<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第55回

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この写真を見たときに、最初に目がいったのは、最前列のむかって左側の人たちだった。
腕を組んで横につながり、背筋をピンと伸ばし、片足をすっと前に出すしぐさがダンスのステップを踏んでいるように見えた。

とくにその姿が際立っているのは、中央にいる腕に腕章を巻いたコートの男である。
顎を引いて前方を見据え、胸を張り、上半身に彫像のような緊張感をみなぎらせながら足を踏み出している。となりのメガネの男と比べると、彼のほうが他者の視線を意識しており、中央に立つにふさわしい勇ましさをも感じさせる。

彼の左どなりにいるのは、女性である。スーツなのかワンピースなのか、黒っぽい服をまとい、腕には男とおなじく腕章を巻き、靴はまぶしいくらいの白だ。彼女の肩のラインにも、男と同様の張りつめたエレガンスが感じられる。

彼女が腕を組んでいるのは、前列でもっとも年若い女性である。肩にショルダーバッグをかけ、片手に傘をもった姿は颯爽としていて、大柄のからだから踏み出される足幅は大きく大胆だが、緊張感に関しては中央の男女よりも見劣りがする。どこか日常的な雰囲気なのだ。

それにつづくコートの女性は、明らかに彼女とは世代がちがう。背の低いずんぐりした体形で、歳もかなり上だが、それを感じさせるのは風貌以上に足の出し方である。膝が曲がってガニ股ふうなのだ。

同様に、彼女のとなりにいるコートと帽子姿の女性もガニ股気味。でも、おかしなことに、彼女の足は隣の女性と反対のほうが踏みだされていて、そのために足と同じ側の肩が前に出ている。なんだかふたりで二人三脚しているようだ。

このように、つい足の動きに目が行ってしまうのは、女性たちがみなスカートを履いているせいがだいぶあるだろう。パンツの時代はまだ先のこと、膝のかくれるスカート丈からあらわになった脛が、足のかたちや、出し方や、動きや、歩幅や、歩く速度を際立たせている。

腕組みをして道幅いっぱいに広がるこのようなスタイルのデモを「フランス式」という。ダンスしているように見えるのも、こんなに人がたくさんいるのに汗くさい感じがしないのも、「フランス式」と思ってみると、なんとなく納得するし、隊列の先頭をいく男が掲げる旗の「日教」の文字に気付くと、参加者に女性の数が多いことにも合点がいく。そう、彼らは日教組に入っている教職員なのだ。

道路には敷石がしかれ、都電の線路が通っていて、はるか後方には、身動きのとれなくなった車輛の頭も見える。前進する人の波が都電を押しとどめたのだ。その前進が、なによりも人の足によってなされたことを、この写真は強く訴えかけており、そこに溌剌した希望が感じられる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
濱谷浩
“June 22, 1960” from the series “A Chronicle of Grief and Anger”
1960年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 15.9x24.0cm
Sheet size: 16.9x24.9cm
(C)Keisuke Katano / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film
*当該作品は1960年に刊行の『怒りと悲しみの記録』の入稿原稿。プリント背面に作家が押したスタンプと手書きの制作年記載あり。

■濱谷浩 Hiroshi HAMAYA
1915年東京生まれ(1999年没)。1933年、二水実用航空研究所に入所し航空写真家としてキャリアを始め、同年オリエンタル写真工業株式会社(現・サイバーグラフィックス株式会社)に就職。1937年に退職し、兄・田中雅夫と「銀工房」を設立。1938年、土門拳らと「青年写真報道研究会」の結成や、瀧口修造を中心とした「前衛写真協会」設立に参加。1939年にグラフ雑誌『グラフィック』の取材により新潟県高田市を訪れ、民俗学者・市川信次や渋沢敬三と出会う。1941年、木村伊兵衛、原弘らを擁する東方社に入社するも、43年に退社。同年、太平洋通信社の嘱託社員として日本の文化人を取材。1960年マグナムの寄稿写真家となる。主な個展に「写真家・濱谷浩展」川崎市市民ミュージアム(神奈川、1989年)、「写真の世紀 濱谷浩 写真体験66年」東京都写真美術館(1997年)など。主な写真集に『雪国』毎日新聞社刊(1956年)、『裏日本』新潮社刊(1957年)、『怒りと悲しみの記録』河出書房新社刊(1960年)など。主な受賞に第2回毎日写真賞(「裏日本」にて、1956年)、日本芸術大賞(『濱谷浩写真集成:地の貌・生の貌』にて、1981年)、ハッセルブラッド国際写真賞(1987年)など。

●展覧会のご紹介
六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで濱谷浩さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

濱谷浩「怒りと悲しみの記録」
会期:2017年7月8日[土]〜8月12日[日]
会場:タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
   〒106-0032 東京都港区六本木5-17-1 AXISビル2F
時間:11:00〜19:00
日・月・祝日休廊

