ギャラリー  ときの忘れもの

001_外観1
このブログ上の図版、写真、文章等のすべてについて無断転載・無断引用を禁止します。

H氏による作品紹介7

可能性に賭ける ー自主ギャラリーで写真を買うー (2) 〜関美比古、芝田文乃、牛島麻紀子、藏真墨、本山周平、高梨豊〜

 この新宿・四谷のギャラリー巡りの中で最も印象に残った展示は、ガレリアQでの関美比古さんの展示だった。
 ガレリアQは1996年に関美比古を中心に設立され、13年の活動の後、2009年よりサードディストリクトギャラリーとして再始動。現在の運営メンバーは安掛正仁、阿部真士、関薫、田中舘裕介、那須悠介、林朋奈、星玄人、牟田義仁、盛田哲生。

075Lot.75 関美比古
「carnation」より
プリント:宮澤豪 2000(Printed in 2003)
ゼラチンシルバープリント
I: 29.4x21.2cm
S: 35.4x27.7cm

076Lot.76 関美比古
「carnation」より
プリント:宮澤豪 2001(Printed in 2003)
ゼラチンシルバープリント
I: 21.0x31.7cm
S: 27.6x35.4cm

ガレリアQのHPの関さんのページの略歴をそのまま記すと、

関美比古 略歴
1970  東京都狛江市生まれ
1978-82 ソ連邦モスクワ市に暮らす
1993  早稲田大学第一文学部演劇専修卒業
1994-95 毎日新聞社出版写真部勤務
1996  新宿三丁目に「ガレリアQ」開廊 以降同所を中心に活動
2001.3 撮影旅行中のバス事故で死去。享年30。

早稲田大学在学中より写真家の尾仲浩二氏と親交を深め、氏が当時運営していた「ギャラリー街道」で最初の個展を開き、本格的に写真に取り組みはじめる。コンスタントに作品を発表する傍ら、94年から毎日新聞社出版写真部の契約カメラマンとして働く。95年の阪神・淡路大震災では、毎日新聞社のスタッフとして現地を取材、以後復興によって変化する街並を6年にわたり定点撮影していた。96年に新宿三丁目に「ガレリアQ」を開廊。以後同所を中心として写真を発表。98年から「caranation」と銘打ったシリーズをスタートする。日本各地、幼少期を過ごしたロシア、東欧を撮影、発表を続ける(日本カメラ'99年5月号に同シリーズの一部掲載)。今回も、同シリーズのための撮影旅行として、3月14日に日本を出発し、ラトビア、リトアニアを回った。帰国便に乗るための最後の旅程として夜行バスでリトアニアからドイツへ向かう途中の3/29日未明、乗っていたバスがポーランド北東部ウォムジャ近郊でトラックと正面衝突し、意識不明の重体となり、病院に運ばれるが、日本時間の3月30日早朝、現地の病院で息を引き取った。30歳だった。

となる。
 これらの作品は没後の「2000年8月の未現像のフィルム」展(2002/9/9〜15)に際して購入。その始まりは、当時ガレリアQのHPの「掲示板」にアップされていた宮澤慎一さんのコメントに思わず反応してしまったこと。

