森下明彦「金坂健二とその時代」その2

ウォーホル・メカス・金坂


 前稿に続き、今回は第三の人物、金坂健二(1934〜1999年)に登場していただく。とは言え、その膨大な著述の全てを扱うのはかなわず、いくつかに限定して進めていかざるを得ない。
 金坂健二は1957年、慶応義塾大学文学部英文学科卒業。1961年に渡米し新たな映画の動向に出会い、帰国後に映画評論を執筆し始める。再び64年から足掛け3年に及び、長期にアメリカやメキシコに滞在した。1966年に帰国後、草月シネマテーク第12回「アンダーグラウンド・シネマ――日本・アメリカ」(草月会館ホール/1966年6月29日〜7月2日)の企画・実施に貢献する。この国で初めて(ある程度)まとまって日米の先端的な映画作品が紹介され、大盛況であった(京都、大阪、札幌にも巡回した)。
 その中ではスタン・ブラッケージの諸作品が注目されるが、カール・リンダーの《悪魔は死んだ》(1964年)が特に人気があったと言う。日本からはドナルド・リチー、飯村隆彦《Ai (Love)》(1962年)ほかと、アメリカで制作した金坂の《アメリカ・アメリカ・アメリカ》(1966年)など――両国合わせて10本が上映された(なお、同年10月から11月にかけて、現在の東京国立近代美術館である国立近代美術館にて開催された、「アメリカ短編映画の20年」も忘れてはならないだろう)。
 この上映会のもう一つの意義は、あのジョナス・メカスの有名な宣言がパンフレットに掲載されたことだ(訳は金坂。抄訳ではあるが)。その良く知られた末尾はこうであった――「ピカピカした、ペラペラしたニセモノはもうゴメンだ。荒けずりでナマでいい、生きていてもらいたいのだ。バラ色じゃなくていい。血の色をした映画が欲しいんだ。」(全訳は少し遅れて「映画評論」1966年9月に掲載された)。
 以後、金坂もその牽引役となった、いわゆる「アングラ・ブーム」の渦中に置かれることになったこれらの新しい作品群は、さまざまな毀誉褒貶が入り交じる中、紆余曲折を経ることになる。草月会館ホールでは、「アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル」(1967年3月)、「アメリカの実験映画――シュールレアリスムからアンダーグラウンド・シネマへ」(朝日講堂、草月会館ホール/1967年5月)などが立て続けに開かれ、公募をも含む「第1回草月実験映画祭」(1967年11月)に至る(アンディ・ウォーホルの《ヴィニール》〔1965年〕上映)。翌年には「フィルムアート・フェスティバル東京 ’68」(1968年10月)と改称され、公募部門の最優秀作品賞に原正孝(將人)の《おかしさに彩られた悲しみのバラード》(1968年)が選出された(前回引き合いに出したトニー・コンラッドの《ザ・フリッカー》はこの時に紹介された)。
 ここでは詳述は出来ないが、概ねこのような経過を辿り、この国の個人的、実験的な映像制作は続いていく。忘れてはならないものとして、メカスが主宰する組織に似た作家組合や配給組織に関する提案が金坂健二から出され、(「我々は何故コーポラティブを作るか――アンダーグラウンド独立宣言」〔「映画評論」1968年4月〕)、「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ」が発足したことを挙げておきたい。「アングラ・ブーム」に欠けているのは「協力な作家集団」であるとして、「自由な個性を持つ映像作家の集合である協会の設立」を呼びかけている。
 1969年辺りから、金坂健二は自らが牽引してきた新たな映像創造のうねりに対して、別なる行動を開始する。例えば「ニューズリール・ジャパン」の結成(1969年6月)がそうであり、1970年の大阪万国博覧会開催に向けた反対闘争につながる。やがてかの「フィルムアート・フェスティバル東京1969」の初日中止へと至るわけである。
 さて、金坂健二の論考を手短に復習しておきたい。20歳台後半の金坂が1961年に初渡米し、彼の地で新たな映画興隆、つまり「独立映画製作」の作家たちの存在を直接目の当たりにして紹介し、論じたのは1962年のことであった(「オフ・ハリウッド・シネマ」〔「映画評論」1962年7月〕)。後に「アンダーグランド・シネマ」や「個人映画」と呼ばれる動向を知らせたものとしてはきわめて早いものであった。そうした動向の背景に、ディズニー・ランドとハリウッドを重ね合わせ、「閉ざされて生命を奪われたカンヅメ化」を嗅ぎ取っている。これこそ、新たな映画を生み出す背景としての状況なのである(文章の題名がいみじくも示している)。
 アメリカの実践は各地にまたがり、その全貌を短期間でつかむのは困難と言えるが、それにしても金坂の言及した作家たちは傾向や流派の点でも幅広いものであった。要する「牘撚荵唆鉢瓩離▲鵐船董璽爾箸靴董映画に新しいエネルギーを注入し甦らせようとする姿勢」が肝要であり、その点ではイギリスやフランスなど諸外国の実践も合わせて、「明日の映画の可能性を背負っている世代の見取り図を作るのも良い」としている。いずれにせよ、帰国後に金坂健二自身が初めての映画作品、《燃えやすい耳》(1963年)を制作するに至るほど、アメリカでの見聞は彼をして新たな映画創造(と、その運動)へと駆り立てたことは間違いないだろう。
