埼玉県立近代美術館「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展を見て

土渕信彦


去る2月15日、埼玉県立近代美術館で開催されている「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展を観てきた。同展についてはすでにこのblogでも、現代版画センターの機関誌に寄稿されていた植田実先生をはじめ、草創期に参加されていた西岡文彦氏や、当時からコレクターとして関わって来られた荒井由泰氏、ときの忘れものから版画をエディションしている建築家の光嶋裕介氏、国立近代美術館美術課長の大谷省吾氏らによって詳細かつ的確に紹介されているので、実際に関わりがあったわけでもなく、専門の研究者でも作家でもない私が今さら寄稿しても、屋上屋を重ねることにしかならないのだが、たいへんインパクトのある展覧会だったので、以下に感想をまとめる。

1.展示と図録について
会場に入るとまず展示されているのは靉嘔のシルクスクリーンだった。3色で摺った「I love you」、多色の「大きな透明な木」をはじめ、どの作品も今刷り上がったばかりのように初々しい。靉嘔といえば誰しもがあの虹色を思い浮かべると思うが、改めて「こんなに美しかったのだ!」と驚かされる。これこそ実作に接した者のみが抱くことのできる感動に他ならず、図録や画集を見ただけでは決して味わうことができないだろう。
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靉嘔「大きな透明な木」 撮影:酒井猛

この「いま刷り上がったばかりのように美しい!」という印象は、続いて展示されている木村光佑、高柳裕木村利三郎関根伸夫や、まとまった点数が展示されているオノサト・トシノブ大沢昌助菅井汲元永定正らの作品にも、総じて共通している。磯崎新の作品は今見ても時代を超越した未来性を感じさせるが、逆に島州一の作品は、まとめて観る機会があまりないためか、いかにも70年代を思わせる。良く知られたA.ウォーホール「キク」、草間彌生「カボチャ」はもちろん、加山又造「レースをまとった人魚」、舟越保武「若い女」までが、現代版画センターのエディションだったのだと、改めて驚かされた。

会場をひとわたり歩いて作品を通覧すると、写真集をめくっていくのと同様、70〜80年代の時代性が感じられる。現代版画センターが活動していた1974〜85年に、刷り師が紙の上に定着していたのは、単に版画作品というだけでなく、当時の時代そのものだったのかもしれない。展覧会のタイトルも、「版画の景色」というよりはむしろ、版画を通して見た「時代の光景」と言った方が相応しいように感じられる。

時代性を強く感じるのは、作品の傍らに掲げられている作家解説の小パネルのためかもしれない。コンパクトにまとめられているが、美大の学長になった作家、禅僧となってハワイに渡った作家など、どの作家についても、現代版画センターとの関わりに止まらず、その後の人生までに及んだ、射程の長い、眼配りの行き届いたコメントが付されており、展示自体に重層的な厚み、奥行き、膨らみを与えている。

図録も出色の出来栄えで、基本資料として後世に残る内容だろう。「A.テキスト・ブック」「B.ヴィジュアル・ブック」「C.アトラス」の3分冊、収納ケースにも写真や資料の一部が再録されているので、これを含めると4分冊からなる。Aにはエディション作品総目録、「現代版画センターニュース」総目録、主要刊行物目録、さらには当時の関係者を対象とするアンケートまで収録されている。関根伸夫をはじめとする作家、刷り師、会員、スタッフなどの証言は貴重と思われる。Bには展示されたエディション作品の図版が収録され、さらに「作家略歴」として上述「解説パネル」の記述が再録されている。展示されなかったエディション作品の図版まで掲載されていれば、カタログ・レゾネとなっていたところだ。せっかくAに作品総目録を収録したのだから、是非とも期待したい。Cは現代版画センターの「組織運営年表」「個別事項年表」、さらには全国の「主要活動拠点分布図」が掲載されている。この分布図は同心円状に図案化されており、全国的に展開した状況が見事にヴィジュアル化されている。

埼玉カタログ

展示作品を選定したのは、もちろん展覧会の企画者である美術館側だそうで、魅力的な作品が選ばれているのは確かだろう。植田実先生の「どの順序で見ても構わない花園」との評のとおり、順路を作らずブース間を自由に移動できる展示構成もたいへん効果的と思われる。とはいっても展示作品は280点近くに上り、現代版画センターの活動期間(約11年)の間にエディションした、約80名の作家による700点以上の作品の3分の1以上をカバーしているのだから、飛び抜けて良い作品ばかりが選ばれたわけでもないだろう。同センターがエディションした版画作品として平均的ないし平均よりやや高めの水準の作品が展示されている、というのが実態に近いのではなかろうか。

活動期間中に、年平均60〜70点、毎週1点以上というハイ・ペースでエディションしたにもかかわらず、それらが今でもこうした魅力に溢れているのは、その水準自体がコンスタントに高かったことを物語っている。これはやはり驚くべきことだろう。こうした良質の作品を全国に送り出した現代版画センターの、版元としてのレベルの高さを認識させられた。

しかしながら、多彩な作家の版画をエディションし、全国に普及させようとした現代版画センターの試みは、単に版元としてレベルが高かっただけではない。全国の画廊などの流通拠点を組織化し、共同版元としてエディションしながら販売する仕組みと、講演会やオークションなどを含む新たな購入層を開拓する普及活動とを一体化し、新しい流通の仕組みそのものを構築しようするという、画期的な試みであった。こうした新たな流通の仕組みを構想し、実現しようとした先駆性こそ、現代版画センターの真骨頂と思われる。

すでに1950〜60年代には公募展、アンデパンダン展、商業画廊、美術館などの既存の美術制度の限界が次第に表面化し、60年代後半から70年代には別の仕組みへと向かい始める流れがあったとすると、現代版画センターの活動もそうした流れの中に位置づけられるように思われる。60年代中頃から瀧口修造が抱いていた「オブジェの店」をひらく構想とシンクロするする部分も見えて来るかもしれない。

2.「パノラマ」と刊行物について
30〜40年後の今でも「美しい」と思えるのだから、当時、文字通り刷り上がったばかりのこれらの版画作品を観た全国の会員や購入者にとって、どれほど魅力的に感じられたことだろうか。全国各地に美術館が建設され、展覧会も頻繁に開催されている現在とは違い、当時は実作に接する機会は少なかったはずなので、かなり熱狂的に受け入れられたものと推測される。展示作品を見て「美しい」と感じるのは、当時の感動を共有し、追体験することに繋がるが、具体的な状況を想像するのはなかなか難しいところがある。

この点で、会場で上映されている「パノラマ」と呼ばれる3種のスライド集はたいへん貴重である。いずれも7分〜8分程度と、比較的コンパクトにまとめられているが、当時の熱狂的な様子がありありと伝わってくる。久保貞次郎、尾崎正教、針生一郎、関根伸夫らの面々も若々しく、誰もが「熱さ」を持っているのが判る。現代版画センターの企画に「軍師」として参画していた関根伸夫は、全国の会員組織の画廊で開催された島州一との二人展(1975年)に臨む若々しく颯爽とした姿が記録されている。1942年生まれだから当時33歳。若々しいはずである。ちなみに戦後美術の代表作の一つとして必ず挙げられる「位相―大地」を須磨離宮公園の第1回野外彫刻展で発表したのは、この二人展より7年前の1968年で、25〜26歳のことだった。もはや言葉を失う。

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映像、資料閲覧コーナー 撮影:タケミアートフォトス

また現代版画センターの事務局長を務めていた尾崎正教の、ジャケットをお洒落に着こなした姿も確認できる。当時の本職は小学校の美術教師だったそうだが、夏休み中にこうしたダンディな人物が、魅力的な版画作品をカルトンに詰め込んで全国を行脚して歩き、職業婦人などの新たな愛好家たちに熱烈に歓迎されたというのも頷ける。閲覧資料のなかに含まれた当時のガリ版刷の行脚スケジュール表が生々しい。確か1990年代の末頃、あるコレクターに誘われて訪れたアートフェアの会場で、尾崎正教本人にお目にかかったことがあるが、すでに白髪の長髪で額もかなり広くなっておられた。そのコレクターが私のことを「瀧口修造に拘っていて、作品もコレクションしている」と紹介すると、「わたくし美術館」の活動について熱っぽく語られたのを憶えている。

何年のシンポジウムか判らないが、パネリストとして参加している針生一郎の姿も記録されている。細身のネクタイこそ当時のスタイルだが、あご髭を生やした知的な風貌にはすでに大家としての存在感がある。こうした様々な映像を眺めていると、折にふれて綿貫夫妻から断片的に聞いていたエピソードが相互に関連し合い、具体的な歴史として筋道が浮かび上がってくるように感じる。

会場の書架に置かれている「画譜」「版画センターニュース」などの刊行物も実に興味深い。現代版画センターの刊行物の編集人でもあった尾崎正教のエッセイには、当時の販売側・購入側双方の熱狂ぶりが具体的に綴られている。その他、多彩な執筆者のコラムやエッセイなど掲載され、手に取って読み始めると止まらなくなる。谷川晃一の『毒曜日のギャラリー』や池田龍雄の『夢・現・記』など、後に単行本化された連載の初出までがこの刊行物だったとは、恐れ入るしかない。特に『毒曜日のギャラリー』は、単行本化された当時愛読した記憶があり、小杉武久、中西夏之、赤瀬川原平、坪内一忠などの項が印象的だったが、先日、芦屋市美術博物館の「小杉武久―音楽のピクニック」展を見てきたばかりなので、ついつい引き込まれ、読み耽ってしまった。当時のさまざまな出来事や交友なども想い出され、たいへん懐かしく感じた。

気が付くといつの間にか4時間近くが経過し、閉館間際になっていた。じっくり拝見しようと残していたA.ウォーホルとジョナス・メカスのコーナーに向かう。このコーナーは今回の展示会場でも特別な一角のように思える。現代版画センター直営の「ギャラリー方寸」を皮切りに、1983年6月から全国で連続的に、というより同時多発的に開催された「アンディ・ウォーホル全国展」と、同年7月に栃木県宇都宮市で開催された「巨大地下空間とウォーホル展」は、現代版画センターの絶頂期というのか、最後の輝きだったのかもしれない。

3.質へのこだわりの二面性
すでに触れた「いま刷り上がったばかりのように美しい」という印象に再び立ち戻ると、40年以上が経過している現在でもこう感じられるのは、基本的には、各作家の卓抜な構成力と刷り師の力量との相乗効果といえるだろう。とりわけ、岡部徳三、石田了一、森仁志をはじめ、刷り師の方々の出来栄え・品質への志向は相当に高かったものと拝察される。一流の腕を持つ技術者や職人の常として、インクや紙などの材料にもこだわり、良質で高価なものが使われたのではなかろうか。
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菅井汲・アクリル作品(マルチプル)とGUESTシリーズ(刷りはともに石田了一) 撮影:酒井猛

その一方、販売価格はというと、図録に収録された「アンケート」の柳正彦氏の証言によると、「一般の画廊よりも入手しやすい価格設定だった」そうで、リーズナブルだったようである。柳氏は学生当時からコレクションを開始し、同センターの事務所に出入りしているうちにスタッフとして働くようになり、さらにその後、渡米してクリストの片腕として活躍されている。良質の作品を安価に提供するというのは、販売拡大のために戦略的に採用された方針かもしれないが、需要がついて来なければ経費ばかり嵩み、不良在庫も増大するという危険性も内包する。現代版画センターの事業が有意義で志の高いものだったのは間違いないだろうが、リスクとも表裏一体の冒険的な試みでもあり、その内実は薄氷を踏むような綱渡りの状況だったのではなかろうか。実際、残念ながら85年2月に倒産するに至っている。

これは版元としてのコスト管理に問題があったのか、流通の仕組みの構築が不十分だったのか、最終需要者であるコレクターがついて来ず、市場自体が未成熟に止まったのか。タケミヤ画廊や読売アンデパンダン展について、活動の内容ばかりでなく、終了を余儀なくされた要因の解明が重要だとすれば、それと同様に、現代版画センターに関しても倒産に至った要因の解析が、今後の重要な課題として残されているだろう。なお、事務局次長として実際の運営に携わっていた綿貫不二夫は、倒産(自己破産)後に破産管財人によって債権者に対する配当が実施された後も、20年ほど残債の返済に努めたと聞いている。

4.おわりに
1970年代後半〜80年代中頃の私自身を振りかえると、毎週土曜日に神田神保町の古書店を廻って瀧口修造の単行本や初出雑誌・図録などを漁るか、あるいは銀座・京橋・浜松町あたりのいくつかの画廊を訪れるという生活を送っていた。この頃に現代版画センターの活動が視野に入っていたら、どうなっていただろうか?版画のコレクターとなって、蒐集の軍資金を確保するためにサラリーマン生活を長く続けていたかもしれない。あるいは柳正彦氏と同様に事務所を訪れ、その魅力の虜になって入り浸っていたかもしれない。著作を愛読していた廣松渉や高橋悠治などの名前も、同センターの関係者として出て来るし、同センターが事務所を置いていた渋谷には行きつけのカフェバーが在り、神保町から都営バスに乗って通っていたので、こうした可能性もかなりあったように思われる。

