イェンス・バルテル「日本はガラパゴスだ」

バルテルさん


"Japan is Galapagos"

Jens Bartel

(日本語訳は下にあります)

"Japan is Galapagos" is a phrase I heard my Japanese adviser at Musashino Art University say many times during my stay in Japan from 2013 to 2016. It implies that Japan is a remote island more or less forgotten from the rest of the world, set apart by a vast stretch of the ocean. I am not sure if my adviser was serious or if it was meant ironically, but I think it was meant serious to some extent.

My current occupation is working on my PhD thesis in the field of Early Modern Japanese painting. While at Toki no Wasuremono —helping out with translations of artist's biographies, and maintenance of the homepage—, I encountered Japanese art that I didn't have much exposure to previously: postwar avantgardists, photographers, architects, and many contemporary artists as well. I had seen the Gutai exhibition at the Guggenheim Museum in New York in 2013, and I knew a bit about the short life of Matsumoto Shunsuke, but the photo dessins of Q Ei, the calcomanie experimentations of Takiguchi Shuzō, or the imaginative prints of Onchi Kōshirō were new to me. Also, Toki no Wasuremono is not an average gallery: there are many art-related events held at the gallery space in Aoyama, and a rather extensive network to museums and private collectors is maintained. Spending some time in a space like this obviously allows for a couple of observations.

For instance, a peculiarity of the Japanese art world seems to be the importance of artist's associations. I am not sure if it is still the same for today's emerging Japanese artists, but reading the biographies of many 20th century protagonists, it seems like everything is centered on membership in art associations. This sometimes goes to the extent that certain biographies reveal virtually nothing about what made the artist interesting in the first place (their art), but only about their fluctuating affiliations in countless art associations.

What I also heard about was that in recent years the Japanese art market did not fare very well. It is an odd situation: 2015 was the year when one of the bestselling artist worldwide was Japanese (Yayoi Kusama), but only a neglectable portion of sales of Japanese art was due to Japanese buyers. It must nowadays be extremely challenging to maintain a full-time career as a Japanese artist unless they take their work abroad. Now, Toki no Wasuremono is almost exclusively active with art in modern and contemporary media (oil painting, photography, silkscreen printing, objects and such), but Japanese art universities like Musashino Art University continue to educate a considerable number of students in specializations like Nihonga. Opting for a career in Nihonga, in my impression, is like settling for a life on Galapagos. It means attaching one's future career prospects to a particular market (Japan) that, in international comparison, is performing lukewarm at best.

Reading through the biographies of early- and mid-20th century Japanese avantgardists, it is also striking how many of them spent time abroad when this was incomparably more difficult than it is today. For instance, back in 1929 it still took the painter Yatarō Noguchi multiple weeks on a passenger ship to arrive in Europe (he only returned to Japan 4 years later, in 1933). My experience from spending some years at a US university is that I hardly encountered many Japanese international students. The low numbers of Japanese students abroad are not even due to a small population (there are countries in Asia with fewer people that have many times more young people enrolled in international universities). Much of the younger generation here probably grows up without much first-hand exposure abroad, even though to gain some is as easy as never before. One might call this Galapagos by choice.

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「日本はガラパゴスだ」
イェンス・バルテル Jens Bartel


「日本はガラパゴスだ」は2013年から2016年の私の在日中に、武蔵野美術大学の指導教授から度々聞かされた言葉だ。これには日本という国が海によって自分以外の国と隔てられ、半ば忘れられた存在であることを想起させられた。この発言について指導教授が真剣だったのか、それとも皮肉交じりだったのかは定かではないが、ある程度本気でそう思っていただろうと私は思っている。

私は現在、日本の近世絵画分野の博士号取得に励む身である。ときの忘れもので働くにあたって――作家略歴の英訳やホームページのメンテナンスが主な業務だった――以前は出会う機会のなかった日本美術と出会うこととなった:戦後前衛美術、写真家、建築家やコンテンポラリー作家たちだ。2013年にアメリカのNYグッゲンハイムで具体の回顧展は見ていたし、松本竣介の短い生涯についても多少は知っていたが、瑛九のフォトデッサン、瀧口修造の実験的デカルコマニー、或いは恩地孝四郎の創造的な版画作品との出会いは全てが新鮮だった。また、ときの忘れものも平均的とは言い難い画廊だった:頻繁に青山でアート関連のイベントを開催し、また美術館や個人コレクターと幅広い繋がりを持っている。そのような場所でそれなりに時を過ごせば、幾らかの発見は不思議ではない。

例を挙げるとすれば、日本美術界の特有な点として、美術団体がある。昨今世に出てくる作家たちも同様であるか定かではないが、20世紀の主な人物の略歴を読むと、美術団体の一員であることが画業の中心であるかのように見受けられた。極端なケースになると、略歴の内容が作家の美術活動等には殆ど触れず、所属した美術団体のリストに終始しているものさえあった。

また、近年の日本のアートマーケットの不況についても聞いたが、これはこれで妙な話である:2015年に世界で最も売り上げが高かったアーティストは日本人(草間彌生)だったにもかかわらず、日本人はその売り上げにほとんど貢献していないのだ。昨今の日本の作家がフルタイムで活動するためには、国外に作品を持ち出さない限りは難しいのだろう。ときの忘れものは現在モダンとコンテンポラリーアート(油彩、写真、版画、オブジェ等)を主に取り扱っているが、武蔵野美術大学のような美術大学では未だに数多くの学生が日本画のような、より専門的な分野を学んでいる。私にしてみれば日本画のキャリアを選択することはガラパゴス島に永住を決意するような印象さえ受ける。どういう意味かというと、国際的に比較して、よく言っても生温い状態のマーケット(日本)に、その後のキャリアの展望も固定されてしまうということだ。

20世紀前半と中期の前衛作家達の伝記を読んで、これまた驚くべきは現在とは比較にならないほど海外に出ることが難しかった時代にもかかわらず、彼らの大半が海外留学の経験があることだ。例を挙げるならば、1929年に画家・野口弥太郎はヨーロッパへ向かうために数週間の船旅を経て渡欧している(その4年後、1933年に帰国)。私自身の経験から言うと、数年を過ごしたアメリカの大学で日本人学生に出会うことはそう多くはなかった。アジアで日本より人口の少ない国がより多くの学生を他国の大学へ送り出しているケースだってあるのだから、人口に比しての問題でもない。現在の日本の若い世代は、以前とは比較にならないほど簡単に海外と繋がりを持てるのに、大半はそのチャンスを利用せずに成長していくのだろう。この状態を説明する上で、なるほど自ら選択した「ガラパゴス」(のような状態)と言っていいのかもしれない。

*画廊亭主敬白
2014年12月に退社した李秀香さんは英、仏、ハングル、日本語と四ヶ国語をよくした才媛でしたが、その後を継いだイェンス・バルテルさんも母国語であるドイツ語をはじめ、英語、日本語に堪能で、海外担当の新澤を助けてときの忘れものの国際化に大きく貢献してくれました。初出勤のとき亭主が「専門はなんなの?」と聞くと、「円山応挙とか」と返されたのには驚きました。
日本での予定の研究を修了し、アメリカの大学に戻るために先日日本を去ってゆきました。
シャイで口数の少ないバルテルさんのことを知らないお客様もいたと思いますが、上掲のエッセイを読めば彼が日本の美術界を冷静な目で見ていたことがおわかりになるでしょう。
海外との取引が増える一方のときの忘れものはまたも強力な戦力を失う危機に陥りましたが、二児の母となり二足のわらじどころか三足も四足もはいている李秀香さんが今度も助け舟を出してくれました。
父がアメリカ人、母が日本人で日本に留学中の(だから日本語は少し覚束ない)勝見美生さんを紹介してくれました。英語の力は、新澤曰く「ぼくより凄いです」とのことなので、一安心です。

バルテルさん、ご苦労さまでした、ありがとう。

●ときの忘れものは本日(日曜)と明日(月曜)は休廊日です。通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

●本日のお勧め作品は瑛九です。
瑛九「三人」
瑛九
三人
1950年
フォトデッサン
55.2×45.5cm
サイン・年記あり

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●名古屋のSHUMOKU GALLERYで開催中の「瀧口修造展」は本日31日(日)が最終日です。お近くの方、お見逃しなく。

●皆様にご協力いただいた「ここから熊本へ〜地震被災者支援展」での売上げ総額634,500円は、一番被害の大きかった益城町でお年よりや子供たちのケアに尽力されている木山キリスト教会に400,000円を、熊本市の城下町の風情を残す唐人町で被災した築100年の商家(カフェアンドギャラリーなどが入居、一時は解体も検討された)の西村家の復興資金に234,500円を、それぞれ送金いたしました。
詳しくはコチラをお読みください。

●ときの忘れものは「ART STAGE JAKARTA 2016」に出展します
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8月5日(金)15:00〜21:00(プレビュー)
8月6日(土)13:00〜21:00(一般公開)
8月7日(日)11:00〜21:00(一般公開)
会場:Sheraton Grand Jakarta Gandaria City Hotel
ときの忘れものブース番号:A7
出品作家:安藤忠雄磯崎新ル・コルビュジエ葉栗剛長崎美希野口琢郎秋葉シスイ草間彌生ナム・ジュン・パイク

◆ときの忘れものは菅井汲展を開催します。
会期:2016年8月6日[土]〜8月20日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
sugai_11_group-sときの忘れものでは16年ぶりに菅井汲展を開催します。
1919年神戸に生まれた菅井は中村貞以に日本画を学び、1952年渡仏。渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなりました。1955年からは版画制作を開始し、生涯に約400点を制作。1959年リュブリアナ国際版画展、1965年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞しました。本展では、菅井の1970年代の版画を中心にご覧いただきます。

光嶋裕介の新連載「和紙に挑む」第2回

展覧会直前連載:「和紙に挑む」(全4話)

第2話 インスピレーションの地形


光嶋裕介(建築家)

 「描く」という行為から少し離れて、「彫る」ということについて考えてみると、彫刻家にとって彫る対象となる「石」はどのような存在なのだろうか。優れた彫刻家は、石の声に耳を済ませ、自らの自我によって彫りたいものを彫り出すというよりも、石がなりたい姿をみつけるという類のことを聞いたことがある。実に潔いし、かっこいい。
 しかし、これは、なにも不思議なことではない。やはり、芸術家には、どこか目に見えないものを想像する力が求められるからだ。それは、ただ突拍子もない真新しいものを生み出すということではなくて、目の前の風景を深く観察し、そこにあったかもしれないなにものかを見ることなのではないか。もうひとつの世界と言い換えても良い。
 石から何かを彫るにしても、やはり、対象である石のことをよくよく観察し、少しずつその姿らしきものがぼんやり見えてくるようになるのだろう。だとしたら、やはり、絵を描くにしても、無自覚的にただ白い紙に絵を描きはじめるのではなく、その紙そのものについてもちゃんと関わりたいと思うに至った。

