<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第45回

<日々>より、1971年 (2)
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さっきからずっと気になっていることがあるような気がしてこの写真を見ているが、それが何なのかわからない。

犬が顎を上げて鼻を天に向けている。スタイルとしては遠吠えにちかいけれど、口は開いていないし、そもそも窓辺に手をついてそんなことはしないだろう。きちんと揃えられた両手には鼻先とおなじくらい神経が張りつめている。

犬のうしろには竹で編んだ背負い籠のようなものがある。同じものがその背後にも、右手にもあって、それらは天井まで高く伸びている。
あるのは籠だけ、という部屋である。

でも、籠の収納場にしては建物の造りは凝っている。窓のまわりの壁にはガラスキューブがはめられ、その横の壁は小さなタイル仕立てで、上部にはまた別の横長のタイルが張られている。ちょっとモダンな雰囲気を漂わせる建物のなかに、籠と犬が居る。

ところで、彼(犬のことだ)は鼻を上にむけて何をしているのか。空気の匂いを嗅いでいるのか。いい匂いがするが、それはどこだろうと出所を探っているのか。いまは匂いを嗅いでいるけれど、それが終わったらどうする? 
外国の老人のように、窓辺から道行く通行人を眺めて過ごすのだろうか。

と、そこまで来てようやく気になることが何かがわかった。
窓の下にある車のことである。その運転席に人がいない。気になっていたのはそのことだった。
答えは簡単だ、車を駐車して出て行ったんだ、と言う人がいるかもしれない。つまりこの車は路上駐車しているのだと。

でも、どうしてもそうは思えないのである。
道はわずかに傾斜していて、画面左手には何かの影が建物の上まで大きく伸びている。どこか不吉な印象の影だが、その影を出て緩やかな上り坂を進んできた車は、いま窓の下を通過し、彼(犬のことだ)の黒い鼻先が示す方向(そこは陽の当たる場所だ)へと、走り去ろうとしているのである。
坂を上っていく車のエンジン音を、彼(犬のことだ)は聞いたにちがいない。中に人が乗っているかどうかは関心の埒外で、無人とは気づかなかっただろうけれど。

ところで、この部屋の床はどのあたりあるのか。さっぱり想像がつかない。もし彼(犬のことだ)がその床に後脚で立っているならば、窓の位置は異様なほど低くなる。もっと下のほうに床があるならば、何かの上に乗って立ちあがっていることになる。

そこまでして身を乗り出し、追わなければならない匂いとは、いったいどんな匂いなのか。光る鼻先を見つつ彼(犬のことだ)に尋ねてみると、固まった姿勢のままきっぱりと、「アナタには決して嗅ぐことのできない匂いです」と断言したのだった。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
牛腸茂雄
〈日々〉より、1971年
1967-68年撮影(2016年プリント)
(初出『カメラ毎日』1968年10月号、<四匹の犬>)
ゼラチン・シルバー・プリント
Image size: 12.0x18.0cm
Sheet size: 24.0x30.5cm

牛腸茂雄 Shigeo GOCHO
1946年11月2日、新潟県南蒲原郡加茂町(現・加茂市)で金物屋を営む家に次男として生まれる。3歳で胸椎カリエスを患いほぼ1年間を寝たきりで送る。 10代から数々の美術展、ポスター展などに入選。 1965年、新潟県立三条実業高等学校を卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学、その後、リビングデザイン研究科写真専攻に進む。 1968年、同校卒業。デザインの仕事と並行して写真を撮り続ける。 1977年、『SELF AND OTHERS』(白亜館)を自費出版。1978年、本写真集と展覧会により日本写真協会賞新人賞受賞。 1983年、体調不良のため実家に戻り静養を続けるが、6月2日、心不全のため死去。享年36歳。 2004年には回顧展「牛腸茂雄 1946-1983」(新潟市立美術館、山形美術館、三鷹市民ギャラリー)が開催され、2000年には佐藤真監督によるドキュメンタリー映画「SELF AND OTHERS」が製作され大きな反響を呼ぶ。 2013年、『こども』(白水社)、新装版『見慣れた街の中で』(山羊舍)が相次いで刊行された。

●展覧会のご案内
FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館企画写真展
「GOCHO SHIGEO 牛腸茂雄という写真家がいた。1946-1983」

会期:2016年10月1日[土]〜12月28日[水]
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)写真歴史博物館
   〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番3号(東京ミッドタウン・ウエスト)
時間:10:00〜19:00(入場は18:50まで)
会期中無休
作品点数:約30点
入場料:無料
主催:富士フイルム株式会社
監修協力:三浦和人
後援:港区教育委員会
企画:コンタクト

 新しい写真表現の豊穣期であった1970年代、その一翼を担う写真家として注目を浴びながら、36歳という若さでこの世を去った牛腸茂雄という写真家がいました。
 1946年、新潟県に生まれた牛腸茂雄は3歳で胸椎カリエスを患い、長期間にわたって下半身をギプスで固定される生活を余儀なくされたことから成長が止まり、生涯、身体的ハンディとともに生きていくことになりました。10代からデザインの分野で非凡な才能を見せた牛腸の大きな転機となったのが、高校卒業後、デザイナーを志し進学した桑沢デザイン研究所での大辻清司との出会いでした。戦後美術史に重要な足跡を残した写真家・大辻は、新しい世代の礎となる才能を数多く見出した優れた教育者でもありました。「もしこれを育てないで放って置くならば、教師の犯罪である、とさえ思った」。その回想にある言葉通りの大辻の熱心な説得は、牛腸の心を動かし本格的に写真の道を歩む決意を固めます。
 レンズを通して見つめる新たな世界を獲得した牛腸茂雄は、憑かれるように創造の世界に没頭し、カメラ雑誌などに発表した作品が次第に評判を呼び、若い世代の写真家として注目されるようになっていきました。何気ない日常で出会った子どもたち、家族、友人... 静逸で淡々とした作品の奥からこちらを見つめる被写体のまなざしは、写真を通して「自分と世界との関わり」を探求し続けた牛腸茂雄のポートレイトでもあります。その身体的ハンディゆえに「見ること」と「見られること」、「自己」と「他者」との関係性を意識することを強いられていた牛腸が世界を見るまなざしには、常に初めて世界をみたような初々しさと深い洞察が共存しています。

 本展は、<日々><幼年の「時間(とき)」><SELF AND OTHERS>などモノクロ作品のシリーズから精選した約30点により「夭折の写真家」牛腸茂雄の足跡をたどります。近年、再評価の新たな機運が高まる牛腸茂雄が提示する世界は、見るものそれぞれの奥に眠る記憶を呼び起こし、静かで深い感動を呼ぶものと確信します。
(FUJIFILM SQUARE HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。