森本悟郎のエッセイ「その後」第39回

森本悟郎のエッセイ その後

第39回 中平卓馬(1938〜2015)(1) 記憶のなかの中平卓馬像


C・スクエアの企画はすべてぼくが決めていたと思われているふしがあるが、そんなことはない。設置当初から運営委員会方式を採用し、展覧会の企画案はぼくのであれ委員のであれ、公平に会議で俎上に載せられる。企画の承認は全員一致が原則だったから、だれの提案であっても退けられる可能性はある。思いのほか開催ハードルは高いものだった。
1996年4月の運営委員会で「中平卓馬の展覧会を開きたい」と発言したのは委員の写真家・高梨豊さんだった。一瞬ぼくは耳を疑った。個展のような作品発表形態をずっと拒否してきたのが写真家・中平卓馬だと思っていたからだ(89年に森山大道さんの展示スペース〈FOTO DAIDO〉で「あばよX」展を開催していたことは後に知った)。中平さんを知る他の委員たちも驚いたに違いない。「できるんですか」と尋ねると、「やりたいと思っているはずだ」と答え、中平さんがほぼ毎日ひとりで写真を撮りに出かけていること、撮影済みフィルムが溜まった頃合いに高梨さんから声をかけ、現像所まで一緒に行っていることなど、中平さんの近況を語った。
ぼくが「中平卓馬」という名を最初に目にしたのは1960年代の終わり頃だったろうか。当時ぼくの大きな関心事は芸術と社会的問題で、自分のアンテナに引っかかったさまざまな雑誌や本を読み漁っていた。今ではそれがどの雑誌だったか忘れたが、ちょっと気になる写真と文章に出会った。それは情動的にみえながら静謐さを湛えた画像と挑発するような社会的思想的発言だったように記憶しているけれど、それは後からつくりあげたイメージかもしれない。しかし「卓馬」という名前は紛れもなく印象に刻まれた。中平さんが高梨豊、多木浩二、岡田隆彦、森山大道らと出していた『provoke』(プロヴォーク)については情報こそ目にしていたものの、実際に手に取ったことはなかった。

01『provoke』第1号(1968年11月1日9日)

さらに中平卓馬をくっきりと銘記したのは70年代初め、パロディ事件として知られた「白川・アマノ裁判」の論戦を通じてだった(とはいうものの白川・写真家協会側は「盗人」呼ばわりするばかりで、もっぱら論陣を張ったのはアマノ側)。これは山岳写真家の白川義員氏が撮影した画像をフォトモンタージュ作品に無断使用したと、デザイナーのマッド・アマノ氏を損害賠償で訴えた裁判で、この時アマノ擁護の急先鋒は木村恒久さんだった。フォトモンタージュ作品を大々的に展開していた木村さんにはとても他人事ではなかったからだ。ぼくは赤瀬川原平さんの「千円札裁判」とともに芸術裁判のゆくえに興味津々で、関連記事も追いかけていた。そんな中で中平さんのアマノ擁護論も見つけたのだった。それは、

白川義員氏のアルプスの写真が表現であるとするならば、マッド・アマノ氏の「軌跡」もまた同等の表現であると私は考える。問題はまずこの一点を認めたうえで初めて立てられるべきである。その際マッド・アマノ氏が白川義員氏の写真を素材として使ったのは、〈中略〉それが既存のイメージであるからにほかならない。(中平卓馬「複製時代の「表現」とはなにか」『朝日ジャーナル』1972年9月29日号)

という原作のオリジナリティに対して疑義を挟むものであり、白川作品については「フジヤマ、ゲイシャなどと同列の絵はがき的なアルプスの「美しい」写真」(同)とまで言い切っている。

02(左)白川作品 (右)アマノ作品 
(「著作権その可能性の中心」〈http://copylawyer.blogspot.jp/2015/06/220131213.html〉より)


ぼくが中平さんに注目したのは、写真家以前にまずこのような論客としてである。作品を意識的に見はじめたのも、その言説との整合性を確認するためだった。ジャンルを問わず表現に関心をもっていたとはいえ、当時ぼくの興味の大半は絵画で、写真の比率が高いわけではなかった。それでも写真は気になるメディウムであり、少しずつ、つとめて写真も見るようになっていった。
もりもと ごろう

森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年名古屋市生まれ。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーC・スクエアキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。現在、表現研究と作品展示の場を準備中。

●今日のお勧め作品は、ハ・ミョンウンです。
20170603_ha_17_MINIseriesハ・ミョンウン 河明殷
"MINI series(5)"
2011年
Foamex acrylic
22.0x15.0x3.1cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
14



◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

高知県立美術館で「高元尚新作展 ―破壊 COLLAPSE―」2017年6月17日[土]〜7月23日[日]

具体美術協会で活躍を続けてきた高元尚先生が、6月22日0時27分に永眠されました。
ご出身の高知で回顧展が始まり、このブログでもご紹介しようとしていた矢先でした。
ときの忘れものでは、2013年に開催した「GUTAI 具体 Gコレクションより」で初めて作品を扱わせていただきました。
お目にかかる機会はありませんでしたが、折にふれ自筆の丁寧なお手紙をいただきました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

20170709_高崎元尚20170709_高崎元尚_裏
「高元尚新作展 ―破壊 COLLAPSE―」
会期:2017年6月17日[土]〜7月23日[日]
会場:高知県立美術館
時間:9:00〜17:00 ※入館は16:30まで
無休

