京の家』の写真作品や、撮影された住宅の内部を捉えた写真や映像、縮小模型などが展示されています。こちらも併せてどうぞお運び下さい。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、ジョナス・メカスです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第31回をご覧ください。
20170525_0909-35ジョナス・メカス
「ウーナ、1歳...」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり


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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

さようなら、南青山3丁目
前身の編集事務所の時代から30年近くこの場所で営業してきましたが、植田正治写真展を最後に、ときの忘れものは青山を去り、移転することになりました。
長年のご愛顧に感謝するとともに、新たな場所での再出発にご支援、ご協力をお願いします。
青山最後の展示となる「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」は明後日27日までです。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

植田正治を見られる美術館

ときの忘れものは近く移転しますが、青山での最後となる「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催中です。27日までですので、どうぞお見逃しなく。

今日は植田正治作品を所蔵している国内の美術館をいくつかご紹介します。
もちろん下記以外の美術館で所蔵しているところも多々あると思いますが、それは他の機会にご紹介いたします。

植田正治写真美術館
植田正治の故郷境湊に近い鳥取県西伯郡伯耆町に1995年に開館(設計:高松伸)、植田正治の作品1万2千点が収蔵されています。
いつでも植田正治の作品を見られる美術館で、現在は<植田正治の「かたち」 写真における造形表現>展が開催されています(2017年6月4日まで、火曜日(祝祭日の場合は翌日)は休館)。
植田正治美術館フライヤー2
植田正治美術館フライヤー


東京都写真美術館
所蔵点数:299件
代表作品:《妻のいる砂丘風景(III)》、《ボクのわたしのお母さん》、〈童暦〉、〈砂丘〉、〈白い風〉、〈音のない風景〉など。
ueda_03_tuma-iii_large植田正治
《妻のいる砂丘風景(III)》1950年頃


ボクのワタシのお母さん植田正治《ボクのわたしのお母さん》1950年
*『植田正治のつくりかた』(2013年、青幻舎)より転載

都写美クロージングパーティ101Fメインエントランスへと続く外壁には、ロベール・ドアノー、ロバート・キャパ、植田正治の大型パネルが展示されています。
植田正治「妻のいる砂丘風景(III)」(2014年9月22日撮影:綿貫不二夫)


米子市美術館
所蔵点数:写真作品170点+資料3点=173点
代表作品:《自写像》、《小狐登場》
子狐植田正治
《小狐登場》1948年
*植田正治『写真とボク』(2010年、クレヴィス)より転載


九州産業大学美術館
所蔵点数:12点
代表作品:〈風景の光景〉シリーズ((1970〜80年に制作、40×52cm)計10点)

清里フォトアートミュージアム(Kmopa)
所蔵点数:5点
代表作品:《少女たち》1945年 サイズ 20.4×31.6cm 
     《カコ》1949年 サイズ 27.0×24.1cm
     《土門拳とモデル》1949年 サイズ 23.7×27.9cm
カコ植田正治《カコ》1949年
*『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社)より転載


横浜美術館
所蔵点数:11点
代表作品:《子守り(田園の1)》1938年、ゼラチン・シルバー・プリント、28.5×22.5cm

東京国立近代美術館
所蔵点数:17点
代表作品:《少女四態1939》、《パパとママとコドモたち》、《妻のいる砂丘風景(III)》など。
少女四態植田正治《少女四態》1939年
*『植田正治作品展 砂丘劇場』(1992年、JCIIフォトサロン)より転載

ueda_01_papamama植田正治
《パパとママとコドモたち》1949年


東川町文化ギャラリー
所蔵点数:10点
代表作品:すべて〈砂丘〉シリーズ、1949年、1950年、1983年、1986年、16x20インチ。

以上、8館をご紹介しました。
それぞれが所蔵する作品点数と代表作名については、各館からお答えいただきました。記して謝意を表します。
植田正治作品の展示予定については、各美術館にお問合せください。
〜〜〜
又、7月から山梨県立美術館で開催されるコレクション展にも、植田正治作品が出品されます。
●フジフイルム・フォトコレクション「私の1枚」
会期:2017年7月1日[土]〜8月20日[日]
会場:山梨県立美術館
幕末に写真が渡来してから150年余り、日本では多くの優れた写真家が作品を残してきました。
本展では、その中でも特に重要な101人が撮影した「この1枚」と呼べる代表作を銀塩プリントで展示し、日本写真史の軌跡をご紹介します。
日本写真の黎明期を支えたフェリーチェ・ベアトや下岡蓮杖の作品を筆頭に、写真に絵画的表現を追求した20世紀初頭の芸術写真、写真としての独立した芸術を目指した1930年代の新興写真、戦前戦後に活躍した木村伊兵衛、土門拳、植田正治、林忠彦などが見せた多種多様な表現、そして今日現役で活動する写真家たちの作品など、日本写真史を語る上で欠かせない作品を展示します。甲府市出身の日下部金兵衛、富士山を多く撮影した岡田紅陽、白籏史朗など、山梨にゆかりのある写真家の作品も含まれます。
写真が今まで以上に身近になった今日こそ、日本写真史の流れを改めて見直します。(山梨県立美術館HPより転載)

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●今日のお勧め作品は、植田正治です。
22植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント
Image size: 7.4×10.9cm
Sheet size: 8.2×11.7cm

07植田正治
〈白い風〉より
1978年
Type-Cプリント、木製パネル
Image size: 22.0×32.6cm
Panel size: 41.5×52.0cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

スタッフSの「金子隆一ギャラリートーク」レポート

スタッフSの「金子隆一ギャラリートーク」レポート

 読者の皆様こんにちは、この度慣れ親しんだ青山より画廊が移転することとなり、引っ越しのあれこれを考えると憂鬱になりつつも、新天地を思い年甲斐もなくウキウキしております、スタッフSこと新澤です。

01

 普段は展覧会半ば、或いは最終日前後に開催するギャラリートークですが、今回は月末にギャラリーコンサートが控えていたこともあり、「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」初日に開催することと相成りました。既に過去に二回、「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」と「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」のギャラリートークにご出演いただき、最早ときの忘れもので写真について語っていただくのはこの方しかおられない(と、スタッフSは勝手に思っている)写真史家・金子隆一先生に、ひょんなことから画廊で取り扱うこととなった、珍しい植田正治作品についてお話しいただきました。

RIMG0304 恒例、亭主の前語り。
 今回のお題は今展覧会の開催経緯について。さるお客様より持ち込まれた植田作品の数々ですが、その来歴からサインされていないものが多数。ですが、もしご存命ならばツァイトフォトの石原氏に話が行ってもおかしくないものばかり。早々に画廊内だけの判断は無理と結論し、金子先生にご出馬願うことに。

 金子先生は複数の植田正治写真集の出版に関係されており、こちらもときの忘れものが大変お世話になっている飯沢耕太郎先生と共に去年の12月に出版された「植田正治作品集」にも監修として参加されています。この作品集は特徴として、掲載内容をプリントの実存が確認されている作品に限らず、雑誌等に掲載された作品をベースとして選ばれています。今回展示した作品もその中に含まれていますが、驚くべき事に、編集時にプリントの現存が絶望視され、雑誌に掲載された画像を撮影した作品が、非常に良好な状態であっさりウチに入荷されていることが判明しました。他にも構図は同じものの、左右が反転している作品もあり、それはミスではなく、元々掲載されていた冊子の構成に逆らわないように構図を調整した結果であること等を教えていただきました。

RIMG0318 写真雑誌、特に日本のそれが半ば観光雑誌ともいえる特異性を持ち、1960年代の植田正治が所謂「有力な地方作家」と見做されていたことを説明する傍ら、作品集の編集時に集められた資料を回覧。

