ギャラリー  ときの忘れもの

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先日、僅か10日間ほどの会期で開催された沖縄浦添市での内間安瑆展についてご紹介しました。
内間ファンの亭主は不覚にもその情報を知らず、NYのご遺族からのメールで知ったのですが、会期も短く遂に見逃してしまった(涙)。

会期中は琉球大学の永津禎三教授がギャラリートークをしてくださり、若い方々が熱心に耳を傾けてくださったそうです。

永津禎三教授? 不勉強でそのお名前も存じ上げず、あわててネットで検索し、昨2015 年2 月6 日に沖縄で開かれたらしい「内間安瑆の絵画空間」という永津禎三教授の寺小屋の講義録というのを見つけました。
これが、凄い、面白い。
内間安瑆先生の作品は今まで「木版画の」という形容詞がついて論じられることが多かった(と言っても僅かなものですが)のですが、これは内間先生の「絵画空間」を真正面から取り上げ、現代美術史の流れの中で縦横無尽に、明快に、痛快に論じています。
講義の末尾で内間安瑆は<偉大な作家だった>と断定してくれています。亭主は泣きたいほど嬉しい!
早速、寺小屋を主宰しているらしい<いろんな場所で生まれる美術>の小橋川啓さんに連絡を取り、再録をご許可いただきました。
長いので、二回にわけようかと思ったのですが、一気に読んだ方がいい(まさに講義を聞く雰囲気で)。
長いです、でもぜひ最後までお読みください。
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1時間目「内間安瑆の絵画空間」

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永津 禎三(ながつ ていぞう)
琉球大学教育学部教授 美術家


 最初、啓くんからお話があった時に、僕は2時間枠でこの寺子屋授業をしたかったのですけど、1時間枠のそれも一番最初になってしまいました。50分程の授業時間の既に5分が過ぎています。今日何を話そうかと色々考えたんですけれど、今興味があること、自分が今面白がっていることが一番いいんじゃないかってことになりました。
 考えたネタは 三つほどあって、その一つは安次嶺金正。(緑の抒情 安次嶺金正展のチラシを見せながら)2013年に、こういう展覧会がありました。この展覧会観ました?観てない?すごく良い作家なんですが、渋すぎて意外と人気が無いかもしれない。入場者数もそれほどではなかったみたいです。この展覧会まで僕は美術館と距離を置いていたんですけれども、さすがに、安次嶺先生の展覧会なのでお手伝いさせていただきました。丁度、僕が1982年に琉球大学に赴任した時に安次嶺先生のご退官と交代だったという経緯もあります。その後、安次嶺先生の作品を見させていただく機会が多かったのですけれど、素晴らしい作品を描いていらっしゃるのに、絵画として何が良いのか、皆、意外と分かっていない、そういう作家なんです。展覧会のシンポジウムが9月29日にあって、それにパネリストとして呼ばれました。それでかなり何度も観に行き、色々面白いことを発見して…、まずは安次嶺先生の絵画についての話が良いかなと思いました。
 二つ目が内間安瑆。去年2014年、やっぱり9月です。美術館の学芸員が企画する展覧会というのはだいたい年に一本らしいんですけれど、だから安次嶺金正展の次が内間安瑆展です。安次嶺金正展は学芸員の仲里安広さんが中心になった企画で、内間安瑆展が大城仁美さんです。大城さんはすごく内間安瑆に入れ込んでいまして、何度もアメリカに調査に行っている。僕は内間安瑆に関しては、2009年に「移動と表現」という展覧会があって、美術館の開館一周年記念かな、その時に初めて数点観たんですね。綺麗な作品を作る人だなって思ったんですけれど、その時はそれほど注目しませんでした。内間作品は大きく分けて三つの時代があるんですけれど、この時は数点しかなかった。一番最後の時代の「ForestByobu」というシリーズもその初期の一点しかなくて、綺麗な作品、という程度の認識でした。今回の内間安瑆展の少し前に、内間の作品を美術館に寄贈・購入するための委員会があって、そこで作品カタログの資料を見て、まだ、作品そのものは観ていなかったのですけれど、それを見て「これはちょっと凄いかもしれない」って思い始めました。そして実際、展覧会を観たら、確かに凄かったんです。変な言い方かもしれないけれど、安次嶺作品の分かり難さとある意味通じ合う。より綺麗なので、内間の方がポピュラリティがあるかもしれませんが、と言ったら安次嶺先生に非常に失礼だ。入場者はどちらが多かったんでしょう?
「内間は無料の日がありましたので、そこで数を稼いだので同じくらいです。」(町田:沖縄県立博物館美術館)
 内間安瑆展もそれほどでも無かったんですね。僕はすっごく良い展覧会だと思いました。内間安瑆をまとめて紹介した展覧会は、これが日本で初めてではないかと思います。且つ、コレクションがかなりまとまって沖縄に入ったという、非常に画期的な展覧会だったと思います。これから楽しみな人…って変だね、これから評価がどんどん上がっていくであろうという作家です。今日は50分ということなので、2時間枠だったらこのダブル(安次嶺金正+内間安瑆)でいこうかと思ったんですけれど、安次嶺金正はまた別の時に。安次嶺金正は、仲里さんと一緒に発掘作業をしていて、今、どんどん新事実が分かってきています。非常に面白い…、ついつい、こっちに行っちゃう。
 それで、今日は「内間安瑆の絵画空間」の話です。なぜこの話をするのかというと、もちろん僕がとても良いと思った作家だからなんですけれど、こういう場所で話をしてみようと思ったもう一つの理由があります。
 僕は、共通教育という、昔は一般教養と言っていた、大学で他学部の人が沢山来る授業を持っているんですけれど、美術館に貢献もしようと思って、この授業で「内間安瑆展を観に行きなさい」と言った訳です。100人くらい受講生がいるから、サボっても80人くらいは行くだろうと。それは別に入場者数を稼ぐというよりも、この機会に出来るだけ多くの人に観てもらいたかった。おそらくここ数年、こういう展覧会は企画出来ない。かなりの数が寄贈された作品で、これは暫くは他館に貸し出せない。何年間かは、まとまった展覧会はどこもできない。本当なら、あれぐらい素晴らしい展覧会だから、巡回したら良いと思うのだけれど、それもできない。本当に、もっともっと注目されるべき作家なのに…。それで共通教育でこれを観に行って貰った。ただ観に行くだけじゃ授業になりませんので、レポートを書いて貰います。レポートが80何枚と集まるわけですけれど、あまり面白いことは書かれていないです。やっぱりね、まず抽象的な絵なので初め「わかりません」って言うんです。その次に「よくわからなかったんだけど、最初の方は白黒で、だんだんカラフルになっていって綺麗でした」っていう。展覧会なので各時代の説明パネルがありますね、それを読んで「あぁそうなんだ」って理解した気になる。そういうレポートが殆どでした。仕方ないとは思うんですけれど、僕はちょっとそれはつまらなくて、今度はクイズで出したんです。
 これは1977年ぐらいからスタートする「Forest Byobu」という内間の最晩年のシリーズなんですけれど、これが「屏風」なんです。どうしてこれが「Forest」シリーズじゃなくて、「Forest Byobu」シリーズなんだろうっていうクイズを出しました。
 これでちょっと気がついてくれるかな、と思って出したクイズだったんですけれど、やっぱり面白い答えはなかった。共通教育の授業なので100人いたらその中の10人くらいが面白い答えを出してくれたら、それで良しという感じなんですが、こちらが考えていることに引っかかってくれた人が殆どいない。ちょっと寂しいなと…。
 これ以外でも、いろんな局面で考えたことなのですけれど、もしかしたら皆は、こういう絵を絵画空間として観ていないのかなって…。絵を空間的に観るということにあまり慣れていないのじゃないかなって思いました。それなら「内間の作品を僕はこういう風に観た」という話をしておいたほうが良いのではと思って、12月末の共通教育の授業で話すことにしました。内間がアメリカで活躍した頃の、いわゆる抽象表現主義のジャクソン・ポロックとかモーリス・ルイスとか、そういう作家の作品と一緒に見ると、内間が考えていた、いわゆる絵画的な課題というか、絵画的な空間感というか、というものがわかるのかなと。僕はそういう風にわかったつもりになったので、そういう話をしたほうがいいのかなと思い、スライドを作りました。ところがまだ展覧会図録(沖縄県立博物館・美術館作成)が出ていないので、スライドに出来る図版が少ないのです。「移動と表現」展の「LightMirror, Water Mirror」という「ForestByobu」のシリーズ前の、これからシリーズが始まるというその作品と、展覧会のチラシにある「ForestByobu(Autumn-Stone)」の二点だけがあったので、それを使って構成して、たった二点で内間安瑆を語るという大それたことをしました。
 今日のこの寺子屋授業ではスライドを少しだけ増やしました。展覧会を見た人には二点でも良いでしょうけれど…、共通教育の学生は一応全部見ているという前提だったので。ちなみに伺いますけれど内間安瑆展にいらっしゃった方、この中に何人位いらっしゃいますか? (五分の一ほどが手を挙げる)そうですよね。そうだろうなと思って、美術館から図版のデータを借りてきました。でも基本的にはこの作品「Forest Byobu(Autumn-Stone)」です。この絵を中心に考えていくってことになると思うんですけど、その前にちょっと前座があります。
 
