倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」

第8回 時代からの出航 マルセイユのユニテ・ダビタシオン


倉方俊輔(建築史家/大阪市立大学准教授)


画:光嶋裕介(建築家)
原画

 優れた設計者が時代に乗って本領を発揮するとすれば、「建築家」は時代からズレたときに本領を発揮する。建築におけるモダニズムの中に、そんな作家の領分をはっきりと確保したのは、ル・コルビュジエだった。大文字の建築は延命した。モダニズムは建築の歴史の中の1ページとなった。作家の死が訪れることもなかった。建築の改革者ではなく、建築という聖域の擁護者としてのコルビュジエの像が明瞭になったのは、第二次世界大戦の後。戦後をちょうど20年生きた彼は、1965年に没した頃から一層、戦後から遡行して分析され、研究され、世俗の荒波の中にあってよく建築を守り抜いた聖人として、そのように建築家が存在できることのイコンとなった。
 マルセイユのユニテ・ダビタシオンは、その始まりである。1945年に復興・都市計画大臣のラウル・ドートリーから設計の話を持ちかけられ、官僚らとの多くの交渉の中での敷地や計画の変転を経て、1947年に着工した立体都市が、1952年に完成した。
 眺められるのは、打放しコンクリート仕上げで自らが何でできているかを露わにした、長さ約165m、幅が約24m、高さが約56mの直方体である。17層に337戸が収まっている。想定されている入居者は約1,600人。単身者向けから大家族向けまで、23種類の住戸タイプがある。
 巨大な直方体は34本のピロティに支持され、大地から浮き上がっている。ピロティは人間のスケールよりもはるかに大きい。構造体でありながら、描くカーブの中に配管類を通している。構造と設備は、直上のメガストラクチャーに続いている。コルビュジエが言うところの「人工土地」だ。中には機械設備が入る。構築された人工空間を、ピロティと人工土地はダイナミックな造形で持ち上げ、地上を歩行者に開放したことを誇っているのだ。
 直方体の中の共用廊下は、長手方向に5本しかない。各住戸は2層の構成となっていて、住戸内の階段で結ばれている。3階を1セットにして、断面方向に噛み合った形の真ん中に共用廊下が位置している。これは「室内道路」と命名された。廊下の総数を減らして空間を有効活用した分、幅は広い。上からも下からも中間に当たる7、8層の共用廊下は、そのまま公的なスペースへの動線になっている。確かに道路と呼べるかもしれない。ショッピングセンターがあり、薬局、郵便局、クリーニング店などが設けられ、ホテルの入り口もここに面している。
 この中間層にある公共施設を理由に、直方体の外観も変化する。2層吹き抜けの縦桟のブリーズ・ソレイユと、直接アクセスするための外階段がそれだ。ちまちました1層ごとの間取りにしなかったことと合わせて、遠望に応える存在感を増している。都市としての建築であることと、都市の中の建築であることは、こうして呼応し合っている。
 持ち上げられた直方体は、大きな声で大地と対話していた。都市と挨拶を交わした。最後に向き合うのは天空だ。この建物の最も造形的な要素は、屋上にある。幼稚園の入る部分は、まるで別に設計された一戸の独立住宅である。脚元のピロティとは異なって、こちらのピロティは戦前のサヴォア邸のごとく、重力と無縁であるかのような細い丸柱。ただし、外壁は打放しコンクリートと別物で、タイルが埋め込まれ、素材を扱う手の痕跡を強めている。
 脚元のピロティを反復するかのようでありながら、何も支えていないことで陽光の中でシュールレアリスティックな排気口。練ったコンクリートが放置され、凝固したような不整形な遊び場。タイルが輝くプールの水面。いずれも地中海沿いの都市であるマルセイユの空と海とに呼応する。同じ形状であるわけではなく、違う単語の同一言語であるようにコミュニケーションを交わしている。建築と既存の大地・都市との関係と同じように。
 建築は重力に規定されている。素材に規定されている。環境に規定されている。1920年代のコルビュジエは、それをいったん括弧にくくることで、人間の自由の幅を広げた。そんな条件に頼らない「無重力」の表現として、建築は十分に有効な、独自のアートであることを示した。
 マルセイユのユニテ・ダビタシオンでコルビュジエは、別の可能性を明快に提示した。重力、素材、環境は、もう表現において、あえて無視されてはいない。それらとかかわることができる。むろん、かかわらないことだってできる。どちらかを選択し、呼応の仕方を決めるのは人間だ。場合場合の選択によって、建築の可能性は拡張されている。
 建物は1952年の竣工以前から、すでに世界に影響を与え始めていた。第二次世界大戦後の復興において、模範の一つとなる作品として受け取られた。各地の集合住宅や都市再開発の中に、その残響を聞くことができる。