KAMI-2-1


KAMI-2-2


 建築家は、スケッチをしながら思考するもの。それが、お気に入りのモレスキンのスケッチブックであっても、新聞の切れ端であっても、「描きたい」何かがひらめいたときが最も大切なのである。言葉は、わざわざメモに書き起こさなくても、頭のなかで復唱することで、覚えることができる。しかし、造形的なアイデアというものは、描いてみなければわからない。むしろ、描くことで初めて発見させるもの。ひらめきは、そのきっかけであり、それを逃すと二度とそのアイデアは、思い浮かばないかもしれないのだ。

 このアイデアが生まれる瞬間というものに着目したい。何かふわふわした形のないものが、ゆっくりと立ち上がってくる。線を重ねることで、少しずつ輪郭が発見され、造形として描かれていく。いまさっき描いた線に、次描く線が影響されていく。先の線があるから、次の線が描かれる。そうした線の関係性に世界が宿る。こんな線を描いてみよう、こんな風に繋げてみようと、思うのもすべて画面と自分が反応するから。
 私にとって、ドローイングを描くということは、それがツルツルのケント紙であるのか、ザラザラの藁半紙であるのかは、決定的に違う。描いているのが2Bの鉛筆なのか、HBのシャーペンなのか、あるいは、製図用のペンで描くのかによっても、まったく違う。当たり前かもしれない。紙という物質もペン先の摩擦によって、線という結果がうまれる。
 ジャズミュージシャンがそれぞれ息のあったインプロビゼーションによって演奏するように、私も和紙の上で、自由に踊りたい。単なる白い紙ではなく、そこに予期せぬ形でうまれた「模様」をひとつの「地形」としてとらえ、静かに思い浮かぶ街の姿を描いていくのである。

 そういう意味において、今回の個展に出展する「幻想都市風景」のインスピレーションは、和紙そのものにあると断定できるのだ。

(こうしま ゆうすけ

◆ときの忘れものは、9月20日(火)〜10月8日(土)「光嶋裕介新作展〜和紙に挑む〜幻想都市風景」を開催します。

●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
20160730_koshima_8_wonder光嶋裕介
「Wonder City 2015」
2015年
紙にインク、墨
31.0×38.0cm
サインあり

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  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
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 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

●名古屋のSHUMOKU GALLERYで「瀧口修造展」が開催中ですが、会期がいよいよ明日31日(日)までです。お近くの方、お見逃しなく。

●皆様にご協力いただいた「ここから熊本へ〜地震被災者支援展」での売上げ総額634,500円は、一番被害の大きかった益城町でお年よりや子供たちのケアに尽力されている木山キリスト教会に400,000円を、熊本市の城下町の風情を残す唐人町で被災した築100年の商家(カフェアンドギャラリーなどが入居、一時は解体も検討された)の西村家の復興資金に234,500円を、それぞれ送金いたしました。
詳しくはコチラをお読みください。

●ときの忘れものは「ART STAGE JAKARTA 2016」に出展します
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8月5日(金)15:00〜21:00(プレビュー)
8月6日(土)13:00〜21:00(一般公開)
8月7日(日)11:00〜21:00(一般公開)
会場:Sheraton Grand Jakarta Gandaria City Hotel
ときの忘れものブース番号:A7
出品作家:安藤忠雄磯崎新ル・コルビュジエ葉栗剛長崎美希野口琢郎秋葉シスイ草間彌生ナム・ジュン・パイク

◆ときの忘れものは菅井汲展を開催します。
会期:2016年8月6日[土]〜8月20日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
sugai_11_group-sときの忘れものでは16年ぶりに菅井汲展を開催します。
1919年神戸に生まれた菅井は中村貞以に日本画を学び、1952年渡仏。渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなりました。1955年からは版画制作を開始し、生涯に約400点を制作。1959年リュブリアナ国際版画展、1965年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞しました。本展では、菅井の1970年代の版画を中心にご覧いただきます。

安藤忠雄VS磯崎新展

来廊されたお客様から、「あの作品を見たいのですが」と言われることはしばしばです。
しかしそういうときに直ぐにご覧に入れられることはめったにありません。
せっかくいらしていただいたのに、まことに残念、無念。
ホームページに掲載している作品の全てを青山の画廊に保管しているわけではなく、狭い画廊ですから、ほとんどの作品は倉庫にあると言ったほうが正確でしょう。
事前におっしゃっていただければ毎週始めに倉庫と青山を往復する車に積んで運びます。

ときによっては、お一人のためだけの一日または数日間の特別展が密かに開催されることも。
ポンピドゥー打合せ (10)
今回は海外からのお客様のために、自社の車には入らず、大型レンタカーを借りて安藤忠雄先生と磯崎新先生の巨大な作品を急遽倉庫から運びこみました。

ポンピドゥー打合せ (11)
磯崎新の木版「Folly-Soan」にはさまれて、ときの忘れものでは初展示の「闇-4」、大きいです。
磯崎新「闇 4」1999年、シルクスクリーン、58.3×154.0cm(紙:70.0×167.0cm)、Ed.9

ポンピドゥー打合せ (16)
正面は磯崎新「FOLLY-SOAN 3
左端が「FOLLY-SOAN 2

ポンピドゥー打合せ (14)
安藤忠雄 Tadao ANDO
「中之島プロジェクト [アーバンエッグ2]」
1988年  シルクスクリーン
105.0x175.0cm
Ed.55  Signed

ポンピドゥー打合せ (4)
安藤忠雄 Tadao ANDO
「中之島プロジェクト [アーバンエッグ1]」
1988年  シルクスクリーン
105.0x175.0cm
Ed.55  Signed

ポンピドゥー打合せ (8)
安藤忠雄「光の教会」
1998年 シルクスクリーン
イメージサイズ:28.6×75.2cm
シートサイズ:60.0×90.0cm
A版(和紙):Ed.10
B版(洋紙):Ed.35
Signed

展示できたのは僅か6点。来週末からは次回企画「菅井汲展」なので、今日と明日、僅か数日間の臨時「安藤×磯崎展」であります。どうぞお出かけください。

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8月6日(土)13:00〜21:00(一般公開)
8月7日(日)11:00〜21:00(一般公開)
会場:Sheraton Grand Jakarta Gandaria City Hotel
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出品作家:安藤忠雄磯崎新ル・コルビュジエ葉栗剛長崎美希野口琢郎秋葉シスイ草間彌生ナム・ジュン・パイク

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会期:2016年8月6日[土]〜8月20日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
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森本悟郎のエッセイ「その後」第28回

森本悟郎のエッセイ その後・第28回

赤瀬川原平とライカ同盟(8) 東京散歩


名古屋や三重やパリ、福岡にも足を伸ばしたライカ同盟は、前回書いたように「身近な東京を撮りたい」という欲求を常々持っていた。雑誌連載というかたちでその思いが叶ったのは2001年、田中長徳さんが主筆を務める『カメラジャーナル』(アルファベータ)誌からの依頼によってだった。月に1度、東京のどこかに出掛けて撮影するという「ライカ同盟通信」である。

01『カメラジャーナル』101号(2001年9月1日発行)
ライカ同盟の連載が始まる。


1回目が掲載されるのは9月発行の101号だが、撮影は5月にスタートした。赤瀬川秋山、高梨の3同盟員に〈通信員〉を拝命したフリー編集者・野口達郎さんとぼくの5人で向島を歩いたのがその最初である。こののち連載最終回(第22回)の東長崎まで、毎月集まっては散歩と撮影と反省会を楽しんだ。名古屋住まいで勤めのある身にはさすがに全てというわけにはいかないが、それでもたいていは都合をつけて参加した。赤瀬川さんの美学校講師時代の生徒である久住昌之氏と森田富生氏に次々出会った吉祥寺、秋山さんの知人で臨月間近となった美術家増山麗奈氏に声を掛けられ、ついでにモデルになって貰った(「十月九日(とつきここのか)」)本郷、昼食に入った寿司屋の女将さんに「ハイレベルカメラマン」といわれた浅草、秋山さんが左右別々の靴を履いて現れた武蔵小山などエピソードには事欠かない。

02秋山祐徳太子「十月九日(とつきここのか)」(本郷)


誌面は写真とその日の反省会(鼎談)記録、それに野口さんの「撮影日誌」と同盟員が交代で持ち物を披露する「本日の一品」という構成で、ライカ同盟の撮影事情を多角的に伝える工夫があった。この連載12回分をまとめてC・スクエアで『ライカ同盟展 東京涸井戸鏡(カレイドスコープ)』(2002年)を開催、荒木経惟さんをゲストにトークイベントも行った。ポスターは浅草墨堤の桜を背景にしたものである。会期中にライカ同盟3冊目の作品集『東京涸井戸鏡(カレイドスコープ)』が刊行され、11月に同展は東向島のギャラリー「現代美術製作所」に巡回し、トークイベントのゲストは山下裕二氏だった。

03『ライカ同盟展 東京涸井戸鏡(カレイドスコープ)』ポスター
撮影:二塚一徹


04ライカ同盟『東京涸井戸鏡(カレイドスコープ)』(アルファベータ)


東京撮影は連載が終わってからも続き、その成果は『ライカ同盟展 ラ・徘徊《東京編》』(2003年 武蔵野美術大学美術資料図書館)、『ライカ同盟展 ラ・徘徊《ヱ都セトラ》』(2004年 中京大学アートギャラリーC・スクエア)として発表した。《東京編》展ポスターは西武国分寺線鷹の台駅から武蔵野美術大学に向かう途中、玉川上水土手道で撮影したもの、《ヱ都セトラ》展ポスターはJR御茶ノ水駅ホームで聖橋を背景に撮影したものである。《ヱ都セトラ》展トークイベントのゲストは小説家の川上弘美さんで、展示してあった赤瀬川作品「未完の大器」を見るなり、「これ私の友だちの店」。まことに『世の中は偶然に満ちている』(2015年 赤瀬川原平著 筑摩書房)のだった。

05『ライカ同盟 ラ・徘徊《ヱ都セトラ》』ポスター
撮影:二塚一徹


06赤瀬川原平「未完の大器」(浅草)


07高梨豊「おおめ」(青梅)


もりもと ごろう

森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。

●今日のお勧め作品は、関根伸夫です。
20160728_sekine_07_daiti-ten関根伸夫
「大地の点」
1982年
ステンレス・レリーフ
35.0x31.5x2.0cm
Ed.30  Signed

