ギャラリー  ときの忘れもの

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王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第1回

「ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸とエスプリ・ヌーヴォー館を通じてル・コルビュジエが試みた絵画と建築の融合」

 2019年2月19日から5月19日まで、国立西洋美術館「ル・コルビュジエ 絵画から建築へーピュリスムの時代」が開催されている。
 時は第一次世界大戦後、混乱と破壊の時代が終わり近代生活の始まりの中で、急速な機械化による工業の発展は芸術家の思想や作品に大きな影響を与えた。ダダ、ロシア構成主義、デ・ステイル、バウハウス、シュルレアリスム・・・。そして、当初はキュビスムを否定し、絵画を幾何学の秩序の中に戻す運動として登場し、理性や普遍的な規則を重視するピュリスムは、フランスのナショナリズムが強化され、秩序と構築がイデオロギーとして蔓延していた時代であったことも関係しているのだろう。同時に、大衆が主役となり、建築家にとっても大衆のための住宅が大きなテーマになっていった時代でもある。同展覧会を通じて、工業が発展する社会の中で絵画と建築を融合したいと考えたル・コルビュジエの2つの事例を振り返りたい。

1、「ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸とそこに展示されていた絵画」

 ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸(*1)は、銀行が投機的開発のために計画したパリ郊外オートゥイユの開発地域で、当初は依頼主のいない建売住居として注文主を惹き付けるためにデザインされた側面もあったが、最終的には1923-25年に2世帯が接続した住宅として、ラウル・ラ・ロッシュと、ル・コルビュジエの兄でヴァイオリニストのアルベール・ジャンヌレとその妻ロッティ・ラアフと家族のために設計された。ドクトゥール・ブランシュ通りの私道のつきあたりに位置し、正面は通り沿いの北東に面し、向かって左(南西)側にラ・ロッシュ邸、右(北西)側にジャンヌレ邸がL字型に配置されており、現在は、ル・コルビュジエ財団の施設となっている。ここでは展示ギャラリーをもつラ・ロッシュ邸に着目したい。
ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸_1階平面図ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸_1階平面図

ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸_2階平面図ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸_2階平面図

ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸_3階平面図ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸_3階平面図

 建主のラウル・ラ・ロッシュは、スイス人の銀行家で、キュビスムとピュリスム絵画のコレクターであり、オザンファンとジャンヌレ(ル・コルビュジエ)の作品を買い続け、創業当初から「エスプリ・ヌーヴォー」誌に資金援助を行っていた支援者でもある。オザンファンとジャンヌレ(ル・コルビュジエ)がラ・ロッシュを招待したギャルリー・トマの展覧会から3年後の2021-23年に、第一次大戦中にフランス政府に没収されたドイツ人画商ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーが戦前に集めた絵画コレクションが4回にわたり競売にかけられた。オザンファンとジャンヌレはラ・ロッシュの代理人としてピカソ、ブラック、レジェ、グリス、リプシッツらの作品をこの競売で落札したり、画廊から購入し、ラ・ロッシュがキュビズム絵画の代表作家のコレクションをつくりあげることに貢献した。
 ラ・ロッシュ邸は、ル・コルビュジエ自身が収集に協力した絵画コレクションを飾ることが目的でもあり、「建築的プロムナード(散策路)」と呼ばれる建築の空間構成のシークエンスとともに絵画の配置が重視されたことは、1925年に邸宅完成し、ル・コルビュジエ自らが絵画を配置した後にオザンファンが無断で配置を変更したことをル・コルビュジエがオザンファンに手紙で抗議したというエピソードからもうかがい知ることができる。この建築の建築的プロムナードを享受してみよう。北東に面したエントランスを入ると3層吹き抜けの玄関ホールが迎える。玄関ホールはロッシュ邸のギャラリーと住居の二つのボリュームをつなぐ垂直の空間で、左手にブラック《女性音楽家》、正面にレジェ《母と子》(*2)が飾られていた。奥にある階段から2階に上ると住居棟とギャラリー棟を結ぶ回廊に出る。エントランスのちょうど上の回廊からは通りが見え、住宅棟側は2階に食堂、3階に寝室、ギャラリー棟は2階と3階の吹き抜けで、1階はピロティになっている。食堂にはブラックの食卓の静物画2点、寝室には穏やかなトーンのオザンファン《カラフ、瓶、ギターのある静物》(*3)とジャンヌレ《青い背景に白い水差しのある静物》(*4)が飾られていた。ギャラリーは、南西と北西の高い位置にある水平連続窓から光が注ぎ、ピカソ《静物》(*5)、時にレジェ《Two Figures, naked on red bottom》、正面のアイストップの重要な位置にブラック《ギター、グラス、果物皿のある食卓》とピカソ《闘牛狂》が展示されていた。曲線を描く壁に沿って3階へ続くスロープにいざなわれると、3階には図書室。図書室からは1階の玄関ホールや2階の回廊を見下ろせる。ラ・ロッシュが住んでいた時代に撮られた写真から、これらの絵画作品を確認することができるが、過去に撮られた写真と現在の姿はまるで違っていて、建築が生む光やシークエンスに息を飲むことはあっても、当時あったであろう若き建主の意気揚々とした生活感や彼をとりまく人々が集まった賑やかさはない。現在は白色を基調とし、いくつかの単色が塗装されたシンプルな壁には、当時は随所にキュビスムとピュリスムの作品群が敬意もって、同時に熱っぽく展示されていた。

