ギャラリー  ときの忘れもの

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土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

22.『スフィンクス』〜前編


『スフィンクス』、久保貞次郎私家版、限定50部、1954年6月(図1)。

図1図1

奥付の記載事項
スフィンクス
瀧口修造の詩による版画集
北川民次 地球創造説
瑛九 五月のスフィンクス
泉茂 睡魔
加藤正 岩石は笑った
利根山光人 妖精の距離
青原俊子 魚の慾望

アイデア久保貞次郎・編集 福島辰夫
限定50部の内[スタンプにより記番]
但し1−6までは各作家によるオリジナル・デッサン挿入
表紙デザイン・レイアウト 山城隆一

解題
『スフィンクス』は久保貞次郎(1909−1996年)の企画による私家版の版画集で、後年、写真評論の分野で大きな足跡を残すこととなる福島辰夫(1928−2017年)が編集を、また表紙デザイン・レイアウトを山城隆一(1920−1997)が担当しました。当然のことながら、本書に参加した6人の造形作家は皆、久保と親しい交流があり、北川民次は久保とともに創造美育協会(1952年設立)の発起人を務めています。瑛九、泉茂、加藤正、利根山光人、青原俊子の5人は(さらに福島、山城も)1951年6月大阪で結成されたデモクラート美術家協会のメンバーです(図2)。青原はのちに内間安瑆と結婚し、1960年の渡米後も内間俊子として制作を続けました。デモクラート美術家協会は52年に東京第1回展を開催し、53年夏には軽井沢で合宿していますので、そうした折に久保から版画集発行の計画が提案されたのかもしれません。久保と瀧口が知り合った経緯は判りませんが、瑛九が引き合わせた可能性も考えられます。

図2図2『瑛九と仲間たち』久保貞次郎・美術の世界2(叢文社、昭和60年2月)228頁より転載

ここで福島辰夫に触れておきます。福島は岡鹿之助の勧めで美術評論を志望し、1952年、東大文学部美学美術史学科を卒業してデモクラート美術家協会に参加、本書の編集を担当することになったものでしょう。その後の活動は、日本美術評論家連盟のサイトに公開されている飯沢耕太郎氏による追悼文「福島辰夫さんを悼む」に解説されています。それによると、1957年に「10人の眼」展を開催し(出品作家は石元泰博、川田喜久治、川原舜、佐藤明、丹野章、東松照明、常盤とよ子、中村正也、奈良原一高細江英公)、59年には写真家グループVIVOの結成にあたって、オルガナイザーとしての役割を果たしたとされています。写真評論家として確たる地位を築き、没後『福島辰夫写真評論集』全3巻(図3〜5)も刊行されています。

図3図3

図4図4

図5図5

その頃の瀧口はといえば、本書刊行の前年(1953年)に、西落合に住宅を建て、転居しています。当時の活動としては、タケミヤ画廊の運営に携わる一方、実験工房の発足にも関わったことなどが、よく知られていますが、版画家駒井哲郎を知り、版画に対して大きな期待を抱いていた時期にも当たっています。この点はときの忘れもののブログ「瀧口修造と駒井哲郎」前編〜補編で解説しましたので、詳述は控えますが、「みづゑ」誌1952年5月の「現代版画の問題」(図6)で、小野忠重恩地孝四郎、駒井哲郎との座談会に臨んだのに続いて、「二つの銅版画展」(「美術批評」1953年3月。図7)、「銅版画の復活」(「みづゑ」1955年4月。図8)などを発表し、さらに1955年からは毎年初めにタケミヤ画廊で銅版画グループ展を開催するなど、版画家の支援に力を注いでいたことには触れておきます。

図6図6

図7図7

図8図8

本書が刊行されるまでの具体的な経緯は判りませんが、企画者の久保から瀧口に対して版画集の計画への協力の打診があり、版画への期待を高めていたことも相俟って、快諾したという流れだったのかもしれません。『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』(図9)の「添え書き」(図10)には、次のように記されています。

「1954年に私の旧作から6人の画家(北川民次、瑛九、泉茂、加藤正、利根山光人、青原俊子の諸氏)が自ら選んでオリジナル版画をつけた詩画集『スフィンクス』が50部限定として出版されたが、この企画出版者は久保貞次郎氏であった。」