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●皆様にご協力いただいた「ここから熊本へ〜地震被災者支援展」での売上げ総額634,500円は、一番被害の大きかった益城町でお年よりや子供たちのケアに尽力されている木山キリスト教会に400,000円を、熊本市の城下町の風情を残す唐人町で被災した築100年の商家(カフェアンドギャラリーなどが入居、一時は解体も検討された)の西村家の復興資金に234,500円を、それぞれ送金いたしました。
詳しくはコチラをお読みください。

●ときの忘れものは「ART STAGE JAKARTA 2016」に出展します
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8月5日(金)15:00〜21:00(プレビュー)
8月6日(土)13:00〜21:00(一般公開)
8月7日(日)11:00〜21:00(一般公開)
会場:Sheraton Grand Jakarta Gandaria City Hotel
ときの忘れものブース番号:A7
出品作家:安藤忠雄磯崎新ル・コルビュジエ葉栗剛長崎美希野口琢郎秋葉シスイ草間彌生ナム・ジュン・パイク

◆ときの忘れものは菅井汲展を開催します。
会期:2016年8月6日[土]〜8月20日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
sugai_11_group-sときの忘れものでは16年ぶりに菅井汲展を開催します。
1919年神戸に生まれた菅井は中村貞以に日本画を学び、1952年渡仏。渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなりました。1955年からは版画制作を開始し、生涯に約400点を制作。1959年リュブリアナ国際版画展、1965年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞しました。本展では、菅井の1970年代の版画を中心にご覧いただきます。

ル・コルビュジエ建築が世界文化遺産に

先週末まで開催していた「ルイーズ・ニーヴェルスン展」はサイズが大きいので僅か7点しか展示できませんでした(実際には20数点のコレクションがあります)。
来廊者も少なく、静かな展覧会でしたが、亭主はじめスタッフにとってはニーヴェルスンの彫刻作品とは違った色彩の魅力を発見し、日々感動を新たにした二週間でした。
亭主がそう多くはない来場者に向かって「いいでしょう」を連発するものだから、その勢いに押されて購入者続出、までは行きませんでしたが、決算月で頭を抱える社長の顔にも少し笑顔が。
40年も前の作品を平然と展示し続けるときの忘れものでありますが(威張ってどうする)、次回も1970年代に制作された菅井汲先生の版画作品を展観する予定です。

クーデターの動きで混乱を続けるトルコで開催されていたユネスコ世界遺産委員会で、7カ国の17施設が「ル・コルビュジエの建築作品」として世界文化遺産に登録されることが決定しました。
上野の国立西洋美術館本館も含まれます。
貴重な建築遺産が次々と壊されていくことに懸念を抱く亭主としては、とても嬉しいニュースでした。
関係者の皆さんのご努力に敬意を表します。

昨年11月に開催した「建築家のドローイング展」でも展示したル・コルビュジエは、建築家として20世紀の三大巨匠と称えられるほどの大きな存在でしたが、一方画家としても(最初は画家を目指していた)、美術の前衛運動に参加し、建築家として名をなしてからも絵筆を離さず、数多くの絵画、彫刻、版画作品を制作しています。
今日ご紹介する1938年制作のリトグラフ「二人の女」は、建築の直線的、スマートな印象とは違い、ちょっとどろっとしたところのある作品です。
「ル・コルビュジエ展」で、彼の建築作品(図面や写真、模型)と美術作品(油彩、版画、彫刻)を比べてみると同じ人間が手がけたのかと思うほど、印象が異なるのはなぜでしょうか。
二人の女_2ル・コルビュジエ Le Corbusier
《二人の女》
1938年
リトグラフ
イメージサイズ:17.6×26.7cm
シートサイズ:38.5×50.2cm
Ed.100  Signed

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そして磯崎新のル・コルビュジエへのオマージュ
第2信より挿画5_A磯崎新
〈栖 十二〉第二信より
挿画5
ル・コルビュジエ[母の小さい家] 1923-24 レマン湖畔
1998年
銅版・手彩色・アルシュ紙
イメージサイズ:10.0×15.0cm
シートサイズ:28.5×38.0cm
Ed.8 Signed

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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

ル・コルビュジエ Le Corbusier (1887-1965)
建築家。スイスのジュラ地方ラ・ショー・ド・ファン生まれ。本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。1906年初めての住宅[ファレ邸]を設計。1917年パリに出るが、翌年左目を失明する。『エスプリ・ヌーボー』の創刊に関わり、美術運動にも参加。1922年建築事務所設立。代表作[サヴォア邸][ロンシャン礼拝堂][ラ・トゥーレット修道院][国立西洋美術館]他。1965年水泳中にカプ・マルタンで死去(78歳)。
ライト、ミースと並ぶ20世紀建築界の巨匠はリトグラフによる詩画集『直角の詩』など多くの版画を残す。[近代建築の五原則]を提唱、近代建築国際会議(CIAM)メンバーとして近代建築理論の最大の指導者であった。油彩、彫刻、版画を多数制作している。

ル・コルビュジエの建築作品
20世紀の三大巨匠のうち、あのフランク・ロイド・ライトがアメリカと日本にしか実際の建築がないのに対し、ル・コルビュジエの建築作品は実に12カ国に存在しています。
ル・コルビュジエ_ロンシャンの礼拝堂[ロンシャンの礼拝堂(ノートルダム・デュ・オー礼拝堂)]
1955年竣工
フランス 
撮影:尾立麗子

フランスのオート=ソーヌ県ロンシャンに建つ後期の代表作。
元々ロンシャンは巡礼の地であり、中世に建てられて礼拝堂があったのですが、第二次世界大戦の際、ナチス・ドイツの空爆により破壊されました。戦後、ロンシャンのの人々は再建を願い、アラン・クチュリエ神父の推薦によりル・コルビュジエに設計が依頼され、1950年に設計が始まり、1955年に竣工しました。

国立西洋美術館3[国立西洋美術館]
1959年竣工
上野(東京都台東区)
撮影:尾立麗子

第二次世界大戦後、東京上野に松方コレクションはじめ西洋美術を収蔵するための美術館が設計されることになり、その設計がル・コルビュジエに依頼されました。日本におけるル・コルビュジエ唯一の実作で、弟子である前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が実施設計・監理に協力し完成しました。
1959年竣工で、地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造り。1階正面の壁を取り払って柱のみにした「ピロティ」空間、人体に合わせた「モデュロール」という独特の寸法体系など、ル・コルビュジエの構想を典型的に示した建築と評価されています。本館は、2007年に国の重要文化財に指定されました。
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ちょうど、ル・コルビュジエの展覧会が二箇所で開催されます。
◆「ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話 展 ル・コルビュジエの現場での息吹・吉阪隆正が学んだもの
会期:2016年6月29日(水)〜8月7日(日)
会場:會津八一記念博物館
10:00〜17:00(入場は16:30まで)
※金曜のみ10:00〜18:00(入場は17:30まで)
閉館日:日曜・祝日
休日開館日:7月18日(月・祝)、8月7日(日)
入館料:無料
共催:早稲田大学理工学術院創造理工学部建築学科、理工学研究所、建築学研究所、會津八一記念博物館
企画:早稲田大学「ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話」展実行委員会
問い合わせ先:waseda.lecorbusier@gmail.com╢
概要:モダニズムの巨匠、建築家ル・コルビュジエは、晩年に名作〈ロンシャンの礼拝堂とその建築群〉を計画しました。早稲田大学ル・コルビュジエ実測調査研究会は2013年度より〈ロンシャンの礼拝堂とその建築群〉の継続的調査を行なっています。早稲田大学の研究チームは礼拝堂完成後初めて、《巡礼者の家》と《司祭者の家》の実測調査を行い、さらに昨年には研究会を立ち上げ、礼拝堂本体の実測調査に着手しました。本展覧会では調査により制作した実測図を公開すると共に、《ロンシャンの礼拝堂》(ノートルダム・デュ・オー礼拝堂)に残されている、現場でル・コルビュジエが実際に使用した貴重な青写真を展示します。施工当時の建築家の息吹や、ロンシャンの丘全体との対話を感じることができると思います。会期中には現場の様子に詳しいジャン-フランソワ・マテ氏をロンシャンより招いて、シンポジウムも行います。
《ロンシャンの礼拝堂》の計画と同時期に、ル・コルビュジエのアトリエで学んだ吉阪隆正は、帰国後も早稲田大学建築学科で教鞭をとり、多くの建築家を育てました。滞仏中にル・コルビュジエのアトリエで吉阪自身が担当して描いた図面と日記帳を併せて展示し、ロンシャンの計画が始まろうとした当時、吉阪が何を学んだのかを探る手掛かりとしたいと思います。(同館HPより)

◆「ル・コルビュジエ主要建築作品‐2」展
会期: 1916年8月25日〜(予定)
開館日時: 木・金・土曜日 10時〜17時(日〜水曜日)
会場: 大成建設ギャルリー・タイセイ
入場料: 無料
20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエ(1887〜1965)が手掛けた建築作品のなかから、「近代建築運動への顕著な貢献」として、ユネスコの「世界文化遺産」への登録候補作品となっている主要な建築作品をご紹介いたします。
 建設されてから数十年の時を経て、技術的な目新しさはすでに無いですが、そこに盛り込まれた建築思想や、斬新なアイデア、総合芸術のために練られた独特な空間構成や造形感覚などは、現在見ても古さは感じられず、むしろ参考とすべき点があると思われます。今一度、ル・コルビュジエの優れた作品を見直し、その建築に込めた彼の情熱に触れる機会としたいと思います。
 現在、「世界文化遺産」の候補となっているのは7か国に所在する17資産。これらを「住宅」と「それ以外の用途の建築」の、2回に分けて展観いたします。
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世界文化遺産に登録されたル・コルビュジエの17の建築作品
―ロンシャン礼拝堂(フランス)
―サヴォワ邸(フランス)
―マルセイユのユニテ・ダビタシオン(フランス)
―フィルミニの文化と青少年の家(フランス)
―ペサックの集合住宅(フランス)
―サン・ディエ工場(フランス)
―ナンジュセール・エ・コリ通りのアパート(フランス)
―ラ・トゥーレットの修道院(フランス)
―ラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸(フランス)
―カップ・マルタンの小屋(フランス)
―イムーブル・クラルテ(スイス)
―レマン湖畔の小さな家(スイス)
―クルチェット邸(アルゼンチン)
―ギエット邸(ベルギー)
―ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅(ドイツ)
―チャンディガールのキャンピトル・コンプレックス(インド)
―国立西洋美術館(日本)
合計7か国17施設
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「建築家の版画とドローイング」を看板に掲げているときの忘れものでは、2002年6月に「ル・コルビュジエ展」を開催して以来、コルビュジエの版画やドローイングを数多くご紹介してきました。
来年は、ル・コルビュジエに捧げる展覧会やエディションをぜひ実現したいと考えています。どうぞご期待ください。