 これ見たことあります? この本? かなり面白い本です。ちなみに私、今日真面目にレジュメなどを用意しましたのでお取りください。その一番最初の項目になります。『原寸美術館』という本がありまして、結城昌子さんという方が編集しています。こう開くとですね、こんな感じでこれがミケランジェロの壁画の原寸です。こんなに表面ボロボロなのね、みたいなのがわかるという。何が面白いのかというと、僕は絵を描くときテンペラ絵具とかを使っているので、このボッティチェルリの使っている絵具と同じなんですね。そうすると細筆でシュッシュッといった作家の手の動きが見えるんです。とても良い本だなと思って。ですから、この本で最初に見て欲しいのがこのボッティチェルリ。盛期ルネッサンスの中では割と早い方の人です。別の部分を見ると足元のところはこんな感じです。これ(プロジェクターで映し出された画像)はもちろん原寸を逸してますけれども、良いですよね。本のサイズで原寸ですから、プロジェクターの映像はかなり巨大になっていますけれど、気分としては本を見ている感じですよね。凄いでしょ、これ、足元に花畑が広がっているんですけれど、フィレンツェにある花が正確に再現されているそうです。まぁそれはどうでもいいんですけれど。こんな感じでさっき言ったように、筆のタッチといいますか、こんな風に画家が細い線で重ねて描いていったんだなと、手に取るように見えますよね。

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03エドゥアール・マネ
「フォリー・ベルジェールのバー」
原寸美術館


