ギャラリー  ときの忘れもの

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中村惠一「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」第9回

柳瀬正夢


 第4回に続き、ふたたび柳瀬正夢について取り上げる。前回ではMAVOに参加、震災から検挙、結婚して高円寺の馬橋に越すまでの若き柳瀬を取り上げた。今回はその後の柳瀬についてである。馬橋の柳瀬は二人の娘を授かり、タブローから離れポスターや書籍、雑誌の装幀といった印刷物のデザインの仕事や舞台美術など多彩な活動を行っていた。『無産者新聞』や雑誌『戦旗』の表紙などは代表的な当時の仕事であるが、治安維持法違反の嫌疑をかけられることにもなった。検挙は昭和7(1932)年11月のことである。検挙拘束されている間に妻の梅子の病気が進行、生死にかかわる事態になってしまう。柳瀬が編集した『無産階級の画家 ゲオルグ・グロツス』(1929年)を出版した鉄塔書院の小林勇は上落合602番地に柳瀬の妻子を移し、まわりの支援者で面倒がみられるようにした。しかし結核は梅子に時を与えなかった。一時的に釈放されて妻の死に目には会えたものの柳瀬は再び収監されてしまう。転向はしないが、表立っての活動は行わないとの約束によってやっと柳瀬は釈放される。昭和8(1933)年9月のことだった。こうして父と二人の娘が上落合の借家に残されたのだった。

01雑誌『戦旗』1930年4月号表紙 雑誌『戦旗』1930年4月号表紙

02『無産者新聞』のポスター『無産者新聞』のポスター

 この後の柳瀬は以前とは異なり左翼雑誌のデザインや新聞での風刺漫画などの仕事はどうあってもできないのであった。身近で面倒をみた小林勇などの支援者は柳瀬にタブローを描くことを勧めることになる。また、そのためにはアトリエも必要であった。第8回で書いたように、サンサシオンの画家・松下春雄が同じ年の年末に白血病で急逝した。遺族はアトリエと母屋を貸すことを考えたのだった。松下の妻の実家は南池袋である。何人かの仲介者を経由して松下アトリエのことを知った小林勇が間に入って松下アトリエは柳瀬に賃貸されることになった。昭和9(1934)年のことである。アトリエのついた家で暮らすことになった柳瀬であったが、油彩画をどんどん描いたわけではなかった。むしろ描けない時期が続いた。この空白期を脱するきっかけを作ったのも小林勇であり、「Kの像」という絵画作品のモデルに自ら志願したのである。このアトリエでは絵画教室が開催され、労働者が絵を習いに通ってきたし、この時期にはかなりの数のヌードデッサンも残されている。隣に鬼頭鍋三郎のアトリエがあったのでなんらかの交流があったのかもしれない。旅行にも出向き、風景画が描かれた。未来派やMAVOといった前衛的な美術グループに属していたときとは異なるが、まったく違う意味で魅力的な絵画作品が制作されていったのが西落合時代であった。
 引っ越した次の年の正月に柳瀬が出した年賀状には淀橋区西落合1−306の住所表記がある。図柄からイノシシ年であったことがわかる。

03「Kの像」「Kの像」

 今回は落合・南長崎駅から訪問することにする。地下鉄大江戸線の駅である。目白駅前から西に向かう目白通りはこの駅の近くで北に折れる。ちょうど豊島区に対してくちばしのようにささる新宿区の三角形の土地の一辺が目白通りである。

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目白通りを北上すると中野から哲学堂公園の東を抜けてくる中野通りと交差する地点となる。この手前の道を左に入る。左手に大きな屋敷をみながら進むと右手に柳瀬アトリエのあった場所に至る。最近まで松下春雄のご遺族が母屋を守っていたが、今は建売住宅として分譲された。おもかげのあった母屋も消えてしまったのだ。

05地図丸印の場所が柳瀬正夢のアトリエのあった場所

06西落合のアトリエでの柳瀬正夢西落合のアトリエでの柳瀬正夢

西落合のアトリエで初めて描かれたのは小林勇の肖像「Kの像」である。また女性労働者を描いた「青バスの車掌」、静物作品の「仮面」などが描かれたが、次第に写生旅行を行い、旅先で描くスタイルになり、アトリエで描く機会は少なくなった。一方、アトリエでは研究会や絵画教室が開催された。特に柳瀬のもとで絵を学びたいという勤労者や文化人が集まるようになり、それが「写生派コペル」につながる。こうして柳瀬のアトリエのところに通うメンバーのなかに松岡朝子がいた。昭和14(1939)年の初めに二人は結婚した。

07「仮面」 「仮面」

08「労農夫」「労農夫」

09「島の娘」「島の娘」

この年の春、中国華北への写生旅行に家族を連れて赴く。大連の叔母のところに娘二人を預け天津、北京へと9か月の旅にでた。華北交通の招待を受けての北京行きであった。中国では油彩、写真、デッサンなど活発な創作が行われた。このときに撮影された写真は『中央公論』誌上に掲載された。また、その成果は銀座の亀屋、大阪の朝日会館で「北支風物展」という展覧会として結実した。中国から帰国した柳瀬は西落合のアトリエを離れている。昭和18(1943)年春に三鷹にアトリエつきの新居に落ち着いた。落合時代の柳瀬はふたたびタブロー制作に熱意をもつことになり、写真にも成果をあげた。この時代の柳瀬作品は若きアヴァンギャルド時代とは作風が異なるが、また別な魅力をもっている。
なかむら けいいち

中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)

中村惠一のエッセイ「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」は毎月22日更新です。

●本日のお勧め作品はオノサト・トシノブです。
onosato-205オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
《作品》
1985年
キャンバスに油彩
イメージサイズ:14.0x18.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものでは「第310回企画◆Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展 」を開催しています。
会期:2019年4月12日[金]―4月27日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
4月27日(土)に予定していた谷川桐子×小松崎拓男さんのトークは、作家の体調が思わしくなく中止します。またの機会に開催しますので、悪しからずご了承ください。
告知画像
ときの忘れものが期待する1980年代生まれの若手作家の三人展を開催します。それぞれが選んだメディアは異なりますが、表現したいものをどのように創るかに、強いこだわりを持った三人です。
中村潤はトイレットペーパーを編んで造形したものや方眼紙を刺したオブジェ作品を京都で制作しています。
尾崎森平は環境心理学に触発され、生まれ育った東北の現代の風景を描いています。
谷川桐子は油彩という古典的材料を使いながら、緻密に描いた砂利や地面の上にハイヒールやブラジャーなどを配した作品を創り続けています。
今回の三人展では大作を含め、それぞれ数点を出品します。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
駒込外観1TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。
*日・月・祝日は休廊。

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