小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第23回
Photographs now and then


授乳写真の意味

01(図1)
『ELLE』のオーストラリア版
(2015年6月号)


この連載で以前に「授乳と写真」(2013年9月25日掲載)と題して、授乳期の記念として撮影される写真や、写真史上の授乳の場面を捉えた作品を紹介しました。その中でも少し言及したのですが、近年欧米では、公共空間で授乳のために胸を露わにすることが猥褻な行為としてタブー視される状況に対し、公共空間で授乳する権利を主張するためのさまざまな活動が展開されており、母親たちがデモを行ったりもしているそうです。このような動向の中で、FacebookやInstagram,のようなSNSで公開される授乳の写真に注目が集まるようになり、テレビの報道番組がインターネット上の「授乳写真」のあり方をニュースとして取り上げたり、雑誌が誌面作りに反映させたりもしています。
女性向けのファッション雑誌『ELLE』のオーストラリア版(2015年6月号)では、スーパーモデルのニコール・トルンフィオ(Nicole Trunfio, 1986-)が、自身の生後4カ月の息子を抱いて素肌に羽織ったジャケットの前を開けて授乳するポーズで写っている写真が表紙を飾り、大きな反響を呼びました。(ちなみに、授乳の場面を撮影することは前もって意図されておらず、撮影現場にいた赤ちゃんに急遽授乳しなくてはならなくなったために、授乳中にその場の流れで撮影されたものだそうです。)トルンフィオは、自身のinstagramでこの『ELLE』誌の表紙を、#normalizebreastfeedingという公共空間で授乳する権利を求めるメッセージを込めたハッシュタグをつけて公開しています。

02(図2)
ニコール・トルンフィオの授乳写真
(2015)


03(図3)
ジゼル・ブンチェンの授乳写真
(2013)


また、雑誌の表紙を公開した後には、控え室で授乳をしながらヘアメイクを施されている自分自身を捉えた写真(図2)を公開しました。この写真は、同じくスーパーモデルのジゼル・ブンチェン(Gisele Bündchen, 1980-)が2013年12月にinstagramで公開した写真(図3)の再演したものではないかと憶測され、話題になりました。両者(図2,3)を見比べて見ると、撮影の状況が、画面の構図、アングル、ヘアメイクをしている人の配置にいたるまで極めて良く似ていることがよくわかります。
ブンチェンが「15時間のフライト後、3時間しか寝ていない状態で、3人美容部隊がいなかったら、どうしたらいいの。」というキャプションとともに(図3)の写真をinstagramで公開した時には大反響を呼び、彼女のような著名人が授乳の場面を公開することにたいして、「自然な行為だ、とても美しい」と賞賛する声もあれば、「授乳という私的な行為を公にするべきではないのでは」「多くの母親にとっての授乳とはかけ離れて非現実的に見える」といった批判を含むコメントが寄せられ、ネット上での反応がABCニュースで取り上げられたりもしました。
このようなスーパーモデルたちの「授乳写真」が持つインパクトは、胸を露出して(赤ん坊の頭部で写真ではさほど見えないようにしつつ)いるということのみならず、それが自宅やプライベートな室内空間ではなく、控え室というモデルにとって仕事の現場、周囲に仕事仲間(男性も含む)のいる公共空間で撮られたものであるということが明快に伝わるように意図されて撮影されているということに依るところ大きいと言えるでしょう。また、スーパーモデルたちがこのような「授乳写真」を撮って公開することは、自らの母親としての側面をアピールするためだけではなく、授乳に対する周囲の見方や意識を喚起するための活動という意味合いも帯びています。彼女達のような著名人による授乳写真の公開の影響もあってか、instagramのユーザーたちが撮影した溢れかえるほどの授乳写真が、#breastfeeding, #breastfeedingisbeautifulのようなハッシュタグをつけて公開されています。

04(図4)
盗み撮りされ、Facebook上に中傷的なコメントとともに公開された写真


公共空間で授乳を求める運動は、SNSを通したこのような授乳写真の広がりと密接に結びついていますが、SNSには公共空間での授乳に対する批判的な意見とともに公開される(厳密に言えば「晒される」)写真もあります。たとえば、イギリスではエミリー・スローという女性が買い物途中に路上で授乳をしている姿を盗み撮りされ、その写真が彼女のことを「浮浪者」のようだ、という中傷的なコメントとともにFacebook上に匿名で公開される、ということがありました。(図4)この女性はこの卑劣な匿名の投稿に対して抗議するために、公共空間で授乳する権利を主張するためのデモを呼びかけ、1000人近くの賛同者が集まったそうです
日本で同様のデモが催されるとは私個人としては想像しがたいのですが、授乳に際しては授乳室や多目的トイレを使うことや、人目のあるところでは授乳用の洋服やカバーを使って胸が外から見えないように配慮することが、ルールとして定着している環境で授乳期を経験したからそのように感じるのかもしれません。しかし、授乳していた頃のことを振り返ってみると、7、8月の一番暑い時期が授乳の最盛期に重なったこともあり、家の中ではTシャツを着ているのすら面倒で、裸族のように過ごせたらいいのにと感じていたように記憶しています。このような身体感覚は、授乳期に固有なものかもしれませんが、居場所を移動することなく、胸を隠すこともなく、気楽に授乳ができれば、またそれを周囲が許容すれば、母親の心理的な負担も軽くなるのでは、とも思います。
SNSで公開される膨大な「授乳写真」に対しては、賛否含めて色々な見方があると思いますが、授乳する母親にとっては、自分自身の体を、周囲の視線との関係の中でより心地よいものとして受け入れるための一つの手段になっているのかもしれません。
こばやしみか

●今日のお勧め作品は、ヤン・ソーデックです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第23回をご覧ください。
20150625_saudek_09_gabinaヤン・ソーデック
「Gabina shaving」
1982年
ゼラチンシルバープリント・手彩色
イメージサイズ:17.7x17.0cm
シートサイズ:25.2x19.8cm
サインあり

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