 さてこれは「モナリザ」です。レオナルド・ダ・ヴィンチはご存知の通り、イタリア・ルネサンスの画家では油絵技法を、元々北方で開発された油絵技法をいち早くイタリアで取り入れた人で、ゆっくり乾く油絵具が大好きで、壁画にまで油絵具を使っちゃって「最後の晩餐」なんかは、まだ彼が生きている間に剥がれ始めたという、そういう人です。有名なこのモナリザを見ると、もう本当に筆のタッチが無い。要するに写真のような、描いている痕跡を極力排してイリュージョン=奥行き感を追求している、そういう絵ですね。こういう古典的な絵でみられるのは、そういうイリュージョン=奥行きを表現するための技法。これはフェルメールなんですけど、フェルメールの時代になると多少絵具はゴツゴツとのせていきます。けれども、そのゴツゴツのせるっていう絵具はダヴィンチと同じような意味合いののせかた。要するに、絵を描くときに絵具を「塗る」んじゃなくて、絵具を「置く」のです。
 それが、「ラス・メニーナス」、スペインの画家ベラスケスになりますと、年代的にはほぼ同じなのに、こんな風になっちゃうんです。踊るような筆のタッチ。だけど遠くから見ると、ピタッともう収まっているっていう名人芸です。女官なんか本当にこう、これでキラキラした衣装の感じが出ちゃう。恐るべきテクニックなんですけれど。これをマネは真似するわけです。これが今回の話題なんです。マネの次にモネもいますが、このレジュメに書いてあるものを読んでみます。「マネの絵画が最初のモダニズム絵画になったのは、絵画がその上に描かれる表面を率直に宣言する、その率直さの効によってであった」『モダニズムの絵画』これ、一回読んで分かる人は天才だよね。何を言ってるのか分からない。分かった人います? 三回読んでも分からないよね。「マネの絵画が最初のモダニズム絵画になった」この『モダニズムの絵画』っていう論文を書いたクレメント・グリーンバーグという人はマネの絵画が最初のモダニズム絵画だと言っている、というのは分かるよね。その後ですよ、「絵画がその上に描かれる表面を率直に宣言する。」何これ? で、僕が分かり易く言えば、要するに「塗ってあるじゃない」ということ。マネの画面は「表面に絵具が塗ってある」ってことをちゃんと見せている。それまでの絵画、レオナルドはそれを隠していたでしょ。「この人は塗ってるのを見え見えで描いてますよ」っていうことをたかだか言っているだけ。もっと分かり易く言えばいいのにね。美術評論というのはこういうややこしい文章をありがたくという世界なので、ますます分からなくなっちゃうんだけど、簡単に言えばそういうことなんです。「塗られてるじゃん」これなら皆分かりますね、そういうことなの。意外と簡単なことを言っている。
 この定義をしたグリーンバーグという人は、抽象表現主義を理論的にバックアップして、というか二人三脚ですね、グリーンバーグが何か言うと、ポロックが何か描く。そういう風に戦後のアメリカ美術を作り上げていった人なんですけれど、一番有名な論文が『モダニズムの絵画』、英語だと"Modernist Painting" です。この人のややこしい定義を読んでみましょう。
「モダニズムを哲学者カントによって始められた、自己ー批判的傾向の強化・激化と同一視した」「各芸術ジャンルが、各々に固有の要素を尊重し、他のジャンルから借用している効果を排除する『純粋還元』」意味わかります? 絵画は絵画でしかできないことを大事にする。彫刻は彫刻でしかできないことを大事にする。絵画の中に彫刻的な要素、例えば足を踏み入れることが出来るようなイリュージョンは排除する。そういうようなことです。次にいきますね。「モダニズム絵画は過剰な要素を排除しつつ平面性を追求することになった」「排除されていく要素とは、『彫刻からの借用である三次元性の表現』と『文学からの借用としての主題の事物や物語による文学性』」こういうのは、フォーマリズム批評というんですけど。簡単に言うと「絵を絵としてだけ見る」こういう見方です。言葉で言うと難しいけれども、絵画そのものからは誰でも感じ取れるはずなんです。これを自覚的に感じ取ってもらいたいというのが、訳の分からない文章をずーっとここに抜き出した理由です。もう一つは、ピカソにしろピカソとブラックのキュビスムにしろマティスにしろ、みんなあの頃の絵ってどんどんどんどん平面化してるじゃないですか。それをグリーンバーグはこういう言い方でもって理論付けた。考え方なので、別にそれだけが正しいわけじゃないかもしれないけれども、一応こういう考え方が成り立つということで、どうしてマティスの絵はあんなにペッタンコ、いや実はペッタンコではないんですね、ちゃんと豊かな絵画空間があります。だけど一応、平面的なのかなっていうそういうような疑問、特に共通教育の授業を受けていた人にとってみれば、そういう疑問が多分あったはずなので、ここでこういう説明をしておこうかなと思ったわけです。ちょっと話が長くなりました。
 これがピカソ。戦後アメリカ美術に大きな影響を与えたのはやっぱりピカソとマティスなんですけど。ピカソはこんなにいろんなスタイルがあるのね。一番左「肘掛け椅子のオルガ・ピカソ」が1917年、キュビスムが終わった頃に突然こんな古典的な絵を描き出した。真ん中の「画家とモデル」は1928年、かなり平板な感じですけど、絵具は結構厚塗りです。一番右の絵「泣く女」が、一番ピカソらしいというか、みんなが知ってるスタイルかもしれません。キュビスムの絵画言語を派手に変容したような。ちなみに、僕がこういう風に一画面に作品を並べる時には、基本的に同じ縮尺で並べるのですけど「泣く女」だけはあまりに小さかったので1・5倍くらいにしてあります。
 次にマティスです。こういう非常に平面的な絵を1930年代から40年代終わりぐらいにかけて描いてる。こういった作品が抽象表現主義にすごく影響を与えている。

04Braque.
Man with Guitar.
1911


05Picasso.
Accordionist.
1911


 もうひとつ忘れてならないのが、1910年代の分析的キュビスムの絵画空間です。これは抽象じゃないんですよ、左側は「アコーディオンを弾く人」で、右側は「ギターを持つ人」、右側がブラックで左側がピカソなんだけれど、ほとんど違いがない、という時代の絵なんです。こういった浅い奥行き感というか、ちょっと入ったと思ったらまた戻されてしまう、そういう呼吸するような浅い奥行き感っていうのは、ポロックに繋がってくる。
 これはポロックの1950年の代表作「ラベンダーミスト」です。横幅が3メートルくらいある、どデカイ絵で。もちろんこれは抽象です。先程の分析的キュビスムの作品は再現の絵画なんですね。ただ再現の仕方がいわゆる写真のような透視図法ではない。と言われても一般的には抽象にしか見えない。でも、キュビスムの絵画は具象、ラベンダーミストは抽象絵画です。でも、出来上がった絵画の呼吸感というのはすごく近い。ポロックの絵って、意外と古典的ですよね。要するにグレートーンがあって、そこより明るいところと暗いところがあって、それが呼吸している。その呼吸を作っているのは何かというと、こういうところにチラチラチラッと見えるシルバーの色。アルミニウム塗料なんです。ポロックはこういう風に床に絵を置いて、棒で塗料を撒き散らして描く、ポーリングっていう技法で出てきた人なんです。それでいろんな色を順番に重ねているんですね。描いている最中は自分でも完全に把握していないんですね。それを壁に持っていって見て、あっもうちょっとみたいな感じでまた床に置いて描くという。意図的にコントロールしながら、いわゆる「地」と「図」が均質となった、そういうオールオーヴァーな絵画を作り始めるわけです。
 ところが、初期はこんな感じです。ピカソの影響とかネイティブアメリカンの砂絵の影響とか、そういうのがずーっとあって、このあたり1946年ですけど、ポロックらしいスタイルがやっと出てくる。これなんかもそうですね「Cathedral」、縦が180センチちょっと。これも、アルミ塗料の銀色がこっちから見たら光って飛び出して見える、ちょっと動くと沈んで見える。金属なので光を反射するところと沈むところ、少し立ち位置がズレるだけで、それで画面の奥行き感がこう揺れる。そういう空間を作ったわけですね。
 ポロックは結構若くしてデビューしています。レジュメを見てもらうと二頁目に抽象表現主義の代表的な作家の生年没年が書いてあります。意外に早死にしている人が多いんですね。ポロックは1912年生まれで、1956年に亡くなっています。この一覧を見ると、ポロックは抽象表現主義の第一世代なのに、第二世代であるモーリス・ルイスと同じ年に生まれている、1912年。かなり早めにデビューしちゃったわけですね。認められちゃった。それがある意味プレッシャーになって、もともとアル中気味の人だったんで、それでどんどん追い込まれていって、次の展開が出来ない、みたいな感じでね。それで、自殺に近いような自動車事故で死んじゃうんです。