 今回最も自分の興味を惹いたのは、昨今美術写真としてモノクロ写真がカラー写真よりもてはやされている理由が、作風だけではなく社会インフラも関わっているというお話でした。後発の技術であるカラー写真は当初白黒写真よりも手間暇が必要とされる分野でしたが、1970年代には技術の発展に伴い一般においてカラー写真の方が簡単、安価に大量のプリントが処理できるようになりました。結果として一般人が気軽に、自分でも撮影できるカラー写真と、手間暇がかかる玄人志向のモノクロ写真という棲み分けが確立したということです。また、2014年の4月に開催した「百瀬恒彦写真展―無色有情」のギャラリートークで写真家・百瀬恒彦さんは現在でも個人単位ではカラー現像よりモノクロの方が簡単と言われており、その辺りの労力の差も写真屋任せの一般人と、現像まで自分でこなす作家でカラーとモノクロが分かれた理由なのかと思い返してみたり。

 今回のギャラリートークでは建築評論の植田実先生、奈良原一高先生の夫人の恵子さん、写真家の五味彬先生、植田正治事務所の増谷寛さん、国立美術館や大学の研究者の皆さんなどなど、何時にもまして豪華な面々が来廊され、青山での最後のギャラリートークを飾るに相応しい盛況ぶりでした。

RIMG0344建築評論の植田実先生
RIMG0360奈良原一高先生の夫人の恵子さん(右)
RIMG0340写真家の五味彬先生
RIMG0335植田正治事務所の増谷寛さん

 本日のギャラリーコンサートを持ちまして青山CUBEでのイベントは全て終了します。
 とはいえ画廊の場所が変わったくらいで亭主のイベント好きが収まるハズはありませんので、そう遠くない内にまた何かしら告知することとなると思われます。

 どうぞ今後ともお付き合いいただけますよう、宜しくお願い申し上げます。

RIMG0365

(しんざわ ゆう)

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。
本日夕方6時からギャラリーコンサートを開催します(既に満席)。6時以降は予約者以外は入場できません。

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第21回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第21回

 アーカイブ機関でいつも頭を悩ますのは、時間・空間・人手の不足。その中でも、空間=収蔵スペースの不足は、近現代資料については特に悩ましい問題です。現代に近くなればなるほど残された資料も多くなり、その形態も多様になります。デジタル技術を使用して作成された資料=ボーン・デジタル資料は、決定的な保存方法が見つからないまま、データ量だけは年々増加の一途をたどっています。技術が進歩し続けていく以上、解決策は永遠に見つからないのかもしれません。
 近現代建築資料館では、今のところボーン・デジタル資料の収集は行っていないものの、ご多分に漏れず、物理的な資料を収蔵するスペースの不足は恒常的な問題です。スペースの問題を緩和させるために、収蔵方法の検討は必至です。収集してきた資料は図面筒や段ボール箱に入っており、積み重ねたままだと大きな容積を必要としますし、必要があっても取り出すのに一苦労です。整理を進めるにあたって必要なのは、資料をこれ以上劣化させない安全な状態に移行させ、かつ効率的に収蔵することです。素材や技法によって適切な保管の方法は変わってきますが、その詳細は専門家の方にお任せするとして、ここでは収蔵方法とその工夫についてご紹介します。
 アーカイブ資料は、基本的には中性紙の包材に収容して保管します。筆者が50程の海外の建築アーカイブ施設を見た限りでは、図面は特大サイズでない限り、マップケースに収蔵されていることが殆どでした。マップケースの収蔵力はかなりのもので、紙の質にもよりますが、A0サイズの深さ4.5センチメートルのケース1段にA1サイズの図面が400枚強入ります。しかし、マップケースに収蔵するためには図面が平たい状態になっている必要があり、巻いて筒に保管されていることの多い建築設計図面は、平たくするフラットニング作業に骨が折れます。何十年も巻かれた状態だった図面は、図面端部を保護するテープの糊付けが剥がれてべたべたになっていたり、厚手のフィルムは癖が強くつきすぎてなかなか平らにならなかったり。フラットニングの方法も様々ですが、資料館では、シンプルに重しを乗せて数日から数週間置いています。伸ばした図面は中性紙のフォルダに入れて保管します。予算が潤沢にある施設であれば、中性紙フォルダを大量に購入できますが、特注品はかなり値が張ります。筆者が2週間研修をさせてもらったアルヴァ・アアルト財団では、ロール状の中性紙を購入して、フォルダを切り出して自作していました。フィンランドで外注すると、フォルダひとつがロール紙1本に相当するそうです。筆者もこれを参考に、ロール紙から図面用フォルダを作成してみました。(図1)結果、自家製フォルダのコストは外注の約1/9となることが分かりました。が、これには人件費は含まれていません。アアルト財団では、インターンに作成を任せていました。うまく時間と手間をやりくりして、効率よくコストを抑える必要があります。

DSC04803_s図1)
ロール状の中性紙から作成した図面フォルダ。
(写真はすべて筆者)


 海外では収蔵容器にも色々なバリエーションがありました。日本の博物館・資料館では資料の平置きが多いようですが、海外のアーカイブ施設では、比較的小さな紙資料は縦置きが基本です。平置きだと必然的に資料や容器を重ねていくことになるので、下にある資料が取り出しにくくなります。縦置きだと、棚からも容器からも資料が取り出しやすいのです。同じ大きさの容器を効率よく詰めて並べた場合、容器自体を取り出すのが難しくなりますが、多くの容器には、指を引っかけて棚から取り出すための紐やくぼみがついていました。(図2、図3、図4)日本で市販されている中性紙容器にはこのような工夫があるものがみつけられなかったので、組み立てる際に紐をつけてみました。ちょっとしたことですが、これで格段に取り出しやすなります。(図5)
 限りある予算やスペースを使ってなるべく多くの資料の収蔵を考えることは、アーカイブ資料に関わる際の大事なことです。細かく地味な作業ですが、小さな工夫が資料を扱いやすくします。アーキビストは資料が利用可能となる状態を目指して整理をするわけですから、最終的な活用のかたちを考えながら、収蔵方法を検討することも大切です。

DSC00330図2)
アメリカで使用されている紐つき中性紙箱。


DSC01756図3)
フランスで使用されている紐つき中性紙箱。


DSC02162図4)
ベルギーで使用されている穴空き中性紙箱が棚に並んでいるところ。


box図5)
市販の中性紙箱に引き出すための紐を付けたもの。


ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、磯辺行久です。
DSCF7400磯辺行久
《ワッペン》
1965年
カラーリトグラフ
イメージサイズ:45.2×30.2cm
シートサイズ :56.0×37.8cm
Ed.50
サインあり


DSCF7394磯辺行久
《ワッペン》
1965年
カラーリトグラフ
イメージサイズ:40.7×27.2cm
シートサイズ :49.5×38.2cm
Ed.50
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●本日(月曜)は休廊です。

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

町村悠香〜町田市立国際版画美術館「横尾忠則 HANGA JUNGLE」2017年4月22日〜6月18日

「横尾忠則 HANGA JUNGLE」展 版画による横尾忠則50年の冒険

町田市立国際版画美術館学芸員 町村悠香


 現在、町田市立国際版画美術館では「横尾忠則 HANGA JUNGLE」展が開催されている。1960年代から新作までのほぼ全版画約230点と、これまでポスターに分類されてきた「版画」約30点を一堂に会した、版画による横尾の大回顧展である。
 横尾忠則は、1960年代にアンダーグラウンド演劇のポスターをエロスと妖しさがただよう総天然色のデザインで制作して以来、グラフィズムによって時代の流行をつくりだし、若者カルチャーをリードするデザイナーとして注目を浴びてきた。「時の人」としてさまざまなメディアに取りあげられ、1970年代のロックやヒッピー・カルチャー、インド、精神世界への傾倒は当時の若者達に絶大な影響を与えた。1982年の「画家宣言」以降はペインティングに仕事の比重を移し、いまなお衰えないエネルギッシュな創作を続けている。
 本展覧会は横尾忠則現代美術館と当館に作家本人から多くの版画作品をご寄贈いただいたことをきっかけに、版画を通して横尾の創作の全貌に迫ることを狙いとした。横尾の展覧会はこれまで国内外で数多く開催されているが、版画の大回顧展は1990年以来27年ぶりである。総天然色の版画が壁を埋め尽くす本展を見渡すことで、1968年に版画制作を開始して以降、ペインティング、グラフィックと平行して生み出されている横尾の版画作品は、彼の創作活動を通観できる重要な柱の一つであることが分かるだろう。
 メディア横断的な横尾の版画制作の軌跡を追うことができる代表的な存在が『Wonderland』シリーズだ。1973年に刊行された版画集『Wonderland』と、1995年に発表された『W Wonderland』には、グラフィック、浮世絵、コミック、芝居、音楽などさまざまなジャンルの表現が織り込まれている。

