ギャラリー  ときの忘れもの

001_外観1
このブログ上の図版、写真、文章等のすべてについて無断転載・無断引用を禁止します。

手の痕跡が示す〈挑戦〉の彼方

〜国立新美術館「安藤忠雄展」を見て〜

光嶋裕介(建築家)


 美術館は、「美」を展示する場所であり、当たり前だが、建築は、動くことができない。では、美術館で開催されるすべての「建築展」には、実際の建築に込められた美を、違った形で「抽出」し、展示することが求められる。模型や図面、スケッチがそうだ。三次元である建築物を小さく縮小した模型、建築物をつくるための方法が記された図面、設計者が建築物を発想した痕跡が残るスケッチなど、建築に込められた美を抽出する方法は、さまざまだ。展覧会でもって建築の「美」を表現するには、建築そのものを設計するのとは違った手法と思考が求められる。それは、繰り返しになるが、「建築が動かない」からだ。
 では、建築が空間としてひとつのメディアであるとしたら、実物の建築を体験する以上の「メッセージ」を果たして「建築展」は、発信することが可能であるのだろうか。実際に世界中に建築を設計し、日本を代表する建築家である安藤忠雄という建築家の仕事をすべて体験することは、もちろん難しい。だから、実物の建築を見に行くよりも、こうして建築展を通して、建築家・安藤忠雄がその人生をかけている仕事を網羅的に理解し、その全体像らしきものが開示されることには、実物の建築体験より豊かなものがあるのかもしれない、と思えてくる。《挑戦》と付けられたタイトルからも、この展覧会に掛けた安藤の並々ならぬ想いが伝わってくる。

 とにもかくにも、行ってみた。平日の朝にもかかわらず、長蛇の列ができ、老若男女、外国人観光客の姿も多く、会場はえらく賑わっている。やはり、このナショナル・アーキテクトの立っている場所から見える風景に多くの人たちの関心が集まっていることは、間違いない。有名、無名、果たしてこれほどまでに注目される建築家が他にいるだろうか。もう、これだけで、この展覧会が開催された意義は大きい。
 しかし、私は三時間近くこの展覧会をじっくり隅々まで見させてもらって、その仕事に深い敬意を示すものの、すっかり困惑してしまった、というのが率直な感想である。その膨大たる仕事の質量ともに圧巻の展覧会であることは、誰の目にも疑いなく、素晴らしいものを見せられて、圧倒されてしまったのだが、同時に無力感と脱力感が襲ってきて、困惑した。

 事実、安藤建築の代名詞といえるコンクリートの列柱のレプリカから展覧会がはじまり、彼の創造の原点である大阪にある安藤忠雄建築研究所の吹き抜けの中心にある打ち合わせテーブルが、その周りの本棚とともにそっくりそのまま再現されており、まさに建築家のすべてが露出されている。何より、展覧会の目玉は、安藤の代表作である《光の教会》の原寸大のインスタレーションだろう。まったく前代未聞の試みであると言わざるを得ない。他にも、水の都ヴェネチアでの《プンタ・デラ・ドガーナ》にはじまる一連の仕事に、パリの旧・商品取引所《ブルス・ドゥ・コメルス》、ライフワークでもある直島での多くの仕事が次々と紹介されている。これでもか、これでもか、と続く安藤建築のエネルギーは見る者を完全に虜にする一貫した強度が作品にある。
 ところが、最後に「樹を植える」一連の試みを映像で見て、展覧会場を後にすると、もっとも心に響いたのは、意外にも、最初の方に展示されていた《住吉の長屋》の27枚の原図の展示である。群を抜いて私は、この原図たちに「美」を感じたのである。安藤忠雄という建築家が「手で思考する」ということが、強く表明されていて、すっかり見入ってしまった。もう40年以上も前に描かれたはずの図面たちが、何故美術館に展示するに値するほどの「美」を獲得できたかについて考えを巡らせてみた。

 建築そのものが空間として、非言語的なメッセージを含む情報を発信しているとしたら、こうして建築展には、実際の建築とは別の「何か」が表現されてなければないと、先にも述べた。そして、私は今回の展覧会であらゆる展示物の海の中から序盤の壁にきっちり額装された《住吉の長屋》の原図に一番惹かれたと改めて断言できる。それは、建築家の頭の中にだけあるはずの世界観が、建設するための図面たちに見事表出されていて、あまりにも美しく、息を呑んだからだ。
 幾度となく重ねて上描きされた結果が、ボロボロになった紙からも窺える。今では、一般的に図面はデジタル化され、モニターを見ながらマウスでクリックして製図しているのだが、昔は、トレーシングペーパーに鉛筆(正確にはきっと「ホルダー」というシャープペンシルのようなもので描かれている)で線が引かれ、青焼き機を通して感光されて、図面が完成する。あらゆる紙が不要となり、合理的なデータとなったことで、失われたのは、「身体性」であろう。つまり、デジタル化によって、線の太さがなくなり、建築図面からスケールが失われ、手で思考する身体性が引き剥がされてしまったのだ。
 そして、安藤の処女作といわれる《住吉の長屋》の原図たちには、他ならぬ芸術としての「美」がこの身体性に裏打ちされた状態で深く宿っている。精密かつ正確に描かれているのはもちろんだが、線の種類のみならず、陰影の付け方にまで徹底した哲学があり、圧倒的に美しい。建築を設計すること対する建築家の誠意がにじみ出ているのだ。それは、図面のレイアウトの美しさや寸法線の入れ方にも垣間見ることができる。それだけでは、ない。
 これらの原図たちには、みっちり図面が描かれていて、余白がまったくないのだ。ついには、立面図や断面図の上から、アクソメ図が描き重ねられている有り様だ。新しい紙に描けばいいようにも思うが、ここに、安藤が「描かずにはいられない」ことが圧倒的熱量と共に表明されているのである。ここにこそ、彼独自な表現が結晶化されている。
 加えて、平面図には、隣接するふたつの町屋の内部の様子まで克明に描かれていたのには、驚いた。自分で設計している住宅の両サイドの住宅の平面図をも描いていることは、設計者としての視野の広さに他ならない。