06Jackson Pollock.
Untitled(Cut-Out Figure).
c.1948


07Jackson Pollock.
Untitled(Cut-Out Figure).
c.1948-50


 その悩みの一つの典型がこのカットアウトっていう仕事です。1940年代に始めてるんです。「Untitled(Cut-Out)c1948-50」の真ん中の白い切り抜きは、切り抜いた後ろに違うキャンバスを貼っているんですね。とすると、位置的にはこの人型の(切り抜かれた)部分は物理的には後ろにあるんですね。ですが、絵画の形態感としては前にくる。そういう地と図の関係を探っているんだけれど、あまり上手くいっていない、残念だけど…。で、「Untitled(Cut-Out Figure)c.1948」は切った(人型)をこっちの黒いのに貼って、今度は明快すぎるから黒いところに白い塗料をたれ流して、人物よりももっと前にこさせようと頑張っているわけです。だけど、さほど面白くない。「Cut of Web: Number 7」なんかはカットアウトの中では上手くいっている方なんですけれど、それでも「ラベンダーミスト」なんかに比べるとね…、なかなか難しいところですね。そして、具象的形態に戻るんですね。1953年の「Portrait and Dream」。後から映しますけれど、デ・クーニングっていう人が女の人を描いたりするもんですから、それに合わせてグリーンバーグが、彫刻的イリュージョンを排するって話は別に具象にも適用するんだ、具象・抽象の区別じゃないんだって言い出すわけね。そうするとそれに呼応するようにポロックもこういうことをやりだすのだけれど…、やっぱりなかなか上手くいかないまま、結局次の展開を出来ないうちに事故死をしてしまう。

 もう一人、抽象表現主義の第一世代で重要な作家が、クリフォード・スティルという人です。この人はちょっと年長ですね。1904年生まれ。1980年まで生きていますので、この中では長命な方ですね。第一世代の中でも、いち早く抽象に展開した人です。1934年や37年の作品はこういう、今から見るとドイツの新表現主義みたいな感じの絵です。それが1945年には「July 1945-R」のような絵になります。ちょっとバーネット・ニューマンみたいな絵です。「Fall1946」くらいにスタイルがほぼ出来上がります。これも縦170センチくらいある大きな絵ですが、ペインティングナイフで荒々しく色面を塗り込めている。見て下さい、例えばこの黒いところが手前にくると感じれば、このこげ茶、赤茶のところは後ろにいくわけですね。ところが、このこげ茶が前にくると思った途端に、黒が奥に引っ込む。いわゆるカラーフィールド・ペインティングという色面絵画の各色面なんだけれど、それが前後どちらともとれる。そのため、ゆらぎの空間を感じる。そういうタイプの作品を確立していくわけです。スタイルは全くポロックと違うんですけれど、空間のゆらぎといいますか、「地」と「図」の変換といいますか、そういう部分については共通しているわけです。「1951」これもそうですね。これはもう薄塗りになってきています。「1951No.1」これはとても良い絵ですね。左端のベージュの色がもう、何とも言えないです。これがあるとないとではえらい違いだと思いますね。ここがあることによって真ん中のグレーっぽい明るいところと、暗い所の前後関係のゆらぎがぐっと生まれてくるんです。このベージュ効いてますね。クリフォード・スティルにしろポロックにしろ、今言った抽象表現主義の絵画の特質としての「地」と「図」の変換といいますか、交代、交換、切り替え、そういった絵画空間を感じ取ることが今日のテーマなんです。

08Clyfford Still.
Fall 1946
169.5x113cm


 マーク・ロスコという人がいました。(初期から絶頂期の作品のスライドを流しながら)こういう作品です。これも縦3メートル近い巨大画面です。これが初期のアーシル・ゴーキーの「画家と彼の母」、もろピカソですね。ピカソの1910年代のちょっと古典的なドローイングにそっくりです。「Organization」は先程の20年代のピカソにそっくり、殆ど同じ。ミロを参考にしつつ、ゴーキーは1943年の「Garden in Sochi」のような、こういうスタイルを作り出します。ゴーキーはアルメニアの出身の人で、是非顔写真を見せたいなと思っていたんです。どうしてかと言うと、啓くんにそっくりなんですね。
 こちらが先程少し話をしたデ・クーニングです。これもやっぱりピカソの影響ですね、先程のゴーキーの影響も見て取れます。一旦かなり抽象的になるんですけれど、なりきれずに、1950年頃にちょっとピンナップのような女性のイメージが出て来ている。こういうのを見てグリーンバーグが抽象具象は問わないっていう言い方をするんですね。その後も抽象に行ったり具象に行ったり。
 これはアドルフ・ゴットリーブです。絵だけ記憶しておいてください。あまり時間が無くなってきましたので、さーっとお見せするだけにします。ロバート・マザウェル、彼はコラージュやステイニングという染める技法を使ってます。
ポロックと同じ1912年生まれなのに第二世代になっているモーリス・ルイスです。ポロックが華々しくデビューした時に何をしていたかっていうと、コツコツ自分の道を探っていました。ロスコの初期に似た感じの絵を描いたり、化石のようなイメージを描いたり、いろんなことをしていました。1948〜50年のこの頃、面白くないですか。殆ど、日本の1980年代風ヘタウマ絵画みたいです。ネタが満載ですね、この人。今でも使える。実際黙って使っている作家も多いと思うんですけど…。この辺もどこかにありそうな絵だよね。ということでネタの宝庫ですね初期のモーリス・ルイスは。
 1952年にヘレン・フランケンサーラーという、まだ若い、もう世代が違う、1928年生まれですから、おじさんたちにしてみれば、とても美人で可愛い娘が絵を描き始めた、みたいな印象でしょうね。十何歳違うから一回り以上違う。彼女がローキャンバス=地塗りの無い生のキャンバスに絵の具を染み込むような風にして絵を描きます。それがこれ「山と海」という絵なんです。これが、次の第二世代の人たちに凄く大きな影響を与えるんですね。ルイスもこれに影響を受けて、色々試行錯誤します。1953〜54年、この頃はそういう試行錯誤の時期です。