●皆様にご協力いただいた「ここから熊本へ〜地震被災者支援展」での売上げ総額634,500円は、一番被害の大きかった益城町でお年よりや子供たちのケアに尽力されている木山キリスト教会に400,000円を、熊本市の城下町の風情を残す唐人町で被災した築100年の商家(カフェアンドギャラリーなどが入居、一時は解体も検討された)の西村家の復興資金に234,500円を、それぞれ送金いたしました。
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●ときの忘れものは「ART STAGE JAKARTA 2016」に出展します
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8月5日(金)15:00〜21:00(プレビュー)
8月6日(土)13:00〜21:00(一般公開)
8月7日(日)11:00〜21:00(一般公開)
会場:Sheraton Grand Jakarta Gandaria City Hotel
ときの忘れものブース番号:A7
出品作家:安藤忠雄磯崎新ル・コルビュジエ葉栗剛長崎美希野口琢郎秋葉シスイ草間彌生ナム・ジュン・パイク

◆ときの忘れものは菅井汲展を開催します。
会期:2016年8月6日[土]〜8月20日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
sugai_11_group-sときの忘れものでは16年ぶりに菅井汲展を開催します。
1919年神戸に生まれた菅井は中村貞以に日本画を学び、1952年渡仏。渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなりました。1955年からは版画制作を開始し、生涯に約400点を制作。1959年リュブリアナ国際版画展、1965年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞しました。本展では、菅井の1970年代の版画を中心にご覧いただきます。

スタッフSの海外ネットサーフィン No.41「A Emergencia do Contemporaneo: a Vanguarda no Japao, 1950–1970」

スタッフSの海外ネットサーフィン No.41
「A Emergencia do Contemporaneo: a Vanguarda no Japao, 1950–1970」
Paco Imperial do Rio de Janeiro


読者の皆様こんにちわ、七月も後半となりいよいよ夏も本番と思いきや、蒸し風呂のような温度の中、今更梅雨が来たような連日の雨に辟易としておりますスタッフSこと新澤です。

20160726_PacoImperial
今回ご紹介させていただく美術館はブラジル・リオデジャネイロにあるPaco Imperial do Rio de Janeiro、パソ・インペリアル美術館です。先に白状しておきますと、自分はブラジルには縁も縁もありませんが、現在開催中の展覧会が亭主的に外せないもののため、今回取り上げることとなりました。
まずは建物自体の紹介から。ヨーロッパ文化圏では珍しいことではありませんが、パソ・インペリアルもその例に漏れず、建物自体にかなりの歴史があります。完成は1743年にまで遡り、築年数は実に250年以上、その間の時を建築当初は知事ゴメス・フレイレ・デ・アンドラーデの邸宅として、1808年のポルトガルからの王室遷都の際にはジョアン6世が王宮として使用し、後に皇帝ドン・ペドロ1世および2世の住宅兼仕事場として使用されています。また、1888年に王女エリザベスが宮殿の階段から奴隷法の解放を宣言した場所としても知られています。その後は長らく無人となっていましたが、再び文化の中心地となるよう期待されて1980年代に改装され、展示会やコンサートが行われ、外国映画が頻繁に上映されるアートハウスとして再スタートしました。

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元永定正
《作品》
1961年

このパソ・インペリアル美術館で7月14日(木)から8月28日(日)まで開催されているのが「A Emergencia do Contemporaneo: a Vanguarda no Japao, 1950–1970(コンテンポラリーの出現・日本の前衛美術1950-1970)」です。この展覧会は、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)が、リオ・デ・ジャネイロ オリンピック・パラリンピック開催に先駆け、リオから東京へとバトンをつなぐ取り組みとして、日本・ブラジル共同で美術、映像(映画上映)、舞台芸術分野(ポップスコンサート)の文化交流事業を総合的に展開するものの一環として開催されています。

「コンテンポラリーの出現・日本の前衛美術1950-1970」
会期:2016年7月14日(木)〜8月28日(日)
主催:独立行政法人国際交流基金、パソ・インペリアル美術館
キュレーター:ペドロ・エルバー(コーネル大学准教授)
企画協力:鈴木勝雄(東京国立近代美術館主任研究員)
展覧会は4つのセクションに分かれており、展示作家は以下のようになっています(国際交流基金ページより抜粋):

Section 1: 抽象の政治学
東京オリンピック前夜となる 1950 〜 60 年代に焦点を当て、熱い抽象を生み出した「具体」グループや冷たい抽象と称される「実験工房」の活躍から、日本の抽象表現主義を読み取ります。「具体」と「実験工房」ともに、平面作品だけでなく映像作品やインスタレーションも展示し、当時の抽象的な実践を様々な表現から検証する場を構築します。
[展示作家] 北代省三白髪一雄鷲見康夫田中敦子福島秀子/村上三郎/元永定正山口勝弘

Section 2: アートと社会
1950 年代のルポルタージュ絵画を通して当時の社会闘争を観察すると同時に、読売アンデパンダン展頃に顕在化してきたアートと社会の関係性を検証します。東京のパブリックスペースへと飛び出していった読売アンデパンダン展出品作品とともに、前衛美術と社会の間を事件的に描き出した赤瀬川原平の千円札なども展示します。
[展示作家] 赤瀬川原平/池田龍雄/石井茂雄/桂川寛/高松次郎/中西夏之/中村宏

Section 3: 都市空間への介入
1960 年代初期は、アーティストが新たなるアート表現を求めて都市へと繰り出し様々な実験的表現も生み出す時代となります。そうした実験を試みたアーティストたちは、 ストリートパフォーマンスも展開していきました。羽永光利による数多くの写真などの展示からそのパフォーマンス現場を見つめ、当時の都市空間におけるアーティストの行動を再検証していきます。
[展示作家] 磯崎新/亀倉雄策/末永蒼生/羽永光利/平田実

Section 4: もの、コンセプト、アート
1970 年代の物質性に焦点を当てた作品を紹介します。「もの派」といった物質と空間の関係性を考察した作家、文字を抽象的に利用し新たな表現へと持ち込んだ「具体詩」の作家や松澤宥などを取り上げることで、コンセプチュアルアートと物質性の対立的な関係性を解明します。もの派を代表するアーティスト菅木志雄による新作 ( インスタレーション ) も本セクションで展示されます。
[展示作家] 小野洋子/北園克衛/菅木志雄/高松次郎/新国誠一/羽永光利/松澤宥