 ところでこれらの絵画はどこに行ったのだろうか。ラ・ロッシュは1962年までここに暮らした後、住宅をル・コルビュジエ財団に寄贈、コレクションの大半はバーゼル美術館に寄贈、パリの国立近代美術館にも寄贈したという。バーゼル美術館ではキュビスム、ブラック、ピカソ、レジェなどの特集展示が数々行われており、今でもカーンワイラーからオザンファンとジャンヌレの協力によりラ・ロッシュへ、ラ・ロッシュから美術館に渡った作品群の生きている様子が確認できるかもしれない。

*1本展第蕎蓮屮蕁Ε蹈轡紂瓮献礇鵐魅貪 1/30模型
*2本展第蕎蓮塋譴隼辧佞僚作
*3本展第犠蓮團ラフ、瓶、ギターのある静物》
*4本展第犠蓮埓弔で愀覆貿鬚た綺垢靴里△訐妬》
*5本展第蕎蓮埓妬》

2、「エスプリ・ヌーヴォー館とそこに展示されていた絵画・彫刻」

 「エスプリ・ヌーヴォー館」(*6)は、1925年にパリ国際装飾芸術博覧会のパヴィリオンとして建設され9ヶ月という短い期間で閉じられた。円筒形の展示スペースとモデル住宅で構成されており、現在はイタリアにレプリカが建てられている。実用的な目的を有する装飾芸術であるアール・デコに対し、工業化社会における都市と居住環境のあるべき姿が挑発的に表現されたこのパヴィリオンは、展示スペースではパリの中心部の「ヴォワザン計画」(*7)、モデル住宅では「ヴォワザン計画」の高層集合住宅の基本形とされるシトロアン住宅が具現化された。
 シトロアン住宅とは、時を遡ってル・コルビュジエが1920年に大衆住宅として考案したもので、床と屋根は工場で量産可能な規格化された鉄筋コンクリート製、そして壁はどこの土地でも手に入る材料、レンガ、石やブロックで、フランス国内どこの職人でもこれまでの技術で容易に建てられるという構法であった。内部は住宅の容積の半分が吹き抜けの居間、残りが2フロアの寝室や水回りといった機能空間になっており、ル・コルビュジエと従兄弟で事務所を共同で主宰していたピエール・ジェンヌレは、シトロアン住宅を住戸ユニットとして積み重ねれば「イムーブル・ヴィラ」(*8)や、前述の「ヴォワザン計画」の高層集合住宅をつくることができると考えた。
エスプリ・ヌーヴォー館_1階平面図エスプリ・ヌーヴォー館_1階平面図

エスプリ・ヌーヴォー館_2階平面図エスプリ・ヌーヴォー館_2階平面図

 この住戸ユニットが具現化されたパヴィリオンのモデル住宅は、1階に前庭、空中庭園、吹き抜けの居間、機能空間としての食堂、水回りがあり、2階は機能空間の上階に寝室、衣裳部屋がある。規格化と大量生産の考えに基づく標準整理棚「カジエ・スタンダール」や、ル・コルビュジエが愛用したトーネット社のベントウッドチェアも配置された。更にそこには絵画・彫刻も同居していた。前庭には、リプシッツの石像の《浴女》(*9)、吹き抜けの居間には、リプシッツの石造の《ギターをもつ水夫》(*10)、グリス《緑色のテーブルクロス》、リプシッツ《ギター奏者》、オザンファン《壺》、レジェ《小柱》あるいはレジェ《コンポジション》、そしてピカソとブラックの作品も展示されたが、2日という短い期間であったため、残りの期間はジャンヌレ(ル・コルビュジエ)《エスプリ・ヌーヴォー館の静物》(*11)が代わりに展示された。
 「絵画・彫刻という純粋芸術は精神的な価値によって人を豊かにするため生活に必要だ」と考えていたル・コルビュジエは、大衆向けに工業化された住宅と美術とが同居することをここに主張した。

*6同展第珪蓮璽團絅螢好爐猟催世判幕に写真が展示
*7同展第珪蓮悒罐襯丱縫好燹
*8同展第珪蓮屮ぅ燹璽屮襦Ε凜ラ」1/100模型
*9同展第蕎蓮塒畚》ブロンズ造
*10同展第蕎蓮團ターをもつ水夫》ブロンズ造
*11同展第珪蓮團┘好廛蝓Ε漫璽凜ー館の静物》

 オザンファンとジャンヌレ(ル・コルビュジエ)は、1918年にギャルリー・トマで展覧会を開きピュリスムを宣言し、1921年にドリュエ画廊でピュリスム絵画を発表、1925年エスプリ・ヌーヴォー館が開いた直後、オザンファンがエスプリ・ヌーヴォー誌から手を引くことを手紙で告げたことが実質のピュリスムの終焉だった。
 ピュリスムの時代、絵画を3次元を内包する空間として試行・創作し、また同時代の絵画とともにある生活を新しい時代の大衆の住宅として提示したル・コルビュジエの精神をあらためてこれら2つの建築に読み取りたい。また、もし同展覧会にこれから行く方がいらっしゃれば、前述した作品と建築が共存していた時の姿を少し想像してみてほしい。
おう せいび

■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。国内、中国、シンガポールで、公共図書館はじめ教育・文化施設などの設計職を経て、2018年より建築倉庫ミュージアムに勤務。主な企画に「UNBUILT:Lost or Sus-pended」展、「Nomadic Rhapsody-”超移動社会”がもたらす新たな変容」展、「あまねくひらかれる時代の非パブリック」展。

「ル・コルビュジエ 絵画と建築ーピュリスムの時代」
会期:2019年2月19日〜5月19日
会場:国立西洋美術館
20190116153923_0000120190116153923_00002


*画廊亭主敬白
王 聖美さんによる新連載「気の向くままに展覧会逍遥」がスタートします。
最長老の植田実先生(1935年生まれ)よりはるかに若い才能のエッセイをどうぞお楽しみください。
隔月(偶数月の18日)での掲載です。奇数月の18日は飯沢耕太郎さんの「日本の写真家たち」です。
第一回に王さんが訪ねたのは上野の国立西洋美術館。ル・コルビュジエが設計した美術館は僅か3館、ヨーロッパにはありません(インドに二つ、そして東京)。彼の設計した美術館の空間で、彼の描いた絵画作品を見られる、得がたい幸運をどうぞ逃さないでください。

●今日のお勧め作品は、ル・コルビュジエです。
corbusier_01_modulorル・コルビュジエ Le Corbusier
《モデュロール》
1956年
リトグラフ
70.3×52.8cm
版上サインあり
額付き
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
駒込外観1TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。
*日・月・祝日は休廊。

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