中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第12回 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」


今回、瑛九の作品を求めて訪れた先は、東京国立近代美術館。実は、出身地の宮崎や後半生を過ごした埼玉のみならず、ここ東京でも瑛九の作品は大事にされてきた。

東京国立近代美術館_01東京国立近代美術館。ファインダーをのぞくと瑛九の点描を思わせる鮮やかな葉が飛び込んできた。


これまで、所蔵作品展を含めた企画もの約40本に瑛九の作品が展示され、近年では学芸員大谷省吾氏が本展にかんする論文2本を館報に掲載している。これについては、後に触れることにして、展覧会の内容に入りたい。

「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」展は、2Fギャラリー4で開催されている。ほぼ初公開となっている作品や史料は、瑛九の仕事の中でもたいへん重要な位置を占めている時代のものである。

展示は、次の通り4部構成となっている。会場は、1935年から37年の活動に焦点を当てた第1〜3章のコーナーとエピローグとして瑛九の作品を総覧するコーナーの2つに分かれている。本展を取材するにあたって、展示を企画された学芸員大谷氏が展示会場を案内してくださった。

第1章 1935年(24歳)…「瑛九」以前の杉田秀夫
第2章 1936年(25歳)… 杉田秀夫が「瑛九」となるとき―『眠りの理由』前後
第3章 1937年(26歳)… ほんとうの「レアル」をもとめて― 第 1 回自由美術家協会展への出品前後
エピローグ …その後の瑛九と山田光春


山田光春(1912-1981)は、瑛九と若い時分から付き合いのあった人物であり、『瑛九―評伝と作品』(青龍洞、1976年)の著者である。本書を執筆するために、山田は関係者への情報提供を求め、さらには各地に点在していた油彩画の調査を自らの足で行った。収集された山田の資料は、主に愛知県美術館(第10回「美術館に瑛九を観に行く」参照)で保管され、中核を成す一部の資料群が東京国立近代美術館に収まったのである。

<東京国立近代美術館に収蔵された山田光春旧蔵資料>
フォト・デッサン『眠りの理由』10点組1セット、その他 12点
コラージュ 10点
ペンによるドローイング 42点
油彩 3点
スケッチブック 1冊
掛軸 1本
色紙 8点
書簡(瑛九から山田宛て117通、その他170通)
記録写真
印刷物(瑛九関係の書簡、展覧会図録、チラシ、ポスター、雑誌、新聞など)
山田光春作 ガラス絵 2点
(大谷省吾「闇の中で「レアル」をさがす――山田光春旧蔵資料から読み解く1935‐1937年の瑛九」p.7)


なぜ、東京国立近代美術館に本資料群が収蔵されたのか、大谷氏に経緯を伺うと次のようなことであった。2011年に行われた「瑛九 生誕100年記念展」を機に話が進み、山田光春のご遺族から2012年に本資料群を譲り受けたということであった。

新収蔵になった作品を常設展会場にただ並べたわけではなく、大谷氏は、瑛九の個人展として確立させ、さらに、通常のコレクション展ではほとんど作ることの無い図録を制作された。図録の予算を確保するためには、ポスターや展覧会オリジナルのチケットの費用を図録に当てたようだ。

図録の内容もたいへん充実している。特に巻末では、公にできる範囲で書簡の全文が掲載されている。翻刻は、山田光春のご子息山田光一氏が行い、大谷氏が校閲と注釈を担当している。今回のように、ご遺族が納得する形で作品等を受け入れ、ご遺族の意志をそのまま汲み取って公開できたことは、稀な事例だと思う。

東京国立近代美術館_02壁には《二人》(1935年、油彩・厚紙、40.8×32.1)が掛けられている。赤い服を着た女性が体をくねらせ、首を傾げている。どこか妖艶な雰囲気が漂う。ケース内には、山田光春に宛てた杉田秀夫(瑛九)の葉書が展示されている。


東京国立近代美術館_03右は「ふるさと社十月展 目録」(1935年)、左は「ふるさと社十一月展 目録」(1935年)。「ふるさと社」は杉田秀夫企画のグループ展で、毎月西村楽器店(宮崎市)で開かれていた。会場使用料は無料。十月展目録の表紙は秀夫が担当していた。瑛九の仕事の中で数少ない木版画である。11月展のほうは山田光春の作である。

東京国立近代美術館_04フォト・デッサン集『眠りの理由』10点(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント)


東京国立近代美術館_05左は、フォト・デッサン集『眠りの理由』表紙(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント)。右は、西村楽器店で行われた「瑛九氏フォトデッサン展目録」(1936年6月12‐13日、個人蔵)。本展図録(p.102)に《眠りの理由(8)》が貼付された状態の目録が掲載されている。また、大谷氏の著書『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八‐一九五三』(国書刊行会、2016年5月、p.280)には、この目録に1936年頃に制作された『眠りの理由』1点を含む全30点のフォト・デッサンの題名を収録している。