齢94歳を超えてもなお作品制作に挑み続けた本県香美市出身の美術作家、高元尚。本展ではこれまで鑑賞の機会が限られていた高の代表的シリーズ「破壊」の最新作を5つのパートで紹介します。未来に向かって進化し続ける高元尚作品の今の姿をご覧ください。
高元尚は、1923(大正12)年1月6日、高知県香美郡香北町(現香美市)の生まれ。第二次大戦を経て1949年、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科を卒業。帰郷後は母校・土佐高校にて教鞭を執りながら、当初はモダンアート協会展へ出品を続けます。1958年には「抽象絵画の展開」展(東京国立近代美術館)に出品。この頃にアクション・ペインティングから一転、ミニマルな平面シリーズ〈装置〉へと作風が転換します。1962年には前衛土佐派の結成に参加しますが、第3回展を最後に脱退。1966年にアメリカ・ニューヨークで開催された「ジャパン・アート・フェスティバル」展への出品を通じて具体美術協会のリーダー・吉原治良と知り合い、同会会員となります。具体の解散後は京都、大阪を軸に毎年のように個展を開催。1978年に「アート・ナウ’78」展(兵庫県立近代美術館)に破砕コンクリートブロックを敷き詰めたインスタレーションを展開し、埼玉県立近代美術館等数多くの展覧会に作品がセレクトされます。1995年に当館で開催した「クールの時代」展では、ブロック一千個を破砕した作品を発表し大きな話題を集めました。高知県内での「モダンアート研究会」や「現代美術の実験」展シリーズ等活動の功績により、1996年に高知県文化賞を受賞。2013年、アメリカ・グッゲンハイム美術館で開催された「Gutai: Splendid Playground」に作品〈装置〉を出品。2016年には故郷・香美市立美術館にて回顧展「高元尚展 −誰もやらないことをやる−」を開催し注目を集めたばかりです。
本展覧会は、「装置」と並ぶ高元尚の代表シリーズである<破壊>を一堂にまとめてご覧いただける貴重な機会です。
ぜひご来場くださいませ。(高知県立美術館HPより転載)

●今日は追悼の心をこめてコレクションから高元尚作品をご紹介します。
01_600高元尚
《装置》
1973年頃
キャンバス、木枠、白エンビ
125×83cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
10

スタッフSの海外ネットサーフィン No.52「Wynwood Walls」

スタッフSの海外ネットサーフィン No.52
「Wynwood Walls」


 読者の皆様こんにちわ。唐突な画廊の移転から2週間が過ぎ、ある程度は新事務所も落ち着いてきたものの、まだまだ片付ける物にも事にも事欠かないスタッフSこと新澤です。

 2016年は亭主の宣言で海外進出を目指して兎に角世界各地のフェアの出展を目指した結果、年がら年中てんやわんやでしたが、今年はある程度出展するフェアを絞り、より一つ一つのフェアに注力することになりました。
 その中の一つが12月開催のBASEL MIAMIと同時開催のART MIAMIです。2016年の出展画廊数は134とBASEL MIAMIに比べると一段落ちますが、事務局がCONTEXT ART MIAMI等傾向の異なるフェアを平行して開催しているため、それらも合わせればBASEL MIAMIと並ぶアートフェアです。とはいえ、参加申し込みこそしたものの、合否はまだ通知されていないために気を揉んでいる最中でもあります。次回の記事までに結果が分かるといいなぁ…

 ともあれ、今回ご紹介させていただくのは、そんな画廊の出展予定にかこつけたマイアミ美術館の中でも変わり種であろう「Wynwood Walls」です。

20170626_Wynwood_Walls

 2009年に開設した「Wynwood Walls」は正確には美術「館」ではありません。元々は窓のない倉庫がひしめき合う治安の悪い区画を、不動産業者のトニー・ゴールドマン氏が、後のMOCAディレクターであるジェフリー・ダイチ氏と協力して一大アート施設に転じたエリアです。窓の少ない倉庫の壁面は、つまるところ巨大な平面なワケで、そんなものがいくつもあるのは巨大なカンバスが放置されているようなもので、じゃぁストリートアーティスト達に使ってもらおう!というアメリカらしい豪快かつ合理的な理由により実現しました。連載第7回の時に紹介したニュージーランドの「RISE展」も、世界各地のストリートアーティスト達がグラフィティ作品をクライストチャーチの街中に描きましたが、こちらは常設かつ入れ代わります。

 出展(?)アーティスト達の出自は様々で、中には日本人で現在NY ブルックリン在住のアーティスト、AIKOも名を連ねています。

20170626_Wynwood_Walls2

 買って帰って家の壁に飾るような作品ではありませんが、これも間違いなく現代美術の一分野。作品は倉庫の壁面だけではなく、開けた区画には立体作品やカフェもあり、ゆったりとストリートアートを楽しめるようになっています。個人的には、ART MIAMIの出展が叶えば是非訪れてみたい場所です。

20170626_Wynwood_Walls3

(しんざわ ゆう)

ウィンウッド・ウォールズ 
Wynwood Walls公式サイト(英文)
住所:2520 NW 2nd Avenue, Miami FL 33127
営業時間:月〜土 AM11:00〜PM 11:00 日 PM12:00〜PM6:00
毎月第2土曜日 AM11:00〜midnight Wynwood Artwalk開催

●今日のお勧め作品は、磯崎新です。
磯崎新 MOCA #1磯崎新
"MOCA #1"
1983年
シルクスクリーン
イメージサイズ:46.5×98.0cm
シートサイズ:73.0×103.5cm
Ed.75
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
11

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第16回

小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第15回

藤岡亜弥『川はゆく』

今回紹介するのは、藤岡亜弥(1972−)の写真集『川はゆく』(赤々舎、2017年)です。藤岡は20代の頃から台湾やヨーロッパ諸国、南米、ニューヨークと世界各地で旅や滞在を重ねながら写真家として活動を続け、人との巡り会いや、近親者や土地との関係を見つめながら、その関係の中にある自身の位置を探るような作品を制作してきました。これまでに発表した写真集として、ヨーロッパを旅する中で撮影した写真をまとめた『さよならを教えて』(ビジュアルアーツ、2004年)や、2000年から2006年にかけて東京に生活の拠点を置きながら、広島県呉市にある実家に帰省した際に撮り続けた写真をまとめた『私は眠らない』(赤々舎、2009年)を発表しています。ニューヨークから帰国後2013年から広島市内に生活拠点を移して写真を撮り続け、2016年に開催した写真展「川はゆく」により第41回(2016年度)伊奈信男賞を受賞しました。写真集『川はゆく』は、この写真展にもとづきつつ、作品を追加して綿密に再編成されています。

