リレー連載
建築家のドローイング 第6回
オットー・ワグナー(Otto Wagner)〔1841一1918〕

八束はじめ


 建築家のドローイングと一言でいっても、それらのもつ意味は、必ずしも一様ではない。現実の建物のプレゼンテーションないし記録という意味もあれば、現実と離れて紙の上にだけ定着され得るプロジェクトである場合もある。このシリーズでとりあげられてきた建築家たちのドローイングでいえば、後者に属するケースが多かったわけだが、前回のシンケルと並んで今回とりあげるオットー・ワグナーの場合は、それとは違っている。ルクーガンディーが時代の趨勢からいえば全くマイナーな存在にすぎなかったのとは対照的にシンケルもワグナーも当時の建築家として望み得る最高の地位を極めた人々であり、数多くの、それも社会的にも重要な意味をもった実作を残している。当然、ワグナ−でも紙上で終ったプロジェクトは少なからずあるが、それでも、ワグナーにとってドロ−イングは実作で満たされぬことへの補償行為とは全く違うし、ましてブレやルクーのように実現されるはずもない幻想を紙面に定着しようとするものではなかった。その意味で彼のドローイングは全くオーソドックスな、実現されるべきもののプレゼンテーションとしてのそれである。ワグナーのドローイングを独特にしているものは、プロジェクトの内容というよりは、むしろ、表層的な部分、つまりそのスタイルである。正確にいえば、単なるドローイング・スタイルというにはとどまらない、その如何にも絵画的なスタイルが、逆に建築自体に及び、更には都市空間の全体の雰囲気にまで感応しているのである。つまり、この場合、ワグナーの建築芸術にとって、そしてそのドローイング・スタイルにとって、ウィーンという特異な都市の空間が、欠くべからざる醸成器になっているということだ。

美術アカデミー計画案
オットー・ワグナー Otto Wagner
「美術アカデミー案」

 ウィーンほど多くの書き手を惹きつけたまちは殆んどない。パリがそうだといってもよいが、それはヨーロッパ全体の首都である。ウィーンは、少なくともオーストリア・ハンガリー帝国の瓦解以降、ヨーロッパ全体から見ればローカルな都市にすぎない。にも拘らず、この都会がその住民に、そしてヨーロッパ文化に対して及ぼした呪縛は、パリに優に拮抗している。建築に関していえば、パリはマンサールやガブリエル、ブレ、ルドゥ、ガルニエ、ペレーそしてル・コルビュジエをもったが、彼らとその都市空間との関係は自からが生んだ建築家たちにウィーンが及ぼしたものとは同質のものではない。フィッシャー・フォン・エルラッハ(バロック)、ゼンパー(ネオ・バロック)、ワグナー(ゼツェッション)そしてロースや現代のハンス・ホラインに至るまでの建築家のスタイルは、ウィーンという都市への感応抜きには決して成立し得ないものである。アドルフ・ロースはウィーンのまちのもつブルジョア文化の世紀末的な虚偽性に対して、著述家カール・クラウスや作曲家アルノルド・シェーンベルクと共に激しい反発を示し、告発したのだったが、それもまたウィーンの精神文化、都市文化の一部であったには違いないのである。
 ワグナーは、こうしたハプスプルグ家の首都において、文字通りの重鎮であった。とくに1894年、53才で美術アカデミーの教授に就任することによってその名声及び影響力は決定的なものとなった。ワグナーは基本的にかなり晩成のタイプだったといってよい。彼が建築史に名を残す自己のスタイルを確立したのは、この時期あたりで、それ以前のスタイルは基本的に伝統の枠からはずれるものではなかった。ワグナーの新しいスタイルは全ヨーロッパ的な新しい流れ、つまり、フランスではアール・ヌーボーと呼ばれ、イタリアではスティロ・リバティと呼ばれ、ドイツではユーゲント・シュティルと呼ばれたものと密接に関っていたが、彼を旗頭とするウィーンのゼツェッションはその中で独自な位置を占めている。パリのギマールやトリノのダロンコ、バルセロナのガウディらと比べると、ワグナーのスタイルは本質的には古典主義に根ざしているために、世紀末的な退嬰性よりも、むしろ近代的な合理性へと容易に通底していくような種類のものであった。ドローイングを見ても、この本質的な部分での節度のような一線がはっきりと守られていたことを見てとるのは困難ではない。つまり初期のネオ・バロック的なデザインから比べるとゼツェッション時代のそれは著しく平面性(彫刻的というよりはレリーフ的な装飾性、量塊というよりは面で構成されたという感の強いマッス)と軽さを増しているとはいうものの、線はあくまで明確な輪郭を与えるように引かれている。ワグナーのドローイングで驚かされるのは、通例、実物とドローイングを比べると殆んど不可避的な両者の段差が、全くといってよいほど感じられないということである。ドローイングで獲得されている線や面の質がそのまま実作でも生かされているということは、確かなメチエの存在の証しでもあるが、それだけ絵画的なスタイルが採用されていたということでもある。ドローイングのスタイルが、例えば鋳鉄の技術的な可能性や、大理石の工場で整形されたうすいパネルの性能(平滑性)などと相談しながら決められていたといってもよい。ゼツェッションの特色である曲線は、確かに多用されるが、それはギマールのそれが植物が無差別的に繁茂していくといった趣きをもっていたのに比べれば、明らかに目的地を知って引かれた曲線である。むしろワグナーにおいては、古典主義の節度とゼツェッション的な曲線の魅惑とのバランスが確かめられながらデザインが進められている。ギマールやダロンコが時に悪趣味に堕しかねないのに対して、ワグナーがそうならないのは、その両者のヒエラルキーが決して侵されることがないためである。だから彼は、そのスタイル上の特徴(魅惑)を失うことなく、晩年の郵便貯金局では、完全に近代建築の規範に数えられる傑作をものし得た。ワグナーの世紀末は充分に世紀末でありながら、つまり金色を多用した華麗、繊細で脆そうな曲線の文彩によって存在性の稀薄さの故の、表面性の魅惑にいささかも欠けていないでありながら、しかも全く健康的である。この奇妙なバランスの感覚は、多分ウィーン風と呼び得るものなのだ。ウィーンの中心部にはエルラッハ(子)のバロックの宮殿のとなりにワグナーの華美なアパートがたち、その斜め向いにはロースがそれらの壘惑性と対抗するかのように無愛想なデパートをつくっているが、そのロースにも官能性の匂いは隠し得ない。そのまたそばにはホラインの小さな宝石屋がたっている。そのファサードには金色の崩れたような亀裂が入れられ、ホライン独特の孔のイメージを漂わせている。不思議なことにワグナーの健康性とロースやホラインのニヒリズムはよくあっている。それがウィーンなのだ。脆い表層と深層のバランスの上にたつことによって、それはいつでも世紀末的なのだ。

近代芸術のためのギャラリー
オットー・ワグナー Otto Wagner
「近代芸術のためのギャラリー」

やつか はじめ

*現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.95』(1983年8月1日発行)より再録
*作品画像は下記より転載
「美術アカデミー案」
現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.95』より
「近代芸術のためのギャラリー」
www.drawingcenter.org

八束 はじめ Hajime Yatsuka
建築家・建築批評家
1948年山形県生れ。72年東京大学工学部都市工学科卒業、78年同博士課程中退。
磯崎新アトリエを経て、I983年(株)UPM設立。2003年から芝浦工業大学教授。2014年退職、同名誉教授。
代表作に白石市情報センターATHENS,
主要著書に『思想としての日本近代建築』。

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