 奇妙なことであるが、金坂がメカスの宣言文などを翻訳し、自らの論考を発表し、アングラを喧伝していくのは1966年以降になってからである(それまでは、主としてアラン・レネやロブ・グリエ、ルイス・ブニュエルほか国内外の革新的な監督たちを取り上げていた。先述の「見取り図」作成の一環であろう)。その時間差の理由は私には分からない。
 1966年の上映会、「アンダーグラウンド・シネマ――日本・アメリカ」の少し後に刊行された論考で、金坂は1962年以来の主題を再び細かに論じている(「アンダーグラウンド・シネマ論」〔「映画評論」1966年10月〕)。背景となるアメリカの文化を変容を説き(ヴェトナム戦争の泥沼化、など)、そこに「映画における人間の自由の追求」であるアンダーグラウンド映画の成長を重ねていく。ウォーホルに関しては後にまとめて論じることにし、取り上げた作家の名前だけ挙げれば、ブルース・ベイリー、スタン・ブラッケージ、ジャック・スミス、ジョナス・メカスほかである。末尾では自由の追求が激しさを増した結果、「時代の狂気を媒介として芸術の中に自ら、もうひとつの狂気を培養する」ようになると書き、その強烈な例としてケネス・アンガーを紹介している。
 しばしば金坂の主張に出てくる基本的な思考は、当時の新しい芸術が「意識とそれによって構成される主体への懐疑」をもたらすと言う点にある(例えば、「複層メディアの時代」〔「アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル」カタログ/1967年〕)。その意識を規制するのが言語である。しかし、現在の環境は「メディアの海」であり、「できあいの言語の船に乗って無傷でその海を渡」ることは出来ない。したがって、「多層的な感覚の解放、メディアそのものの構造への考察によるコミュニケイション・チャネルの開発」が要請されることになる。
 前者(感覚解放)に関しては金坂にとっては幻覚作用をもたらすLSDすら、一つのメディウムなのであった(金坂自身、いくつかのサイケデリック・ショーを演出し、ディスコを企画している)。後者(メディアの構造)は、例えばコンラッドの仕事におけるようにむしろ科学者的な眼差しで映画を創造させることにつながるだろう。
 一つ、注目すべき仕事が1968年に誕生している。先に触れた「ニューズリール・ジャパン」を後に一緒に立ち上げたりする中平卓馬も加わった、『アンダーグラウンド・ジェネレイション』(ノーベル書房/1968年)と言う、もはや写真集とは呼べないような「本」の出版だ。写真をコラージュしたり、つげ義春の漫画を組み込んだりと、かなり奔放に構成されており、これを複層メディアの(あるいは、後述の「インターメディア」の金坂なりの)具体化の一つの例と看做して良いだろう(ここには金坂の編集者的な資質が良く表れていると評価出来る。なお、私は現物を拝見出来ず、国立国会図書館デジタルコレクションを利用した)。
もりした あきひこ

■森下明彦 Akihiko MORISHITA
メディア・アーティスト/美術・音楽・パノラマ愛好家。作品制作や上映会の企画を行うかたわら、美術や映像の調査研究を進めている。

●今日のお勧め作品は、金坂健二です。
20171216_014金坂健二
《アンディ・ウォーホル》
1968年
ゼラチンシルバープリント
27.0x34.5cm
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◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催しています。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊
201712_WARHOL

1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60〜70年代を回顧します。
会期中毎日15時よりメカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60〜70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。

◆埼玉県立近代美術館の広報紙 ZOCALO の12月-1月号が発行され、次回の企画展「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が特集されています。館内で無料配布しているほか、HPからもご覧いただけます。

●書籍のご案内
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別) 
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別) *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れもので扱っています。

国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展―挑戦―」は20万人を突破、会期も残り僅かです(12月18日[月]まで)。
展覧会については「植田実のエッセイ」と「光嶋裕介のエッセイ」を、「番頭おだちのオープニング・レポート」と合わせ読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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