東京国立近代美術館_06右から《フォト・デッサン》(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント、27.6×22.9、裏面に「Q.Ei/36」)、《フォト・デッサン》(1936年、ゼラチン・シルバー・プリント、24.5×27.4、裏面に「Q.Ei/36」)


東京国立近代美術館_07右から《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、22.8×27.8)、《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、27.7×22.7)、《フォト・デッサン》(1936年頃、ゼラチン・シルバー・プリント、22.7×27.5)
右側と中央のフォト・デッサンには人物のシルエットが写り込んでいる。『眠りの理由』の試作だろうか。


東京国立近代美術館_08瑛九より山田光春あて書簡[便箋4枚](1936年3月9日付、インク・紙、各22.2×14.4)。「マン・レイ」と比較されることに嫌気を感じていると伝えている。


東京国立近代美術館_09「前衛絵画の研究と批判」の特集が組まれた『アトリヱ』(14巻6号 、1937年6月)。瑛九のフォト・デッサンが表紙を飾っている。


東京国立近代美術館_10右から《レアル》(1937年、コラージュ・紙、31.8×26.2、右下に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年、コラージュ・紙、41.5×30.0、裏面に「Q.Ei/37」)
大谷氏の著作物には、瑛九がシュルレアリスムに傾倒した時代のコラージュについて言及している。「死」や「性」が現れている作品の持つ強いイメージについて、バタイユを例に挙げながら読み解いている。
【参照】大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド』国書刊行会、2016年、pp.262‐283 /大谷省吾「[作品研究]変容する眼 : 瑛九のフォトコラージュについて」『現代の眼』No.551、東京国立近代美術館、2005年4・5月、pp.11-13 /大谷省吾「[作品研究] 山田光春旧蔵瑛九作品および資料について」『現代の眼』No.612、東京国立近代美術館、2015年6月、pp.14‐16


東京国立近代美術館_11右から《作品》(1937年、コラージュ・紙、41.5×30.0、裏面に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年、コラージュ・紙、28.0×23.5、裏面に「Q.Ei/37」)


東京国立近代美術館_12右から《作品》(1937年、コラージュ・紙、28.0×23.5、裏面に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、28.0×23.3、裏面に「Q.Ei/37」)


東京国立近代美術館_13右から《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、33.8×22.5、右下に「Q.Ei/37」)
《作品》(1937年頃、コラージュ・紙、41.3×29.5、右下に「QEi」)


東京国立近代美術館_14右上《デッサン》(1936年、インク・紙、34.0×34.6)
右下《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9、右下に「QEi」)
左上《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9、右下に「QEi」)
本作は三岸好太郎の貝殻を想起させる。ときの忘れものにも、大きな貝殻が描かれたデッサンを取り扱っている。
【参考】《作品》紙・鉛筆、10.4×8.0
http://www.tokinowasuremono.com/artist-a06-eiq/qei_127.html
左下《デッサン》(1936年、インク・紙、34.5×33.9)


東京国立近代美術館_15こちらも1936年に制作されたデッサン7点。先ほどのデッサン群とは異なり、具体的なフォルムはなく、非定型のイメージが続く。オートマティスムを実践していたことがわかる作品である。


東京国立近代美術館_16《デッサン》(1936年、インク・紙、28.9×24.2)
こちらのデッサンには、「Q.Ei/36.3.28」の表記がある。「瑛九」を名乗りはじめたばかりのサインであるため、よく目にするサインと若干違いが見受けられる。


今回とりあつかう場所は、第1〜3章までとし、次回はエピローグを中心に紹介したい。試作を含めた本作品群は、1935〜37年という短い期間の断片ではあるが、芸術家として駆け出したころで、まるで原石のようにクリアで、なおかつ屈折した異様な光を放っている。

***

ちょっと寄道....

取材を終えた後、東京国立近代美術館のアートライブラリに立ち寄った。というのは、生前の瑛九が国立近代美術館(京橋)に出品した展覧会を確認したいと思った為である。瑛九が東京の美術館でどのように紹介され、これらのことが彼の活動にどのような影響を持ったのか、改めて資料から読み取りたい。

瑛九が出品されている展覧会を近美のアーカイブで辿ることができる。40件あるうち、東京(旧京橋・竹橋)の会場のものに着目し、中でも気になったタイトルを以下に挙げておく。
【参照先: 東京国立近代美術館 本館・工芸館企画展出品作家総索引(和・欧)検索―出品展覧会情報】http://www.momat.go.jp/AI/name_detail.php?%20id=%2002404

