小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第6回

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(図1)
馬場磨貴『We are here』(赤々舎 2016)

今回ご紹介するのは、馬場磨貴の写真集『We are here』(赤々舎 2016)です。表紙(図1表紙は三種類 中身は同じ)の写真の画面全体を覆うようにタイトル「We are here」が細い銀色の文字でかぶせられていて、風景の中に佇む巨大な裸の妊婦の姿が強烈な印象を残します。風景の中に巨大な何かが現れるというと、「進撃の巨人」や「ゴジラ」のようなアニメや映画に登場する破壊者のような存在が連想されますが、「私たちはここにいる(We are here)」というタイトルの示すように、巨大な妊婦は何をするでもなく、ただそこに座ったり、佇んでいたりするといった様子です。
言うまでもないことですが、このような巨大な妊婦が実在するわけではなく、風景写真のなかに、別に撮影された妊婦の写真がスケールを調整して合成して嵌め込まれているのであり、「巨大な妊婦のいる風景」とは、馬場が想像の中に立ち上がらせたものです。なぜ彼女がこのような突飛にも映るヴィジョンを抱くようになったのか、写真集の内容に入る前に、作品を制作するにいたった経緯と着想について、写真集の後書きの文章を引用しながら解説しておきましょう。
馬場は、自身が妊娠・出産を経験する以前に出産の現場を撮影する機会を持ち、2010年から妊娠中の女性のヌードを撮影するようになりました。その後、自らも幼い子どもを抱え、妊娠中だった時に東日本大震災と原発事故が起こり、その後多くの妊婦や小さな子どもを抱えた母親がそうであったように、被爆やさまざまな問題に直面し、さらに2011年以降3度の流産を経験しました。馬場はこう語ります。「体内に私がまだ経験したこともない「死」があることに震えた。 私のお腹の中に起こった生と死は、女性が意志の力ではどうにもならない弱い存在であることを気づかせてくれた。 弱者の目をもつこと、それはきっと強者の目をもつことよりはるかに難しく、はるかに大切なことかもしれない」
「弱者の目を持つこと」 は、世界の中にあって自分がいかに小さな存在であるかということを自覚することだとも言えるでしょう。このような自覚があってこそ、「巨大な妊婦」という存在を風景の中に出現させる着想が導き出されたのかもしれません。馬場は作品のインスピレーションを受けた瞬間のことを次のように語ります。
「ある日街を歩いていて突然閃いた。目の前のビルの合間から、巨大な妊婦が現れた。その大きな姿に解放感とたまらない安心感を覚えた。それまで感じていた行き場のない怒りと、腹の底から湧き上がる不安のようなものが、ふっと軽くなった。 かくして彼女たちは誕生した。」

小さな存在としての自身の視点から、「巨大な妊婦」の姿を想像し、その姿に解放感と安心感を覚えたという馬場の言葉には、私自身が妊娠中に経験した身体的な感覚に照らし合わせても腑に落ちるところがあります。妊娠中の身体は、悪阻を感じる初期段階から臨月を迎えるまで、めまぐるしく変化していきます。妊娠初期には、身体の中に入り込んだ小さな異物が私の身体を操作しているようにも感じましたし、お腹が大きくなるにつれて、胎児の成長を常に意識ながら日々を過ごしていると、胎児の基準に自分の身体の状態を測るようになりました。このような、通常の(つまり妊娠していない状態)とは異なる、妊娠期特有の身体感覚は、周辺の環境に対する感じ方にも大きな変化をもたらします。馬場が思い描いた「巨大な妊婦」の姿は、胎児からみた母体という存在のスケール感覚を反映したものと捉えることもできるのではないでしょうか。巨大な妊婦の姿を思い描きながら都市空間へと向けられた眼差しには、ビルや建造物のような無機的なものが集積してできあがった風景のなかに、自分自身もその中につながっているという感覚を希求するような気持ちが潜んでいるようにも思われます。

『We are here』は、写し取られた空間と、合成された妊婦との関わり合いが、スケールの上で、徐々に変化していくようなシークエンスとして構成されています。また、妊婦の姿も全身像として写されているものもあれば、腰から下のみ、あるいは腰から上のみがフレームの中におさまっていたり、大きなお腹や胸、太もものような身体の一部のみがのぞいていたりするような写り方もあります。顔が写っている、つまり人物の特定できる姿として妊婦が嵌め込まれた写真と、半身や身体の一部のみとして妊婦が嵌め込まれた写真が、シークエンスの中に入り混じっていたり、モデルによっては複数の風景写真の中に嵌め込まれていたりするので、ページを捲っていると、妊婦がそれぞれの風景の中に佇んでいるだけではなく、複数の風景の間を移動しているかのようにも見えてきます。
 