09Morris Louise.
Bronze.
1958
224.8x320.7cm


 1954年に一度「ヴェール」シリーズになりかけるんですね。でもまた厚塗りの違ったスタイルになって、この頃も凄いですね、これはまるでゲルハルト・リヒターですよね、今から見ると。やっとこの頃、落ち着いてきます。1958年になっています。モーリス・ルイスらしいスタイルの最初の「ヴェール」というシリーズです。1954年にこのスタイルがちょっと出て、それから1958年、59年にかけて制作されました。いろんなバリエーションがあります。モーリス・ルイスはひとシリーズ百点ぐらいずつあります。彼は狭い応接間みたいなところで絵を描いていたらしいんです。
奥さんが出かけた時に絵を描いて、帰ってきたら制作を中断する、そういう生活をしていたらしいです。ちょっと展開してこれは「フローラル」という作品、これはあまり続きません。次がこの「アンファールド」というシリーズですね。1960年から61年、だから足掛け2年の間に、百点以上という膨大な数を制作しました。次にこういう「ストライプ」というシリーズ、1961年から62年。このシリーズを制作している最中の1962年に、やっぱり若死にですね。50歳くらいで亡くなったんですね。
 これがヘレン・フランケンサーラーの初期作品です。フランケンサーラーの1940年代から50年代はじめの作品はこんな風で、「これなら私でも描けるわ」っていうくらいの絵ですね。おそらくここにいらっしゃる多くの女性の方がそう思っているのではないかと思います。1951年の「Untitled」、これはデ・クーニングの影響下にあり、まだそれほどでもない作品です。でもこの1952年の「山と海」で一躍注目される存在になった。この「10/29/52」は面白いでしょ、1952年、明らかにこれはポロックの影響ですね。ポロックがのたうち回って描こうとしていた抽象から具象への展開の絵を、彼女はなんと能天気に描いているのか。もう殆ど感覚だけで描いている。でもこっちのほうが上手くいってしまう、ポロックには残念ですが…。これは1961年の「Blue Form in a Scene」です。こういう不安定な形が入り組むような、ステイニング(=染め)の技法の作品です。かなりこれも巨大です。2メートル41センチ×2メートル35センチ。こういう非常に綺麗なカラーフィールドペインティングを展開して、1970年代の後半から80年代になってくると、絵具をたっぷり流した、何と言うか、レイヤーがかかったような、層をなしている空間感の面白い作品に展開します。ほとんど大竹伸朗ですね。でも、僕がフランケンサーラーを調べていてウェブページを見たら、若い人は大竹伸朗は知っていてもフランケンサーラーを知らないらしい。こんなアメリカの国民的画家なのに…。抽象表現主義のこともあまり話題にならないらしい。それじゃぁ、大竹伸朗の絵画をどう捉えているんだろう?

10Helen Frankenthaler.
Blue Form in a Scene.
1961
241.3x235cm


 いよいよ今日のメインですね。あっ、あと10分しかない。やっと内間安瑆です。これが例の美術館からデータを頂いた、内間安瑆の1950年代の作品です。まだ日本にいるときの、創作版画の影響、恩地孝四郎の影響が強い作品群です。「Pause-Allegro」はアメリカに行く直前の作品です。この「Winter」なんかは本当に恩地孝四郎の感じですね。それで、アメリカに行ってまず最初に有名になった作品がこの1960年の「黒のノスタルジア」。こちらは1960年の作品「カツ」です。すごく日本的なタイトルがついているんだけれど作品は抽象表現主義風、フランケンサーラーと似ていますね。こういう不定形なふにゃふにゃっとした色面が混ざり合っている。ただ、エッジは硬い。いわゆる彫刻刀で彫ったエッジはまだ出ています。まだ木版らしい表情が出ている。ところが、1960年代の中頃になってくると、本当にそういうフランケンサーラーのような滲みの空間を木版でやろうとするんですね。これが1960年代の代表的なスタイルで、水彩のような、どういう風に刷っているのかわからない程の、凄い刷りのテクニック。見てわかるように、1960年代はじめまでのエッジが硬い作品は、いわゆる創作版画的な感じがしますけれど、この水彩的な「MistyMorn」のときには伝統的木版画のぼかしの手法を駆使しているわけです。

