ギャラリー  ときの忘れもの

001_外観1
このブログ上の図版、写真、文章等のすべてについて無断転載・無断引用を禁止します。

『難波田龍起作品史 1928−1996 | アトリエに遺された作品による』(作品編/解説編)ときの忘れもの、2019年

栗田秀法

 焦茶と若草色の瀟洒な表紙に包まれた二つの冊子が金の文字が印字された象牙色の貼箱に収められた本書を手にして、自宅にあったはずのヨーロッパの中世末期の小型の彩飾時禱書の簡易ファクシミリ版のことを、静寂な夜更けに頁を繰りながら掌中で挿絵と親密な対話を繰り返した、忘れかけていたあの至福の時を思い出した。四六判経文折という凝った造りの本書にこれから触れる方は、難波田龍起(1905-1997)がアトリエに遺した作品群に由来する139の作品による巧まずして現れた「自分史」を、自在に行きつ戻りつ楽しみ味わい尽くすことができる得難い機会を得ることになるだろう。また、テーブルの上で蛇腹を大きく開けば作品の展開を巨視的につかむことも可能となり、デジタルメディアとは一味異なる古くて新しい鑑賞体験の形が提案されてさえいるかのようだ。
 こうしたユニークな「作品編」に加え、本『作品史』には味読できる「解説編」が付されている。その各作品解説は、『難波田龍起 「抽象」の生成』(美術出版社、1998年)を上梓した小林俊介氏による労作で、個々の作品についての理解を深めるべく参考作品、現地写真、作家の言葉等が縦横に援用されるとともに、綿密な作品観察、技法分析と犀利な造形分析により作品の特質が手に取るように立ち上がってくるようになっている。美術館の今後の所蔵品解説のひとつの模範となるべき仕事と言えよう。「作品編」と「解説編」が見事に合体した『作品史』は難波田芸術の理解への最良のチチェローネとして受け継がれるに違いない。
 筆者がかつて勤めていた美術館には《萌》(1961)、《原初的風景A》(1987)が収蔵されており、在職中の所蔵作品において比較的頻繁に展示されていたこともあって、かねてから難波田作品には格別の親しみを感じていた。今回『作品史』を精読するする機会に恵まれ、難波田龍起の人と芸術について認識を新たにすることができたのは幸いである。
 解説によると、いつ作業が始まったかは不明ながら、この「139点は、油彩を中心とし、小品ながらもほぼ全てに制作年月日、サインがあり、1点1点丁寧に梱包されていた」ものであり、昨年にある個人コレクターにまとめて収蔵されたという。
 難波田龍起の画業は、1999年の回顧展(東京オペラシティギャラリー)では、年代を追って7つのセクションが設けられている。それに従い139点の内訳を調べてみると次のようになる。

 1 初期具象時代 1927-1949  59点
   [1950年]  2点 
 2 抽象への志向 1951-1954  11点
 3 抽象表現の展開 1955-1960  19点
 4 行為:ドリッピングの時代 1961-1970  11点
 5 瞑想 1971-1982  19点
 6 群像;心象風景 1982-1992  13点
 7 生の記録 1993-1994 [それ以降]   5点

 抽象への志向の強まる1951年以前の作品が61点を占めており、全体の4割強にあたる。そのうちの40点ほどが戦前のものである。一番早いものは1928年のもので、しばらく年代が空いて34年頃のものが現れ、35年のものになると15点も含まれている。作家にとってのこの年の重要性の度合いをうかがい知ることができよう。松本竣介との交流が深まったり、「ギリシア連作」の制作が始まったりしたのはちょうどこの頃のことである。
 注目されるのは、これらの作品の着想源が小林氏によってほぼ突き止められたことである。それらの多数は洋書のウォラック『ギリシア彫刻』であったとされ、他の著作の参照を含め、当該の複写図版が解説に添えられている。彫刻ではないが、ボッティチェリらのルネサンスの古典的な絵画の図版を写し、自らの作品に取り込んだ同時期の松本竣介の仕事とも比較できよう。興味深いのは、引用された作者による「生きてゐる女の顔を描くより、石膏像を描いて生命を甦らせる方がいい」(1934年の書簡)という言葉で、難波田の白黒写真に着色を施し自己流の表現に高めるこれらの試みは、彫刻家ピュグマリオンに恋慕されウェヌスによって生命を与えられた大石像の神話も思い起こさせる。
 小林氏の調査にも関わらず着想源が不明の作品がいくつか残っている。例えば1934-5年に年代推定された作品番号3は古代風の衣を身に着けた二人の人物が描かれた作品だが、様式的にはルオーの影響が見いだせるものの、参照元は不明であるとされている。量感のある身体と大きな手足の表現にはピカソの新古典主義時代の作品に通ずるものがあるのだが(cf. Zervos IV, 58)、ぴったりするものは筆者も見いだせなかった。

003003 《二人》(仮題)
油彩
1934-35頃
330×242

 「ギリシア連作」に属する《聖女》(作品番号11、1935年)については、連作の他の作例とは異なり、手本となった作品が不明とされており、小林氏はギリシア彫刻よりもむしろルドンの両性具有人物との関わりから本作品の理解を試みている。ウォラックの著作に掲載されているかは確認できなかったが、古代ギリシアにおけるクラシック時代に制作された墓碑彫刻に出てくる横顔の人物に通ずるものがあるのではなかろうか。作品番号21の伏し目がちの人物の頭部もそうした墓碑からきている可能性があるかもしれない。

011011 《聖女》
油彩
1935
333×241

 作品22の《彫刻》では、何かしら表現主義的なその姿に他の「ギリシア連作」とは性格を異にするものが看守される。小林氏は、「古代ギリシア彫刻が参照されていると思われるが、原作は判然としない」と述べられているが、筆者はケーテ・コルヴィッツの作品世界を思い起こした。

022022 《彫刻》
油彩
1937
270×216

 戦後の洋画家たちに大きな衝撃を与えたのは1951年2月の現代フランス美術展(サロン・ド・メ日本展)」(日本橋高島屋)や1956年11月の「世界・今日の美術展」(日本橋高島屋)であったことはよく知られている。実際、戦前には抽象表現に向かうことのなかった難波田も作風は抽象へと大きく舵を切っている。
 注目されるのは、今回の『作品史』では抽象表現に向かう以前の1949年頃にクレーや児童画の影響を明らかに示す作例(作品番号59)が含まれていることである。また少し後の作品62の《座る人》(1951)でも、クレーやミロの有機的な形態に通じる形象が画面の中央を占めている。一見すると自動筆記的な不定形の形象が浮遊する抽象絵画のように見えるのだが、よく見ると中央の形象はベンチに腰掛けた人物であり、その周囲の形態は建物や鉄塔が簡略化されていることがわかる。現実に取材しながらも、個々の形態は本質的なものに簡約化され、それによって地と図の区別があいまいな揺らぎのある空間が生まれている。後年の作品世界を特徴づける絵画空間の特質を予告するものだといえよう。小林氏は適切にも作家の1951年の日記から「線がリンカクに終わってはいけない。線は神経の働きと同じだ。線の中に神経を入れるのだ。ポール・クレーの線は神経そのものだ。クレーの絵を見ながら描いていると実にそれがわかる」という一節を引用しているが、モノを模るシニフィエとしての線であると当時に、あるいはそれ以上に独自の表現価値を持ったシニフィアンとしての線を重要視する姿勢は、70年代に確立する完成された作風にも受け継がれるものである。

059059 《公園》(仮題)
油彩
1949
241×333

062062 《座る人》(仮題)
油彩
1951
330×238

 また、作品67-68の仮面を描いた作品は、小林氏が指摘する埴輪や長谷川三郎作品との関わりに加え、クレーによる顔をクローズアップしたいくつかの作品に通ずるもので、駒井哲郎もクレーに触発されて同種の作品を同じ頃に制作していることは興味深い。

067067 《仮面》(仮題)
油彩
1952
330×238

068068 《子供の顔》(仮題)
油彩
1953
330×238

 加えて、作品64の《工場の見える風景》(1951)から作品66の《街》(1951)を経て作品69の《人間の歴史》に至る過程は、モンドリアンが樹木や海面を抽象化して抽象絵画に到達したプロセスをやり直しているように見えることは注目される。この作家にとって抽象絵画は基本的にあくまで現実を抽象化したものであり、現実から切り離れた非対象絵画となることは決してなかったことはその後の展開が示すとおりである。

064064 《工場の見える風景》
ペン、油彩
1951
123×157

066066 《街》
油彩
1952
350×265

069069 《人間の歴史》
木炭、油彩
1952
590×525

 この後に難波田の抽象表現への本格的な探求が始まったわけだが、139の作品群には完成作に到達しなかった習作的な作品、中途で制作が止まったままの試行的な作品が含まれており、大型の出品画を中心とする表舞台とは微妙に異なる裏面史として興味が尽きないものである。例えば次男史男氏を亡くした1974年のコラージュを含む一連の作品群も、小林氏の導きによって作者の境遇が重ね合わされるとき、作品は違った相貌を見せ始めはしないだろうか。その多くは小品ながらも、作者が密かに遺した個々の作品の背後にいかに濃密な世界が広がっているかについては、小林氏の詳細な作品解説を通じてぜひ確かめていただきたい。
 ターナーにおけるラスキン、ドラクロワにおけるボードレール、マネにおけるゾラ、ポロックにおけるグリーンバーグ等、優れた批評家や研究者に恵まれた芸術家は幸いである。小林俊介という熱烈なるよき理解者を得るという奇跡に恵まれた難波田龍起の芸術の意義や真価がこの『作品史』を通じて一人でも多くの芸術を愛する方々の心に届くことを祈念して已まない。
くりた ひでのり

■栗田秀法(くりた ひでのり)
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授を経て、現在、名古屋大学大学院人文学研究科教授(博物館学担当)。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「 戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など。

『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』刊行記念展
会期:2019年11月29日[金]―12月28日[土] *日・月・祝日休廊
*12月18日(水)は17時半で画廊を閉めますので、ご注意ください。
316
・出品番号10『作品1995.8.25』
098トリミング作品 1995.8.25
1995年
油彩、紙、ペン
16.7x12.2cm
Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

難波田作品史チラシときの忘れものは、今までにない美術本を作りました。
書名は『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』。
近現代絵画史に大きな足跡を残した画家、その生涯にわたる作品139点に解説を付し、
「見て読む鑑賞」を提案します。解説文は難波田龍起研究の第一人者小林俊介氏が執筆。
画家が生前自選した作品群が初めて明らかになります。
『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』
四六判 上製 2巻構成 ケース入
作品篇 経文折り 作品図版カラー139面仕上げ
解説篇 総200頁 各作品解説平均400字 作品の詳細データを付す
発行 2019年9月30日
著者 小林俊介
編集 三上豊
デザイン 大串幸子
発行 綿貫令子
発行元 ときの忘れもの/(有)ワタヌキ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット