ギャラリー  ときの忘れもの

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石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」─5 (番外、パリでブラパチ)

『マン・レイ2冊 年の差10年』


202011石原輝雄‗BP5-01 "THE GIFT FROM JULIET MAN RAY" (左)  "IN THE STUDIO OF MAN RAY"(右) Collaboration: Teruo Ishihara and Jan Svenungsson

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 先月末に上梓したマン・レイのスタジオにまつわる2冊の絵本について紹介したい。もちろん小生による超零細小部数限定の銀紙書房本。オリジナル作品としての造本表現と胸を張りつつ、ファンの方々からのご注文に一喜一憂しているのであります。

 今回はコロナ禍での外出自粛を逆手に取り、春先から続けていた翻訳「ひとり出版」12冊を拡大し、ベルリン在住のヤン・スヴェニングソンに協力を求め、拙い日本語への置き換えも写真の援護射撃があれば許されるかと取り掛かった。従来からの銀紙書房判型をA6判に縮小、表紙をボール紙、背綴じをコデックス、横長の仕様と大きく変えての挑戦とした。まずは、出来上がった2冊の姿を見ていただきたい。──どうです、「手のひらサイズでおしゃれ」と思いませんか。戦前にボン書店の鳥羽茂が出版した「生きた詩人叢書」や、エロテックな風流人・亀山巌の名古屋豆本を手本としております。小型本もそれなりに、難しいものなのです。

 さて、2冊の絵本の内容。始まりは新婚旅行で訪れたパリ、フェルー通りのスタジオに遡ります。旅行の様子は、拙著『マン・レイになってしまった人』やときの忘れもののブログ連載『マン・レイへの写真日記』(第6回)などに書いているが、スタジオはマン・レイの没後、未亡人となったジュリエットの「美術館にしたい」と云う願いが叶わないまま人の手に渡り、残されていた作品も競売に掛けられ散逸、室内は改装され、今ではスイス人の画家が住んでいると聞く。

202011石原輝雄‗BP5-02古い箪笥の上にはマン・レイのオブジェなど

202011石原輝雄‗BP5-03『ジュリエットの50の顔』の扉にサインをしてくれた

202011石原輝雄‗BP5-04フェルー通り、右側高い塀の先にスタジオ 撮影2006年

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 映画『ダ・ヴィンチ・コード』で有名になったサン=シュルピス教会からリュクサンブール公園に抜ける細いフェルー通りにあったスタジオ。訪ねたのは1982年6月12日午後。ある種の「聖地巡礼」であるが、未亡人のサポートをしているヤン・スヴェニングソンが迎え入れてくれた。前日にマリオン・メイエ画廊で、『イジドール・デュカスの謎』を題材にしたマン・レイのリトグラフを見せ場所を教えてくれたのだった。金髪の爽やかな好青年。後日、お礼に手書きのマン・レイ・テイシャツを送ったのを覚えている。このヤンが現代美術作家として活躍しているのを知ったのは、彼がジュリエットから贈られたマン・レイ作品を使ったインスタレーションをスウェーデンのエドビク美術館で開催した『わたしのマン・レイ』展(1998年)について、美術館に問い合せた事による。それから、連絡を取り合うようになった。「彼がわたしへの私信で『マン・レイに夢中になっていたわたしたちの間には、特別な感情があった』」と述べているように、人生を決定づけた作家への敬愛と『父親からの卒業』は共通するテーマであったと思う」。わたしたちが出会ったのは「マン・レイ狂い」の必然からだろうか。出会ってから38年が経過した。最近では「特定の作家とその作品への愛を何十年もの歳月をかけて育むとは、どういうことだろう?」それは「作家や作品だけでなく、作品を見ている人にも意味を与える」と書いて、青春の情熱への忠実な態度を示している。15歳でマン・レイの『セルフポートレイト』を読み、その後の人生が決まってしまったヤン。芸術家になろうとした必然は、出会いの偶然から生まれる。不思議な物語がマン・レイと共に降臨したのだろう。わたしも同じだから良く分かる。「アメリカン・ドリームの体現者としてのマン・レイ」や、スタジオを「完全に自由な芸術家としての自分を演じるための舞台」とする指摘、「私生活が知られていない芸術家はもう二度といないだろう」など、身近にマン・レイの存在を感じた人ならばこその「自分自身について書くことが出来なければ、マン・レイについて書くことなどできない」と云う決意に脱帽。わたしなど、まだまだ、甘いと恥じ入るばかり。職業を別にもち、趣味としての「マン・レイ狂い」など、純粋であるようでも底が浅い。