出展作品一覧
No. 作家名(日) 作品名(日) 素材・技法(日) 制作年 サイズ(cm)
1 白髪一雄 [無題] 油彩、カンバス 1961 192.5×130.5
2 田中敦子 作品(たが) 合成樹脂エナメル塗料・キャンバス 1963 194.0×131.5
3 村上三郎 作品 油彩、板 1960 185.0×93.0
4 鷲見康夫 作品 油彩・エナメル、カンヴァス  1961 162.0×130.5
5 元永定正 作品 油彩・キャンバス 1961 150.0×130.0
6 元永定正 作品「水」 ビニール、水、綿ロープ、インク 2016 Site-specific installation/ Dimensions vary with the installation
7 具体美術協会 『具体』3号 雑誌 Oct. 1955 24.2〜25.8cm×25.8〜27cm
8 具体美術協会 『具体』4号 雑誌 Jul. 1956 24.2〜25.8cm×25.8〜27cm
9 具体美術協会 『具体』5号 雑誌 Oct. 1956 24.2〜25.8cm×25.8〜27cm
10 具体美術協会 『具体』8号 雑誌 Sep. 1957 24.2〜25.8cm×25.8〜27cm
11 白髪一雄 泥に挑む
(35秒)
ニュース映像、白黒 1955 00'35"
12 田中敦子 Round on Sand
(10分30秒)
16mmフィルムから変換したDVD、カラー 1968 10'30"
13 北代省三 冥府のオルフェウス 油彩・木製パネル 1953 41.0×31.8
14 北代省三 シーラカンス 鉄、真鍮、塗装 1953/1990 124.0×151.0
×151.0 (dimensions vary with the installation)
15 山口勝弘 ヴィトリーヌ 静かな昇天 油彩、ガラス、合板 1955 96.7 x 66 x 9.3
16 北代省三 見知らぬ世界の話 オート・スライド、VHS テープから変換したDVD 1953/1987 9'46"
17 山口勝弘 試験飛行家W.S.氏の眼の冒険 オート・スライド、VHS テープから変換したDVD 1953/1987 4'55"
18 福島秀子 水泡は創られる オート・スライド、VHS テープから変換したDVD 1953/1987 6'17"
19 桂川寛 小河内村 油彩・キャンバス 1952 97.2×145.7
20 池田龍雄 油彩・キャンバス 1953 72.7×60.6 
21 石井茂雄 戒厳状態 油彩・キャンバス 1956 182.0×227.5
22 中村宏 砂川5番 油彩/合板 1955 92.5×183
23 羽永光利 ネオ・ダダイズム・
オルガナイザーズ、ハイレッド・センター、松澤宥、もの派、磯崎新
写真 (モダンプリント) 1964-1973/2016 6PW(20.3×30.5)
(97 pieces)
24 高松次郎 瓶の紐 紐、瓶 1963-85 dimensions vary with the installation
25 中西夏之 洗濯バサミは攪拌行動を主張する カンヴァス、紐、洗濯バサミ、キャンバスに油彩 1963/1993 116.5×91 (4 pieces)、
41×31.5 (1 piece)
26 中西夏之 コンパクト・オブジェ ポリエステル樹脂、ミクストメディア    1962 24.0×15.0×16.0
27 赤瀬川原平 千円札裁判押収品−模型千円札パネル作品 模型千円札、ボルト・板 1963 82.0×79.0
28 赤瀬川原平 復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る) インク、紙 1963 90×180
29 平田実 首都圏清掃整理促進運動 ゼラチンシルバープリント  (モダンプリント) 1964/2016 Image size: 22.2 x 33.5
Paper size: 27.8 x 35.7
(4 pieces)
30 亀倉雄策
フォトディレクター:村越襄
フォトグラファー:早崎治
東京オリンピック オフセット 1961(1990 reprint) 103.0×54.8
31 亀倉雄策
フォトディレクター:村越襄
フォトグラファー:早崎治
東京オリンピック オフセット 1962(1990 reprint) 103.0×72.8
32 亀倉雄策
フォトディレクター:村越襄
フォトグラファー:早崎治
東京オリンピック オフセット 1963(1990 reprint) 103.0×72.8
33 読売国際ニュース 「東京おてあげ どこも一杯」「まるでイタチごっこ」
(2分24秒)
ニュース映像 、白黒 1961, 1964/2016 2'24"
34 末永蒼生 幻のブラックフェスティバル・新宿番外地編
(11分20秒)
ビデオ(16mmフィルムよりデジタル変換)、白黒 1968 11'20"
35 末永蒼生 ‘68国際反戦デー〜10月21日・夜・新宿〜
(4分20秒)
ビデオ(16mmフィルムよりデジタル変換)、サイレント、白黒 1968 4'20"
36 告陰
(主宰・末永蒼生)
オブジェと密室のための増殖計画 ポスターのコピー 1967 39×54
37 告陰
(主宰・末永蒼生)
ブラックフェスティバル新宿番外地 オリジナルチラシ 1968 21.0×29.5
38 告陰
(主宰・末永蒼生)
『THE VOICE こえぶくろ』 (編集:末永蒼生) 雑誌4ページ 20 Sep. 1969 25.5×36.0
39 告陰
(主宰・末永蒼生)
PEAK『PEAK』 no.2
(編集:末永蒼生)
雑誌12ページ 25 Jul. 1970 28.0×40.0
40 告陰
(主宰・末永蒼生)
『UNGRA POP』00001号 機関紙4ページ 15 Oct. 1968/2016 39.0×27.5
41 告陰
(主宰・末永蒼生)
「グラフの目」(『朝日グラフ』朝日新聞社) 雑誌 29 Mar. 1968/2016 33.0×25.5
42 万博破壊共闘派 金坂健二「狂気の遠征隊“万博破壊共闘派”
京大に入る」(『アサヒグラフ』 朝日新聞社)
雑誌 4 Jul. 1969/2016 33.0×25.5
43 告陰
(主宰・末永蒼生)
テレビ「アフタヌーンショー」にて 告陰メンバー 写真 1968/2016 12.5×17.3
44 告陰
(末永蒼生+秋山祐徳太子)
「ブラックフェスティバル・新宿番外地」(1)  写真 1968/2016 20.6×25.4
45 告陰
(末永蒼生+秋山祐徳太子)
「ブラックフェスティバル・新宿番外地」(2) 写真 1968/2016 11.6×16.0
46 告陰
(末永蒼生+秋山祐徳太子)
「ブラックフェスティバル・新宿番外地」(3)小田急坂  写真 1968/2016 24.5×19.6
47 告陰
(主宰・末永蒼生)
「ブラックフェスティバル・新宿番外地」(4)仮面 写真 1968/2016 12×16
48 PEAK
(主宰・末永蒼生)
ストリート ファイティング ロック 沖縄デー@明治公園(1) 写真 1970/2016 29.7×20.0
49 PEAK
(主宰・末永蒼生)
ストリート ファイティング ロック 沖縄デー@明治公園(2) 写真 1970/2016 29.7×20.0
50 菅木志雄 空臨耕 石・木板 2016
51 松澤宥 消滅の幟 シルクスクリーン 1966/2016 75×1100
52 松澤宥 荒野におけるアンデパンダン'64展招待状 『美術手帖 51号』広告 1964 5.53×11.43
53 松澤宥 「私の死」 紙に印刷 1970/2016 120×120/ On-site production
54 松澤宥 「この一枚の白き和紙の中に」(白鳥の歌) 紙に印刷 1976/2016 Paper: approx. 10×10 each/ Distributed to the audiences
55 松澤宥 プサイの座敷 紙に印刷 1963 40×26
56 高松次郎 日本語の文字(この七つの文字) オフセットリトグラフ、紙 1970 72.8×51.0
57 新国誠一 --- 1966/2016 30.5 x 25.5
58 新国誠一 川または州 --- 1966/2016 30.5 x 25.5 
59 新国誠一 新国誠一詩集 書籍 1979 19×26.5
60 VOU クラブ VOU No.103 雑誌 1966 15×21
61 VOU クラブ VOU No.118 雑誌 1969 18×20.8
62 VOU クラブ VOU No.63 雑誌 1958 21.2×15.2
63 VOU クラブ VOU No.95 雑誌 1964 15×21
64 芸術研究協会 ASA 3号 雑誌 1968 15×21
65 Yoko Ono Secret Piece
(『グレープフルーツ』所収)
書籍 1ページ 1964/2016 13.8×13.8
66 Yoko Ono Painting to hammer a nail
(『グレープフルーツ』所収)
書籍 1ページ 1964/2016 13.8×13.8
67 Yoko Ono Painting for a Broken Sewing Machine
(『グレープフルーツ』所収)
書籍 1ページ 1964/2016 13.8×13.8
68 Yoko Ono Painting to see the skies
(『グレープフルーツ』所収)
書籍 1ページ 1964/2016 13.8×13.8
69 Yoko Ono Painting to be constructed in your mind
(『グレープフルーツ』所収)
書籍 1ページ 1964/2016 13.8×13.8
70 Yoko Ono Portrait of Mary
(『グレープフルーツ』所収)
書籍 1ページ 1964/2016 13.8×13.8
71 Performed by Yoko Ono
Directed by David & Albert Maysles
カット・ピース (1965)
(8分14秒)
2009 HD 25fps Remaster, 白黒 1965 8'14"
72 磯崎新 孵化過程 写真 (モダンプリント) 1992/2016 6P(20.3×25.4)
(9 pieces)
73 磯崎新 孵化過程
(63分10秒)
ビデオ、カラー 1992 63'10"
74 磯崎新 孵化過程 ミクストメディア 2016 122 x 243 x 35
/On-site production
75 Ronald Duarte 「首都圏清掃整理促進運動」に基づくパフォーマンス パフォーマンス記録 2016 On-site production

出展作品は当時の物ばかりではなく、例えば1964年にアーティスト・グループ、ハイレッド・センターが東京で行ったパフォーマンスを、舞台をリオへ移し、リオの若いアーティストによる再演を行ったり、1962年に建築家・磯崎新が発表した「孵化過程」を、今回の美術展で新たにリオ・ヴァージョンを制作し、菅木志雄に至っては新作《周臨向》を発表するなど、単に過去を並び立てるのではなく、過去と現在を繋げるような展示も多数用意されています。

オリンピック観戦に少し早めに現地入りする予定があるようでしたら、足を延ばしてみてはいかがでしょうか?

(しんざわ ゆう)

パソ・インペリアル美術館公式ページ
国際交流基金展覧会紹介ページ


*画廊亭主敬白
本欄執筆者のスタッフSは、自分が実際に住んだ(または訪れた)国のことしか書きたくないと決めているらしい。 ここ数年、具体やもの派など1950〜70年代の日本の前衛美術が世界の美術市場で注目を集めていますが、今度は地球の裏側、南米で展覧会が開催されるというので、こりゃあ紹介せねばと、亭主は業務命令を発した次第です。ところがネットで情報を集めても、内容がいまいち判然としない。 しぶるスタッフSを脅かして主催者の国際交流基金から出品リストを送ってもらいました(上掲参照。交流基金の皆様ありがとうございます)。
キュレーターを務めたのは、コーネル大学のペドロ・エルバー准教授。コーネル大学でブラジル思想史、文学、美術史等を教えるほか、日本及びブラジルの戦後の美術史や思想史を比較研究できる希有な若手研究者として活躍中とあります。(国際交流基金HPより)
う〜ん、出品リストを眺めて、しばし沈黙。
随分と思い切った出品構成ですね、「もの派」とあるのに関根伸夫が外れているのはちょっと不思議・・・・。どんな展示になっているのでしょうか。どなたかオリンピックに行くついでに見てきて様子を教えてください。

◆スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。

●今日のお勧めは白髪一雄です。
白髪一雄_年賀3 白髪一雄
「作品1966」
1966年 水彩・紙
9.0×14.0cm Signed


白髪一雄_年賀2 白髪一雄
「作品1969」
1969年 水彩・紙
14.7×10.0cm Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●皆様にご協力いただいた「ここから熊本へ〜地震被災者支援展」での売上げ総額634,500円は、一番被害の大きかった益城町でお年よりや子供たちのケアに尽力されている木山キリスト教会に400,000円を、熊本市の城下町の風情を残す唐人町で被災した築100年の商家(カフェアンドギャラリーなどが入居、一時は解体も検討された)の西村家の復興資金に234,500円を、それぞれ送金いたしました。 詳しくはコチラをお読みください。

●お勧め写真集・書籍のご案内
2016細江英公・笠井叡『透明迷宮』細江英公 × 笠井叡 『透明迷宮』(サイン本)
2016年
平凡社 発行
写真:細江英公
舞踏・文:笠井叡
80ページ
30.5x23.4cm
6,800円(税込7,344円) ※送料別途250円
細江英公、笠井叡の二人のサイン入り
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。
201606大谷省吾大谷省吾 『激動期のアヴァンギャルドシュルレアリスムと日本の絵画 一九二八−一九五三
2016年
国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税込9,504円) ※送料別途250円
著者からのメッセージ
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。

●ときの忘れものは「ART STAGE JAKARTA 2016」に出展します
logo 8月5日(金)15:00〜21:00(プレビュー)
8月6日(土)13:00〜21:00(一般公開)
8月7日(日)11:00〜21:00(一般公開)
会場:Sheraton Grand Jakarta Gandaria City Hotel
ときの忘れものブース番号:A7
出品作家:安藤忠雄磯崎新ル・コルビュジエ葉栗剛長崎美希野口琢郎秋葉シスイ草間彌生ナム・ジュン・パイク

◆ときの忘れものは「菅井汲展」を開催します。 会期:2016年8月6日[土]〜8月20日[土] *日曜、月曜、祝日休廊

sugai_11_group-s ときの忘れものでは16年ぶりに菅井汲展を開催します。 1919年神戸に生まれた菅井は中村貞以に日本画を学び、1952年渡仏。渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなりました。1955年からは版画制作を開始し、生涯に約400点を制作。1959年リュブリアナ国際版画展、1965年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞しました。本展では、菅井の版画約40点をご覧いただきます。

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第6回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第6回

umaba-coversumaba-we-are-here
(図1)
馬場磨貴『We are here』(赤々舎 2016)