【タイトル】現代写真展:日本とアメリカ
【会  期】1953年8月29日 〜 1953年10月4日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】夜の子供達(1951年、フォト・デッサン)
※本作は、後に発行された図録で「作者寄贈」であること確認した。
             
【タイトル】抽象と幻想:非写実絵画をどう理解するか
【会  期】1953年12月1日 〜 1954年1月20 日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】たそがれ(エッチング)
※『瑛九・銅版画SCALE機戮房録されている《鍵A》と同じ版か

東京国立近代美術館_17
【タイトル】第1回東京国際版画ビエンナーレ展
【会  期】1957年6月15日 〜 1957年7月14日
【会  場】国立近代美術館(京橋) / 読売会館
【出 品 作】旅人(1957年、リトグラフ) / 日曜日(1957年、リトグラフ)
「デモクラート美術家協会」(2016年12月10日「ときの忘れもの」ブログ参照)が解散する切っ掛けになった展覧会。本展で入賞した泉茂にたいして瑛九は面白くなかったのではという関係者もいるが、改めて山田の著書を見返すと次のようなことが書かれている。

デモクラート美術家協会が発足して7年を経て、会員の状況が大きく変化していた。まず、主力メンバーであった人物が大阪から東京に移り、そのうちの何名かは、このころ既に退会していた。会員数は全盛期40数名であったが、28名にまで落ち込んでいた。そして、展覧会最終日7月14日に行われたデモクラートの総会で、瑛九は次のように発言していたことを山田が綴っている。

「このように仲間の多くが国際的な舞台で活躍するようになった今となっては、われわれのデモクラート美術家協会の存立の意味も理由も薄らいだのだから、これを機会に解散しようではないか」

この解散論を受けて協議の場を東京と大阪で設けたものの、何れも参加者が少なく意見がまとまらなかった。会の存続を願うものがいたなかで、展覧会閉幕から2日後に「デモクラート美術家協会解散通知」が会員に届けられる。内容は、以下のとおりである。

デモクラート美術家協会解散通知
戦後混乱の最中、大阪で瑛九を初め数人の美術家がデモクラート美術家協会を結成しました。
――既成画壇否定の立場で――
――デモクラチックに行動し、自分達の仕事を進めてゆこう――と。
グループには運動を通して何人かが加わり、何人かが去り、前衛運動としては永すぎるほどの約八年が経過しました。加わった人も、去った人も、日本の前衛美術運動には何らかの貢献を果たしたと私達は自負いたします。
デモクラートの運動が常識となってきた今日、現会員二八名の私達は賢明に日本の既成画壇がたどった道をさけようと思いますし、今後ますますデモクラチックに行動するために、ここに今まで私達を育てて下さった皆様方に感謝をこめてデモクラート美術家協会を解散することをお知らせします。
一九五七年七月一六日   デモクラート美術家協会

(『瑛九 評伝と作品』p.419)

以上のように東京の美術館で開催された国際展に参加したことが、「デモクラート美術家協会」ないし瑛九にとって、大きな節目となった展覧会であったことを重く受け止めたい。

【タイトル】抽象絵画の展開
【会  期】1958年6月7日 〜 1958年7月13日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】赤の中の小さな白(1937年頃、油彩) / 『眠りの理由』(1936年、フォト・デッサン) / レアル(1937年、コラージュ)

【タイトル】超現実絵画の展開
【会  期】1960年4月1日 〜 1960年4月24日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】『眠りの理由』(1936年、フォト・デッサン) / 赤の中の小さな白(1937年頃、油彩)
周知の通り、「超現実(主義)絵画」は「シュルレアリスム」と同義である。

東京国立近代美術館_18
【タイトル】「四人の作家:菱田春草 瑛九 上阪雅人 高村光太郎」
【会  期】1960年4月28日 〜 1960年6月5日
【会  場】国立近代美術館(京橋)
【出 品 作】労働(1947年頃、油彩)/駄々っ子(1954年、油彩)/月(1957年、油彩)/黄(1959年、油彩)/道のプロフィル(1953年、エッチング)/作品A(1937年、コラージュ)/かぎ(1954年、フォト・デッサン)/日曜日(1957年、リトグラフ)/他、約50点※図版がある作品のみ抜粋
瑛九が亡くなったのは1960年3月10日のことで、本展がはじまる1カ月ほど前のことである。当時の館報には、瑛九と関係の深かった人物である都夫人とオノサト・トシノブが寄稿している。オノサトは、瑛九がギリギリまで準備していた兜屋画廊の「瑛九油絵個展」(2月23〜28日)を手伝っていることから、本展についてもオノサトの協力を得ていた可能性が高い。
【関連資料】杉田都(談)「瑛九のこと」、オノサト・トシノブ「瑛九の芸術」『現代の眼』No.66 、1960年5月、p.5