001《Blue Wonderland》
1973年
シルクスクリーン・紙
206×292cm
町田市立国際版画美術館蔵


002《Red Wonderland》
1973年
シルクスクリーン・紙
206×292cm
横尾忠則現代美術館蔵


 1973年7月にギャルリー・ムカイから版画集として発行された『Wonderland』は、ユートピアを求め、南国の島々への憧憬を深めていた当時の横尾の志向を凝縮している。《Blue Wonderland》と《Red Wonderland》の2バージョンから成り、B1判8枚のピースが組み合わさって、縦206×横292cmの画面を構成する巨大な作品だ。版画集と銘打ちながらも卓上で楽しめる規模を遙かに超え、鮮やかな色彩を用いて、グラフィックやイラスト、コミックなどスタイルの異なるイメージが渾然一体となった吸引力を持っている。
 本作の下敷きとなっているのは海岸に裸の女性が置かれ、右端からコミック版のターザンが顔をのぞかせる「版画」作品、《Wonderland》だ。1971年の第10回現代日本美術展にB1判ポスターの形式をとった「版画」作品として出品し、街頭のポスターに見立てて壁に画鋲で留めただけで展示したところ、会期中に盗難にあったというエピソードがある。長らくポスターとして区分されてきたこの作品は、もともと美術作品として制作されたことに立ち返り本展では「版画」と捉えて出品している。

003《Wonderland》
1971年
オフセット・紙
73.5×104.3cm
作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)


『Blue/Red Wonderland』はこのB1判作品を8倍に拡大・分割したイメージに、さらに2つのポスターの要素が加わっている。一つ目は中央下部の波と薄く見える浮世絵風の絵柄で、1971年の国立劇場11月文楽公演「通し狂言 椿説弓張月」ポスターの引用だ。このポスターは1969年に三島由紀夫が手がけた新作歌舞伎「通し狂言 椿説弓張月」の文楽版公演のために歌舞伎版ポスターの版を組み替えて制作されたものだ。歌舞伎版初演のポスターは三島たっての希望で横尾が起用され、葛飾北斎の読本挿絵の模写にサイケデリックな色彩を施した仕上がりとなっている。左から中央にかけての印刷の網点が露出した虹は、1970年に結成された人気ロックバンド《EMERSON LAKE & PELMER》のポスターである。このようにファイン・アートとコマーシャル・アートの垣根を越え、もとのイメージが持つコンテクストの興奮を引き継ぎながら、それを知らない者にとっても高揚感を与える『Blue/Red Wonderland』。版を用いたコラージュの遊びが、ここではないどこかに連れて行ってくれそうな高揚感を高めてくれるのだ。
 この作品を制作した翌1974年は版画集『聖シャンバラ』や『ターザンがやってくる』など多数の版画作品を制作したが、以降は版画への興味が薄れ制作が途絶えた。1980年代はじめの「画家宣言」と平行して版画制作を再開したのは、ペインタリーな手法を採り始めた横尾が、シムカ・プリント・アーティスツで試みた版に直接描くシルクスクリーンの描画法に魅力を感じたことが1つのきっかけだった。この頃は木版画やリトグラフ作品でも絵画的表現の実験を試みている。1980年代半ばにはアメリカ人の女性ボディビルダー、リサ・ライオンらをモデルに「自然と肉体」をテーマとした作品群を発表。油彩画にさらに本格的に取り組むにつれ、1980年代後半には西洋美術史の名画と共鳴したシリーズを発表していく。これらは1987年に西武美術館で行われた絵画による大規模個展「横尾忠則展 ネオロマンバロック」に集大成していった。ペインティングにおける自他イメージの引用と増殖を経て、その熱は版画にも飛び火し、版画の領域でもイメージが重層的に重なり合う、大作絵画並の大型版画に挑んでいった。
 『Blue/Red Wonderland』の22年後、1995年に制作された『W Wonderland』は、西洋名画との交感を深めた作品を発表した後、自身の少年時代に目を向けていた時期に制作された。『Blue/Red Wonderland』の上に新たな版を刷り重ね、ピースを組み替えたことで、ビビッドな色彩と時空が歪んだかのように入り乱れるイメージの重層性と無秩序さがさらに増幅している。

01《W Wonderland 機1995年、シルクスクリーン・紙、206×292cm、作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)
《W Wonderland 供1995年、シルクスクリーン・紙、206×292cm、町田市立国際版画美術館蔵
展示風景


 新たに加えられたイメージは、同年に手がけたペインティング《6月27日の子宮内での出来事》から引用した。自らの内面を掘り下げる「私的絵画」を制作していた横尾が、少年時代に熱中した山川惣治の和製ターザン物語『少年王者』のワニと格闘する姿と、江戸川乱歩の『少年探偵団』の後ろ姿を描きこんだ作品である。『W Wonderland』は、『Blue/Red Wonderland』の南国の楽園と1936年6月27日に生を得た西脇での幸福な思い出が重なり、二重写しの「楽園」が表現されている。それは単なるノスタルジーではなく、母親の胎内で身体が出来上がる前の、自と他が混交した状態とも解釈できるかもしれない。
 本作で新しく加えた版は『W Wonderland』を制作途中に2点のシリーズとして独立させることを思いつき、『少年時代』と命名された。そのうち《少年時代 A》は横尾の二十歳までの自伝『コブナ少年−横尾忠則十代の自伝』(文藝春秋、2001年)の装画に、またジャングルにまつわる作品《少年時代 B》は本展の公式カタログ『横尾忠則全版画 HANGA JUNGLE』(国書刊行会、2017年)の表紙に使用され横尾のイメージの引き出しの一つとして活用されるに至っている。

004《少年時代A》
1996年
シルクスクリーン・紙
103.2×74.2cm
町田市立国際版画美術館蔵


005《少年時代B》
1996年
シルクスクリーン・紙
103.2×74.2cm
町田市立国際版画美術館蔵


 本展覧会のタイトルにつけた「HANGA」と「JUNGLE」というキーワードは、打合せのなかで横尾自身が重要視していった言葉だ。この2語は本展のテーマであり、またグラフィックや絵画との連続性を持つ横尾の版画の制作を解釈する上で重要なキーワードでもある。自身のツイッターでも以下のように述べている。

「版画といえば、木版画を想像されるけど、僕の場合、大半がシルクスクリーン(勿論、木版もリトグラフ、エッチングもあるけれど)です。ウォーホルは全てシルクスクリーン。」
「『版画』は古くさいのでぼくは『HANGA』と呼ぶ。展覧会名は『HANGA JUNGLE』。」(2017年2月8日)
「版画家を本職と思ったことは一度もないせいか、いつも出たとこ勝負のスタイルで一貫性のないのが僕のスタイルです。」(2017年4月18日)
「展覧会名『HANGA JUNGLE』の説明しましたっけ?密林には様々な樹木が共生しているように僕の版画もバラバラの様式が密林のように一個所に集まっているところから、こんなネーミングをつけました」(2017年5月2日)

 これらの発言は、伝統的木版画を制作する職人や専業の版画家としてではなく、グラフィック・デザイナーを経て、画家として活動するなかで、多くの作品を生み出してきた横尾の思いが表れている。横尾はデザイナーとして印刷に、そして画家・美術家として絵画に携わってきた。その双方に跨がる表現分野である版画はフラットでありながら、グラフィカルにもペインタリーにもマチエールを表現することができ、横尾のグラフィックと絵画両方の魅力を引き出せるジャンルだ。本業としてきた分野から少しはみ出した版画のフィールドだからこそ、その時々のスタイルを用いた冒険的で遊び心溢れる表現のエネルギーに満ちているのだ。
 ぜひ先入観を持たず、展示室の壁を覆うような総天然色の色彩の氾濫に身を委ね、生命力溢れる「HANGA JUNGLE」の世界を体感していただきたい。ここまで述べた言葉よりもその空間に置くだけで、ペインティング、グラフィックと平行して生み出されてきた横尾の版画制作は、彼の創作活動のなかで重要な柱の一つであることが分かるだろう。それが理性や概念よりも直感と衝動を信じて行動する、横尾流だ。