濱谷は1930年代より、人間と人間を育む環境・風土の関係を透徹した眼差しで捉え、峻厳な態度で写真の記録性に向き合い、時代を映す重要なドキュメントを数多く残しました。本展では、濱谷が1960年の日米安保闘争を1ヶ月に亘り取材し上梓した『怒りと悲しみの記録』(河出書房新社、1960年)より約22点を展示いたします。

東京に生まれた濱谷浩は、モダニスムの空気が漂う1930年代に都会や下町における新旧の混沌たる市井風俗を撮影し、1933年、西欧の先進的な芸術動向を紹介したカメラ雑誌『フォトタイムス』を刊行していたオリエンタル写真工業に就職しました。グラフ・ジャーナリスムの確立や新興写真の隆盛など、近代写真表現の模索に伴い、写真家という存在も近代化へ向かっていた時代において、堀野正雄や木村専一といった新時代を象徴する写真家や編集者との出会いは、濱谷にプロフェッショナルとしての写真家の在り方を意識させる機会となりました。新進気鋭の写真家として活躍する傍ら、「前衛写真協会」の設立に携わるなど、写真の近代化の最先端に身を置いていた濱谷は、グラフ雑誌『グラフィック』の仕事で新潟県高田市の陸軍スキー連隊の冬季演習を取材した際、民俗学研究者・市川信次や民俗学資料博物館を主宰する渋沢敬三と出会い、また和辻哲郎の著作『風土:人間学的考察』に感銘を受けたことを通じ、それまで都会の華やかなものに向けられていた視線を、人間とその形成に基底的な作用を持つ風土に転じ、時代の転換の中でこれらを記録することの重要性を改めて認識するようになりました。

記録することは、人類が人類であるために絶対に切り離すことのできぬ人間的な貴重な行為なのである。そして写真こそは、その最も近代的機能をもったものであるといえる。
濱谷浩、「写真の記録性と記録写真」、『カメラアート』カメラアート社、1940年12月終刊号

1940年、新潟県・桑取谷における小正月の民俗行事を撮影する中で、雪深い越後の庶民の古典的な生活と向き合い、人々の自然に対する畏怖と調和の精神を目の当たりにした濱谷は、以降10年に亘り山間の村に通い『雪国』を発表します。その後、より広範に日本列島の気候風土、歴史的な地域社会の成立過程とその現況を確かめるべく、日本海沿岸の厳しい自然風土の中で暮らす人々を取材記録した『裏日本』の冒頭には、「人間が人間を理解するために、日本人が日本人を理解するために」という濱谷の生涯のテーマとなる言葉が記されています。

戦争へ向かう情勢の中、濱谷は東方社に入社し対外宣伝グラフ誌『FRONT』の撮影をするも、社の幹部と衝突し退社します。多くの写真家の仕事が戦時下の体制に組み込まれていく中で、濱谷は一貫して厭戦思想を貫き、1944年には新潟県高田に移り終戦を迎えました。戦後の高度経済成長の中、濱谷は1960年の日米安保闘争を市民の立場で客観的に取材、約1ヶ月間で2,600点にも及んだ記録は『怒りと悲しみの記録』として出版されました。

それまで、私は政治的な取材には縁が薄かった。だが今度は違う。五月十九日の強行採決、民主主義を崩壊に導く暴力が議事堂内部で起こった。私は戦前戦中戦後を生きてきた日本人の一人として、この危機について考慮し、この問題にカメラで対決することにした。
濱谷浩、『潜像残像:写真家の体験的回想』、河出書房新社、1971年、p.198

1960年にマグナム・フォトにアジア人として初めて参加した濱谷の写真は、広く欧米で関心を集め、「怒りと悲しみの記録」は6月25日付『パリ・マッチ』に掲載、その後マグナムを通じてイギリスの『ザ・サンデー・タイムス』でも連載され、日本では写真展が銀座・松屋を皮切りに日本全国の展示会場や大学を巡回しました。しかしながら、高まりを見せていたはずの政治意識の急速な萎靡沈滞とその後に続く擬似的な太平・繁栄の氾濫を受け、日本の政治体制や人間に対して大きな失望感を抱いた濱谷は、日本人の特異な性質との因果関係を自然に求め、「人間はいつか自然を見つめる時があっていい」とし、60年代後半より科学的な視点から自然風景の撮影へと向かいます。その後も南極やサハラ砂漠など海外の辺境へと視点を移し撮影を行なった濱谷の活動は、常に「人間と自然の課題を自身の目で探る」ことに根ざし、そのヴィジョンは写真が社会とどのように関わりうるかを問い続けています。
協力:Marc Feustel(Studio Equis)
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムHPより転載)

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。