2000年8月の未現像フィルムを現像して発表しちまったことについて

 ここに架けられた22点のモノクロームプリントは、関 美比古が、現像することなく、部屋に残していた42本のブローニーフィルムから、伊藤愼一、佐原宏臣、宮澤豪の3名が選んだものです。
 フィルムの現像は、毎日新聞社の現像陽深タンクを使わせて頂き、小久保松直、宮澤豪によって行われました。プリントはガレリアQの暗室を使って、伊藤愼一、宮澤豪が行いました。写真がこのようにギャラリー内の空間に架けられるまでには、撮影とは別に上記のようなプロセスを経る必要があります。
 6×4.5フォーマットで撮影された42本のブローニーフィルムには、約630カットの映像が記録されています。
 関 美比古によって記録されたこれらの彼のいない今、取捨選択を繰り返し22枚を最終的に選び出す事にどのような妥当性と意義があるのかと問われれば、「うーん、よくわからない」としか、言えません。じゃ、何故ここに写真展が開かれているのかと、問われることになるのでしょうが、それに対しては、「残された42本のフィルムは割と重くて、なかった事に出来なかった」というのが正直なところです。ブローニーフィルムを撮影し終わりカメラから取り出すと”EXPOSED”(撮影済)と書かれたシールがフィルムの最後に現れるのですが、これを、ペロリと舐めてフィルムを封印します。これが42本。うーん、やっぱり忘れることも、見つけなかったことにもできないなぁ。重い腰を上げて、いくらかでもこの世に現出させることにしようか、というようなことで、写真展を開く事にした訳です。
 で、ここに架かっている写真は関美比古が作業としては精緻なものでも正鵠を射た物でもないと思います。彼ならば選ばなかった写真もあるだろうし、彼なら選んだであろう写真もないことでしょう。もちろん、こんなプリントじゃないよ、という声も聞こえて来そうです。
 セレクトの段階でもっと多くの人の視点を入れるべきだったのかもしれません。もっとじっくり選んで、じっくりプリントすべきだったのかも知れません。それ以前に写真展を開くべきかどうかのディスカッションをじっくりやるべきだったのかも知れません。
 でも、やってしまわないと私自身は前に進みにくかったんだよね、と白状してしまいます。それに、そうひどいことをやってないと思うのですが。
 消えてしまうよりここにこのプリントがあるほうがいいような気がやはりするのですが。
 いかがでしょう。
 ご批判、ご叱責、お待ちします。
2002年9月9日
伊藤愼一

 これに対して関さんの師匠筋に当たる写真家の尾仲浩二さんが「掲示板」にリプライを寄せられた。

 昨年3月に30歳の若さで客死した関美比古は、新宿3丁目自らの活動拠点ガレリアQをつくり撮影と発表を繰り返すなかで何かをつかもうとしていた。
 その間には彼にとってさまざまな山谷があっただろう事は容易に推察できる。そしてその深い谷間に置き去りにしていたフィルムが今回ギャラリーの同人によって現像されプリントされ展示されるということらしい。
 その事の善し悪しをここで私が今いうことではないと重々分かっているつもりですが……。撮影したのは間違い無く彼です。しかし、多くのカットの中からセレクトするその基準は作者なき後どこにあるのか、そしてそれを彼の写真展として見せてしまうこと。まして今回は彼が現像をしていなかったフィルムなのです。
 私も関わった彼の追悼的写真集の編集の際にもなんだかモヤモヤしていた部分です。なぜこの時期に、こんな形でそれが世の中に出るのかということも含めて考えてしまいました。彼の写真をぜひ多くの人に見てもらいたいと思いここに載せたのですが、個人的に思いの深い関君のこのなのでどうしてもひとこと書かないではいられませんでした。ごめんなさい。

 このリプライに対してこちらが送ったリプライは、当時ガレリアQに関わっておられた評論家の深川雅文さんのコメント付を付けてアップされた。

 尾仲浩二さんが、#1110で、関美比古さんの展覧会について紹介されています。
 作家がこの世に存在しなくなったとき、残された作品をどう考えるべきなのでしょうか。こうした問いに関わるコメントを、尾仲さんが書かれた#1110をご覧になった読者のおひとりからいただきましたのでご紹介いたします。
 以下コメントです。