20160706154748_00001内間安瑆.
Katsu!.
1960
34.7x45.5cm


20160706154811_00001内間安瑆
Misty Morn.
1964
53.4x41.6cm


20160706154834_00001内間安瑆
Into Space II.
1971
50.0x77.1cm


 これは「スペース」シリーズの代表的な作品「IntoSpaceII」です。1970年代に入ってこういう作品になる。「Into Space II」が明快な「スペース」らしい「スペース」かもしれないけれど、「スペース」シリーズには、こういうものもあります。この「Space Stage」は1969年から1977年、8年間もかけて追求した、そういう作品です。何を追求していたかっていうと…、やっぱり1969年から75年の6年間もかけているこの「Emerald in Crimson」の方が説明し易いかな…、これは、エメラルドとクリムソンのどちらが前に飛び出て見えるの? という絵ですね。こういう風に考えれば、「スペース」シリーズはシルエットが明快なので、全く別のもののように見えますが、抽象表現主義と同じことをしているんです。どちらが手前どちらが奥、みたいな、まさに抽象表現主義の絵画が課題にしていた「地」と「図」。1960年代中盤にフランケンサーラーの滲み=水彩のような染み込む表現の方向に行った内間は、その後、この「スペース」シリーズで本来の抽象表現主義の絵画空間、いわゆる「地」と「図」の交換の面白さを追求しているってことです。ところが「スペース」シリーズでは、「Into Space II」の「明快さ」の方ばかりが語られることが多いんですけれど、僕はそこはちょっと違うんじゃないかと考えています。
 このフランケンサーラーの「Wales」や「Parkway」と同じようなことを、内間も「Strata: Currents」でやってます。これはコラージュ作品が元になっていて、チラチラッと見えている白いところは雑誌の紙の破れ目の表情です。それで僕は石山切伊勢集を持ってきました。平安時代のかな文字の名品です。文字が書かれている美しい紙=料紙、こういう料紙を当然、内間安瑆は知っていて、このコラージュの破れ目の表情に、さらに、版画作品に取り入れていたと思います。

14石山切伊勢集
平安時代


 最初の出発点は創作版画、恩地孝四郎の強い影響のもと抽象絵画を版画で作るというところから始まって、その中で浮世絵のぼかしという古典的技法を、更にもっと古い平安時代の料紙の美意識を、という幅広い日本美術の知識を活かし、こういった取り入れ方をしていたんだろうなと思います。面白いことに、フランケンサーラーにも破れ目の表情のような作品「Cable」があります。このように見てくると、フランケンサーラーと内間安瑆は世代も近く(フランケンサーラー1928年生まれ、内間安瑆1921年生まれ)、内間がアメリカに移ったのが1960年ですから、まさに同じような感覚を、時代の価値観みたいなものを共有しつつ、影響し合っていたんじゃないかなと思います。
 ついに、今日のメインの後半です。ここで残り5分。先程各時代の流れを見ていただいたモーリス・ルイス。彼の代表的なシリーズの一つはこういうものですね。「アンファールド」というシリーズです。アンファールドって意味は分かりますか? 「拡張」ですよね、「広がり」。この作品「Pi」も、横にグッと緊張感を持った広がりがある。そう言われても、うん、そうなのかな? という感じかな。そこがどうも分からないみたいですね。だから今日は、そこを分かって貰おう! という日なんです。

1615
Morris Louise.
Pi.
1960
261.6x444.5cm

 モーリス・ルイスは、さっきも言ったように、真面目にコツコツとダメなものを潰していくタイプなので、「アンファールド」シリーズでも、こんなにいっぱい制作しているんですね。1960年から61年で117点。面白いでしょ、斜めの線が、こっち向きあり、あっち向きあり、両方あり。やっとこの辺でスタイルが出来てくる訳ですね。
 ところで、これは透視図法の典型的構図、壁に油絵具で描いてしまって、直ぐに剥がれ始めたレオナルドの「最後の晩餐」です。透視図法なのでその構造を線で表すとX字型になります。ちょうどキリストの顔のところに消失点(線が交差する点)が行きますね、そういう構造です。このモネの「睡蓮」はどうでしょう? こちらは消失点は画面の上方、外に出てしまいます。構造を線で表すとハの字型です。それでは、モーリス・ルイス「Pi」を上下逆さに映してみましょう。「睡蓮」の構造と同じになりますね。逆さにして、こう(ハの字の構図に)なると、空間が奥に行ってしまいます。いわゆる、グリーンバーグが排除すべしと言った、彫刻的イリュージョンに近いものが、逆さ向きにすると出ちゃうんです。モーリス・ルイス「Pi」の正しい向きのものと逆さ向きのものとを二枚並べて映してみましょう。こうして二枚比べてみると面白いでしょう。正しい向きの方が横長に見えませんか? 同じ絵なのに。逆さ向きの方が縦長に見える。つまりこちらは横への広がりが狭く見える。モーリス・ルイスの絵は縦が2メートルくらいありますから、縦に関しては視界を凌駕しています。だから縦方向はあまり意識されない。しかし横方向への広がりはすごく意識されます。大画面であるからこそ、この空間が活きるんですね。
 内間安瑆の作品になります。これが例の「Forest Byobu」シリーズになる直前といいますか、なった起点といいますか、1977年の「Light Mirror, Water Mirror」です。これは版画だから、大きさは横幅でも72・8センチしかありません。すると、全体が見えてしまう。モーリス・ルイスのような単純な構造では、やっぱりちょっと退屈です。この「LightMirror, Water Mirror」も逆さに映してみます。風景的イメージが強くなってしまって、ちょっとつまらないですよね。ドキドキしない構図になってしまう。これも二つ並べてみると、正しい向きの方が圧倒的に横への拡張が強い。つまり、内間安瑆はモーリス・ルイスがやっていたことを、より小画面の中で密度をもって展開していたのですね。

20160706154853_00001内間安瑆.
Forest Byobu(Autumn-Stone).
1978-79
color woodcut
47.2x77.3cm


20160706154914_00001内間安瑆.
Forest Byobu(Light Mirror, Water Mirror).
1977
color woodcut
48.3x72.8cm


