臨時ニュース

Jonas Mekas, ‘Godfather’ of American Avant-Garde Film, Is Dead at 96
メカスさんポートレイト

追悼 ジョナス・メカス上映会
2019年2月5日[火]―2月9日[土]

Jonas Mekas, a filmmaker, curator, archivist, critic and all-around
evangelist for independently made movies in general, and for those variously
known as experimental, underground or avant-garde in particular, died on
Wednesday at his home in Brooklyn. He was 96.
映画監督、キュレーター、アーキビスト、評論家でもあった、実験的、アングラ、前衛的な自主映画の伝道者、ジョナス・メカス氏が23日(水)、ブルックリンの自宅で死亡した。享年96。(ニューヨークタイムズより)

上野寛永寺で六角鬼丈先生(享年77)を見送ったその翌日にジョナス・メカスさんの訃報とは思いもかけませんでした。
昨年末クリスマスに96歳のお誕生日のお祝いメッセージをお送りしたばかりでした。

メカスさんのご冥福をお祈りし、追悼上映会(DVD)を開催します。
鑑賞料(1,000円以上)は皆さんのメッセージとともに香典として全額をNYのアンソロジー・フィルム・アーカイブスに送金します。
上映スケジュールは下記の通りですが、短いもので68分(営倉)、長いもので180分(ウォルデン)です。予約不要、いつものように途中退席されても構いません、好きなように鑑賞してください。
代表作「リトアニアへの旅の追憶」(82分)は毎日上映します
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2月9日(土)17時より、メカスさんと親しかった飯村昭子さんと木下哲夫さん他を招きトークイベント「メカスさんを語る」を開催します。
要予約:会費1,000円、メールにてお申し込みください。

上映スケジュール(DVD)
2月5日(火)
14時〜"Short Film Works"(ショート・フィルム・ワークス)
   1949-2002/カラー/98分(1時間38分)
16時30分〜"Reminiscences of a Journey to Lithuania"(リトアニアへの旅の追憶)
   1971-1972/カラー/82分(1時間22分)

2月6日(水)
14時〜"The Brig"(営倉)
   1964/白黒/68分(1時間8分)
16時30分〜"Reminiscences of a Journey to Lithuania"(リトアニアへの旅の追憶)
   1971-1972/カラー/82分(1時間22分)

2月7日(木)
13時〜"Lost Lost Lost"(ロスト・ロスト・ロスト)
   1949-1963, 1976/白黒・カラー/180分
16時30分〜"Reminiscences of a Journey to Lithuania"(リトアニアへの旅の追憶)
   1971-1972/カラー/82分

2月8日(金)
13時〜"Walden"(ウォルデン)
   1964-1969/カラー/180分
16時30分〜"Reminiscences of a Journey to Lithuania"(リトアニアへの旅の追憶)
   1971-1972/カラー/82分

2月9日(土)
15時〜"Reminiscences of a Journey to Lithuania"(リトアニアへの旅の追憶)
   1971-1972/カラー/82分

17時〜トーク「メカスさんを語る」(要予約、会費1,000円、メールにてお申し込みください)
   ゲスト:飯村昭子さん、木下哲夫さん


フィルム・アーカイブ設立に奮闘するメカスさんを少しでも支援しようと現代版画センターが大韓航空の安いチケットを送り初めて日本にお招きし、7点の版画をエディションしたのは1983年秋でした。ホテル代も出せないので友人たちの家をたらい回しにして滞在してもらい、原美術館で「アメリカ現代版画と写真展ージョナス・メカスと26人の仲間たちー」を開催していただきました。
ところがろくにお金も送れないうちに現代版画センターを倒産(1985年2月)させてしまった。
1995年に青山の一軒家でささやかな画廊「ときの忘れもの」を開廊したときも、正直言ってあわす顔がなかった。
友人の木下哲夫さん(メカス日本日記の会)の協力でやっとメカスさんの小展を開いたのは倒産から17年の経った2002年3月でした。
メカスさんから届いたファックスに私たち夫婦は涙を流しました。
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ときの忘れもの 綿貫さん
きみの画廊で写真展ができるなんて、こんな嬉しいことはない。
ずいぶん前のことになるけれども、日本各地を連れ立って旅したのは、ほんとうに楽しかった。
あれは素晴らしい思い出です。
だから、これは家族の催しのようなもの。展覧会を見てくださる方々、それからひょっとしてわたしのつまらない写真を一枚買おうという気を起こしてくださる方々にも、わたしと、それからきみの、「目に見えぬ家族」の一員となる歓びを味わってもらえますように。
2002年2月25日 ジョナス・メカス

(木下哲夫訳)

2005年10月メカス展
それから3年後、メカスさんを迎えて「ジョナス・メカス展」をときの忘れもの(青山時代)で開催しました。
会期:2005年10月14日〜29日

2005年10月メカス歓迎会メカスさんの歓迎会で「詩の国リトアニアからの客人を歌でお迎えしましょう」との吉増剛造先生のご指示で大漁唄い込みを歌う亭主(左端)。

2005年10月歌うメカスさん亭主のまずい歌に応えてリトアニアの民謡を歌うメカスさん。右はリトアニア語が専門でメカスさんの詩集の翻訳者・村田郁夫さん。
この夜のことは芳賀さんの寄稿「天使の謡う夜に」をお読みください。

2005年10月メカス、山下1983年秋の初来日の折りの宿は友人の山下伸さんの自宅。山下夫婦に祖父・祖母、子供たちの三世代同居の大家族でした。そこにいきなりメカスさんが泊まりこんだ。
久しぶりに再会したメカスさんと山下夫人。左端は尾立麗子。

このときメカスさんはもちろんカメラを回しています。
0909-22山下家の子供たち、1983、東京
CIBA print
35.4×27.5cm
signed
*初来日の宿となった山下家のお子さん二人をとらえたのがこのショット。


ジョナス・メカス Jonas MEKAS(1922-2019)
1922年12月24日リトアニアのセメニスキアイの農家に生まれる。1936年初めての詩集を出版。1940・42年ソ連軍(赤軍)、ナチス・ドイツのリトアニア占領。反ナチ新聞の発行が発覚し、強制収容所に送られる。1945年収容所を脱走、難民キャンプを転々とするが、マインツ大学で哲学を学ぶ。1949年ハンブルク港から出航、アメリカ・ブルックリンに移り住む。
1950年様々な仕事をしながら、当時住んでいたウィリアムズバーグやリトアニア系移民を撮り始める。1954年『フィルム・カルチャー』誌を発行。1955年詩集「セメニスキウ・イディレス」第2版がヴィンカス・クレーヴ詩賞を受ける。1958年『ヴィレッジ・ヴォイス』誌に「ムービー・ジャーナル(映画日記)」を連載、後に出版(76年まで継続)。「ニュー・アメリカン・シネマ・グループ」の設立に協力、60年設立。
1961年「フィルムメーカーズ・コーペラティブ(映画作家協同組合)」を組織。1964年「フィルムメーカ一ズ・シネマテーク」を組織。
1965年『営倉』(1964年、68分)がヴェネツィア映画祭ドキュメンタリー部門で最優秀賞受賞。1968年ユダヤ博物館のフィルム・キュレーターを務める(〜71年)。
1969年アンソロジー・フィルム・アーカイブスの設立準備を開始。1971年夏、リトアニアを訪問。1975年ベルリン映画祭、ロンドン映画祭、アムステルダム映画祭参加。
1983年アンソロジー・フィルム・アーカイブス設立計画アピールのために初来日。原美術館他で「アメリカ現代版画と写真展―ジョナス・メカスと26人の仲間たち」開催。初のシルクスクリーンによる版画を制作。1989年アンソロジー・フィルム・アーカイブス開館。
1991年・96年来日。1999年パリ・ギャラリ・ドゥ・アニエスで「JONAS MEKAS―“this side of paradise”fragmentof an unfinished biography」展を開催。2000年「ジョナス・メカス映像展―[thisside of paradise]」が愛知芸術文化センター他で開催。
2005年ときの忘れものの個展のために4度目の来日。
2019年1月23日ニューヨークにて死去、享年96。

●ときの忘れもの:〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。