「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展は、単に展示作品が魅力的だというだけでなく、このように自らの生き方についてまでもさまざまな感慨を催させる、たいへん見ごたえのある展覧会だった。2月20日に展示替されたと聞いているので、後期の展示も是非拝見したいと思う。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。
会期:2018年1月16日(火)〜3月25日(日)
現代版画センターと「ときの忘れもの」については1月16日のブログをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログをぜひご購入ください(2,200円)。
埼玉チラシメカス600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年〜1985年の11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

【担当学芸員によるギャラリー・トーク】
日時:3月10日 (土) 15:00〜15:30
場所:2階展示室
費用:企画展観覧料が必要です。
【トークイベント】ウォーホルの版画ができるまで―現代版画センターの軌跡
日時:3月18日 (日) 14:00〜16:30
第1部:西岡文彦 氏(伝統版画家 多摩美術大学教授)、聞き手:梅津元(当館学芸員)
第2部:石田了一 氏(刷師 石田了一工房主宰)、聞き手:西岡文彦 氏
場所:2階講堂
定員:100名 (当日先着順)/費用:無料
〜〜〜〜
○<幾度もお知らせや画集に添えて御丁寧なお手紙を頂戴致しました。
昨日、美術館に行ってまいりました。作品も美しい館内で輝いて見えました。本人もさぞ幸せだろうと思います。
久し振りに大々的な作品群に触れて同行の友人達も満足して帰路につきました。
心からお礼申し上げます。
学芸員の方にも御丁寧なご挨拶をいただきました。

(20180302/出品作家のご遺族より)>

○<「版画の景色」展、何より首都圏の大きな展覧会で野田哲也作品が展示されたのはいつ以来だろう。やっぱり野田哲也もいつまでも私にとってはヒーローなのだ
(20180218/Kakkine Sato / 佐藤柿杵さんのtwitterより)>

○<「版画の景色」展には駒井哲郎を見に行ったのだが他に印象に残ったもの。木村光祐「リレーションM」、高柳裕「魚座」、島州一「ボートの女」、木村茂「森の道」三作、難波田龍起作品、本田眞吾作品など。コレクション展で丸山直文「garden No.3」を見ることが出来た。
(20180304/kentbitterさんのtwitterより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半〜トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋吉信さんのエッセイ〜「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ〜「版画の景色−現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ 第47回(3月4日ブログ)

塩野哲也さんの編集思考室シオング発行のWEBマガジン[ Colla:J(コラージ)]2018 2月号が展覧会を取材し、87〜95ページにかけて特集しています。

○月刊誌『建築ジャーナル2018年3月号43ページに特集が組まれ、見出しには<運動体としての版画表現 時代を疾走した「現代版画センター」を検証する>とあります。

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.198 元永定正「白い光が出ているみたい」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
20180308元永定正
「白い光が出ているみたい」
1977年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
Image size: 61.0×47.0cm
Sheet size: 64.9×50.0cm
Ed.100  Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄

臨時ニュース
五十殿利治(おむかとしはる)先生が、1930年代の日本の前衛芸術に目を向けた『非常時のモダニズム』(東京大学出版会)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。おめでとうございます。同書の表紙は瑛九のフォトデッサンが使われています。

ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第7回 愛といのち

日時:2018年4月3日(火)18:00〜
会場:ときの忘れもの
出演:メゾ・ソプラノ/淡野弓子
   スクエアピアノ/武久源造   
プロデュース:大野幸
*要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。

info@tokinowasuremono.com

◆ときの忘れものは「植田正治写真展ー光と陰の世界ーPart 供を開催します。
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会場1:ときの忘れもの
2018年3月13日[火]―3月31日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊(但し3月25日[日]は開廊)

昨年5月に開催した「Part I」に続き、1970年代〜80年代に制作された大判のカラー作品や新発掘のポラロイド写真など約20点をご覧いただきます。

●書籍・カタログのご案内
表紙植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

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植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。