 私の一番好きな写真集の一つに、ベロックの”Storyville Portait”があります。言うまでもなく彼はプリントにも編集にも関わってはいません。アジェの写真集にしても同様です。
 プリントは写真の選択や並べ方、ブックデザインも、ひょっとしたらベロックやアジェ自身が考えたり願ったりしたものとは全く違っているかも知れません。(そもそも『写真集』という形態自身が彼らの思考の中にあったかどうかも疑問です)。
 けれども、私たちはそれをベロックの作品と言い、アジェの写真集と呼んでいます。それは、写真家がそこでシャッターを切ったという事実そのもの、其の時間と空間とを乾板上に定着させようとした写真家の意思そのものが、その作品をその写真家のものにしているということではないでしょうか。だとすれば、たとえ「未現像のフィルム」であっても、シャッターを切ったのが、否、人に頼んで切ってもらったり、自動撮影の機器をセットして切ったとしても、それはやはりその作家の作品として成立していると言えるのではないでしょうか。
 もちろん、そこでは、その作品のプリントや選択や並べ方が誰のものであるのかが明らかにされ、それは違う、私ならそうする、彼/彼女ならこうしたはずだ、という異議申し立て、異なった解釈の可能性に開かれていることが当然の前提です。
 写真が、露光というその入口において、写真家当人の意思さえ超えて成立してしまうということ、すなわち偶然に対して開かれているということが写真の魅力の一つであるとするなら、写真が、写真展や写真集といその出口においてもまた、写真が自身の思いを超えて成立するということも、同様に写真の本質に属することなのではないかと思うのです。
 それに、本当に世に残るべき作品であるなら、誰がプリントしようが、誰が選ぼうが、誰が編集しようが、そんなことには一切関わりなく残るに違いないともまた思います。それは写真家自身の思いさえ超えて成立し、批評家のたわごとやコレクターの思惑などに一切関わりなく自分自身を世にあらわすはずです。それが作品の力だと思います。
 ガレリアQの展示にはぜひ足を運びたいと思っています。

 そして開催された「2000年8月の未現像フィルム」展には、次のようなメモが置かれていた。

 2000年8月の未現像フィルム

 ここにある写真は、2000年の8月に関美比古がエストニア、ラトビア、スウェーデンを回って撮影したいたものです。
 この年に彼は6月8月、二度これらの地域に撮影に出かけています。
 6月に撮られた写真は2000年10月に、ここガレリアQで"carnation"シリーズの8回目として発表されています(彼はその写真展告知に「ロシア、エストニア、フィンランド、そして北岬まで。太陽の沈まない季節。モノクロ21点」と記しています)。
 彼は1998年から"carnation"と名付けた写真展を98年は4回、翌99年は3回と精力的に、ある意味では慌ただしく開いていました。写真展はいつも、撮影が終わると直ちに開かれ、時には、撮影行から帰って4日後に開かれたこともあります。
 その性急なサイクルを少し変えようとしたのか、彼自身の手による最後の写真展となったなる"carnation"の8回目の折に、「8月の写真は次の写真展のストックです。」とちょいと自慢げに話していました。
 それから約4ヶ月後の2001年3月にはロシア、エストニア、ラトビアへと再び出かけて行き、それが最後の撮影行となってしまいました。その時の写真は友人達によって現像、プリントが行われ昨年5月に"carnation"の最後の写真展となり、今年3月に刊行された同名の写真集にも何点か収められました。
 昨年の夏から始めた写真集の編集作業の間も、残されていたプリントやネガに混じって段ボール箱の一つに、X線防止用の袋に入ったまま置かれていた42本のブローニーフィルム、それを現像、セレクト、プリントしたものが今回ここに架けられた写真です。

 この展示を見て購入を決意、電話やメールでの遣り取りを経て、最終的にはこの「未現像フィルム」展からではなく(価格が折り合わなかった)、"carnation"のシリーズから2点を購入。それがこの「雪の上のタイヤの跡」(写真集『carnation』よりno.61)と「鸚鵡のミイラ」(no. 66)である。なお、この2枚は「アサヒカメラ」2002年4月号のグラビアページに、関美比古「carnation」として掲載された6枚の作品のうちの2枚でもある。

67Lot.67 芝田文乃
作品
2003
ゼラチンシルバープリント
I: 21.4x32.0cm
S: 27.7x35.5cm

68Lot.68 芝田文乃
作品
2003
ゼラチンシルバープリント
I: 21.5x32.0cm
S: 27.7x35.5cm

69Lot.69 芝田文乃
作品
2003
ゼラチンシルバープリント
I: 21.6x32.3cm
S: 27.7x35.6cm

 こちらも同じくガレリアQで購入、当時のメンバーだった芝田文乃さんのページからプロフィールを転記すると
「1964年神奈川県生まれ 1987年 筑波大学芸術専門学群 総合造形コース卒業、日常風景の中からスナップ写真によって驚きと発見を定着する作業を続け、ほぼ年1回のペースで個展として発表。それと並行して、1990年より演劇の舞台写真、1996年よりパフォーマンス・アートの記録写真、1997年頃から主にジャズ系ミュージシャンのライヴ写真を撮影するようになり現在に至る。1992年より毎年1−2か月ずつポーランドのクラクフに滞在。
ポーランド文学の日本語訳、技術翻訳(医学、化学)も手がける。東京在住。」

 作品はいずれも2003年の「いったりきたり日記/2002年版 Tokyo-Krakow,come and go'vol.4」(2003.11.01〜11.09)にて購入。この展示に寄せた芝田さんのメッセージは下記の通り。

日記としての写真について

日記につけていなければそのまま忘れてしまうであろう
ごく些細な、ほとんど意味のない事柄の集積で日々はできあがっている。
忘れてもいいようなことをわざわざ書きとめておくのは、
書きとめておかなければどこにも残らず、無かったことになってしまう、
という貧乏性的危機感によるのかもしれないが、
もう一つの理由は読み返してみるとそれが結構面白いということだ。
その事柄自体が面白いかどうかはさておき、
事柄とそれを観察する自分との関係はつねに興味深い。
その関係を日記に定着し客体化する作業によって、
年に一度、自分の位置を確認している。

 昭和の匂いを色濃く残していたガレリアQとは正反対、言われなければ誰も自主ギャラリーだとは思わないようなスタイリッシュでモダンなホワイトキューブを現出させていたのがphotographers’ gallery(略称PG)。こちらも企業ギャラリーと見まがうばかりの仕上がりの公式HPから引用すると

Concept
photographers’ gallery
2001年1月、新宿2丁目の雑居ビルの4階に「photographers’ gallery」と名前をつけて小さな部屋を借りた。かつて、この新宿2丁目には森山大道さん達が作った「camp」という写真のギャラリーがあった。そのことを意識したわけではないが、不動産屋を探しているうちにこの場所にたどり着いた。結局、安くて便利な場所は、歓楽街の雑居ビルの奥にあるということだろう。
photographers’ galleryのメンバーは多彩だ。20〜50代まで、年齢もキャリアーも写真もバラバラである。メンバーの入れ替わりもある。自主運営ギャラリーといえばロマンチックにも響くが、毎日こまごまとした実務の連続である。自作の展示の他に、企画展、レクチャー、シンポジウムの開催、機関誌や写真集の発行、ホームページでの情報、エッセイ、批評などの発信、さらに移動pgと称して全国各地、海外での展覧会も行っている。当然、写真を撮る時間も削られるが、しかし、写真を撮っていくということは、同時に写真を撮っているだけでは済まなくなるということでもある。撮影もプリントもギャラリー運営作業もリアリティーは同じである。
写真家自身によるこうした活動の歴史は以外にも古い。20世紀初頭のスティーグリッツによる「ギャラリー291」や『カメラワークス』、戦前の野島康三らによる『光画』、戦後では東松照明、奈良原一高細江英公らによる「VIVO」、中平卓馬、高梨豊、森山大道らによる「PROVOKE」などがすぐにあがる。比較するのもおこがましいが、現代の私達の活動もどこかでそれらに連なっているはずである。
写真というメディアが、ますます個人的な玩具としてナルシス達を大量に生みだす時代にあって、photographers’ galleryは単なる写真ギャラリーではない。写真家がさまざまな活動や人との出会いを通して獲得したリアリティーを深め、さらに交感してゆくための「メディア」なのである。

とテキストもそのフォントのみならずカッコイイのである。元々は、2001年、当時東京造形大学で写真を教えていた元「CAMP」の北島敬三と東京ビジュアルアーツで写真を教えていた元田敬三、その生徒たちによって設立された、初代自主ギャラリーの遺伝子を伝えるインデペンデントギャラリー。現在のメンバーは、田中昭史、長町文聖、高橋ひとみ、橋本一径、田代一倫、川口和之、笹岡啓子、北島敬三、岸幸太、高橋万里子、大友真志、角田奈々、王子直紀、大島尚悟、米田拓朗、吉戒拓朗、笠友紀、笠間悠貴。

014Lot.14 牛島麻記子
「穴」より
2001
Type C プリント、額:作家制作
I: 25.3x20.3cm

 「穴」(2002/5/13〜26)にて購入したもの。牛島さんは当時のメンバー。二つ折りで丸い穴の向こうに「あな」の文字が覗くという不思議なDMに惹かれて来廊、来廊しておられた作家さんから、「額は一枚一枚の写真に合わせて手作りです」などと話を伺ってしまうと(もちろん価格次第なのだが)どうしても欲しくなると言うコレクターあるあるの結果コレクションに加わることになった一枚である。

017Lot.17 大友真志
「overfloat」よりno.1
2005
ゼラチンシルバープリント
I: 38.9x52.5cm
S: 50.9x60.7cm

 大友さんは現メンバーのお一人。プロフィールには「1978年北海道北広島市生まれ、1999年専門学校東京ビジュアルアーツ写真学科卒業」とあるだけであるが、2005年の初個展以来「一貫して自身が生まれ育った北海道の風景や家族にまつわる物事を撮影」し続けている。2013年からは活動の拠点を札幌に移し、その姿勢は終始一貫してブレがない。

 作品は“「overfloat」/「overpast」”展(2005/202〜15)にて購入。今となってみれば、写真誌のみならず一般誌にも取り上げられるようになった骨太の写真作家のライフワークの「no.1」(DMのイメージでもあったと思う」ということになる。

058Lot.58 藏 真墨
「love machine」より
c.2002
ゼラチンシルバープリント
I: 45.7x46.7cm
S: 57.4x50.6cm

059Lot.59 藏 真墨
藏のお伊勢参り 其の二 三島から島田
2004
Type C プリント
I: 26.7x26.3cm
S: 35.5x27.9cm

60Lot.60 藏 真墨
藏のお伊勢参り 其の一 日本橋から川崎より
2004
Type C プリント
I: 26.7x26.2cm
S: 35.5x28.0cm

 藏さんは今や押しも押されもせぬWikipediaに項目のある「日本の写真家」である。以下コピペ。

人物
 路上でのスナップ写真を多く撮影している[2]。写真を撮ることにより自分の見方を極めようとしていると評される[3]。近年はゲイリー・ウィノグランド(英語版)『Women are Beautiful』(1975年出版)を意識した写真集『Men are Beautiful』を発表するなど表現の幅を広げている。2011年に刊行した写真集『蔵のお伊勢参り』は「おかしさとあてどなさ[4]」が特徴であると評された。2013年に東京都写真美術館の「この世界とわたしのどこか」展に出品し、「対象と距離」をとった特徴的なスナップ写真が評価された[5]。 
蔵の写真集『Men are Beautiful』はヘテロセクシャルの白人男性であるゲイリー・ウィノグランドが自分が魅力的だと感じた女性を路上スナップした写真集『Women are Beautiful』に対し、女性である蔵が魅力的と感じた男性を撮影した写真集である[6]。このシリーズは、美に関する男性中心的な「固定概念の解放[7]」を試みる作品であると指摘されている。

経歴
1975年 富山県氷見市出身
1998年 同志社大学文学部英文学科卒業
2001年 東京ビジュアルアーツ写真学科中退
2010年 さがみはら写真新人奨励賞受賞
2011年 木村伊兵衛賞の最終選考候補者に(受賞者は田附勝)[8]
2017年 横浜・韓国アーティスト交流プログラム2017[9]に参加

主な写真集
『KURA』蒼穹舎、2010年1月
『蔵のお伊勢参り』蒼穹舎、2011年11月
『氷見』蒼穹舎、2013年7月
『Men are Beautiful』蒼穹舎、2016年12月

出典
1.“自分をつくった家族や町とは? 蔵 真墨の「氷見」を見る”. 2019年3月9日閲覧。
2.「アート小路:「この世界とわたしのどこか」展」2013年1月21日、東京夕刊p. 3。
3.『ジェンダー写真論 1991-2017』里山社、2018年、391頁。
4.「蔵真墨写真集「蔵のお伊勢参り」」『読売新聞』2011年11月27日、東京朝刊p. 14。
5. 大西若人「(評・美術)「この世界とわたしのどこか」展 遠くから、近づきながら」『朝日新聞』2013年1月16日夕刊p. 3。
6.“蔵真墨「Men are Beautiful」”. 2016年12月16日閲覧。
7.「クリップ:展覧会 中谷ミチコ「souzou no kage」ほか」『読売新聞』2014年12月15日、東京夕刊p. 8。
8.“第37回木村伊兵衛写真賞受賞者発表” (日本語). AERA dot. (アエラドット). 2019年3月9日閲覧。
9.“「続・朝鮮通信使」横浜・韓国アーティスト交流プログラム 文化を重ね、心を通い合わせ、まだまだ続く。”. 2019年3月9日閲覧。

 モノを書くときにはあまりオススメできない。学生のレポートなら一発退場モノであるウィキのコピペを図ったのは、「ときの忘れもの亭主」さまの言われる通り「体力の限界」のためであるが、これだけの出典が挙げられるほど、その活動が広く認められ、評価されている(実際にはまだまだまだまだと思う。「木村伊兵衛賞」選考委員はその不明を恥じるに違いない。プンスカ)ことをなんとか分かっていただくためでもある(写真好きの皆様はすでに充分知っておられると思う)。

 こちらがはじめてお目にかかったときはphotographers’galleryのメンバーで、作品販売の担当をされていた。初個展「love machine」(2002/01/12〜/28)のA4サイズの巨大DMに吃驚して「これはダダモノではない」と個展に駆けつけた。DMにサインして貰って額に入れればそれで作品だ、などと思っていたら作品はそれ以上に凄くて、そして欲しくなって、でもプライスが5万円で無理で、それでも諦めきれずにPGの掲示板で「初個展で5万は高い」と愚痴ったら「額付きの値段です。プリントのみなら2万円です」とのリプライをいただいて、冷汗三斗平身低頭で譲って頂いたという忘れられない(忘れたい)思い出の一枚である。

 身近な街をフィールドにしながら、その当たり前の景色からふとその親しげな表情が消えて、急に何かよそよそしい、自分の知らない街、知らない人(そしてそれこそがその本質であるような姿)が立ち現れる瞬間が白と黒の真四角な平面に閉じ込められていた。

 その藏さんがカメラとフィルムを変え、2003年から始められたシリーズが「蔵のお伊勢参り」。毎回2泊から4泊程度で、各種交通機関を使って街から街を訪れるスタイル。最初の展示はphotographers’galleryで「蔵のお伊勢参り 其の一  日本橋から川崎」(2004/2/24〜3/4)、DMにもなったno.1を購入。これは写真集の表紙のイメージでもある。モノクロの作品とは雰囲気が変わって少し柔らかに、緩くなって、「そうはいっても、色々あっても、それでも人はなんとか生きて行く」といった、「お伊勢参り」に象徴される聖性と俗性のあわいにこそある「人間」の本質が(いい意味で)ぼんやりと映し出されている。
 このシリーズは「其の二 神奈川から箱根」(2004/5/5〜14)こそphotographers’galleryで展示されたもの、その後は、あたかも「お伊勢参り」のように会場を転々と移す(当方が購入したのは、横浜のBankART1929での「横浜写真館」(2004/10/26〜11/10)での展示「蔵のお伊勢参り 其の三 三島から島田」にてだった)ことになる。しかし、アガリの展示が2011年9月9日(金)〜10月8日、ツァイト・フォト・サロンというのがカッコ良すぎる。間違いなく藏さんを代表するシリーズである。

132Lot.132 本山周平
作品
ゼラチンシルバープリント
I: 15.5x19.7cm
S: 20.2x25.4cm

 本山周平さんは1975年熊本県八代市生まれ。 1999年第20回「キヤノン写真新世紀」佳作。2000年専門学校東京ビジュアルアーツ写真学科研究科卒業。2001〜2006年Photographer's Galleryにて活動。2007〜2009年「ギャラリー街道」にて連続展。2009年より専門学校東京ビジュアルアーツ写真学科非常勤講師。GRAF Publishers代表。
 作品はPhotographer's Galleryでゲストとして活動しておられた時代のもの。どの展示だったか記憶が定かではないが、何を写しても写っているものとは違うものが写ってしまう(写真的霊感?)といった感じのある本山さんらしい一枚ではないかと思う。

77Lot.77 高梨 豊
「TOMORROW」(1963)より「コカコーラ配達車」
2003
ゼラチンシルバープリント
I: 21.0x31.5cm
S: 27.7x35.5cm