*画像は展覧会で展示している作品に限って掲載いたしました。

まちむら ゆうか

●展覧会のご紹介
20170518_520170518_4
「横尾忠則 HANGA JUNGLE」
会期:2017年4月22日[土]〜6月18日[日]
会場:町田市立国際版画美術館
時間:平日/10:00〜17:00、土・日・祝日/10:00〜17:30(入場は閉館の30分前まで)
休館:月曜

〜〜〜横尾忠則は1960年代にアンダーグラウンド演劇のポスターをエロスと妖しさがただよう総天然色のデザインで制作して以来、グラフィズムによって時代の流行をつくりだし、日本文化をリードするデザイナーとして注目を浴びました。それ以後「時の人」としてさまざまなメディアに取り上げられますが、その一方でHANGAの制作にも積極的に取り組んでいきます。1982年に「画家宣言」を発した後もペインティングと併行して、版画の枠を超えた作品を制作し続けています。〜〜〜(町田市立国際版画美術館HPより)

20170521横尾忠則『横尾忠則全版画 HANGA JUNGLE』
2017年
国書刊行会 刊行
260ページ
30.5x23.6cm
アートディレクション:横尾忠則
デザイン:相島大地(ヨコオズ・サーカス)
翻訳:クリストファー・ディケンズ
執筆:
・椹木野衣(美術評論家、多摩美術大学教授)
・滝沢恭司(町田市立国際版画美術館学芸員)
・町村悠香(町田市立国際版画美術館学芸員)
・山本淳夫(横尾忠則現代美術館学芸課長)
税別2,800円


●今日のお勧め作品は、『今日の問題点』です。
20170521_box池田満寿夫、横尾忠則、吉原英雄、永井一正、野田哲也、福田繁雄、靉嘔
オリジナル作品集『今日の問題点』
限定70部
1969年
21.5×21.5×21.5cm


企画・製作:海上雅臣
デザイン:福田繁雄
発行:壹番館画廊
各作品に作家サインあり

20170521_ikeda_01池田満寿夫
作品集『今日の問題点』より
《この空の上》

1969年
エッチング、ルーレット
イメージサイズ:16.1×14.2cm
シートサイズ :20.0×20.0cm
鉛筆サインあり


20170521_yokoo2横尾忠則
作品集『今日の問題点』より
《写性》

1969年
シルクスクリーン
イメージサイズ:19.0×13.6cm
シートサイズ :19.8×19.8cm
鉛筆サインあり


20170521_yoshihara吉原英雄
作品集『今日の問題点』より
《オレンジ色のしずく》

1969年
リトグラフ
イメージサイズ:16.0×13.0cm
シートサイズ :19.8×19.8cm
鉛筆サインあり


20170521_nagai永井一正
作品集『今日の問題点』より
《変点》

1969年
凹版、オフセット
イメージサイズ:16.4×17.3cm
シートサイズ :19.8×19.8cm
鉛筆サインあり


20170521_noda野田哲也
作品集『今日の問題点』より
《日記1969年2月28日》

1969年
木版、シルクスクリーン
イメージサイズ:14.9×14.9cm
シートサイズ :19.8×19.8cm
鉛筆サインあり


20170521_fukuda福田繁雄
作品集『今日の問題点』より
《正3面体の展開図》

1969年
平凹版
イメージサイズ:15.0×15.0cm
シートサイズ :19.8×19.8cm
鉛筆サインあり


20170521_ay-o6靉嘔
作品集『今日の問題点』より
《レインボールームの中の一匹の虫》

1969年
オフセット、シルクスクリーン
イメージサイズ:18.0×18.0cm
シートサイズ :18.0×18.0cm
4枚一組の作品
裏面に鉛筆サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

●今日(日曜)と明日(月曜)は休廊です。

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
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清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第3回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第3回

 佐谷画廊のことを知ったのは、1982年7月に「オマージュ瀧口修造展」と銘打って詩画集「妖精の距離」と「スフィンクス」の展示を行っていたからである。このカタログは小冊子のモノクロ図版だったが、滅多に見ることができない詩画集の全容を写真で紹介していた。このために寄せられた巖谷國士さんの「三年ののち」と題するテキストは、戦前におけるチェコスロヴァキアと日本のシュルレアリスム運動の比較を通していかに瀧口修造が孤立し「詩的実験」が彼一人によって遂行された〈運動〉であったかを論じ、その中から生まれた幸福とも言える成果が「妖精の距離」であることを示されたものだった。そして、初めて名前を知ったもう一人の寄稿者、土渕信彦さんの「切抜帖から」と題する文章からは、純粋かつ熱烈なファンとしての追悼の念とこれから研究を志す決意のようなものが伝わってきて親近感を覚えた。

「オマージュ瀧口修造展」案内状佐谷画廊1982年「オマージュ瀧口修造展」案内状
佐谷画廊
1982年


「オマージュ瀧口修造展」カタログ佐谷画廊1982年「オマージュ瀧口修造展」カタログ
佐谷画廊
1982年


 佐谷画廊はこの前年に瀧口の三周忌に合わせてアントニ・タピエスとの詩画集「物質のまなざし」の展示を行っているが、後になってそれを第1回展として恒例のオマージュ瀧口修造展を開催するようになった。1982年の11月には画廊も京橋から銀座に移り、翌年の第3回展は「加納光於 ― 瀧口修造に沿って」と題し、カタログも大判となりカラー図版も入るようになった。

「物質のまなざし」カタログ佐谷画廊1981年「物質のまなざし」カタログ
佐谷画廊
1981年


「加納光於ー瀧口修造に沿って」カタログ佐谷画廊1983年「加納光於ー瀧口修造に沿って」カタログ
佐谷画廊
1983年


同上カタログより同上カタログより


 私が初めて佐谷画廊を訪れたのは1984年の2月のことで、佐藤忠雄コレクション展が開かれていた。「画廊にて 現代絵画収集35年の軌跡」刊行記念の企画で、著者の佐藤さんもおられて本にサインをしていただいた。佐藤さんは高級官僚の経歴を持つ現代美術のコレクターとして知られていた。この本の中で特に印象に残ったのは、南画廊における三木富雄の絶筆となったデッサンとの出会いの場面と、画廊主志水楠男の死に触れて「この人の偉さはパイオニアとしての偉さであると思う。精力的に新しい画壇の創成に、努力された点にあると思う。価値のあるものを売ったり買ったりするのではない。まったく価値のないものを、価値のあるものにする仕事をされたのである。」と書いていたことである。

JPG「佐藤忠雄コレクション展」案内状
佐谷画廊
1984年


JPG「画廊にて」佐藤忠雄著
1984年
書苑刊行


JPG「月刊大樹誉6月号」より
三木富雄のデッサンと佐藤忠雄さん
1991年(株)東興


 この展覧会の折に画廊の応接間に置かれていた一つの作品に目が留まった。それは動物の紋章のような形に鮮やかなコバルトブルーの色が紙に食い込むように刷られたもので、加納光於の「ソルダード・ブルー」(接合された青)と名付けられた作品だった。私は直感的に瀧口修造の詩におけるイメージと物質の結合を連想したが、それはまるで「原型ノナイ青空ノ鋳物」のように見えた。(「掌中破片」煌文庫1書肆山田1979年刊)

JPG加納光於「ソルダード・ブルー」
1965年作


JPG「掌中破片」
書肆山田
1979年刊行


 周知のとおり加納光於は独学で銅版画を始め、早くから瀧口にその才能を認められ1956年にはタケミヤ画廊で最初の個展を行っている。瀧口はすでにその将来を予見するかのように南画廊での個展に寄せて「加納光於は黒と白の銅版画家である。そして、いままでのところそれに限っている。」(「一人の銅版画家についてのノート」1960年加納光於個展リーフレットより)と書いているが、その4年後に飽くなき表現技法の追求の過程で初めて色彩に取組んだのが亜鉛版をガスバーナーで焼き切ったものに色を付け凸版で刷ったメタルプリントだった。加納は「金属表面の凹凸のため圧刷プレス機がこわれてもいい、その瞬息の間に消え去った〈色彩〉の動的なダイナミズムのようなものを呼び戻してみたい。そうしてできたのがソルダード・ブルー」だと語っている。(ポエティカ臨時増刊特集・加納光於「馬場駿吉によるインタビュー〈揺らめく色の穂先に〉」より1992年小沢書店刊)