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 もちろん、現地を訪れて印象づけられるのは、後の多くの模倣者とは異なる存在感だろう。造形としての一体感がある。彫塑的な印象を強めているのが、打放しコンクリート仕上げだ。白あるいは淡い色彩に仕上げることが多かった戦前の彼の作品とは違った特徴は、すぐに世界中で流行した。打放しコンクリート仕上げという戦後の風潮に大きな影響を与えたことは、本作に関して特筆される事柄だろう。
 それでも戦前からのコルビュジエとの強い連続性は、組み立てられた感覚にある。1930年代以降、コルビュジエはジャン・プルーヴェと共同で、いくつものプロジェクトを進めた。これもその一つだった。当初、鉄骨造が検討されたが、遮音の関係などで断念された。代わりに採用されたのは、プルーヴェが提唱したワインラック状の構成である。鉄筋コンクリートのフレームの中に、工場生産した規格化されたユニットを挟むというものだ。結局はほとんど現場での生産となったが、コルビュジエは作品集において、ユ
ニット同士が独立してフレームの中に組まれていることを強調している。
 全体から分割するのではなく、独立した部分の組み立てとして建築を考える特徴が、戦前からコルビュジエには見いだせる。それが彼の後期作品と似て見えるかもしれない彫塑的なべたっとした造形作品との隔たり、配置計画から落とし込んでいく、ありきたりの集合住宅との違いでもある。
 単に住戸ユニットの特徴にとどまらない。ピロティ、人工土地といった構成も、個々の機能が組み立てられた一種の爽やかさを備えている。屋上のさまざまな要素にも、意味に取り囲まれた暑苦しさはない。工業主義的な威圧感からも、それと反対のテーマパーク感とも離れている。組み立てられた感覚があるからだ。
 個々の要素が分離して考えられることが、マルセイユのユニテ・ダビタシオンを孤立した傑作にはしなかった。各要素はそれぞれに発展可能だ。例えばピロティの脚の形態にしても、人工土地の考え方にしても、ビルディングタイプを超えて、それぞれに世界中で真似され、展開された。いや、都市的な複合体というビルディングタイプも、それ自体、独立して参照できる要素となる。全体を分解し、組み立てとして再構成し、しかも異なる機能が壁を隔てて同居する。組み立てられた感覚という持ち味は、クールにプログラムを再編するような、ずっと後年の建築にも影響を与えたことだろう。
 だから、言葉にすると奇妙かもしれないが、現在におけるマルセイユのユニテ・ダビタシオンの初体験には「初めて目にした」と「見たことがある」が同時にある。計画から70年近くの間に、この建築は散種され、私たちはすでに出会っている。

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 マルセイユのユニテ・ダビタシオンは、一方で重力・素材・環境と和解したことによる現地に適合した良作であり、他方で部分に分解されて世界各地の多くの設計者に消費されたのだろうか。その2つに解消できない要素がある。組み立てられた全体が目指した先だ。
 第二次世界大戦後の都市は、車によって変わった。ル・コルビュジエ自身も車による移動を念頭に置いた都市計画を下敷きに、マルセイユのユニテ・ダビタシオンの計画を練っている。しかし、なぜこの作品は、ここまで船舶のメタファーに満ちているのだろうか。
 車は第二次世界大戦後の都市をますます席巻する。個人が独立して所有し、自己顕示のできる存在である。機能が直接に反映した形態であることを超えて、流行し、買い換えるものだ。それは戦後の建築のメタファーで あるかもしれない。
 しかし、コルビュジエは、共同体である時代遅れの船舶にこだわっている。組み立ての向かう先は、そんな個人的な情念ではないだろうか。ここにいるのは、戦前のように時代に同伴する建築家ではない。
 ブリーズ・ソレイユや打ち放しコンクリートという本作における要素は、戦後に独立を果たした非ヨーロッパ諸国に用いられるだろう。個々にバラバラになるだけではなく、かといって世界一律でない、共同体としての船舶は、コルビュジエの思いを超えて、戦後という方向性のない世界に船出をした。そんな深みを持つ作品も、時代とズレたことによって可能になったのだった。
くらかた しゅんすけ

■倉方俊輔 Shunsuke KURAKATA
建築史家。大阪市立大学大学院工学研究科准教授。1971年東京都生まれ。著書に『東京レトロ建築さんぽ』『ドコノモン』『吉阪隆正とル・コルビュジエ』、編著に『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』ほか。
生きた建築ミュージアム大阪実行委員会委員

表紙
『建築ジャーナル』
今年の『建築ジャーナル』誌の1月〜12月号の表紙を光嶋裕介さんが担当することになりました。
テーマはル・コルビュジエ。
一年間にわたり、倉方俊輔さんのエッセイ「『悪』のコルビュジエ」と光嶋裕介さんのドローイング「コルビュジエのある幻想都市風景」が同誌に掲載されます。ときの忘れものが企画のお手伝いをしています。
月遅れになりますが、気鋭のお二人のエッセイとドローイングをこのブログにも再録掲載します。毎月17日が掲載日です。どうぞご愛読ください。

◆倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。

●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
20170917_04
光嶋裕介 "幻想都市風景2016-04"
2016年 和紙にインク
45.0×90.0cm   Signed
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