01(図1)
写真集『川はゆく』左 ケースの表 左 表紙


02(図2)
写真集『川はゆく』 ケースの裏


03(図3)
航空写真


『方丈記』の冒頭の一節「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」を連想させる題名を追うようにして、写真集のケースの裏側には「川は血のように流れている 血は川のように流れている」と記されています(図2)。タイトルが示唆する無常観ととともに、血と川が相互に入れ替わる類推的な関係にあるものとして組み合わせられることで、体内の血の巡りが川の流れになぞらえられているようにも読み取られます。写真集のケースと表紙には、川が写った2点の航空写真を捉えた写真がトリミングの仕方を変えて使われており(図1)、ケースの方では、二枚の航空写真を収める金属製のフレームが、写真の画面を縦半分に、あたかも二つの川の間に差し込むように分割しています。写真集に収録された写真(図3)に照らし合わせて見ると、二枚の航空写真のうち左側は、原爆投下後の焦土と化した広島市街の川沿いの区画を捉えたものであり、右側はその後しばらく時間が経過した後に同じ地点を捉えたものであることが見て取れます。このように写真とむすびつけてみると「川は血のように流れている 血は川のように流れている」というフレーズは、夥しい数の被爆者達が流した血と結びついて紡ぎ出されたもののようにも響きます。藤岡は写真を撮り続けるなかで、自分の体内を巡る血と、原爆により流された血のありように想像を巡らせ、そこから広島という土地の現在と過去の間を往還するように写真集を編んだのではないでしょうか。

伊奈信男賞受賞に際して藤岡は次のようにコメントしています。「広島を歩くと、いやがおうでもヒロシマの表象に出会う。広島で平和を考えるのはあたりまえのことのようでもあるが、日常という厚い皮層からヒロシマの悲劇を垣間みることの困難さなど、生活してみて初めて知ることが多かった」。ここで藤岡が「広島」と「ヒロシマ」と二通りの表記の仕方を選び、繰り返し用いていることからも明らかなように、原爆に関わる事象としての「ヒロシマ」は、戦後から70年の時間の経過の中で抽象化され、あくまでも「表象」として日常生活の中に断片的にさし出されるもの、それ自体は直接確かめることのできない、不可視的なものになっています。藤岡が写真を撮りながら追求してきた「日常を通してヒロシマを考えるという作業」は、日常の景色の中から不可視的な層を掬い上げようとする試みであり、『川はゆく』が、写真集としては大部の240ページというボリュームになったのも、本質的には要約してまとめることのできない「日常」という時空との格闘の軌跡を示すことにあったと言えるでしょう。

04(図4)
小学生の集団


05(図5)
フラワーフェスティバル


06(図6)
被爆者を捉えた写真パネルとそれを撮影するカメラを持つ手


07(図7)
オバマ元大統領の広島来訪を報道する番組を見る人たち


08(図8)
原爆ドームを背景に、取材を受ける男性


藤岡は、デルタ地帯である広島市の川辺の景色や、通勤・通学で路上を行き交う人たち、遠足や社会見学、修学旅行で集団行動する子どもたち(図4)、路面電車の車内、8月6日の原爆忌などの行事のために平和公園の周辺に集う人々、広島東洋カープの試合やひろしまフラワーフェスティバル(図5)、夏祭りなど、人々が集まるイベントにカメラを向け、時折人々の日常生活の光景の片隅に現れる原爆ドームや広島平和記念資料館、被爆建物といった、原爆にまつわる建造物の姿を捉えています。写真集を通して眼をひきつけるのが、画面の中に別の画面を収める「複写」のような撮影手法です。平和資料館の展示物の写真パネルや印刷物をとらえたり(図6)、アメリカの政府要人(ケリー元国務長官、オバマ元大統領)の広島訪問を報道する番組を放映するテレビ画面をとらえたり(図7)、あるいは原爆ドーム周辺で報道カメラを向ける情景をとらえたりする撮影手法を用いることで(図8)、藤岡は「ヒロシマ」の表象のあり方、人々が「ヒロシマ」に視線を向け、フレーミングを形作る方法や関係のあり方を示しています。このような意図的に視線を入れ籠にしたり、人々が対象を見る状況を俯瞰して捉えてみせたりするような恣意的な画面の作り方は、「見る」ことや「記録する」という行為を意識化させ、それらの行為がどのような状況の元に成り立っているのか、ニュース報道がどのように伝達され、どのように受容されているのかといったことを含めて、その時空を記録しようとする意志に裏打ちされています。

09(図9)
ポストカードと原爆ドーム


10(図10)
ジャンプして宙に浮く女子学生たち


11(図11)
フラダンサーたち


藤岡の「見る」という行為への意識の向け方を探る上で重要な位置を占めているのが、原爆ドームの捉え方です。藤岡は「日常を通してヒロシマを考えるという作業」を続けていくなかで、「ヒロシマ」の揺るぎないシンボルである原爆ドームを、日常の景色の一部として捉えることを何度も試みています。たとえば、写真絵葉書を実際の原爆ドームの手前にかざして、過去に捉えられた姿と現在の状態の双方を見比べるような撮り方をしてみたり(図8)、原爆ドームが面している元安川の川沿いで偶発的に起きている出来事と組み合わせるような撮り方をしています。たとえば、女子学生達のグループが一斉にポーズを作ってジャンプし、宙に浮いているような写真を撮るのに興じている情景(図9)や、鮮やかなピンクの衣裳を纏ったフラダンサーたちが、対岸の原爆ドームの方を向いて並んでいる情景(図10)は、一見するとどことなくユーモラスな場面にも映りますが、手前と向こう岸の関係は、此岸と彼岸にも重なって見え、原爆ドームとその周辺の場所が担わされてきた意味合いと日常の営みの間にある裂け目のようなものをあらわにしているようでもあります。

12(図12)
金髪の少女


(図10)や(図11)においてもそうですが、子どもたち(図4)や若い女性(図5)、10代の若者達の姿が、写真集全体を通して多く捉えられています。被爆者の世代に属する高齢者の人たちの姿も所々に見られますが、戦後から遠く隔たった世代の幼い子どもたちや若者たちや外国から訪問してきたと思しき白人の少女の姿(図12)は、「ヒロシマ」として抽象化され得ない現在の広島を表す存在として差し出されているようでもあります。
藤岡や筆者のような1970年代に生まれた団塊ジュニア前後の世代、すなわち現在40代から50代にさしかかる世代で(以前にも書きましたが、私は1歳から18歳までの17年間、子供時代を広島市で過ごしました。)で、
広島やその周辺で育った人たちは、学校の中で原爆に関する平和教育を受けるだけではなく、被爆者の存在を、祖父母や親戚として身近に存在することを肌で感じ、体験談を耳にすることができました。しかし、さらに一世代を下った現在の若者や子どもたちは、被爆者の高齢化が進み、世代が移り変わっていくなかで、そういった経験をすることが難しくなっている現状があります。『川はゆく』は、移ろいゆく時間のなかで、日常という皮層の下に横たわる歴史を探るとともに、未来を担う子どもや若者達の相貌を景色の中に位置づけ、「ヒロシマ」と「広島」が多層的に重なる現在の広島の姿を描き出しているのです。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