10「加納光於個展」リーフレット
南画廊
1960年


11「ポエティカ臨時増刊特集・加納光於」
小沢書店
1992年


11-2馬場駿吉によるインタビュー記事〈揺らめく色の穂先に〉


 この作品を購入したことがきっかけとなって、私は加納さんへ手紙を出したが、すぐに作品を購入したことへの感謝とデータを記した返事を頂いた。そして、1985年の2月に神奈川県の鎌倉山にあるアトリエを訪ねた。鎌倉駅からバスに乗り、とある停留所で降りて谷側に沿った細い小径を下って行くと入口に加納光於と書かれた白い木製の郵便箱が立っていた。その右手に見える白い洋館がかつて瀧口修造も訪れ「ある日、私は辿りついた谷間の家で」と書いたアトリエであった。(「加納光於についてのある日の断章」1967年南画廊個展〈半島状の!〉より)

12加納光於さんの手紙


13加納光於のアトリエ
「ポエティカ臨時増刊特集加納光於」より
小沢書店
1992年


 その日は、あいにく激しい雨が降っていたが、函のオヴジェ「アララットの船あるいは空の蜜」が置かれた書斎のような部屋でいくつか質問を交えてお話を伺った。瀧口さんについて何か書く予定はないですかと聞くと「瀧口さんのような人は後にも先にもいないし、書くことによってますます捉えがたい存在となるおそれがあるが、いつかオマージュとしての本を出したい。」と答えられ、制作にあたっては、「先にイメージがあるのではなく、不定形なものを明確にしたい欲求にかられて表現している。版画にこだわる訳ではないが、そのプロセスを大切にしている。」と語った。また、レオナルド・ダ・ヴィンチの素描「洪水」についての関心も示されたが、詩画集「稲妻捕り Elements」(1978年書肆山田刊)はその反映であったのかもしれない。
2時間ほど滞在し、その場で署名をされた図録「加納光於1977」(南画廊での個展に際して刊行)を戴いて帰途についたが、しばらくは興奮冷めやらぬ心地であった。
※アトリエ訪問時における加納さんの言葉は私の覚書に基づくものである。

14「アララットの船あるいは空の蜜」
1972年制作
(みずゑ1978年3月号特集・加納光於より)


15レオナルド・ダ・ヴィンチ素描展カタログより
「洪水」
西武美術館
1985年


16「稲妻捕り Elements」
書肆山田
1978年


17同上図版より


18「加納光於1977」
南画廊刊


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170520_V-09(185)瀧口修造
「V-09」
水彩、インク、色鉛筆、紙
Image size: 27.5x22.7cm
Sheet size: 31.5x26.8cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第15回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第14回

 今回は趣向を変えて、過去に書いた文章をご紹介したいと思います。
 幼い頃の山に関する出来事で、私がこれまでもっとも繰り返し書いてきた事柄は「スガリ」についてです。地蜂を食する文化が長野県にはあるのですが、私の生まれ育った八ヶ岳の裾野も例外にもれず、それを食べます。俗に「蜂の子」と呼ばれるものです。そもそも「スガリ」の語源は巣狩と思われますが、確かなことはわかっていません。ちなみにイナゴも日常的に食べます。
 繰り返し同じ事柄を書く。私はこのことを意識してやっています。同じことを再び書くことに当初は大きな抵抗がありました。新鮮味はないし、何より二番煎じではないかという思いがあったからです。
 でも、ある著名な小説家で、私より4つほど年上の方(あえてお名前はだしません日本人です)が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを書かれた文章を読み、多いに影響をうけ、同時に「繰り返し書いてもいい」ことに気がつき、背中を押されもしました。
 それから時折、私は記憶をたどりながら、「スガリ」をできるだけ別の方法で改めて書くことにしています。
 今回は、昨年の春(2016)に『文學界』(2016年5月号・文藝春秋)に発表しました中編小説「山人」のなかから、引用してみたいと思います。最新の「スガリ」の文章です。小説なのであくまで、架空の人物が登場します。東京生まれ東京育ちの主人公の少年が、両親を急に亡くし、父方の祖父母の元に引き取られ、そこで新たな生活を始めるといったストーリーです。
 少し長いですが、お読みください。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 昨日、じいちゃんとぼくは一緒に田んぼに行って、二匹のトノサマガエルを捕まえた。二匹ともプラスチックの虫かごに閉じ込め、ぼくの手の中にある。ときどきなかでカエルが跳ねる。そのたびにぼくは立ち止まって虫かごを両手でつつむ。もし、カエルが逃げてしまったら、スガリができなくなるからだ。
 じいちゃんがトノサマガエルを捕まえるさまは、手品でもみせられているようだった。糸の先の釣り針に器用にトンボをつけ釣竿をゆすると、トンボがまるで飛んでいるかのように土手と稲のあいだ、水面近くをふらふらとゆれた。しばらく繰り返していると、黒々としたものが水面から突然、勢いよくトンボめがけて飛びだした。じいちゃんが持った釣竿の先端が激しく上下に揺れた。釣り糸がきらきらと光って、次の瞬間、じいちゃんの手のなかにカエルが収まっていた。じいちゃんが閉じた手のひらをゆっくりと開くと、緑と黒の濡れた肌が見えた。黒い目も見えた。指のあいだから、後ろ足がにゅっと出たので驚いた。
「これがオウゲエロだ」
(略)
 じいちゃんは魚籠から取り出したビニール紐で、近くの木の枝にカエルの足を縛りつけた。カエルは力なげに両手をだらりと垂らしている。さらにベルトにつけた革のケースからナイフを出すと、刃をカエルの背中にすっと走らせた。次にその切り口に指を入れ、こじ開けるように皮をはぎ出した。お尻の方から頭の方へ指を滑らせる。魚をさばくみたいに見えた。器用だ。きれいに皮が剥けた。鶏肉を連想させた。そのあとで、カエルの身体のあちこちにナイフで切れ目のようなものを入れていった。そのあとでぎゅっと一度握ると血が吹き出した。家の祖先はカエルじゃなかったのか。
「始めるぞ」
 血の匂いで蜂が来る。そのことは知っている。でも、こんなに残酷なことをする必要なんてあるのだろうか。
「なんか文句でもあるだか? じいちゃんも、父ちゃんに教えてもらっただ」
 じいちゃんはあごをあげ、その姿勢のまま、じっと動かない。飛んで来る蜂を待っているようだった。
 十五分ほどたっただろうか。驚いたことに吊るされたカエルをめがけて蜂がやってきた。最初は注意深くカエルの周りをぐるぐると飛んでいたけど、やがてピタリとカエルの背中にとまった。
 なにも匂ってなどいない。ぼくにはわからないそれが、どうして蜂にはわかるのか。じいちゃんにも、嗅ぎ分けられるのか。地蜂はどれほど遠くからこの臭いを嗅ぎつけたのだろうか。ぼくも上を向いた。ゆっくりと回れ右をするようにぐるりと一周してみた。カエルと蜂とじいちゃんはこうして目には見えないものでつながっているのに、ぼくだけが、誰とも、どこともつながっていないのではないか。
 カエルにとまった蜂に、じいちゃんがそっと親指を近づけた。蜂はおとなしく爪の先に乗った。爪の上にはあらかじめナイフでマッチ棒の先ほどの大きさに切られたカエルの肉片が乗っている。肉片には真綿がつけられている。先を縒って器用に結んであるのだ。それもまたあっという間につくった。
 じいちゃんはじっと動かない。ぼくも黙って地蜂を見つめた。蜂はおそるおそるという感じに肉片を抱えた。かすかな羽音を立て、やがて空中に舞った。ぐるりとじいちゃんとぼくの頭の上に円を一度描くと、迷わず沢の上流の方向へ、真綿の白が遠ざかっていった。
(略)
 じいちゃんはどこまで行ったのだろうか。沢をそのまま上がっていったのか。自分がどうすればいいのかが、わからない。カエルが吊るされた場所へ戻るべきか。きっとそうすべきだろう。じいちゃんもそこに戻ってくるのだから。このまま斜面を下り、沢に沿って歩けば戻れるだろう。ぼくは足元を見る。自分が歩いて来た足跡はない。
 あの舌がだらりと垂れた血だらけのカエルが吊るされた場所で、じいちゃんを待つことがどうしようもなく恐ろしく感じられた。でもここにいても仕方がない。歩きだすと、何度も転んだ。そのたびに手のひらは泥だらけになり、爪の先にもそれがつまった。藪をかきわけようとした時、棘で左手の中指をざっくりと切った。
 戻ってきたじいちゃんに中指を切ったことを訴えると「つばでもつけとけ」と相手にされなかった。「泥がついているから、なめられない」と言い返すと「だったら頭を使え」と沢を指差した。「水道の水じゃなきゃ、やだ」なんて言ったら、怒鳴られることはわかっていた。でも、そんな水で傷を洗いたくはなかった。ぼくは代わりにじいちゃんを睨んだ。
「そういうやつは、とっととけえれ、性悪はいるだけで邪魔ずら。だで都会育ちはダメだ」
 じいちゃんはカエルの方に背を向けた。
 太陽が頭の真上を通りすぎた頃、じいちゃんは立ったまま、ばあちゃんが作ってくれたおにぎりを食べた。じいちゃんもぼくも時計を持っていないので、正確な時間はわからない。じいちゃんは不機嫌そうで、ほとんど何も口にしなかった。ぼくも同じように立ったまま食べた。食べ終わると、じいちゃんは虫かごに入れていたもう一匹のカエルを潰した。一匹目のカエルは乾き始め、もう血の匂いがしなくなったからだ。ぼくはその姿をぼんやりと見つめた。じいちゃんがゆっくりと動物に姿を変えていくような気がした。
 日が傾きだした頃、迷ったのだけど、
「ぼくもやりたい」
 と告げた。このままでは帰れないと思ったし、何よりじいちゃんを見返してやりたかった。
「そうか、やってみろ」
 駄目だ、と言われる気がしたので意外だった。
 見よう見まねで左手の親指の先にじいちゃんと同じように蜂を乗せた。じいちゃんの視線を感じ、緊張した。指先が震えていた。どういうわけか蜂は肉を握ろうとはせず、指の上をゆっくり甲の方に歩いてきた。蜂にからかわれているような気がした。怖くなって思わず手を振り払った。次の瞬間、手首の内側に鋭い痛みが走った。
「刺された!」
 じいちゃんはぼくの手を掴み、いきなりくわえた。硬い。吸いだした。
「しょんべんをかけろ、アンモニア消毒だ。自分のをかけろ」
 手首を見ると、赤く腫れ上がっていた。蜂に刺されたからなのか、じいちゃんが勢いよく吸いついたからなのか判別がつかなかった。混乱した。
「ほれ、めたしろ」
 自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
 とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
 すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。ぼくのシャツにも顔にもそれは跳ね返った。温かく、心地よかった。いままで何度も蜂に刺されたのに生きているじいちゃんのおしっこなのだから、毒など簡単に流れ去ってしまうだろう。
(略)
 じいちゃんはどれほどカエルが吊るされた木と藪の先を、行ったり来たりしたのだろうか。三、四十回ほどだろうか。
「見失った、くそ」
 吐き捨てるように、毎回そう言いながら戻ってきた。そのときまでには大抵、吊るされたカエルに地蜂が数匹留まっていた。だから休む間もなく、祖父は次の蜂に真綿のついた肉片を持たせ、地蜂が空中に舞い上がると、あっという間にまた藪のなかに消えていった。
 一日中追い続けたからといって、必ず巣が見つかるとは限らない。いや、見つからないことの方が多い。夕方、じいちゃんも諦めかけていたのだろう、「あと二回だけ」と力なく言って、藪のなかに消えていった。やがて、「見つけたぞ」と興奮気味に声を上げながら、戻ってきた。ぼくに抱きつかんばかりだった。
 手には何も持っていなかった。不思議に思って訊くと「目印をつけてきた」と言った。他人が見ても目印だと思わないもの、つまり木の枝をつかって自分にしかわからない目印をつくったという。以前のように巣をすぐに獲らないのは、相当にわかりにくい場所なので「ぜってえ誰かに獲られる心配はねえぞ。だで、巣が大きくなる秋までこのまま太らせる」のだという。
 やはり動物に近い。普段は隠している動物の本能が目を覚まし、こぼれ出している。それが匂った。なのに、じいちゃんは気がついていない。ぼくはじいちゃんをまじまじと見上げた。これから先、自分にそんなものが備わるなどとは、到底思えなかった。初めてうらやましく思った。
 