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202011石原輝雄‗BP5-05黄昏時の鴨川 四条大橋から望む 撮影2014年

202011石原輝雄‗BP5-06ヤンからの玉手箱 マン・レイ写真 16点

 ヤンが来日し祇園で歓談した折(2014年)、再会の記念にと1979年からの4年間にスタジオなどで彼が撮った写真を贈られた。わたしが撮った数時間たらずのスナップと違って、奥行きがあり、時間が止まった印象。合祀前のモンパルナス墓地を捉えたのも含め、マン・レイ没後に世に出た多くの写真とは似て非なるもの、これを、わたしの手で写真集として纏めたい、わたしのカラー写真と共演させたいと考えた。

 とはいえこれは難しい。縦と横の写真が混在するし、手にとって楽しく、新しい発見があるような本。テキストを新たに書き二人の共著とするか、いくつかのアイデアが生まれ、入れ替わり、消えていった。そして、今春からの状況をプラスにとらえ、彼が2004年と2013年のマン・レイ展カタログに寄せたテキストを読み直した。これが、愛あふれる内容で涙すること、多々あり。日本語に置き換え文字数を計算してみると写真と合わせ手頃な72頁で収まりそう、写真の扱いも解決策が見つかり、手の痕跡を残すことが出来た(と自画自賛)。書容設計をしている時が一番楽しい。

 ヤンに計画を伝えたところ、快諾を頂き、さらに「雑誌に執筆した1990年のテキスト(スウェーデン語)も読んで欲しいと、新たに英訳したものを提供された」。これにより、わたしが撮った写真も纏める目処がついた。ひとつの本での写真共演は力の差がありすぎて躊躇していた訳。わたしの方は、新婚旅行の絵日記の粋を越えないことを、本人、自覚しているのです。なので、姉妹編・2分冊。題名は『マン・レイのスタジオで』と『ジュリエットの贈り物』。

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 銀紙書房の本造りについては、以下の写真を参照していただきたい。── 校正を済ませ(最後まで不安だけど) 8月後半から作業に入った。カラー図版とモノクロ文字の2度刷りで、インクカートリッジの使用が半端ではありません、連日、購入する有様。ヘッドの汚れなど印刷の調子を確かめながらの対応が続きます。しかし、9月22日、パソコン画面に「廃インク吸収パッドの吸収量が限界に近付いています」の表示が現れ万事休す、途中でプリンターの機種変更をする訳にはいきません。使用したプリンター「PX-049A」は製造中止となっている、代替機を探さねば、いろんな事がおこります。ファンの方々には関係ない話ですが打ち明けたい。自虐的ですな。なんとか、新品をネットで見つけ対応。断裁、パピヨン縢り、ボール紙表紙圧着など、手間のかかる作業を経て、10月末日までに、全56冊完成。


202011石原輝雄‗BP5-07『マン・レイのスタジオで』の裁断

202011石原輝雄‗BP5-08『ジュリエットの贈り物』の頁 カフェ・ド・フロール

202011石原輝雄‗BP5-09 パピヨン縢り

202011石原輝雄‗BP5-10 ボール紙表紙圧着

202011石原輝雄‗BP5-11コデックス装 1ロット10冊 所要3日

 新刊注目の可否は表紙次第、デザインにも力が入ります--- なんてのは、ダメで、さらりと仕上げないと、イヤミになります。でも、ミリ単位の調整は必要、わずかな文字の置き方や写真のトリミングで、表情が変わるのですな。楽しいから、こだわるばかり。こうして、表紙カバーの印刷も済ませ、ブログ「マン・レイと余白で」の告知にたどり着いた。黒いバック紙にマン・レイ絵本を配し撮影、ほっといたしました。