●今日のお勧め作品は、植田正治です。
作家については、飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」第4回をご覧ください。
20170625_ueda_12_tasogare植田正治
《昏れる頃 3》
1974年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:14.7×22.4cm
シートサイズ:20.2×25.6cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
14

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

神林菜穂子のエッセイ「千一億光年トンネル 浜口陽三 奥村綱雄 Nerhol 水戸部七絵」について

展覧会「千一億光年トンネル 浜口陽三 奥村綱雄 Nerhol 水戸部七絵」について
2017年5月20日(土)―8月6日(日)
会場:ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション

担当学芸員:神林菜穂子


東京、日本橋の一角に20世紀に活躍した銅版画家・浜口陽三の個人美術館、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションがあります。二部屋だけの小さな会場ですが、年に一度、浜口を軸にした企画展を開催しています。
浜口陽三(1909〜2000)は、西洋の印刷技術だったメゾチントを表現に取り込んだ芸術家の一人で、この方法を四色四版に応用した独自の方法を編み出し、ニュアンスのある色彩表現に成功したことで知られています。メゾチントでは、最初に銅板にベルソー(フランス語で揺りかごの意味)という名の専用の道具を揺らして、長い時間をかけた末に布目状に仕上げて、ビロードのような黒の肌合いを出します。
浜口は作品解説を書き残すタイプではありませんでしたが、生前のインタビューをいくつか読むと、常に創作に対する自由な精神を礎とし、技術の踏襲よりも結果としての表現を重視していたことがうかがえます。メゾチントの最初の工程である「目立て」についても彼なりの向き合い方があり、ベルソーを揺らす独特のリズムや力加減は、色の柔らかさや、光をはらんだ闇のニュアンスを生みました。そのため浜口の作品世界は画中におさまることなく、絵の地平線の向こうへと、どこまでも広がってゆくような魅力をもちます。
浜口陽三が銅版画を本格的に制作しはじめたのは1950年前後でした。第二次世界大戦後の平和の幕開けに際して、画家達が希望を抱き、こぞって新しい表現を求めた時代です。浜口はその中にあって銅版画の魅力を見出し、半ば手さぐりで技術を習得しました。そして銀座での個展をきっかけに手ごたえをつかむと1953年秋にはパリへ旅立ちます。現地では数年を置かずに独自の技法を確立し、理想の表現を追い求め、作品として結実させていきます。1957年に第一回東京国際版画ビエンナーレにおける国立近代美術館賞、第四回サンパウロ・ビエンナーレでの版画大賞を受賞したのを皮切りとして、その後も国際的な受賞歴を重ね、芸術家として栄えある人生を歩みました。

浜口陽三作品画像_浜口陽三
「アスパラガス」
1957年
29.2×44.1cm
メゾチント


その浜口の精神や手法を現代に照らしたのが今回の企画展です。このマスプロダクションの時代に手作業の感覚を大切にしながら、未踏の領域をそれぞれに歩む芸術家たちを紹介します。
奥村綱雄は「パフォーマンスとしての刺繍」を20年以上続けている希有な作家です。警備員の仕事につき、夜の守衛室で文庫本を広げたくらいの小さな綿布に9ヵ月から14ヵ月を注いでミシン糸を点描のように刺し続けます。画像では洗練された、かわいらしい織物片にも見えますが、すべての布目にびっしりと糸が通り、もう針が刺せなくなった状態で完成する作品は「完全」という概念を成し遂げた一つの形として圧倒されます。空白の時間を反復作業に込める点でメゾチントの目立て作業に通じるところもありますが、訴えかけてくる強烈な孤独感や、長い作業の結果として皮脂の匂いも縫い込めた作家の気配、全体で7200時間分の夜間作業というストーリーは、魔術のようにとらえどころのない感覚へと誘います。

奥村綱雄作品画像奥村綱雄
「夜警の刺繍 ブックカバー」
2017年
18.0×25.0
綿布に糸(ポリエステル)
撮影:長塚秀人


Nerholは、レイヤー(層)を意識的に使うアーティスト・デュオです。彼らは写真の束を彫刻することによって新しい形を提示します。「road side tree」は、伐採された街路樹の切り株をスライスして撮影した120枚の写真を重ねて一枚ずつ彫刻した作品で、本展では21点が並びました。街路樹の育った時間を内包した紙束は、重ねることで再び木の風合いを持ち、一点ずつ模様と個性を与えられます。機械的な撮影作業の繰り返しと、それを彫る過剰なほどの手仕事を経て、思考の螺旋が生まれます。木と人間の歴史や、その先端にある現代の大量消費社会、街路樹という画一性など、様々な問題を喚起させる視覚的な現代の哲学と言える作品です。

ネルホル作品画像Nerhol
「multiple - roadside tree」
2016年
29.7×37.4
インクジェット紙 
撮影:吉峯敦史


水戸部七絵は、大型の油彩絵具のチューブを一日100本も使うことがあるほど、描き重ねる若手作家です。学生時代にはミッキーマウスやマイケル・ジャクソンなど、現在のアイコンを描いていました。しかし旅先のアメリカで多様な人種や体型の人々を目の当たりにし、さらに博物館で遺跡から出土した人物像を見た経験から、古今東西すべての人間を包括した「匿名の顔」というテーマに辿りつき、それと同時に厚塗りになり作品が盛り上がってゆきました。平面絵画として描いていますが、作品には鉱物を原料とする油彩絵具の物質性が活かされ、立体さながらに火山の溶岩のような密度を持ちます。テーマも作風も、古代から未来への矢を貫く、大きなスケールの持ち主です。

水戸部七絵作品画像水戸部七絵
「Depth」
2017年
80.0×50.0
油彩、鉄製パネル
撮影:吉峯敦史


浜口作品を糸口として、時を重ねる作品、ひたむきな手のひらの反復作業だけがたどり着くことのできる表現に、果てしない可能性を託した展覧会です。無心の繰り返しは、時として個人の枠組みを超え、孤独な探索のうちに悠久な流れと感応する方法となります。長い時をかけて結晶を生み出す鍾乳石と同じ、宇宙の法則に叶った芸術表現なのかもしれません。
かんばやし なほこ