―――――――――――――――――――――――――

 小説はここまでです
 文章のなかの幾つかのことは本当にあった出来事です。私はその地で生まれ育ちましたが、初めて父と祖父に連れていってもらった「スガリ」の体験は強烈な記憶としていまも残っています。父と祖父が、突然、野性に目覚めたような、そこへ帰っていくような、あるいは別の動物になっていくような恐ろしさを何よりも感じました。
 この独特の「スガリ」の方法を、いつ誰が編み出したのか。知る術もありませんが、先人が考え出した原始的な方法で蜂の巣を見つける。そのことに驚きもしました。
 次回も、また別の小説に書いた同じく「スガリ」の場面をご紹介したいと思っています。地元で生まれ育ち青年になった男たちが、久しぶりに再会し同窓会的に「スガリ」をする話です。

01小林紀晴
「Winter 13」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

広島、豊田、町田で三つの展覧会

先日お伝えしたとおり、30年余りを過ごしてきたこの青山を去ることになりました。
早ければ来月にも別の街の、新しい空間に移転します。

貧乏画廊でも長くやっているといろいろな作家、作品とめぐり会う機会も少なくない。
当時はごく普通のことだと思っていたことどもも、40年も経つと、その時代を知っていた人もいなくなり(少なくなり)、自分の常識が若い世代にはまったく通用しないのだと気づくことになります。

倉庫に山と積まれた作品群も公認会計士からは「不良在庫」扱いされるのに、新米の学芸員には「えっ、こんな珍しい作品、初めてみました〜」とか言われ、ついついニヤニヤしてしまう、困ったもんです。

この春、たまたま私たちが出品などでお手伝いした展覧会が重なりました。
広島には殿敷侃、豊田には瑛九ル・コルビュジエ、町田には横尾忠則のそれぞれ作品を貸し出ししています。
全会場に伺わねばならないのですが、町田はともかく、広島、豊田はちと遠い。そうでなくても引越し騒ぎで通常の作業も遅れ勝ち、会期はまだあるから・・・などと油断していると終わってしまいかねない。
ということで、先日一番遠い広島に行ってまいりました。豊田、町田にも近々伺うつもりです。

●広島市現代美術館
殿敷_1200殿敷2_1200
「殿敷侃:逆流の生まれるところ」
会期:2017年3月18日[土]〜5月21日[日]
会場:広島市現代美術館
時間:10:00〜17:00(入場は閉館の30分前まで)
休館:月曜日

広島には幾度も行っていますが、山の上にある黒川紀章設計(1989年開館)の広島市現代美術館にはオープン直後に来たことがあるだけで長いことご無沙汰でした。没後25年を迎えた殿敷さんの短くも果敢な生涯を振り返った本展については、既に担当学芸員の松岡剛先生と、アート・ウオッチャーの佐藤毅さんに寄稿していただいています。
正直言って打ちのめされました。初期の微細な点描作品や晩年のインスタレーションの仕事は少しは知っていたつもりでしたが、薄暗い会場に展示されたキノコ雲の写真を拡大・反復させた巨大シルクスクリーン、鉛筆やボールペン、あるいはスタンプで描いた無数の点や線の集積からなる大作群ははじめて見るものばかりでした。
廃棄物や漂流物を周囲の人々を巻き込みながら集め、繰り広げたダイナミックなインスタレーションの記録(映像、写真、記録文書)も重要ですが、むしろそういう激しい活動の裏で日常的に孤独な制作作業の末に生み出されたであろう静寂な画面の美しさに圧倒されました。