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『マン・レイのスタジオで』(IN THE STUDIO OF MAN RAY)

10.5☓14.8cm 72頁 限定28部刊(内、著者本3部) 限定番号・サイン入り モノクロ図版15点 ボール紙表紙  コデックス装 書容設計・印刷・造本: 石原輝雄(パピヨン縢りによる手製本) ── ヤン・スヴェニングソンのテキスト2編(2004年、2013年、翻訳)と写真。刊行日をマン・レイの命日とした。

202011石原輝雄‗BP5-12『マン・レイのスタジオで』完成版

202011石原輝雄‗BP5-1346-47頁

202011石原輝雄‗BP5-1460-61頁 モンパルナス墓地(マン・レイ墓標)

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『ジュリエットの贈り物』(THE GIFT FROM JULIET MAN RAY)

10.5☓14.8cm 72頁 限定28部刊(内、著者本3部) 限定番号・サイン入り カラー図版28点 ボール紙表紙  コデックス装 書容設計・印刷・造本: 石原輝雄(パピヨン縢りによる手製本) ── わたしの既出テキスト「ジュリエット・マン・レイとの2日間」に加筆修正、カラー図版は新婚旅行を臨場感もって追体験いただくもの、これに翻訳したヤン・スヴェニングソンのテキスト(1990年)と書簡(1998年、2004年)を加えた。刊行日をジュリエットの命日とする関係で2021年刊と表記。

202011石原輝雄‗BP5-15『ジュリエットの贈り物』完成版

202011石原輝雄‗BP5-1642-43頁 ヤンとジュリエット

202011石原輝雄‗BP5-1754-55頁

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 初めて会った時、彼は20歳、わたしは30歳、年の差は10年だった。15歳でマン・レイを知ったヤン、18歳で気づいたわたし。お互いマン・レイが好きで、彼を愛し、ともに生きてきた。彼は自立し、芸術家としての仕事を続け、多くの展覧会を開催、国際的な評価を受けている。対してのわたしは、寄り添いすぎなのだろうか? 他の生き方など考えようないが、マン・レイの年譜と自らの日常を比べ、68歳のマン・レイ、58歳のマン・レイを思う、パリのスタジオにあって『自然絵画』連作に没頭しダダの展覧会に協力していた68歳、ハリウッドのコプリー画廊で展覧会を開き、油彩『愛人たち』と再会した58歳、パリへ戻ったのは3年後だった。今、わたしはこうして2冊の絵本を造ったが、ヤンはウィーンの大学で芸術を教えている。コロナ禍の欧州で日々を送る彼と彼の奥さんの健康とご多幸を祈る。マン・レイの亡くなった年齢までには、しなければならない事がやまほど、受容史を仕上げねばならないし『セルフポートレイト』の準備もしなければならない。「マン・レイ狂い」が新しい世代に引き継がれていく、この日本でもそうあれと願う。


202011石原輝雄‗BP5-18階段の手前にマン・レイ『サドの領地』など


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(いしはら てるお)


●本日のお勧め作品は平嶋彰彦です。
hirashima-12平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
《向島五丁目(向島須崎町) 戦災を免れた料亭》
1985.9-1986.2(Printed in 2020)
ゼラチンシルバープリント
シートサイズ:25.4x30.2cm
Ed.10   Signed  
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」(予約制/WEB展)。
会期=2020年11月6日[金]—11月28日[土]*日・月・祝日休廊
無観客ギャラリートーク 平嶋彰彦さん・大竹昭子さん

324_aときの忘れものは平嶋彰彦さんのポートフォリオ『東京ラビリンス』を刊行します。
『昭和二十年東京地図』(写真・平嶋彰彦、文・西井一夫、1986、筑摩書房)の中から、監修の大竹昭子さんが選出したモノクローム写真15点を収録しました。
平嶋彰彦さんがエッセイ「 ”東京ラビリンス”のあとさき 」をブログで連載しています。
森山大道さんの「平嶋彰彦展〜写真を支える多様なレイヤー」大竹昭子さんの「東京上空に浮遊する幻の街 平嶋彰彦写真展に寄せて」もあわせてお読みください。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。*日・月・祝日は休廊。
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