小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第10回

ベッティナ・ランス「SYLVIA AUX LUNETTES, PARIS」

ベッティナ・ランス(図1)
ベッティナ・ランス Bettina RHEIMS
SYLVIA AUX LUNETTES, PARIS
1984年
ゼラチンシルバープリント
61.0x50.2cm
Ed.15 サインあり

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(図2)
ピーエル=ルイ・ピアソン(1863−1866)
「カスティリオーネ伯爵夫人」

「眼鏡をかけたシルヴィア」と題されたこの作品は、ベッティナ・ランス (Bettina Rheims, b.1952) が白黒写真を数多く手がけていた、写真家としての活動の初期に制作されたものであり、女性の上半身が左肩を前に四分の三正面でとらえられています。ほっそりとした身体は無地の背景にくっきりと浮かび上がり、乳房は優美な曲線を描き、アップにした髪型も相まって、まるで彫像のようです。眼が色の濃い眼鏡のレンズに隠れ、顔の右半分が影になっているために、化粧をほどこした顔は、表情もやや硬く全体的に仮面のような謎めいた雰囲気を漂わせています。
目元を隠した女性の写真といえば、写真史上の名作の中にもいくつか挙げられます。一つは、ピーエル=ルイ・ピアソン(Pierre-Louis Pierson, 1822-1913)が撮影したカスティリオーネ伯爵夫人(1837−1899)のポートレート写真(図2)。ポートレート写真の名作として写真史上よく知られているこの写真では、カスティリオーネ伯爵夫人——当時の社交界の名花として名を馳せた美貌の持ち主で、ナポレオン三世の愛人でもありました——が、右手に持った写真の額を仮面のように顔にあて、覗き見をするようなポーズをとらえていて、ドレスから右の肩と腕が露わになっています。この写真を(図1)と見比べてみると、身体の向きや隠された部分と露わになった部分は対照的ですが、ランスが(図1)を撮影する際に、モデルの姿勢や、髪型、表情、小道具の使い方などの演出方法において、カスティリオーネ伯爵夫人のような雰囲気を醸し出すことを意識していたということは充分あり得ることだと言えるでしょう。
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(図3)E.J.ベロック 
無題 (1912)

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(図4)ベッティナ・ランス
『Chambre Close』より 「11月7日、パリ」(1991)

目元を隠した女性の写真をもう一枚挙げるとすれば、ニューオリンズの赤線地帯、ストーリーヴィル地区の売春宿でE.J. ベロック(1873-1949)が売春宿で撮った娼婦のポートレート写真(図3)があります。ストッキングと目元を覆う仮面だけを身につけた娼婦は、リラックスした様子ソファに横たわり、にっこりと微笑みを浮かべています。娼婦の表情や姿勢とともに、仮面の奥から僅かにのぞく目が向ける視線は、彼女がベロックと親しく、打ち解けた関係にあったことを想像させます。(図1)や(図2)のように、モデルの目元を隠すことで、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているポートレート写真とは、ある意味対照的と言えるかもしれません。
この写真は、ベッティナ・ランスが作家のセルジュ・ブラムリーとの共作で発表した『Chambre Close』(1994)(Chambre Closeとは、密室、売春宿という意味です)の有力な着想源に位置づけられるのではないでしょうか。この本は、女性をさまざまな部屋のなかでとらえたランスの写真と、架空の男性の視点から娼婦との関係を語るブラムリーのテキストが組み合わせられています。写真集の表紙にも使われた「11月7日、パリ」(図4)はモデルのポーズや念入りな演出(コートの胸元から右胸を差し出してみせるようなポーズ、化粧やうっすらと浮かべた微笑み、ストッキングや陰毛、鮮やかな色のソファや電話など)という点で、ベロックの写真(図3)を彷彿させるとともに、男性の視線を装った上で、娼婦という存在を虚構に充ちた女性像として作り上げようとする、ランスの視線の独自性を際立たせています。
ベッティナ・ランスの作品に共通している特徴として、撮影に際してモデルにほどこした演出そのものを暗に示して見せているところにあります。そうすることによって、写真を見る人に、「なぜこのモデルは写真の中でこんなふうに見えるのだろう?」と意識させ、想像を巡らせるように仕向けようとしているようです。また、その演出方法からは、彼女が美術史、写真史に精通し、さまざまな作品を参照していることがうかがわれます。
(こばやしみか)
小林美香さんのエッセイは毎月10日と25日の更新です。

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