呆然としたまま山を下り、40年もの長い付き合いになるギャラリーたむらのご主人と飲んだ翌朝、いつもは外から見るばかりだった広島平和資料記念館にはじめて入りました。
多くの中学生、そして海外の人たち(こんなに多くの人が訪れていることにも驚きました)に混じり、原爆で亡くなった子供たちの遺品(学生服、弁当箱・・・)と死ぬ間際に残した言葉、ご遺族の無念のにじむ手記などを読みながら、涙がとまりませんでした。
殿敷侃展は会期終了まで残り僅かですが、ぜひご覧になってください。
展覧会図録はときの忘れものでも扱っています。
20170414『殿敷侃:逆流の生まれるところ』図録
2017年
広島市現代美術館 発行
278ページ
25.7x18.7cm
価格3,400円(税別) 
※送料別途250円

目次:
・序にかえて―殿敷侃についての覚書 寺口淳治
・I 何くそ、こんな絵は…:初期具象からポップアート的絵画へ 1964-1970
・II たたみ込まれた執念:点描と銅版画の実験 1970-1980
・III 上手く描くと忘れ物をする:長門という場所での創作
・VI 埋め尽くすものと、隙間からのぞくもの:反復と集積による表現 1980-1985
・V 逆流する現実:廃材によるインスタレーション 1983-1991
・逆流の生まれるところ 松岡剛
・年譜
・文献リスト
・出品リスト

〜〜〜〜
●豊田市美術館
20170404172223_00001

20170404172223_00002
「岡乾二郎の認識―抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」
会期:2017年4月22日(土)〜6月11日(日)
会場:豊田市美術館 展示室1〜4
休館日:月曜日
開館時間:10:00〜17:30(入場は17:00まで)
企画監修:岡乾二郎(造形作家)

論客の岡乾二郎さんを監修に迎え、美術館のコレクションを中心に他からも借り集めて構成した異色の展覧会で、巷の噂ではめっぽう評判がいい。岡さんならではの近代美術史を大胆に読み直す試みについては、担当学芸員の千葉真智子先生に先日ご寄稿いただきましたので、ぜひお読みください。

〜〜〜〜
●町田市立国際版画美術館
20170518_520170518_4
「横尾忠則 HANGA JUNGLE」
会期:2017年4月22日[土]〜6月18日[日]
会場:町田市立国際版画美術館
時間:平日/10:00〜17:00、土・日・祝日/10:00〜17:30(入場は閉館の30分前まで)
休館:月曜

亭主が美術界に入った時代(1970年代)のスターとは「社会面に載る人」のことでした。
横尾忠則と池田満寿夫がまさにスターでした。
本展に関しても、担当学芸員の町村悠香先生にご寄稿をお願いしており、5月21日に掲載予定です。ホントはもう少し早く掲載したかったのですが、予想外(!)に人気で(あの町田に続々と横尾ファンが押し寄せている)、原稿の執筆どころじゃないらしい。

〜〜〜横尾忠則は1960年代にアンダーグラウンド演劇のポスターをエロスと妖しさがただよう総天然色のデザインで制作して以来、グラフィズムによって時代の流行をつくりだし、日本文化をリードするデザイナーとして注目を浴びました。それ以後「時の人」としてさまざまなメディアに取り上げられますが、その一方でHANGAの制作にも積極的に取り組んでいきます。1982年に「画家宣言」を発した後もペインティングと併行して、版画の枠を超えた作品を制作し続けています。〜〜〜(町田市立国際版画美術館HPより)

広島、豊田、町田いずれも担当学芸員たちの熱意あふれる展覧会です。
どうぞお出かけください。

●今日のお勧め作品は瑛九横尾忠則殿敷侃です。
20170518_1_qei_165瑛九
《花々》
1950年
油彩
45.5×38.2cm(F8)


20170518_2_yokoo_04_tahiti_1a_mimi横尾忠則
《タヒチの印象 I-A(耳付)》
1973年
スクリーンプリント・和紙(耳付)
イメージサイズ:85.0×60.5cm
シートサイズ:112.0×72.5cm
Ed.100の内、T.P.(数部)
サインあり
※レゾネNo.36(講談社)


20170518_3_14_insect殿敷侃
《地中の虫》
リトグラフ
イメージサイズ:21.2×35.9cm
シートサイズ :36.2×45.1cm
Ed.30
サインあり


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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催しています。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。

倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」 第4回

倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」

第4回「明白な夏 ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅」


倉方俊輔(建築史家/大阪市立大学准教授)


画:光嶋裕介(建築家)
原画

 ル・コルビュジエのヴァイセンホフ・ジードルングの住宅は、1927年にドイツのシュトゥットガルト郊外で開催された住宅展の顔だ。2棟の住宅が敷地の入り口で建つ。
 コルビュジエは7月23日から10月31日までの会期中に40歳を迎えた。住宅展に参加した16人(組)の建築家のうち、最年少のマルト・スタムは当時まだ27歳、最年長のペーター・ベーレンスは59歳だった(※1)。2棟の住宅は、その中核に当たる年齢にふさわしい。屋根は傾かずにフラットルーフで、明るく白い外壁は平滑に塗られ、テラスが外気と人間の間をつないでいる。鮮やかな外観が会場の住宅群に共通する特徴を印象付け、ここから始まるのが世代や個性を超えた一つの物語であることを伝える。
 モダニズムの展開において神話的と言えるこの住宅展には会期中、約50万人が来訪した。評判や悪評に誘われた90年前の参加者と同様、私たちも傾斜を生かした回遊路を歩き、さまざまな形式に遭遇できる。それぞれの住宅は個性を殺して規格化されているわけではない。敷地を無視した一定の間隔で建設されているわけでもない。「実験」のか細さではなく、すでにあったかのように堂々と語られる大きな物語。1棟は斜面から伸び上がり、もう1棟が奥で庭とともにあ
るコルビュジエの作品は、そんな複数の作家で編まれた会場の経験も予告している。
 彼が時代を代表する見事な表紙を描いている。ほんの2年前のレスプリ・ヌーヴォー館では、そうではなかった。それがここでは、多様性の中の統一を示す、模範的な教科書の役割を、さらりと遂行している。