●展覧会のご紹介
チラシ表チラシ裏
「夏の企画展 千一億光年トンネル 奥村綱雄、Nerhol、水戸部七絵」
会期:2017年5月20日[土]〜 8月6日[日]
会場:ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション
時間:11:00〜17:00(土日祝10:00〜17:00) ※入館は16:30まで
《ナイトミュージアム:会期中、第1・3金曜(6/2、6/16、7/7、7/21、8/4)は20:00まで開館/ 最終入館19:30》
休館:月曜日(7/17は開館)、7/9(日)、7/18(火)
※7/9(日)[予定]はトーク開催の為、予約者のみの入館

 新しい表現は、見る人に新しい世界を切り開いてくれます。 浜口陽三は、1950 年代に手さぐりで銅版画の制作を開始し、独自 の技法を編み出しました。それは銅の板を何ヶ月もかけて繊細に 彫る手間のかかる方法でしたが、前例のない、光と闇に満ちた神秘 的な画面を作り出し、20 世紀後半を代表する銅版画家として国際 的に活躍しました。この夏は、浜口陽三にちなみ、現在、未踏の 表現を拓いて進む作家3人の作品を展示します。
 奥村綱雄(おくむらつなお)は「パフォーマンスとしての刺繍」を、 二十年以上続けています。あえて夜間警備の仕事に就き、勤務中 の待機時間にひたすら針を動かして、小さな布に1000 時間以上の 作業時間をかたむけます。これは膨大な時間の結晶か、あるいは 前衛演劇なのか。7200 時間分の不可思議な作品「夜警の刺繍」を 紹介します。
 Nerhol(ネルホル)は、田中義久と飯田竜太によるアーティスト・ デュオです。レイヤーを用いた洗練された手法で、時間や存在の ゆらぎを含んだ形を提示します。代表作は、3 分間連続撮影した肖像 写真を200 枚重ねて彫刻を施した作品で、人の表層と内面に切り 込みました。今回はこのシリーズの新作と近年作の「roadside tree」 も加え、静かな思索空間を展開します。
 水戸部七絵(みとべななえ)は、顔をテーマに描くスケールの 大きな最近注目の若手作家です。油彩絵具を時には一日100 本以 上を使って豪快に塗り重ね、崩れることも臆さずに匿名の顔を描 きあげます。絵画として描いていますが、作品は立体さながらに 盛り上がり、大胆な色彩と質感で迫ってきます。 手のひらから時空を乗り越えて別次元へと昇華した作品の数々 をご覧下さい。新作を含む現代作家の作品と、浜口の銅版画作品 20 数点の構成です。(ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションHPより転載)

●今日のお勧め作品はソニア・ドローネです。
224 のコピー
ソニア・ドローネ
リトグラフ
イメージサイズ:65.0×53.0cm
シートサイズ:75.8×58.6cm
Ed.75  Signed

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
11

阿部勤『中心のある家』『暮らしを楽しむキッチンのつくり方』

青山を30年ぶりに引き払い、ときの忘れものが移転した先は、阿部勤先生の設計で1994年竣工の鉄筋コンクリート造三階建ての一軒家です。
下にご紹介する写真は、契約直後に(まだ私たちが荷物を運び込む前に)撮影したものですが、このブログが公開される時点では荷物の山が埋め尽くしておりまして、とても皆様にご覧いただける状態ではありません、
ですが
そんなこととは露知らず、いきなりいらしてしまう方もおります。
一昨日はメキシコからもう37年ほどの付き合いとなる彫刻家のセバスチャンさん一家が来日、あの猛烈な雨と風の中、宿泊先の銀座からタクシーで駒込までいらしてくださいました。そういえば前回いらしたときも猛烈な暴風雨のときでした。
ちょうど亭主と社長は倉庫に行っており、大慌てで駒込に向かいました。
留守番のスタッフたちが、こっちの荷物をあっちに寄せ、あっちのダンボールをさらに積み上げ、ようやく作った小さなスペースにお迎えしたのでした。
20170623_sebastian1セバスチャンさんの日本でのパートナー、奈良の西田画廊さんも上京し、旧交を温めました。

18

22

23

24

移ってまだ間もないのですが、使い勝手、住み心地は満点です。
なぜそんなに住みいいのか。
知り人ぞ知る、阿部先生はお料理の達人らしい。
本日は阿部先生のご著書を紹介しましょう。
20170624_1阿部勤
『中心のある家』

2016年
復刊ドットコム 発行
55ページ
21.7x22.3cm


私の家は年を経るごとにすてきになってきました。
私になじみ、
環境にもなじんできました。
とてもよい関係です。
建物を設計していると、
はじめは私が設計しているという実感があるのですが、
ある時点から人格のようなものを持った存在になります。
いろいろな人との関わり、
思い入れによって人の心と深い関わりを持つようになるのだと思います。
(本書帯より転載)

20170624_2阿部勤+安立悦子
『暮らしを楽しむキッチンのつくり方』

2014年
彰国社 発行
167ページ
21.0x15.0cm


目次(抄):
・はじめに 阿部勤
・「関係」を楽しむ―中心のある家―
・「集う」を楽しむ―渡辺さんの家―
・「素材」を楽しむ―持永さんの家―
・「仕舞う」を楽しむ―齋藤さんの家―
・「空間」を楽しむ―壁の重なりの家―
・「外との関わり」を楽しむ―東が丘の家―
・「機器」を楽しむ―斎藤さんの家―
・「火との関わり」を楽しむ―神楽坂の家―
・「風」を楽しむ―小田木さんの家―
・「収納」を楽しむ―井関さんの家―
・「光」を楽しむ―銀閣寺前の家―
・アルテックの設計プロセス―えりさんのキッチンができるまで
・暮らしを楽しむ設計の素
・おわりに 安立悦子
・図版・写真クレジット
・略歴

■阿部勤 Tsutomu ABE(1936-)
1936年東京に生まれる。1960年早稲田大学理工学部建築学科卒業後、坂倉準三建築研究所勤務。1975年室伏次郎とともにアルテック建築研究所設立。1984年アルテック設立。2004年〜「中心のある家」「五本木ハウス」「美しが丘の家」「賀川豊彦記念松澤資料館」「スタンレー電気技術研究所」「桜台の家」にて日本建築家協会25年賞受賞。

●本日のお勧め作品は畦地梅太郎です。
026_畦地梅太郎畦地梅太郎
「山男」
1953年
木版
Image size: 39.3x28.6cm
Sheet size: 43.3x33.2cm
A.P.  サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
ラスカサス16_600
(撮影:阿部勤)