東京国立近代美術館_19
【タイトル】戦後日本美術の展開:抽象表現の多様化
【会  期】1973年6月12日 〜 1973年7月29日
【会  場】東京国立近代美術館
【出 品 作】赤い輪(1954年、油彩)/午後(虫の不在)(1958年、油彩)
本展図録の表紙には、《午後(虫の不在)》が使用されている。

東京国立近代美術館_20
【タイトル】モダニズムの光跡:恩地孝四郎 椎原治 瑛九
【会  期】1997年2月11日 〜 1997年3月29日
【会  場】東京国立近代美術館 フィルムセンター
【出 品 作】フォト・デッサン(1936年、28.4×23.8)/デッサン6(1935年、鉛筆・紙
23.5×28.0)/フォト・デッサン その1(『眠りの理由』1936年)/フォト・デッサン その5(『眠りの理由』1936年)/題名不詳[フォト・デッサン](27.3×21.8、東京都写真美術館蔵)/フォト・デッサン その2(1936年、30.3×25.3)/フォト・デッサン その3(1936年、30.3×25.3)/赤の中の小さな白(1937年頃、油彩・キャンバス)/レアル(1936年、コラージュ)/作品D(1937年、コラージュ)/デッサン8(1936年、グァッシュ・紙、23.4×27.8)/デッサン1(1935年、コンテ・紙、27.4×22.3)

【タイトル】ばらばらになった身体
【会  期】2006年8月5日 〜 2006年10月15日
【会  場】東京国立近代美術館
【出 品 作】作品C(1937年、コラージュ)/無題(1937年、コラージュ)/レアル(1937年、コラージュ)/笑えぬ事実(1937年、コラージュ)
※検索結果に無いため補足

東京国立近代美術館_21
『近代日本美術の名作 : 東京国立近代美術館 ギャラリー・ガイド』東京国立近代美術館、1997年
ガイドブックの表紙に瑛九の《れいめい》(1957年、油彩)が使用されていることもあった。
【参考:瑛九について13】 http://www.tokinowasuremono.com/nv05-essay/essay_eikyuni/eikyuni02.html

本ブログの記事を作成するにあたって、東京国立近代美術館学芸員の大谷省吾氏(美術課長)に取材の協力を得ました。貴重なお時間を割いていただき、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
なかむら まき

●展覧会のご案内
瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(表)瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす(裏)


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]〜2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
休館:月曜(1/2、1/9は開館)、年末年始(12 /28 〜 2017 年1/1)、1/10(火)
時間:10:00〜17:00(金曜・土曜は10:00〜20:00)
主催:東京国立近代美術館

瑛九とは何者か?
瑛九(えいきゅう、本名:杉田秀夫、1911−1960)は1936年にフォト・デッサン集『眠りの理由』で鮮烈なデビューを飾り、その後さまざまな技法を駆使しながら独自のイメージを探求した芸術家です。
当館は近年、彼の評伝を著した友人の画家、山田光春の旧蔵していた作品と資料を収蔵しました。
本展は、その中から約50点の初公開作品、書簡などの関連資料に加え、以前から所蔵している作品もまじえて、「レアル(リアル)」を求めて苦闘するデビュー前後の瑛九の実像を紹介します。(東京国立近代美術館HPより転載)

<講演会のお知らせ>
大谷省吾(当館美術課長・本展企画者)
「書簡から読み解く 1935 -1937年の瑛九」
2016 年 12 月17 日(土)14:00-15:30
2017 年 1 月 7 日(土)14:00-15:30
場所:講堂(地下1階)
※開場は開演30分前、申込不要、聴講無料、先着140名

20161122瑛九展チラシ20161122瑛九展チラシ 中

*画廊亭主敬白
本日の瑛九情報は本丸の竹橋からです。
上掲の中村茉貴さんによる「美術館に瑛九を観に行く」連載も12回目を迎えました。満を持して東京国立近代美術館に参上し、新たに収蔵されたコレクションをじっくりと見てきたようです。中村さんには4回分のチケットを渡しているので、レポートはまだまだ続きます(乞うご期待)。
ときの忘れもので開催中の「2016年を送る〜画廊コレクション展」にも瑛九の小品を展示していますが、昨日は随分と遠くからのお客様に楽しんでいただきました。先ず早朝にはイギリスからのお客様、午後には南米から一時帰国のMさんが久しぶりに来廊、ついで東京からはるか西方の某美術館の学芸員さんがわざわざ瑛九を見に道に迷いながら訪ねてきてくださいました。「近美は行かれましたか」と尋ねると「先ずこちらに伺いました」と嬉しいお言葉。土曜日まで滞在し、大谷省吾先生の講演会に参加されるとのことでした。