 この「Forest Byobu(Autumn-Stone)」もそうです、これは「Forest Byobu」シリーズの名作で、チラシに使われていた作品です。1978年から79年。やっぱり横幅でも77センチのサイズです。これも逆さにしてみると、パウル・クレーみたいですね。悪くはないけれど、でも、この正しい向きの方がなんだかドキドキする。何がドキドキするのか分かりますか? 縦の区切りで分割されたそれぞれのパーツが、より振動するんですね、正しい向きの方が。逆さ向きにすると、ちょっと落ち着いてしまうんですね。これは斜め線も含めた構造の効果です。「Light Mirror, Water Mirror」と全く同じことが言えますね、正しい向きの方が緊張した横への拡張感が強い、広がりがあります。
 それではなぜ「Forest」シリーズではなく、「Forest Byobu」シリーズなのだろうかという核心の部分に入りましょう。屏風の立て方は普通はこのようにジグザグに折ったかたちです。ところがね、屏風のつなぎ目ってこんな風なんですよ、紙の蝶番です。紙蝶番なのでどちらにも開く。こういう構造なので、この石山寺縁起の「浜松屏風」のように、屏風をコの字に曲げて使っているような、乱暴なというか、ルーズな使い方も出来る。つまり、屏風というのは両側に開閉可能、どちらにも行ける、そういうことも内間安瑆は知っていたんじゃないかと思うんですね。
 「Forest Byobu」の絵画空間は、そういうどちらが前に来ても後ろになっても良いという屏風のような空間構造だと、そう意識していたんじゃないかと僕は信じています。まさに色面の空間が前後にゆらぐ典型的な抽象表現主義の空間を、版画という小画面の中できっちり追求している。内間安瑆はそういう偉大な作家だったと思っているのです。
 最後に、これはヘレン・フランケンサーラーが作った三面の屏風です。これも格好良い作品ですけれど、屏風という物にしてしまっている。内間安瑆の格好良さは、それを平面で、絵画の課題としてやっているところです。最後は超特急のお話になってしまいましたが、これで僕の寺子屋授業を終わります。

18Helen Frankenthaler.
Gateway.
1988
205.7x251.5x11.4cm


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1時間目「内間安瑆の絵画空間」永津禎三 当日のレジュメ

dead or study 24 時間 いろ美 寺子屋
2015 年2 月6 日(金)20:00-21:00
 「内間安瑆の絵画空間」 永津禎三
●『 原寸美術館』でモダニズム絵画を検証する
ボッティチェリ「春」、レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」、フェルメール「牛乳を注ぐ女」、ベラスケス「ラス・メニーナス」、マネ「フォリー・ベルジェールのバー」、モネ「睡蓮、緑の反映」
• マネの絵画が最初のモダニズム絵画になったのは、絵画がその上に描かれる表面を率直に宣言する、その率直さの効によってであった。(『モダニズムの絵画』1960)
● 抽象表現主義
分析的キュビスムの絵画空間、マティスの色面空間、ピカソ、ミロ、等を学ぶ
クレメント・グリンバーグ (1909-1994)
グリンバーグのモダニズム観=『モダニズムの絵画』1960
• モダニズムを哲学者カントによって始められた自己−批判的傾向の強化・激化と同一視
• 各芸術ジャンルが、各々に固有の要素を尊重し、他のジャンルから借用している効果を排除する「純粋還元」
• モダニズムの絵画は、過剰な要素を排除しつつ平面性を追求することになった
• 排除されていく要素とは、「彫刻からの借用である三次元性の表現」と「文学からの借用としての主題の事物や物語による文学性」
ジャクソン・ポロック(1912-1956)
• 抽象表現主義の代表的画家。1943 年頃からキャンバスを床に広げ塗料を滴らせるポーリング技法を始める。意識的に塗料の足れる位置や量をコントロールし、「地」と「図」が均質となった、「オールオーヴァーな絵画」を制作。
クリフォード・スティル(1904-1980)
• ポロック同様、抽象表現主義第一世代の代表的画家。1930 年代後半には具象画から抽象画に移り、1946 年には荒々しい色面の「地」と「図」が入れ替わる独自のスタイルを完成させる。商業ギャラリーとの関係を絶ち、作品は遺言により永久コレクションとして寄贈され、コロラド州デンバーに2011 年11 月Clyfford Still Museum が開館、全制作作品の94%近くを収蔵する。
モーリス・ルイス(1912-1962)
• 抽象表現主義第二世代の代表的画家。長く独自のスタイルを模索し、1952 年フランケンサーラの「山と海」を見て衝撃を受け、1954年41 歳の時、その後の美術の流れを変えるステイニング技法の絵画を描き始める。代表作は、ヴェール(Veil Paintings 1954,1958-59)、アンファールド(Unfurled Paintings 1960-61)、ストライプ(Stripe Paintings 1961-62)の3つのタイプに分類される。
ジャクソン・ポロック(1912-1956)
クリフォード・スティル(1904-1980)
マーク・ロスコ (1903-1970)
アーシル・ゴーキー(1904-1948)
ウィレム・デ・クーニング (1904-1997)
アドルフ・ゴットリーブ(1903-1974)
バーネット・ニューマン(1905-1970)
ロバート・マザウェル(1915-1991)
モーリス・ルイス(1912-1962)
ヘレン・フランケンサーラー(1928-2011)
内間安瑆( 1921-2000)

内間安瑆(1921-2000)
  1921 年 米国カリフォルニア州ストックトンで沖縄移民二世として生まれる
  1944 年 早稲田大学建築科中退後、独学で絵画・木版画を学ぶ
  1950 年頃 オリヴァー・スタットラー氏の「創作版画」調査の通訳を務める
  1957 年 内間安瑆・流政之二人展(東京・養清堂画廊)
  1960 年 ニューヨークに制作の拠点を移す
  1968 年 コロンビア大学助教授
  1970 年 第35 回ヴェネツィア・ビエンナーレ、グッゲンハイム・フェローシップ
  1985 年 サラ・ローレンス大学名誉教授
  2000 年 没(1983 年に病気のためその絶頂期に制作が中断、以降没年まで闘病生活を続けた)


