ギャラリー  ときの忘れもの

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小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」第2回

瑛九の輪郭1 エスペラントとの出会い


 瑛九が、ポーランドの眼科医、ザメンホフの創案した国際語「エスペラント」に出会ったのは偶然ではない。主に医学界を中心に宮崎で広まっていたエスペラントだが、元々は兄である杉田正臣が取り組んでいたものだった。兄がしていることを弟もするという単純な動機もあったかもしれないが、何よりもエスペラントの思想に惹かれたのであろう。当時の宮崎エスペラント会の会報誌などに投稿している文章にも、国際語としての魅力のみならず、その考え方への同意が表れている。宮崎エスペラント会では、中心となって活動していた兄を補助する形で新たな会報誌などの制作に取り組んだり、ザメンホフ祭などに協力したりしていた。エスペラントは後の支援者となる久保貞次郎と出会ったきっかけにもなる。また、1951年に結成した「デモクラート美術家協会」の「デモクラート」はエスペラントをもとにした造語である。

「ザメンホフ像」1934年_油彩_宮崎県立美術館蔵「ザメンホフ像」
1934年/油彩
宮崎県立美術館蔵

 瑛九は、25歳のときに、エスペラントで書かれた現代美術についての本の書評を執筆している。書評「Grenkamp-K:“Pri I’Moderna Arto”のもつ意味」(『LA REVUO ORIENTA』
1936年7月号掲載)では、現代美術と二十世紀的言語であるエスペラントの共通の特質として世界主義的であると明言しており、見ることが第一の条件である造形芸術の紹介として、写真画像が多く使われていることを指摘している。また、安価で入手しやすく、難解な文章よりも画像で見せることでより啓蒙的な書だと評している。
 「日本のインテリと自認してゐて現代美術とはマチスピカソであるとすましてゐる人々」には目新しい作家たちが紹介されていることに驚くであろうと皮肉もたっぷりに語っている。画家であり彫刻家のゾフィー・トイバー=アルプや、「三越であわただしく個展をやってゐた」当時は新人のクルト・セリグマンなど、日本の美術雑誌ですらあまり画像では紹介されていないとしている。瑛九は実際にセリグマンの個展を見て、歓迎会にまで顔を出し、久保貞次郎へ作品の購入を勧めたほどである。
 エルンストミロは「日本でとっくから知られて」いて、ピカソやブラックなどは「もちろん今日ではすでに過去の人」と語っているが、少年時代から様々な画集、作品展などを見て、尚且つエスペラントによって海外の情報を得ていた瑛九だからこその言葉であろう。
 結びに、わからないということを作品のせいにしないで、自己にその罪がないかどうかは一考すべき知識階級と自認している人々の責務であろうと投げかけており、チクリと皮肉を付け足すのを忘れてはいない。

 ―瑛九の教え方―
 元教師であった鈴木素直は、高校生時代に瑛九にエスペラントを学んだ一人である。鈴木と友人の湯浅英夫が一緒にいた時に、湯浅と旧知であったミヤ子夫人から、「本がたくさんあるわよ」と声をかけられ、二人で瑛九の家に遊びに行ったことがある。膨大な本の量に驚いたのはもちろんだが、鈴木にとって最も印象的だったのは、瑛九と夫人の会話を聞いた時のことであった。英語ではなく、聞いたことのないその言葉はエスペラントだった。
 程なくして鈴木と湯浅は高校でエスペラントの同好会を作る。そして講師として瑛九を呼んだのだった。ここで鈴木は、後の教師生活に活かしたであろう瑛九の「教え方」を体験する。高校生たちを前に、瑛九はポケットからパンを取り出した。そうして「ミイ マンジャス パーノン」と言いながらパンを食べたのである。それを見て高校生たちは、「パンを食べるってこう言うのか」と分かったのだ。まさに「やってみせ」の教え方である。
 瑛九は、(宮崎)大宮高校エスペラント同好会の会報紙で、いくら読んでも書いても、会話は会話することによってしか上手くなれないので「エラーロ(間違い)は気にするな」と書いている。    

「兄」1943年_油彩_宮崎県立美術館蔵「兄」
1943年/油彩
宮崎県立美術館蔵
こばやし みき

■小林美紀(こばやし みき)
 1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年〜2012年、宮崎県立美術館
 学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年〜2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。

・小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」は2022年2月までの全6回、毎月17日の更新です。

●展覧会のお知らせ
「生誕110年記念 瑛九展−Q Ei 表現のつばさ−」
会期:2021年10月23日(土)〜12月5日(日)
会場:宮崎県立美術館
フォト・デッサン、版画、油彩など多彩な画業のほかに、評論活動など、独自の表現を探求し続けた瑛九(1911〜1960)。生誕110年を記念し、瑛九が生涯をかけて挑んだ「表現すること」への飽くなき探求の軌跡を、宮崎県立美術館が所蔵する作品や膨大な資料をもとに紹介します。
ポスターB2半裁つばさ最新アウトライン


*画廊亭主敬白
今月末から宮崎県立美術館で瑛九の生誕110年を記念した大規模な回顧展が開催されます。宮崎のみの単独開催なので、遠いけれど大番頭の尾立はじめ、若いスタッフに出張を命じています。亭主も冥途の土産に行かなくちゃあなあと思っています。
瑛九(1911年4月28日 - 1960年3月10日)
松本竣介(1912年4月19日 - 1948年6月8日)
オノサト・トシノブ(1912年6月8日 - 1986年11月30日)
舟越保武(1912年12月7日 - 2002年2月5日)
ご覧の通り、瑛九の生涯の盟友だったオノサト・トシノブは一つ下、来年が生誕110年になります。
松本竣介、舟越保武も同い歳です。110年などと書くと大昔みたいですが、オノサト先生、舟越先生にはたくさんの版画を制作していただき、アトリエに通い、今にいたるまでご家族の皆さんにはとてもお世話になっています。亭主にとっては同時代の作家です。
来年は忙しくなりそうです。

●この秋はじまる新連載はじめ執筆者の皆さんを9月4日のブログでご紹介しました

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18〜24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。*日・月・祝日は休廊。
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