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
11

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第22回

藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第22回

 感銘を受けた建築の写真を撮るとき、頭を悩ませたことはないでしょうか。どこを撮っても、どうも自分がよいと思った空間が撮れていない。部分しか写すことができないのは勿論、全体を画面に収めたと思っても、空間のよさが伝わらない。建築の写真を撮るのは、本当に難しい。逆のこともあります。写真で見てよく知っていると思っていた建築に行ってみて、いい意味でも悪い意味でも予想を裏切られたことはないでしょうか。そもそも、建築は一方向だけから見て把握することはできません。それでも、外観は多方向から見て一応形を認識できたとしましょう。では、中に入ってみたらどうか? 建築の内部はどのように認識すればよいのでしょうか。そこで感銘を受けたとして、その感覚は何に依っているのか。腑分けすれば、壁や柱の位置、建具の納まり、仕上げ材の質感、等々、様々な要素を数え上げることができるでしょう。しかし、その要素の単なる集積が空間を構成している訳ではありません。入った瞬間に、その空間に衝撃を受けた経験はないでしょうか。岸田劉生が言う、「形を超えていきなり人を打つ」瞬間。そのときに知覚したのは、建築を構成している部分部分というよりは、空間そのものがもつ「抽象的な概念」であると言えるのではないか。
 このようなことを考えたのは、豊田市美術館で開催されていた『抽象の力』展を観たからでした。展覧会を企画した岡崎乾二郎氏は、「物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける」と喝破します。展覧会では、抽象芸術の歴史的な捉え直しが試みられており、岸田日出刀らが監修した『現代建築大観』のページや、石本喜久治の朝日新聞東京本社の写真等も展示に含まれていました。作品が極めて具体的な形を持って現れる建築においても、この「抽象の力」が働くと言えないでしょうか。
 ル・コルビュジエが唱えた「建築的プロムナード」という概念は、建築の中を移動していくにつれて、建築の見え方が展開していく、というものでした。これは逆に言えば、建築をひとつの見え方に収斂させることができない、ということでもあります。しかし、ある建築を体験するときには、変化する空間を感覚し、その感覚を統合して建築を知覚しています。
 ル・コルビュジエの自宅であった、ナンジュセール・エ・コリ通りのアパートメントを訪れたとき。方向感覚が攪乱されるような、不思議な感じを覚えました。プランは、中庭の吹き抜けと裏庭で長方形がくびれてH字型になっているもので、決して込み入っているわけではありません。それなのに、自分がどこにいるのか、ふと分からなくなるような複雑さがあります。だからといって空間が分節されているかというと、その反対で、むしろ上階部分まで含めて、弾力をもったひとつの塊のように感覚されるのです。これは、複数の事物(空間)が食い違いながら重なっている状態を同時に知覚できるという、あのピュリスムの絵画そのものではないでしょうか。
 建築において、敷地や周囲の環境を「地」、建築を「図」、とするならば、その関係の反転は容易に起こりえます。ル・コルビュジエが「建築的プロムナード」というときには、「図」としての建築だけを考えているわけではありません。「近代建築の5つの要素」のうちの「ピロティ」や「屋上庭園」においても、「地」と「図」の領域は不明瞭で不可分なものです。よい建築は両者の関係にこそ着目している、と言えるでしょう。
 用途を持つことを考えると、建築は絵画や彫刻とは違って、実用的な理由から決定や選択がなされ、施工される部分が多い。にも拘らず、最終的に実現された空間からは極めて「抽象的な概念」を感得することができるのです。建築を語る際に一番説明しづらく、けれど建築の把握に一番重要なのは、建築がもつ「抽象の力」をどう感得するか、ということなのではないでしょうか。

Amédée Ozenfant, 1920-21, Nature morte (Still Life), oil on canvas, 81.28 cm x 100.65 cm, San Francisco Museum of Modern Art

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、マイケル・グレイブスです。
20170622_graves_sakuhin7_84_1マイケル・グレイブス
「作品 7・84/1」
1984年
木版
30.3×24.0cm
Ed.150
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

ささやかですが、新しい空間のお披露目をいたします。
2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)
12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
10

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

恩地孝四郎の新東京百景「たけばし内」

青山に有ったギャラリー「ときの忘れもの」さんが、なんと駒込にお引越し。こんなに素敵なギャラリーがご近所にできる、なんたる幸運。すでに当店を何度もご利用いただいております。外苑前の本屋にいた私が、駒込の古本屋で再会。うれしいです。
(BOOKS 青いカバさんのtwitterより)

引越しして幾日も経たないのに次々と不思議なご縁が。
お披露目の日時が決まりました。
日時:2017年7月7日(金)12時〜19時(ご都合の良い時間にお出かけください)

当日お越しになれない方は、翌日8日(土)も11時〜18時まで、営業していますのでお出かけください(日曜、月曜、祝日は休廊です)。

さて、先日は珍しい恩地孝四郎のリトグラフ「Poeme Winter」をご紹介しましたが、本日は恩地本来の木版作品をご紹介しましょう。

恩地たけばし恩地孝四郎
『新東京百景』より《たけばし内》
1932年  木版
イメージサイズ:18.0×24.0cm
シートサイズ:20.0×26.0cm
版上サインあり
※『恩地孝四郎版画集』には未収録(1975年 形象社)

1923(大正12)年9月の関東大震災により首都東京を壊滅な打撃を受けます。江戸の名残はもちろん、文明開化の煉瓦の銀座も殆どが焼失してしいました。その後の数年はいたるところで工事の槌音が高く響き、東京は大変貌をとげます。震災復興といわれる新しい東京の街を8人の版画家が描いたのが『新東京百景』です。
1928(昭和3)年の秋に前川千帆(1888〜1960)、藤森静雄(1891〜1943)、恩地孝四郎(1891〜1955)、逸見享(1895〜1944)、平塚運一(1895〜 )、川上澄生(1895〜1972)、深沢索一(1896〜1946)、諏訪兼紀(1897〜1932)の卓上社を結成した八人がそれぞれの分担を決めて制作にとりかかります。
版元の中島重太郎により、翌年から1932(昭和7)年の完成まで足掛け五年をかけて100点ちょうどが刊行された連作ですが、木版のもつ柔らかな線と色彩によって1920年代の大都会の夜と昼の情景が、あるいは復興で整備された街並が情趣豊かに競作され、小品ながら近代の風景版画の傑作といえるでしょう。
こういう多人数による連作は出来に凸凹が生じ、全部がいいとは限らない。
ところがこの『新東京百景』はメンバーも最年長の前川千帆から最年少の諏訪兼紀までいずれも詩情豊かな表現力を持ち、それぞれが得意の腕を振るった、珍しく成功した大連作です。当時の創作版画ブームが背景にあり、各人の創作を後押ししたのでしょう。
創作版画の一つの頂点を示したこの連作、恩地孝四郎の作品は市場でも高く評価されていますが、中の一点《たけばし内》だけなぜか1979年に形象社から刊行された『恩地孝四郎版画集』には収録されていません。そのとき恩地家になかったのか、何らかの理由で漏れてしまったのか不思議ですね。