 高梨さんは言うまでもなく日本写真史におけるレジェンドのお一人。大竹昭子さんの『目の狩人』に登場(つまり「芸術新潮」に1993年4月号から1994年5月号にかけて連載された13人+追加取材1人)する14人の内のお一人というわけで、とても自分がその作品を手に入れることができるなどとは思えない雲の上の存在だった。
 ところが、2003年の幕開け、1月10日から31日まで、photographers’galleryのSpecial Exhibition/企画展として、Yutaka Takanashi/高梨 豊「我らの獲物は一滴の光」が開催されること、オリジナルプリントの販売が行われるとのアナウンスがHPに掲載されたのである。第一期が1月10日から20日、第二期が1月21日から31日の2部構成で、

「第一期:初の個展「SOMETHIN’ELSE」から「地名論」までのプリント、「東京人」の全コンタクトプリントや制作ノートなど、これまで作者以外が目にすることの無かったものや著作、関連資料などを織り交ぜながら氏の方法論の展開を展示いたします」

「第二期:『都市へ』、『初國』と、そのテーマや手法は異なりながらも日本各地を撮影してきた作者が、今回は〈青春18きっぷ〉を使い、在来線の車窓から再び日本各地の風景をとらえた、2001年5月から撮影された最新作「WIND SCAPE」を展示いたします」

とのことであった。さすがに展示プリントそのものの販売はなかったが(当たり前)、その中からであればどれでもプリントしてもらえるということだった。だから、写真学生ではないファンやコレクターは、写真の方法論などはそっちのけで、「我らの獲物は一枚のプリント」とばかりに、展示のプリントやファイルを舐めるようにして眺めたものである。プリント注文のためのカタログ扱いされたコンタクトシートなどはいい迷惑だったに違いないのだが、買うつもりで見ないと見えないものがあるので(当然見えなくなるものもある)それはそれで貴重な経験だった。
 プリントは一枚25万円。これが1月でなければあきらめもついたのだが、残念ながら前の年の冬のボーナスが残っていた(残っていたのではなく貯金に使ったのだとわが同居人は主張している)。とにかく半分はどうにかなるということで、残りの半分を何回に分けてもらえるかの交渉となって、結局最初に10万円、後は5万円づつ3回、計4回の分割払いにさせてもらえることになった。そうなると次は何を選ぶかとの悩みが始まる、新作にしようかそれとも旧作のプリントを頼もうか。新作なら10年経てばヴィンテージだ。でも買うなら有名なイメージじゃないと。お願いするなら新作じゃないと気を悪くするんじゃないかetc……。
 自主ギャラリーで困るのはこういうときのアドヴァイスがギャラリストがら貰えないこと。彼ら彼女らはフォトグラファーであってギャラリストではないので当然と言えば当然なのだが、数万円のプリントの時には気にならなかったことが、これだけの金額になるととんでもないストレスになる。
 写真学校や写真学科も写真家の養成はもういいから(写真家になる人は教育や養成なんかされなくても勝手に自分でなる)ギャラリストやコレクターやキュレーターや評論家の養成をして欲しいと思うのはこういう時である。少なくとも海外なら当然の、マネジメントの科目はぜひとも導入してほしい。
 大竹先生に助けを求めることにする。記憶に残っていた「コカコーラ販売車」のエピソードを探して、これが「TOMORROW」で作風が変わったものの「半年くらいはなかなか撮れ」ず、「ようやく撮れたなという感じがあったのがコカコーラの瓶の写真」(138頁)だったという文章を確認してこれに決定。ご本人は「これ?」のようなリアクションで(当然だ)、新作にすれば良かったとその時は思ったりもしたのだが、オークションに出すとなった今は昔の自分を褒めてあげたい。
 ほとんど商業ギャラリーでの扱いがなく、市場にめったに出ることのない高梨豊の代表作、ヴィンテージとはいかなくても、作者自身によるオリジナルプリント、2002年のPGでの展示に際してということで履歴もばっちりである。赤瀬川さん、石内さんとならんで絶対のオススメである。(H)

◆ときの忘れものはH氏写真コレクション展を開催しています。
会期:2019年7月9日(火)〜7月13日(土)
H氏写真コレクションDM

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。*日・月・祝日は休廊。

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