図9図9

図10図10

引用で注目されるのは、各作家の作品が組み合わされている瀧口の詩は「6人の画家(中略)が自ら選んでオリジナル版画をつけた」とされている点です。ここで浮上してくるのは、6人の画家が、そもそもどのようにして瀧口の詩を読み、選ぶことができたのか、すなわち本書に収録された6篇の詩の底本は何だったのか、という問題です。

当時はこの連載第13回で採り上げた『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』(1967年12月)の刊行前ですので、もちろん参照することはできません。また、瀧口は1945年の空襲で文献・資料一切を焼失していましたので、『妖精の距離』はもちろん、掲載誌も所蔵していなかったと思われます。なお、空襲について「自筆年譜」同年の項で以下のように述べています。

「5月25日、東京最後の空襲で高円寺の家全焼。疎開しなかったため多少の記念すべき蔵書、殊にシュルレアリストたちから署名して贈られた著書、機関誌、カタログ、パンフレットの類、ブルトンの書簡、また書き溜めた草稿などいっさいを焼失し、しばらく茫然自失。」

念のため、6篇の詩の初出誌などを挙げると、以下のとおりとなります。
「地球創造説」…「山繭」(1928年11月)、「詩と詩論」第5冊(1929年6月)に再録。
「五月のスフィンクス」…「文学」第6号(1933年6月)
「睡魔」…『妖精の距離』(1937年10月)
「岩石は笑った」…「文学」第3号(1932年9月)
「妖精の距離」…『妖精の距離』
「魚の慾望」…『妖精の距離』

底本の可能性がある文献としてまず挙げられるのは、1952年8月に刊行された創元文庫『日本詩人全集』第6巻(図11)でしょう。ここには「地球創造説」「遮られない休息」「影の通路」「夜曲」「睡魔」「風の受胎」「レダ」「大椿事」「ピカソのえがいた顔(抄)」の9篇が採録されていますので、「地球創造説」「睡魔」の2篇は、おそらくこれを底本としたものと思われます。残りの4篇のうち、「妖精の距離」「魚の慾望」の2篇は、久保が『妖精の距離』(図12)を所蔵していたとすれば、参照可能だったでしょう。また、「五月のスフィンクス」「岩石は笑った」の2篇は、編集に当たった福島が瀧口から「詩と詩論」や「文学」に寄稿していたと聞いて、図書館で掲載誌を探し出したのかもしれません。なお、創元文庫では瀧口は次のように紹介されています。少し長くなりますが、興味深い内容ですので、以下に引用します。引用後半の「」の部分は、瀧口から創元文庫版の編集者(北川冬彦、小野十三郎、丸山薫、伊藤信吉、大江満雄)に宛てられた私信と推定されています。また文中の「映像」という用語は、その後、アンフォルメル旋風を経た後1960年代に入ると、「影像」が用いられるようになることも、補足しておきます。

「明治36年(1903年)12月7日、富山県に生れた。昭和6年、慶大英文学部卒。昭和6年頃の「山繭」を初めとして、「衣裳の太陽」「詩と詩論」に、それぞれ参加した。その後「文学」「詩法」等に寄稿。第二次大戦中、わが国のシュルレアリスムの推進者(反戦指導者)として検挙され8ヵ月間拘留された。戦後「現代詩」同人、現在は現代詩人会会員。詩集は『妖精の距離』(昭和12年、春鳥会)1巻。昭和7年から11年頃までPCL映画製作(東宝の前身)に勤務、その後主として海外前衛美術の紹介、美術評論を書き、斯界に主[ママ]きをなしている。「私は生活のエネルギーの大半を映画(これは健康のため中断した)と美術の世界に費やしている。がそれは私として詩の力の変形したものだと信じている。結局私は映像を追って生きてきた人間である。シュルレアリスムへの関心が私の運命を大きく動かしたが、私はその中で、無から人間的な映像を汲み出すことを私なりにまなんだつもりである。」と。詩集の外に、アンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』の翻訳『近代藝術』なぞの著書がある。」

図11図11

図12図12
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展機銑検廚魎峠ぁまた自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月〜2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。*日・月・祝日は休廊。
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