この連作が画集や雑誌で紹介されるとき使われているのは専ら東京都現代美術館の完全セットです。
残念なことに状態が悪い、シミだらけです。
幸運にも亭主は、1970年代に完璧なセット、それもコンディション抜群のものをイギリスのコレクターH氏に売ることができました。
亭主にとっては会心の仕事でした。

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

ただいま引越し作業中
6月5日及び6月16日のブログでお知らせしたとおり、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
電話番号も変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
12

営業時間も7月1日から11時〜18時に変更します。
JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
06

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第4回

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第4回

 1980年に思潮社より「現代詩読本」シリーズの1冊として「瀧口修造」が刊行され、その表紙に使われたのが自由が丘画廊での「窓越しに…マルセル・デュシャン小展示」(1978年)に来廊した時の写真(撮影:安齊重男)である。この展示はデュシャンのコレクター笠原正明さんの所蔵品を主とし「瀧口が監修的な立場で関与した国内初の本格的なデュシャンの個展」(「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展カタログより千葉市美術館2011年刊)であった。

01現代詩読本15瀧口修造


02同上表紙の元となった写真
「瀧口修造とマルセル・デュシャン展」千葉市美術館カタログより


1984年の末頃、自由が丘画廊に瀧口関連の作品を探している旨電話と手紙で伝えたところ、しばらくして画廊主の実川暢宏さんから速達の返事が届いた。その中には先の「小展示」におけるリーフレットと瀧口のオブジェの写真が同封されていた。オブジェはある関係者から預かったもので売価も記されていた。12センチ四方の木箱の中に鳥の羽根とバラの花が白い台紙の上に置かれ、「誰のものか、これは? 瀧口修造 (日付) 綾子へ 庭で拾う」とペン書きの献辞があり、月日は判読できないがその下に‘73と書かれている。1973年といえばマルセル・デュシャン大回顧展のために渡米し「扉に鳥影」が作られた時期と重なり、綾子夫人への贈物であるこのオブジェはデュシャンとの関連も伺わせる。

03「マルセル・デュシャン小展示」リーフレット


04瀧口修造のオブジェ


05「扉に鳥影」
ユリイカ1977年8月号付録より


しかし、写真だけでは判断がつかず、翌年の2月に上京した折に初めて自由が丘画廊を訪れ実川さんから現物を見せていただいたが、これは私のような者が持つべきではないと思ったのは、それがあまりに純粋でプライベートな作品であり、お金で購うことへの抵抗感があったのかもしれない。
瀧口は1962年に出身地の富山市で開催された第15回全国造形教育大会において「今日の美術―オブジェを中心として」と題した講演を行っているが、その下書きにあたる未発表原稿が「オブジェの生命」覚え書として遺されていた。(みすず357号1990年12月)その中で「シュルレアリスムがオブジェというものを普遍化させた最初の体系的な運動」であり、「日本に芸術用語としてのオブジェを流行させた最初の張本人は私であった。」と述べ、オブジェの分類の中でも「本質的で基本的なものはobjet naturel(自然の物体)殊にobjet trouvé(発見されたオブジェ)である。」と結論付けていた。

06みすず357号


07同上収録「オブジェの生命覚え書」


瀧口によるあのオブジェはまさにその典型だろう。後日、私の家の近くにある神社の境内で見つけた鳥の羽根を手紙に添えて綾子夫人にお送りしたら「石神井の庭で拾った羽根を失くしてしまい― 思いがけず濡れた様に美しい鳥の羽根をいただき だれが落した羽根かしらと思いました」との返事をいただいたが、もしかすると失くしたのはあのオブジェの羽根だったのだろうか?

08綾子夫人の手紙


実川さんは初対面の私にも親切に応対してくださり、画廊を始めた経緯や日本ではあまり取り扱われていなかったド・スタールやポリアコフなどの展覧会を行ったこと、駒井哲郎の版画がまだ売れない時期に1枚1万円で仕入れていたことなどを話された。そして、瀧口先生はまるで仙人のような生活を送っていたと語り、あの書斎をそのまま遺せなかったことを惜しまれた。また、デュシャンの「大ガラス」東京版が国有財産として東京大学教養学部美術博物館に東洋美術の考古物と一緒に陳列されていることが面白いと言い、見に行くことを勧められ、その場で「大ガラス」の制作に携わった東大の横山正助教授の助手の方に電話して見学の了解まで取り付けていただいた。翌日、駒場にある美術博物館へ行き「大ガラス」と初めて対面することができた。世界で三つしかない「大ガラス」のレプリカの一つが、この日本にあること自体特筆すべきだが、デュシャン夫人は瀧口修造と東野芳明による監修を条件に制作を許可したそうである。しかし、その完成を見ずに瀧口は逝ってしまったのも「ガラスの遅延」(「急速な鎮魂曲」美術手帖1968年12月号)と言うべきだろうか。

09東京大学教養学部美術博物館パンフレット


10「大ガラス」東京版
(写真・清家克久)


実川さんは瀧口の本を探すなら友人でそうした情報に詳しい人がいると言って紹介されたのが詩人で朗唱家の天童大人さんだった。天童さんからは瀧口の本が見つかるたびに電話や手紙で頻繁に連絡をいただいた。そのおかげで一気に収集が進み、その中には「超現実主義と絵画」「黄よ。おまえはなぜ」「星は人の指ほどの―」「畧説虐殺された詩人」「自由な手抄」など容易に見つけることができないものも含まれていた。

