私の人形制作第73回 井桁裕子

散歩、『空がまた暗くなる』

森田さんの大きい作品ができて、今は焼き物の作品を作っています。
陶土での造形はイメージを素早く形にすることができ、そのまま焼いて、手で作ったままを留めておけるのが嬉しい素材です。
大きいものを作るには、もっと高い技術や本格的な設備が必要なので、私の場合は小さい作品にならざるを得ませんが、本来の人形の意味で手の中に収まる宝物として作ろうと思っています。
昨年4月から、大きい公園のそばに引っ越して来たのですが、時間の余裕が無くてずっと「散歩に行く」ということさえできずにいました。
いま、ようやく1日に一度は散歩ができる余裕が出てきました。
初夏の強い日射しと雨で、一層濃くなった緑を楽しんでいます。

昨日の夕方、気まぐれに、いつもは行かない方角に向かって歩いて行くと、公園のはずれから老人のしわがれた怒声が聞こえてくるのに気がつきました。
大型犬などを叱っているのかと思いましたが、音の方にはアパートしかありません。
繰り返し、人間を叩いているとしか思えない大きな音がしていました。
「お前が判らないから、俺の手が血が出て来たぞ」などと言いつのってはまた叱りつけています。
もしや子どもが虐待されているのか?と思って緊張し、声の方向を探していると、そのアパートの上の階でドアが開き、人が出てきました。
さっきから怒鳴られ叩かれていたのは腰の曲がった小さな老女でした。
夫と思われる老人の怒声と暴力がなおも続き、ビニールを老女の頭にかぶせて「息をできなくしてやろうか」などと脅しているのがはっきり見え、聞こえていました。
さっきからずいぶんしつこく続いているし、このまま立ち去るわけにもいきません。
私は下から「やめなさい!」と精一杯の声で叫びました。
「さっきから何をしているのだ、暴力はやめなさい」と繰り返して大きな声で言うと、老人は「何か用か」「ここまで上がって来い」などと叫び返してきましたが、やがて降りてきました。
「暴力をやめないと警察を呼びますよ」と言いましたが、こういうときに限って携帯電話が無かったので、それはハッタリです。
老人は、詰め寄るように近寄ってきて指先をこちらの鼻に突きつけながら、お前には関係ない、あれは俺のかかあだ、と言いました。
老人の顔が間近にせまり、私の顔にしぶきが飛んできました。
自分が支配した人間ならば奴隷のように怒鳴りつけ殴っても良いという、その権力の根拠はなんでしょうか。
ともあれ、恫喝に相手がひるむのが当然と思っている人間を前に、期待通り退くわけにはいきません。
私は両手をスーパーマンのように腰にあてて仁王立ちしながら、近所の人々にも聞こえるように大きな声で、今あなたは女の人に暴力をふるっていましたね、自分の手が痛くなるほど人を殴ってはいけない、と繰り返して言いました。
威嚇する老人の手をよけようとして、私の眼鏡が飛びました。こうなるともはや焦点が定まりませんが、眼をそらすことはできません。
老人と書きましたが年齢にそぐわぬ俊敏さで、人に暴力をふるうのに慣れている動きでした。毎日おばあさんを怒鳴って英気を養っているのかもしれません。
押し問答で、らちがあかないのに飽きたのか、やがて老人は自分から引き上げていきました。
私は、近所の人がだれも出て来ないのにがっかりしました。
関わりたくないのはよく判りますが…。
携帯電話も無いし、そのあたりに知り合いもいないので、私も立ち去るしかありませんでした。
気になるのでまた行こうかと思いますが、こういう場合どうしたらいいのか、悩むところです。

孤立して、隠された暴力におびえながら暮らしている人が、世の中にはどのくらいいるのでしょうか。
もっと若くても、経済関係などでがんじがらめになり、現状から脱出できない人がたくさんいるのではないかと思います。
個人的な問題が、辿って行けば大きな構造や歴史の一部である場合もあります。
自分と関係のないはずの大きな問題が、いつの間にか個人をどこかに連れて行くのです。

様々な芸術は、堪え難い現実を超越して、人をもっと高い何かに近づけるために必要なのだと私は思います。
良い方に向かって行く力は心の中に生まれるものだから、単に軽く空しさを埋め合わせるだけとしか思えなくても、心を救う何かが必要なのです。
非常に理不尽な現実を目の前にして、それでなお自分の心に嘘をつかずに楽しくて美しいものを作り続けるにはどうしたらいいのか。
少なくとも、非道な現実に対しては「それは違う」という表明をどこかでしていなくては、作っている美しいものと自分との間に裂け目ができてしまう。
仮に芸術に言葉はいらないとしても、自分の存在のためには言葉が必要なときがあるという気がします。

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ついに個展のDMができました。
写真は齊藤哲也さんに撮影していただきました。
9月まであと少し、準備は限られた時間ですが、ささやかであっても良い展示にしたいと思います。

igeta井桁裕子展DM宛名


(いげたひろこ)

●今日のお勧め作品は、井桁裕子です。
20150720_igeta_39_tuiraku井桁裕子
「墜落」
2012年
桐塑、油彩
40.0x60.0xH60.0cm
サインあり


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