話し忘れた「締め」の話
 
永津 禎三

 
 予想外に聴衆が集まり、卒業生の懐かしい顔も見ながら、今私が一番興味を持っている内間安瑆の話を楽しくさせていただきました。お二人にはこういう機会をつくっていただき感謝しています。
 50分間という短い時間でしたので、予想通り、話しきれないことがかなりありました。内間安瑆展のカタログがまだ刊行されていない状況もあり、準備した内間作品のスライドの数はもともと少なかったのですが、背景となる抽象表現主義から、残り10分のところでようやく内間のスライドに辿り着いた時には、私自身もこの寺子屋授業を時間内にまとめられるか、かなり不安になりました。
 それでも何とか、あまり延長せずまとめられたと思ったのもその場だけ。後から振り返ってみたら、持参した画集の幾つか(例えば、『石山切伊勢集』や『クリフォード・スティル美術館』など)もお見せできませんでしたし、何より一番大事な「締め」の部分を話していませんでした。ああ、何ということ!それで、感想などを書かせていただけるという、この場をお借りして、その「締め」の話をさせていただきます。
 もともと予定していた「締め」は、配布資料にした内間の文章に関わってです。内間は、あまり自身の作品のことを語らない人だったようですが、1982年『版画芸術』第38号に「木版との歩み 三〇年」という文章を寄稿しています。会場で配布したのはこの文章です。この寺子屋授業では、内間が抽象表現主義の絵画の課題をいかに共有し、自分自身の課題としていたかをお話ししてきたつもりです。
 モーリス・ルイスのアンファールド・ペインティング(Unfurled Paintings 1960-61)シリーズの作品を上下逆さまにしたり、内間のForest Byobu シリーズの作品も同様に上下逆さまにしたスライドを見ていただいたりして、その絵画空間を、そしてその構造を感じ取っていただきたかったのです。
 その上で、内間自身が自作品を語った数少ない文章であるこの「木版との歩み 三〇年」を読んでみたいと思います。内間はこのように書いています…
 「1965年頃、アブストラクト・エクスプレッショニズムの、それまでの宣教師的な役割は終わり、様々な新しい動きが生まれる中で、自分の進めた仕事は、それまでのフォルムの多様化を偶然性の中に求めたものから、計画的に距離感と奥行きの設定をし、空間処理を行ない、シュールリアリスティックな神秘性へと変わっていった。…(略)」
 もともと、内間の60年代にみられる抽象表現主義的な「偶然性」のあるフォルムも、これが、一旦版というものにしなくてはならない版画作品であるということを忘れてはいけません。この時でさえ、そのフォルムは計画的であり、偶然性を装ったものだった。その滲みまでもが。そして、70年代のスペース・シリーズへの展開を、この文章は語っているのですね。「計画的に距離感と奥行きの設定をし、空間処理を行な」った、と明確に書いているのです。
 「1977年頃から、現在の色面織りの方法が始まり、色面モザイクで平面を統一し、色の対比による量と奥行きの表現、それらの関係から生じる光のトーンで、流動的な活気を狙う。理論的に考えぬいた構成の中に、自然(アンバランス)要素の導入も考え、多色画面に、主と従の対比と融合、物体の分解と再構成、陰性と陽性の一体化、それぞれの色のもつ広がりを最大限ギリギリまで拡張し、その限界範囲で、色彩がそよぎ、振動し、色彩が演じる視覚的ダンスともいうべき《色彩の動》に喜びを求めている。画面に広がりを与えるため、焦点を上下左右へと放散させ、奥へ向かってゆく空間ポケットを浅く決める。…(略)」
 特に傍線部分を注意して読んでいただければ、(アメリカ在住だったのですから、当たり前ですが、)通常聞き慣れた美術用語とは異なった言い回しながら、抽象表現主義の絵画の課題、絵画性を端的に語っていることが分かります。
 内間は、版画というメディアを選び、版画であったためになおさら、抽象表現主義そしてそれ以降の絵画の絵画性=絵画の課題を、きわめて理知的に追求した作家であったといえるでしょう。
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*画廊亭主敬白
大学の一般教養でこういう名調子の講義が聴けるなんて今の学生さんがうらやましい。

〜内間の作品を美術館に寄贈・購入するための委員会があって、そこで作品カタログの資料を見て、まだ、作品そのものは観ていなかったのですけれど、それを見て「これはちょっと凄いかもしれない」って思い始めました。そして実際、展覧会を観たら、確かに凄かったんです。〜

〜それではなぜ「Forest」シリーズではなく、「Forest Byobu」シリーズなのだろうかという核心の部分に入りましょう。屏風の立て方は普通はこのようにジグザグに折ったかたちです。ところがね、屏風のつなぎ目ってこんな風なんですよ、紙の蝶番です。紙蝶番なのでどちらにも開く。こういう構造なので、この石山寺縁起の「浜松屏風」のように、屏風をコの字に曲げて使っているような、乱暴なというか、ルーズな使い方も出来る。つまり、屏風というのは両側に開閉可能、どちらにも行ける、そういうことも内間安瑆は知っていたんじゃないかと思うんですね。
 「Forest Byobu」の絵画空間は、そういうどちらが前に来ても後ろになっても良いという屏風のような空間構造だと、そう意識していたんじゃないかと僕は信じています。まさに色面の空間が前後にゆらぐ典型的な抽象表現主義の空間を、版画という小画面の中できっちり追求している。内間安瑆はそういう偉大な作家だったと思っているのです。〜


久しぶりに学生時代に戻った気分で読ませていただきました。
まだお目にかかったことはありませんが、再録を許可してくれた永津先生には厚く御礼を申し上げます。
下は昨年8月にときの忘れもので開催した「内間安瑆展」の展示風景です。
03



●せっかくですから、画廊コレクションから内間作品をいくつかご紹介します。
動く水平線_600
内間安瑆
「Shifting Horizon 動く水平線」
1960  木版
Image size: 31.7x24.0cm
Sheet size: 53.0x38.0cm
Ed.15 Signed

Reflection in Rain
内間安瑆
「Reflection in Rain 雨の中の光茫」
1965  木版
Image size: 46.0x41.0cm
Sheet size: 49.5x44.0cm
Signed

Aretic_Landscape_600
内間安瑆
「Aretic Landscape」
1973-1976  木版
Image size: 76.0x53.4cm
Sheet size: 83.7x61.3cm
Ed.30 Signed

IN BLUE (DAI)_600
内間安瑆
「IN BLUE(DAI)」
1975  木版
Image size: 47.7x73.6cm
Sheet size: 57.0x78.8cm
Ed.30 Signed


Forest Byobu (森の屏風・秋)_600
内間安瑆
「Forest Byobu 森の屏風・秋」
1979  木版
Image size: 45.5x76.0cm
Sheet size: 55.0x88.0cm
Signed


ForestByobu (Fragrance)_600
内間安瑆
「FOREST BYOBU(FRAGRANCE)」
1981  木版
Image size: 76.0x44.0cm
Sheet size: 83.6x51.0cm
Ed.120 Signed

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