今回ご紹介するのは、馬場磨貴の写真集『We are here』(赤々舎 2016)です。表紙(図1表紙は三種類 中身は同じ)の写真の画面全体を覆うようにタイトル「We are here」が細い銀色の文字でかぶせられていて、風景の中に佇む巨大な裸の妊婦の姿が強烈な印象を残します。風景の中に巨大な何かが現れるというと、「進撃の巨人」や「ゴジラ」のようなアニメや映画に登場する破壊者のような存在が連想されますが、「私たちはここにいる(We are here)」というタイトルの示すように、巨大な妊婦は何をするでもなく、ただそこに座ったり、佇んでいたりするといった様子です。
言うまでもないことですが、このような巨大な妊婦が実在するわけではなく、風景写真のなかに、別に撮影された妊婦の写真がスケールを調整して合成して嵌め込まれているのであり、「巨大な妊婦のいる風景」とは、馬場が想像の中に立ち上がらせたものです。なぜ彼女がこのような突飛にも映るヴィジョンを抱くようになったのか、写真集の内容に入る前に、作品を制作するにいたった経緯と着想について、写真集の後書きの文章を引用しながら解説しておきましょう。
馬場は、自身が妊娠・出産を経験する以前に出産の現場を撮影する機会を持ち、2010年から妊娠中の女性のヌードを撮影するようになりました。その後、自らも幼い子どもを抱え、妊娠中だった時に東日本大震災と原発事故が起こり、その後多くの妊婦や小さな子どもを抱えた母親がそうであったように、被爆やさまざまな問題に直面し、さらに2011年以降3度の流産を経験しました。馬場はこう語ります。「体内に私がまだ経験したこともない「死」があることに震えた。 私のお腹の中に起こった生と死は、女性が意志の力ではどうにもならない弱い存在であることを気づかせてくれた。 弱者の目をもつこと、それはきっと強者の目をもつことよりはるかに難しく、はるかに大切なことかもしれない」
「弱者の目を持つこと」 は、世界の中にあって自分がいかに小さな存在であるかということを自覚することだとも言えるでしょう。このような自覚があってこそ、「巨大な妊婦」という存在を風景の中に出現させる着想が導き出されたのかもしれません。馬場は作品のインスピレーションを受けた瞬間のことを次のように語ります。
「ある日街を歩いていて突然閃いた。目の前のビルの合間から、巨大な妊婦が現れた。その大きな姿に解放感とたまらない安心感を覚えた。それまで感じていた行き場のない怒りと、腹の底から湧き上がる不安のようなものが、ふっと軽くなった。 かくして彼女たちは誕生した。」

小さな存在としての自身の視点から、「巨大な妊婦」の姿を想像し、その姿に解放感と安心感を覚えたという馬場の言葉には、私自身が妊娠中に経験した身体的な感覚に照らし合わせても腑に落ちるところがあります。妊娠中の身体は、悪阻を感じる初期段階から臨月を迎えるまで、めまぐるしく変化していきます。妊娠初期には、身体の中に入り込んだ小さな異物が私の身体を操作しているようにも感じましたし、お腹が大きくなるにつれて、胎児の成長を常に意識ながら日々を過ごしていると、胎児の基準に自分の身体の状態を測るようになりました。このような、通常の(つまり妊娠していない状態)とは異なる、妊娠期特有の身体感覚は、周辺の環境に対する感じ方にも大きな変化をもたらします。馬場が思い描いた「巨大な妊婦」の姿は、胎児からみた母体という存在のスケール感覚を反映したものと捉えることもできるのではないでしょうか。巨大な妊婦の姿を思い描きながら都市空間へと向けられた眼差しには、ビルや建造物のような無機的なものが集積してできあがった風景のなかに、自分自身もその中につながっているという感覚を希求するような気持ちが潜んでいるようにも思われます。

『We are here』は、写し取られた空間と、合成された妊婦との関わり合いが、スケールの上で、徐々に変化していくようなシークエンスとして構成されています。また、妊婦の姿も全身像として写されているものもあれば、腰から下のみ、あるいは腰から上のみがフレームの中におさまっていたり、大きなお腹や胸、太もものような身体の一部のみがのぞいていたりするような写り方もあります。顔が写っている、つまり人物の特定できる姿として妊婦が嵌め込まれた写真と、半身や身体の一部のみとして妊婦が嵌め込まれた写真が、シークエンスの中に入り混じっていたり、モデルによっては複数の風景写真の中に嵌め込まれていたりするので、ページを捲っていると、妊婦がそれぞれの風景の中に佇んでいるだけではなく、複数の風景の間を移動しているかのようにも見えてきます。
 
We are here_0001(図2)
東京駅周辺の路上


We are here_0011(図3)
交差点を俯瞰した写真


写真集の中からシークエンスの流れに沿うようにいくつかの写真を紹介しながら、妊婦のいるそれぞれの風景と、写真同士の関係を読み解いていきましょう。まず冒頭では、東京駅にほど近い数寄屋橋の交差点付近の路上に妊婦が現れます。(図2)車がひっきりなしに行き交う路上で佇む裸の妊婦の姿は、ほぼ実寸に近い大きさで合成されており、裸体で路上に立っているという状態があまりにも無防備で、今にも車にひかれてしまいそうな危うさ、脆さを印象づけます。その後に続く写真では、路地裏や歩道橋の上、建物の駐車場、家の軒先など、ごくありふれた場所に妊婦の姿が嵌め込まれています。裸で大きなお腹を晒しているがゆえに妊婦としての姿が際立たされ、通常は街中にいてもさほど目立たない(だからこそ、マタニティマークのような目印が必要とされているわけですが)妊婦の存在が「ここにいること」として示されています。多くの人々が行き交う交差点を俯瞰する視点で捉えた写真のシークエンスの中の一点(図3)に裸の妊婦が一人だけ忍び込まされることで、「妊婦が存在していることのわかりづらさ、見えにくさ」が浮き彫りにされています。

81MNeJJIKJL(図4)
ビルの谷間から姿を表わす妊婦


We are here_0020(図5)
高架の下を歩く人たちと、妊婦の身体の一部


このように都市空間の中での「妊婦の見えにくさ」が示された後に登場するのが、巨大な妊婦の姿です。ビルの谷間や高速道路の隙間から姿を現したり、線路を跨いだり、高速道路の隙間から姿を現す妊婦たちは、実寸大で風景の中に嵌め込まれていた妊婦と同様に、裸で無防備なまま佇んでいます。妊婦の肢体、とくに張った胸や丸いお腹のやわらかな曲線は、ビルのような建造物や道路の直線とコントラストをなしています。(図4)また、風景の中に人物の姿が小さく写り込むことによって、妊婦の姿のスケール感と、画面の広がりや奥行き強められています。(図5)

We are here_0023(図6)
東京ドーム


We are here_0029(図7)
恵比寿ガーデンプレイス


都心の写真の中でも、東京ドーム(図6)や恵比寿ガーデンプレイス(図7)、新宿御苑のような、多くの人が集まる場所で撮影されたものは、あたかも巨大な妊婦たちがその場所の周辺に集まっている人たちの視線を集めているかのようでもあり、妊婦たちの方は見られていようが気づかれずにいようが構うことなく、堂々と存在しているように見えます。

We are here_0037(図8)
工場のプラント


We are here_0046_2(図9)
除染作業が行われている地域


写真集の後半では、妊婦が登場する風景は、都心から離れ、河川や海辺、工場のプラント(図8)、発電所と続いたあとに、福島第一原子力発電所周辺の立ち入り禁止区域付近や、除染作業が行われている地域(図9)へと続いていきます。都心を離れるにつれて風景の中に写り込む人影も疎らになり、巨大な妊婦だけが風景の中に佇むようになっていきます。また、高層建築に囲まれる都心の景色とは異なり、木の茂みや一戸建ての家屋が点在する空間が捉えられているために、妊婦の姿は建造物との関係だけではなく、その風景の地面との関係がより強められているようにも見えます。東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故後、放射能汚染により多くの住人が周辺地域から避難している状況を鑑みれば、妊婦が「ここにいる」存在として描き出されていることの危うさ、意味合いが重みを増してきます。

We are here_0049(図10)
広島の原爆ドームと川の水面に映る妊婦


原発事故後の風景を経た後に、写真集の最後に掲載されているのは、広島の原爆ドームを川越しに捉えた風景で、川面には原爆ドームの傍らに佇むようにして妊婦の姿が写し込まれています。妊婦の姿は地上に立つ姿としてではなく、水面の影として映し出されているために、原爆忌に行われる灯籠流しを連想させ、原爆の犠牲者への鎮魂の祈りと、未来に命をつなぐ願いが込められた場面として、シークエンスの締め括りに重い余韻を残します。
このように写真集のシークエンスに沿ってみると、『We are here』は、エネルギーを消費する都市部と供給する地域との関係、原子力をめぐる現在と過去の関係を軸にして、命を育む女性一人一人の存在を、現代社会の風景の中に位置づけて描き出そうとする試みとして読み取られます。巨大な妊婦を風景の中に現出させる表現方法は、一見すると奇を衒った突飛なものに映るかもしれませんが、弱くとも小さな命を宿した存在を可視化するために必然的に導きだされた方法と言えるのではないでしょうか。

馬場磨貴写真展「We are here」が7月23日(土)-8月7日(日)、OGU MAG(東京・荒川区)にて開催されます。
是非足をお運び下さい。
こばやし みか

●今日のお勧め作品は、ウィン・バロックです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第25回をご覧ください。
20160725_bullock_03_navigation-without-numbersウィン・バロック
「Navigation Without Numbers」
1957年
ゼラチンシルバープリント
17.8x23.0cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

本日25日(月)は休廊です。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・新連載・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は毎月30日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

●お勧め写真集・書籍のご案内
2016細江英公・笠井叡『透明迷宮』細江英公 × 笠井叡
『透明迷宮』(サイン本)

2016年
平凡社 発行
写真:細江英公
舞踏・文:笠井叡
80ページ
30.5x23.4cm
6,800円(税込7,344円) ※送料別途250円
細江英公、笠井叡の二人のサイン入り
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。

201606大谷省吾大谷省吾
激動期のアヴァンギャルドシュルレアリスムと日本の絵画 一九二八−一九五三

2016年
国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税込9,504円) ※送料別途250円
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●ときの忘れものは「ART STAGE JAKARTA 2016」に出展します
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8月5日(金)15:00〜21:00(プレビュー)
8月6日(土)13:00〜21:00(一般公開)
8月7日(日)11:00〜21:00(一般公開)
会場:Sheraton Grand Jakarta Gandaria City Hotel
ときの忘れものブース番号:A7
出品作家:安藤忠雄磯崎新ル・コルビュジエ葉栗剛長崎美希野口琢郎秋葉シスイ草間彌生ナム・ジュン・パイク

◆ときの忘れものは「菅井汲展」を開催します。
会期:2016年8月6日[土]〜8月20日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
sugai_11_group-sときの忘れものでは16年ぶりに菅井汲展を開催します。
1919年神戸に生まれた菅井は中村貞以に日本画を学び、1952年渡仏。渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなりました。1955年からは版画制作を開始し、生涯に約400点を制作。1959年リュブリアナ国際版画展、1965年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞しました。本展では、菅井の1970年代の版画を中心にご覧いただきます。

建築家のドローイング 第9回 エリッヒ・メンデルゾーン

リレー連載
建築家のドローイング 第9回
エリッヒ・メンデルゾーン(Erich Mendelsohn)〔1887−1953〕

彦坂裕


 いったい、フォルム自体が建築や芸術の可能性を切り開いてゆくことなどあるものだろうか、しかも、それが近代の産業社会の中において?フォルムのユートピアなど、とうの昔に破産を余儀なくされた概念だったはずではなかったのだろうか?
 「表現派」と呼称されることの多いメンデルゾーンにも、こうしたアポリアは影のようにつきまとう。フォルムが何がしかの心の状態や感情といったものを表現しうるという考え方は、伝統的なアカデミーがもつ思想の素直な継承でもあるわけだが、変転極まりないテクノロジー革新や世界大戦という空前のイヴェントに揺れる近代社会においては、むしろ建築家自らの精神の激昂とでもいうべき「生のフォルム」とその社会へのコミットの仕方が問題にされるのである。メンデルゾーンのこうしたポレミーク(問題性)に対する対応は大きく分けて3つあり、それらがポリフォニーを形成しながら、いわゆる「メンデルゾーン的迷宮」をつくっていると思われる。
 その一つは、ニーチェの断固さにも似た「建設への意志」の姿勢である。大戦中メンデルゾーンによって記された「新しい建築への省察」には、予言めいた調子で時代精神の表現としての建築がいかにあるべきか、それが生と同じ厳格な法則に従わねばならぬ必然性の支配下にあること、その深遠な法則にもとづくことによってのみ「建設への意志」の自由が保証され、未来への展開が可能となることが語られている。実際彼は、アインシュタインの理論に大いに関心を示しており(1913年にメンデルゾーンはアインシュタインに初めて会っている。ちなみに、一般相対性理論は15年に発表された)、神秘なるもののうちに発見されるべき法則、秩序、規律に深い憧憬を抱いていた。理性の、というより、不変の速度法則たる光が、ここでは、建築創造の法則を導くといっていい。
 第二に注目されるのは、近代テクノロジーへの応答である。それは未来派と共通のイメージの源泉をもつ広義のダイナミズムに顕著だ。ガントリー起重機やキュナード社の汽船に霊感を受け、動力エネルギーを身近な問題として把える感性は、1923年のダイナミズムと機能に関する興味深い講演論稿「近代建築思潮のインターナショナルな暗合」や、内的な緊張をはらんだコンストラクションのスケッチ――これらはメンデルゾーンに関して通例的に語られる彫刻的なというよりもむしろ構成主義的な色彩が濃い――に溢出している。それは機能というものを、あたかも抑制することによって劇的な緊張感を産出する詩学に融解させんとする試みであり、こうした爆発一歩手前、オルガスムス寸前の充血状態にも似たダイナミズムの観点が、彼をして幻想的な表現主義の美学を標榜するアムステルダム派や社会的な機能を線細く追求するロッテルダム・サークルと差異づけることになると考えられよう。

メンデルゾーンエリッヒ・メンデルゾーン Erich Mendelsohn
「起重機をもつ建物」

 最後にしてすこぶる重要な対応は、形態の操作を近代のメトロポリス=消費空間との関係で把えたことである。コスモポリタンのメンデルゾーンにとっては、資本主義化され、表層的なヴァイタリティに充ちた大都会を、カオスと化した非連続の集積体(モンタージュ)として見る醒めた眼があったというべきだろうか。あるいは、若き日のライテルやバルとの邂逅、カンディンスキーやクレー、さらにはダダのグループやその周辺のアヴァンギャルドたちとの親交が産んだ認識とでもいうべきだろうか。商業建築(とくに百貨店)や公共娯楽施設の現代社会における決定的な重要性を彼は十全に感得し、アドルフ・ベーネ言うところの「広告建築」(Reklamearchitektur)言語をフォルムのコンプレックスによって現出させ、新たなスタイルをこれら消費産業社会の申し子たちに与えたのである。それは、主として、建築がセッティングされる都市のコンテクストへの関係付けとして立ち現れる――まるで既成のタブローにショッキングなコラージュを施すように、都市活動の、そして都市自体のヴオルテージを高めていくのである。
 メンデルゾーンの作品も、実際、こうした三つのアスペクトを追うように展開されていったと考えてもいい。そして、一生をかけて描き続けた彼のドローイングは、作品やプロジェクト、さらに彼自身の思考を実験する場でもあったのだ。

メンデルゾーン2エリッヒ・メンデルゾーン Erich Mendelsohn
「港の倉庫」

 1919年、ベルリンのパウル・カッシラー画廊に、彼は「鉄とコンクリートの建築」と題する建築ドローイングの展覧会を催した。これがきっかけとなって彼はオランダの「ウェンディンヘン」(ヴィエデフェルトの主宰した過剰な手工芸を賞讃する表現主義一派の雑誌名。アムステルダム派の公式な発言が収録されていた)スクールに招聘され、仕事への道が開けていったが、ほぼ第一次大戦(1914−18)をはさんだこの時期のドローイングは、それ以後の実施を前提としたスケッチや即興風の幻想画よりもはるかに面白いものが多い。最初期の歌劇用衣装デザインからペルツィヒやオルプリッヒを彷彿とさせる有機的な形をもつもの、未来派然とした工業建築や生産施設、そしてメンデルゾーン固有な積層する立面や水平にピッチの利いた円筒などをもつメガストラクチャーに至るまで、彼の生涯のイマジネーションがここに集約された感がなくもない。

メンデルゾーン3エリッヒ・メンデルゾーン Erich Mendelsohn
「自動車車体工場」

 コントラストの強烈さ、明快さ、そしてスピードあるタッチで描かれる幾多のドローイング、ここには来たるべき建築の造形はあたかもこのスピードがなければ予見し得ぬといわんばかりの信念が溢れている。とくに、シンメトリーや水平性には、絶対の確信、いや、信仰にすら近い感覚を見ることができるだろう――そこには「世界の軸性」をいささか隠喩的なポーズで示そうとするル・コルビュジエよりも、はるかに徹底したフォルムのフィロソフィーがある。常にアイレヴェルから仰ぐようにそびえるマッスは、多くの場合、片立面が陰影として描かれ、この光の作用によってマッス=質量を運動化する効果を醸し出す。とすれば、ダイナミズムとは、明らかに、このマッスとそこに充電されたハイ・ヴォルテージのエネルギーとの相関であり、錬金術の塩にも代わる「光」があたかもこの相関の触媒の役割を担うという古典的な三位一体の構図の新訳がここに垣間見れるのではないだろうか。
 それは、極端に言ってしまえばE=mc2の宇宙。旧世界とは比較にならぬ速度で疾駆する生活の興奮や機能への欲望、そして消費社会の中にさえも、法則を、絶対的な法則を掴みとろうとするパトスそのものにほかならなかったはずである。混沌と化した自然(諸現象)に律を与えんとするシチュエーションにおいて、ニュートン/ブーレーをアインシュタイン/メンデルゾーンに対照させるのもいいだろう。
 アインシュタイン塔建造の後、メンデルゾーンはL・サリヴァンやF・L・ライトに会いにアメリカに渡る。あらゆる明敏な欧州建築家同様、彼もこの国の天を突く摩天楼やエンジニアリング建築に感銘を受けるのだが、こうした反欧州的要素の讃歌は、かの「カリガリ博士」のように、西欧ブルジョワ主義の規範を周縁から侵犯するヴェクトルの告知にほかならなかったのである。

メンデルゾーン4エリッヒ・メンデルゾーン Erich Mendelsohn
「光学機器工場」


ひこさか ゆたか

*現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.98』(1983年11月1日発行)より再録
*作品画像は下記より転載
・「起重機をもつ建物」
・「港の倉庫」
・「自動車車体工場」
・「光学機器工場」
現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.98』

■彦坂 裕 Yutaka HIKOSAKA
建築家・環境デザイナー、クリエイティブディレクター
株式会社スペースインキュベータ代表取締役、日本建築家協会会員
新日本様式協議会評議委員(経済産業省、文化庁、国土交通省、外務省管轄)
北京徳稲教育機構(DeTao Masters Academy)大師(上海SIVA-CCIC教授)
東京大学工学部都市工学科・同大学院工学系研究科修士課程卒業(MA1978年)

<主たる業務実績>
玉川高島屋SC20周年リニューアルデザイン/二子玉川エリアの環境グランドデザイン
日立市科学館/NTTインターコミュニケーションセンター/高木盆栽美術館東京分館/レノックスガレージハウス/茂木本家美術館(MOMOA)
早稲田大学本庄キャンパスグランドデザイン/香港オーシャンターミナル改造計画/豊洲IHI敷地開発グランドデザイン/東京ミッドタウングランドデザインなど

2017年アスタナ万博日本館基本計画策定委員会座長
2015年ミラノ万博日本館基本計画策定委員会座長
2010年上海万博日本館プロデューサー
2005年愛・地球博日本政府館(長久手・瀬戸両館)クリエイティブ統括ディレクター

著書:『シティダスト・コレクション』(勁草書房)、『建築の変容』(INAX叢書)、『夢みるスケール』(彰国社)ほか

●今日のお勧め作品は安藤忠雄です。
安藤忠雄 アーバンエッグ
安藤忠雄 Tadao ANDO
「中之島プロジェクト [アーバンエッグ2]」
1988年
シルクスクリーン
105.0x175.0cm
Ed.55  Signed

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

本日24日(日)と明日25日(月)は休廊です
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・新連載・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は毎月30日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

●お勧め写真集・書籍のご案内
2016細江英公・笠井叡『透明迷宮』細江英公 × 笠井叡
『透明迷宮』(サイン本)

2016年
平凡社 発行
写真:細江英公
舞踏・文:笠井叡
80ページ
30.5x23.4cm
6,800円(税込7,344円) ※送料別途250円
細江英公、笠井叡の二人のサイン入り
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。

201606大谷省吾大谷省吾
激動期のアヴァンギャルドシュルレアリスムと日本の絵画 一九二八−一九五三

2016年
国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税込9,504円) ※送料別途250円
著者からのメッセージ
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。


●ときの忘れものは「ART STAGE JAKARTA 2016」に出展します
logo
8月5日(金)15:00〜21:00(プレビュー)
8月6日(土)13:00〜21:00(一般公開)
8月7日(日)11:00〜21:00(一般公開)
会場:Sheraton Grand Jakarta Gandaria City Hotel
ときの忘れものブース番号:A7
出品作家:安藤忠雄磯崎新ル・コルビュジエ葉栗剛長崎美希野口琢郎秋葉シスイ草間彌生ナム・ジュン・パイク

◆ときの忘れものは「菅井汲展」を開催します。
会期:2016年8月6日[土]〜8月20日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
sugai_11_group-sときの忘れものでは16年ぶりに菅井汲展を開催します。
1919年神戸に生まれた菅井は中村貞以に日本画を学び、1952年渡仏。渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなりました。1955年からは版画制作を開始し、生涯に約400点を制作。1959年リュブリアナ国際版画展、1965年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞しました。本展では、菅井の版画約40点をご覧いただきます。

熊本地震被災地へのご支援、ご協力に感謝します!