*****

 これが鮮やかな夏の奇跡だとすれば、ミース・ファン・デル・ローエが目配りの効いたプロデューサーのごとく振る舞えたことも、驚くに値しないかもしれない。コルビュジエより1つ年上の彼は、ヴァイセンホフ・ジードルングを主催したドイツ工作連盟の副会長に就任しており、芸術監督の立場から、この社会的にインパクトのある実践を指揮した。
 準備は1925年に始まった。ドイツ工作連盟は、シュトゥットガルト市の公共住宅計画のうち約60戸を、健康的で実用的なモデル住宅群の建設に充ててもらうことに成功した。プロモーションの場であり、会期が終わった後は貸し出される市営住宅の敷地は、元から市が保有していたもので、最終的に21棟63戸が建設された。
 ミースは当初から、フラットルーフの住宅が地形に沿う形で分散配置された全体計画を念頭に置いていた。それらはさまざまな住戸タイプからなり、敷地の最も高い場所と両脇にはほかより高層の建物が建って、全体を引き締める。重要なのは、現代の風潮を代表するに足る一流の建築家たちが参加リストに並び、その作品が競い合うようにあって、新時代の建築のマニフェストになっていることだと考えた。
 1924年から29年までの時期は、第一次世界大戦の敗戦で成立したドイツ共和国が社会的な秩序を回復し、ヒトラーによる第三帝国成立の契機となる世界恐慌が勃発する以前の安定期として知られる。実験的で
社会的なヴァイセンホフ・ジードルングも、当時のシュトゥットガルトの工業的な復興と自由主義的な思想なしには考えられない、束の間の大戦間の輝かしい文化的達成だった。
 この時期のミースは、生涯で最もマニフェスト的に映る。すなわち、言語を操り、社会的に行動し、グループをなす建築家という像に最も接近していた。1923年に創刊された雑誌『G』をハンス・リヒターやエル・リシツキーと共同編集し、プロジェクトや論考によって人目を引いた。1924年にはフーゴ・ヘーリングらとともに、ベルリン市の保守的な建築行政を打ち破る若手建築家のグループ「リング」を立ち上げ、ドイツにおける新しい建築の機運を推進した。ドイツ工作連盟に参加したのも同じ頃からで、この1907年に創設された伝統ある団体が大戦間にも主導的であることを知らしめたヴァイセンホフ・ジードルングの建築家リストには「リング」の構成メンバーが多く含まれている。
 信頼関係にあった市の担当者とともに、建築家の選定は国際的な視野から行われた。ミースは地域主義的なシュトゥットガルト中央駅が今も威容を誇る地元の建築家パウル・ボナーツをリストから外し、コルビュジエの招聘にはこだわった。書籍を通じた名声が、住宅展に大きな価値を添えると分かっていたためである。
 こうしてコルビュジエは、ミースと初めて出会った。ただし、シャルル・エドゥアール・ジャンヌレとルートヴィッヒ・ミースであれば、16年前に顔を合わせている。1910年に数カ月間だけだが、コルビュジエはベルリンのペーター・ベーレンスの事務所で働いていた。同じ頃にミースも勤めており、当時の印象をミースは懐想している。「一度だけ、事務所の入り口で出っ食わしたよ。彼は出ていくところで、私は入るところだった」とだけ(※2)。
 ミースが生まれたのはドイツのアーヘンだった。そこからベルリンへ出たのはコルビュジエが故郷のラ・ショー=ド・フォンからパリに向かった1917年よりもだいぶ早い1905年で、父親と母親の旧姓をつないでつくった仮名「ミース・ファン・デル・ローエ」によってインターナショナルでどこか意味深な趣をまとったのは、コルビュジエがその名を決めた翌年の1921年だった。
 蚊帳の外に置かれた重鎮ボナーツの手厳しい計画への批判や、決して実務的とは言えないミースの性格に起因する進行の遅れなどがあったものの、ヴァイセンホフ・ジードルングの実現によって彼は、インターナショナルな現代建築家としての地位を確かにしたと言える。ミースが権限を持つ参加建築家のリストには、師だったベーレンスや、同事務所の先輩として背中を追っていたワルター・グロピウス、表現主義的で作風は必ずしも相容れないハンス・シャロウン、そして自らと同様に実績よりプロジェクトと言論によって名高いコルビュジエも含んでいた。
 この夏、生涯で最もマニフェスト的だったのは、コルビュジエも同じかもしれない。ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅は、前年に発表した「新しい建築の5つの要点」のきっかけとして作品集の中に置かれている。その後、ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面構成の5つは「近代建築の五原則」であるかのように受容されることになる。第一次世界大戦後の世相の中で名を形づくった2人は、40歳代らしく急進的であり過ぎない時代のリーダーとして1927年、明白さの中に溶け合うように見えた。

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ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅
竣工年│1927年
所在地│Weissenhofmuseum im Haus Le Corbusier Rathenaustrasse 1- 3 70191 Stuttgart
用途│住宅
(撮影:倉方俊輔)
2006年から1戸が博物館として公開され、計画から現在に至るまでの改変や復元の過程が良く分かる

*****

 しかし、ここにあった物語とは、一体何だったのだろうか。住まいという建築家の美学にとっての新たな領域? 生活の基礎の再定義による建築家の社会貢献? あるいは第一次世界大戦の悲劇の後にルネサンスが訪れ、美学と社会性が握手する夢?
 コルビュジエもミースも、そんな明快な白昼夢にまどろまないことにおいて共通し、同時に対照的だった。
 入り口の裏手の高台まで上がれば、ミースの設計による24戸3階建の集合住宅の全貌が姿を表す。白く四角い建物に窓が規則的に穿たれた、彼にとって初めての鉄骨構造の建物だ。屋内の壁は耐力から解き放たれ、間取りの変更も可能になった。出展作品中で最も、住宅問題の解決という社会的使命に誠実に応えているかのようである。
 それにしては厳然としすぎだ。団地のようであり、さらに言えば工場のようであり、甘さのない割り切りにおいて、単純な美学の表出にも、社会的な事象への応答にも見えない。時代の要求に応え、時代の技術を駆使することによってこそ、時代に左右されない存在感が生まれる。そんなミースの時代精神の思想は、この時から描かれたプロジェクトではなく、現実の姿をとるようになった。

*****

コルビュジエとミースのただ一度の共演は、互いに形態のエールを送っているようで微笑ましい。ミースの集合住宅の南側立面にはテラスが突き出している。けれど、それは椅子を向き合わせるのがやっとの窮屈なもので、反復の凄みを強める役目しか果たしていない。
 他方でコルビュジエが従兄弟のピエール・ジャンヌレとともに設計した1棟2戸の住居は、1階に並ぶ鉄骨柱がミースの作品を連想させる。だが、はるかに享楽的なポーズであり、柱で持ち上げられた2階が、暮らしのための空間になっている。ほかに用意された1階の家事室、書斎と称された3階の階段脇のスペース、そして鉄骨柱という限定された要素が、この空間と屋上庭園の無限定感を強調している。2戸がつながり、さらに横に伸びていくかのようだ。この空間の使用法は次のように解説される。
 「大きな部屋を得る方法として動く間仕切りを使用、これを引き込むことで実現する。寝台車のように、夜だけこの仕切りを利用するのだ。昼間は、端から端まで開け放たれて大きな居間となる。夜には、眠るためのものはすべて―ベッドや必要な戸棚類―各細胞ブロックに隠れたものが出て来る。横に沿ったワゴンリ(寝台車)の国際規格の車輌と全く同じ寸法の廊下が、夜のための通路となる(※3)」。
 目的に応じた部屋を準備することに自らの美学を使う多くの設計者と異なり、ミースのユニバーサル・スペースに近いわけだが、丘の下のコルビュジエは何と違った場所にいるのか。彼のもう1棟の独立型住宅は、長く温めていたシトロアン型住居の実現で、こちらの名前は自動車のシトロエンになぞらえたものだ。ここでもメタファーが形態から想像が動き始める感覚を高め、機械が人間中心ではない自由をもたらし、空間は定義を喪失する。規定の美学や社会性は意味を失い、笑いを通じて時代は超克される。
 ここから言語と形態の両面でミースはますます寡黙に、コルビュジエは饒舌になっていく。ヴァイセンホフ・ジードルングは明白に見えた夏の証だ。
くらかた しゅんすけ

※1…経緯は基本的に以下の文献に依拠した。
『Weissenhof Museum Im Haus Le Corbusier Katalog Zur Ausstellung』(2008)
※2…フランク・シュルツ著、澤村明訳『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』(鹿島出版会、2006)p.45
※3…ウィリ・ボジガー/オスカル・ストノロフ編、吉阪隆正訳『ル・コルビュジエ全作品集 第1巻』(A.D.A EDITA Tokyo、1979)p.136

■倉方俊輔 Shunsuke KURAKATA
建築史家。大阪市立大学大学院工学研究科准教授。1971年東京都生まれ。著書に『東京レトロ建築さんぽ』『ドコノモン』『吉阪隆正とル・コルビュジエ』、編著に『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』『これからの建築士』ほか

表紙
『建築ジャーナル』2017年4月号
今年の『建築ジャーナル』誌の1月〜12月号の表紙を光嶋裕介さんが担当することになりました。
テーマはル・コルビュジエ。
一年間にわたり、倉方俊輔さんのエッセイ「『悪』のコルビュジエ」と光嶋裕介さんのドローイング「コルビュジエのある幻想都市風景」が同誌に掲載されます。ときの忘れものが企画のお手伝いをしました。
月遅れになりますが、気鋭のお二人のエッセイとドローイングをこのブログにも再録掲載します。毎月17日が掲載日です。どうぞご愛読ください。

●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
20170517_03
光嶋裕介
「幻想都市風景2016-03」
2016年  和紙にインク
45.0×90.0cm  サインあり
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◆ときの忘れものは編集事務所時代から30年近く青山におりますが、諸般の事情で移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊
201705UEDA_DM
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◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。
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緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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