 本来は建設方法を正確に表記するツールに過ぎないはずの図面が、こうして美術館の中で展示されるような作品としての強度を獲得していることは、先に述べたように、デジタル化された現在の建築図面がオリジナルとしての「アウラ」を失ったからだけではないだろう。やはり、展示されている《住吉の長屋》の原図たちから読み取れるのは、若き安藤が徹底的に考え抜いた建築家としての熱量であり、ボクサーでもあった建築家としての身体性が表出しているからである。圧倒的な情報量なのだ。
 私は、あの図面たちから、建築家としての「挑戦」を見た。自然との共生、光の建築としての挑戦、モダニズムの超越、生活の新しい豊かさへの挑戦などである。そんなラディカルで、純粋な思想に共感したクライアントの東氏の存在は、計り知れない。戦う施主という同志を得たことが、奇跡のはじまりなのである。
 建築家は、一人ではなにもできない。良きクライアントたちが今の安藤をつくり上げたのであり、その最初の挑戦が建築史に輝く名作となって実を結んだのが《住吉の長屋》であり、その証拠こそ、あの原図たちであると感じたのだ。その後安藤建築は、世界のロックスターであるボノ(U2)をはじめ、ピューリッツァーやピノーといった世界の名だたる人たちを虜にし、世界中に次々と建築をつくっていく。安藤のクライアントへの敬意は、この展覧会にもところどころに展示されている、彼らにプレゼントしたというポップアートのような手作りパネルにも窺える。

 さて、私の困惑の正体が何かというと、それは《住吉の長屋》の図面以降、安藤の手の痕跡がすっかり見えなくなってしまったことにある。それは、安藤の建築に対する身体性の欠落にもつながるのかもしれない。かろうじて《光の教会》の原寸インスタレーションではなく、その後に展示されていた「シルクスクリーン」が救いであった。というのも、やはり美術館で建築展を開催するということは、実物の建築よりもその先にある建築家の「挑戦」を我々は見たいのであり、もっともそれがダイレクトに表現されていたのが、ミニチュアの模型でもなく、写真や映像でもなく、手の痕跡が残る原図とドローイングによるシルクスクリーン群だったのだ。安藤のシルクスクリーンには、実物の空間に降り注ぐ「光」が抽象化された状態で描かれていた。言葉を必要としない「美」がそこにははっきりと捉えられている。
 私が、同じ建築家として、大きくて遠い安藤さんの背中を追いかけるためにも、その圧倒的な熱量でもって「手で思考」された安藤建築に、これからも挑戦してもらいたい。展覧会は、もう充分だ。今回のもので、ほかの建築展をすべて無効にしてしまうほどのインパクトをつくったのではないか。
 「安藤忠雄」という建築家は、後にも先にも、一人しか存在しない。そして、そんな現代のスタンド・アローンの巨匠は、一切ブレーキを踏むことなく、今なおエンジン全開でアクセルを踏んでいる。
こうしま ゆうすけ

01安藤忠雄
住吉の長屋
1998年 シルクスクリーン
Image size: 43.0×69.5cm
Sheet size: 60.0×90.0cm
Ed.35  サインあり


「安藤忠雄展―挑戦―」
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
会場:国立新美術館
20171004_安藤忠雄展


20171004_安藤忠雄展_裏

〜〜〜〜〜〜〜
●ギャラリートークのご案内
11月16日(木)18時より 植田実・今村創平トーク<ジャパンネスのこと、都市住宅のこと>
現在フランスで開催中の<ポンピドーセンター・メス「ジャパン・ネス 1945年以降の日本における建築と都市」の報告をするとともに、建築展覧会のあり方、建築の表現についてお話をします。また、同展にてフォーカスされた建築雑誌『都市住宅』について、同展での展示の狙いなど、同誌の元編集長植田実さんとお話しします。(今村創平)
*要予約:参加費1,000円

●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円


中村美奈子さんが瀧口修造にオマージュした文鎮を制作しました。
中村美奈子 文鎮こげ茶、赤、緑、オレンジの4色あります。
一個:大5,500円 小5,000円(税別)
二個組:10,000円(税別)
三個組:14,000円(税別)
紙ケース付、送料は一律500円(何個でも)。
瀧口ファンならずとも手元に置きたくなるような色彩豊かな佳品です。特別頒布中ですのでどうぞご注文ください。


●六本木の国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
オープニングのレポートはコチラをご覧ください。ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット