ギャラリー  ときの忘れもの

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東京上空に浮遊する幻の街 平嶋彰彦写真展に寄せて

大竹昭子


 東京生まれの東京育ちにもかかわらず、いや、だからと言うべきか、長いこと東京のごく限られた範囲しか知らずに暮していた。用事のある場所を行き来するだけで、未知の場所があることも、それがどんなところかを探ることのなかった暮らしが変化したのは、ニューヨークに行ってからである。住宅と商店が混在するダウンタウンに住み、街路の風景が日々移ろうのを目の当たりにするうちに、街を歩くことが楽しくなった。当時のニューヨークは再開発がはじまろうとするとば口にあり、街に漂う生き物に触れているような生々しさに魅了された。カメラを手にしたのもそのときで、歩きながら目にした光景にシャッターを押し、帰宅するやいなやフィルムを現像し、印画紙に焼き付ける。その一連の行為に、文字通り我を忘れて没頭したのだった。
 そうやって二年ほど過ごして帰国すると、それまで興味のなかった東京が俄然おもしろくなってきた。都心にアパートを見つけ、そこを拠点にカメラを提げて知らない東京を闇雲に歩きまわった。一九八〇年代半ばのことである。
 このポートフォリオの元になっている『昭和二十年東京地図』が出版されたのは、ちょうどその時期に当たる。当時、既存の建物を別の用途に活用したり、更地にして新たな建物を建てたりということが起きていた。不動産の価値を上げるこの「再開発」と呼ばれる動きに対抗するように、東京関連の書籍がつぎつぎと出版され、書店の棚を埋めていった。都市の意味が組み換えられる前にその姿を記録しておこうという切羽つまった思いに、ジャーナリストや建築家や都市研究者たちが駆り立てられたのだろう。
 平嶋彰彦によれば、『昭和二十年東京地図』が出た経緯はつぎのようなものである。
 一九八五年、終戦の翌年に出た戦災で焼失した地区を赤く色分けした地図帖が『戦災焼失区域表示 コンサイス東京都35区区分地図帖』として復刻された。それを毎日新聞社の同僚、西井一夫に見せたところ、その地図を片手に東京を歩くという企画が『毎日グラフ』で通り、平嶋が写真を、西井が文章を担当して連載がつづき、後に単行本にまとまったのだった。 
 平嶋が企画のインスピレーションを得たというその地図帖は、わたしも出たときに買って持っていた。それを見ながら歩こうとは思いつかなかったが、ふたりが東京を散策していたのと同じ時期にわたしもまた東京の空の下を歩いていたわけだ。
 このポートフォリオの背景を想うとき、このような事柄が浮かんでくるが、目の前にあるプリントからはまた別の感慨がわいてくるのもたしかである。それは三十五年という時間の隔たりがもたらすものとは別の、写真を見る純粋な歓びから生まれ出るものであり、一点一点の写真にキャッチャーミットに捕らえられたように包みこまれてしまう。
 《宇田川町 カクテルバー門》《代官山町 同潤会アパート》《内藤町 渋谷川沿いの家》などは実際にこの目で見て知っており、ああ、たしかにこういう建物があったと脳裏に浮かべるうちに、「懐かしい」という言葉が自然に口をついて出てくる。
 なかでも《内藤町 渋谷川沿いの家》は、そこからそう遠くないところに住んでいたので、いちばんよく見ていた一つだった。新宿御苑の大木戸門のそばに、水の涸れた渋谷川跡に下りられる場所があり、そこに忍び入って高く伸びた雑草をかき分けて流れの跡をたどっていくと、外苑西通りにぶつかって川筋が消えるところにこの家があった。道路からだと少し見下ろす位置だったので、気がつかずに通りすぎていた人もいたかもしれない。
 時代の陰にひっそりと身を潜めるようにしてあったその家は、いつの間にか取り壊され、高層マンションに建て替わり、そこにあったことすら忘れるほど年月がたったある日、ポートフォリオをつくることになり、写真で再会したのである。一瞬、声をあげそうなほど驚いたが、同時に未知のものを見ているような感覚にも囚われた。この家の存在は知っているけれど、このような姿に触れたことはあっただろうか。まるで既知のものが一瞬にして未知のものにすり替わる巧みな手品を見せられたようだった。
 現代社会では実物を見ることと、それを写した写真を見ることは、同じレベルの事柄として通っている。現実の代用品として写真画像が使われ、さまざまな取り決めがなされていることからも、それがうかがえるし、時代の流れとともにその傾向が促進されていくのもまちがいないことだ。
 ところが、よく考えてみればこのふたつの「見る」は位相がちがう。写真ではレンズを通して定着された像を「見る」が、目の前の現実を見るときは眼の網膜に映った像を「見る」。像の生成の過程が異なるのであり、でき上がった写真を見るときは再び肉眼を使い、レンズの見たものが肉眼にもどされる。写真がもっとも謎めいているのはこの点で、循環する両者の関係にその神髄があるのだろう。
 レンズがとらえた過去の像から人はさまざまな記憶を引きだし、想念や感情をわき上がらせる。肉眼が複雑な機能を備えた脳に直結しているゆえにそうなり、しかもカメラのフレームによって周囲がカットアウトされているために、《内藤町 渋谷川沿いの家》ならばまわりのものは目に入らず、この家だけに意識を集中して見ることになる。
 実際に建っている家を見ていたときはそうではなかった。周りには新築のマンションが建ち、それらに見下ろされながら朽ちてゆくことに哀れさを覚えたり、嵐がきたら吹き飛ばされそうだとか、火事にあえばひとたまりもないとか、大水が出たら浸水しそうだとか、不安な出来事を思い浮かべつつ眺めたものだった。家に過ぎていくのとおなじ時間のなかに身を置いて、消えていく未来の姿を先取りしながら、それに抵抗する術をもたない無力さとともに見ていたのである。
 生きている人間の身は常に時間にさらされ、消えていく瞬間にむかって刻一刻と進んでいる。だが、写されたものはそうではない。時間の概念の外にいて、壊れず、火事にもあわず、哀れさや不安感をそそることもなく、不動の存在としてそこに建ちつづける。これらの建物に漂う威風堂々とした空気は、もはやだれの手にも犯されることのない安堵によりもたらされているのだ。
 どこを向いても木造の住宅ばかりだった戦前の頃、この家は無数にあるもののひとつで、わざわざカメラを向ける人はいなかったはずである。空襲にあってほかのものが焼け落ち、生き残ったゆえに目に留められ、写しとられ、唯一無二の存在となった。
 思えば、この家に限らず、この世のあるものにふたつとして同じものはないが、ふだんの生活でそのことに意識を向けることはまれだ。写真の力を借りたときにはじめて、群衆のなかに個の顔がくっきりと浮かび上がるように存在のかけがえのなさに意識が及ぶ。この世の事象に恒久なものはなく、すべてが取り換えの利かない唯一無二の存在であることが心に刻まれ、忘れがたいものとなる。
 シャッターが押されたときに、家は一旦「死」の領域に入り、生きている者によって見られたときに蘇り、顕れるのだ。そのためだろうか、写真に終の居場所を得た建物や風景からは死者のそれに似たおだやかさが伝わってくるように思われる。時間から自由になるとはこういうことか、と繰り返し見入るうちに、あたかも夢を見ているように虚構の街が立ち上がってくる。かつての東京に似ているが、まったく同一ではないその幻の街には、ポートフォリオをひもとけばいつでも一飛びで行くことができるのだ。

おおたけ あきこ) 

平嶋彰彦ポートフォオ_東京ラビリンス_1
平嶋彰彦ポートフォオ_東京ラビリンス_2
平嶋彰彦ポートフォオ_東京ラビリンス_5

●本日のお勧め作品は平嶋彰彦です。
hirashima-05
平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
《永代 大島川西支川の舟溜まり》
1985.9-1986.2(Printed in 2020)
ゼラチンシルバープリント
シートサイズ:25.4x30.14cm
Ed.10  Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」(予約制/WEB展)。
会期=2020年11月6日[金]—11月28日[土]*日・月・祝日休廊
無観客ギャラリートーク 平嶋彰彦さん・大竹昭子さん

324_aときの忘れものは平嶋彰彦さんのポートフォリオ『東京ラビリンス』を刊行します。
『昭和二十年東京地図』(写真・平嶋彰彦、文・西井一夫、1986、筑摩書房)の中から、監修の大竹昭子さんが選出したモノクローム写真15点を収録しました。
平嶋彰彦さんがエッセイ「 ”東京ラビリンス”のあとさき 」をブログで連載しています。
森山大道さんの「平嶋彰彦展〜写真を支える多様なレイヤー」もあわせてお読みください。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。*日・月・祝日は休廊。
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