We are here_0001(図2)
東京駅周辺の路上


We are here_0011(図3)
交差点を俯瞰した写真


写真集の中からシークエンスの流れに沿うようにいくつかの写真を紹介しながら、妊婦のいるそれぞれの風景と、写真同士の関係を読み解いていきましょう。まず冒頭では、東京駅にほど近い数寄屋橋の交差点付近の路上に妊婦が現れます。(図2)車がひっきりなしに行き交う路上で佇む裸の妊婦の姿は、ほぼ実寸に近い大きさで合成されており、裸体で路上に立っているという状態があまりにも無防備で、今にも車にひかれてしまいそうな危うさ、脆さを印象づけます。その後に続く写真では、路地裏や歩道橋の上、建物の駐車場、家の軒先など、ごくありふれた場所に妊婦の姿が嵌め込まれています。裸で大きなお腹を晒しているがゆえに妊婦としての姿が際立たされ、通常は街中にいてもさほど目立たない(だからこそ、マタニティマークのような目印が必要とされているわけですが)妊婦の存在が「ここにいること」として示されています。多くの人々が行き交う交差点を俯瞰する視点で捉えた写真のシークエンスの中の一点(図3)に裸の妊婦が一人だけ忍び込まされることで、「妊婦が存在していることのわかりづらさ、見えにくさ」が浮き彫りにされています。

81MNeJJIKJL(図4)
ビルの谷間から姿を表わす妊婦


We are here_0020(図5)
高架の下を歩く人たちと、妊婦の身体の一部


このように都市空間の中での「妊婦の見えにくさ」が示された後に登場するのが、巨大な妊婦の姿です。ビルの谷間や高速道路の隙間から姿を現したり、線路を跨いだり、高速道路の隙間から姿を現す妊婦たちは、実寸大で風景の中に嵌め込まれていた妊婦と同様に、裸で無防備なまま佇んでいます。妊婦の肢体、とくに張った胸や丸いお腹のやわらかな曲線は、ビルのような建造物や道路の直線とコントラストをなしています。(図4)また、風景の中に人物の姿が小さく写り込むことによって、妊婦の姿のスケール感と、画面の広がりや奥行き強められています。(図5)

We are here_0023(図6)
東京ドーム


We are here_0029(図7)
恵比寿ガーデンプレイス


都心の写真の中でも、東京ドーム(図6)や恵比寿ガーデンプレイス(図7)、新宿御苑のような、多くの人が集まる場所で撮影されたものは、あたかも巨大な妊婦たちがその場所の周辺に集まっている人たちの視線を集めているかのようでもあり、妊婦たちの方は見られていようが気づかれずにいようが構うことなく、堂々と存在しているように見えます。

We are here_0037(図8)
工場のプラント


We are here_0046_2(図9)
除染作業が行われている地域


写真集の後半では、妊婦が登場する風景は、都心から離れ、河川や海辺、工場のプラント(図8)、発電所と続いたあとに、福島第一原子力発電所周辺の立ち入り禁止区域付近や、除染作業が行われている地域(図9)へと続いていきます。都心を離れるにつれて風景の中に写り込む人影も疎らになり、巨大な妊婦だけが風景の中に佇むようになっていきます。また、高層建築に囲まれる都心の景色とは異なり、木の茂みや一戸建ての家屋が点在する空間が捉えられているために、妊婦の姿は建造物との関係だけではなく、その風景の地面との関係がより強められているようにも見えます。東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故後、放射能汚染により多くの住人が周辺地域から避難している状況を鑑みれば、妊婦が「ここにいる」存在として描き出されていることの危うさ、意味合いが重みを増してきます。

We are here_0049(図10)
広島の原爆ドームと川の水面に映る妊婦


原発事故後の風景を経た後に、写真集の最後に掲載されているのは、広島の原爆ドームを川越しに捉えた風景で、川面には原爆ドームの傍らに佇むようにして妊婦の姿が写し込まれています。妊婦の姿は地上に立つ姿としてではなく、水面の影として映し出されているために、原爆忌に行われる灯籠流しを連想させ、原爆の犠牲者への鎮魂の祈りと、未来に命をつなぐ願いが込められた場面として、シークエンスの締め括りに重い余韻を残します。
このように写真集のシークエンスに沿ってみると、『We are here』は、エネルギーを消費する都市部と供給する地域との関係、原子力をめぐる現在と過去の関係を軸にして、命を育む女性一人一人の存在を、現代社会の風景の中に位置づけて描き出そうとする試みとして読み取られます。巨大な妊婦を風景の中に現出させる表現方法は、一見すると奇を衒った突飛なものに映るかもしれませんが、弱くとも小さな命を宿した存在を可視化するために必然的に導きだされた方法と言えるのではないでしょうか。

馬場磨貴写真展「We are here」が7月23日(土)-8月7日(日)、OGU MAG(東京・荒川区)にて開催されます。
是非足をお運び下さい。
こばやし みか

●今日のお勧め作品は、ウィン・バロックです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第25回をご覧ください。
20160725_bullock_03_navigation-without-numbersウィン・バロック
「Navigation Without Numbers」
1957年
ゼラチンシルバープリント
17.8x23.0cm
サインあり


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◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

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2016細江英公・笠井叡『透明迷宮』細江英公 × 笠井叡
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舞踏・文:笠井叡
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細江英公、笠井叡の二人のサイン入り
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201606大谷省吾大谷省吾
激動期のアヴァンギャルドシュルレアリスムと日本の絵画 一九二八−一九五三

2016年
国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税込9,504円) ※送料別途250円
著者からのメッセージ
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