先月皆様にご協力いただいた「ここから熊本へ〜地震被災者支援展」では、画廊コレクションより100点を出品し、特別価格8,000で頒布しました。
売上げ金は627,000円に、その後東京のSさんから7,500円の寄付が加わり、総額634,500円となりました
201606kumamoto
634,500円は全額を被災地に送金しました。

送金先については、以下のような基準で、亭主の大学時代の同級生(熊本在住、今回の地震の被災者でもあります)はじめ各方面に相談しました。
1)なるべく直接現金をお送りし、直ぐにお役に立って欲しい。
2)自治体など公的機関ではなく、支援が届きにくい民間の団体、個人を対象にしたい。
3)画廊のコレクションを提供して集まったお金なので、被害を受けた文化財的なものも対象にしたい。

地震直後に現地に取材に入りウエブマガジン「コラージ臨時増刊号」でレポートした塩野哲也さんは、その後もデザイン関係で集めた義捐金を直接現地にお届けに行ったりしました。
数ヶ月経った今もなかなか復興が進まない被災地の生々しい状況を塩野さんからお聞きすることができ、熟慮の結果、一番被害の大きかった益城町でお年よりや子供たちのケアに尽力されている木山キリスト教会に400,000円を、
熊本市の城下町の風情を残す唐人町で被災した大正初期に建てられた築100年の商家(カフェアンドギャラリーなどが入居、一時は解体も検討された)の西村家の復興資金に234,500円を、それぞれ送金いたしました。

木山キリスト教会(益城町 惣領地区)に400,000円送金
40年ほど前に、藤本聖子牧師により、益城町木山地区での開拓伝道がはじまり、現在は惣領地区にて10年ほど前に建てた教会で活動されています。
被災時は周辺の建物が倒壊する中、唯一無事に残ったため、全国から駆けつけたボランティアの方々の拠点となり、救援物資やボランティアのハブ施設として活躍しました。
避難所に避難できない高齢者への巡回支援や、遊び場のない子どもたちを預かるなど、また炊き出しを行ったりコンサートなどを開催し、地域に密着した活動を行なっていらっしゃいます。
藤本牧師はご高齢のため、震災後は小田真由美牧師が跡を継いでいます。
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●西村家(熊本市 唐人町)に234,500円送金
熊本の城下町のふぜいを残す唐人町には、江戸末期から大正期に建てられた町家が並び、カフェやレストランなどに活用されています。震災では大きな被害をうけ、解体が始まった家もあります。
西村家は熊本市重要景観建築物に指定された、大正初期に建てられた築100年の商家です。燃料を扱っていたため、両側にレンガ壁を立て、道路側は店舗と倉庫、奥が母屋になっています。
震災前は<熊本まちなみトラスト>などの協力で、店舗部分を「器季家(キキヤ)」というカフェアンドギャラリーが利用し、奥の母屋ではオーナーの西村正代さん(現在は八代に避難されています)が暮らしていました。
震災後は一時解体も検討されましたが、熊本に1軒の貴重な建物ということで修復作業が始まりました。大学の先生などが調査してくれたものの、公的な資金援助はわずかで、大半は自己資金で修復するとのことなので、ときの忘れものからの義捐金が少しでもお役に立てたらと思っています。

熊本まちなみトラスト
熊本まちなみトラストは「記憶の継承」を基本コンセプトとして熊本の明日を語り、行動する非営利の市民団体です。
熊本市西唐人町の器季家カフェでは、熊本まちなみトラストのメンバーの方々が震災後の町家再生に関して当番で相談を受けられています。
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塩野哲也さんが毎月発行されているWebマガジン Colla:J(コラージ)5月号臨時増刊号より、ご許可を得て画像を転載させていただきます。

012016年4月27日取材
「益城町」フォトレポート


02街に近づくにつれ、屋根などに被害を受けた家が目立ってきます。


03被害の大きい益城町惣領地区に入りました。


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05「応急危険度判定」が急ピッチですすめられました。


06自動車道路から一歩入ると、農家の家や納屋、木造アパートが並んでいます。


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091階部分が押しつぶされた2階建てを多く見ました。


10農家の皆さんは農機具の破損を憂いていました。


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15秋津川ぞいの「木山キリスト教会」には、ボランティアの方々が集まっていました。


16難を逃れた教会の建物には全国からの支援物資が集積され、地域の方々に届けられています。


皆様の暖かいご支援、ご協力に心より感謝いたします。
ときの忘れもの スタッフ一同


●お勧め写真集・書籍のご案内
2016細江英公・笠井叡『透明迷宮』細江英公 × 笠井叡
『透明迷宮』(サイン本)

2016年
平凡社 発行
写真:細江英公
舞踏・文:笠井叡
80ページ
30.5x23.4cm
6,800円(税込7,344円) ※送料別途250円
細江英公、笠井叡の二人のサイン入り
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。

201606大谷省吾大谷省吾
激動期のアヴァンギャルドシュルレアリスムと日本の絵画 一九二八−一九五三

2016年
国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税込9,504円) ※送料別途250円
著者からのメッセージ
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。

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今日の夕方はときの忘れものに。現在開催中なのはルイーズ・ニーヴェルスンというアメリカの作家の個展。主に彫刻で活躍した人で、廃品・廃材を真っ黒に塗って組み合わせた箱状の彫刻という様式を手掛けてきたそう。
 今回展示されているのは彫刻では無く大判のシルクスクリーン作品。抽象的な形、ちょっとブラッシュストローク的なタッチ(でもシルクスクリーン)、中間色といったあたりが特徴で、僕はどことなく『具体』の作家たちの作品を思い出した。画面の一部がヴェールで覆われたような色合いになっている作品など、とても知的な印象ととても穏やかな色合いとのバランスが素晴らしい。作品が大判なため展示数は7点と少ないが、じっくり見入ってしまった。
林光一郎さんのブログより)>

ルイーズ・ニーヴェルスン展は本日が最終日です。
会期:2016年7月5日[火]〜7月23日[土] *日曜、月曜、祝日休廊
05アメリカを代表する女性彫刻家であるルイーズ・ニーヴェルスン。ウクライナのキエフに生まれ、幼少時にアメリカへ移住した彼女は、1950年代より主に黒で彩色した木製の箱状彫刻を制作し、独自の様式を確立します。以後20年以上にわたり一貫して黒い箱や廃物が増殖するかのような作品を制作し、世界各地で展覧会を開くほかパブリック・アートも手がけました。本展では1973〜1975年に制作された大判の版画作品をご覧頂きます。

15出品No.15)
ルイーズ・ニーヴェルスン
「7309」
1973年
シルクスクリーン
Image size: 98.7×72.5cm
Sheet size: 106.8×76.1cm
Ed.20   Signed

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藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第11回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第11回

 研究と教育の実践として建築の実測を行い、その資料をアーカイブ化する取り組みを知る機会がありました。
 ひとつは、早稲田大学會津八一記念博物館で開催中の《ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話》展です。早稲田大学では2013年度よりロンシャンの丘の建築群の実測調査を行っており、本展では礼拝堂のみならず、存在すらよく知られていなかった「巡礼者の家」や「司祭者の家」等の実測課程と結果が展示されています。礼拝堂に残されていた青図も展示されており、厳しい貸し出し規定のあるル・コルビュジエ財団からの借用では実現できない、贅沢な展示となっています。実測図と青図を重ねると、明らかな設計変更の跡も窺えます。実測には複数の学生も関わっており、来年以降もル・コルビュジエ作品の実測を継続するとのことです。
 もうひとつは、来日中のレスリー・ヴァン・デュザー氏(ブリティッシュ コロンビア大学教授)の講演で聞いた、アドルフ・ロース設計のミュラー邸実測調査です。デュザー氏は1991年民主化革命直後のプラハにおいて、ひどく荒れた状態だったミュラー邸の調査を行い、オリジナルの状態に蘇らせました。デュザー氏は学生と共に行った調査の教育的効果についても話してくれました。実測しても建物の全貌が明らかになるわけではありません。実際に測れるのは外周と室内の内寸のみ。入り組んだ部屋の本当の壁の厚みは、決して知ることができないのです。こうした経験は、学生にとっても非常に貴重だったとのことでした。ミュラー邸の調査と考察については ”Villa Müller: a work of Adolf Loos“ として著されています。ミュラー邸の実測図面はミュラー邸内にあるアドルフ・ロース・スタディセンターに納められています。デュザー氏はその後、チェコにあるロースのその他の作品の調査も行っています。調査結果はプラハ市立美術館で2008年から09年にかけて行われた展覧会に合わせて出版された ”Adolf Loos – Works in the Czech Lands” にまとめられ、一部資料はミュラー邸のスタディセンターに集められているそうです。これらの資料について彼女は、これから誰かが活用し研究することを希望すると強調していました。

01Villa Müller: a work of Adolf Loos, Kent Kleinman and Leslie Van Duzer, Princeton Architectural Press, 1994


02Adolf Loos – Works in the Czech Lands, Maria Szadkowska, Kant, 2009


 最近、とある壊される予定の建物の実測に行った研究者から、持ち主から実測図面の公開を拒否されたと聞きました。建て替え予定の建物の図面公開を施主が拒否した例もあります。建物を所有しきれなくなったことが公になることを恐れたり、解体の反対運動が起こることを危惧して、建物の情報さえも抑えようとするケースは少なくないようです。どうも、日本では建物の存亡や情報の活用如何はひとえに所有者の独断に委ねられているように感じます。法律的にはそうでしょう。しかし、建築を文化としてとらえたときに、果たしてその考え方は妥当と言えるかどうか。文化は共有されて初めて文化になると言えます。建物がある文化の一面を体現しているならば、その建物を巡る議論はもっと公に開かれてよいのではないでしょうか。建物を保持するには莫大な費用がかかりますが、文化の結実であると考えれば、所有者にだけその負担を強いるわけにはいきません。しかし、そもそも日本では建築が文化を担っているとは一般に認識されていない、とも言えます。建築の文化的意義を、どうすれば広く伝えることができるのか。建築資料に関わる者にも責任の一端があることを、自戒を込めつつ考えます。

《ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話》展 開催中(2016年6月29日〜8月7日)
http://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/news/2016/06/17/1208/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、磯崎新画文集『栖 十二』より第三信アドルフ・ロース[ミュラー邸](1928-30年 プラハ)です。
第3信より挿画7_A
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画7
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ

第3信より挿画8_A
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画8
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
tokinowasuremono
緑豊かな青山のギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱い、毎月企画展を開催しています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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