ギャラリー  ときの忘れもの

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須坂版画美術館「追悼 島州一版画展」を観て〜2019年6月29日 (後編)

中尾美穂


7月16日アップの前編のつづき

 また長野での代表作として、水彩画「Tracing-Shirt」シリーズから5点が並ぶ。シャツは椅子と同様に身体が触れる、にとって分身のようなもの。東御に居を移してから長年の思索を経て、ようやく自身と関連づけた浅間山。その稜線をぐっと手前に引き寄せてシャツになぞらえた新しいモチーフである。平らに置いたシャツを真上からみて繊維の一本一本まで詳細にトレースする。最初の1点はコラージュでもあるが、シャツの模様の一部に合わせて紙片が貼られているだけで、コラージュに見える薄緑の葉のほうが彩色である。黒いネクタイは父の遺品。赤いネクタイは血管を象徴する。十字は赤十字で、人命を助けるものだからと語っていたそうだ。これらが島を表す(おそらく身辺の物語の)構成要素として作品に投影される。

20190709中尾美穂_019《Tracing-Shirt124》《Tracing-Shirt124》紙にガッシュ、アクリル、コラージュ 2011年

20190709中尾美穂_020《Tracing-Shirt124》部分《Tracing-Shirt124》部分 中央上部に小さいコラージュ

20190709中尾美穂_021《Tracing-Shirt149》《Tracing-Shirt149》紙にガッシュ、アクリル 2012年

20190709中尾美穂_022《Tracing-Shirt182》《Tracing-Shirt182》紙にガッシュ、アクリル 2014年

20190709中尾美穂_023《Tracing-Shirt210》《Tracing-Shirt210》紙にガッシュ、アクリル 2016年

20190709中尾美穂_024《Tracing-Shirt211》《Tracing-Shirt211》紙にガッシュ、アクリル 2016年

会場ではトレースに用いた自作の素材も展示されていた。椅子と十字はプラスチックの段ボールを切り、いつも使えるよう箱に入れられていた。これをシャツにテープで留めて上からトレーシングペーパーを重ね、個々の輪郭を写しとった。子供用のソックスは手元でトレースできるようにと購入したモチーフ。

20190709中尾美穂_025十字と椅子のシンボル十字と椅子のシンボル、赤いネクタイは自作

20190709中尾美穂_026ソックスを描いた小さい水彩画ソックスを描いた小さい水彩画(初公開・未完)

20190709中尾美穂_027同じくソックスを描いたサイン入りの4点同じくソックスを描いたサイン入りの4点(初公開)


版画専門美術館らしい、繊細でユニークな創作をゆっくり鑑賞できるよう配慮した展示構成だった。島の作品はほとんどがシリーズで、スタイルが確立するまでの長い試行と確立してからのヴァリエーションで構成される。思考の飛躍が予想もつかない変化を生んだが、視覚のまやかしに対して終始一貫、さまざまなアプローチを試みてきたのがわかる。

最後に梨本さんから「同展は「SP-C」「trace」シリーズなどの版の重ねや配色の豊かさが見どころで、写真では微妙な違いがわかりにくいため、原画を間近でご観いただける良い機会」とうかがった。希望に応じて団体客などへのギャラリー・トークも行なっているとのこと。この日は散策の時間を惜しんだが、隣接する世界の民族人形博物館をはじめ市内のアートスペース、古民家や蔵を改装した雑貨屋を一巡するのが楽しい。駅から道路が放射状に広がっているので少し迷い込んだりもして、小さくても飽きない街である。ぜひ足を運んでいただければと思う。

「追悼展 島州一版画展」
会期=2019 年 6 月 29 日(土)〜9 月 6 日(金)
開館時間=9:00〜17:00(最終入館は閉館 30 分前まで)
休館日=毎週水曜日
入場料=300 円 中学生以下無料(20 名以上の団体 2 割引)
会場=須坂版画美術館 併設/平塚運一版画美術館
長野県須坂市大字野辺 1386-8(須坂アートパーク内)
TEL.026-248-6633 FAX.026-248-6711
●須坂長野東 IC より 5km(車で約 10 分)
●JR 長野駅より長野電鉄「須坂駅」下車、タクシーで約 10 分

島州一サイト: 島州一図鑑 SHIMA kuniichi official website を作品ジャンル別にまとめたサイト

島 州一 SHIMA kuniichi official website コンテンツは「とんだ災難 変身カフカの日々」「島州一の ASAMA いろは歌」「島州一のこの絵について」と、 下記のリンク

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追記
2018年1月〜3月、埼玉県立近代美術館で開催された「版画の景色 現代版画センターの軌跡」を観て、70年代の《》や版画に衝撃を受けた。これほど格好よかったとは! 先鋭的な版画やパフォーマンスとシャツのイメージとは結びつきにくい。そこで関係者の談話やテキストをもとに、作者の道のりをたどってみた。

まず島州一は美術の最先端にいながら、一本の線を引くことから出発した作家である。

「絵を志した頃から私には石膏デッサンが悩みの種であった。その理由は当然両眼の複眼で石膏を描くのであるが、その時どうしても輪廓線が左右の眼で見た時に、画面上に一本の線として確定できないことが苦悩の種であった。
その問題は依然として私の前に存在するが、見るということの不条理性といった問題に気付き、その背後に拡がる世界を識った」(島州一「私の絵を描くシステム」2015年9月9日/「島州一図鑑」)

そして「版」の作家である。「版にする」=下絵をトレースして写す、「刷る」=版に紙などをのせて刷る、つまり別の素材に置き換える、といった行為の意味を探求した。版にはプリント(印刷)し、コピー(複製)する行為も含まれる。フロッタージュ(こすり出し)などのヴァリエーションもある。それらの根本的な意味と差異を示しつつ、おびただしい工程を繰りかえしたり、パフォーマンスに持ちこんだりした。

「1960年代より現代社会の中で積極的に生き始めた私は、企業の商標や印刷物を利用した作品を創り出した。現実の情報の断片を寄せ集めアレンジして作品化するコラージュである。
 その後、タイム、ニューズウィークやライフ誌といったマスコミの最先端の表紙を大きく引き伸ばし、情報の記号を私の環境として創り換え、私の情報として社会に投げ返す作業に移った。この行為は当時の美術界やマスコミに即受け入れられて、私の創った環境が本や雑誌に掲載され、もとの情報の形に戻されていった」(「情報処理の問題とその表現思考の変遷」1987年1月10日/初出「1989〜1979 島州一」双ギャラリー 1989年)

多摩美術大学絵画科を卒業後、60年半ばから画廊で作品を発表。71年、「第10回現代美術展」で《月と企業》が受賞。72年、「ジャパン・アート・フェスティバル」大賞受賞。74年、「第5回クラクフ国際版画ビエンナーレ」で《オモテとウラ》が第2席受賞。「第9回東京国際版画ビエンナーレ展」で《シーツとふとん》が長岡現代美術鑑賞を受賞。写真製版による版画が主流になり「版表現」の根本的概念が問われるさなか、意表をついた作品を国内外で次々発表し、脚光を浴びる。情報過多の現代社会を揶揄する版画やパフォーマンスは人々に衝撃を与えた。のちにパフォーマンスを「モドキレーション」(擬く+シミュレーションの造語)と称し、衝撃が増した。久保貞次郎の「(デビューの)権威に挑戦する気合と、現状を打ち破る前衛精神」「最近は、ひとびとの心をゆるがすような斬新さ」(久保貞次郎「ごあいさつ」/「作家招聘 島州一」町田市国際版画美術館 1991年)という言葉が印象に残る。

「毎日巨大な量の情報が自分を通過して行く。その中から真に必要な情報のみをどのようにして抽出するかが表現の前提で、自分の意識を確かめるために、造形意識を持って行為を仕掛けてみるという表現行為を続けてきた。それが、物事をなぞる(trace)という表現方法を自覚することになった」(「山はいつもシャツを着替える」2007年/初出「島州一」双ギャラリー 2010年)

「情報が自分を通過する」とはまるでAIのようだ。実際に彼は人工知能が解析するように描くべきものを検出する。輪郭線には二次元と三次元のずれ、視覚のずれ、見る者の観点のずれが生じ、実体と一致することはない。この不可能を逆手にとり、手先で触れ得る限りの、自身のフィルターを通して引いた線で対象をとらえた。そうして生まれたのが「SP-C」「trace」「Tracing-Shirt」などのシリーズである。

「形(輪郭)が出来たらそこに色を塗り、絵画として充実させたい。その場合、形は私が外界から選んだ形から生まれているのに対し、色彩は私自身の内部より生まれ出るもので、その両者を合わせ絵画として充実させることに多少矛盾が生まれる。その矛盾こそがトレースの意図するところである。
20年前に長野にやって来て、やっと見つけた浅間山の同義語であるシャツ。このシャツが現在の私のモチーフとして続いている。」(「アイコン、制作のモチーフ」2013年1月26日/初出「島州一展 銀河鉄道77」双ギャラリー 2013年)

島が思索の流れを語る文章は、はつらつとしてコミカルである。上記の文では「充実させたい」という独特の表現。画が意図したもののみで満たされていく感覚だろうか。1970年代にコンセプチュアルな活動を続けながらも絵を描きたいと思い、1980年〜81年に文化庁芸術家在外研修生として欧米に渡ったのを機に滞在先のパリですぐに画材を購入した。現地ではフロッタージュによるインスタレーションを行なう。そして1986年に描きためていたプリミティヴなパステルの抽象画を発表した。長い準備期間のストイックさにめまいがする。さらに2006年、浅間山をモチーフに「ASAMA」シリーズを始め、2007年に「浅間山の同義語である」シャツを描くまで10年ほどの構想を経たと知ったときも驚いた。霊峰富士山の神を祀る浅間(せんげん)神社やコノハナサクヤビメを連想し、どこか禁忌的、挑発的に思えた。長野の浅間は祀神が違うが、活火山で山の神が宿る。作者が田園の牧歌的な生活を表現したのか、信仰や日本の神話や何か特別な出来事もひそむのかと想像するばかりである。島の探求は見ることの不条理をもって、世界をどのように見るかにあった。しかしどのように見るかは、“自分が”どのように見るかであり、作者自身のアイデンティティが探求の中心だった。1969年にカルピスの商標である黒人の扮装で個展会場に座り、自分自身を作品として発表した時からずっと、自身を作品化している。社会構造や既存の美術に対して明確なメッセージを放つ作品より、メッセージを根底に作家のありようをみせる作品の方がはるかにわかりにくい。島はそれに構わず、創作意図を明かすことなく鑑賞者を置き去りにしてきた経緯があり、のちに展覧会カタログに寄せた短文や講演、そのほかのテキストで思考のプロセスを発表している。

「(前略)2007年よりTracing-Shirtシリーズを始めた。自分を浅間山に仮定することでメタモルフォーゼされ、私のシャツに浅間山というシンボルが同定して出来た作品である。その結果、作品づくりにはメタファーとシンボルが同居することが必要と私に気付かせてくれた。
 そこで言語の誕生の作品の上に私の数種のシンボルをアイコンとして描き加えたところ、不思議なくらい言語の誕生の画面に同居し、画面全体が目覚めたように意味を持ち始めたのが驚きであった。
 言語の誕生というメタファーは私の個人的な形であって外界の形はいっさいない。作品を鑑賞しようとする時、手がかりがないとせっかくの構造も意味を持てなくなる、云わば自家撞着に陥ってしまう。
 そこに外界の具体(似像)を持ち込むことで、いわゆるシンボル(icon)とコミュニケーションが生まれ、観る者にとってそこに活発なコミュニケーションの図が描けることになった。更にその画面の上に、直に顔の造作を置くことでより作品の奥行きが生まれる気がした。(後略)」(2016年2月2日/「島州一図鑑」)

「(前略)画面に顔を全面に乗せてしまうのは、すでに描かれている画の意味を消してしまうのではないかと私は強く心配したが、自然にそれをやってしまった自分が居た。
 顔を乗せる作品によって、作品全体として良くなったり破綻してしまったりしているが、それでもなお徹底してこれをやってみたいと思っている。
 メタファー(metaphor)とシンボル(symbol)の新しい結合により、新しい絵画の地平がひらけることを強く希望する。」
(「『言語の誕生添景』顔シリーズ」2016年11月30日/「島州一図鑑」、「島州一展「言語の誕生添景」」RED AND BLUE GALLERY 2017)

メタファーとは間接的な比喩、つまり暗喩で、「言語の誕生」は1992年に発表した油彩の展開作品である。カンヴァスを線と色・模様で埋め尽くした。このために島は木炭でデッサンを、ガッシュで配置を、F25号にテンペラと油彩で材質を意識し、F120号のカンヴァスで作品を独立させた。それをトレースして木片で組みなおし、さらに表面のフロッタージュを行なっている。無意識・意識的に手を動かしてできた「一つの造形詩」の「原始的な形」で、完全な抽象の「私個人の形」だという。それを起点に実験的創作を続け、2010年ごろからポップでカラフルな椅子や十字や自画像(時には目や口だけの)を自作に添景として加える試みを始めた。明確な暗喩を持つ以上、それに気づかせてくれる具体的な形が必要ということだが、添景から特定の情景や隠れたストーリーを正確に読み解くのは困難だと思う。しかしたとえば、詩の暗喩に照らして考えると興味深い。もし未知の言語で書かれた詩の高度な比喩を理解しようとすれば、途方もないが、作者の意図した単語の意味を探り、詩のリズムを感じ、見える世界を広げていくところから始めるだろう。同様のステップで、十字が赤十字、椅子が過去の作品、唇の形が山というふうに作者と作品のコンセプトに歩み寄ることはできる。島は1972年にメキシコ、1973年にブラジルほか、1980年〜81年に欧米に滞在した。異なる文化圏での言語体験が制作に関係しているかはわからない。それでも言語学が文を単語に分解して関係性を考察していくのと似たアプローチで、絵画を形や色に戻してから再構築しようとし、もっとも単純で伝達に有効な色と形の組み合わせに新しさを見いだしたのかもしれない。島の膨大な作品群を丁寧に見なおすことで作品とのより深いコミュニケーションが可能になり、「新しい絵画の地平」が想像できるだろうか。それに期待し、今後の回顧展を願ってやまない。

*島今子夫人をはじめご教示くださった皆様、資料をご提供くださった方々に御礼申しあげます。
なかお・みほ

■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。

●本日のお勧め作品は、島州一です。
shimak03島州一 Kuniichi SHIMA
「ゲバラ」
1974年
布にシルクスクリーン(刷り:小峰プロセス)
Image size: 69.0×99.0cm
Sheet size: 103.1×125.1cm
Ed.50   サインあり
*現代版画センターエディション
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◆ときの忘れものは紙の上の建築展を開催します。
会期:2019年7月26日(金)〜8月10日(土) *日・月・祝日休廊
201907紙の上の建築展DMハガキフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサール・コルビュジエマイケル・グレイヴス磯崎新安藤忠雄六角鬼丈ら建築家のドローイングや版画を展示します。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。*日・月・祝日は休廊。

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