11アンドレ・ブルトン「超現実主義と絵画」
訳厚生閣書店刊1930年


12サム・フランシスとの詩画集「黄よ。おまえはなぜ」
南画廊刊1964年


14野中ユリとの詩画集「星は人の指ほどのー」
私家版1965年


15アポリネール「畧説虐殺された詩人」
訳湯川書房刊1972年


16マン・レイ素描エリュアール詩「自由な手・抄」
訳GQ出版社刊1973年


17同上


このことが機縁となって交流が始まり、ご自身の活動である詩の朗唱や美術展評に関する資料などを送っていただいた。私には朗唱という言葉は聞き慣れないものだったが、聲の持つ始原の力を現代に蘇らせる行為として朗読との違いを強調されていたように思う。天童さんが初めて即興朗唱を試みたのは瀧口の三回忌を目前にした1981年6月26日、東京・六本木のストライプハウス美術館でのイベントにおける「アントナン・アルトー ― 瀧口修造へ ―」と題する作品であったという。(巒気通信創刊号1985年発行)瀧口とアルトーといえば第1巻のみ刊行され絶版となった「アントナン・アルトー全集」(現代思潮社刊1971年)の瀧口にしては珍しくエキセントリックな装幀と内容見本に書かれた「未知の人アントナン・アルトー」を思い出す。

18「巒気通信創刊号」
鹿火編集室刊1985年


19「アントナン・アルトー全集第1巻」
現代思潮社刊1971年


20同上内容見本


天童さんは1983年より吉増剛造さんらと共に北海道を回る「北ノ朗唱」を行っていたが、愛媛でも聲を発したいという希望に応えるため、私が仲介となり松山で出版を営む創風社の大早友章さんに主催を、後援を友人の江原哲治さんにお願いして1989年9月9日松山市のアオノホールにおいて詩人の白石かずこさんと天童さんを招き「詩の夜 SPIRIT VOICE」と題して四国初の朗唱のイベントが行われた。

21「北ノ朗唱」ポスター1986年


22「詩の夜SPIRIT VOICE」チラシ


23同上新聞記事


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
041瀧口修造
「III-19」
デカルコマニー
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.205と対
Image size: 14.0x10.5cm
Sheet size: 25.1x17.5cm


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

ただいま引越し作業中
6月5日及び6月16日のブログでお知らせしたとおり、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
電話番号も変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
12

営業時間も7月1日から11時〜18時に変更します。
JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
お披露目は7月初旬を予定しています。
09


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第16回

小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第16回

  前回に続き、「スガリ」について繰り返し書くことについて、触れてみたいと思っています。尊敬するある小説家が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを言ったと前回触れましたが、「スガリ」の似たような一場面を違う形で書いた例をご紹介します。
 前回、蜂に刺された主人公である子供が、さされた患部に祖父のおしっこをかけてもらう描写がありましたが、それは実際の私の体験がもとになっています。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
 とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
 すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 蜂に刺され、誰のそれをかけてもらうか。幼い私にとって、突発的な出来事の前で、大きな選択肢でした。瞬時の判断も迫られました。だから記憶は鮮明です。とっさに自分のものより年齢を重ねた祖父のそれの方が効くと考えのです。
 今回は、2008年秋に小説現代(講談社)に発表した『真綿の飛ばし方』という短篇小説からの抜粋です。前回は2016年に発表したものでしたので、さらに8年ほど遡ることになります。いまから9年前に書いたものになります。
 まったく別の話ですが、描写が緩やかにつながっていることに改めて気付かされもしました。
 インドネシアに滞在中のカメラマンが、郷里の小学校の同級生から携帯電話に電話をもらい、帰国後、お盆に帰省し、同窓会のような「スガリ」へ参加するという小説です。中年の大人である主人公が、また蜂にさされます。全員が同い年です。小説の主人公は前回とはまったくの別人です。念のため。
 以下から小説です。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 蜂が不意に舞い上がった。しかし肉片を持っていない。軌道を眼で追ったが、黒い体はすぐにわからなくなった。このまま巣へ戻ってしまうのだろうか。私は腕を静かにおろし、辺りを見わたし蜂の姿を探した。
 突然激しい痛みが、右の二の腕にやってきた。
「刺された!」
 自分でも驚くほど、大きな声を上げてしまった。腕を慎重に外側から覗きこんでみると、蜂の姿はすでに消えていたが、小さな赤い点をみつけた。きっとあっという間に腫れ上がってしまうだろう。
「毒を出せ」
 真司が慌てて、私の腕をつかんだ。好夫はたいして表情を変えずに、両手をぶらりと下げたまま立っていた。
 左手で刺された箇所をつまみ、親指と人差し指で内側から毒を押し出すようにもみ出した。でも何かがなかから出てくるわけではなかった。
「アンモニアをかけた方がいい」
 好夫がぼんやりとした顔のまま言った。
 私は素直にうなずいた。かつて同じように蜂に指を刺された時、祖父の尿を直接かけてもらった。果たしてそんなものが効くのかどうかは知らない。でも小学生の私は確かに祖父のそれをかけられたのだ。とっさにそれを、どうしてもかけてほしくなった。
 あの時、父は「早くしろ、すぐにかけねえと効かねえだ。ほら手をだせ」と言いながら、自分のズボンのチャックを開け始めた。その姿を見ながら、
「じいちゃんのがいい」
 と私は言った。何故、とっさにそんなことを言ったのだろうか。どうして父では駄目だったのだろうか。湯気をたてる生ぬるい祖父の尿が私の手頸に直接あたり、飛沫をあげるのを、ぼんやりと見ていた。
「どっちにする?」
「どっち?」
 私は聞き返した。
「だで、真司のと俺の、どっちがいいだ?」
「好夫、してくりょ」
 私は迷わなかった。

01小林紀晴
「Winter 14」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜〜土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

ただいま引越し作業中
6月5日及び6月16日のブログでお知らせしたとおり、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
電話番号も変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
12

営業時間も7月1日から11時〜18時に変更します。
JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
お披露目は7月初旬を予定しています。
06


◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
 ・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。
 ・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
 ・清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
 ・森下隆のエッセイ「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」は毎月21日の更新です。
 ・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
 ・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
 ・大野幸のエッセイ<ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサート>は随時更新します。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は終了しました。
 ・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は終了しました。
 ・普後均のエッセイ「写真という海」は終了しました。
 ・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は終了しました。
 ・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は終了しました。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました(時々番外編あり)。
 ・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
 ・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
 ・「関根伸夫ともの派」はロスアンゼルスで制作を続ける関根伸夫と「もの派」について作品や資料によって紹介します。
 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。
ときの忘れもの
blogランキング

ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
ときの忘れもの
ホームページはこちら
Archives
Categories
最新コメント
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